図書館のねずみ

南アルプスの伏流水を使った香り高い珈琲を啜りながら、じっくりお気に入りの本が選べる本好きのためのささやかなサロン、ブックギャラリー&カフェ風信。現在は店舗移転の為、日々奮闘しております。書店では扱っていないような古書、絶版文庫を集めています。

2010年06月

トビのいるミュージアム



海の見える美術館はいくつもあるけれど、いつもトビを見られる美術館はそうはないでしょう。
神奈川県立近代美術館の新館として、葉山一色式海岸に隣接している葉山館には鳶の棲家があり、中世の彫像のような姿で美術館の屋根に止まっているのを身近に見ることが出来る。
折りしも暗いバックの中でノルシュテインのハリネズミやフクロウ、ツルを見てきた目には、湘南の海や空にトビのいる風景がまぶしく、新鮮。

昨年の「フランスの浮世絵・アンリ・リヴィエール展」も葉山―荒崎の岩と松のある海岸風景にピッタリ似合った企画だったが、暗い暗いトーンのノルシュテインも、このトビのおかげで、心地よい余韻が残る展示となっている。
代表作「話の話」の中のオオカミの子が廊下を通って、光のまぶしい中へ入っていく気分で美術館を出る。

話の話

ロシア・アニメの巨匠として、日本のアニメ界、映像作家にも強い影響を及ぼしているユーリ・ノルシュテインの「Tale of Tales展」も今日でおしまい。
見逃した方は夏休みに高知県立美術館(7月18日〜9月26日)へどうぞ。
年末まで待てる人は足利市立美術館へ。(12月11日〜1月23日)
先週どうしても行けなかったのが、平塚美術館の「長谷川りん二郎展」。
(りんは文字化けして正しく出ないので、ひらかなにしました。)
今でも悔しい思いは募るばかり。
美術館・博物館の月曜休みはやめてもらいたいもの。
せめて図録だけでも手に入れよう・・・


「話の話」は世界最高のアニメーションと讃えられたユーリ・ノルシュテイン監督、妻フランチェスカ・ヤールブソワ美術監督の長編アニメの名作。
この映画に基づくエスキースや珍しい油彩画、デッサン、切り絵、コラージュやマケット(箱状に再構成した立体作品)。
他にも絵本としても有名な「霧の中のハリネズミ」の原画やアニメ版の絵コンテ、アニメ「キツネとウサギ」「アオサギとツル」のエスキース、絵コンテ、マケットもアニメ作品とは独立して見ても見事な作品が並ぶ。
雪、雨、霧、風の風景の中、闇と光を効果的に使った立体作品が、ノルシュテインのアニメの世界の雰囲気そのままを味わえる。
また、芭蕉の連句を世界のアニメーターが映像化したプロジェクトの、ノルシュテイン担当作品「冬の日」も見もの。
(〔木枯らしの身は竹斎に似たるかな〕をテーマとしている。)
ロシア人が日本のモミジの林、初冬の山林風景をどう描いたかは、見てのお楽しみ。

神奈川近代美術館は充実した図録の出版が多いが、ノルシュテインの図録も立派な出来。

数ヶ月に一度のペースで出している小冊子「たいせつな風景」も、野見山暁治や志村ふくみのエッセイも載っていて楽しめる。

たいせつな風景


*来月、7月31日(土)はブックカフェ風信で、佐藤涼子さんをお迎えして「おはなし会とお話の会」を開きます。
 大人の方も子どもさんもご参加ください。
 詳しくはHPをご覧ください。
 お待ちしています。(要予約)

ハマヒルガオの咲いている浜

梅雨時に似合う花はアジサイやヤマボウシの花ばかりではない。
6月に入ると、特に梅雨の合間のつかの間の晴れた日など、湘南海岸の砂浜に咲いているハマヒルガオの群生を思い浮かべることがある。
あの花たちは今でも咲いているだろうか。

ハマヒルガオ

辻堂〜茅ヶ崎から大磯辺りまで、防砂林のマツが植えてある近く、うすいピンク色の花たちが初夏の風に揺れている風景。
宿根草だから、ほぼ同じ場所に、この6月には咲いているはずだ。

ところがそれと同時に、気になって解決しないことがすぐ思い浮かぶ。
横須賀線と東海道線が並んで走る新子安―東神奈川付近、レールの間の岩櫟に、この頃になると白から薄ピンク色の花がかたまりになっていくつも咲いている。
気になって隣の京浜急行から目を凝らしてジッと見るのだが、蔓性のヒルガオとは印象が異なっている。
ハマヒルガオの咲いている印象なのだ。
かなり白っぽい花がポッ、ポッと群れて花を上に向けているが、電車は駅ではないからスピードを増して確認できない。
信号故障でもあって止まってくれないかなと、思いたくなる。

これがこの数年、6月にはいるとても気になること。
このあたり踏み切りもなく、歩いて確かめる術もない。

湘南海岸に続く横須賀線と東海道線にあるのも気にかかる。
京浜急行には咲いていない。
と書いて、あっ、京浜東北線にはあったか?
まだ、確認していない。

港や道路、川沿いに外国から来た雑草たちが勢力を広げていくのはよくあることだが・・・。
まさか湘南海岸のハマヒルガオが電車によって広がるか?
レール下に敷く瓦礫はどこから運んだものか?
その石にハマヒルガオの根が混じっていたか?
考えにくい。
この夏の暑い日ざしの、しかも石だらけの環境でよく毎年咲くことよ。
いや、他の植物が進入できない厳しい環境だからこそ、高山植物のように生き延びるていのだろうか。
砂浜深く根を下ろしているハマヒルガオが、こんなところで生きられるだろうか。
やはり、ただのヒルガオか。
悩みは深い。
どなたか、ご教授願いたい。


前回書いた野毛の茶穂の出ている明治の絵ハガキが見つかったので、遅ればせながら載せます。
野毛の茶舗

右側の手前の店が三笠屋さん。
まだガス灯が使われている明治の野毛本通り。

街になくてはならぬものは?

街になくてはならぬものは?
散歩名人・植草甚一にとっては、米軍払い下げの雑誌やペーパーバックスが積んである古本屋と、戦利品の本をパラパラ眺める休憩基地としての喫茶店。
保土ヶ谷に住み、野毛を愛した平岡正明にとってはジャズ喫茶や寄席と、新内流しの聞こえる飲み屋街。
同じく街歩きの達人で、野毛にもよく出没した種村季弘さんは、これに加えて居心地の良い居酒屋と、平屋の続く戦後〜昭和30年代の街並み。
作家の安岡章太郎さんには豆腐屋と犬の散歩コース。
また、頑固亭・山口瞳にとっては、港のにおいのする古いバーと馬の見える風景。
本町小学校出身で着物の良く似合う江戸学者・田中優子にしてみれば、ながく続いていて趣味の良い呉服屋や茶舗か。

茶と言えば、明治の横浜にとっては生糸、実術工芸品、ユリ根と並んで最重要な輸出品。
お茶の貿易商の大谷嘉兵衛の社屋が元浜町に、馬車道には立派な土蔵つくりの製茶問屋「枡屋」があった。

枡屋

吉田町には今でも風格ある店構えの茶舗がただ一軒残っているが、野毛にも明治の絵ハガキに出てくる店(三河やさん)が今も生き残っていて、うれしくなる。
これら散歩名人たちの必須のもの、全部とはいえないが、かなりの部分が野毛にはまだ残っているのは確か。

街の記憶は、例えば伊勢佐木町博雅のシュウマイの味、野毛クジラ横丁のクジラの活やベーコンの味、港の汐のにおい、お店の店主の顔や声などいろいろが絡み合っているが、仏壇屋さんの並ぶ野毛坂のあの登りの角度、曲がり具合に懐かしい思いが募り、泣いた作家もいた。

「横浜今昔」(昭和32年刊・毎日新聞横浜支局)という本を覗いてみよう。
横浜今昔


「人生劇場」の作家尾崎士郎は明治37〜38年日露戦争時に、野毛3丁目(当店と同じ)に済んでいたことがあった。
「野毛三丁目の四つ角、そこから左にまがって、ゆるい坂道など昔のおもかげが残っていて、下に鉄道が走り、林や草原にも恵まれていて、しきりにふるさとへの郷愁に駆られたものでした。・・・」
士郎はまだ8歳のときで、石川小学校へ入学、田舎弁丸出しの士郎はいじめを受け、老松小学校(今の中央図書館の場所)に転校したと言う。
この老松小のすぐ上に住んでいたのが、平岡威馬雄(父がフランス人で子どもの頃混血児としてつらい思いをした体験を持つ)だ。
同じ本の中に、横浜の橋の名前を歌った和綴じ本「横浜往来」のこと、菊で有名だった野澤屋の庭のこと、老松小の一年坊主の頃の大聖院(真言宗の寺が小学校のとなりにあった)のヤシ(テキヤ)の思い出や、横浜市歌誕生の頃など、興味深いエッセイが含まれる。

この老松小のあった向こう側が平沼専蔵の別邸跡。
この石積みが古絵ハガキや写真に出てくると、それだけでうれしくなる。

日の出新聞
開港50年祭で飾られた野毛4丁目の街並み
全国の新聞取次ぎをしていた日の出屋新聞店の名が見える。
店の反対側が平沼亭の石積み。
(なか区歴史の散歩道収蔵)


現市立図書館の敷地に1本だけ残されたヒマラヤ杉も記憶にとどめたい。

「ちいさい隅」の重たい回想

横浜の街が一番美しかった時はいつかと、考えてみることがある。
例えば、幕末から明治初期の開港草創期の横浜。
洋風の建物が次々と建ち、お雇い外国人、灯台技師ブラントンが設計した下水道を備えた初めての近代道路「日本大通り」が完成、日本人街と外国人居留地を分け、東側には英国領事館・スイス領事館・ロシア領事館・アメリカ領事館などが並び、西側には税関・県庁などが並んでいく。
日本人街は漆喰塗り・土蔵作りの商家が並び、ベアトの写真にあるような黒い屋根瓦の低い家並みで埋まっていく。
その一番活気のある弁天通を、野心に満ちた若者や一攫千金を求めて商人たちが往き来している。
江戸や京都の落ち着いた街並みとは異なって、いかにも急いで創った仮普請の新開地だが、人を引き付ける活気と魅力がある。

そして、明治後半から大正期、大震災直前の横浜。
都市機能もかなり整い、新しい県庁などが出来た日本大通りの絵はがきを見るとウィーンやドイツの都市を思わせる都市景観に驚く。
メインストリートの本町通りは生糸検査所・中央電話所・横浜郵便局・三井銀行・第一銀行などの本格的な洋風建築が並び、バンドと呼ばれる海岸通りはグランドホテル新館・旧館が並び、ドイツ領事館・外国商社・フランス郵船・オリエンタルパレスホテルなどの立派な洋風建築や異人館が並んでいる。

開港の舞台1

馬車道はと言うと、並木が植えられた街路にはガス灯から電気灯に変わり、大ドームの横浜正金銀行が完成、富竹亭の重厚な建物には大勢の人たちが出入りしている。
この明治末期から大正の横浜の目抜き通り、本町通り・馬車道通り・海岸通り・日本大通りの街並みを調査復元して得ずとしたものが出版されている。
「横濱開港の舞臺」(中区せい70周年記念出版 1997年刊)

開港の舞台2

この時期が横浜の一番華やかな美しい街並みが完成したのではと想像していたが、「霧笛」「花火の街」「幻燈」「薔薇の騎士」「その人」など古きヨコハマを描いてきた横浜生まれの小説家・大佛次郎のエッセイの一言で、見事に一蹴されてしまった。
「今と比べて昔の横浜の町は決してきれいなものだったわけではない。美しく静かな整頓は古くからどっしりと基礎を据えた都市にしか見いだせなかったろう・・・。」(「屋根の花」昭和55年刊)

屋根の花


しかし小生が横浜の第二の黄金期と考えていた大震災から復興してから昭和10年頃のヨコハマ弁天通りの記述には、ニューグランド住まいの作家の貴重な一言がある。
「戦災を受ける前の横浜の弁天通りは、よそに類例のない美しい街であった。・・・横浜の弁天通りは、その町に住む人々の協力が自然に美しい街を生んだ点で、消え去った後にも記憶されて良い。」(エッセイ「ハマの弁天通り」大佛次郎「ちいさい隅」昭和60年刊)

ちいさい隅


「弁天通り」の復元絵図が、無理かもしれないが欲しくなる。

当店では大佛次郎作品を常備しています。
エッセイも「霧笛」も「幻燈」も。
プロフィール
ウェブサイト
お店のウェブサイト
http://home.netyou.jp/33/fushin/
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