今年2018年からは、毎月に読んだ本や読めなかった本について翌月第1週めにまとめる記事を作ることにしました。ということでさっそく1月に読んだ本と読めなかった本についてまとめたいと思います。

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なんといってもこの1月に読んだ本で印象的だったのは青土社のそっち系の雑誌現代思想2018年1月号 特集=現代思想の総展望2018』(2017年末の発売)と、ユリイカ2018年2月号 特集=クトゥルー神話の世界が印象的でした。『現代思想』の方は、毎年末に出る号で「現代思想」のそのときどきの流行をまとめており、ここ数年はずっといわゆる「思弁的実在論」まわりの紹介が主軸になっていたのですが、その紹介も今回でいよいよ踏み込んできた感じをうけました。というのも、この号では「思弁的実在論」の周辺の紹介が充実してきたように感じられたからです。思弁的実在論は英語圏のグレアム・ハーマン、仏語圏のカンタン・メイヤスーがいわば2軸なわけですが、その周辺に並走する様々な潮流があるわけです。今回の号で取り上げられているロシア現代詩における独特の思弁的実在論の需要のされ方、人類学における新しい動き、現代科学におけるマルチバース、そして加速主義やゼノフェミニズムといった「理論」あるいは「運動」の紹介によって、ハーマンやメイヤスーといった理論家それぞれの姿ではなく、ムーブメントとしての「思弁的実在論」のいわば輪郭が浮かび上がってくるように感じられてきました。

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ユリイカの特集のほうでは、TRPG発になる近年の日本におけるにわかのクトゥルー神話ブームから新訳、そしてあらためて諸外国での現状が広く深く紹介されています。個人的にはアメコミにおけるクトゥルー神話の表象のされ方を紹介している森瀬氏の文章と、補論でクトゥルーネタの絵本を複数紹介している大久保ゆうさんの文章が特に興味深く思えましたが、先述のとおりそれだけに留まらない、とても良い特集でした。上述の『現代思想』にもたびたび名前が登場するハーマンのきわめてキャッチーな「怪奇実在論」についての論考も収録されていますが、これをどれくらい、またどのようにシリアスに受け止めるのかというのは哲学界隈よりむしろ文芸評論あるいはもっと広くコンテンツや文化一般を論じる広い意味での思想家の課題といってもいいんじゃないかと思います(無視する自由は、そりゃもちろんあるんでしょうけど)。

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小説で印象的だったのはグレッグ・イーガンのシルトの梯子です。書かれていることが半分以上わからないのにもかかわらず、ところどころ像を結ぶ登場人物たちの言動や、彼らが目にする光景が、まるでハリウッド映画のようにわかりやすく「エモい」。そのエモさに励まされてなんとか読了するわけですが、いったい自分が何をわからなかったのかもよくわからない、とにかくどのようにして自分がこの世界(現実世界、イーガンの世界の双方)についてわからないのか、ということだけ、まるで壁に手を当てているようによくわかるという、不思議な読書体験ができる1作でした。

イーガンのような「わからなさ」によるインパクトとは真逆にあると言えるのが、「N」さんによる電子書籍
ハッピーエンドはほしくない。『物語なんていらない』というエントリで、ツイッターなどで話題になった人物の手になるとおぼしき小説。文化系トークラジオLifeの書評系トークイベントで海猫沢めろん氏がプッシュしていたので読んでみたのですが、中盤の紀行文のところは個人的には非常に冗長に思われたものの、概ね楽しく読める完成度の高い作品でした。ドロドロした葛藤や怨嗟をあまり書き殴らず、プラグマティックとも言えるドライさ、軽やかさでもって自身の半生を実に淡々と書き連ねている。紀行文のところは冗長なだけでなくいわゆる貧乏観光であちこちをちょっと眺めては去るという根の浅い観察しかないために他の部分から明らかに浮いてしまっているのが残念でした。タイトルにあるように「ハッピーエンドはほしくない」というのはややドヤ顔で書きつけられているものの、おそらくこの書き手は(かりにフィクションのなかにしか存在しない人物だとしても)、海外旅行を自費でまかなえるだけの資金を稼ぐ技術力と英語力を身に着けるだけの行動力を手にした時点でいわばもうハッピーエンドの時空に入ってしまったように僕には見受けられました。

以下はBook Newsで取り上げた本です。
この地獄を生きるのだは、『ハッピーエンドはほしくない』とセットで読んで欲しい1冊。『ハッピーエンド~』のNさんが飄々とホームレスになりバックパッカーになり、帰国して優秀なプログラマーとして働くのに対して、『この地獄~』の著者はひたすら不器用です。世代の違いや、生まれつきの世渡りの才能、気質の違いがあるとはいえ、どちらも死を目前にするところまでいってなんとか日々を生きるところに戻ってきているところは共通点です。

「日々を生きる」という点に着目し、それを書きつけることこそ文学のひとつの王道なのだとしたら、その世界的な代表選手はやはりプルーストだと言えるでしょう。もっともプルーストはその「日々を生き、それを書きつける」ということそのものへ目を向け、生きることと書きつけることとの乖離、距離、剥離をいちどに把握しようとした人物でもありました。そのプルーストの試みを、後代の哲学者や思想家がどのように読み解いたのかをまとめているのが
土田知則現代思想のなかのプルーストです。

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もう1冊、Book Newsで取り上げたのは、冒頭で書いた『現代思想』にも関連論文が収録されているドイツの俊才マルクス・ガブリエルによるなぜ世界は存在しないのかです。たねあかしをしてしまえば、ある意味で哲学的な独特の限定をされた「世界」および「存在」の概念を提示することによって、書名にある「世界が存在しない」ということを論証しつつ、しょうじきそんなことはどうでもよくて、むしろ重要なのはいわゆる科学的な現実だけが現実ではないということを論じるための地平を開き保証する準備という側面のある本です。内容のわかりやすさもさることながら、読みやすい文体、手に取りやすい価格、そしてずっと喧伝されてきた「天才若手哲学者」という売り文句によって、年始の人文出版界に「ばか売れ」という明るい話題を提供していたことは記憶に新しいですね。

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いちおう児童向けのバンド・デシネに分類されるであろうぼくのママはアメリカにいるんだは、非常に美しい作品。あらすじだけ非常に雑に紹介してしまうと、母を喪ったらしき少年が、家族やほかの身近な人からそれを知らされず、むしろ旅行中だと言われている状態から、真実を明かされて呆然とするというまでの短い期間に起こる、ちょっとした出来事を淡々と描くものです。いわゆる『現実」が不確定な状況で、父親や弟、祖父母や旧友、隣人たちとのコミュニケーションのなかでさまざまなに浮かび上がる不穏さや、見せかけの優しさ、そしてそれに動揺する自分の弱さや、希望にすがりつきたいという無邪気であけすけな想像力、そういったものに対する透徹した冷たいが共感に満ちた視線。そういった要素を、マンガ的ディフォルメとデザイン的な省略・強調によって実に洗練されたかたちに落とし込んでいる。ドラマチックなストーリーを求める人には物足りないかもしれませんが、これぞバンド・デシネという力がこもった良作だと思います。

マンガについては、藝大受験を目指すそこそこ秀才で努力家の高校生を主人公に、実際の作品を作中に取り込みながら、受験絵画のテクニックや心構えをスポーツマンガのように描く『ブルーピリオド』、大学デビューで外国語や文化的なウンチクを付け焼き刃で披露することで友人関係や恋愛関係を築こうとする主人公と、その主人公に張り合う後輩女子を描くポスト『げんしけん』的な作品『知ったかブリリア』、そして架空の世界で航空力学や地政学的な描写を淹れてリアリティを出しつつ、虚栄心だけで町を守るために命を賭ける戯画化された主人公たちを描く『シンギュラリティは雲をつかむ』などの比較的あたらしい作品が好調な月刊アフタヌーンで、とうとう『それでも町は廻っている』の石黒正数が新連載を始めたことが一番のニュースでした。

アフタヌーン勢では、五十嵐大介『ディザインズ』は、かつて同誌に連載されていた遠藤浩輝『EDEN』、都留泰作『ナチュン』の最新版という枠組みで捉えているのですが、それだけに留まらない、さすがの表現力で画面を眺めているだけでもゾクゾクします。その『EDEN』の作者だった遠藤浩輝が連載している『ソフトメタルヴァンパイア』は、ファンタジーあるいはホラー的な存在として表象されがちな吸血鬼を、遠藤流のリアリティをもった不死者として造形し、その世界観のなかで未来まで続く時間的なスケールを見せてくれるのが楽しい。もちろん、元素をあやつる能力者たちのバトルもケレン味がきいています。


印象に残った本とアフタヌーン勢について書いただけでけっこうな分量になってしまった。読めなかった本についても次月以降は触れていきたいと思っております。それでは2月もどうぞよろしくお願いします。


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