ハマは海と運河・川に囲まれた水の街ともいえる。
海に面した江戸の下町や大阪も水都であったように。
江戸は、隅田川と日本橋を中心に、人口の水路が街を巡り、物資が集まった。
例の荷風「日和下駄」でも、「水の章」が書かれたように、江戸の名残は明治・大正まで生きていた。
日本画家・鏑木清方が綴る「築地川」も、2本マストの洋風帆船が街を行き交う居留地・築地の水都の風景が印象的だ。
運河で囲まれた外国人居留地には、白か水色の低いペンキ塗りの木柵(垣)に、紫陽花やタチアオイの花、朝顔の青い花がからんだ洋館やホテル・・・エキゾチックな明治の水都への愛着があふれている。
また、大坂(阪)は淀川、木津川、尻無川、安治川・・・と中心・船場の掘割りが流れるまぎれもない水都。
テムズ川のロンドン以上の水の街の魅力を語ったのは吉田健一であったか?
水都のメインは大川の中州。中之島公園(堂島川と土佐掘割り川に分かれ、安治川で海へと入る)に立つと、今でもこの街の水都の雰囲気を感じることができる。
市役所、府立中之島図書館、そして、船場の相場師・岩本栄之助の寄付で建てられた中央公会堂と、街の顔が並ぶ。
大阪初のビアホールもここだ。
大阪名物は文楽、八百八橋と言われた橋の数、(実際は480位らしいが)そして、人出の多い橋下には、巡航船の停船場があった。
また、盛り場の道頓堀では、船の上から歌舞伎役者の「顔見せ」お披露目の挨拶が、つい昭和初期までは水都の面影を残していた大阪。
盆休みには、船場の主人・番頭・小僧も「船行き」と言って、大川の舟遊び(納涼船)に興じた。
運河沿いには蔵が残り、横堀川の家は川に向かって架け出しを作り、スダレや植木鉢を並べて涼んだ。
この水都も、戦後はその掘割りはほとんど埋め立てられてしまった。
最後に浪花・大坂の交通の要衝「四つ橋」の図を紹介したい。
「すずしさに 四つ橋を よつわたりけり」の来山の句碑が立つ大坂名所であり、夏の涼味を感じる俳人たちの大切な場所であった。
孟蘭盆会の夕方には、この橋から精霊船が登りを点滅させて流れる光景を見る人々で賑わったというが、(ここも大正時代にはビアホールもあったようだ)今は、何の風情もない場所になってしまったのが惜しい。
「摂津名所図会」の四つ橋図は、当時の様子を偲ぶことができる。

大阪のヘソ・船場については、宮本又次の名著「船場」(ミネルヴァ書房・昭和35年刊)がある。

鏑木清方のエッセイは岩波文庫の随筆集「明治の東京」(山田肇編)が、今でも入手できる。

とうとう「川の運河」の横浜までたどり着けなかった。
次回で。
海に面した江戸の下町や大阪も水都であったように。
江戸は、隅田川と日本橋を中心に、人口の水路が街を巡り、物資が集まった。
例の荷風「日和下駄」でも、「水の章」が書かれたように、江戸の名残は明治・大正まで生きていた。
日本画家・鏑木清方が綴る「築地川」も、2本マストの洋風帆船が街を行き交う居留地・築地の水都の風景が印象的だ。
運河で囲まれた外国人居留地には、白か水色の低いペンキ塗りの木柵(垣)に、紫陽花やタチアオイの花、朝顔の青い花がからんだ洋館やホテル・・・エキゾチックな明治の水都への愛着があふれている。
また、大坂(阪)は淀川、木津川、尻無川、安治川・・・と中心・船場の掘割りが流れるまぎれもない水都。
テムズ川のロンドン以上の水の街の魅力を語ったのは吉田健一であったか?
水都のメインは大川の中州。中之島公園(堂島川と土佐掘割り川に分かれ、安治川で海へと入る)に立つと、今でもこの街の水都の雰囲気を感じることができる。
市役所、府立中之島図書館、そして、船場の相場師・岩本栄之助の寄付で建てられた中央公会堂と、街の顔が並ぶ。
大阪初のビアホールもここだ。
大阪名物は文楽、八百八橋と言われた橋の数、(実際は480位らしいが)そして、人出の多い橋下には、巡航船の停船場があった。
また、盛り場の道頓堀では、船の上から歌舞伎役者の「顔見せ」お披露目の挨拶が、つい昭和初期までは水都の面影を残していた大阪。
盆休みには、船場の主人・番頭・小僧も「船行き」と言って、大川の舟遊び(納涼船)に興じた。
運河沿いには蔵が残り、横堀川の家は川に向かって架け出しを作り、スダレや植木鉢を並べて涼んだ。
この水都も、戦後はその掘割りはほとんど埋め立てられてしまった。
最後に浪花・大坂の交通の要衝「四つ橋」の図を紹介したい。
「すずしさに 四つ橋を よつわたりけり」の来山の句碑が立つ大坂名所であり、夏の涼味を感じる俳人たちの大切な場所であった。
孟蘭盆会の夕方には、この橋から精霊船が登りを点滅させて流れる光景を見る人々で賑わったというが、(ここも大正時代にはビアホールもあったようだ)今は、何の風情もない場所になってしまったのが惜しい。
「摂津名所図会」の四つ橋図は、当時の様子を偲ぶことができる。

大阪のヘソ・船場については、宮本又次の名著「船場」(ミネルヴァ書房・昭和35年刊)がある。

鏑木清方のエッセイは岩波文庫の随筆集「明治の東京」(山田肇編)が、今でも入手できる。

とうとう「川の運河」の横浜までたどり着けなかった。
次回で。