図書館のねずみ

南アルプスの伏流水を使った香り高い珈琲を啜りながら、じっくりお気に入りの本が選べる本好きのためのささやかなサロン、ブックギャラリー&カフェ風信。現在は店舗移転の為、日々奮闘しております。書店では扱っていないような古書、絶版文庫を集めています。

2011年03月

街角のフローラ

野毛坂のヤマボウシの並木については、前に少し書いたが、冬に咲いてしまった花は寒さでそのまま枯れたようになっていたり、実をかなり大きくして青い葉までつけていた樹もあり、この春にまともな新芽が出てくるのだろうか、心配だ。
4月になろうとしているのに、この2,3日はまた、冬が復活している。
早咲きの桜や横浜緋桜、コブシは咲き出して入るが、大岡川沿いのソメイヨシノは、この寒さで少し遅れそうだ。

街中で元気の良いのは、街路樹下の僅かな土に生きている野草や舗道の端のワレメからしぶとく生えてきた野草たちだ。
この日見かけた野の花を別記してみる。

1.ハコベ(小さな白花)路地裏の空き地にニワトリが見つけたら狂喜しそうなハコベの原がある。

ハコベ


2.コオニタビラコ(黄色い小花)
3.セイヨウタンポポ(黄金花)日陰のきれいな葉はサラダに。ホロ苦味。
4.カタバミ(黄金小花)
5.ナズナ(白花のペンペン草)これも栄養の良い、花の咲く前の大株は春の味。
6.ハルノノゲシ(黄花)

ハルノノゲシ


7.ホトケノザ(極小の濃赤紫の花)
8.タネツケバナ(白花)この草も花前の元気の良いやわらかい芽がおいしい。酒の友。

タネツケバナ

9.スズメノカタビラ(白・草色)
10.カキドオシ(淡薄紫)これも食べられるが頼りない味。
11.ハルジオン(淡ピンク〜白)これも食べようと思えば食べられるが・・・。
12.ナガミヒナゲシ(オレンジ色の花)

ナガミノノゲシ


街中の野草は食べる気にならないが、郊外の里山から、春の摘み草のシーズンはもうすぐそこに。
当店では野生の花のボタニカルアート絵ハガキを数多く発行しています。
2.3ご紹介します。
各5種入り、500円

山の花


高山の花


スミレ

ビルの消えた風景と路地裏のパンやさん

昭和初期に建った伊勢ビルは大丈夫だっただろうか。
気になって伊勢佐木町の入口まで行ってみた。

伊勢佐木町絵ハガキ


1階にある珈琲豆の南蛮やは営業中でさぞかし怖かっただろうが、ビルは何の被害もなく立っている。
まあ、震度5強で崩れ落ちてしまったら、大震災後すぐ建てられたモダンビルの意味を問われてしまう。
最新のミューゼ川崎シンフォニーホールの天井化粧板が、ほとんど落ちてしまったのはどういうことか。
被害はかなり深刻で、9月までは大ホールが使えないらしい。

伊勢ビルから伊勢佐木町へ入ると、すぐ野澤屋ビル(のち松坂屋)のない広い空間が、間が抜けていて気分が悪くなる。
この空間を埋めるのは建築家として相当の覚悟が要る。
2階建ての仮住まいのようなスーパーでは、とても持たないだろう。

これと逆に、鶴見駅ビルの消えた空間は、ちょっと新鮮な風景だ。
目障りな新しいビルの東進ゼミの看板はじゃまだが、総持寺の緑色の大屋根が望まれ、その前を鶴見線の電車(チョコレート色のクモハ型でないのが残念だが)が出入りするのが良く見える。
新ビルができるまでの期間限定の眺めだ。

RIMG0387トリミング


こぶしの花の咲き出した伊勢佐木町を逃げるように帰る。
野毛の入口は都橋。
こぶしの白い花が浮かんでいるように見える大岡川のユリカモメの群れ。
すぐ、上流の宮川橋に移ると、トンビ、カラス、ユリカモメの乱舞
頭のすぐ上をカモメが飛び交う。
都橋のすぐ手前の動物病院には犬を連れた人たちがたくさん並んでいる。
ペットにも自身に動揺する主人の気持ちが伝わってしまうのか?わからないが
ただ、単に休み明けだからだろうか。

カクテル・バーの多い野毛でも酒瓶が落ちることはあまりなかった。
コンビニやドンキホーテも照明を暗くして営業している。
ファストフード店も7時頃には閉店していて少し寂しい風景だが、パンや米の消えた街では、自前の手作りパン屋さんは大人気だ。
小さなパン屋さん「キムラヤ・ベーカリー」の主力はコッペパン。
昔懐かしいジャムやピーナッツバターなど、希望によってその場ではさんでくれる。
シングル・ダブルの量もバーと似た方式。
小生の好みは、これまた懐かしいチョコ・アン・クリームの三色パン。
当店近くには雑誌などでいつも紹介されているコティベーカリーがある。
シベリヤ(カステラ状のもので羊羹をはさんであるお菓子)の有名店。
もうひとつ、揚げたてコロッケを細切りキャベツではさんだコロッケパン専門店?もある。
こんな店が残っているのが野毛の面白さだ。

脱線続きで、また肝心のことを書く紙幅が亡くなった。
先週載せられなかった地震本を4冊。
いずれも中公文庫。
1.「三陸海岸大津波」吉村昭(初版は昭和45年)

三陸海岸大津波

2.「大震災から家族を守る」荒川じんぺい

大震災から家族を守る

3.「活断層と地震」金子史朗
4.「震災の生存術」柘植久慶

特に吉村昭の本は文春文庫の再発刊もあり、必読本。
世界一の津波頻発地帯・三陸下に女川と福島第一・第二の原発がある現実。
明治29年の大津波でも10〜15メートル(湾の形によって最大24メートル)といわれているが、原発側が想定津波5〜6メートルとした理由が知りたい。

マグニチュード9と訂正された東日本大震災

当店の書棚は連結して、天井に突っ張り板で支えているので被害はなかったが、、長く続く揺れに少々あせった。
超高層ビルがどれほど長く揺れたことか、思わず店前の路地からランドマーク・タワーが立っているのを確認したほど。
中央図書館の書棚からは、本が次々と飛び出し、床をうずめ、土曜日は休館となってしまった。
区の18の図書館も同じく翌日は全館休みとなったようだ。
本屋(図書館も)も酒屋も自身には一番弱い商売だ。
これで、津波でも来たら、本は全滅だ。
貴重な資料を多く持っている中央図書館が、野毛山の高台にあることは救いだ。
開港資料館や横浜美術館が心配だ。

ここで、岩手県三陸海岸沿いの大槌町のニュースが飛び込んできた。
町民1万5千人のうち、町長も含む1万人以上と連絡がつかないという。
町の機能が全滅状態で、これまで被害を発信できなかったのだろう。
リアス式海岸で有名な三陸海岸から少し入った盆地状の町、中央に川が流れその周辺に街が広がる小規模の町が心配だ。
市役所や公共施設が中央に集まり、津波が来ると空中都市となってしまう。
山田町もほぼ水没、陸前高田市も壊滅状態、市役所の3回まで津波が達した。
宮城県女川町も全体が冠水、町役場屋上まで水没。
町の災害対策本部も機能できず、避難場所も水没という町も多い。
南三陸町も市役所機能が壊滅状態、住民1万7千人近くが行方不明という。
津波が来るとされる川沿いの盆地上に発達した町は、川の土手を越えた水の排水ができないと、街中が冠水に埋もれてしまう。

町役場(防災本部)と公の機関、学校などの避難所は城下町のように高台を作ってしっかりとした建物を作らないと町の防災拠点がなくなってしまう。
何度か、津波にあった三陸地方にしてこの被害。
恐ろしいことだ。
広域大震災が起こると、小さな村や町が忘れられたような孤立状況になるのが怖い。
この日本にも、乗客を乗せた列車と連絡がつかず行方不明という事態が起こることを知った。

津波防災シュミレーションは各市町村に作られていなかったのか、どうか気にかかる。
気象庁の地震観測も停電があるとデータが絶たれてしまうという意外な危うさ。
直前の警報も今回は出なかった。

もう一つ恐ろしいのは、原発ニュース。
政府も東電も必死に軽度の放射能漏れを言うが、津波によって多重防護システムが機能せず、自動停止した原子炉の炉心を冷却できないという、制御不能状態。
こんなお粗末なバックアップで原発が動いていたとは!
地震も津波も起こる海岸に作った原発が、「想定外」では済まされないだろう。
オール電化など宣伝していた東電が、電力消費半減など呼びかけている図は滑稽すぎる。
これを書いているうちに菅首相の「計画停電」への国民へのメッセージが出た。
東電と、お雇い専門学者の罪は深い。

「食の堕落を救え」「歩く胃袋」「走る酒壺」小泉武夫の本と、辰巳芳子「いのちの食卓」について書く予定だったが、書けなかった。

「元町オザワ」の流儀

洋服縫製技術の発祥の地は、東海道神奈川宿にある成佛寺といわれている。
ここに住んだアメリカ人宣教師ブラウンの妻エリザベスは、持参した裁縫ミシンで日本人に縫製技術を教えたとされている。
アメリカでミシンが作られはじめたのが1853年頃。
その数年後、最新式の縫製ミシンが持ち込まれ、足袋職人から転身した沢野辰五郎がブラウン夫人の助手として雇われ、日本人として最初の洋裁技術職人となった。
又、1863年(文久3年)には英国人ピアソン夫人が、居留地九七番館にドレスメーカーを開業した。
今は馬車道にある洋品店「信濃屋」も、1866年(慶応2年)に弁天通りに開店した。

それから50年以上、関東大震災で壊滅した横浜、輸入品を扱っていた弁天通り、元町のお店は瓦礫の山と化した。
外国人経営の店は、ほとんど神戸に移ってしまう。
「横浜元町オザワ洋装店物語」の主人公小澤健次郎さんが、婦人服の名職人を輩出した老舗「大津洋装店」に奉公にあがったのが昭和6年。

横浜元町オザワ洋装店物語


この頃には元町も復興しはじめ、今も健在の喜久屋洋菓子舗、ミハマ商会、森兄弟商会(靴屋)、竹中商店(家具)、ヨシタニ洋家具店など次々に開店している。
「大津洋装店」は、大正3年創業のオートクチュールの名店。
ここで洋服縫製技術を修業した職人たちも、やがて戦争の波にのみこまれていく。

再び今度は戦火で壊滅した横浜。
元町も元町公園プール周辺の一部を除いて焼失した。
その後の元町の復興はすばやい。
焼け残ったミシン二台で「フクゾー」が開店、大津洋装店も再開。
健次郎さんもここで見習い中の美登利さん(のちに妻となる)と出会うことになる。
オザワ洋装店は昭和33年3月3日に開店した。
この当時の元町で一番多かったのが洋装店だ。
大津から独立した人、ミハマ関係者など、仕立て中心の店が多く、外国人のお客が多かった。
(チャーミングセールが始まったのが昭和36年)

「洋服ファッションを知るには元町に行け」といわれた時代。
元町の小さなオーダーメイドの洋装店「オザワ洋装店」の物語。
ハマトラが流行って、その中心となった「フクゾー」の前、森ブラザーと匠沢レース店にはさまれた小さな店は開店50年をこえて、表通りでは唯一のオーダーメイドを手がける婦人服のお店となった。
健次郎さんが亡くなり、長男徹さんと妻三千代さんが「良質の生地、ていねいな仕立て、職人は少しでも手を抜いたら終わりなんだ」という、健次郎さんの志をついで店を守っている。
「オザワの服は10年着てもボタン一つゆるむことがない。20年・30年たってもいい生地は色あせることもなく、風合いを保っている。」という定評は生きつづける。

横浜の名店について書かれた本はもう一冊、「よみがえった老舗料亭」。
横浜駅を望む神奈川宿台町の、「田中屋」(文久3年創業の横浜で一番古い料亭)の物語。
この本もお薦め。

よみがえった老舗料亭


おまけにもう一冊、これは横浜ではないが、新宿駅にあった小さなパブ「ベルク」の本。
この本はベストセラーに近づいているという。
ベルク・スタイルを忘れられない人たちが多いからか。
ここに学ぶ若い経営者たちにも人気だという。
この三冊は当店の常備本としよう。
今月の「YOKOHAMA SEASIDER」に当店が紹介されています。ご覧ください。
プロフィール
ウェブサイト
お店のウェブサイト
http://home.netyou.jp/33/fushin/
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