図書館のねずみ

南アルプスの伏流水を使った香り高い珈琲を啜りながら、じっくりお気に入りの本が選べる本好きのためのささやかなサロン、ブックギャラリー&カフェ風信。現在は店舗移転の為、日々奮闘しております。書店では扱っていないような古書、絶版文庫を集めています。

2011年10月

秋の野の花は・・・

山麓の雑木林もすっかり秋らしくなった。
コナラもクヌギも葉を半分落として、日差しが林床に差し込んでいる。
秋の野の花たちが最後の輝きを見せる季節となった。
春から夏にかけてワラビを沢山採った林は、アカマツの大木がすっかり切り倒されて、ヒノキの苗が植えられている。
まだ、30僂らいの苗木だから、数年は草刈りをしてススキの原に隠れぬようにしなくてはならぬ。
ワラビの葉は大きく育ち、黄葉も始まっている。
ここ数年は、未だ、野の花が生き延びるだろう。

毎秋、小径の縁に顔を見せるセンブリの(リンドウ科の薬草・苦味健胃剤)の可愛い花も健在だった。

センブリ


ほんの10僂らいの草丈だが、びっしり花をつけて、ルーペでのぞくと小さな白い花びらに、紫紺の筋がくっきり入って、仲々格調あるデザインだ。

思いがけず紫の花が目立つのはヤマハッカ。(シソ科。花はラベンダーのよう)

店内ヤマハッカ


1本1本は小さくて目立たないが、群生すると、アキノキリンソウの黄金色と相まって美しい秋の風景。
これに、ヨメナ、ノコンギク、シラヤマギク、コウガギク、リョウノウギクなどの野菊とススキ、ワレモコウ、リンドウが加わって、屏風に描かれた日本の秋の花野そのままが、まだここにあるのがうれしい。


前に取り上げた槇野あさ子さんの「山の花里の花」(朝日新聞社賞60年刊)にはヤマハッカ、ノギク、エノコログサの花束が、天日干しの稲にくくられている。
空をバックにしたヤマハッカの小さな花は良く見えないが・・・。

ヤマハッカ


「柳宗民の雑草ノオト」´◆閉日新聞社刊)は、日の当たらない雑草たちにスポットを当てた珍しい植物のエッセイ集。

雑草ノオト


キキョウ、ツワブキ、フジバカマ、ニリンソウ、アマナなどは路傍の雑草たちばかりの中で、居心地悪そうだ。


今週のお店は秋の野の花が飾られています。

秋の花いろいろ


ヤマハッカもセンブリも見に来てください、あと、数日の命ですから。

熊野のことなど(2)

熊野山中における土砂崩れによるセキトメ湖は、今だそのままの状態が続いているようだ。
深い渓谷沿いの道は他のルートもなく、住民たちは寸断されたところは急ごしらえの道を歩いて、バスを乗り換えなければならない。
ダム湖決壊の恐れは、まだ、ある。
世界遺産の熊野古道も通れなくなった部分がかなりあるようだ。
熊野本宮への古道は舗装道路も通らねばならない。
元々、本宮は川の中州にあったが、明治の水害後に高台に移されたので、被害は少なかった。
前に熊野について書いたとき、宇江敏勝さんを十津川の人のように言ったが、正しくは、本宮近くの和歌山県中辺路町がお住まいだ。
近年は熊野古道のガイドもされているようだが、もともとは林業の山小屋を住居として十津川周辺を植林・造林、一時は炭焼きもしていた。
まさに、熊野・吉野の山人と言ったらよいでしょうか。

第1作「山びとの記」(中公新書)には、山の暮し、労働、自然など詳しく丁寧に描かれている。

山びとの記


チェーンソーと振動病についても、その本で初めて知った。
また、「木と人間の宇宙」という副題のついた「若葉萌えいづる山で」「青春を川に浮かべて」の2部作(福音館日曜文庫 1987年刊 小生手持ちの本には、人柄そのままの実直そうな字で署名が入っている。)は、挿入写真も多く、より具体的に林業を知ることができる。
日記形式に開き書き(伐採夫、筏師、材木商)を挟んだ貴重な仕事で、日記部分は同人雑誌「VIKING」に発表されている。

若葉萌いづる山で

青春を川に浮かべて


このVIKINGは関西の同人誌の雄、最も長く続いている有名な同人誌だが、これを主宰したのが大阪・茨木から離れなかった富士正晴さん。
多くの作家がこの同人誌から巣立った。

同じ和歌山県出身の津本陽もその一人。
近ごろは剣豪作家のように思われているが、(氏自身剣道をよくする人だが・・・)そのデビュー作「深重の海」(新潮社)は熊野・太地調の古式捕鯨が滅びる話。

深重の海


この小説もVIKINGに掲載された後、直木賞を受賞した。
VIKINGや富士正晴さんについては書くことが多く、別の機会に。

「山びとの記」には、「山裾やサコなどの肥沃地には杉を植え、稜線や頂上近くには乾燥や痩地にも強いヒノキを植えた」とあるが、なるほど、熊野山地の渓谷沿いはスギの林ばかり目立つ。
奥地に残された自然林も戦後次々と皆伐、植林されスギ林となった。
このことと今夏の土砂崩れは関連するのか、深層崩壊は大雨だけが問題なのか、自然林にも崩壊があるのか、知りたい。

消えた「原っぱ」

店前のコスモスに緑の小さなおんぶバッタがしがみついている。
ツタや朝顔をすっかり取り払ってしまったので、店前のグリーンはコスモスの鉢植えだけになってしまった。
今年生まれたバッタは、過酷な環境に戸惑っているに違いない。
すまん、すまん!と言いながらよく見ると、もう1匹、白い身体の中型のメス?もいる。
壁面の白に合わせたようだ。

昔は…、と言っても昭和30年代だが、街中にも「原っぱ」と呼ばれた閑地(空地)がどこにでもあった。
隅の一部は材木やマンホールなど資材置き場になっていたが、大半は子どもたちが自由に遊べる空間になっている。
子どもたちは学校を終えると、みんなここで夕暮れまで遊びまくった。
男の子は三角ベース、相撲、チャンバラ、カンけり、メンコ、ビー玉遊びにホンチや陣取り合戦。
女の子はなわとび、ゴムとび・・・よく知らない。
子ども相手の紙芝居もポンせんべい売りも、ねんど細工屋(何と呼んだのか?ねんど型と金・銀粉など売り、子どもたちが作った芸術性?によって少しずつ大きな型をくれた)もやってきた。
隅の草原には大きなショウリョウバッタが住んでいて、子どもたちが草原に駆け込むたびに大ジャンプを見せてくれた。
今頃にはクツワムシやキリギリスの大合唱になる。
未だ空き地の雑草に苦情などは怒らない時代だった。

街歩きの達人・荷風がすでに「日和下駄」の一章に「閑地」を加えているように、街の貴重な空間「原っぱ」が消えていくのは、昭和40年代からだ。
土や草を嫌う現代の空き地は、すべてアスファルトや駐車場と化してしまった。

小生の知っている「原っぱ」というタイトルの本は2冊ある。
池波正太郎「原っぱ」(昭和63年・新潮社)には、地上げ屋による都会の空地消滅と、郊外に移らざるを得なくなった小さな店主の憤りが小説の背景になっている。

原っぱ


もう1冊、絵本「はらっぱ」(西村繁男(画)・神戸光男(文)童心社・1997年刊)は、戦前―戦中―戦後―現代と同じ原っぱの60年の変貌を鮮やかに描き出してくれた労作。

はらっぱ


いつもながら、西村繁男の丁寧な仕事ぶりには驚かされる。
「やこうれっしゃ」も、「おふろやさん」も、「にちよういち」も、「なきむしようちえん」も、「原爆」もすべておすすめの絵本だ。

耳庵ふたたび

都会の自然は、古い墓地の斜面やマンション開発のできなかった崖にわずかに残されている。
ここでは、ワレモコウもツリガネニンジンもまだ無事だ。
ヤマブドウの実も黒く熟してきたが、もう少し寒くならないと甘味は出てこないだろう。
ツクツクボウシの最後の鳴き声のなか、アキアカネもしきりに飛び交って、ようやく秋らしくなってきた。
ツクツクボウシはおそい新記録では。

ところで、先週の続き、小田原の耳庵が手に入れた「釈迦金棺出現図」だが、これは古美術商「瀬津雅陶堂」の井上氏が、「世間がアッというものを探してこい」と耳庵に依頼され、持ち込んだという。
昭和34年、耳庵は「松永記念館」を作ったが、まだ、展示品の眼玉がなかった。
根津といえば「那智滝図」、五島といえば「源氏物語」といわれるように、松永といえば「釈迦金棺出現図」といわれるにふさわしい名品と、井上は説得したという。
(耳庵こぼれ話・井上康弘「芸術新潮」収蔵)

この名作を入手した昭和36年から昭和40年代初め頃が、耳庵得意の絶頂期だろう。(昭和46年95歳で逝去)
この耳庵の最晩年に、美術系の出版社に入ったばかりの新米若造の小生、会社のハイヤー流れの真っ黒な大型グロリアを乗り回していたので、社長と美術史家S氏の小田原行きに声がかかった。
「釈迦金棺出現図」が見られるという話に、すぐ運転手としてOKしたが、行先は電力王と言われた小田原板橋の松永安左エ門の屋敷だった。
目の前で繊細な截金(きりがね)文様を用いた釈迦や摩耶夫人の衣文、どこの小さな部分を切り取ってみても第一級の絵画とわかる、平安仏画の名品。
まだ、一般に公開していなかった名品を目の前で堪能する至福の刻。
ジオットやダ・ヴィンチの「受胎告知」もかなわない精緻・繊細さ。
三渓・原富太郎が最大評価していたこの平安期の仏画を手に入れたことで、耳庵の茶人・コレクターとしての評価は鈍翁・三渓と並ぶまでに上がった。
この3人を結ぶ茶室が、箱根・強羅の茶室「白雲洞」。
この茶室は鈍翁が持っていたが三渓へ譲られ、そして耳庵のものとなった。

鈍翁・三渓・耳庵の3人とも、伝記を書いたのが「真贋」(日本エッセイストクラブ賞)で美術界に登場した白崎秀雄。

鈍翁



三渓


魯山人の伝記もある。
「鈍翁」も「魯山人」も中公文庫に入っている。
耳庵のコレクションは、ほとんど故郷の福岡市美術館に移っている。

「釈迦金棺出現図」だけは、京都国立博物館にある。
(元々、ここに寄託されていた。)
この絵の寸法は160×229,5僂梁膕萍漫
耳庵が眺めている写真があるが、少し上にかかっているとはいえ、耳庵の背丈を大きく超え、仰ぎ見るようにしている。
小生にはこんな大画面の印象がないのは、どうしたことか。
細部ばかり見ていたためか?
今も、疑問だ。
杖を持った耳庵の写真をよく見るが、小さな人ではない。
それにしては絵が大きすぎる。
写真のマジックか。


この土日は、野毛は大道芸で騒がしかったが、9日(金)夜は「流し芸」が始まる。
柳通りは新内と三味線の音であふれることでしょう。

プロフィール
ウェブサイト
お店のウェブサイト
http://home.netyou.jp/33/fushin/
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