(つづき)
髪を伸ばし、丈の長いコートを羽織って、スカした文学少年の晩年を迎えつつあったワタクシは、高校時代よりランボオ、ボオドレエルなどフランスの象徴派の詩人にシビレていました。かなりやなヤツです。スカしてました。
アテネフランセで幽霊学生やってたこともあります。もうフランス語じぇんじぇんわかりませんが。今でも、文芸書の新刊棚でランボオやボオドレエル、小林秀雄、澁澤龍彦、福永武彦の名前を書店で見つけると、震えがきます。即買い。治んねーんだ、この病気。だって学生だったころはまず買えなかったもん。だから今も新潮社から出てる小林秀雄全作品集がっつり買ってるし(とはいえ最近、製本された本読んでないなぁ。ゲラばっかり読んでるなぁ)。リベンジなのかな、こういうのも。
で、バイトしていた書店である日――、出会っちゃったんです。
筑摩書房刊「マラルメ全集第二巻 デバカシオン」
この造本がすごいんですよ。函入り、二巻本。
銀色のピカピカの函に型押し。肝心の本文は布クロス貼りの表紙。背に書名のみ。改題は分冊になっていて、これがまた瀟洒なフランス装(ご存知ですよね)。もちろん両方ともグラシン(昔の岩波文庫にかかってた油とり紙みたいなやつね)かかってるの。
そこに来て帯のコピーがね、
「世界は一冊の書物に到るためにつくられているのです」
きゃーーーーーーーー! もう、しびれました。座りションベンしてバカになっちゃったかと思った。店に出す前に自分の取り置き棚に直行ですよ。
9500円。当時のワタクシには大金でしたが、即決。
いま、アマゾンで画像探したら二巻はなかったけど、三巻の画像アップしておきますね。こんな感じです。
これで認識変わっちゃいました。
装丁でイッちゃった……。マジで。
そりゃぼろぼろになるまで読んださ。いま全然役に立ってないかも知れないけど。改題なんて、表紙と本文取れちゃってるし。
この経験が、後になって勤めた出版社で、「予算ないからカバーデザイン自分でやれ」っていわれても、びびらなかった自分をつくったんだろうな。
いくつかの出版社で本つくってきて、箔押しとかバーコとかエンボスとか、いろいろおもしろい特殊仕様の本をデザイナーそっちのけ(!)でつくったけど、全部あのときのショックがいい意味でも悪い意味でも刻み込まれてるんだろうな。と思います。あと、帯のコピーもね。
「本はコンテンツとプロダクツの集合体」。
それで、このブログに一番最初に書いた、「本は五感を刺激するもの」というとこにつながるわけです。ひ〜長かった。だれも読んでないだろうな。
でも、なんか特別なこと、やりゃイイってもんじゃないんですよ。もちろん。
コート紙にPPだけだって、売れてるし、すばらしい本いっぱいあるんだから。そのコンテンツにとって必然性があるかどうか、読者がそれを付加価値として気がついてくれるかどうか。そうじゃなきゃ、作り手のお遊びですからね。
てなわけで、ご静聴、ありがとうございました!