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人文系・コミック・音楽から雑学など、出版系イベントからマニアックな新刊情報まで、「本」にまつわることはなんでも扱います。

下流生活の「リアル」を同情抜きに描く『コーポ・ア・コーポ』(岩浪れんじ)

感度高めのマンガレビュー「書籍編集者方便の職種間コミック時評」。現役編集者の方便凌さんがいま注目すべき新刊をピックアップしていきます。突然ですが最終回です。

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今回ご紹介するのは、ジーオーティー「COMIC MeDu」で連載中、岩浪れんじ先生のデビュー作『コーポ・ア・コーポ』です。



まず触れておきたいのですが、「COMIC MeDu(めづ)」とは、成人漫画雑誌「comicアンスリウム」などで知られるジーオーティーが近年新たにオープンしたウェブサイトのこと。リイド社「リイドカフェ」にも通じるようなオルタナティブな雰囲気が感じられる媒体で、たばよう『ひとにあうひとびと』、つげ忠男(!)『昭和まぼろし 忘れがたきヤツたち』など、注目作を多数送り出しています。

さて、この春に単行本が刊行されたばかりの『コーポ・ア・コーポ』は、大阪の安アパートを舞台に、貧困、ヒモ生活、日雇い労働、DV、自殺など、事情を抱えた住人たちの「下流生活」を生々しく描き出した群像劇です。

都市の開発計画からこぼれ落ち、昭和のまま時代から取り残されたような路地の一角。ただただ貧しく、家族関係や近所付き合いに倦み、人々は疲れている。この作品がいつぐらいの年代を描いているのか、はっきりとした描写はないものの、阿部公房に言及したり、妹尾河童をパロディしたり、「時計と眼鏡の山口瞳」なる個人商店が描かれていたりと、どことなく昭和文化の匂いが感じられます。しかし、本作に登場する中高生には「1999年の『アクションピザッツ』(エロ漫画雑誌)を宝物として大事にしている」という設定がある(単行本のオマケページより)ようなので、少なくとも平成以降の世界なのでしょう。

その路地に足を踏み入れると、濁った空気が漂っている。金や煙草をたかり、男は女を殴り、惨めさを自覚させられる。住民は「這い上がりたい」と願うが、しかし一方で、この場所で「やっと呼吸ができる」とも感じている。そういう生き方をせざるをえない「のっぴきならぬもの」を抱えて肩を寄せ合っている人々の「リアル」を克明に、かつ飄々と描き出しているところが本作の魅力です。作家の西村賢太が推薦文を寄せているのもうなづけるものがあります。

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【図1 共用洗濯機を前に、自殺した住民について語り合う(岩浪れんじ『コーポ・ア・コーポ』、ジーオーティー、p.13)】

収録されているどのエピソードも素晴らしいのですが、私がとくに印象に残ったのは、建築現場の作業員・石田にフォーカスした話。石田は自殺したアパート住民に金を貸さなかったことを悔やんだり、日曜大工をこころよく請け負ったり(しかしキーチェーンを高すぎる位置につけてしまうところに「らしさ」がある)、面倒見がよく思いやりのある性格の持ち主ですが、しかし女性と付き合っては暴力をふるってしまうということを繰り返しています。エピソードの冒頭で、ぬかるむ地面を見つめながら「雨が続くと仕事が無くて 仕事が無いと女と揉める」というモノローグが挿入されますが、どういうことなのでしょうか。

ある日、石田が働く現場にアルバイトとしてひとりの女性が新しく入ってきて、やはり面倒見のよさから自然と距離が縮まることになりました。身ぎれいで聖子ちゃんカット(というよりおそらく伊藤つかさがモデル)で、ドカタ仕事とは縁のなさそうな彼女は就職活動を終えたばかりの学生で、卒業旅行の資金をためるため一時的に現場に入ることを決めたといいます。

その後、なりゆきから彼女をアパートに招き入れることになった石田は、どうにかして彼女をもてなさなければと思案します。しかし日雇い労働者として働く彼はまず、金勘定を始めなければなりません。つまり、今日いくら使ったら手持ちの残金はいくらになる、明日現場に入ればいくらか潤う、しかし雨で仕事が流れればアテがなくなる、というような近視眼的な世界観で生きることを余儀なくされているわけです。これまでの女たちは、雨の日に仕事が休みだからと石田に遊ぶようねだってきていましたが、石田にとっては内心それどころではなくて、だから揉めてしまう。

目の前の彼女とは対照的に、明日明後日のことばかりを考えて生きている自分を振り返って「来年てオレなにしてるんやろか」と思いを馳せてしまう。それでもうまく考えることができなくて、やがて焦燥感が募り出す。不穏な空気が漂いはじめる室内。

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【図2 アパートでの一幕(岩浪れんじ『コーポ・ア・コーポ』、ジーオーティー、p.60)】

格差社会の拡大が喧伝され、各種メディアにおいても貧困の現実が語られて久しい昨今ではありますが、ここで描かれているものも非常にリアルな現実であるように思われます。明日明後日とは言わずとも、来月再来月の金勘定に追われ、不安に苛まれる経験のある人、現在進行形でそうである人は決して珍しくないでしょう。少なくとも私は身に覚えがあります。

暴力をふるってしまう石田をはじめ、この作品で描かれる人々は、必ずしも一般的な意味で「かわいそう」と同情できる人間であるようには見えないかもしれません。実際、このアパートの住人たちはもがきながらものらりくらりとしたたかに暮らしており、「かわいそう」というような世間の視線から一線を画しているところがあって、そこが作品の魅力のひとつであることも確かでしょう。

ただ、一見するとあまり同情できなさそうな人たちは、それぞれに抜き差しならぬ事情を抱えて生きているのかもしれない。本作を通じて、そんな想像を働かせることができるのではないでしょうか。

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【告知のコーナー】

「Book News」主宰・永田さんの単著『積読こそが完全な読書術である』が発売されました。編集を担当させていただきました。



情報が濁流のように溢れかえり、消化することが困難な現代において、バイヤールやアドラーをはじめとする読書論を足掛かりに、「ファスト思考の時代」に対抗する知的技術としての「積読」へと導く逆説的読書論。読んで積もう!

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【方便凌のプロフィールはこちら】

損得勘定で割り切れないストラグルは続く『妻と僕の小規模な育児』

感度高めのマンガレビュー「書籍編集者方便の職種間コミック時評」。現役編集者の方便凌さんがいま注目すべき新刊をピックアップしていきます。

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今回ご紹介するのは、「妻」運営のツイッターにより再ブレイク!中の福満しげゆき先生の最新作、講談社「コミックDAYS」で連載中の『妻と僕の小規模な育児』です。



『僕の小規模な失敗』『僕の小規模な生活』に続く「小規模シリーズ」である本作は、自身の生活を基にした私小説的作品です。「売れない漫画家」を自認する作者と、それを支える「妻」をはじめとする家族との日常や、各社の編集担当者との格闘(?)などを描いた人気シリーズですが、今回は「育児」にフォーカスが当てられています。

妻が専業主婦になったことをきっかけに、心配性の作者はおっかなびっくりながら、子どもをもうけることになりました。しかし生まれてきた子は片耳が未成熟で、「もしかしたら耳が聞こえないかもしれない」と診断されてしまいます。それからは検査に次ぐ検査の日々で、心配の種は尽きることがありません。やがて大きくなってからも、同年代の他の子と比べてあまり喋らないし、どこかぼんやりしたところがあって、結果として幼稚園では浮いてしまっていたり、小学校ではいじめられてしまったり。そんな我が子のことを親である作者は気がかりに見つめます。

本作が胸を打つのは、子どもをもうけることにまつわる「不安」が、作者ならではの筆致でとても実直に描かれているところだと思います。

その不安とは、子どもを育てるということの「不確かさ」にあるのではないでしょうか。どんなに我が子の将来を心配に思っていたとしても、子の代わりに親がテスト勉強できるわけではないし、いじめっこに立ち向かってあげられるわけでも友達をつくってあげられるわけでもないのであって、究極的には(パターナリズムが否定されている昨今においては特に)本人にまかせるしかなく、自分にはどうしようもできないことの連続です(そのわりに、子の失敗の責任は親に帰せられるという側面もあり、だからこそ親は育児に対して慎重になるとも言えるのですが)。

それでもなんとか知恵をこらし、環境を工夫するなどして、子を導いていこうとするさまが描かれていて、問題をひとつひとつ乗り越えていくたびに、私たち読者は胸を撫で下ろす親の気持ちを追体験することになります。

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【図1 子がいじめられてしまう(福満しげゆき『妻と僕の小規模な育児(1)』、講談社、p.64)】

もうひとつ、私が思いを馳せてしまったことは、独立した個人として成長し大人となって、自律して生きている私たちは、子どもが生まれることを通じて「社会」に再配置されていかざるをえないということです。

いきなりですが、このサイトを閲覧しているようなあなたは、社会に適応することがそれほど得意なタイプではなかったでしょう。程度の差はあれど、地元の地域社会や学校社会に溶け込めないことに苦しんできた経験があるはず。福満先生が過去に描いてきた諸作品もそういったストラグルがベースにあり、だからこそ私たちの心を強くとらえてきました。

とはいえ、それでもなんとか生き延びて、私たちは大人になりました。大人になればすべてが解決するというわけではないにせよ、経済的に自立した大人にさえなれば、私たちにとって理解に苦しむ社会というものに対して、ある程度までは距離をとって生きることが許されます。リベラルを自負する人間たちにとっては、またはある種のオタクたちにとっては、そういう生き方を謳歌することは自らの実存にかかわるマターですらあると言っていいかもしれません。だから、「現代的な生き方」が語られる場では、社会の旧習に背を向け、「自由な生」を手に入れることが称揚されてきました。ひとりで、または運命をともにできる伴侶を見つけることができればふたりで、あなたはあなたの居場所をみつけ、安らかな日々を送るべきであるのだと。

しかし、アジールに逃げ込んだはずの私たちはやがて痛感することになります。子育てを通じて、距離をとったはずの社会というものにふたたび絡めとられることになることを。個人主義が徹底しつつあるにしても、地域の教育機関に属する以上は地域社会のコミュニティに入らないわけにはいかない。本作でいえば、子どもがなんらかの迷惑をかけたりすればママ友に頭をさげたりしないわけにはいかない。そのような古い考え方を嫌って、「我が子には自由に育ってほしい」と願ったつもりでも、検診で発達の遅さが指摘されれば「他人と同じように育ってほしい」と願うのが人情というもので、ここでもまた理想と現実のギャップにさいなまれる。だから現代的な価値観からいえば、子をもうけることは投下しなければならないコストに対して割りに合わないものという考えが頭をもたげるかもしれない。

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【図2 社会へ組み込まれていくさま(福満しげゆき『妻と僕の小規模な育児(1)』、講談社、p.33)】

しかし、人生というものは、そのような損得勘定ではかることのできるものでしょうか。そのようなリスクを計算して回避することは玉ねぎの皮を剥き切るように人生を消滅させてしまうのではないか。私はそういうことが知りたくて、これまでいくつかの本を編集してきました()()。本作品で描かれているものもまた、割り切ることもできないし、かわりになるものもない人生の「よろこび」ではないかと思います。「不安」や「不確かさ」を引き受けながら、親としての立場をまっとうしようとする姿に勇気づけられる一冊です。

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【告知のコーナー】

「Book News」主宰・永田さんの単著『積読こそが完全な読書術である』が発売されました。編集を担当させていただきました。



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恋と懐かしさの詰まったノスタルジックSF『九龍ジェネリックロマンス』

感度高めのマンガレビュー「書籍編集者方便の職種間コミック時評」。現役編集者の方便凌さんがいま注目すべき新刊をピックアップしていきます。

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今回ご紹介するのは集英社「週刊ヤングジャンプ」で連載中の『九龍ジェネリックロマンス』。『恋は雨上がりのように』でおなじみの眉月じゅん先生の最新作です。

舞台は東洋の魔窟、九龍城砦。複雑な建築構造で知られる、かつて香港に実在していたスラム街です。無秩序につくられたこの街は、退廃的で秘境めいたムードがあったことからカルト的に語られてきましたが、本作では、たくさんの人々が身を寄せ合いながら暮らすエネルギッシュな街として描かれています。

物語の冒頭で描かれるのはアンニュイな雰囲気を漂わせる女性のある朝のワンシーン。彼女の名前は鯨井。夏の日の朝、起き抜けにラフな格好のまま、スイカをかじりタバコをくゆらせる。カメラがズームアウトしていき、彼女が住む集合住宅の外観をとらえる。中華風の平服に身を包み、出勤していくまでがたっぷりとページ数を割きながら精緻に描かれていて、思わず作品の世界に入り込んでしまいます。

勤め先である不動産事務所の先輩社員、工藤。彼は無骨でデリカシーに欠けているところがあり、いかにも少し前時代の男らしい男めいているというか、昨今の価値基準ではあまり好まれないキャラクターかもしれません。すぐ調子に乗ってエロ目(という言葉は一般に用いられているのだろうか。シャクトリムシが歩くような形で描かれる目です。80年代の漫画に登場する軽薄なキャラクターがしばしばこの目になるイメージ)になるし、いじわるなことばっかり言う。だけどときどき優しいところがあって、憎めないところがある。鯨井は基本的に敬語で接しながらも、軽口を飛ばす仲です。

このふたりの日常、そして恋愛模様が描かれる作品である、とさしあたり言えるでしょう。前作でも「恋」を描き、大きな反響を呼んだ作者ならではの筆致で展開されるラブロマンスが、近年リバイバル的に消費されているノスタルジックな80年代のテイストに加えて、やはり昨今文化発信地として注目を集めるアジア的テイストでコーティングされた作品であると。

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【図1 鯨井と工藤(眉月じゅん『九龍ジェネリックロマンス(1)』、集英社、p.27)】

しかし香港の九龍城砦が舞台であると書きましたが、本作は時代劇ではありません。人々はスマホを持っていて、原宿の竹下通りを彷彿とさせる一角で手に入る「映え」るクレープが若者に人気だという。なにより、クーロンの上空には「人類の新天地」ジェネリックテラ(地球)が浮かんでいて、完成が熱望がされるなか建設が進められている。ジェネリックテラの公式マスコットキャラクター「ジェネテラちゃん」は東京五輪のマスコット(ソメイティ、ミライトワ)にどことなく似ている。そもそも「鯨井」も「工藤」も日本人名だし、中華風ではあるけれど中国が舞台であるわけではなく、過去でも未来でもなくどこでもない場所の物語です。

彼らが住むこの街の魅力について工藤は、切れかけの電球、カビくさい路地裏など、クーロンをかたちづくる要素のひとつひとつがどこか懐かしく、この懐かしいという感情は「恋」と同じであり、ゆえに住人たちはクーロンに恋をしていると語ります。そしてクーロンは懐かしい場所であるべきであり、「だからクーロンは変わらない。変わっちゃいけない。新しいものなんて必要ない」のだと。

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【図2 描き込まれた背景も魅力的(眉月じゅん『九龍ジェネリックロマンス(1)』、集英社、p.36-37)】

いまどきのカルチャーに親しんでいる人であれば、この世界観にはだいたい好感を持つのではないでしょうか。第1話が試し読みできるので、一読してグッときた方にはもちろんオススメです。

ただ仮にピンとこなかった人も、第1巻の結末まではぜひ読んでいただきたい。この世に「してもいいネタバレ」と「本当にしてはいけないネタバレ」があるとしたら、今回は後者にあたると思います。つまり詳しく書くことはできません。ただ、強烈なヒキがあります。このあたり、構成がとてもうまい。そしてそれゆえに詳しく論じるわけにはいきませんが、ここで描かれるショッキングな展開に、本作品の批評性が詰まっているように思うのです。

ただひとつ書き添えるならば、タイトルにある「ジェネリック」という言葉。本来は「一般的な」などを意味する単語ですが、新薬の特許が切れたあとに販売され、先行する医薬品と同等の効き目が認められながら、安価に手に入れることのできる「ジェネリック医薬品」が登場して以来、ひろく膾炙するようになった言葉です。ここから転じて、ブランド品と似た安物の商品を揶揄して「ジェネリック~」と呼ぶネットミームがあります。たとえば「ジェネリック萩の月」とか。ここには「本物に近いけれど、本物ではないまがいもの」というニュアンスがあります。

流行りの記号で彩られた甘酸っぱいラブストーリーという趣のこの物語は、実はいったい何を描こうとしているのか? まだ始まったばかりではありますが、ぜひみなさんにも注目していただきたいところです。

ちなみに本作、編集担当がヤンジャン編集部の大熊八甲氏であることにも個人的には注目しています。『ゴールデンカムイ』単行本の巻末で謝辞が捧げられている、「話題作の陰にこの人あり」な方です。眉月先生を交えたインタビュー記事も要チェック。


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【告知のコーナー】

「Book News」主宰・永田さんの単著『積読こそが完全な読書術である』が発売されます。編集を担当させていただきました。



情報が濁流のように溢れかえり、消化することが困難な現代において、バイヤールやアドラーをはじめとする読書論を足掛かりに、「ファスト思考の時代」に対抗する知的技術としての「積読」へと導く逆説的読書論。読んで積もう!

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2020年2月のオススメ新刊コミックスを『シャドーハウス』ほかいろいろ紹介(ナガタ)

感度高めのマンガレビュー「書籍編集者方便の職種間コミック時評」…は今回お休みで、ナガタがいま注目すべき新刊をピックアップしてご紹介します!方便さんのファンの方、来月をお楽しみに!

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で、今回は特別編なので、さいきんナガタが読んでる良作をいくつか紹介したいと思っています。しかしこの2月はすごかった。何せこれまで方便さんが紹介してくれた作品それぞれの最新刊がまとまって刊行されたのですから。


まずは『シャドーハウス』。謎に満ちた「シャドー(影)」と「生き人形」の少女たちと少年たちを描く作品です。主人公はシャドーのケイトと生き人形のエミリコ。この作品がまずすごいのはシャドーと呼ばれる存在がスミベタで真っ黒、表情がまったく見えないところです。主人公のケイトも真っ黒。マンガだからできる思い切った設定なのですが、エミリコの実に豊かな表情を描ける作者の画力があるからこそのきわめて高度な表現です。そして最新刊となる第4巻では、これまで描かれてきた謎めいた物語の設定がかなりの部分、明かされます。かなり明かされるのにまだ謎は残されているのもすごいんだけど、3巻まではエミリコに比してあまり前に出てきていなかったケイトがグッと存在感を増してくるんです。真っ黒なのに。すごい。本当にすごい。



本作の大きな要素に謎解きがあるのは間違いないのですが、それは単なる謎解きではなく、現代社会に対するかなり深い批判が込められていたことが、わかる読者にはきっと伝わるでしょう。その批判を読みとれない読者でも、美麗で凝った装飾、巧妙なキャラクターたちの会話、入り組んだストーリーで十分に楽しめる筈です。これは方便さんが紹介してくれて知った作品ですが、僕ももちろん自信を持ってオススメします。騙されたと思ってぜひ読んでみてください。
そして『スキップとローファー』の3巻!地方出身の真面目な高校生みつみが東京の進学校に入学して友達とワイワイする作品。「いい人しか出てこない」ようでいて、心の曲がったひとの表現もうまい。読みながら感情が昂って変な声がたくさん出ます(今回ご紹介する作品だいたい全部そうなんだけど)。



ラブコメのようでいて(まだ?)ラブコメではない、いやこれはラブコメと言ってもいいのかもしれない、大事なのはラブなのか、そうじゃないのか。単なるラブかラブじゃないかという二項対立ではない、何かもっと広がりのある関係性をドゴっと捉えて提示してくれる、そんな作品。なお僕は都内の進学校に通ってましたが、こんな感じではなかった。そういう意味ではリアリティはありません。でも登場人物たちそれぞれのいきいきとした姿にはしっかり感情移入できます。フィクションならではのキラキラした日々に、本作を読んでいる間は浸ることができる。

方便さんが『スキップとローファー』を紹介した記事はこちら。

ちなみに僕はこっちのマンガ時評を方便さんにお任せしつつ、別の媒体で毎月マンガを紹介する連載をやってまして、そちらでは『水は海に向かって流れる』や『子供はわかってあげない』の田島列島や、アニメ化もされて話題の『音楽』の大橋裕之を取り上げています。現実の少年少女も多様ですが、マンガのなかの少年少女も多様。『スキップとローファー』でキラキラを満喫したら、ぜひ田島列島や大橋裕之も読んでみてください。

さて2月には『可愛いそうにね、元気くん』の最新刊も出ています。これは『このマンガがすごい!2020』でも紹介した作品です。クラスメイトの八千緑さんを虐待する妄想に取り憑かれた主人公の元気くんの苦悩を描く本作は、その妄想を知って元気くんを脅迫するサブヒロイン(?)の守や、八千緑さんの弟でイケメンの励一など闇の深いキャラがいい味を出しています。第3巻ではこれらのキャラクターが出揃い、物語がいよいよ動き出すという展開。



さっき『スキップとローファー』で「心の曲がったひと」という書き方をしましたが、『元気くん』ではその「心の曲がり方」がメインテーマになっています。それなのにすごくキラキラしている。そのバランス感がとてもいい。男性が女性を暴力的に「描く」という設定が、昨今Twitterなどでようやく問題にされて認知が高まってきているイシューを批判しているようにも読めて、これからどうなっていくのか目が離せない作品でもあります。

それから『よふかしのうた』も最新刊が出ています。これも方便さんが取り上げてくれた作品です。いわゆる厨二病まっさかりの年齢とされる十四歳中学生の主人公コウが、不登校になり夜の町を彷徨するうちに吸血鬼のナズナと出会う。吸血鬼だからナズナはコウの血を吸うんですが、それだけではコウは吸血鬼にはならない。



血を吸われた人が吸血鬼になるためには、吸われた人が吸血鬼に恋をする必要があるということで、人間社会を離れてしまいたいコウはナズナに恋をしようと決める。中学生男子が魅力的な吸血鬼に誘われたらすぐに恋に落ちてしまいそうなものですが、ナズナによればそれは単なる性欲にすぎません。ドキドキはするけど、それは恋じゃないから、人間社会を抜け出すことができない。本作の場面のほぼ全体を占める「夜」が、実に的確に読者の日常と非日常の狭間を繋いでいて、思わず夜歩きしたくなってしまう。作品じたいがナズナのような妖しい魅力を秘めているわけです。「恋とは…?」という『スキップとローファー』にも通じるテーマが扱われているにも関わらず、キラキラの方向がぜんぜん違ってて素晴らしい。

方便さんが『よふかしのうた』を紹介していっる記事はこちら。
わあもうこんな時間(朝の6時)だ。最後に紹介するのは、2月刊行じゃないけど1月末に刊行された『Spotted Flower』の最新刊。これまで紹介してきた作品が思春期の少年少女のキラキラを描いていたのに対して、この作品は大学生のキラキラ(?)を描いた『げんしけん』の登場人物たちが卒業し、いちおう大人になった世界を舞台にした作品。



同作者の『はじっこアンサンブル』はやはりこのコーナーで紹介された作品です。工業高校を舞台に合唱部をつくろうと奮闘する『はじっこアンサンブル』が放つ熱量高めのキラキラに対して、『スポッテッド』の世界は…なんて言ったらいいんだろう…熱量は『げんしけん』の頃から変わらないままで、いろんな方向に「心が曲がったひと」たちの懸命に生きる姿を…いやー…懸命ではあるけど決して「賢明」ではない姿を描いています。「恋とは…?」というテーマで読んでも面白いと言えなくはないと思います。僕は早朝に何を書いているんだろう。


方便さんが『はじっこアンサンブル』を紹介した記事はこちら。

さんかく窓の外側は夜』や、3巻で堂々大団円で完結した『エーゲ海を渡る花たち』、そして方便さんが書籍版の編集をした『ベルリンうわの空』など、他にも詳しく紹介したい作品はあるし、1月に刊行された『あした死ぬには、』などについても紹介したかったのですが、今回はここまでにしておきます。

なお、ナガタが執筆して方便さんが編集してる本、その名も『積読こそが完全な読書術である』の刊行が決まりました。4/17発売で少し先になるのですが、アマゾンで予約できるようになってます。帯の推薦文は、あの千葉雅也さんです。積読が止まらなくて悩んでる皆さまの本棚に加えていただけたら幸いです。
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生活リズムくずしちゃった人に!『君は放課後インソムニア』『よふかしのうた』

感度高めのマンガレビュー「書籍編集者方便の職種間コミック時評」。現役編集者の方便凌さんがいま注目すべき新刊をピックアップしていきます。

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この年末年始に生活リズムが崩れてしまったのか、お正月が明けてから夜眠れない日々が続いておりました。いちど夜型になってしまうと、とかくに人の世は住みにくい。学生時代は、多少堕落していてもなんとかなった。でも、いまは会社員ですから、朝は決まった時間に会社へと行かねばなりません。編集者は朝起きなくてOKな職種というイメージがあるかもしれませんが、それは大手だけだと思います。特権です。

とはいっても、真夜中という時間帯には独特の魅力があるのも事実。勤労や人間関係のしがらみから解放された、魂にとっての自由な時間です。もともとズレたところのある人間にはなおのこと、その時間の魅力は抗い難く、つい27時や28時過ぎまでインターネットしたり読書したりしてしまうもの。そんなこんなしているうちに変な文化に多く触れたりしてしまうものだから、夜型生活者として生きることは人生のありかたをも規定していくことになるでしょう。なんとなく、当サイト読者のみなさんの生活リズムは夜型が多そうな気がしています。

そんなわけで今回は「不眠」にまつわる作品をご紹介します。小学館「週刊ビッグコミックスピリッツ」にて連載中、昨年12月に第2巻が刊行されたばかりの『君は放課後インソムニア』です。『富士山さんは思春期』などの作品で知られるオジロマコト先生の最新作。


主人公の中見丸太は、神経質なところがある男子高校生。不眠症に悩む彼は、文化祭準備のさなか、学校の使われていない天文台で、彼と同様に睡眠障害を抱えた同級生の曲伊咲と出会う。ふたりは「眠れない」という秘密を共有し、天文台を秘密基地のようにつくりかえたりしながら、関係を深めていくことになります。

石川県の能登を舞台に、思春期の男女のみずみずしい交流が描かれる本作。とくに第3話、真夜中に抜け出して夜の街を冒険し、海を目指すエピソードが輝いています。補導されるかもしれないドキドキとほのかなラブの予感が重なりながら、見たことのない景色に出会う。不眠のために、絶望とともに迎えていた朝を、特別な疲労感とともに迎えることのここちよさ。大人になってからずっと忘れてましたが、未成年が夜に出歩いてたら補導されるんですね。

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【図1 深夜徘徊する場面(オジロマコト『君は放課後インソムニア(1)』、小学館、p.78-79)】

やがてふたりは、なりゆきから天文部を発足させることに。天文部の活動を通じて交流の輪を広げることになります。印象深かったのは第2巻収録のエピソード。天文部のOBである白丸先輩が、真夜中にひとりで撮影した天体写真を勢い余って部のライングループに送ると、既読がつく。普通の人だったら寝ている時間だけど、天文部の面々は起きているから既読がつくのです。この、世間一般とは少しズレてしまっている人々が、ゆるやかに繋がる感じがいい。眠れずに孤独を感じていたとしても、ひとりぼっちではないのだと。友達がいることはいいことですね。友達がいない場合は、本とかインターネットとかと友達になってください。いずれにせよあなたはひとりぼっちではない。

ただこの作品、いま挙げたエピソード以外は昼間の学校生活のシーンがほとんどで、夜間のエピソードは、実はそんなにありません。その点、次に紹介する小学館「週刊少年サンデー」にて連載中、『だがしかし』でおなじみコトヤマ先生の最新作『よふかしのうた』は全編を通して、真夜中の街が舞台です。


不眠が続く中学2年生の夜守コウが、初めて誰にも内緒で外に出た真夜中に、吸血鬼の七草ナズナと出会うところから物語が始まります。一般的には、吸血鬼に血を吸われた人間は吸血鬼になってしまうといわれているものの、ナズナによればそうではなく、「吸血鬼に恋をすると吸血鬼になる」のだという。夜の世界に魅了されたコウは、自由を求めて吸血鬼になるべく、恋をすることを決める、というお話。退屈な昼間の生活とはひと味違った「夜」という時間をロマンチックに描き出します。

あとがきによれば「団地が描きたい」という気持ちからスタートしたという本作は、ひとけのない交差点、暗闇にたたずむ自動販売機の光など、夜中の寂れた郊外の風景がいくつも描かれています。『だがしかし』は、なつかしい駄菓子の漫画であること以上に、うすた京介のユーモアの影響を色濃く感じるところに、平成ひと桁生まれのアラサーである私は、コトヤマ先生は同年代なんだろうなとなんとなく感じているのですが、『よふかしのうた』もまた、ノスタルジーのツボに同年代ならではのものがあるような気がしますね。団地といえば無印のデジモンを思い浮かべるような人はぜひ。

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【図2 団地の風景(コトヤマ『よふかしのうた(1)』、小学館、p.8-9)】

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【告知のコーナー】

香山哲さんの連載作品『ベルリンうわの空』が単行本になりました。書籍版の編集を担当させていただいております。



ほんのりふしぎなタッチで描かれる自由きままなドイツ移住記。インディペンデントかつ多岐にわたる活動を通して国内外から高い評価を集め、「クリエイターズクリエイター」ともいうべき香山さん待望の一般流通作品となります。端的に言って…おすすめです!

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