図書館のねずみ

南アルプスの伏流水を使った香り高い珈琲を啜りながら、じっくりお気に入りの本が選べる本好きのためのささやかなサロン、ブックギャラリー&カフェ風信。現在は店舗移転の為、日々奮闘しております。書店では扱っていないような古書、絶版文庫を集めています。

2012年04月

野毛は蓮杖写真館の誕生の地だ。

「関東写真の元祖」と言われる下岡蓮杖については、長崎の写真家・上野彦馬に遠慮したためと言うが、今や東京にも蓮杖より早いプロ写真家・鵜飼玉川の営業が確認されて、横浜で初の日本人による営業写真家に落ち着いたようだ。
蓮杖の談話や伝記にもわからないことが多すぎるが、その名前のみ有名になってしまった観もある。
馬車道にある立派な記念碑「写真も開祖・下岡蓮杖碑」は、太田町の角店として新築した蓮杖の写真館近くに建てられたと思われるが、その前の弁天通りの本店の開店年代も今一つ確認が取れない。

写真館碑


ましてや、最初に開店した野毛の店の場所・年代はどうか?
最新の斉藤多喜夫「幕末明治・横浜写真物語」(吉川弘文館2004年刊)によると、文久3年3月には弁天通の店は営業していたとし、野毛の開業は文久2年松か3年の初めのころと推定。
また、文久2年初めにいったん開業したかも・・・言うが、どうか?
蓮杖が野毛で借りた、間口2件の床店、富士山型の看板に「PHOTOGRAPHER RENJIO」と掲げ、スタジオは裏庭と言う横浜初の写真店をすぐたたんで、これまた下田移住民の多い弁天通に写ったことになる。

当時の野毛は下田からの移住者も多く、にぎわい始めていた。
豆州下田から移した稲荷神社もあり、蓮杖の二女ひさの回想によると、明治35年ころ父と野毛を訪ね、そこに大きな楠がそびえていたという。
前出の開港資料館の斉藤さんの本によると、慶応年間の野毛の地図に通りの真ん中に楠があり・・・このあたりが野毛店とされているが。
確かに慶応元年〜2年刊の玉蘭斎貞秀」「御開港横浜全図」や「大湊横浜之図」のも、文久3年ころの芳員「御開港横浜之図」にも大六天楠なるものが、都橋を渡り、「子(ね)の権現」を過ぎたあたりに描かれているが、果たしてこれがその楠か?
正確・詳細な野毛の版元・尾崎富五郎の「横浜真景一覧図絵」(明治24年)には描かれていないのは、どういう理由か?
ひさの回想もあてにならないのか・・・よくわからない。
とにかく、絵地図では正確な場所は特定できないのは、確かだ。



今度の「フォトスタジオの聖地・横浜」展は下岡蓮杖開業150年記念としている。

ポスター

開業は1862年(文久2年)としている。
とにかく大正期の横浜では50もの写真スタジオが生まれ、活躍していた。
特に、写真館の立ち並ぶ明治後期から大正期の弁天通りは、魅力的だ。
また、この展覧会では、ユニークな楽しみの部屋があった。
英国領事館の一室を使った、当時のスタジオの再現。
スタジオ2スタジオ1
横浜観光のスーヴェニールにピッタリの気の利いたサービスだった。





















蓮杖再評価を迫る新発見の手彩色写真41枚を含む「下岡蓮杖写真集」(石黒敬章編・新潮社刊)が、平成11年に限定刊行されている。

蓮杖写真集

近藤勇の有名な肖像写真も内田九一の撮影ではなく、蓮杖の撮影が濃厚になってきた。
その死の年、慶応4年2月7〜10日までの横浜・蓮杖写真館にて撮影、敷物の柄が決め手と言う。



*今週末は野毛大道芸の日。ご来店をお待ちしています。

街かどに生きる花たち(春)

街では桜も散り始め、春は一気に進んできた。
八重桜が咲き始めるのも、もうすぐだろう。
自然の少ない街かどで、思わぬ可愛い花たちに出会えるのも、この季節の楽しみだ。
この日、4月13日(金)の午前中に見かけた花をいくつか並べてみよう。
石垣や歩道の片隅には、タチツボスミレ、スミレ、ニオイスミレなど、いくつかのスミレの仲間が可愛い花をつけている。
街路樹の下のわずかな土の部分はセイヨウタンポポの畑になっていたり、スギナ、ペンペン草(なずな)・ハコベ、ヨモギ、ハルジオンなどのサラダ畑状態になっていたりするのも、この季節だけだ。

においすみれ2
すみれ1

たちつぼすみれ3













この日、開店前に出かけた横浜公園はちょうどチューリップ祭りがはじまっていた
(4/13・14・15の3日間。山下公園でも「花花壇展」が始まった。こちらは、5月6日まで)

横浜公園るぴなす
花壇のルピナス

横浜の花好きにとっては、もうご存知の楽しみだとは思うが、横浜公園野草会、横浜さくら会、横浜えびね会、横浜バラ会、横浜朝顔会、横浜蘭友会、横浜菊花会、シャクナゲ協会、盆栽教会、古典植物趣味の会など、横浜中の植物団体がご自慢の作を展示、苗の即売も置くなっている。

さくらそう

えびね
いちりんそう


小生も前から欲しかった団十郎のエビ茶を少し淡くした大輪朝顔の「新団十郎」の種を入手できた。
(タネ5粒300円也)
さて、育てた花を見られるだろうか。
土曜の11:30には、チューリップに囲まれた水の広場ステージで、横浜朝顔会の「大輪朝顔の鉢作り」のオープン講座があるというが、いけそうもないし・・・。
それはそれとして(閑話休題)、シダレ桜の咲く公園を後にして、目的の開港記念資料館で開かれている「フォトスタジオの聖地・横浜」展に急がなければならぬ。
(15日で終了)

下岡蓮杖の最初に開業した写真館は野毛と伝えられているが、その場所は特定できるのか。
以前から気になっていたことを確かめたいのだが…。

鉄骨とカーヴの駅「日ノ出町駅」

京急日ノ出町の駅は懐かしい駅だ。
昭和30年代からほとんど変わっていない。
ホームが少し延びただけだ。
色タイルで描かれた三浦半島の柱もそのままだ。
野毛動物園下車駅として、子どもたちにもなじみの駅だろう。

地図柱


今日・月曜日、満開に近い桜は大岡川沿いばかりでなく、野毛山公園から、成田山経由〜伊勢山神宮に入り、掃部山公園に行くコースがおすすめだ。
この花見コースもソメイヨシノ(染井吉野)だが、野毛周辺には横浜緋桜や枝垂れの里桜もわずかに見ることができる。
中でも都橋脇の枝垂れの名木は、品種がわからないが姿の良い樹で気に入っている。
開花しだした今日の眺めをご覧ください。

枝垂桜


ところで、日ノ出町駅は、戦前当初の鉄骨がそのまま残っていて、京急の駅としては貴重な駅でもある。
プラットホームのカーヴがきつくて、電車とホームの間隔は30僂鰺イ膨兇┐襦
和服の女性や老人・子どもたちには、恐ろしく危ない駅でもある。

日ノ出町

カーヴの駅は都会ではそれほど珍しくはないが、この駅ほどのカーヴは少ないだろう。
(近くでは鶴見線国道駅も、国道15号を横切って急カーヴの駅に入る。)
このカーヴとプラットホームの鉄骨の曲線は、仲々個性的で、野毛の達人平岡正明の友人によれば、パリの〇〇という地下鉄駅に似ているというが・・・その駅名は忘れた。
(パリの地下鉄も地上に上がる駅がある)

この駅のカーヴは歴史的な意味がある。
戦前の都市近郊私鉄・湘南電鉄は1930年(昭和5年)浦賀―横須賀から黄金町まで開業していた。
この路線を、大岡川沿いに国鉄・桜木町駅に乗り入れる予定だった。
しかしどういう理由か、たぶん品川―横浜を結ぶ京急電鉄との直通運転を優先したためだと思うが、桜木町をショートカットして、野毛山をトンネルでくぐるコースに変更したため、かなりのカーヴ駅がトンネル直前に作られたのであった。
日ノ出町駅の開業と直通運転は、昭和8年。
湘南電鉄と京急電鉄との統合、京浜急行となるのは戦後のことであった。
桜木町駅まで乗り入れる高架線コースは、俯瞰による観光地図の名手・吉田初三郎による「湘南電鉄沿線名所図絵」(横浜開港資料館蔵)で見ることができる。

桜はまだかいな?(本日は桜の開花日と言うが…)

本日の定休日(2日)はコーヒーに使う水を採りに、山梨県北杜市白州町へ行って来る。
日帰りUターンはもったいないので、火曜日は臨時休業。
この季節、南アルプス山麓はフキノトウが顔を見せる頃、ツクシはもう少し後か。
山麓の春は2週間遅い。
カラマツの柔らかい新芽を見られるのも、もうすぐだ。
今月中旬ともなれば、小淵沢の枝垂れ「神田桜」も、日本最高齢(樹齢2000年は少しオーバーと思うが)と言われる武川町の江戸彼岸「神代櫻」も咲き始めて、山麓の春が訪れる。

津波の最奥到達ラインに沿って、寿命の長いエドヒガンやシダレザクラ、オオシマザクラ、寒さに強いオオヤマザクラなど(今はやりのソメイヨシノは100年ももたない、5〜60年で樹勢が衰える)を植えて、一目で津波がきた地点がわかるようにするプロジェクトが、陸前高田を中心に動いている。
日本さくらの会も支援しているようだ。
明治の三陸大津波時には津波の襲った到達点にりっぱな石碑が建てられた。
後世の人たちに残した貴重な伝言であったが、立派な堤防の整った宮古の人たちには、堤防の安全神話が逆に避難を遅らせた。
各村に残る碑のことば、「地震が起きたら、ここより少しでも高いところに逃げよ」という明治の被災者たちの思いは届かなかった。
その碑の存在さえ知らない若い住民も多かったようだ。

仙台でも、「津波は貞山堀を越えない」という安全神話がじゃまをして避難を遅らせた。
石巻の大川小学校の悲劇を見ても、結局は小・中学校での津波防災教育を徹底させることが重要か。
世界一と言う、高さ63メートル、幅2キロの防波堤を持っていた釜石の小学校での防災教育が注目されている。
小学生の犠牲者を出さなかったこと、逃げようとしない老人たちを促して共に逃げ、助かったという話をいくつも聞くことができる。
この30年かけて作った防波堤が津波の高さを4メートル減らした、到達を6分遅らせたという減災効果は本当か?
国はその再建を早くも決めているようだが、対費用効果は?
もう少し詳しく検証してからにして欲しい。

先日(28日)野毛で行われた大槌支援カフェ、映画「槌音」上映会を覗いてきた。
住民の1割近い1300人が犠牲になった大槌出身の若い監督も、「うちの親たちは逃げない家族です」と断言していたように、津波の恐ろしさを知っていそうな大人・老人たちには、体験と言えばチリ地震津波や昭和初期の三陸津波であって、明治の三陸大津波の体験は伝わっていないのが実情だ。
チリ地震の時は津波はここに届かなかったと、自分の体験で逃げなかった人も多い。
この大槌にもいくつもの明治の津波碑が残っていたのだが…。

この会で「ひょっこりひょうたん国プロジェクト」の話も聞きたかったが、時間がとれなかった。
大槌の吉里吉里地区は、井上ひさし「吉里吉里人」で描いた日本国から分離独立する新しい国の象徴的舞台だ。
戸塚の明治学院大の学生たちが当初から支援活動を行っているようだ。
未だ、瓦礫の1%しか処理されていない大槌の復興プランはどうなっているのだろうか?
みなの出会う場となっている「おらが大槌復興食堂」の運営をしている阿部さんが現地からいらしていたが、時間がなかった。
大槌の「舟渡御」も行う伝統的な祭りは復活できるのか?
その神社は無事か?
聞きたいことは多いのだが。

もう、山梨へ行く時間だ。
今回はこれまで。
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