んだっちゃ

凡蔵的日乗・川柳の向う側[続篇]として復活しました。今後ともよろしく。

  校舎の二階の教室の窓から、少しづつ動く雲や風に揺れるいちょうの葉っぱや時々通りかかる人の気配を悲しい気持ちで眺めていると、教壇から名前を呼ばれた。僕は質問の意味もどう返答して良いのかも分からず立ち尽くしたままだったがやがて先生はもういい座りなさいと言って他の人に当てた。着席してうつむいたまま惨めさと恥ずかしさから湧き上がる憤怒で涙が出てきた。すると隣からハンカチを差し出す手がある。その少女はアイヌ娘のような黒い眼でじっと見つめている。同情するでも微笑むでもなくどちらかというと寂しげな表情で、どこかで前に会ったことがあるような懐かしい顔だった。僕の心は随分和らぎ先ほどの陰鬱な涙は忘れていた。授業が終わり生徒らが帰る時間になった。黒い眼のアイヌ娘は一緒に帰らないかと誘ったが僕はもう少しする事があるからと言うと寂しそうな眼を残して行ってしまった。それからしばらくして、なぜあんな風につれなくしたのだろう二度と会えないかもしれないのにと急に後悔の念が溢れてきた。だってありがとうすら言っていなかったのに。僕は急いで道の外れの寄宿舎まで走り、そこのおばさんに彼女の行方を尋ねた。随分前に出て行った。自分の田舎へ戻ったという。たった一人の理解者はもうここには帰って来ないだろうことを知った。たとえ希望はないとしても彼女にもう一度会いそしてたくさんのことを話さなければいけない。僕は後を追った。夕陽はすでに落ちて薄暗くなった細い野道が遠くまで続いている。

 町内の活動のちょっとした合間に妻が車で出かけるという。会計担当の相棒が夫婦で屋久島へ行くので1週間ほど留守にするという腹いせもあるのだろう。 気分転換したくなる気持ちはよくわかる。こんな雨の中でも少なくなったという我が家の財政(と、本人は言っている)にもかかわらず些細な買い物をしてくるにちがいない。昼は焼きそば残ってるからと言って出て行った。この雨では近くのウエルシアやローソンにすらわざわざ買い物に行く気にもなれないし、蕎麦屋にはおととい行ったばかりで又行くのは気が引ける。冷蔵庫には普段は大抵ある冷凍のおにぎりもコロッケもメンチカツも無い。食パンも無くあるのは一つだけ残ったロールパンだけ。戸棚を開けると奥の方に銀紙で包装された一升瓶がある。焼酎だろうか?銘柄だけでは判断できず仄暗い中で近頃落ちてきた視力を思いつつぐるぐる回しながらこの一升瓶の正体を探ればどうやら本醸造の日本酒らしい。日本酒度+5〜+7ということは結構な辛口といえるだろう。野菜や肉を一切入れずに作った焼きそばをつまみに昼を間に合わせることにした。屋久島へ行った会計係りは信じられないことに僕の妻と同じ年齢なのにもかかわらずいつも夫婦一緒に旅行するのだという。これについては時々妻と議論するのだが世の中には変わった夫婦もいるということで珍しい見解の一致をみるのがいつもの流れである。昔、夫婦百景というテレビ番組があったなぁ。テレビは渡瀬恒彦のサスペンス物をやっている。きっと前に見た話であるに違いないが、大抵その妻とは離婚していてその離婚の理由も真の破局などという悲惨なものではなく愛情ははあるものの生活環境のすれ違いが原因で別れたようだ。夫の方は仕事に夢中で家庭内のことは全くかえりみることがないというのが原因として設定されている。この辺は大いに僕とは違う状況だが夫婦が百組あれば百の事情があるということであろう。朝顔の種を入手したので撒こうと思い説明を読めば一晩ぬるま湯につけてから巻くのだという。次の朝が大雨だったり地震だったりしたらどうなるのだろうと思いながら仕方なく指示に従うことにする。夕方巻けばいいだろうか。種は水分を含ませることによって発芽しやすい状態になるということだろうから、夜水につけようが昼水につけようが差異あるまいと思うのだが、ひょっとすると夜に浸して朝に撒くというのが植物の生理学上大変重要な意味があるとも言えなくもない。けれども説明には何も書いていない。人それぞれ様々な性格がある以上どんなに説明を凝らしても全てに満足のいく解答はないということはある程度分別をわきまえた人間にとっては納得できることではあるが、種の説明者はそういう読み手のことをどのくらい考慮しているのだろうと思えばおもてなしの日本などどいう軽薄なフレーズはとても虚しく感じる。見ればこれは西洋アサガオのようだ。日本アサガオよりも一回り種が小さくいろんな色が混ざってるという。間引きで成長の良いものを残すとあるが花の色によって差はないのだろうか。昔小学校で発芽しやすいように種の先っぽを小刀などで傷をつけるなどと習ったような記憶があるがその辺はどうなのだろうか。西洋アサガオは日本で品種改良されたアサガオとは花の大きさも葉っぱの形も違うが繁殖力は強く育てやすいのではないかと思う。妻が帰ってきたようだ。

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  詩吟の題材には島崎藤村の詩がいくつかあって、その中の一つ。若菜集の中の「草枕」、かなり有名な詩である。もともと30連にもなる長詩であるが、詩吟ではその中の4連が吟じられる。

          草枕

       夕波くらく啼く千鳥
       われは千鳥にあらねども
       心の羽をうちふりて
       さみしきかたへ飛べるかな

       若き心の一筋に
       なぐさめもなくなげきわび
       胸の氷のむすぼれて
       とけて涙となりにけり

       心の宿の宮城野よ
       乱れて熱き吾身には
       日影も薄く草枯れて
       荒れたる野こそうれしけれ

       ああ孤独(ひとりみ)の悲痛(かなしさ)を
       味い知れる人ならで
       誰にかたらん冬の日の
       かくもわびしき野のけしき

  まあこれは、このところの僕の心境に似ていると言えなくもない。今、人から借りた丸谷才一の小説「笹まくら」を読み始めているが、藤村の「草枕」とは何の因果もない、けれども何かあるとも言えなくもない。今日、しばらくぶりで会った川柳の友とビール飲みながら、さんざん喋りあったが、藤村の詩の内容とは何の因果もない、が何かあるとも言えなくもない。

  完全復活するまでに代筆してもらいます。悪しからず。


 

一日長距離移動すると翌日は完全休養日。そんな日々が続く。体力向上どころか体力維持すらできずに体力低下あるのみ。猫も最近あまりジャンプしなくなったように感じる。頑張れ、猫!

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猫は暑さに弱い

向けて、体調はまだ思わしくないがなんとかなるであろう。昨日の二次会ではしゃぎ過ぎたんだよね、きっと。15日の〆切はあと一句で収まりそうだ。あと一句ってわりと曲者だけどね。東京の青山方面、あまり詳しくないのでやや不安が残る。人に聴きまくろう。それにしても連句のリアル句会は初めてなのでどうなることやら。7人で20韻のなので出番は三回であるからその辺は余裕があるとも言えるが一句10分以下での作句は、一つ躓けば泥沼化する危険性を秘めている。昨日、R先生には、20韻は最近のはやりだけど7人で巻くには少し物足りないかもねー、まぁ、そっちにあまりのめり込まないようにね、などと一言。多忙な先生には自由無敵の僕が羨ましいのか、はたまた無茶振りを不安視しているのか。どちらにしても明日は雨かなぁ、東京。

 
ひよこがいいかなぁ、鳩サブレーでもいいなぁ。 

入れようとしたら、臨時休業だという。どこか他の床屋を探さなければいけない。さもなくば、いっそこのままボサボサのままでもうしばらく過ごそうか。

 そうこうしてるうち、行く機会を逸してしまった。明日は川柳教室だが、宿題の整理はどこかの喫茶店ですることにして、いやいや、東京行きの切符を買うのがその前にあるし、iPadを開ければ連句二十韻の第三の募集があったりするし、15日の〆切も近いし、町内囲碁クラブの総会報告もあるな。リコーダーは、詩吟は、猫は、部屋の整理は、と、痰を詰まらせている場合ではないかも知れない。庭にはテッセンが満開だというのに。大谷がまたホームラン打ったというのに。楽天が勝ったというのに。

 鹿島台デリシャストマトジュースを飲みながら、忙しいのは性に合わないけれどいつもそうなる運命であるなぁ、と思う初夏也。

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花座のチケットも忘れずに買うのじゃぞ

あるいは、大掃除の塵芥に毒されてか、喉をやられたらしく、2日間風呂にも入らず水分補給のみで食事もとらずいたが、山野楽器の教室でのリコーダーにはマスク二重にして見学だけはと思いつつオロオロと出掛けて行き、今日は東口での詩吟教室にのこのこ這い出ていった。周りからは大丈夫だしっかりせよと励まされ、家の者には何事もない生活の1パターンとして処遇される中、何が良かったのか快方に向かいつつある中、天は自ら助くる者を助くとか、そういう者に私はなりたいとか、とりあえず10日の締切り日のこととか、ランダムに想起するのを、客観視できるほどには回復したのであろうか?猫にもしばらくぶりで会ってチュールをやった。

散らかり方がいよいよ限界に達してきたので、得意技の1日かけて片付けようと思ったのが、すでに午後3時を過ぎていたことも影響したのか、あるいは体力や判断力が低下したためか、思うに任せず半分ほどでやーめた。途中で一旦やめることも長年の経験から得た知恵である。やって→見て→考える→やって→見て→考えるの繰り返しである。おかげで今回は大事なものを失くす心配もないだろうと思う。人間にはそれぞれ得手不得手があるのだから、何事も恙無く進むということはあり得ないのだ。さて、明日からどのへんから攻略しようかな。老いたればこその諧謔的余裕なのである。世の中や妻のペースに歩調を合わせるだけが人生ではない。

句会の前にまずは景気づけのビール。Rさんは、この前日に、秋田にて、H氏やI氏やY氏やHさんやMさんや僕の知らないアルファベットの人達を交えた、聞くも恐ろしい句会を経ての仙台入りである。Tさんと一緒にその句会の様子を聞いているとすぐにビールがなくなり、違う種類のビールをまた注文。本当はランチのはずだったのに、お互い同意の上ビール飲みに変わって、まもなく句会の時間が近づく。Rさんにとっては秋田に続く2ラウンド目である。若さゆえの勢いだよね。

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 句会の後再び、今度はそのメンバーを含めた二次会で、そこでもビール。当然のごとくおかわりをして、ピザを食べて、Rさんは、もう時間だからと言って、次の句会、第三ラウンドに挑むべく空港へと向かった。若さゆえの勢いじゃのぅ。

 晴れた日はわが身をさらす花の蕊
                       ©️ndattya

  身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ
 

ヘンリー・パーセルの曲だが、次からはジュセッペ・サンマルティーニのソナタになる。この作曲家については何も知らない。リコーダーの解説書を読むと普通よく耳にする作曲家以外にたくさんの知らない名前が出てきて、さすがヴィバルディやコレルリを含めた当時までの音楽の豊饒さに心打たれる。そしてそのような音楽に、直接演奏することによって触れられるのは大きな喜びではある。習っている教室はアンサンブルが中心で自分の音すら満足に吹けないため、まわりの音など耳に入らない状態でも、これまた苦しく楽しい事ではある。

 この間テレビで学生楽団の練習風景を見た。その指導者は良い演奏の3条件は才能と努力と他人への優しさだと言っていた。もっともなことではあるが、若い彼らにとっては良い後押しにはなるにしても、老体の身には効果なきアドバイスだと思う。僕のリコーダー教室の先生はフルート奏者である。昨年の全体の発表会を聴いて、子供たちならいざ知らず、いい大人たちが一生懸命になって演奏する姿に感動を受けた、と言っていた。望みなき目標に向かって試行錯誤している一人として、これは有り難い言葉であった。

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 我思うだけで跳べない青蛙
                  ©︎ ndattya

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