柴田英里、千葉雅也、二村ヒトシの鼎談本欲望会議は、自分の「欲望」を客観視してしまう人にも、そうでない人にも一読してもらいたい書籍。要するに万人に読んで欲しい本なのですが、これは「誰でも楽しく読める」というものではありませんし、そういう意味でおススメですという意味ではありません。

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鼎談者は美術家でありフェミニストでありTwitterで日々「乱行・乱交」を繰り広げている柴田英里さん、立命館大学の准教授でゲイをカミングアウトした千葉雅也さん、そして妻帯者であり父親でもあるAV監督の二村ヒトシさん。三者それぞれの社会的地位があり(社会的地位が「ある」ということと社会的地位が「高い」ことはもちろんイコールではありません)、その語る内容もそれぞれに主張があり、互いに対立しすれ違うだけでなく、本人の意見も躊躇しながらであったりときに矛盾を見せたりするスリリングな側面をたびたび覗かせます。

全体的な印象としては、映像制作を監督する立場の二村さんが『マッドマックス』や『カメラを止めるな!』『シェイプオブウォーター』などの話題の映画を取り上げて論じる、そこだけ読んでも映画論として深く面白い導入があり、千葉さんがそれを受けて哲学的に抽象化していく過程で「アンチソーシャルセオリー」などの同時代的社会的な話題へと展開、さらに柴田さんが極論化し過激な方向へと議論を引っ張っていくが、二村さんが比較的中庸なマジョリティ(一般読者)にもわかる雰囲気に落とし込み落ち着ける、という印象。

AV監督としても著述家としても成功し、トークイベントやメディア出演なども多数ある二村さんと、東大からフランスに留学し現代思想の最先端から『勉強の哲学』などのヒットもある千葉さんという2人の成功者に対し、現代美術家という不安定な立場にありTwitterでは炎上を引き起こしては鎮火どころか火に油を注ぎ続ける柴田さんのゲリラ的かつ飛び道具的なコメントが刺激的です。

「傷つき」や「こころの穴のかたち」という独自のキーワードで一般向けに啓蒙的な話をする二村さんと、ゲイや女性というマイノリティあるいはクィアの議論をする千葉さんと柴田さんとのあいだには、実は静かな亀裂があります。そこを縫合し癒着させ、亀裂を面白さに変換しているのは二村さんの懐の深さであり、千葉さんの司会力であり、柴田さんの遊撃隊のような語り方だといえるでしょう。そしてそのそれぞれの語り方の巧さは、三人が語る内容の、部分だけを取り出して並べると矛盾してしまうような要素を、一連の議論の中に同居させてしまいます。

それはたとえば、フェミニストを自称しつつフェミニストを批判する柴田さんの矛盾、拡大解釈の危険性を論じながら#MeToo運動の悪影響を論じる矛盾、そして時事放談のごとくその場にいない人たちのことを批判したあとで最終的に語られる「その場にいない人を批判したくない」という発言の矛盾など、大なり小なり指摘することは難しくありません。

しかしそのそれぞれの矛盾のあいだに何が語られているのかを読むことが本書の楽しさなのだと考えてみるとどうでしょうか。誰でもわかるような平易な解説でも、深く読み解かなければ理解できない高尚な議論でもなく、また公序良俗を乱すだけの過激で猥雑なだけのアジテーションでもない、多様な立場の多様な揺らぎ。こう書いてしまうといかにも毒気が抜けてしまうの気もしつつ、誰にとっても逸脱への憧れや踏み外しへの動機であるはずの「欲望」がさまざまなかたちで「型」にハメられつつある昨今だからこそ求められているのかもしれないと思いました。

なお、本書では何度か「人間は、人類は、アップデートされつつある」という議論が出てきます。環境が変わっていく以上、そのアップデートは当然ながら不断に行われているはずなので、問題は何によってどのようにアップデートがなされているか、ということになります。

本書では、AVという映像メディアを生業の本拠地にしている二村さんと、Twitterでの炎上に大いに興奮すると語る柴田さんがいることもあってか、メディア論的な見地からアップデートを考えられています。

二村さんが「傷」というキャッチーな概念を繰り返し提示するので、議論は傷をめぐるものへと収斂していくのですが、その収斂の過程で柴田さんの挑発に乗った人たちが口にする「傷つき」という現象も話題になります。ごく切り詰めて言ってしまえば、SNSによって人々は過剰露出するようになり、その神経や感性は敏感になり過ぎた、その結果としてなのかその原因としてなのかはいわゆる「トリ・タマ」問題で、自分は傷ついたという直接的、間接的な告白が噴出するようになるわけです。

最新のアップデートされた人類、アップデートされた人間とは、不断に傷つき、擁護されることを主張する幼児なのかもしれません。興味深いのは、本書で「発達障害」的なものとして語られる傾向です。女性、ゲイ、アダルトコンテンツ業界の業者(プロバイダー)という性的な意味でそれぞれの意味でマイノリティである鼎談者が、発達障害という、必ずしも性的なものとは考えられていない側面でのマイノリティ性に言及していることになるからです。

これは、炎上の背景に「資本」を見出すくだりにも感じられたことですが、発達障害についても資本が炎上の背後にあるという議論についても、本書では深められているとは言えないのは残念なところ。今後、それぞれの論者がそれぞれに自説を展開していくことに期待したいものです。

なお、柴田さんにはこのBook Newsで以前に連載をしていただいていたことがあり、その時の記事はいま読んでもとてもおもしろいので、未読の方はこれを機会にぜひさかのぼってみてください。










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