2005年06月06日

今週末もお仕事

かみさんにとび蹴りをされたせいかどうかはわかりませんが、自宅のウインドウズが「ぷしゅう〜」ってなっちゃって、忙しすぎて直してる時間がない。サブのi-macも、しばらくぶりで使ったんで手になじまない。
先週はイベント、来週も土日にイベント。でもって金曜日に四本校了したばかりなのに、明日も新規入稿。
てなわけで会社行くっきゃないか、と今週も出社出社。明日印刷所に入れる原稿をなんで前日にやってんだろう、という細かいことは気にしないでください。

移転したばかりのあたらしいビルに入って初めて一人目の出社でしたので、入り方がわからない。警備員さんにていねいにご指導いただき、やっと机に座りました。
そしたら続々、編集部スタッフが出社。みんなよく働くなぁ。
オレはもっとこの人たち楽にしてあげなきゃいけないんだよな〜、としみじみ思いながら、持ち前の機動力でがしがし原稿に手を入れ、組み版(文字のページデザインのことね)の指定をがんがんやりながら、できたもんじゅんにDTPオペレーターにメールで送るんだけど、3章まで送って、「よっしゃ、完璧にエンジンがトップギアにはいったぜ、あと4章分、いくどー」って勢いにのって作業を進めていると、乗ってきちゃったんで、よし、もうあとはまとめて送ったろ、と思って全部終わらせてメール送信クリックしたら、送れない!
インターネットもつながらない。
会社の社内サーバーがダウン。
同時にワシもフリーズ。日曜日だからシステム担当もおらん。ここで絶叫!
おれだってやすみてー!

で、次にやったこと。机の引き出しからブラックニッカのポケットビン(会社でお酒のんぢゃいけませんよー)を取り出して一口あおり、「結局最後はアナログなんぢゃん!」といいながら、オペレーターの待つ青砥に走ったのでありんす。
日曜日の夜、オレの原稿待っててくれてるんだもん、すこしでも早く届けたいっす。
てなわけで、本って、いろんな人の力でできているんですよね。
本に限ったことじゃないけど。
著者がえらいとか、編集者ががんばったとか、んなわけないんです。イラストレーターさん、デザイナーさん、DTPのオペレーターさん、印刷所の営業さん、現場の人、製本屋さん、倉庫の人、取次ぎさん、そして書店さん、そしてそして読者のみなさん。みんながいるから自分の仕事がある。
やすみてー! なんて言っちゃだめだよね。
さーて、今夜も徹夜でい!


むすめたちへ。
とーさん来週も土日仕事なの。ごめんね。SMAPのコンサートは絶対いっしょにいけるようにがんばるから。許して〜。
  

2005年06月05日

その後のご報告

ほんとに間があいてしまいました。
その間、ワタクシゴトながら、本当にいろんなことがありましたが、「病気再発」です。買っちまったよ、「澁澤龍彦全集」。
amazonのユーズドで全巻揃いで10万円。

実は軽い気持ちでamazon覗きに行って、新刊が売り切れってでてたから、ユーズドであったらなんぼのもんかいな、見たいな調子でクリックしたんですよ。
そしたら次の日に、10万円でありましたから、直接出品者から送ります。料金は口座から引き落とされます、みたいなメールがきたんですよ。
およよ、と思っていたら、家に本届いちゃった。

でね、ほんとに奇跡的に、家買う手付金に会社に借りたお金があっちゃったんですよ。
かみさんに怒られました。当たり前のことですが。
この歳でかみさんに正座させられて、「なにこれ?」
「はぁ、本ですけど…」
「んなこたあわかってんだよ! どうしたんだよコレ!」
「いや、あの…、かってに送ってこられちゃって、ボクも困ってるんですよ」
「じゃあ、返品するから、いいな!」
「あ、いや、あの、なんとかなんすかね」
「おまえ、家買うっつって会社に金借りたんだろがよー。なに本買ってんだよ! 家族四人とこんだけの本が入りきれないから引っ越すっていってんのに、何また本増やしてんだよ!」
「……。」
「おまえ、向こう半年小遣いなしな。で、置く場所ないから、これ置くんならなんかほかの本売って来いな!」
「ゆるしてください、後生ですから」

なんてやりとりを続けること数日。
「まぁ、しょうがないでしょ」という言質を獲得。いやっほー。
ほかのサイトで状況報告していたんですけど、みんなが「いい奥さんじゃないですか〜、愛されてるじゃないですか〜」なんていっぱいコメントくれて、それに、「ま、ちょろいもんよ」というコメントをしていたのを後ろから見られて、とび蹴りをくらった私でした。

勝てば官軍。毎晩抱きしめて寝てます。本。

久々の書き込みがこんなくだらないことですみません。

  
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2005年05月08日

澁澤龍彦掃苔録。

今日は澁澤龍彦の誕生日。

ほんとに久しぶりに地元を歩くついでに敬愛する文人のお墓参りにいこうかな、ということで、昼寝しないで早く寝る!という決意の元しんどい身体を起こして散歩に出かけることにしました。

てなわけで、さっき帰ってきました。
雪ノ下の自宅から八幡宮を抜けて巨福呂坂を越えて、浄智寺へ。
受付で拝観料を払うときに、澁澤さんのお墓にきました、といったら、「今、奥様見えてますよ」。
げげっ! ちょっと緊張。
墓所への道をてくてく歩き、西の突き当たりにあるお墓の方に目をやると、ひとりの女性がお墓のお掃除を。

龍子さん!
思わず声をおかけしちゃいました。
「ご本読ませていただきました!」
実は、大学出て一番最初に入った出版社の雑誌に澁澤さんが連載を書いてくださっていて、その担当者がワタクシの師匠でした。その原稿は「フローラ逍遙」だったか「ヨーロッパの乳房」だったかに収録されています。そんなお話をしたら、覚えていていてくださっていて、笑顔で「ああ」って懐かしそうに答えていただきました。
ほんとに素敵な方でしたよ。妻がいっしょだったのですが、彼女はほとんど澁澤さんのことはしりませんが、「すてきなひとね」って、ほんとうにどきどきしてたみたい。
某出版社の編集者であることを名乗り、ご縁があればお仕事を、と申し上げたら「ぜひ!」とやっぱり笑顔でこたえてくださいました。
インターネットのファンサイトで誕生日だから行こうかな、という書き込みをたくさん見たので、いっぱい人がいるかと思いましたが、思いがけず、静かななかでお話できました。
うれしかった〜。
持参した線香を供えて、ゆっくり手を合わせてきました。
写真とってここにアップしようと思ったのですが、奥様に失礼かと思ったので止めて置きました。
そのついでに、東慶寺に足を伸ばして、小林秀雄、高見順、和辻哲郎のお墓参りも済ませてきました。
そのまま亀が谷を抜けて、鎌倉駅前のスタバでお茶して、いま帰ってきました。
澁澤邸には、以前散歩の途中でぶらっと通りかかったので、おっと思って覗いたら、犬に吠えられて退散したことがあります。愛しすぎて、自分には敷居が高いみたい。

「澁澤龍彦との日々」
http://www.hakusuisha.co.jp/FMPro?-db=shosekidata.fmj&-format=detail.html&ISBN=4-560-02777-3&-Find
ファンは必読ですよ〜。  
Posted by chan_mutsu at 18:58Comments(3)TrackBack(3)読書の技法

2005年05月07日

そして病気再発。

白水社から先月出た澁澤龍彦夫人の龍子さんの手記「澁澤龍彦との日々」
http://www.hakusuisha.co.jp/FMPro?-db=shosekidata.fmj&-format=detail.html&ISBN=4-560-02777-3&-Find
を読んだ。

澁澤作品は単行本、文庫本でたぶんすべての著作は読んでるし、全集も育児のために家にいた1年で図書館で借りまくってて全部読んだはずだが、この本読んで、どうしても全集を手元に置きたい。すぐ欲しい!って、いけねぇ、病気がはじまっちゃった。

小林秀雄の言葉に「その作家を読もうと思うなら、全集を読まなくてはいけない」みたいなのがあって、なるほど!って思ったからそういう本の読み方を20代後半からするようになった。
漱石、鴎外、芥川、太宰、川端康成、高橋和巳、福永武彦、立原正秋、梶井基次郎、坂口安吾、尾崎放哉、山頭火、中島敦は全集(ちくま文庫のも入るけど)で読んだ。ランボォは雪華社版、ボオドレエルは福永武彦が編集した人文書院版。マラルメは前に書いた筑摩のヤツ。小林秀雄は第四次全集を早稲田の古本屋で端本で集めた。でもって、第六次全集まで手を出してる。
全集主義みたいなのはそのころからあって、書物好きとしては澁澤全集は憧れではあったが、今、とにかく欲しい! 菊地さんの装丁もいいなぁ、と今日も鎌倉の古本屋に並んでるのを見て、よだれがダラダラダラダラー。
どうしよう。全22巻。新刊でそろいで買うと15万くらいかぁ…、買っちゃおうかな、翻訳全集もほしいなぁ。なんて考えていたら愚妻に釘刺された。
「買わねーぞ! もう本置く場所ないし」
ふむ。敵は本能寺にあり。か。

で、その次の獲物は、講談社の「埴谷雄高全集」。河出の作品集もよかったけど、「死霊」のコンプリートはこれでしか読めないから。小林秀雄のベルグソン論とおんなじ。
ここでしか読めない!っていうのに弱いのです。
ふだん仕事でつくってる本と全然傾向ちがうんだけどね。でも、さりげなくにおいがついてるから、知ってる人にはワタクシのつくった本っていうのがわかるらしいです。いいのか悪いのか。

  
Posted by chan_mutsu at 23:28Comments(0)TrackBack(0)読書の技法

2005年05月06日

なんとか今月も乗り切りました。

いやー、毎月のことながら締め切りはしんどいっす。
うちのような書籍専門の出版社だと、雑誌のような定期刊行物を持たないので書籍の発行点数を落とすと、そのまま売り上げの数字にダイレクトに影響するわけで、毎月毎月、「ほんとにでんのかよー」という気持ちになるのが締め切り二週間前。原稿来てないからカバーの発注もできない。
このストレスに日々さいなまれている。

今月は特にゴールデンウィークなるもののおかげで、スケジュールに制限がかかりまくり。
なんとか本日、4日遅れですべての新刊原稿を印刷所に入稿を完了。
11点しっかり全部チェック(うち2点本人担当)、なんとかなりました。
明日あさってはのんびり、といいたいところですが、来月の新刊の原稿2点ほど作業しなくてはなりませぬ。

この無間地獄をどうしよう! なんていいながらも、今日上司に言われた。
苦心を重ねて、相当凝った文字組み指定をした原稿の校了紙が上がってきて、最終チェックしていたら、現場のご苦労のおかげで、思った以上にうまくいった! なんて思っていたら、思わず「えへへぇ〜」と笑ってしまった。
それをきいていた上司が、「こんなてんぱってるなかでも、そんなに楽しそうに笑って仕事する編集者なんて、お前さんとオレくらいだろうなぁ」

だって、楽しくってしょうがないんだもん。
「ほんとにでるのかよ〜」なんて思いながらも、出すぞーって、しかも、売れてくれよー、絶対売れるぞー、って思いながらすっごく手間かけて、丹精こめて本作るのがね。

今日はほとんどひとり言でした。
やれやれ、今月もお疲れ様……、オレ。

ありがとうございました。スタッフのみんな、業者のみなさん。
あとは仕上げをごろうじろ、ってね。

  

2005年04月30日

さて、GWであるが。

仕事である。
会社には今日もほとんどのスタッフが出社しているはず。
ワタクシはというと、昨日徹夜で一冊丸々原稿整理をモーレツな勢いで終え、DTPオペにデータと指定紙を渡したところだ。これからデザイナーとカバーデザインのつめ。今日中に帯のコピーを作らなければならない。

それも、2日、6日と、DTP校了、印刷所入稿がびっちり入っているおかげだ。
旧盆進行、年末進行、GW進行と、うちは書籍専門の版元なのに泣きそうなスケジューリングである。いいかげん、疲労困憊してくると誰かに八つ当たりしたくなる。
そう、
「印刷所はちゃんと暦どおり休みとってんぢゃん! なんか印刷所休ませるためにしんどい思いして連休返上で仕事してんじゃん!」

なんとか、明日と、3,4,5日くらいは家族の相手をしてやらないと、家庭崩壊の惧れを感じる。

まじで思うぞ、GWも、夏休みも、正月もいらないから、ふつうの進行でやろうよ〜

ちゃんと段取りしない僕がいけなんです。すみません。  

2005年04月25日

作家について

「ある編集者」さんからのトラックバックをいただき、うれしくなって調子に乗ってさらに書きます。
「自分で書かない人間が作家を名乗ることを許さない」。
多いですね、書かない作家。

あとは、意識の問題。
例えば、小林秀雄は作家ではありませんよね。江藤淳、柄谷行人、浅田彰を作家と呼ぶ人はいません。
評論家とか、文学者と呼ばれています。
自分で書いているかどうか、という次元とはまた違う所だと思います。

では澁澤龍彦はどうでしょう。
澁澤さんの場合、自分でも作家だとは思いたがらなかったし、認めていなかった。自分が作家と呼ばれることを好んでいませんでした。逆にそれだけ、「作家」とい存在に敬意を払っていたんだと思います。
晩年に「高丘親王」を書いて、自他ともに認められる「作家」になりましたが、それまでのクレジットは、仏文学者というものでした。

「先生」という呼称が、最近ではなんの権威もなく、むしろ蔑称にも用いられるようになったのと同じように、「作家」もそのうち、「印税生活でおいしく暮らす人」の同義語になってしまうことを危惧しているのは、私だけでしょうか?
  
Posted by book_maker at 14:47Comments(0)TrackBack(0)読書の技法

2005年04月24日

作家って……・。

現在在職している会社に入るまでも、何社も出版社を転々としてきましたが、ここにきてなんだか、新鮮というか、んん?という、ちょっと今までにない不思議な感じがすることがたまにあるのです。

僕はこれまで、小説、詩集、句歌集、ドキュメンタリー、自分史、児童書、絵本、写真集、画集、絵画の技法書のようないわゆる趣味実用書、「水虫の治し方」みたいな生活実用書と、ジャンルにしばられないでいろんな本をつくる機会に恵まれてきたのですが、これはカテゴライズの問題なのか、自分の興味の問題なのか、いわゆるビジネス書というジャンルはこれまで読んだこともなかったし、つくろうとも思っていなかったのです。
ニーチェにははまったけど、デール・カーネギー読んだことない。小林秀雄は語っちゃうけど、松下幸之助読んだことない。
文学少年のなれの果て、という張り紙を背中にされちゃってるようなヤツです。

で、この10年くらいの間には、なにやら「成功哲学」とか「自己啓発」というジャンルが書店にもちゃんと出来ていて、猛烈な勢いで刊行点数も増えている。でもって、売れている。
人生の成功者が自分の体験や考えをまとめたものがコンテンツの中心だが、その分野では大御所と言われる書き手も今ではたくさん登場してきて、出版界でもここ数年で一大市場をつくった。

著者の方々は、いわゆる本職の物書きではない。経営者としてまた、コンサルタントのような、きちんとご自分の立ち位置があってそこから伝えられることを「本」という形にして発信している。本の著者、という立場はそのひとつの顔であるに過ぎない。

で、なにが言いたいのかというと、この方たちは「本の著者」ではあるが、決して「作家」ではないでしょう、ということ。おそらくご自身はそれを十分承知されているし、どんなにベストセラーを出された人でも、自分を決して作家だとは思っていないと思います。

自分もそうでしたが、「作家になりたい!」という人はいままでもいーっぱいいたし、いまだに増え続けている。
でも、最近は違うのよ。なにがってぇと、僕の周りの作家志望っていえば、小説家志望とイコールだったのね。詩を書くやつは詩人だし、歌人とか俳人とか、そういう奴らはいたけど。そこらへん行こうとしている人たちを「作家」志望といえばイメージされてたんでないかい? ちょっと広げてもノンフィクション。これもほら、「ノンフィクション」作家って、頭に断りがつくでしょ。
で、今はといえば、「成功して、そのことを本に書いて、作家になりたいんです。●●さんや●●さんのように!」
こういう人がすごーーーく多い。
ここで言われる「作家」という言葉に違和感を覚えてしまうのは僕だけでしょうか? 神格化しすぎているというのもあるのかもしれませんね。
作家になりたい! と思っていたときに、「作家って、じゃあ何をつくる人」って聞かれて「いままでにない、ひとつの世界をつくる人!」って即答していた自分がなつかしく思い出される。
「いままでにない、ひとつの世界をつくる」って、ようするに大きなウソをつくことだと思うのです。
水虫治療の専門家がその分野でミリオンセラー出したって、水虫治療のプロであって作家ではない。
株の運用法とかお金を増やすプロがそのノウハウを大公開していっぱい売れちゃっても、宗教家が「心を豊かにする本」書いてみんな幸せになったって、作家じゃない。
僕の知っている作家たちは、それこそ血の出るような思いで、一字一字魂をこめて、それこそ命がけで「書く」ことを仕事にしていた。そして、「書く」ことだけを考え、そのために命を懸けていました。だから編集者も命がけで本をつくった。

「本を書けば作家」というときの気持ち悪さ、これはたぶん自分のコンプレックス。これからもっともっと、世のなかには「作家」といわれたり、自分で言っちゃう人がどんどん増えてくるだろうな。
「そんなもの、ただの言葉遊び」といわれれりゃそれまでですが、もっといえば「本」は書くものではありません。
書き手にとって「書くのは原稿で」あって、「本」は「出版する、出す」もの。編集者にとって「本はつくるもの」。
共感は求めていません。でも、この違和感を感じる自分を忘れないでいたいと思います。

  
Posted by chan_mutsu at 06:27Comments(0)TrackBack(2)編集術

2005年04月14日

ちゃんと、会って、話す

テレビにもよく出られている某有名社長に取材でお会いした。
30代社長として、注目されている。
LD社のH社長のまさに真逆な方で、「ITなんてわかりませんもん」とパソコンも一切触らない。パソコンがなくても仕事はできるのね、と改めてへんな感動をしました。
この人はたぶん、コミュニケーションの達人なんだと思う。
メールには一切頼らず、必ず直接会うか、電話でちゃんと自分の声で伝える。
「100億稼ぐメール術」なんてこの人には不要なんですね。
手がけている商売も、エステ、飲食、ホテル経営と、人が人に接する仕事。基本はそこなんだよな。編集者もそうでしょ。著者、デザイナー、印刷屋さんたしかにメールで連絡とりあうっていうのも増えてるけど、基本はちゃんと会って話す。そうしないとお互いちゃんとイメージ伝わらないんだよね。
前の職場では、いちどきに原稿抱え込みすぎて、一日で著者7人、業者3人と打ち合わせ(当然、全部違う本)が集中しちゃったっていうことあったけど、これはやりすぎ(笑)。
朝会社に行ってから、夜九時までずーっと打ち合わせ。行列のできる編集者。
さすがに懲りました。

パソコン、ファックス、電話、通信手段はいろいろあるが、やはりあって話す方がいい。
  
Posted by book_maker at 18:09Comments(3)TrackBack(0)編集術

2005年04月13日

mixiなるものに……。

このところ、更新をサボってしまっている。
本づくりも、家づくりもけっこう激しい展開を迎えているが、石黒謙吾さんの影響もあって「ミクシー」なるものにハマってしまって、ブログまで手が届かない。
mixi→http://mixi.jp/home.pl

石黒さんHP→http://www.blueorange.co.jp/

くわしい説明は不要でしょう。お友だちどうしでリンクを張って、特定の人たちだけが読めるというサイトです。

このブログは匿名で書いているが、ミクシーは本名で出ており、あっちゅーまにお友だちが増えて、それも毎日まめに見に来てくれる。
著者筋だったり、編集者仲間だったり、いろんな人が書き込んでくれるので、基本的にちゃんとお返事をしている。だからこちらがお留守になるわけです。
このブログを連動することも可能なのだが、そうすると匿名ということができなるわけで、めんどうですし。ちょっと考えどころ。


やはりこのブログの読者のみなさんもうれしいことに増えているので、2、3行でもがんばって書きます。読んでくれるひとがいないと張り合いがない、というのは編集者体質か、はたまたライター魂か。
というところ。
がんばります〜。

今日の格言
「夕べの酒を反省しない。今日のガソリンになるのだから。でもって今夜もハイオクまんたんで!」

毎日がふつかよいよい。

  
Posted by book_maker at 12:54Comments(1)TrackBack(1)日々雑感

2005年04月08日

3冊同時!

昨日は、著者と新刊企画の打ち合わせ。
それも3人が会社の会議室に集まって、いっぺんに話を進めちゃおう! というスゴイ会議。というか、そのつもりはなかったんですが、結果そうなってしまったわけです。3人とも接点があって、気心知れてるところもあるから、なんだか会議というよりは座談会のような展開。

で、それぞれが違う本なので、あっち、こっち、そっちで話し、自分の本のタイトルが浮かばないのに「そうだ、○○さんのタイトルはこれがいい! 決まり!」とか、「えと、それで結局、誰がどの本書くんだっけ?」とか、やりながら、さらにそこに雑誌の編集部が乱入。まさに入り乱れての「朝まで生企画会議」状態。マシンガントークがあちらこちらで繰り広げられるという、なんかすごいことになっていました。
っていうか、ここに集まった顔ぶれ、すごい人たちなんですが。
作家同士、お互いがお互いを触発しあうという場面を目の当たりしたような気がしました。

こんな編集会議、ほかの出版社ではありえないんではないだろうか。
(笑)。

  

2005年04月03日

鈴木成一 in「情熱大陸」

見ました! 仰天!
あそこまでいくと、編集者超えてます!
ていうか、大手の版元の編集者って、ほんとに編集してんのか? 丸投げぢゃん!  なんちて。

と、一緒に見てた私の奥さんが、ニタニタしている……。
「ふだんあなたが言ってることとまったく同じこと、言ってない?」
うーむ……。

実はこれまで若い編集者には、
「編集者はオーケストラの指揮者。自分は楽器を弾かないけれど、演奏者にどういい音を響かさせるかだ」とか、
「おれたちには紙とインクしか使えないけど、その制約のなかでも可能性は無限にあるんだぞ」とか、
「編集者はコンテンツだけ、中の文章だけわかっててもダメなんだぞ。カバーデザイン、素材、本文の書体、大きさ、字間、行間、天地左右の開きも含めた文字組み、本文用紙、全部そろって一冊の本になるんだから、そこ忘れちゃダメだぞ」とか、
なことをいつも言ってきた。今日、鈴木さんが言ってらしたこととかぶる。
そうか! デザイナーと装丁家のちがいがわかったような気がする。
編集者にもなれないといけないんだ、装丁家って。
要は、本ていうプロダクトを作り出すためにコンテンツからビジュアルへアプローチするのが編集者なら、ヴィジュアルからコンテンツにアプローチするのが装丁家で、時としてお互いの領域まで入り込んで行く。これがコラボレーションということなんですね。
もし鈴木さんとお仕事させてもらえる機会があったとして、いつもの調子でやってたら、逆に絶対ケンカになる、自信がある。
「だろーな」by愚妻。

ちと話ずれますが、講談社現代新書の装丁が杉浦康平さんから中島英樹さんに代わりましたが、ここに、装丁をめぐる現在の出版社側の見え方を感じてしかたありません。よく行くデザイナーさんのブログでにはこんなふうにまとめてあります。
http://blog.goo.ne.jp/eastgate1119/c/d19e8291e8f99fcceb6047f6d89d246c

デザイン徒然草


鈴木さんももちろんですが、菊池信義さん、戸田ツトムさん、平野甲賀さん、クラフト・エヴィング商會さんたちがつくられる本は、本フェチとして、編集者としてはたまらないものがありますが、忘れちゃいけないのが「新潮社装丁室」。ここで装丁された本もすごいですよね。
ワタクシも、編集者として、同業者が嫉妬するくらいぐっときちゃう本、作りたいゾ!




  
Posted by book_maker at 23:36Comments(5)TrackBack(3)編集術

小林秀雄賛!


大学時代は浅田彰、柄谷行人を旗手としたニューアカ旋風のさなか、批評の的となっていた印象批評の権化が小林秀雄でした。先にも書いたように高校3年くらいの時の(そのあと2年浪人して本読みまくってたんだけど…)、ワタクシのアイドルだった。そりゃ自分に年齢も近い書き手、ということで意識していたし、古典はこうして過去の産物になっちゃうんだなぁと実感したりして、転向しかけたこともあるけどね。でも、やっぱりあの文章は麻薬みたいなものなのです。


さて、それから十五年を経て、時代はどのような答えを出したのか?

小林秀雄といえば、

http://www3.pf-x.net/%7Ehidenikki/index.htm
「小林秀雄實記」

このサイトにはよく遊びに行かせていただいてます。
あと、このサイトの管理人さんが中心になってやられているML。


ランボオ、中也、富永太郎から入って、「無常といふこと」に向かうベクトル。仏文学への興味から国文学へ。その中継地点に、僕の場合、川端康成と立原正秋がいました。そして「本居宣長」。最後にこの最高峰がそびえたっています。
そして、今回の全集の目玉。「感想」。未完のベルクソン論です。これまで本人の強い意志により一度も全集も含めて単行本未収録。五次全集が高くて買えなかったから、今回の刊行を心待ちにしていました。

その感想などもこれからちらほら書いていきます。
さて、ユリイカの今月号「ブログ作法」。買ってきたから読まなきゃ。




  
Posted by book_maker at 17:49Comments(0)TrackBack(0)読書の技法

とりあえず手付け

家づくりのお話です。

昨日、不動産屋さんで土地の手付け金を売主さんにお支払いし、契約をしてきました。あとはローンの審査。この結果次第で家が建つかどうかが決まります。まぁ、まだ時期じゃないよ〜っていうことなら通らないし、通れば、今だよ〜というメッセージだと思います(誰の?)。

なんたって13年間、4畳半・6畳・台所3畳に我が家のイメルダ夫人の服、靴と、ビブリオマニアの居間、寝室の枕元、トイレにいたるまで増え続ける蔵書、CD、ビデオ、それに日々からだのでっかくなる娘ふたりと内容物が増加。
四畳半の部屋に結婚当初から使っている布団を二枚ひいて、四人が絡まりあって寝る、という状況。自宅作業は家族みんな寝かせて徹夜。だれかが風邪をひくと必然的に家族四人でローリング…、キャパが足りん!
というわけで、転校させたくなかったので、やはりいま住んでいる周辺で、「せめてもうひと部屋あればなぁ」と安い中古マンションなりを探そうかな、と思っていたところに、「近くにいい土地が今日出たんですよ〜、注文設計で家を建ててもこのくらいの予算で…」という不動産屋さんからの魅力的なささやき。

でもいかんせん、準備資金がまったくない。
だめもとで会社に貸付を頼んだら「あ、いいっすよ」って。
ここまで、嘘みたいにトントンってきちゃった。

でもって昨日は土地の契約とローン審査の申し込みをして、そのあと、建築士の先生と打ち合わせ。なんと三畳半の書斎確保!
「ほかはピンクだらけの内装でもいから、ここだけは好きなようにさせてくれい!」とのことで、「机に座って全部が手に届く」という学生時代の秘密基地のような部屋を思い出させる、要塞のような空間を手に入れました。
本とパソコンと机と椅子しか置かない「作業場」。机以外の壁を本でぎっちり覆う、というマニアにはたまらない空間。うれしー。
窓もいらない、と思ったのですが空気の入れ替えが出来ないとよくない、とのことで却下。

しかし、本づくりとはまったく違う頭の使い方をするので、疲労困憊。
ほんっと疲れました。

  

ベストセラー狙うなら鈴木成一に装丁を頼め

本日、PM11:00からTBS「情熱大陸」で鈴木成一大先生が特集されるようです。

http://mbs.jp/jyonetsu/index2.html

必見かな。  
Posted by book_maker at 11:44Comments(0)TrackBack(1)編集術

2005年04月01日

おお! いっぱいいるぞよ。

四月になりましたね〜。
今朝、会社にいく最寄駅につくと、この子はあきらかに新社会人だな、という人たちがたーくさん。
いいっすね。毎年この日になると、自分のことを思い出してびっとします。
走ってる人は、きっと寝坊しちゃったんだろうな。入社早々遅刻なんて、いい思い出になるぞ。
でも、これがけっこういるわけだ。今朝の新橋駅はそんなひとでいっぱい。
ぜったい起きなきゃいけない、ていう日に寝過ごすって、なんでだろう。
実はよくやらかすんだよな。入社式って受け入れる方も早起きしないといけないし。うちはなくってよかった。
なんて、どうでもいいことをだらだら書くのはやめて、さて、しごとしごと。
  
Posted by book_maker at 10:27Comments(0)TrackBack(0)日々雑感

2005年03月30日

なんと!

先日ブログにも書いた、「今売らなきゃいつ売るの!」っていうほうじゃない、自画自賛の雨あらりゃりゃの「ロングセラー」狙いの本がすごいことになっちゃた。

某ネット書店のランキングで昨日1位をとったみたい。っていうのは実は1位になった瞬間は見てないんですよ。さっき著者から聞きました。
今現在も上位にいるみたいなんですが、これ以上書くと身元がバレるのでとりあえずお口チャックです。

気持ちは……、そうですね。
なんか実感わかない。著者とふたりで「まぁね」、って感じであまりテンション上がらなかった。きょとん。瞬間最大風速でなく、末永く売れて、読み継がれることを切に祈ります。

  

2005年03月29日

やれやれ……。

今朝方までかかって、ようやく本一冊書き上げました。
って、おりゃ編集者だぞ〜。しかも小説です。


書籍編集者esのつれづれ書評さんのブログにこんな記事がありましたが、
http://tb.plaza.rakuten.co.jp/essyohyo/diary/200503210000/
実はワタクシ、編集者を名乗りつつ、ゴーストライターとしてライティングした本もいっぱいあるのです。
正確には某有名タレントさんとか、エッセイストに取材して話してもらったテープをテキストに起こして、それを文章にまとめるような作業ですが、編集という仕事には「原稿整理」というものがあって、それがどこまでをさすのかはあんまりよくわかんない。
下手すれば、ゴーストの上げてきた原稿のクオリティに納得いかなくてぜんぶ自分で書き直しちゃうこともあるし。

特に小説はむずかしいんです。昔みたいに、作家が一字一字、血のにじむ思いで書き上げた原稿から本を作っていたころには、句読点ひとつ触るな! という作家もいましたが、それだけ文章もレベル高かった。
いまはワープロでぽんぽん!って感じだから、ありゃりゃ、こりゃなんだ?というものを受け取ったとして「直してもいいですか?」ってたずねると、「適当にやっちゃって」みたいな人もいる。
自分で原稿書いて、構成考えて、見出しつけて、と一連の編集作業をするんですが、それやっちゃうと校正ができない。自分の文章だし、用字用語の統一などは最初から意識してやってますが、逆に校正者に指摘されて思わず赤面するようなミスも青焼きでみつかったりする。きゃー!校正できない編集者、という致命的なレッテルになるわけです。

編集っていったい何やる仕事なのかな〜。
ということもあって、本づくり職人というHN名乗っているのですが。
あ、なんか忙しいぞ。ではまた。

  

2005年03月25日

やっぱり気になる。売れてるか〜

実は、うれしいことに今週、ネット書店のAmazonのトップセラーの50位以内に、なんと件の本2冊がランキングされました!
リアル書店の反響が見たいのですが、ここんとこホントに書店に行く時間もとれず、自分の手がけた本が目の前で買われていく、という感動を味わうことが実現してません。最初で最後のチャンスかもしれないのにいー。
というわけで、売れてるかなぁという、ひとつの基準としてAmazonのランキングがひとつの目安になるかな、と考えているのですが、実際、ランキングは見ることはできますが、ではこれが何冊くらい売れたのか、上位との差は何部あるのかっていうところ、知りたいなぁ。
で、今日のお話。
そりゃ、つくった本は自分の子どもみたいなもんですから、やはり編集者としては、売れてくれるのはうれしい。
でも、売れりゃいいってもんでもなく、その先を気にしたい。
こちらでつけた定価、読んでいただくのに費やす時間に、見合ったものを提供できたかどうか。
買ったけどつまんないから途中で読むのやめちゃった。買ったけど思ったよりひどい本だった、損した、とか、買ったんだけどなんだこりゃ、っていうこともあるじゃないですか? この本なら3万円出してもいい! っていうものもあれば、タダでも読みたくないっていうものまでありますよね。 

焼却、断裁、破棄されない限り、本ていつまでも残る。
買っていただいた方の書棚で何度も何度も読まれ大切にされるのが理想ですが、古本屋さんに売られたり、またそれを誰かに買っていただくこともある。返品されたまま倉庫でずっと眠っていたり、返品されることも忘れられてどこかの本屋さんの片隅にある。
いつまでも残るものなんですから、売れた、よかった、で終わっちゃいかんと思うのです。金払って損した〜っていう本ありますよね。
逆に、面白かった、感動した、読んでよかった、って声を編集者は、もっとちょうだいちょうだいっておねだりしてもいいと思うんです。
ステージで拍手もらうのと同じだと思うんです。
芝居やってる人たちだって、チケットうれればうれしいけど、もっとうれしいのって、カーテンコールのときに拍手だと思うんですよ。

本は、インタラクティブからいちばん遠いメディアで、読めよ!っていう暴力的なところがあると思います。本を買って読んでくださる方たちは、それを受け入れていただいてるんですから、つくりっぱなし売りっぱなしはしたくないですね。うわっ、おれってば、また今日もエラそうに!

  

2005年03月23日

よこ組み? たて組み?

ネット発の書籍が増えてますが、読者が求めるから出るし売れちゃうんだけど、編集者にとってホントのところってどうなんでしょう。
人によっては、ネット上のものをそのまま本にしただけで、編集者はもっと編集しろよ、というような批判も聞きます。
実際は著者から、「WEBの状態にできるだけ手を加えず、そのまま本にすること」という条件で出版化が許される、ということが多いんです。
変にいぢれないんですよ。

で、そこで引っかかってくるのが文字組みのもんだい。

ワタクシ、編集者として、日本語はタテだ!というポリシーがあります。

マニュアルや便覧は別ですが、読み物としてはタテじゃないとやだ。
っていうか、読む気にならんとです。本づくり職人です。

「Deep love」あたりから、普通に増えてきてるような気がしますが、今、泣きながら原稿に手を入れてる作品も、他社から出た前作はネット発信から生まれた著者のもの。今回もその続編という位置づけです。
ベースはWEB上にupされるイメージの作品。
いわゆる顔文字とかは出てきませんが、原稿は横組みで、HTMLみたいに、級数でかくなったり、字が太ったり、斜めになったり……、よ、読めない。つうか読む気になんない。
一回テキストに落として、最初の何ページかを無駄な改行削ったり、短いセンテンスつないだりしたものをタテ組みで仮レイアウトして著者に見てもらったんですが、「こっちの方が断然読みやすいですね」って。
若い人っていまや、ああいう、巨大なHTMLメールのお化けみたいな本の方が読みやすいのかな、嗚呼、日本語が壊れていく…と思ってたから、安心しました。

やっぱ、日本語はタテ組みがいいな。意味ない横組みは、止めませんか?
ネット作家たちも出版社に持ち込むときは、たてに組み直して、もう一回推敲されるといいですよ。改めて気づくところいっぱい出てきますから。
  
Posted by book_maker at 21:05Comments(2)TrackBack(1)編集術