今回ご紹介するのは、土田知則現代思想のなかのプルーストです。仏米の文学と思想に関する訳著の多い著者による、おそらく2冊目のプルースト論。論者の出生順に並んだ、ベンヤミン、バタイユ、バルト、レヴィナス、ド・マン、ジラール、ミラーらによるプルースト論を著者がさらに論じる、というやや入り組んだ構成。

puru-suto


当のプルーストはもちろん、それぞれの論者ごとにも複数の多重構造があるので、本書に収められている論考は多重に錯綜する無数の層を行ったり来たりするものになります。

この無数の層を支える、いわば物理的な高層ビルを支える鉄筋コンクリートのような「仕組み」として本書から抽出されるのは、たとえば第1章でベンヤミンが見つけ出す「靴下」のイメージだと言えるでしょう。

靴下が下着戸棚のなかで丸められて、袋であると同時に中身であるとき、それは夢の世界の構造をもっている。そして、この二つ、つまり袋とそのなかにあるものを、一挙に第三のもの、つまり靴下に変えてしまうことな、子供たち自身にとって決して飽きることのない遊びであるように、プルーストもまた飽きることなく、いわば陳列用のにせ物である自我を一挙に空っぽにして、そこに繰り返し、あの第三のものを詰め込んだ。

この「中身」と「袋」という靴下の2つの側面が、まるめられることによって「第3のもの」としてあらわれる、それがたとえばバタイユにとっては文学でありポエジーでもある独特の「悪」の概念や、ド・マンにとっての「アレゴリー」、レヴィナスにとっての「他者」へと、いわば変奏されていきます。

多くの訳著のある著者ではありますが、珍しく独特な日本語を使う(「○○は〜と思念した」など)ため、読んでいて抵抗をおぼえる箇所が少なくありません。しかし長大な『失われた時をもとめて』およびそれに付け加えられた何人もの思想家たちによる注釈を、明快かつ単純な構造でもって横串を通してくれるのはとてもありがたいことです。

著者の見解をそのまま支持するか否かはさておき、プルースト理解、そしてそれぞれの論者の個々の思想、さらにはプルースト理解をとおして並べられた論者たちが織りなす星座、いずれに対してもより深く考えるための端緒として一読をおすすめしたい一冊です。





===================

【ナガタのプロフィールはこちら】