図書館のねずみ

南アルプスの伏流水を使った香り高い珈琲を啜りながら、じっくりお気に入りの本が選べる本好きのためのささやかなサロン、ブックギャラリー&カフェ風信。現在は店舗移転の為、日々奮闘しております。書店では扱っていないような古書、絶版文庫を集めています。

2011年06月

健在!ホテルニューグランド

ホテル、ニューグランドは横浜市民にとって特別なホテルである。
その5階のルーフガーデンで食事ということになれば、一大事件ということになる。
大人はネクタイ姿、子供とて晴れの服装をしなければならないぬ。
野澤屋や不二家での食事とは比べられぬ特別の日となる。
眼下に広がる山下公園や船をのんびり眺めている余裕はない。
のちにできた階下の喫茶ルームにしてもどことなく重厚な気配も漂うが、ずっと気分はくつろぐ。
スウィーツはもとより、カレーライスだけでも薬味はたっぷり、シュリンプはゴロゴロで贅沢な気分が味わえる。
創業当時の料理長サリー・ワイルの伝統は、今も「シュリンプ・ドリア」として味わうことができる。


このホテルは大震災復興のシンボルとして、横浜の財界政界が総力を挙げて作ったものだ。
(大正15年 設計・渡辺仁)
昭和の横浜市民にとっては自慢のホテル。
昭和30年〜40年代の横浜観光名所は山下公園と大桟橋、マリンタワーくらいだからこのホテルはその真ん中に立っている。
船が海外旅行の中心であった華やかな時代の雰囲気がこのホテルには
ホテルマンにとっても、あこがれのニューグランドは、料理人にとっても特別な存在だった。
ホテル料理人は帝国ホテル系、ニューグランド系、神戸オリエンタルホテル系などがあるが、サリー・ワイルの弟子たちが圧倒して全国のホテルやレストランに散っているという。
神田小川町の洋菓子店「エス・ワイル」も、むろん師サリー・ワイルの名前から来ている。

ヨコハマ生まれの作家大佛次郎は昭和6年ころから10年間もこのホテル(318号室)を仕事部屋にしていたが、このホテルの2階のロビーをことのほか愛していた。

大佛次郎


正面玄関を上がったロビー入口。
このホテルのシンボル。
「五十年史」の表紙も飾っている。

ロビーへの階段


このロビーも、戦前はダンスパーラーやジャズバンドで賑わったレインボールームもシーガーディアン(現シーガーディアン供砲發修里泙淹弔辰討い襪里うれしい。

ミスター・シェイクハンド野村洋三会長(この人と「サムライ商会」についても興味深い)もサリー・ワイルも、そして戦後の接収期のマッカーサーも大佛次郎も亡くなったが、このホテルはその名残を今でも味わえる貴重な場所になっている。

大佛の愛したカクテル「ピコンソーダ」も石原裕次郎や松田優作が飲んでいたシェリー酒「ティオペペ」もシーガーディアン兇如△修里泙淕わえるし、「天狗の間」も「マッカーサールーム」も健在だ。
新館ができても、この貴重な場所をそのまま残しているホテルニューグランドに敬意を表したい。
この旧館が無くなったら良き時代のヨコハマともおさらばだ。
大切にしたい。


ホテルの本は類書がいろいろあるが、明治のホテルの古写真を集めた「明治フラッシュバック・ホテル篇」(筑摩書房 1988年刊)が面白い。

明治フラッシュバック


横浜のグランドホテルをはじめ富士屋ホテル、オリエンタルホテル、トーアホテル、帝国ホテル、長崎ホテル、奈良ホテルなど珍しい写真も多い。
写真は屋上に港の見えるルーフレストランが開かれていた1930年代のニューグランド、同じく地下にキャバレーを新設した1934年代のニューグランド。

ルーフガーデン


キャバレー

当時としては最初の本格的キャバレー。
女性のジャズバンド演奏もあったようだ。



先週を持って当店のフランス語講座は終了いたしました。
長い間、ありがとうございました。

小さな美術館が欲しい。音楽ホールも演劇ホールも植物園も小さなものが…。

ここ下野毛にツバメがやってきていた。
いつものようにJRAビルの裏、空き地はマンションが建ってしまったけれど、1Fの駐輪場は扉がないので、ツバメの住み処にはピッタリだ。
よい場所を見つけて、巣作りも終わっているようだ。

梅雨のつかの間の晴れた日に、馬場花木園(鶴見区馬場町)をのぞいてみる。

花木園


この辺りは大きな農家や地主が緑地や農地を守ってきたのどかな場所であったが、今やすっかり住宅で囲まれてしまった。
わずかに残された緑地の一つがこの庭。
今は横浜市が管理している公園のひとつ。
ガマやハスがある池を中心に花菖蒲や山野草、花木など身近に見ることができる。
花菖蒲は見頃、ハスは蕾をのばし始めている。
もうすぐ、早朝のハスの花見会も始まるという。
散歩の一休みにはここの東屋がちょうど良い。
子どもの鬼ごっこをして遊んでいる声が目立つほど静かな貴重な場所になっている。
(貸しお茶室あり)
ここで、仲々花を近くで見られないタイサンボクの大きな白い花もじっくり観察できた。

タイサンボク


高木で高く咲いている樹だが、ここでは手の届く低い枝先に咲いている。
この花も一日限りの花、すぐ純白の花びらは色が変わり、地面に散ってしまう。

横浜美術館の「プーシキン美術館展」は、東日本大震災の原発事故によりロシア連邦文化省の貸し出し許可が下りずに、突然の中止となったが、自前のコレクションによる「長谷川潔展」が始まっている。
(今月中旬まで)
当店近く、西区御所山生まれ、少年時代を横浜で過ごした長谷川潔の展覧会は気軽に行けるようにして欲しい。
大きな美術館の企画に乗らない小さな展覧会が見たい。
散歩の途中にちょっと寄れるような小さな美術館、音楽ホール演劇ホールが欲しい。
戦後の昭和26年、日本で初めての近代美術館は横浜を予定していたが、進駐軍の土地接収などで良い場所が見つからず、鎌倉の八幡様の源平池の畔に作られた。
板倉準三計画のモダン建築の代表作だ。
この規模のものが欲しい。
場所はむろん野毛山公園、・・・植物園でも可。
建築費は横浜美術館の数分の1、7000万円。
イタリア中部地震で被災したラクイラに、日本が建設費を負担して作ったコンサートホールは220席の美しい建築。
設計は建築家坂茂氏、紙製パイプを組み合わせたユニークなものだ。
建築費は70万ユーロという。

今週は、日、月、火(19〜21日)お休みさせていただきます。
22日(水)より営業。

鎮守の森を生かした現代の森づくり

この野毛付近のシンボルツリーはどの木だろうか?
というと、すぐ思い浮かぶのは、平沼邸跡のタブノキだ。
最近きれいに散髪(剪定)されて迫力はいくらか減じたが、幕末に開通したすぐ横の横浜道が通る前の、野毛山の植生を示す貴重な生き残りに違いない。

タブの木


シンボルツリー・タブの木


明治の古い写真にも登場する立派な石垣上の土手に、ただ1本残された王者の風格。
すぐ隣の野毛山公園のスダジイの森と繋がった険しい海岸線沿いの照葉樹林帯が、この土地本来の江戸時代からの森だ。
(昔は隣の成田山から下は、切り立った海岸の崖地であった)

このタブノキは浜離宮にも200年を超える大木が多く残されているが、東日本の海岸線を北上し、太平洋岸では釜石まで伸びているという。
海に近い鎌倉の寺社はタブノキの宝庫だ。

この古来から続いた、その土地の森を再生する仕事を続けているのが、横浜国立大学の宮脇昭さんだ。
「日本一多くの木を植えた男」と言われた宮脇さん、日本の潜在自然植生を調べている森林研究者。
その代表作が「日本の植生」(講談社学術文庫)
この本は、全10冊に及ぶ「日本植生誌」(第1巻の屋久島から第10巻沖縄・小笠原まで、日本列島のすべての植物群落を体系化した学術書)のエッセンスを1冊にまとめた一般書。
その土地本来の植生をタイムカプセルにした鎮守の森の重要性を広めた文庫本、「鎮守の森」(新潮文庫)もあり。

鎮守の森


大分にある新日本製鐵所の森づくりをはじめとして、世界中で森づくりをしている宮脇さんだが、手近ではゴルフ場だった現在の横浜国大正門の環境保全林も氏が作ったもの。
学校や道路沿いなどどんなところでも、森づくりはできる。
ドングリからポット苗を作り、その土地にあった植物を組み合わせて植えていく。
森の下草にも注意を払って、自然の森に近づけていく。
海岸沿いはタブノキ、尾根筋にはシイ、内陸は関東ではシラカシ、アラカシ、ウラジロを植えて、それを支えるヤブツバキ、モチノキや低木のアオキなど、自然の掟に従って混植・密植していく。


この宮脇さんが、今後取り組む一大事業は、東日本大震災の防潮・防波堤の森づくり。
大量のガレキを使った、渾身の森づくりが実現できるかどうか。
行政はコンクリート作りの堤防を考えるのだろうが、関東大震災のガレキを使った山下公園のように、ガレキを使った堅固な森づくりは可能だと思うが、どうか。
特に、ただ1本を残して消えてしまった陸前高田の海岸線の松林は、ガレキを有効に使った防災を兼ねた森林づくりを活かしてもらいたい。

自転車が堂々と歩道を走っているのは日本だけだが…

街歩きで聞きたくないのは、ゲームセンターの大騒音。
見たくないものは数々ある。
列記してみると
1、猫除けのペットボトルの列。
 (最近やや少なくなってきたが、効果はあるのか。)
2.つぎはぎだらけのパッチワーク状のアスファルト歩道。
 (いつか書いた横浜市の問題だ。) 
3.店頭の宣伝用の旗とそれを立てる物体
 邪魔で汚い。何という名前がついているのか。
 (最近やたらと宣伝用旗が目立ってきて街が汚い。旗やのぼりはお祭りや相撲・芝居小屋だけにしてもらいたい。)
4.光でちかちか光る文字入り看板
 (目立つだけで、だれも見ていないだろう)
5.自販機に占領された店頭
 (やる気のない店は早く撤退してもらいたい。)
6.歩道に向けられたエアコンの室外機
 (失礼でしょう。福富町の屋根上にズラーッと並んだ室外機は壮観だった。)
7.灰色のブロック塀
 (猫の通り道にはなるが、ブロックはせいぜい腰の高さ程度にしてほしい。ほかの素材はいろいろあるだろうに。赤瀬川源平さんなら、風通し用に使うブロックデザイン(ふつうは波型)の文様にもおもしろがるだろうが・・・。)
8.灰色のシャッター
 (場末の商店街でもあるまいし、また、デモ隊の透析除けでもあるまいし。表通りに灰色シャッターは似合わない。日ノ出町付近では絵を描いている。

犬シャッター


太陽シャッター


9.ゴミ収集車が残したごみ袋がさらし者になっている光景
10.歩道の白いガードレール
 (山道の危険防止のガードレールでもあるまいし、街中ではもっとデザインも色もスマートなものにしてほしいと思っていたが、近ごろグレーの新しいデザインのものを見かけるようになった。道路局もやっと町の美観に気を使うようになったらしい。
11.ドンキホーテの店頭
商品や宣伝ビラをべたべた貼って見苦しい。
(ドンキ式は店内だけにしてほしい。)


・・・書けばきりがないのでこのくらいにして、町歩きに危険なのは自転車。
野毛坂ではスピードが出ているので、凶器となる。
自転車は歩道通行と勘違いしている人もいるようだ。
自転車安全利用五則の第一はあまり浸透していない。
「自転車は車道が原則。歩道が例外」
道路交通法上、自転車は軽車両という位置づけ。
車道と歩道と区別があるところでは、原則として車道を通行すること。
むろん飲酒運転禁止。
やむを得ず、歩道にでるときも、車道側を徐行(すぐできる速度)
歩行者優先が大原則。

子どもを自転車の前と後ろに乗せたお母さんが、坂の歩道を駆け下りてくる。
スーパーの大きな袋を載せて、チリンチリンと歩行者をよけさせて堂々と走ってくる自転車。
ある時は歩行者として、ある時は車両として、信号では泊まることのない自在の運転をする若者たち。
危険この上ない。
歩行者にとっても当人にとっても恐ろしいことだ。


子どもや高齢者に接触したら、大事故になってしまう。
舗道上の事故は全面的に自転車側の責任となる。
死亡事故など大事故には5000万や1億を越える高額な賠償になることを知っているのだろうか。
盗難防止保険に入っていても、事故の保険に入っていないのが大部分だから、それはそれは恐ろしいことだ。
省エネ、自転車通勤や通学が帰宅困難問題もあって、このところ自転車は売れに売れているようだが、販売店には自転車ルールを教えること、損害賠償の着いた整備・点検シール、TSマークをもっと普及してもらいたい。
(2000万円まで補償)
無灯火、携帯をかけながらの自転車走行は論外としても、雨中の傘さし片手運転も、3ヶ月以下の懲役、または5万円以上の罰金となります。
携帯をかけながら歩いている歩行者(これは無論OK!)もいるのだから、ご注意。
プロフィール
ウェブサイト
お店のウェブサイト
http://home.netyou.jp/33/fushin/
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