挨拶の発声レベル、トリーベン強度、身体現前力、挨拶のパフォーマンスレベルについて


昨今、オルフェでは挨拶にこだわっている。稽古終了の挨拶をどのようにすべきか?

挨拶というのは元来は鍛練の成果の確認であった。その言葉の含蓄や音響の中に含まれる倍音から、鍛練の階梯を把握してゆく、内的体験の精度の高さを確認するものであった。それゆえにそれは究極的なもの、現マテリアルから発される最高のものでなければならぬ場合が多いのだ。

その元来の意味の通りにするならば、内的スパークの発動、オリジナルネイチャーの発動、第4身体の発動、トリーベン強度は中強以上の強度にせねばならない。

一方で挨拶というのも業界や職種、その他様々なモラルセンスから多種多様な価値観があるわけだが、オルフェでは、生徒にあわせて様々な挨拶のモラルセンスを要求し、そのモラルセンスに則った終わりの挨拶をしてもらっているが、残念ながら極めてパフォーマンスレベルの低い挨拶に出くわす。

パフォーマンスレベルとは基本的には要求されたモラルセンスに如何に反応するかである。そしてその反応の精度と幅が広ければ広いほどパフォーマンスレベルが高いといえる。

基本的にはゼロの音声、ゼロの身体、ゼロの意識レベルを持ち、第三世界から古代までを射程に入れたあらゆる領域に移行出来るパフォーマンス力を持つことが理想と言える。

オルタナティブ演劇においてこれらのゼロ領域が本当にあるのか否かはよく討論されるが、基本的には限りなくその領域に近づくことは可能であり、そう鍛練することで限りなく自在なパフォーマーへと近づくのだ。

一般にモラルセンスに反射反応出来ないものこういう者は単純にマテリアルが解放されていないか、もう一つはバイアスから解放されていない場合であるが、我が校の会員の一部で挨拶のパフォーマンスレベルが低いものは、大抵がバイアスから解放されていない場合が多い。バイアスから解放され、あらゆるモラルセンスに反射、反応させる挨拶とは鍛練としてみた時に極めて重要なものとなるのだ。

パフォーマンスをする者は求められているモラルセンスを取り出し、それに瞬時に意識レベル、身体レベル、音声レベルで反応する。瞬発力、カンタールアルメンテ力、インプロ力が必要となる。

これが上手くゆかない最大な原因がある種のバイアスにあるのだ。

これまでの挨拶はこんな形であった。
日常レベルの挨拶はこんな形でいいだろう。

そうではない!!!バイアスを取り除くこと、観念を解体することこそが、パフォーマンスをする者がまずすべきことなのだ。

私は申したはずだ。ある者にはトリーベン強度を上げ、身体性を上げ、明るく、高く、閉鎖を活発に、懸垂機構を立て直し、
現前性を高め挨拶するようにと、

別のある者にはアンザッツ3Bで、トリーベン強度を中強にまで高め、現前は不安定なバランスをとり、レシテーション度を上げて挨拶をするようにと

これに瞬時に反応出来ないならばその者は残念ながらその瞬間に芸能者失格なのだ。

もちろん、稽古は来週や来月にあるわけだが、(ただあまりに挨拶のパフォーマンスレベルが低いと判断し、改善する意志や精進が感じられないようならば、当然ながら破門とする。)

これが、一つの演目だとしたら、もはや台無しなのだ。その演目はその瞬間に駄作となるのだ。少なくともその日のその演目は駄作となる。それゆえに芸能者、パフォーマンスをする者は瞬間のパフォーマンスを常に重要視し、小脳や脳幹で反応出来るようにせねばならない。脳幹は演劇、儀礼、発声、瞑想、歌唱の根幹にあるものであり、脳の奥深くにある。故に芸能とは、パフォーマンスとはあらゆる物事の本質、根源、大本なのだ。我々は瞬時にモラルセンスを判断し、反応する。瞬発力を発揮し、あらゆるアクシデントに瞬時に反応するカンタールアルメンテ力や、インプロ力を持たねばならない。

基本的にオーディションなどにおいては瞬発力は極めて重要となる。時間をかければ作品化させる力を持つ特性のある者もいるが、瞬発力がなければオーディションなどでは落ちる可能性は極めて高くなる。また、現前性もそうだ。我々はこういった場合は感銘を与えねばならないわけだが、現前や瞬発力がなければ感銘を与えるのは難しい場合が多い。私の著者に「こどものための究極★正しい声のトレーニング」があるが、この中にはスピーチモードやレシテーションモードにおける瞬発力を鍛えるメソードがある。実はこれの元ネタはエディットピアフと大東亜戦争時の兵隊にある。エディットピアフの瞬発力と大東亜戦争時の兵隊のインタージェクションがこのメソードの源にある。兵隊達がいわゆる戦闘トランスと呼ばれるパフォーマンスにおける重要な意識レベルにいたことは何度も言ってきた。これは歴史学の方から研究がすすめられてきたことであるが、兵隊訓練の意識状態もまた優れたパフォーマンスの意識状態、優れた歌唱の意識状態と類似するのだ。

故に挨拶のパフォーマンスレベルが低いものは、あのような挨拶はすべきでないのだ。兵隊達の叫びを聴くのだ。兵隊達の戦闘トランスから発されるパフォーマンス能力の高さを感じるのだ。芸能とはパフォーマンスとは世間が思うようなチャラチャラしたものではない。生命力の根源であり、死の領域に触れようとする身体脈動の中にあるものなのだ。

それを忘れたパフォーマンスはパフォーマンスではないのだ。

我が校は総合的なパフォーマンス研究所ではあるが、生徒の60%から70%ほどは発声学のみを学ぶ者である。

誤解しがちなことは発声訓練だけをしていれば、優れた歌い手になれると思い込んでいる者だ。

発声能力がかなりの水準に達した者でも本校には総合的にみるととても一人前のパフォーマーとは見えない者もいるわけだが、なぜそう思わせるのかは、パフォーマンスとは常に総合力であるからだ。意識レベル、身体性、トリーベン強度、倍音力、エロキューション、フレージング、インプロ力、カンタールアルメンテ力、瞬発力、これらが総合化されてはじめてパフォーマンスはパフォーマンスとして成立するのだ。例えばほとんどの能力が欠落しているがこうした発声能力だけが、桁違いになった者よりも、一つ一つのパフォーマンス能力は小さくとも総合パフォーマンス能力がバランスの良い者の方がパフォーマンスそのものは安定する場合が多い、ただしこちらもあまり小さくまとまっている者はやはりその辺りにいる凡夫なパフォーマーだ。重要なことは、全てのパフォーマンス能力を達人以上にすることだが、(ただし、一般に達人と勘違いされているようなものの大半は我々からすれば雑魚に等しい。)最低でも少なくとも何か一つを達人以上にし、それ以外をやや精度を低くしてもバランスよく捉えていることである。もちろん人によって、これは得意だが、これは苦手といったことはあると思う。だが基本的にはある程度、総合的に捉えられていなければパフォーマンスは成立しない。発声能力はかなりのレベルのものが、実際のパフォーマンス段階でいまいちになるのは、他の要素が欠落しているからである。

当然歌であれば、意識レベルや現前性以外にもフレージングのモラルセンスやグレイスノートの選択、律動感覚、ピッチやインターバルの精度、内的聴感、メンタルコンセプトなどが総合的に必要になってくる。そしてそれら全てはほとんど1000分の1秒の瞬間に決定されねばならない。

はっきり言って不注意極まりない者はパフォーマンスをする資格はない。
あらゆる物事をパフォーマンスと捉え、芸能化してゆかねばならない。いわゆる行住坐臥の思想だ。我々は例えば発達障害や精神疾患、その他諸々の障害を理由にパフォーマンスが上手くゆかないことを理由にするものを見ることがあるが、これは日常レベルではそうしたことがあるとしても、ナティヤダルミ段階でのパフォーマンスにおいては、基本的には大概の障害を乗り越えて一級のパフォーマンスレベルになることは可能である。実際にコンテンポラリーの系譜からは障害者の身体性から最高レベルのパフォーマンスが多々生まれているのだ。そしてそのレベルまで鍛えれば、日常(ロカダルミ)のパフォーマンスレベルも飛躍的に高まるのは言うまでもない。障害により困難や壁が大きくなることはあるかもしれないが、それを理由にする者は逆を言うならばまだまだ先の未使用なパフォーマンス力が残されている場合の方が多いということである。そしてその領域を知ればブレイクスルーはおこり、それは人に感銘を与えるのだ。

このようにパフォーマンスは総合化された地平が必要だが、しかしながらいわゆるボイストレーニングを学ぼうとする者の多くはこうしたことにあまりに無頓着すぎる者がいまだに多いのだ。

こうした認識の強いものの中にはパフォーマンス領域の中でさへ、ロカダルミにおける身体や音声(スピーチモードに関してはロカダルミのままでいる場合が多い、)の場合が多い。

少し前の演劇界のテクニカルタームでいうならば、「だらしのない身体」
「だらしのない音声」ということになる。基本的には1960年代以降世界規模で、このだらしのない身体、だらしのない音声は発生した。基本的には近代化された人間の日常の身体も音声も「だらしのない」ものがほとんどだ。なぜこれほどまで注意散漫なのかが、摩訶不思議なレベルでだらしなさの末期状態にいる者がほとんどだ。私は我が校からはこうした者を基本的には一人たりとも出したくないわけだ。かつてのロカダルミの身体やロカダルミの音声が厳密にはだらしのないものではなかったのだ。
かつてはロカダルミとナティヤダルミほとんどチャンネルの違い程度で、パフォーマンス水準にヒエラルキーはなかったのだ。こうしたかつての農民芸術レベルのロカダルミを獲得してゆくことが諸氏には求められるのだ。


オルフェは挨拶一つをとってもこれだけの領域を要求しているのだ。その事を深く肝に銘じ、日々の芸能鍛練をして頂きたい。

くれぐれもだらしのない身体、だらしのない音声を私の前に晒してはならない!

日々の鍛練の中でゼロの身体、ゼロの意識、ゼロの音声を獲得した時に改めて

だらしのない音声やだらしのない身体を要求しよう。それも一つの領域なのだ。私が問題とするのはバイアスによりそこだけに偏り反応、反射出来ないことのだらしのなさだ!!!



先ほど、我が校に一斉送信のようなメールが送られてきた。我が校はこうしたメールは原則ほとんど読まずに消去するが、基本的にこの類いのメールが我が校に送られてくるものは大体が間違いメールである場合がほとんどだ。おそらくは生徒および、生徒関係者が行う、フースラーメソード関係のオフ会のようなものの案内の類いだと思うが、(そもそもちゃんと読んでいないので違うかもしれない。)
このような間違いメールを二度と送ってこないようくれぐれもお気をつけ願いたい。これが知っている生徒ならばもう少し軽い注意で済ませているが、聴いたこともない者であった。また、この者がこの記事に気付かれた場合も、謝罪メールなどは不要である。二度と送ってこないことが何よりもの謝罪だと思って頂けると幸いだ。 
そもそもメールに対応するのも忙しい時は難しいことはご理解頂けると思う。昨今はそのような状況なのであり、謝罪メールを送らないことがなりよりの謝罪になるということをご理解頂きたい。どちらにしろこのような間違いメールは何者であれ二度と送ってこないようくれぐれもお気をつけ願いたい。

武田梵声です。昨今、私のTwitterに制限がかけられている事をご存じの方も多いかと思います。
特に違反をしたわけではないのですが、残念ながらTwitterにログイン出来ない状況が続いていますので、Twitterが復活するまでは重要な情報やお知らせはこちらにアップしてゆきますので、しばらくはこちらのブログも日々チェックして頂きますようお願い申し上げます。また、オルフェ会員の方々や私と面識のある方はよろしければこの件をTwitterなどでオルフェ会員の方々や私の読者の方々、Twitterフォロワーの方々などに伝わるようにツイートして頂きますと助かります。


例、武田梵声先生がTwitterにログイン出来ないみたいで、しばらくはブログで情報やお知らせを発信するそうなのです。ブログのチェックをお願いしますとのことです。



ご協力頂きますと幸いです。

2、3ヶ月様子を見てTwitterが復活しない場合は、前のアカウントを捨てて新たにアカウントを作り直そうかとも考えています。とりあえず様子をみたいと思いますので、しばらくはブログの方をご覧頂ければと思います。

それから勝手にフォローが外れていたり、いいねやリツイートが外れていたりもしているので、こちらも今回の件から派生した事故になります。


皆様、昨今はゴルジャメソードをよく精進されているようです。皆様は音声修行者(おんじょうしゅぎょうしゃ)であり、芸能修行者であり、瞑想修行者であり、舞踊身体修行者であります。

語りたくば、技芸により語る、、、。オルフェはアプリーレのフェーズ、第三の耳の領域、第三の耳のエソテリックな領域へと入っているのです。

玄妙なグリッサンドを語尾にかけながら

「音声鍛練するぞ~音声鍛練するぞ~」

と言ってみましょう。


玄妙なグリッサンドをかけながら

「瞑想鍛練するぞ~瞑想鍛練するぞ~」

と言ってみましょう。


玄妙な領域を捉える第三のエソテリックな耳の発動と玄妙なグリッサンド、玄妙なヴォーチェディゴラは玄妙なリバトゥータディゴラを発動させてゆきます。

限りなく玄妙に、音声修行者(芸能修行者)はその領域へと入りつつあるのです。

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