図書館のねずみ

南アルプスの伏流水を使った香り高い珈琲を啜りながら、じっくりお気に入りの本が選べる本好きのためのささやかなサロン、ブックギャラリー&カフェ風信。現在は店舗移転の為、日々奮闘しております。書店では扱っていないような古書、絶版文庫を集めています。

御柱が終わらねば田植えも始まらない

風もないのに、ハリエンジュ(ニセアカシア)のクリーム色の花が落ち続けている。

ニセアカシア

庭も道路もこの花びらで埋まってしまった。
車の窓が開いていればどんどん中へも入ってしまう。
5月中旬から釜無川沿いの荒れ地は、この花の甘い香りに満たされる。
ミツバチの重要な蜜源となっているこの花の花期に、養蜂家の姿が見られないのは残念だ。
特に日本ミツバチの蜜が希少になってしまうのは残念だ。
アカシア蜜の蜜源がこんなにたくさん咲いているのに…もったいない。
自分でミツバチを飼うしかないか…ヨーロッパの田舎では普通にやっていることだから。

連休の3・4・5日は諏訪大社上社の御柱(里曳き)だったが、下社では14・15・16に里曳きが行われ、7年に一度の御柱祭は、上社の宝殿遷座祭だけを残して、ほとんど終わった。
上社で入れなかった「建御柱」の様子が気になって、下社春宮に行ってみた。

御柱パンフレットR0012934



14日(土)、里曳きの行列も建御柱の様子も、下社と上社では少しずつ異なる。
(御柱を曳く縄も地区ごとに手作りされ、異なっている)
特に御柱を立てる神社の地形や道の状況によって、巨木を運び入れる方法も異なってくる。
春宮は丘陵が終わりかかった坂の窪地にあるから、道は狭く、曲がりくねり、(ことさらに難関を作ったように見られる)とても巨木を通せる道はない。
神域の坂上に方向転換させてたどり着くと、ここから境内に落とすことになる。

落とし坂


いかに上手に狭い坂を確実に滑り落とすかが、担当各町内の技術だ。
千年以上続くと言われる御柱祭とは、伊勢の式年遷宮(20年)のように巨木を伐り運ぶ、そして立てるという技術を伝える方法を祭りに組み込んだ、稀有な祭りではないだろうか。
氏子の男たちは、祭りが終われば倒れ込むほどの全力を結集している。
(諏訪地方の田植えは、この祭りが終わらないと始まらない)
失敗すれば、氏子の群れに落ち込みかねない坂を、思ったよりゆっくり、地響きと砂煙を立てて落ちてくるのを見ると、やはり感動してしまう。
時間はもう何時間も、予定より遅れている。
今日中に8本の御柱を落とせるのだろうか。
春宮の四隅に4本の巨木を建てることになるのだが、もう4本の秋宮の御柱も境内に落とすことになっている。
そのうちの1本だけは今日中に建ててしまうのだ。
もう日暮れになってしまった。

暗くなり始めた中で、ようやく滑車と縄を使って柱が建ち始めた。
御柱を建てる穴


社殿横から規制線ぎりぎりに入ったここからは、社殿の屋根に隠れて見えにくい。
氏子にも規制がかけられているから、これが限度だ。
ここが落とし坂と建御柱の両方が見える唯一の場所だ。
もう照明が点き、すっかり暗くなった社殿の屋根上から、御幣(おんべ)を持った男たちが見え始めた。
暗くなり、どの写真もうまく撮れていないが…

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坂では5本目の御柱が落ち始めた。
もう臨時列車の時間が迫っている。
祭りの最終は深夜になってしまうだろう。
参道の下馬橋(春宮で一番古い建造物)が点された。

下馬橋


昼間の行列で面白かった長持ち行列や、春宮裏に建てる御柱の難しい曳行。

長持ち行列お面







恐ろしく狭い森の中を人力で通す。
すぐ下が川の流れがあるから、縄の処理が難しい。
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そして、すぐ奥には有名になった万治の石仏もあるので、写真を入れたい。

万治の石仏


言い忘れたがこの祭りで印象的なのは「木遣り」の声だ。
これだけは女性の高い声で歌われ、曳行の合図となっている。
また、難関を越えようとするときには、氏子の力を結集する重要な役割を持っている。
この写真も加えたい。
木遣り

初夏へ、「御柱」と「赤津窯巡り」

春は相当の速さで進み、いつもなら連休中楽しめる山桜は早々と4月いっぱいで終わってしまった。山の残雪も今年は驚くほど少ない。
周囲を人家で囲まれた八ヶ岳は、その影響を受けやすい。
4月も中旬を過ぎて暖かい雨が降った後、もう、雪はほとんど消えていた。
深い谷節にわずかに残雪が見える程度。
夏山の風景だ。
南アルプスも鳳凰三山や甲斐駒は、例年なら山桜やこいのぼりを前景に真っ白に輝いているはずが、この春は恐ろしく残雪が少なく絵にならない。
富士山も同様。
山小屋の人の話では、いつもなら開業準備のため山小屋を掘り出さねばならないほどの雪が残っているのに、今年は拍子抜けの楽な準備だったという。

ここ甲斐駒山麓白州でも、わかば色の木々が盛り上がるように夏に向かっている。
ところどころに見えるのは、ヤマフジやキリの花の薄紫色。
もう、田には水が入って田植えを待つばかり。
羽虫が湧き、ツバメが飛び交う初夏の風景に入ってきた。
カエルの声も日増しに高くなることだろう。
我が家でもナナフシの極小(蚊並みの大きさ)が見られるようになった。


連休の後半にはお隣の富士見・茅野・諏訪の御柱祭(七年に一度)のうち、諏訪大社上社の里曳きを見に行ってきた。
本当は四本の柱を立てる神聖なシーンを見たかったのだが、この行事は非公開になっているという。
2か所の大ビジョン映像でしか見ることができない。
仕方がない、2キロほどの道のりを数時間かけて進む4本の巨大モミの更新を見ることになる。
(1ケ月前、木落しを終えた巨木は、大社近くの御柱屋敷でこの日を待っていたのだ)

IMG_3483御柱 (3)


御柱 (4) 御柱

翌日、重機を使って柱を立てる行事が終わるとき、神となった御柱にたくさんかけられたなわ(蔓や根)を最後に切る係りの氏子が天辺から落ちて亡くなったという、悲しいニュースが流れた。
命綱はなく、重機の上に落ちたらしい。
前回の祭りでも2人が亡くなっている。
木落しより事故率が高い危険な行事となってしまった。

ここ山梨でも、この御柱の祭りが諏訪神社を中心に由緒ある神社で規模を小さくして行われているのはあまり知られていない。
北杜市の町や村は、文化的に諏訪地方とはつながりが深い。
武田の勢力は諏訪を越え、美濃にまで近づいていた。
明治のシルクマユは岡谷に向かっていた。
信州富士見に飛び地のように食い込んでいる白州町は、地形的に見ても諏訪地方から南長野に近く、距離的には遠いが中京方面に顔を向けているのでは?と、思うことがある。
名古屋は東京よりも近いかもしれない。
このことに触れると、長くなって泥沼化していくので、この辺でやめる。



連休最終には、愛知県瀬戸市に向かった。
瀬戸の赤津地区には、茶道具に使われる陶器を中心に多くの陶工が集まっている。
ここの「赤津窯の里めぐり」が毎年第2日曜とその前日の土曜日に開かれているのだ。

赤津窯の里めぐりはがき

連休には益子、笠間、萩、伊万里と有名な陶器市が盛んだ。
日本の伝統工芸品として認定されている「赤津焼」は今一つ知名度にかけるが、指定された七色の釉薬を見ればその古い歴史・伝統がわかる。
古瀬戸や猿投の地名はここにあるのだから。

その七種の釉とは、一番古い平安時代の灰釉に始まり、鎌倉の古瀬戸、鉄釉、そして桃山の黄瀬戸、志野、織部、江戸時代には御深井(おふけ)。
あまりに多彩で赤津焼の特徴がつかみにくい。
散策マップを見ると七種すべてを作っている窯元がかなりあるし、少なくとも四種くらいは得意としているのだから、作品展示が雑多な感をまぬがれない。
各窯の得意分野を絞ってほしいが…どうだろう。
ほとんどが電気窯となって、煙突や登り窯の風情があまり見られないのも、やむを得ないが残念だ。
(常滑では、レンガの煙突も登り窯も残している。)
赤津瓦の赤い屋根瓦が見られたのが救いだ。
室町時代の半地下の窯跡(国指定)は次回に譲り、お隣の「窯垣の小径」を歩いて帰途についた。

窯垣の道窯垣の道 (3)

窯垣の道 (2)

窯垣は不要になった窯道具を使って築いた垣根(塀)だが、組み合わせや色合いが素朴で美しい。
民芸品に通じる、生活の中から自然に生まれた美しさを感じる。

C・マッカラーズと佐伯彰一氏の仕事

連休中でもまだ桜を楽しむことはできる。
北海道の話ではない。
ここ山梨や長野のある程度標高の高い里山では、山桜と新緑の美しさは、この時期一番の喜びだ。

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もやのかかった山々の樹々が芽吹きの柔らかい色合いを見せて美しい。
史郎ヴェールに包まれた新緑の中に山桜のサクラ色や白、その新葉の脳茶から黄緑色までが加わると、一段と見ごたえがある。

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コナラや、カシワ、オニグルミなどは芽吹きと同時に長い花穂を伸ばしている。

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山桜の花色が白から濃い桃色、緋色に近いものまで様々に変化があるのが魅力だが、近づいてみれば誠に地味なものだ。
花自体の数が少ない。
真下に来れば空と一体になってよく見えない。

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山桜は少し距離を置いて眺めるものだろう。
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サクラの新しい葉やカシワ、ホウの葉など、柔らかく、いかにもおいしそうな、新葉が古から餅や寿司ご飯を包むのに使われているは、サモアリナンと思える。
朴の信用が展開していくのを見ていると。つい、木曽谷のホウバナモチを思い浮かべてしまう。

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さて、昨年のクリスマスの日に「伊那谷の老子」が亡くなって、その訃報が知らされた1月6日か7日、もう一人重要な人を亡くした報が続いた。

元旦1月1日に佐伯彰一さんが亡くなったのだ。
訃報には東大教授(都立大から東大教授、そして退官後は中央大学教授)」、アメリカ文学研究者、そして晩年は三島由紀夫記念館館長と、略歴が簡単に記されていただけだったが、その仕事は幅広く深い。
東大大学院時代は「人文科学研究科比較文学比較文化専攻」の主任教授という肩書になっている通り、日本とアメリカ文学に比較文学の研究、アメリカやカナダの大学での日本文学講義という経験から、より広く比較文化へと進み、「外から見た近代日本を考える」。
さらに、岡倉天心や神道(佐伯氏は立山信仰の中心・芦山弁寺の神宮の家に生まれる)についての著作にまで及んでいる。

また、「自伝論」という日本では未開拓の分野を切り開いたのは佐伯さんであった。

日本人の自伝」

その代表作「日本人の自伝」(講談社学術文庫)には、日本人の残した自伝の系譜を追って、勝小吉「夢酔独言」、鈴木牧之「夜職草」(よなべぐさ)、内村鑑三「余は如何にして基督教徒となりしか」、福沢諭吉「福翁自伝」、新井白石「折たく柴の記」、山鹿素行「配所残筆」。松平定信「宇下人言」(うげのひとこと)。
そして、女流・江馬細香や只野真葛の自伝に及び、締めとして芸談として知られる七世市川中車の「中車芸話」、初代中村仲蔵の「月雪花寝物語」、三世中村仲蔵の「手前味噌」を取り上げている。
並みの文学研究科ではとてもできない仕事だ。
英語圏の自伝も含めてとてつもなく広い分野に分け入る読書人がここにいる。
佐伯さんの家が本に埋まっているのは、夫人の証言を待つまでもなく明らかだ。

伊奈谷の老子・加島祥造さんとの共通点がある。
当然二人ともアメリカ文学がメーンだから、両者ともヘミングウェイとフォークナーの翻訳を持つ。
そして、佐伯さんはカーソン・マッカラーズの紹介者としても重要な仕事をされたが、(「針のない時計」の翻訳(共訳)も佐伯氏となっている)加島氏も「夏の黄昏」の翻訳(福武文庫)を持っている。
マッカラーズは重要な作家だが、日本では紹介が遅れていた。

マッカラーズの処女作「心はさびしき猟人」が出版された1940年はヘミングウェイの「誰がために鐘はなる」も出版され、フィッツジェラルドが死んだ年であった。
又、マッカラーズの最後の作品「針のない時計」が出版されたのは1961年、ヘミングウェイが死んだ年。

南回帰線

そして、マッカラーズが持病のひどい関節炎が昂じて亡くなった1976年にはスタインベックも死んだ。

マッカラーズの日本での評価はまだこれからだ。
それにしても、マッカラーズの作品がいまだほとんど絶版(文庫)状況なのは不可解だ。村上春樹訳「結婚式のメンバー」が出るようだが…。
プロフィール
ウェブサイト
お店のウェブサイト
http://home.netyou.jp/33/fushin/
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