世界最高のボイストレーニングである
フースラー・ボイストレーニング
フースラー 真 ミックスボイスの研究者、フースラーメソードの著者であります
武田梵声でございます。
さて今回は、ミックスボイスとは
何なのか?
という事を考えてゆきたいと思います。
はじめに言っておきますが、
アカデミック・トレーニングをしてきた私達からするならば
ミックスボイスという語彙自体が
問題の語彙であり、そもそも正しい訓練どころか
間違った訓練であり、
間違った発声にしてしまう訓練なのです。
(すなわち間違った機能バランスにしてしまう)
ミックスボイスは、世に拡散していますが、誰がなんと言おうと
学術的には
間違いだらけです。
しかしながらミックスボイスの歴史をみてゆくとミックスボイスの正しい訓練手順が19世紀半に喪失した事が見えてきます。
この19世紀半以前の17世紀に発想されたプレ・ミックスボイス
(レジストレーション、もしくは直訳するならばブレンドボイスと申すべきでしょうか、アメリカでもこの語は使われていますが、ほとんどの場合が19世紀型ミックスボイスの単なる言い換えとなってしまっています。 )
と申すべきボイストレーニングこそが、
究極にして至高のボイストレーニングであるという考えこそが
三大ボイストレーナーである
フレデリック・フースラー
コーネリウス・リード
ハーバード・チェザリー
の共通の考えにして、それを復活させる事こそが共通の目標でありました。
我々はこのプレ・ミックスボイスを
フースラー真・ミックスボイスと名付けたわけです。
ネット上に氾濫しているほとんどのミックスボイスはこの起源的ミックスボイスを喪失し、生理的にも、音響的にも
むちゃくちゃな事をやってしまっているというのが現状です。
本来
ミックス
と
ブレンド
というのは、別のものでして、
ミックスは間違いであり、ブレンドが正しいと考えられてきたわけですが
そしてこのブレンドボイスのボイストレーニングをしますと
声の最も原始的な機能が目覚めると考えられ、
(これを神経同期力と言います。神経同期論はユソンにより唱えられ、フランス国立科学アカデミーで報告されたピギュ、ドゥクロワ、リベルサの実験によりほぼ証明されています。この理論によりベルヌーイ効果を源としたあらゆる理論と訓練は完全に意味を失うでしょう。腹式呼吸の完全解体はここから始まります。また完全に原始本然に目覚めた喉の前では、ベルヌーイ効果が全く役に立たない現象が起こりうる事も一つの事実です。)
およそ声で可能なあらゆる
テクニックを自在にコントロール出来るようになると考えられるわけです。
幅広い 声域
声量 の コントロール
声の機敏性(すなわちメリスマ、ビブラート、グリッサンド、)
多彩な音色(ノイズ声音をも含む)
ロングトーン
声の持久力
構音の自在さ(滑舌)
強調対比力
等々
要するに
ミックスボイスとはその状態で歌いましょう
という以上に声全体の機能回復訓練なのだという事が言え、
それこそが
真・ミックスボイスの本義なのです。
一流のボーカル
ボーカリストが
プロのボーカル
ボーカリストが
ミックスボイスか否かというのは、良く討論されている事ではありますが、
(そもそも一流のボーカル プロのボーカルが凄いと思い込んでいる発想自体が、近代的な共同幻想でしょう。世界中の歌い手を統計的にみた場合はむしろアマチュアにこそ生理的にもモラルセンス的にも優れたボーカリストや語り手は多いと言えます。一流のボーカル、プロのボーカルは商業主義や19世紀的な芸術至上主義の勝者であるというだけで、生理的、本質的な芸能のモラルセンスすなわち19世紀的な西洋以前の真の意味での世界各地の芸能の基本を形勢するモラルセンスの勝者でない者も多いわけです。もちろんプロのボーカリストで、そういった本質的な生理やモラルセンスを掴んでいる人もいますが、それだけが凄いという思い込みは捨てなければ真実は見えてきません、
フースラーはこの真実の声を聞き分ける耳を夢遊病的な耳と呼んだわけです。)
その歌唱のモラルセンス的
(表面的に表に顕れている声、表面に表出された美の枠組み)
面からの評価は発声学的な問題よりも歌唱モラルセンスの問題なのです。
歌というのは、広大な生理機能のある部分を美的枠組みにしたがって切り取って表出されたものがほとんどだからです。
歌で全生理機能の表出を行うものは、古代的な芸能や一部先住民の芸能か、
アバンギャルドな実験的な芸能のごくごく一部です。
それ以外の歌や芸能というのは表面上は生理の全機能をフル活動させる事はまずもって少ないと思ってよいわけです。
発声学が問うのは歌のモラルセンスではなく、
その声の自在性です。
そして
真・ミックスボイス
的な状態を生理機能が獲得しているならば
その声は自在になりますし、
そうでないならば声は不自由になります。
自在になった状態では変な話、どんな歌い方をしても良いわけです。世界各地の歌にはそれこそ皆さんの美意識からすると信じられないような歌のモラルセンスが沢山ありますからね
歌というのは美の枠組みの中で声を展開させるものですから、不自由な声や偏った声でも歌が上手いと言われているボーカリストも沢山いるわけです。
フースラーは生理的に間違った発声でも世界的な大歌手になれる事を説いていますし、誰もが称賛する美声や魅力ある声でも生理的に間違っている場合も多々あるわけです。
要するに歌自体はモラルセンスの問題なのです。
それは不自由ながらも美の枠組みの中で上手く声を展開させるモラルセンスがあるならば可能なわけで、今ショービジネスで活躍している人の大半は実はこのタイプが多いわけです。
真・ミックスボイスとは機能回復の訓練にして声の野生と関連したものなので、
声が自在な人はこの訓練をしていようが、いまいが
ミックスボイス的な声で表面的に歌っていようが、いまいが
喉の無意識的な基層に
真・ミックスボイス機能を発動させているというのが
喉頭生理学上の事実です。
私は世界各地のボイストレーナーや芸能教師、耳鼻咽喉科医達にも指導していますし、世界各地のショービジネスからアフリカやオセアニア、アジアの古典、民族、民俗を含むあらゆる芸能、歌謡の指導をしてきているので、
その統計的量も圧倒的であります。
その上で、ボイストレーニング、ボイトレというのは、モラルセンスで聴いてはならないという事が言えます。
あくまでも夢遊病的耳で聴かねばならないわけです。
ネット上に氾濫する不毛な議論は発声学の問題ではなく、モラルセンスの議論です。芸能学的に考えるならば、このモラルセンス的な議論というのにも私は意見はあるのですが、
そちらは無音の音声に譲りまして
・・・
さて
フースラー真ミックスボイス
もしくはSLS真ミックスボイス
についての方法というのを少しだけ語ってゆこうと思います。
先ず真ミックスボイスのいうのは、
レジスターのバランスを調える事から始めます。
レジスターとは、登録された声という事で
生理学的には
裏声
と
地声
ファルセット と チェストボイス
ファルセット と ヴォーチェディペット
という事が出来ます。
またシュナルレジスター シュトローバスレジスター グロッタルフライレジスター ボーカルフライレジスター エッジボイス 等と呼ばれる
極低声区をレジスターとすると否かはアカデミックな現場においても議論があるところです。
フラジオレットレジスター ホイッスルボイス パイフレレジスター スーパーヘッドボイス 笛声
等と言われる声は、生理学的にはレジスターに含まないのが普通です。
ミドルボイス 等というのはレジスターとしては論外ですし、この概念も19世紀型の概念となります。
この ファルセット 及び 裏声
と
チェストボイス
の
分離 確立 再融合
という手順こそが本来の17世紀型のボイストレーニング手順であり、
大概、皆が失敗するのは、分離をあまくやってしまうところにあります。
特に混合と呼ばれる声の状態になっているものは、この分離をかなり注意深くやらねば極論
何年やっても上手くゆきません
よくYUBAメソッド や SLS
を何年もやったが、上手くゆきませんでしたと言う人が
フースラーメソードを読んで私の研究所を訪れますが、
混合の強い人が多いわけです。
これを改善する方法はいくつかの
フースラー学派の新しい展開としてあります
アフリカ的段階のメソードを行ってゆきます。
それらと平行しながらファルセットを分離してゆく従来のメソードを行う事で分離の作業を行ってゆくわけです。
分離が促進されるほどに、各レジスターの強化
と
再融合は精度を高めてゆけます。
そして
メッサディヴォーチェ
により最終調整をしてゆくわけです。
そうする中で
ファルセットのヘッドボイス化
もしくはヴォーチェディフィンテ化
という現象が顕れてくるわけですが
ヘッドボイスとファルセットが違うものと考えている人も多いようですが、
まったく非科学的です。
ヘッドボイスとはファルセットから派生してくる声なのであり、段階においては、微妙なグレーゾーン的な段階
も無数に存在します。
ヴォーチェディフィンテやヴォーチェディゴラ、ファリンジルボイス
はミドルボイスや19世紀的ミックスボイス(ヴォミクストゥ)、またはジラーレやキューゾの事と捉えられがちですが、
19世紀的な語彙が実体のないものなのに対して
ヴォーチェディフィンテやファリンジルボイスというのは初歩的段階には甲状舌骨筋により引き上げられた喉頭位置から発声されるファルセット、裏声であり、発達してゆく事でチェストボイスとの融合を開始し、原始ブレイクや原始のブリッジの領域では内甲状被裂筋への神経インパルスも確認されるものです。
原始ブレイク以上の音のヴォーチェディフィンテ及びヘッドボイスは、内甲状被裂筋への神経インパルスは必要か否かはモラルセンスによるものです。喉頭の機能回復という点においては原始ブレイク・ゾーンさへ、上手く真釣り合わせさへすれば基本的には事足りるわけです。
多くのポップス、ロックの学習者はこの辺りの議論が好きなようですが、これらもフースラーやゴエルットラー的に言うならば弾性枠を強化すればする程に内甲状被裂筋への神経インパルスも高めてゆく事が可能になってゆきます。
またここで重要になってくるのがランの抵抗の点でミックスボイス学習者の中でミックスボイスが頼りない声になってしまうと思い込んでしまっているものは、まずこの機能が目覚めていないわけです。リード等は17世紀型の訓練のみでこの抵抗の点も目覚める説いていますし、事実ある程度まではそうです。しかしながら抵抗の点の訓練を直接的に行うガム・メソードを行う事で、より強力に目覚めさせてゆく事が可能です。ガムも無数のタイプがあり、私がフースラーメソードに紹介したものは、ガムのほんの一部ですが、取り敢えずこれらの目的においては
アンザッツ5のガム
が重要になってくる事を押さえておくと良いでしょう。
究極にして至高 古代的にして 未
的 世界人類の あらゆる 歌 あらゆる 芸能 に通低する核を鍛える ボイトレ があるとするならば
それは フースラー 真 ミックスボイス
か
SLS 真 ミックスボイス
または コーネリウス・リード の思考を正しく 理解してゆく以外にはないように思います。
あらゆる ボイトレ ボイストレーニング の 正しい発声は フースラー リード そして ハーバード・チェザリー以外 には 出てきにくいと考えてよいでしょう。
これらは、オペラの発声 だとして ポップス や ロック と無関係とする考えもよく聴きますし、
確かに一般的な ボイストレーナーの多くは 上記の 流派であっても 19世紀型の オペラ的な解釈でみてしまう人がほとんどです。
しかしながら 上記 三名 の 至高のボイストレーナー (これを「夢遊病的ボイストレーナー」と呼びます。)
は一般的にいうオペラ すなわち 19世紀型 の オペラ ではなく
17世紀型 の バロック以前 の声を理想と考えたのです。
バロック以前の 西ヨーロッパの声というのは 人類学が 証明するように 遥かに 西アジア アフリカ よりの声の感覚を持っていました。
そしてその感覚はロックやR&B、jazz
の母体になったブルースやゴスペルとも類似しているわけです。
そもそもブルースとアパラチア民謡が融合していったのは、そもそもブルースとヨーロッパの古層の歌謡が類似する構造を持っていたからでした。
ただこうしたモラルセンス的な類似以上にやはり ミックスボイス自体が
中央アフリカの密林の原始ミックスボイス や 中東の民謡や古典のミックスボイス といった ものからの影響から西洋で体系化されていったという歴史的な事実
と生理段階における喉の無意識、零の声の発動を狙ったものであったという事は押さえておくべき事でしょう。
武田梵声
武田梵声です。ボイストレーニングのバイブルと呼ばれたフースラー理論を専門とするものです。
フースラーはかつて人は自由自在に歌う事が出来たという事を生理学的に解明しました。
そして人は言語を獲得した事で喉の筋肉、喉を吊る筋肉のバランスを崩し声を不自由にしてしまったのです。
フースラーはアンザッツという筋電図実験により導き出した7つの声により、この喉と喉を吊る筋肉のバランスを回復させる方法も発見しました。
これにより古代の歌い手や古代の芸能人達のように自由自在な声が手に入るわけです。
現代のボイストレーニングというのは、ジャンルの目的に偏ったものがほとんどであり、
それは実際にはボイストレーニングではなく、ボーカルトレーニング、
~もしくはモラルセンス的なボイストレーニングと言えるでしょう、モラルセンスとは芸能学における術語で様々な含蓄がありますがここでは、美の枠組み的な意味合いで使用しています。俳優や声優、アナウンサー、プレゼンテーション等のために行われているボイストレーニングも実際には話芸のモラルセンス訓練であり、声の生理段階に働きかけてゆくものではないでしょう。
要するに喉の筋肉が自由自在になった人が、
それぞれのジャンルのルールを覚えるための練習がモラルセンストレーニングになるわけです。
ですのでまだ喉の筋肉が自由自在でない人、声が自由自在でない人は、
先ずは、フースラー及び17世紀型の訓練といった声の生理的段階を回復させねば、結局何にもならないのだと言えます。
~
にあたるものになります。
ボイストレーニングという以上は世界各地の現代大衆歌謡や大衆芸能~世界各地の古典芸能更に世界各地の民俗芸能や古代芸能の声まで、
すなわち人から発されるあらゆる声をその射程に持っていなければならないわけです。
それに唯一成功したのがフースラーでした。
武田梵声のレッスンはオルフェ音楽教室まで
オルフェ音楽教室 http://e-koe.jp/
武田梵声の著書
ボーカリストのためのフースラーメソード(リットーミュージック刊)
こどものための究極正しい声のトレーニング(リットーミュージック刊)
フースラー・ボイストレーニング
フースラー 真 ミックスボイスの研究者、フースラーメソードの著者であります
武田梵声でございます。
さて今回は、ミックスボイスとは
何なのか?
という事を考えてゆきたいと思います。
はじめに言っておきますが、
アカデミック・トレーニングをしてきた私達からするならば
ミックスボイスという語彙自体が
問題の語彙であり、そもそも正しい訓練どころか
間違った訓練であり、
間違った発声にしてしまう訓練なのです。
(すなわち間違った機能バランスにしてしまう)
ミックスボイスは、世に拡散していますが、誰がなんと言おうと
学術的には
間違いだらけです。
しかしながらミックスボイスの歴史をみてゆくとミックスボイスの正しい訓練手順が19世紀半に喪失した事が見えてきます。
この19世紀半以前の17世紀に発想されたプレ・ミックスボイス
(レジストレーション、もしくは直訳するならばブレンドボイスと申すべきでしょうか、アメリカでもこの語は使われていますが、ほとんどの場合が19世紀型ミックスボイスの単なる言い換えとなってしまっています。 )
と申すべきボイストレーニングこそが、
究極にして至高のボイストレーニングであるという考えこそが
三大ボイストレーナーである
フレデリック・フースラー
コーネリウス・リード
ハーバード・チェザリー
の共通の考えにして、それを復活させる事こそが共通の目標でありました。
我々はこのプレ・ミックスボイスを
フースラー真・ミックスボイスと名付けたわけです。
ネット上に氾濫しているほとんどのミックスボイスはこの起源的ミックスボイスを喪失し、生理的にも、音響的にも
むちゃくちゃな事をやってしまっているというのが現状です。
本来
ミックス
と
ブレンド
というのは、別のものでして、
ミックスは間違いであり、ブレンドが正しいと考えられてきたわけですが
そしてこのブレンドボイスのボイストレーニングをしますと
声の最も原始的な機能が目覚めると考えられ、
(これを神経同期力と言います。神経同期論はユソンにより唱えられ、フランス国立科学アカデミーで報告されたピギュ、ドゥクロワ、リベルサの実験によりほぼ証明されています。この理論によりベルヌーイ効果を源としたあらゆる理論と訓練は完全に意味を失うでしょう。腹式呼吸の完全解体はここから始まります。また完全に原始本然に目覚めた喉の前では、ベルヌーイ効果が全く役に立たない現象が起こりうる事も一つの事実です。)
およそ声で可能なあらゆる
テクニックを自在にコントロール出来るようになると考えられるわけです。
幅広い 声域
声量 の コントロール
声の機敏性(すなわちメリスマ、ビブラート、グリッサンド、)
多彩な音色(ノイズ声音をも含む)
ロングトーン
声の持久力
構音の自在さ(滑舌)
強調対比力
等々
要するに
ミックスボイスとはその状態で歌いましょう
という以上に声全体の機能回復訓練なのだという事が言え、
それこそが
真・ミックスボイスの本義なのです。
一流のボーカル
ボーカリストが
プロのボーカル
ボーカリストが
ミックスボイスか否かというのは、良く討論されている事ではありますが、
(そもそも一流のボーカル プロのボーカルが凄いと思い込んでいる発想自体が、近代的な共同幻想でしょう。世界中の歌い手を統計的にみた場合はむしろアマチュアにこそ生理的にもモラルセンス的にも優れたボーカリストや語り手は多いと言えます。一流のボーカル、プロのボーカルは商業主義や19世紀的な芸術至上主義の勝者であるというだけで、生理的、本質的な芸能のモラルセンスすなわち19世紀的な西洋以前の真の意味での世界各地の芸能の基本を形勢するモラルセンスの勝者でない者も多いわけです。もちろんプロのボーカリストで、そういった本質的な生理やモラルセンスを掴んでいる人もいますが、それだけが凄いという思い込みは捨てなければ真実は見えてきません、
フースラーはこの真実の声を聞き分ける耳を夢遊病的な耳と呼んだわけです。)
その歌唱のモラルセンス的
(表面的に表に顕れている声、表面に表出された美の枠組み)
面からの評価は発声学的な問題よりも歌唱モラルセンスの問題なのです。
歌というのは、広大な生理機能のある部分を美的枠組みにしたがって切り取って表出されたものがほとんどだからです。
歌で全生理機能の表出を行うものは、古代的な芸能や一部先住民の芸能か、
アバンギャルドな実験的な芸能のごくごく一部です。
それ以外の歌や芸能というのは表面上は生理の全機能をフル活動させる事はまずもって少ないと思ってよいわけです。
発声学が問うのは歌のモラルセンスではなく、
その声の自在性です。
そして
真・ミックスボイス
的な状態を生理機能が獲得しているならば
その声は自在になりますし、
そうでないならば声は不自由になります。
自在になった状態では変な話、どんな歌い方をしても良いわけです。世界各地の歌にはそれこそ皆さんの美意識からすると信じられないような歌のモラルセンスが沢山ありますからね
歌というのは美の枠組みの中で声を展開させるものですから、不自由な声や偏った声でも歌が上手いと言われているボーカリストも沢山いるわけです。
フースラーは生理的に間違った発声でも世界的な大歌手になれる事を説いていますし、誰もが称賛する美声や魅力ある声でも生理的に間違っている場合も多々あるわけです。
要するに歌自体はモラルセンスの問題なのです。
それは不自由ながらも美の枠組みの中で上手く声を展開させるモラルセンスがあるならば可能なわけで、今ショービジネスで活躍している人の大半は実はこのタイプが多いわけです。
真・ミックスボイスとは機能回復の訓練にして声の野生と関連したものなので、
声が自在な人はこの訓練をしていようが、いまいが
ミックスボイス的な声で表面的に歌っていようが、いまいが
喉の無意識的な基層に
真・ミックスボイス機能を発動させているというのが
喉頭生理学上の事実です。
私は世界各地のボイストレーナーや芸能教師、耳鼻咽喉科医達にも指導していますし、世界各地のショービジネスからアフリカやオセアニア、アジアの古典、民族、民俗を含むあらゆる芸能、歌謡の指導をしてきているので、
その統計的量も圧倒的であります。
その上で、ボイストレーニング、ボイトレというのは、モラルセンスで聴いてはならないという事が言えます。
あくまでも夢遊病的耳で聴かねばならないわけです。
ネット上に氾濫する不毛な議論は発声学の問題ではなく、モラルセンスの議論です。芸能学的に考えるならば、このモラルセンス的な議論というのにも私は意見はあるのですが、
そちらは無音の音声に譲りまして
・・・
さて
フースラー真ミックスボイス
もしくはSLS真ミックスボイス
についての方法というのを少しだけ語ってゆこうと思います。
先ず真ミックスボイスのいうのは、
レジスターのバランスを調える事から始めます。
レジスターとは、登録された声という事で
生理学的には
裏声
と
地声
ファルセット と チェストボイス
ファルセット と ヴォーチェディペット
という事が出来ます。
またシュナルレジスター シュトローバスレジスター グロッタルフライレジスター ボーカルフライレジスター エッジボイス 等と呼ばれる
極低声区をレジスターとすると否かはアカデミックな現場においても議論があるところです。
フラジオレットレジスター ホイッスルボイス パイフレレジスター スーパーヘッドボイス 笛声
等と言われる声は、生理学的にはレジスターに含まないのが普通です。
ミドルボイス 等というのはレジスターとしては論外ですし、この概念も19世紀型の概念となります。
この ファルセット 及び 裏声
と
チェストボイス
の
分離 確立 再融合
という手順こそが本来の17世紀型のボイストレーニング手順であり、
大概、皆が失敗するのは、分離をあまくやってしまうところにあります。
特に混合と呼ばれる声の状態になっているものは、この分離をかなり注意深くやらねば極論
何年やっても上手くゆきません
よくYUBAメソッド や SLS
を何年もやったが、上手くゆきませんでしたと言う人が
フースラーメソードを読んで私の研究所を訪れますが、
混合の強い人が多いわけです。
これを改善する方法はいくつかの
フースラー学派の新しい展開としてあります
アフリカ的段階のメソードを行ってゆきます。
それらと平行しながらファルセットを分離してゆく従来のメソードを行う事で分離の作業を行ってゆくわけです。
分離が促進されるほどに、各レジスターの強化
と
再融合は精度を高めてゆけます。
そして
メッサディヴォーチェ
により最終調整をしてゆくわけです。
そうする中で
ファルセットのヘッドボイス化
もしくはヴォーチェディフィンテ化
という現象が顕れてくるわけですが
ヘッドボイスとファルセットが違うものと考えている人も多いようですが、
まったく非科学的です。
ヘッドボイスとはファルセットから派生してくる声なのであり、段階においては、微妙なグレーゾーン的な段階
も無数に存在します。
ヴォーチェディフィンテやヴォーチェディゴラ、ファリンジルボイス
はミドルボイスや19世紀的ミックスボイス(ヴォミクストゥ)、またはジラーレやキューゾの事と捉えられがちですが、
19世紀的な語彙が実体のないものなのに対して
ヴォーチェディフィンテやファリンジルボイスというのは初歩的段階には甲状舌骨筋により引き上げられた喉頭位置から発声されるファルセット、裏声であり、発達してゆく事でチェストボイスとの融合を開始し、原始ブレイクや原始のブリッジの領域では内甲状被裂筋への神経インパルスも確認されるものです。
原始ブレイク以上の音のヴォーチェディフィンテ及びヘッドボイスは、内甲状被裂筋への神経インパルスは必要か否かはモラルセンスによるものです。喉頭の機能回復という点においては原始ブレイク・ゾーンさへ、上手く真釣り合わせさへすれば基本的には事足りるわけです。
多くのポップス、ロックの学習者はこの辺りの議論が好きなようですが、これらもフースラーやゴエルットラー的に言うならば弾性枠を強化すればする程に内甲状被裂筋への神経インパルスも高めてゆく事が可能になってゆきます。
またここで重要になってくるのがランの抵抗の点でミックスボイス学習者の中でミックスボイスが頼りない声になってしまうと思い込んでしまっているものは、まずこの機能が目覚めていないわけです。リード等は17世紀型の訓練のみでこの抵抗の点も目覚める説いていますし、事実ある程度まではそうです。しかしながら抵抗の点の訓練を直接的に行うガム・メソードを行う事で、より強力に目覚めさせてゆく事が可能です。ガムも無数のタイプがあり、私がフースラーメソードに紹介したものは、ガムのほんの一部ですが、取り敢えずこれらの目的においては
アンザッツ5のガム
が重要になってくる事を押さえておくと良いでしょう。
究極にして至高 古代的にして 未
的 世界人類の あらゆる 歌 あらゆる 芸能 に通低する核を鍛える ボイトレ があるとするならば
それは フースラー 真 ミックスボイス
か
SLS 真 ミックスボイス
または コーネリウス・リード の思考を正しく 理解してゆく以外にはないように思います。
あらゆる ボイトレ ボイストレーニング の 正しい発声は フースラー リード そして ハーバード・チェザリー以外 には 出てきにくいと考えてよいでしょう。
これらは、オペラの発声 だとして ポップス や ロック と無関係とする考えもよく聴きますし、
確かに一般的な ボイストレーナーの多くは 上記の 流派であっても 19世紀型の オペラ的な解釈でみてしまう人がほとんどです。
しかしながら 上記 三名 の 至高のボイストレーナー (これを「夢遊病的ボイストレーナー」と呼びます。)
は一般的にいうオペラ すなわち 19世紀型 の オペラ ではなく
17世紀型 の バロック以前 の声を理想と考えたのです。
バロック以前の 西ヨーロッパの声というのは 人類学が 証明するように 遥かに 西アジア アフリカ よりの声の感覚を持っていました。
そしてその感覚はロックやR&B、jazz
の母体になったブルースやゴスペルとも類似しているわけです。
そもそもブルースとアパラチア民謡が融合していったのは、そもそもブルースとヨーロッパの古層の歌謡が類似する構造を持っていたからでした。
ただこうしたモラルセンス的な類似以上にやはり ミックスボイス自体が
中央アフリカの密林の原始ミックスボイス や 中東の民謡や古典のミックスボイス といった ものからの影響から西洋で体系化されていったという歴史的な事実
と生理段階における喉の無意識、零の声の発動を狙ったものであったという事は押さえておくべき事でしょう。
武田梵声
武田梵声です。ボイストレーニングのバイブルと呼ばれたフースラー理論を専門とするものです。
フースラーはかつて人は自由自在に歌う事が出来たという事を生理学的に解明しました。
そして人は言語を獲得した事で喉の筋肉、喉を吊る筋肉のバランスを崩し声を不自由にしてしまったのです。
フースラーはアンザッツという筋電図実験により導き出した7つの声により、この喉と喉を吊る筋肉のバランスを回復させる方法も発見しました。
これにより古代の歌い手や古代の芸能人達のように自由自在な声が手に入るわけです。
現代のボイストレーニングというのは、ジャンルの目的に偏ったものがほとんどであり、
それは実際にはボイストレーニングではなく、ボーカルトレーニング、
~もしくはモラルセンス的なボイストレーニングと言えるでしょう、モラルセンスとは芸能学における術語で様々な含蓄がありますがここでは、美の枠組み的な意味合いで使用しています。俳優や声優、アナウンサー、プレゼンテーション等のために行われているボイストレーニングも実際には話芸のモラルセンス訓練であり、声の生理段階に働きかけてゆくものではないでしょう。
要するに喉の筋肉が自由自在になった人が、
それぞれのジャンルのルールを覚えるための練習がモラルセンストレーニングになるわけです。
ですのでまだ喉の筋肉が自由自在でない人、声が自由自在でない人は、
先ずは、フースラー及び17世紀型の訓練といった声の生理的段階を回復させねば、結局何にもならないのだと言えます。
~
にあたるものになります。
ボイストレーニングという以上は世界各地の現代大衆歌謡や大衆芸能~世界各地の古典芸能更に世界各地の民俗芸能や古代芸能の声まで、
すなわち人から発されるあらゆる声をその射程に持っていなければならないわけです。
それに唯一成功したのがフースラーでした。
武田梵声のレッスンはオルフェ音楽教室まで
オルフェ音楽教室 http://e-koe.jp/
武田梵声の著書
ボーカリストのためのフースラーメソード(リットーミュージック刊)
こどものための究極正しい声のトレーニング(リットーミュージック刊)