Book News|ブックニュース

人文系・コミック・音楽から雑学など、出版系イベントからマニアックな新刊情報まで、「本」にまつわることはなんでも扱います。

イベントのお知らせ。『みんなの空想地図』(今和泉隆行著)ほか

3/16の夜から、演出家の岸井大輔さんのお誘いで今和泉隆行さんとトークしてきました。

今和泉さんには『みんなの空想地図』という著書があります。空想の都市を緻密な地図の上に描き出すというもので、今回は地理人さんが郊外の都市として想定していた空想都市「中村し」と首都とのカンケィを検討し始めたことを聞いた主催者の岸井さんが、じゃあいっそのこと「空想地球」を作ろう!と言い出したのが発端です。

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トークイベントは数日間にわたって開催されますが、僕は3/22の夜にも、思想家の清水高志さんともトークします(司会進行は仲山ひふみさん)。実は今和泉さんの『みんなの空想地図』と、清水さんの『ミシェル・セール』は同じ編集者さんが関わっています。

空想地図とミシェル・セールがどう関係しているのか、不思議に思う読者もいるかも知れませんが、いずれも「世界の見方」について考察し、決定論的に見えるそれらの所与の条件を前に自由であること、愉しく善く生きる方法を模索しているという点で共通しています。

その他、3/26にはマンガを読み合う集まり「生マンガ試読同盟」という催しも企画しています。ご興味のある方は、お気軽にツイッターなどでお問い合わせください。


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書名で期待し過ぎないように。でも手堅い良書。『ポストヒューマン・エシックス序説: サイバー・カルチャーの身体を問う』 (根村直美著)

「人」と言っても色んな種類があります。そんなのは当たり前だ、と思われるでしょう、でもちょっとお付き合いください。

人が、人であるのは何処までなのか。その限界の定め方に種類がある、というべきでしょうか。例えば、ある人が亡くなったとして、その「人」は人であり続けると、どうやって言うことができるのか。生きている人は、身体とその人の存在が一致しているように見えますが、死んで死体担ってしまったその人の身体は、果たして人なのか。それは人の死体であって、人ではないのではないか、そう問うことはできるでしょう。

あるいは、声はどうでしょう。生きている人の声を、いわば面と向かって聞く場合、それはもちろん人の声です。では、電話ごしに聞く声はどうでしょう。まだ明らかに人の声ですね。では、電話の向こうで実は録音された声が再生されているだけだったらどうでしょうか。さきほどの死体の話と同じで、人の声かどうか難しくなるのではないでしょうか。

でも、過去の歌手の歌が録音されているレコードを再生するとき、それが人の声であることを疑う人はいないでしょう。でもその声をサンプリングしていわゆるカットアンドペーストしたり、エフェクトをかけてテクノに使ったらどうでしょう。途端に「機械の声」と言われるのではないでしょうか。誰もがそう言う、というわけではありません。サンプリングされた声は機械の声だから魂がこもっていない、という古い感性の人はけっこう多いですよね、という話です。あるいは初音ミクの声は元は声優の声ですが、あの声は誰の声なのでしょう。

それは初音ミクの声、なのだという人もいるでしょう。初音ミクは人でしょうか。初音ミクは機械の身体を持っているわけでも、誰かの死体でもありません。このような、初音ミクや機械や死体、その他、あらゆる「人ではないかもしれない存在(?)」と、人々はどのように付き合うべきなのか。

長くなりましたが、それを論じているのがこのポストヒューマン・エシックス序説です(初音ミクは直接には扱われていなかったと思いますが)。

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本書は、倫理学と現代思想を専門とする著者が、サイバースペースや人工知能が普及しつつある現代とこれからの時代における倫理を検討するというもの。扱われているテーマは、読者によっては目新しさがなく、論の運びは冗長に感じられるかも知れません。また20世紀に「サイバーカルチャー」として珍しがられた諸々の事象も、今では当たり前のものか、過去のもの、もしくは単に見えにくい地味なもの、あるいは限定された局所的なものへと変貌しており、本書のように露骨に「サイバーなもの」を論じるのは何重にも時代遅れに思われるでしょう。

それでも20世紀末に萌芽し、21世紀初頭に議論が花開いたかのように見えてその実、あっという間に流行を終えたこの種の議論が再び読まれるようになっているのであれば、それは単なる懐古主義であるという以上に、本書でも触れられているように、冒頭のような「人」あるいは「人間」をめぐる議論が、これでも多少は成熟してきているということなのだと思います。

本書が論じているのは、かつて「サイバーカルチャー」と呼ばれたものの現在の姿と、そこに「存在」(?)する身体のようなものを、哲学的倫理的にどう扱うのか、という問題です。

たとえば言語でのコミュニケーションがどのような議論を生むのかについて紹介している章があります。残念ながらTwitterや携帯小説には軽く触れているだけ、2004年に発表された古い論文から掲載された文章なので仕方ないとはいえ、2011年から爆発的に普及しているLINEへの言及はありません。

とはいえ第4章の「情報社会における自己の多元性」は読みやすく簡潔にまとめられていて、初学者の参考になる内容です。デネットの多元草稿モデルと、ラクラウ+ムフの主体論の紹介の上で、タークルの1990年代に書かれた古典的な接続された心が紹介されています。タークルは東浩紀のサイバースペースはなぜそう呼ばれるかでも言及されており、さいきんでは一緒にいても、スマホという邦訳が出てます。

本書の巻末にも「本書は序説に過ぎない」とありますが、まさにその通りでしょう。結局のところ、「人」が何かはわからないままですが、それは実は太古の昔から変わらないことです。何かはわからないけれど、環境の変化や理論の展開によって、わからないなりに在り方が変わってきている、少なくとも、在り方が変わってきている部分はあるはずです。今後も続けられていくであろう、「人」にまつわる思考のこれからが楽しみです。

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「崇高」に惑わされないための丁寧な考察『崇高の修辞学』(星野太著)

「崇高な」何か、その何ものかの「崇高さ」、それは何なのか。政治や宗教、あるいは文化的な場面で「崇高」という言葉を目にする機会は現代に生きる人々にとって珍しいことではありません。

もちろん普段の家庭生活やビジネスシーンで崇高について語るなんてことはまず無いでしょう。しかし、ちょっと特別な場面になら、すぐに「崇高」という言葉には出会ってしまう。政治家の演説、美術や音楽を評する言葉、フィクションのキャラクターが抱く理想、「崇高なもの」に出会わないようにする方が難しいくらいです。

今回ご紹介する崇高の修辞学は、古代ギリシャから20世紀のアメリカにいたる哲学の歴史の中で「崇高」がどのように語られてきたのかを辿る試みです。

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冒頭で「崇高なものに出会わない方が難しい」と書きましたが、例えば政治家の発言においては安倍首相は演説で「崇高な理念」に言及しています。他方で、最近ちまたを騒がせているアメリカのトランプ大統領は、歴代の大統領たちと比べて「崇高な理念」を掲げないという点で特殊だという分析もあります。

アートの世界では、たとえば国立新美術館で開催された大規模な「アンドレアス・グルスキー展」のレビューのタイトルに「〈統御された崇高〉」という表現が見られます。音楽に関しては、とりわけクラシックの演奏の評価に「崇高」という言葉がよく使われています。

ビジネスでも、ビジネス書ならば松下幸之助が「人間とは崇高にして偉大な存在である」と断言したりしています。

言葉とは、使われる場面によってその意味合いを大きく変えるものなので、ここでいま挙げた「崇高」が全て同じ意味を持つとは考えられません。では、これらがまったく別々のことを意味しているのか、というとこれもまた違うと言うべきでしょう。ここの意味合いは独立しているとしても、同じ表現を使っている以上、重なったり、影響がうかがえるという可能性は大きいのです。

『崇高の修辞学』は、先ほど書いた通り哲学の文脈における「崇高」の概念の歴史を追うものですから政治家や市井の人々の言葉遣いとはかけ離れていると考えたくなる読者がいても不思議のないことです。しかし例えば「経営の神様」と呼ばれる松下幸之助も、その著書で哲学者カントの思想を引用しているなど、明確に関係が認められる場合もあります(松下幸之助のカント理解が哲学的に妥当であるかどうかはこの際いったん横におきます)。

さて、『崇高の修辞学』は大きく分けて3部構成になっています。

古代から中世、「崇高」という概念が哲学の中枢においてどのような重要性を与えられてきたのかを振り返る第I部。

近代になり、カントのような大哲学者たちが現代にまで大きな影響を及ぼすに至ったその思想の中に「崇高」の概念をどのように取り込み位置付けたのかを辿る第II部。

そして現代になり、「崇高」がどのように論じられているのかを紹介する第III部。

すべてを通して読むことで、「崇高」という、人の身では到達できないかもしれないほどの「高み」を目指す概念が、書名にもある「修辞学」というきわめて人間的な技術論と深く結びついたものだということを理解することができます。

本書のもとになった論文「修辞学的崇高の系譜学」は、そのまま本書の内容を指し示していると言えるでしょう。ここでいう「修辞学的崇高」とは、第II部で扱われるカントが論じて、現代の哲学においてもほぼ決定的な説得力を持っている「美学的崇高」と対比的に扱われる概念です。

カントはその主著のひとつ『判断力批判』において、同じく第II部で扱われるボワローとパークの思想を継承して「崇高」を「美」と対立するものと定義しました。曰く、「生を促進する感情を直接的にともない、したがって感覚的な刺激や構想力の遊動と一致しうる」という「美」が積極的な「快」であるのに対して、「崇高」はそのような積極的な快ではない「消極的な快」「間接的な快」である、というのです。

「崇高」を「美」の対比で捉えるカントの崇高概念は、「われわれの感性的経験」に関わるものだという前提が重要です。カントは『判断力批判』において文字通り「修辞学」を攻撃しており、先行するボワローやバークの崇高論からその修辞学的性格を剥ぎ取ろうとしていたとも言えるでしょう。

現代の崇高論において支配的な影響力をもつカントの思想から議論を始めずに、本書が古代ギリシャから話を始めているのは、カントの崇高論がいわば「修辞学的崇高」を批判していたことを提示するためなのです。カントが否定し、その崇高論から排除しようとした「修辞学的崇高」とは何なのか。それを知ることは、「崇高」をより深く理解することです。

そもそも弁論術や雄弁術とも訳される修辞学(rhetoric)は、「聞き手の魂を効果的に誘導するための技術ないし小細工」として古代ギリシャにおいても批判されていました。その代表的なものがプラトンによる批判ですが、カントもその伝統を踏襲し、「重要な事柄に関して人間を機械としてある判断へと傾ける術」「この技術は、国家がみずからの破滅へと急ぎつつあるときに、そして真の愛国心が消滅したときに栄えるような、退廃的な技術である」と考えていました。

そもそも古代ギリシャにおける修辞学、とりわけ本書でもたびたび言及されるロンギノスの『崇高論』は、聞き手を魅了し感動を与えるような言語活動一般の「崇高さ」を論じていました。本書はロンギノスが「技術」について論じていたわけではないことを強調しています。

一般に「雄弁術」「説得術」と訳される修辞学において、技術ではないが聞き手を魅了し感動を与えるもの。それがロンギノスが論じた「崇高」であり、カントが「美」と対比しつつ論じた「美学的崇高」とは別の「修辞学的崇高」なのだ、と言えるでしょう。

本書は古代、近代、そして現代という、2000年以上の時間的スパンのなかで、いわばこの「聞き手を魅了し感動を与える言葉の使い方」の、「美」でもなければ単に「技術」とも言えない側面を丹念に追いかけます。

本書を読むことで、たとえば誰かの話を聞いて感動したり、何かを読んで魅了されるようなときに、そこで「崇高」を感じて思考を停止することなく、それが何なのかを見つめ返すことができるようになるかも知れません。そしてそれは、多様化するメディアが増殖して人々の視野を覆い尽くし、記憶も思考もそれに圧倒してしまいがちな現代の状況にあって、なお考え続けるためにまさに必要な態度のような気がします。

今週は、『それでも町は廻っている』の紹介記事をいくつか書きました。

今週は、とうとう完結したそれでも町は廻っているの紹介記事を書きました。

『それでも町は廻っている』完結16巻&公式ガイドブック廻覧板を紹介!

嵐山歩鳥は何処から来て、何処へ行くのか 

あと、公開日は未定ですが順調にいけば完結記念で刊行された公式ガイドブック『廻覧板』の紹介記事がもうひとつ別のメディアに掲載される予定です。

シミルボンの方の連載はだいぶ抽象度が高めですが、こういう「読みにくい」ものも今後は意識して書いていくようにしたいと考えています。 



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今週は、ホンシェルジュさんで『実験する小説たち』の紹介記事を書きました。

今週は、ホンシェルジュさんで実験する小説たちの紹介記事を書きました。

ピンチョン翻訳者による手引き『実験する小説たち』とオススメ作品
https://honcierge.jp/articles/shelf_story/1535


真っ黒いページや真っ白いページ、日記や書簡(手紙)を模した文体、新聞などの他の文字メディアや写真やイラスト、時には録音物までを使って、「小説」というスタイルの限界を模索し、拡張する様々な試みを実にコンパクトにまとめた良書です。

 



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ギャラリー
  • イベントのお知らせ。『みんなの空想地図』(今和泉隆行著)ほか
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  • 現代思想の入門に適した1冊。精神分析も脳科学も胡散臭いと思ってる人に。『新たなる傷つきし者』(C.マラブー著)
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