んだっちゃ

凡蔵的日乗・川柳の向う側[続篇]として復活しました。今後ともよろしく。

 クリニックの診察室では先生がデータシートを見つめ待ち構えていた。重症ですね、といったその目はキラキラ輝いて1日検査入院した方がいいですね、と嬉しそうに微笑む。SASという聞きなれない称号をもらっていっぱしの大病人になった気分である。正月早々の7日にオープン病院の呼吸器科部長の先生のところで診察を受け、1日検査入院の手続きをすることになるだろう。まだ体験のないCT検査をするのだろうか、さまざまな器具を取り付けて睡眠中のデータを取られつつ監視カメラで撮影されるのだろうか。結果次第ではさらなる治療が待ちうけているのだろうか。酒量を制限するよう生活指導されるかもしれないができる限り抵抗するつもりだ。夜更かしの必要性も訴えてみよう。嫌いな野菜も無理に食べたくない。そうして医学にとっては新しい症例が蓄積されるのである。妻に伝えるとキラキラと目を輝かせ、偶然会計事務の用事で訪ねてきたハートネットの相棒の男に事の次第を伝えていた。隣の三浦さんでなくて良かったと思う。妻は新しいパジャマがないと騒いでいるがそういう問題ではないだろう。

  水曜日の句会の席題は「眠」にしたらどうかの。

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葬儀を行なうある僧侶のドキュメント番組で、引導を渡す時の最後にこう言って「喝!」と唱えたのである。この一節は「元二の安西に使いするを送る」という王維の漢詩の結句でありここでの「故人」とは親しい友人の意味で亡くなった人の意味ではないと、詩吟教室で習ったものである。王維の親しい友人である元二と一杯の酒を酌み交わし別れることを歌ったもので詩吟でも愛吟する人の多い漢詩である。恐らくこの僧侶も充分それを承知の上でこの句を手向けたのだろう。なぜなら、この儀式は舟の綱を断ち切って二度とこの世に帰ることなく彼の地に行く決別なのだと、家族たちに言っていたから。

 妻は悪天候の予報にもかかわらず御仏に守られて、三日間晴天の中無事に帰宅した。帰る時間に合わせて、ある程度は部屋や台所は綺麗にしていたのできつく叱られることはなかったが、すぐに掃除機をかけ始めた。すれ違いで僕は今年最後のリコーダー教室へ向かう。夜8時前に帰ると妻はハートネットの会計の仕事でテーブルに書類を広げパソコンに向かっていて、電話があったこと、猫の世話の様子などを伝える。僕は僕でこの間焼いたチーズケーキをラフランスのお返しに渡した友人夫婦が二人では食べきれなくて近所におすそ分けしたら喜ばれたらしい、などと伝えた。その後風呂を沸かす。また、普段の日常に戻る・・・

 

  たかゆきはベーコンをはさんだパンとポタージュスープで簡単な昼食を済ませ町内の囲碁にでかけた。今週の句会の準備はいつするつもりなのか、わお。月曜から水曜まで行事が続いておるのに部屋は散らかったままじゃな、おい。わおわお。ワシの湯たんぽはどんどんぬるくなっておるぞ。恐らく夕方6時までは帰って来ぬからワシは騒ぐぞ。わおーん。

  騒いでいるとたかゆきはとなりの三浦さんの車に乗せられて帰ってきた。今年の打ち止めは1勝3敗の不本意な結果であったが来年の飛躍に繋がるようワシもエールを送りたい。明日はリコーダーの今年最後のレッスンということで、ワシの冷えた湯たんぽを交換すると二階からテナーリコーダーを持ってきたが果たして夜更けの住宅街で音を出せるかどうかは微妙だと思う。

  大晦日までまだ2週間を残すばかりとなった状況で、詩吟の方は来年の4月の審査会まではまだ間があるとタカをくくっておるが、川柳はあと3回、いやメール川柳を加えればあと4回あることを自覚しているのだろうか。ワシは心配で毛が抜けそうじゃ。

  みつ子は三日間山陰の仏像を巡る旅に出かけたのでたかゆきは留守番である。今日は鳥取の米子、明日は島根の松江に宿泊するという留守番用の旅のしおりを残して出て行った後、たかゆきの自由な時間が待っているはずだったが、最初のうちはウキウキとテレビを見たり詩吟やリコーダーの練習をしたりしていたが、もともと自立した生活力のない性格から類推されるように、ワシと適当に遊んだ後は、食事もカップヌードルや食パンや餅二切れで間に合わせ、チーズを肴に白ワインを飲んで酔っ払いコタツで寝転んでいたりするぐうたらな日常に陥った。洗濯物も今日はないので片付ける心配もなく電話も回覧板も来ず、一日中ワシ以外とは誰一人とも話すことも無かった。ワシは外猫ゆえ夜は付き合う事が出来ないため、こういう孤老の状態が心配になるとしても如何ともし難い。先程冷蔵庫から賞味期限の過ぎたプリンを持ってきてまた白ワインを飲み出した。そしてこの飲食の組み合わせが意外に良好らしいことを発見して多少気力を取り戻したようだ。やはり人間というものは猫とは違い、外界からの刺激に反射反応しているだけでなく、なんでも良いから自らの発見に感動する瞬間が必要な生き物なのであろう。かつてたかゆきは一人でいることの方が誰かなりと群れていることより数倍も自由で創造的な時間を過ごせると自負していたのだが、それは体力や気力が充実していたそういう青春時代だからこそ言えたのであって、サミュエル・ウルマンのようにはいかぬ凡人である自分にはもはやそのような湧き出る力は残っていないのかも知れないと落ち込んでしまっている。このまま風呂も沸かさずに布団に入る危惧もあるが、この寒さのことだから眠れぬ夜を迎えるためにあるいは暖かい湯に入るかもしれない。いずれにしても連句の番も回ってこないし、この記事も書く気力も失っておるので、ワシが代筆しておる。ちょっとは便利な猫だくらいには思ってほしいものじゃな。

 である。始めてネット句会に参加して一年を過ぎたが一巻を楽しむ境地にはほど遠い。NHKの川柳教室で、いずれ連句を実施したいとのR先生の言葉が陽の目を見ることを期待しているが、本当に実現すれば喜ばしいことだ。教室は句会とは違うが、教室ならではの良さがあり初心者もいればいずれかの川柳社に所属しているベテランもいるという構成も、お互いにさまざまな発見があり面白いことではないかと僕は思う。川柳という一つの文芸についての色々な思いや考えの違いを感じることができるのもまた醍醐味なのである。

 来年早々に中村敦夫の朗読劇が上演される。期待したい。

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 たかゆきはうつ状態を脱して空いている時間にリコーダーの練習をするまでに復活した。みつ子との良好な関係も再生のきっかけになったようじゃな。年末に向けてめでたしめでたし。来年は少しはぐうたらな生活を改善してはどうかと思うが無理じゃろうな。


 

美しく厳しい着手を手筋というが、初歩の打ち手には思いの付かぬ華麗さも元を正せば基本に忠実な流れなのである。いくら長く続けていても棋理が何であるか悟らなければ勝負の高みに到達することは永遠にない。技術と感性は車の両輪であってプロもアマチュアも違いなく必要とされる。

 それは人が行なう全ての行為に通ずる道である。その道を暗闇の中で自ら探すしかない。とぼとぼ歩くその道の先に何があるかは誰にもわからない。

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 20日に蕎麦屋で句会をすることになってそのメンバー5人も決まり、後は当日スケジュールの確認を残すだけになった。酒の席の雑談からひょっこり産まれた句会だが嬉しいことである。出席する5人がそれぞれ順番に席題を出し(軸吟は無し)1題10分の即興で次々にこなして行く形式。作句は何句出しても良いがまあ5句以内が目安か?10分×5題で、作句に約1時間。その後、選句はその出題者が佳作10句と特選1句を披講、呼名。飲み食い、意見交換はそのあたりから。というのが概略である。二次会は家にでも案内して余興吟でもするか?

  ワシはどうなるのかの。




 

 席題は九州産のみかんを食べて句にするという例えれば味の印象吟だった。

     みかん色の一房ずつに来る師走    たかゆき

に入れた人も入れなかった人も同じく「みかん色」という上5に対しての不満が集中したのであった。僕にしてもみかんと言えばいいのにわざわざみかん色にしたのは5音(6音)に収めるための苦肉の策だったが、見せかけの嫌らしい表現だとの批評である。また、みかんと師走ではつまらないではないかという意見である。もし、共感覚としてみかんの味から色を感じたのならみかん色ではいけないと僕も思うが言葉が出てこなかったのはいたしかたない。たまたま高点句であっても傷が多い句もあるし、没句にも可能性がある場合もある。この句会は非公開ゆえ改良は可能なのだが、さてどうしたものか。

  老い猫の一足ごとに来る師走
    ©︎ neko

 

k たかゆきに代わって仕方なくワシが書くのは、また長期中断になる危険を回避するためじゃが、人間というものは不思議なもので、たくさんの希望に包まれた中で塞ぎ込んだり、真っ暗な状況においてはしゃいでみたりする生き物らしい。昨夜遅く青森から帰ってきたたかゆきは次の日の詩吟に備えて風呂に入って寝た。そして今日、霙降る中を普通に出かけ教室の忘年会のため寿司屋で飲んで帰宅し、ワシと遊んだ後コタツで夕刻まで眠ったのは酒のせいか疲れのせいか定かではない。

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↑  青森県立美術館



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↑  寿司屋の忘年会

もうじき日が変わってしまうから写真まで載せて手伝っているワシに感謝するがよい。

 ・・・ありがとう、猫さん。



 

 大人の休日クラブフリーパスが勿体無いので、なんの目的もないけれど東京に行こうと電車に乗った。上野はほとんど全滅の月曜日だから、六本木のサントリー美術館は開いてるけど扇の展示みるのもイマイチだし。新幹線の中で明日の川柳など考えながら宇都宮に停車した。ハイボールと笹かまを食べながら、昔は日光や東京へ修学旅行で行くことさえ夢のようだったのに今やポルトガルあたりにも気軽に行ける時代になったかとか、もう少し先の世界に生を受けたならば木星のガニメテやエウロパに行けたかも知れないなどと思うのであった。結局、今日は何もない上野へ行こうと思う。なんと計画性がないのだろう。不忍の池の弁財天のお堂で御朱印を貰う。少しはリコーダーにご利益があるだろうか。その後行ったスカイツリーはドラゴンボールの世界に化していた。石巻がサイボーグ009だったように。早々に仙台に帰宅した。

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いないのだそうだ。狩猟などによって随分昔に絶滅したらしい。人間はさまざまな生物を絶滅に追いやったが自らを消滅させる日が来ないとも限らない。そしてそれは小さな挿話として宇宙の記憶の中に残るのだろうか。

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