感度高めのマンガレビュー「書籍編集者方便の職種間コミック時評」。現役編集者の方便凌さんがいま注目すべき新刊をピックアップしていきます。突然ですが最終回です。
===================
今回ご紹介するのは、ジーオーティー「COMIC MeDu」で連載中、岩浪れんじ先生のデビュー作『コーポ・ア・コーポ』です。

まず触れておきたいのですが、「COMIC MeDu(めづ)」とは、成人漫画雑誌「comicアンスリウム」などで知られるジーオーティーが近年新たにオープンしたウェブサイトのこと。リイド社「リイドカフェ」にも通じるようなオルタナティブな雰囲気が感じられる媒体で、たばよう『ひとにあうひとびと』、つげ忠男(!)『昭和まぼろし 忘れがたきヤツたち』など、注目作を多数送り出しています。
さて、この春に単行本が刊行されたばかりの『コーポ・ア・コーポ』は、大阪の安アパートを舞台に、貧困、ヒモ生活、日雇い労働、DV、自殺など、事情を抱えた住人たちの「下流生活」を生々しく描き出した群像劇です。
都市の開発計画からこぼれ落ち、昭和のまま時代から取り残されたような路地の一角。ただただ貧しく、家族関係や近所付き合いに倦み、人々は疲れている。この作品がいつぐらいの年代を描いているのか、はっきりとした描写はないものの、阿部公房に言及したり、妹尾河童をパロディしたり、「時計と眼鏡の山口瞳」なる個人商店が描かれていたりと、どことなく昭和文化の匂いが感じられます。しかし、本作に登場する中高生には「1999年の『アクションピザッツ』(エロ漫画雑誌)を宝物として大事にしている」という設定がある(単行本のオマケページより)ようなので、少なくとも平成以降の世界なのでしょう。
その路地に足を踏み入れると、濁った空気が漂っている。金や煙草をたかり、男は女を殴り、惨めさを自覚させられる。住民は「這い上がりたい」と願うが、しかし一方で、この場所で「やっと呼吸ができる」とも感じている。そういう生き方をせざるをえない「のっぴきならぬもの」を抱えて肩を寄せ合っている人々の「リアル」を克明に、かつ飄々と描き出しているところが本作の魅力です。作家の西村賢太が推薦文を寄せているのもうなづけるものがあります。

【図1 共用洗濯機を前に、自殺した住民について語り合う(岩浪れんじ『コーポ・ア・コーポ』、ジーオーティー、p.13)】
収録されているどのエピソードも素晴らしいのですが、私がとくに印象に残ったのは、建築現場の作業員・石田にフォーカスした話。石田は自殺したアパート住民に金を貸さなかったことを悔やんだり、日曜大工をこころよく請け負ったり(しかしキーチェーンを高すぎる位置につけてしまうところに「らしさ」がある)、面倒見がよく思いやりのある性格の持ち主ですが、しかし女性と付き合っては暴力をふるってしまうということを繰り返しています。エピソードの冒頭で、ぬかるむ地面を見つめながら「雨が続くと仕事が無くて 仕事が無いと女と揉める」というモノローグが挿入されますが、どういうことなのでしょうか。
ある日、石田が働く現場にアルバイトとしてひとりの女性が新しく入ってきて、やはり面倒見のよさから自然と距離が縮まることになりました。身ぎれいで聖子ちゃんカット(というよりおそらく伊藤つかさがモデル)で、ドカタ仕事とは縁のなさそうな彼女は就職活動を終えたばかりの学生で、卒業旅行の資金をためるため一時的に現場に入ることを決めたといいます。
その後、なりゆきから彼女をアパートに招き入れることになった石田は、どうにかして彼女をもてなさなければと思案します。しかし日雇い労働者として働く彼はまず、金勘定を始めなければなりません。つまり、今日いくら使ったら手持ちの残金はいくらになる、明日現場に入ればいくらか潤う、しかし雨で仕事が流れればアテがなくなる、というような近視眼的な世界観で生きることを余儀なくされているわけです。これまでの女たちは、雨の日に仕事が休みだからと石田に遊ぶようねだってきていましたが、石田にとっては内心それどころではなくて、だから揉めてしまう。
目の前の彼女とは対照的に、明日明後日のことばかりを考えて生きている自分を振り返って「来年てオレなにしてるんやろか」と思いを馳せてしまう。それでもうまく考えることができなくて、やがて焦燥感が募り出す。不穏な空気が漂いはじめる室内。

【図2 アパートでの一幕(岩浪れんじ『コーポ・ア・コーポ』、ジーオーティー、p.60)】
格差社会の拡大が喧伝され、各種メディアにおいても貧困の現実が語られて久しい昨今ではありますが、ここで描かれているものも非常にリアルな現実であるように思われます。明日明後日とは言わずとも、来月再来月の金勘定に追われ、不安に苛まれる経験のある人、現在進行形でそうである人は決して珍しくないでしょう。少なくとも私は身に覚えがあります。
暴力をふるってしまう石田をはじめ、この作品で描かれる人々は、必ずしも一般的な意味で「かわいそう」と同情できる人間であるようには見えないかもしれません。実際、このアパートの住人たちはもがきながらものらりくらりとしたたかに暮らしており、「かわいそう」というような世間の視線から一線を画しているところがあって、そこが作品の魅力のひとつであることも確かでしょう。
ただ、一見するとあまり同情できなさそうな人たちは、それぞれに抜き差しならぬ事情を抱えて生きているのかもしれない。本作を通じて、そんな想像を働かせることができるのではないでしょうか。
===================
【告知のコーナー】
「Book News」主宰・永田さんの単著『積読こそが完全な読書術である』が発売されました。編集を担当させていただきました。

情報が濁流のように溢れかえり、消化することが困難な現代において、バイヤールやアドラーをはじめとする読書論を足掛かりに、「ファスト思考の時代」に対抗する知的技術としての「積読」へと導く逆説的読書論。読んで積もう!
===================
【方便凌のプロフィールはこちら】
===================
今回ご紹介するのは、ジーオーティー「COMIC MeDu」で連載中、岩浪れんじ先生のデビュー作『コーポ・ア・コーポ』です。
まず触れておきたいのですが、「COMIC MeDu(めづ)」とは、成人漫画雑誌「comicアンスリウム」などで知られるジーオーティーが近年新たにオープンしたウェブサイトのこと。リイド社「リイドカフェ」にも通じるようなオルタナティブな雰囲気が感じられる媒体で、たばよう『ひとにあうひとびと』、つげ忠男(!)『昭和まぼろし 忘れがたきヤツたち』など、注目作を多数送り出しています。
さて、この春に単行本が刊行されたばかりの『コーポ・ア・コーポ』は、大阪の安アパートを舞台に、貧困、ヒモ生活、日雇い労働、DV、自殺など、事情を抱えた住人たちの「下流生活」を生々しく描き出した群像劇です。
都市の開発計画からこぼれ落ち、昭和のまま時代から取り残されたような路地の一角。ただただ貧しく、家族関係や近所付き合いに倦み、人々は疲れている。この作品がいつぐらいの年代を描いているのか、はっきりとした描写はないものの、阿部公房に言及したり、妹尾河童をパロディしたり、「時計と眼鏡の山口瞳」なる個人商店が描かれていたりと、どことなく昭和文化の匂いが感じられます。しかし、本作に登場する中高生には「1999年の『アクションピザッツ』(エロ漫画雑誌)を宝物として大事にしている」という設定がある(単行本のオマケページより)ようなので、少なくとも平成以降の世界なのでしょう。
その路地に足を踏み入れると、濁った空気が漂っている。金や煙草をたかり、男は女を殴り、惨めさを自覚させられる。住民は「這い上がりたい」と願うが、しかし一方で、この場所で「やっと呼吸ができる」とも感じている。そういう生き方をせざるをえない「のっぴきならぬもの」を抱えて肩を寄せ合っている人々の「リアル」を克明に、かつ飄々と描き出しているところが本作の魅力です。作家の西村賢太が推薦文を寄せているのもうなづけるものがあります。

【図1 共用洗濯機を前に、自殺した住民について語り合う(岩浪れんじ『コーポ・ア・コーポ』、ジーオーティー、p.13)】
収録されているどのエピソードも素晴らしいのですが、私がとくに印象に残ったのは、建築現場の作業員・石田にフォーカスした話。石田は自殺したアパート住民に金を貸さなかったことを悔やんだり、日曜大工をこころよく請け負ったり(しかしキーチェーンを高すぎる位置につけてしまうところに「らしさ」がある)、面倒見がよく思いやりのある性格の持ち主ですが、しかし女性と付き合っては暴力をふるってしまうということを繰り返しています。エピソードの冒頭で、ぬかるむ地面を見つめながら「雨が続くと仕事が無くて 仕事が無いと女と揉める」というモノローグが挿入されますが、どういうことなのでしょうか。
ある日、石田が働く現場にアルバイトとしてひとりの女性が新しく入ってきて、やはり面倒見のよさから自然と距離が縮まることになりました。身ぎれいで聖子ちゃんカット(というよりおそらく伊藤つかさがモデル)で、ドカタ仕事とは縁のなさそうな彼女は就職活動を終えたばかりの学生で、卒業旅行の資金をためるため一時的に現場に入ることを決めたといいます。
その後、なりゆきから彼女をアパートに招き入れることになった石田は、どうにかして彼女をもてなさなければと思案します。しかし日雇い労働者として働く彼はまず、金勘定を始めなければなりません。つまり、今日いくら使ったら手持ちの残金はいくらになる、明日現場に入ればいくらか潤う、しかし雨で仕事が流れればアテがなくなる、というような近視眼的な世界観で生きることを余儀なくされているわけです。これまでの女たちは、雨の日に仕事が休みだからと石田に遊ぶようねだってきていましたが、石田にとっては内心それどころではなくて、だから揉めてしまう。
目の前の彼女とは対照的に、明日明後日のことばかりを考えて生きている自分を振り返って「来年てオレなにしてるんやろか」と思いを馳せてしまう。それでもうまく考えることができなくて、やがて焦燥感が募り出す。不穏な空気が漂いはじめる室内。

【図2 アパートでの一幕(岩浪れんじ『コーポ・ア・コーポ』、ジーオーティー、p.60)】
格差社会の拡大が喧伝され、各種メディアにおいても貧困の現実が語られて久しい昨今ではありますが、ここで描かれているものも非常にリアルな現実であるように思われます。明日明後日とは言わずとも、来月再来月の金勘定に追われ、不安に苛まれる経験のある人、現在進行形でそうである人は決して珍しくないでしょう。少なくとも私は身に覚えがあります。
暴力をふるってしまう石田をはじめ、この作品で描かれる人々は、必ずしも一般的な意味で「かわいそう」と同情できる人間であるようには見えないかもしれません。実際、このアパートの住人たちはもがきながらものらりくらりとしたたかに暮らしており、「かわいそう」というような世間の視線から一線を画しているところがあって、そこが作品の魅力のひとつであることも確かでしょう。
ただ、一見するとあまり同情できなさそうな人たちは、それぞれに抜き差しならぬ事情を抱えて生きているのかもしれない。本作を通じて、そんな想像を働かせることができるのではないでしょうか。
===================
【告知のコーナー】
「Book News」主宰・永田さんの単著『積読こそが完全な読書術である』が発売されました。編集を担当させていただきました。
情報が濁流のように溢れかえり、消化することが困難な現代において、バイヤールやアドラーをはじめとする読書論を足掛かりに、「ファスト思考の時代」に対抗する知的技術としての「積読」へと導く逆説的読書論。読んで積もう!
===================
【方便凌のプロフィールはこちら】