オルフェレッスン生、入会募集中のお知らせ


お問い合わせを頂いた方々お待たせいたしました。昨年はオルフェに入会制限を掛けさせて頂き、残念ながらレッスンをお断りさせて頂いた方もいましたが、本日より入会制限を解除し、オルフェ入会者を募集中とさせて頂きます。

フースラーメソードを学びたい方、ゴルジャメソードを学びたい方はご連絡頂きますと幸いです。以下のヤフーメールまでお問い合わせ頂きますようお願い申し上げます。

bonjyou88@yahoo.co.jp


また、オルフェはコロナ禍以降は全てのレッスンをオンライン化しました。
オンラインレッスンというのはこれまで対面より一段低いものと考える方が多かったようですが、まったくそのようなことはございません。むしろ対面よりポイントが絞られより効率的に学ぶことが出来ます。対面の良さは大学の講義でも言われていることですが、むしろ友達を作ったり、学んだ気になれる傾向があるといったところにあります。本当に学べる人は対面でもオンラインでも学べます。そしてオンラインの方が効率的に学べる分やはり学びのツールとしては優れています。


もちろん、精度の低いオンライン授業があることは重々承知しております。しかしながらオンラインは工夫すれば対面以上の効果を発揮することは間違いありません。

オルフェのオンラインレッスンは世界最高レベルのオンラインボイストレーニング、オンラインパフォーマンストレーニングを行っております。対面以上の効果がございますので皆様のこれまでの思い込み(オンラインは対面より劣る)を捨てて是非オルフェのオンラインレッスンを受講してみてください。よろしくお願いいたします。


オンラインはSkypeをタブレット、スマホ、パソコンなどにダウンロードして頂き、カラオケ、スタジオ、レンタルスペース、ご自宅でWi-Fiまたは4G、5Gでレッスン受講可能です。



フースラーメソードを学びたい方、ゴルジャメソードを学びたい方はご連絡頂きますと幸いです。以下のヤフーメールまでお問い合わせ頂きますようお願い申し上げます。

bonjyou88@yahoo.co.jp


武田梵声のTwitterを復活させました。少しずつですが、フースラーメソード、ゴルジャメソード、ボイトレ、瞑想について呟いてゆきたいと思います。フォロー、拡散にご協力頂きますと幸いです。

武田梵声のTwitterは以下で検索してください。

@bonjo88kousei88




皆様明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。


武田梵声のTwitterを復活させました。少しずつですが、フースラーメソード、ゴルジャメソード、ボイトレ、瞑想について呟いてゆきたいと思います。フォロー、拡散にご協力頂きますと幸いです。

武田梵声のTwitterは以下で検索してください。

@bonjo88kousei88


よろしくお願いいたします。




 昨今、一般の多くの方や残念ながら一部のオルフェの会員諸氏の中にもあるパフォーマンスに関する致命的な誤解についてをお話させて頂きます。
先ず、パフォーマンスというのは歌も演技も舞踊も漫才も総合力です。発声は重要な柱となる要素ですが、発声がレベル99でも他のパフォーマンスがレベル1以下では、歌や語り、演技、漫才などのパフォーマンスは結果的に残念の出来になる可能性が高いのです。オルフェの40%程の会員はオルフェにある発声以外のパフォーマンスコースの受講者や私の総合パフォーマンス塾でありました私塾野生の声音の会員だった方で問題ないわけですが、発声以外のパフォーマンスにあまりに無頓着な会員ははっきり言いまして、かなり問題です。あらゆるパフォーマンスに共通した四大要素は基本的には全てのパフォーマーが最低限身につけるべきものです。パフォーマンスの四大要素とは、意識レベル、身体性、現前性、発声です。

私をフースラーメソードやゴルジャメソードの発声だけの専門家と誤解している方もいるようですが、私は総合パフォーマンスメソードを専門とする者です。それも全てのパフォーマンス領域のプロや指導者を育成している立場にいます。私は元々各パフォーマンスの聖典レベルのメソードを全て修め、研究してきたものです。演劇学の聖典アルトー理論、舞踊身体論の聖典エフォート理論、瞑想意識変容の聖典ディヴァインスパークメソードとインド哲学、発声学の聖典フースラー理論、芸能学の聖典折口芸能学といった五大パフォーマンス理論を修めてきたわけです。これを集大成した私の総合パフォーマンス理論書が、

『野生の声音~人はなぜ歌い踊るのか?~』武田梵声


になります。昨今、一部の会員の挨拶の精度の低さやニューフィジカルエクササイズによる礼の精度の低さから、
総合パフォーマンスの視点を全ての会員が持たねば話にならん!という結論に至りました。従って全ての会員の方に年内から金銭的に余裕がない方であっても遅くとも2022年2月までには『野生の声音~人はなぜ歌い踊るのか?~』をご購入いただきたく存じます。(今から月に千円ずつ貯めれば2月までには購入可能です。それも出来ない者はお金がないのではなく、やる気がないのです。)

はっきり申し上げますと、発声レベルがかなりの水準になろうとも、それ以外のパフォーマンスレベルが極めて低いのはみっともないです。我が校の会員はそのような無様なパフォーマンスではならんわけだ。

また、発声一つを極めるにしても四大パフォーマンス要素に無頓着では、頭打ちになる可能性は極めて高いのです。フースラーはアージ、トリーベン、もしくはアフェットの発動は発声のより玄妙な領域の鍛練に必要不可欠と考えました。

勿論、発声だけでも倍音やハイパーソニックサウンドにより脳の血流に影響を与えて、意識レベル、身体性、現前性に働きかけてゆくことは理論上は可能です。しかし、他のパフォーマンス要素があまりに無頓着な者には現実的には厳しい場合が多いでしょう。もちろんある程度のところまではゆきますが、より突き抜けた聲態を会得するには発声一つを極めるにしましても総合パフォーマンス的な視点が必要不可欠なのです。アージ、トリーベンの発動が不十分な者に聲態は極められないのです。従ってパフォーマンスを極めるのも難しいでしょう。
これはそもそもフースラーメソード黒本、フースラーメソード入門、こどものための究極正しい声のトレーニング、ゴルジャメソードといった全ての私の著作で常に言ってきたことであり、私の著作は発声訓練書として書かれたものであっても常に20%ほどは総合パフォーマンスの重要性を論じていたはずですが、残念ながら読み飛ばしてしまっている者がいるわけです。ただそんなことでは話にならん!とお思いになった方が良い。

書籍野生の声音は発声学、身体論、演劇論、現前論、意識変容論、瞑想論、芸能学を各分野の聖典レベルのメソードを十分な分量で論じています。

この『野生の声音~人はなぜ歌い踊るのか?~』で発声以外のパフォーマンスレベルを補い、皆様のパフォーマンスを最高水準まで高めてゆくよう精進なさってください。(他にもゴルジャメソードYouTube動画のエフォートの実践やアルトー理論、現前理論の解説。私塾野生の声音のYouTubeに一部アップされているもの等を参考にし、日々の鍛練を行ってください。)

総合パフォーマンスの視点を常に持たぬ者に聲態も、歌も、語りも、演技も舞踊も極めるのは難しいのです。(舞踊も発声の体得はある程度必要です。世界各地の民俗芸能、民俗舞踊、古典舞踊は大抵、歌唱を舞踊の基礎として学びます。歌唱の律動が舞踊に必要不可欠だからです。また、声門下圧は身体のバランス感覚を高めるのに必要不可欠です。)


また、稽古終了の礼について詳細に記させて頂きます。

無言沈黙でゆっくりとした礼を行います。50秒から1分20秒ほどの礼(お辞儀)をして頂きます。

基本的には礼が短い時間になるのは、達人か逆に未熟な者かもしくは話しにならないやる気がない者です。従って基本的には長い時間をかけて行うのが基本となります。(稽古終了時に行うため便宜的な問題から基本的には50秒から1分20秒ほどの時間としますが、メソードとしては30分くらいのスケールで行うとより効果的です。)

これはニューフィジカルエクササイズと呼ばれるメソードとなり、エサレン研究所、ヒューマンポテンシャル革命、聖中心リバイバルといった潮流、もしくはそれらのアマルガム的な流れから発想されたメソードです。基本的にはパフォーマンスの四大要素のうち現前性、身体性、意識レベルを鍛練してゆく効果、効能があります。

この礼は基本的には自身の身体を水袋なようなものとメンタルコンセプトし、行ってゆきます。あまりかっちりした礼ではなく、少し液体的なグニャグニャとした身体性のままゆっくりと身体を前方に倒し、およそ直角のあたりまで身体を前方に倒したところで、ゆっくりと身体を起こしてゆきます。

(腰の悪い方、身体の具合が悪い方で上記のようなスローなお辞儀が難しい方は、実際の所作はなさらずに内的身体のイメージ、メンタルコンセプトで上記のようなご自身の所作を脳内にイメージするだけでも構いません、その場合も50秒以上1分20秒以内くらいのスケールで行います。
アスリートと俳優や歌い手、舞踊家の身体性、現前性の決定的な違いは内的身体の発動にあります。すなわちイメージだけで身体バランスを変える力です。これはゴルジャで紹介した実験ですが、アスリートは重りを持たせた時だけ身体バランスの変化が起こるのに対して、俳優や舞踊家、現前性の高い歌い手は重りを持たせなくともイメージだけで重りを持った時と同様の身体バランスを作り出せる傾向が強いことが報告されています。この身体バランスの脈動が現前性、存在感となるのです。もちろんアスリートもある水準を超える者はこうした領域に入る場合もありますが、武術家やパフォーミングアーツがある程度、初期段階から上記を捉えるのに対して、アスリートはある水準以上にならないと上記身体感覚を意識すらしていない場合が多いようです。しかしながら昨今は上記のような現象もやや逆転しているようにも思います。俳優、歌い手、舞踊家、武術家は上記に無頓着になり、逆にアスリートは身体イメージや意識のレベルに対して敏感になってきている者が増えてきているように思います。ただしまだまだかつてのパフォーマンスの達人の領域には程遠いですが、どちらにしろ俳優、歌い手、舞踊家がそんな情けないことではいかんのだ!)




こうした液体的な身体のスローな所作により、意識レベル、現前、身体性が解放され、アージ、トリーベン、アフェットといった発声訓練時に必要不可欠な意識レベルの発動も行われてゆきます。


また、これは野生の声音をご覧頂ければ解ることですが、一般に流布している発声訓練がガルシア型やその展開型で極めて誤りのあるものであるのと同様に、身体性、現前性、演技訓練、意識レベル、瞑想といった他のパフォーマンスメソードも一般に流布しているものは、基本的には近代的なモラルセンスを学ぶものに近く、パフォーマンスそのものを解放させるものではないということです。
例えばワガノワメソードやポワントの技法はクラシックバレエやロマンティックバレエを中心とした西洋近代のパフォーマンスのモラルセンスにしか通用しませんし、スタニスラフスキーシステムなどの演技訓練もリアリズム演劇とその周辺にしか通じません、瞑想もマインドフルネスなどが流行しましたが、これは完全なアナパナサティの即席化です。
野生の声音では全てのパフォーマンス領域における聖典レベルのメソードは何なのかを明らかにしました。そしてその視点がない限り、パフォーマンスの鍛練が上手くゆくことはほとんどないのです。それらを踏まえて稽古終了時の礼を行うようお願いいたします。

また、野生の声音で紹介した私が修め研究してきたパフォーマンス理論の五大聖典
(折口芸能学、ディヴァインスパークメソード、アルトー理論、エフォート理論、フースラーメソード、ゴルジャメソード)は基本的には多くの人にとっては、それぞれ単体ではそのまま行うだけでは不十分なのです。上記のどのパフォーマンス理論も基本的には身体性、現前性、意識レベル、発声といったパフォーマンスの四大要素や民俗心性、古代心性を捉えてはいますが、上記の五つのメソードを統合させねば多くの人にとってはアルトーは演技だけ、ラパンは舞踊だけ、フースラーは発声だけ、ディヴァインスパークや折口芸能学はパフォーマンスとは無縁の存在といった領域でしか捉えることが出来ないでしょう。

また、民俗心性や古代心性が上手く捉えられねば上記のメソードを扱うことは難しいでしょう。基本的には民俗芸能、民謡、民俗舞踊、伝承童謡、伝承遊戯、先住民の芸能、民族音楽を見る聴くが圧倒的に不足していては、それらを捉え、発声、意識レベル、身体性、現前性のより厳密、玄妙な領域を鍛練してゆくのは極めて難しいのです。その辺りの西洋かぶれ、近代かぶれした舞踊教師、発声教師、演技教師、マインドフルネス教師、が話にならないレベルなのはその辺りの理由によるのです。

また、東洋の身体技法、瞑想は優れたものではありますが、これもそれらのルーツとなる領域、すなわち日想観であればプレ日想観ともいえる列島先住民の原始の意識変容術まで捉えねば本当の意味において使いものにならないですし、ヨーガもハリウッド化したものはガラクタに等しいものですが、こちらもゴーラクナートやパタンジャリをも超えてプレタントラの領域から捉えねばやはり本当には使いものにならないと言っていいでしょう。というよりも昨今の意識レベルのメソードにおいて、インド、ヨーガ、仏教のバイアスはむしろ一度解体すべきようにも思います。本来これらは観念を解体する技法ですが、半端な者達によりこの領域からの観念が世を覆ってしまっていることも残念ながら一つの事実としてあります。

すなわち瞑想とか意識レベルの態は本来は先住民の態ですが、一般には仏教、ヨーガとアメリカで即席化されたものの印象が強くなっており、仮に先住民の態に遭遇しても仏教、ヨーガ、アメリカ即席のパラダイムから捉えてしまっている者が多いわけです。

これらを突き抜け、よりパフォーマンスの根源的な領域を捉えれためにパフォーマンス五大聖典を捉え、実践してゆかねばならないのです。



総合パフォーマンス理論において諸氏が捉えるべきポイントは以下のようにまとめることが可能である。


パフォーマンスは演技も舞踊も歌も漫才も全て総合的パフォーマンスの視点を常に持つこと


私が修め、研究してきたパフォーマンス五大聖典(折口、アルトー、ラパン、フースラー、ディヴァインスパーク)を常に捉え、あらゆるパフォーマンスはその領域から捉えてゆくこと、


発声一つを極める場合でもパフォーマンス四大要素である身体性、現前性、意識レベルは必要不可欠である。これによりアージ、トリーベン、アフェットの発動がサポートされ、発声の玄妙な領域が鍛練される。


発声だけでも倍音、ハイパーソニックサウンド、精度の高いメリスマによりアージ、トリーベン、アフェットの発動は理論的には可能であり、身体性、現前性、意識レベルの解放は理論的には可能である。アルトー理論でもオノマトペ、インタージェクション、ガムは身体性、現前性、意識レベル、発声、を解放するものと考えられているが、これらはその方向付けが行われていれば理論的には可能であるが、身体性、現前性、意識レベルに無頓着な者には現実的には難しい場合が多い。


本来は私が修め研究してきたパフォーマンス五大聖典は単体でもすでにそれぞれが総合的なパフォーマンス理論であるわけですが、それに気づけない者が多いわけです。従ってその各パフォーマンス聖典の本領を発揮するためにも五大パフォーマンス聖典全てを捉え、日々の鍛練をしなければならないわけです。




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