図書館のねずみ

南アルプスの伏流水を使った香り高い珈琲を啜りながら、じっくりお気に入りの本が選べる本好きのためのささやかなサロン、ブックギャラリー&カフェ風信。現在は店舗移転の為、日々奮闘しております。書店では扱っていないような古書、絶版文庫を集めています。

2012年05月

獅子文六・岩田豊雄と芦之湯

さて、獅子文六のことから始めたいが、長くなりそうだから芦之湯の文六にたどり着けるか?
なるべく1回で済ませたいが・・・

文六(岩田豊雄)は生粋のハマっ子、弁天町生まれ、当時税関山と言われた野毛山の月岡町9番地で育った。
ここは、父親が横浜税関長だった有島3兄弟たちが生まれ育った場所でもある。
明治の野毛山は、大商人の別荘や官舎の立ち並ぶ静かな住宅地だった。
豊雄少年は父と人力車に乗って、居留地だったウォーター・ストリート(水町通り・今の海岸通りの裏道にあたる)にあるシルク商店・岩田商店へ遊びに行った。
この居留地35番館(マリンタワー近く)の岩田商店には、サムライ商会を始める前の若き野村洋三が勤めていたことがあった。
アメリカ修行から帰る船で出会った新渡戸稲造(のちの「武士道」の著者)の影響もあり、将来の道を決めつつあった。
豊雄の父、岩田茂穂は福沢諭吉の門下で、「福翁自伝」や書簡集にも出てくる人物だが、実学を尊ぶ諭吉の影響もあって商売を始めた人だから、洋三がサムライ商会を開くにあたっても大きな力になったことだろう。

「紀伊国屋」の長女ミチとのお見合い結婚も、岩田が仲立ちになっている。
岩田の妻は紀伊国屋とは姻戚関係にあったことから、岩田商店へ野村洋三の身元調査が依頼されたのである。
これでは話はまとまらないはずはない。
本町通りに開いた「サムライ商会」は、やがて引っ越してきた岩田商店の眼に前にあり、豊雄少年の遊び場にもなっていた。
当時の豊雄少年のワンパク振りを一番よく知る人が「野村のオジサン」であり、「てんやわんや」「大番」「自由学校」の流行作家となった獅子文六が、ゴルフ帰りにホテルニューグランドで握手するのもこの人であった。

無論、ミチとも馴染みである。
晩年のエッセイ「サムライ商会の主」には、「翁の亡妻ミチ子さんは、当時の日本の最高のインテリ女性と言えた。・・・彼女の若い時の顔も私は良く記憶しているが、何といっても、心に残るのは直接話を聞くことの多かった戦後の彼女である。」
「やっさもっさ」は戦後の横浜が舞台となり、シウマイ娘が全国的に有名になるキッカケにもなった小説だが、文六はミチにも話を聞きに行く。
「新宿中村屋の相馬黒光女史とよく似た婆さん振りで歯切れよく、直言するところは翁の比ではなかった。・・・」と、書いていくと文六は芦之湯では「きのくにや」の側の人間だが、戦後毎年のように避暑に行くのは「松坂屋」の方である。

両老舗旅館の葛藤、ライバル私鉄の競争に恋愛をからませた「箱根山」を書いたのも「松坂屋」の離れであった。
(箱根山の装丁は、芹沢げ陝J枯擦料棺犬癲峅槌檗淵魁璽辧次貌察廚盒楝作品で楽しい仕上がり)

箱根山

「松坂屋」との付き合いは昭和18年から始まっていたが、「町っ子」作家文六としては「きのくにや」は敬して遠ざけたのではないか。
同じハマっ子作家大佛次郎もそうだが、文壇付き合いはできるだけ避けた。
文六には演劇人「岩田豊雄」の顔があった。
演劇人として付き合い始めた友は徳川夢声、文壇の数少ない友人は坂口安吾であった。
未亡人が銀座で開いたバー「クラクラ」は、文六が名付け親。
仏語「cracra」は薄汚い、垢だらけの形容詞だが、野雀という意やソバカスだらけの少女と言う意味もあるらしい。
雰囲気のあるこのバーも今は閉店してしまったが、三千代夫人の「クラクラ日記」だけに名が残された。

大佛と文六の付き合いはほとんどなかったが、その関係は微妙である。
大佛は昭和16年から10年間ニューグランドを書斎代わりに「鞍馬天狗」などを書いていた。
文六は会ったことのない先輩作家・大佛に「金色青春譜」(「新青年」昭和9年連載)を贈っている。
獅子文六と言う名を使った初めてのユーモア小説である。
それには、仏語の献辞が記されている。
文六は大佛をフランス風のユーモア文学をわかってくれる数少ない人と見込んでいるのだ。
大佛が文六が無くなったときに書いた追悼エッセイも、二人の町っ子同士の関係が見えてくる文章だ。

もう、長くなりすぎた。
文六のおばあさん好きにもたどり着けなかった。
「松坂屋」の松坂とみさんは、明治・大正・昭和3代にわたってのれんを守り続けた箱根の名物おばあさんであった。
「おばあさん」という作品もあるお婆さん狂いの文六が、松坂屋に魅かれたのはこちらかもしれない。

当店では大佛作品も文六作品も、なるべく揃えるようにしています。

月蝕頌〜月光浴の木々

金環日蝕は海寄りの横浜ではほとんど見られず、拍子抜けの気分。
根気よく見ていた人は、雲の切れ間に見られたのかもしれないが…
たとえ、薄曇りから金環状態が見られたとしても、以前見たことのある真昼の皆既日食の鳥肌が立つような怖れには及ばないであろう。
晩夏の天空高く輝いた太陽が勢いを失い始め、真昼に闇が広がっていく恐ろしさは、古代人ではなくても脅威を感じてしまう。
夏の終わりのまだ熱い空気が一瞬、冷たい風をk感じられるようになって・・・このまま太陽は蘇らず暗黒の世界になってしまうのかという怖れで人々は立ち尽くす。
街の騒音が消えてびっくりするような静寂に包まれる。
と、黒い太陽がキラキラ蘇ってくる。
思わず皆が「オオオッ」と、安堵の声を上げる。


1978年9月17日誕生日の皆既日食を期に「月蝕領主」を名乗った中井英夫さんは、(中井英夫の絶版文庫本は当店の常備本となっています)月にこだわりを持った人だったが、その美しさと親しみやすさから言ったら月に格別なものがある。
路地裏を通る時のびっくりするくらい大きな月、電線に引っかかるくらい低い満月にはその凸凹までクッキリわかるほど、地形の模様がなじんでしまった。
その上に金星が赤く光っているのもいつもの風景だ。
だが、3月16日だったか、月の下にも光っている星があるではないか。
ムナサワギがして、いつもの星空を眺めたご褒美か。
この日は珍しく金星―月―木星が一直線に並ぶ夜であった。
あわてて手近にあったカメラで撮ってみた。

星



満月の夜の明るさは、夜の暗い田舎に行ってみると改めて知ることになる。
満月は半月より12倍も明るいらしいが、目が慣れてくると白夜のような明るさだ。
「月光浴」(石川賢治 小学館 1990年刊)という月の光だけで撮った写真集を見ると、植物の神秘的な美しさが印象に残る。

月光浴

この季節は新緑の葉がキラキラひかっているのには驚かされる。
特に、ツバキの葉の照り返しは圧倒的だ。

路地裏の小さなツバキの新葉さえ、月の光を受けて、遠目には花が咲いているように発光体のように輝いている。
ツバキは日本原産の木だ。
かつて日本列島の海岸線はこのヤブツバキ(日本海側ではユキツバキ)で覆われていた。
照葉樹林文化の日本人が古からツバキやヤナギの木に霊異を見て、聖木と崇めたのもわかるような気がする。


古代の日本人と植物との深い関係を知るには格好の本がある。
辻堂の哲学者、山田宗睦さんの「花の文化史」(読売新聞社 昭和52年刊)がそれだ。

花の文化史


確か3冊あったが、1冊は売れた。
もう1冊は売らない。
あとの1冊は行方不明。
また、獅子文六に到達できなかった。
次回に。

芦之湯の名湯に入る。

連休前の4月16日、箱根芦之湯温泉の老舗旅館「美肌の湯・きのくにや」に泊まったので、そのことから始めたい。
江戸時代から続く箱根の旅館は、塔ノ沢の「環翆楼」や「一の湯」、宮ノ下の「奈良屋旅館」などが知られているが、東海道の最高峰にある箱根七湯の一つ、芦之湯の2軒の旅館、「きのくにや」と「松坂屋」は、その泉質で江戸時代から人気があった。
当時の温泉効能番付によると、芦之湯は東の前頭筆頭にランク付けされていて、箱根では一番上であった。
(東の横綱は草津温泉)

ここは夏は涼しいこともあって、江戸の文人(賀茂真淵・蜀山人・本居宣長など)は、丘の上の薬師堂の境内・東光庵に集い、ここは文人サロン化した。
平成13年に120年ぶりに復元した東光庵の周囲には、多くの歌碑が残されていて当時の雰囲気を偲ぶことができる。
東光庵のすぐ下が松坂屋で、木戸孝允と西郷隆盛がここで密議していたことで有名だが、明治の元勲たちや勝海舟も宿泊している。
また、「きのくにや(紀伊国屋)」も「松坂屋」も、富士屋ホテルができる前は箱根を訪れた外国人の宿泊場所として貴重な存在だった。
シーボルト・グラント将軍・温泉研究のベルツも泊まっている。


さて、明治天皇の箱根登山の昼食所でもあり、伊藤博文や大隈重信のよく泊まった「紀伊国屋」だが、ホテル、ニューグランドの「ミスターシェイクハンド」こと野村洋三の妻「みち」はここで生まれた。
みちは、先進的な母の考えによりキリスト教の学校「東洋英和」で宣教師から英語を学び、古美術「サムライ商会」を興した野村洋三の妻となる。
そして、みちが日本初の海外団体旅行とされる世界一周の旅の一員として旅立つのが10年後。
小柄なみちは和装姿と英語スピーチで大人気であった。
その旅行記は「ある明治女性の世界一周日記」(神奈川新聞社20009年刊)として公刊されている。
晩年の洋三とみちは「ニューグランドホテル」の主としてこの一室に住み、横浜を訪れた外国人たちを接待した民間外交官ともいえる人だ。
感激した礼状は、Japan Mr.NomuraやJpan Samurai CO.だけで届いたという。
みちは、横浜YMCAの二代目会長を大震災後から昭和30年まで、病に倒れるまで続けた。
戦後の横浜を想うみちの心情は「本当にこれは長い忍従でした。生まれた赤ん坊が7つにもなる間、この街には成長がなかったのです・・・」に表れている。
生涯横浜を愛した洋三も同じ気持ちだろう。
ニューグランドはやっと昭和27年に接収解除となった。
山下公園は昭和34年まで待たねばならなかった。


芦之湯の春は遅い。
湯元ではもう桜は散ってしまっても、ここではまだつぼみは堅い。
露天風呂に植えられた富士桜もまだひとつも開花していない。
もう、ピンク色が膨らみかけているのだが、次の朝も花見風呂とはいかなかった。
この露天風呂の入口にある「神遊風呂」は、独文学者でエッセイストの故・種村季弘さんおお気に入りの風呂であった。
五右衛門風呂のような一人用の大甕に文化文政のころからという霊験あらたかなぬるい源泉を流しているのだが、まだ肌寒いこの季節ではすぐ水になって冷めてしまう。
冷たくて入れない。
三度挑戦三度失敗、内湯で体をぽかぽかに温めてから四度目に成功。
一度肩までつかればこっちのもの。
杉の巨木を眺めながらウグイスの声を楽しむ。
じわじわと体が温まってくる。
夏には最高の風呂になるだろう。

この芦之湯には原三渓の別荘「去来山荘」があった。
関東大震災のとき、三渓も洋三もそこにいた芦之湯去来山荘である。
その場所や現状を聞くのも忘れてしまった。
帰りに立ち寄った小田原市入生田の「長興山シダレ桜」はもう花が散っていたが、その姿は名桜にふさわしい格調があった。
シダレ1


この箱根芦之湯とは縁が深い獅子文六にも触れたかったが、長くなりすぎたので、また。

美しい新緑の山々

連休の谷間に、水と本を取りに山梨・白州行き。
中央高速から見える新緑の山々の美しいこと。
残雪のあるブナ林の春や目の覚めるような緑の新芽の美しいカラナツ林も良いが、どこにでもある日本の里山の新芽時の美しさは格別だ。
淡い黄から緑の諧調がさまざまに組み合わされて、煙ったような柔らかい色調を帯びている。
ところどころに白から淡桃色の山桜が混じり、彩りを添える。
ブラシのような白い穂状の花をつけているのはウワズミザクラだ。
よく見ると林床や崖地には、ウツギの色い花やヤマブキの黄色い花が咲いている。
オレンジ色は山つつじだ。
谷沿いにはオニグルミが新芽を伸ばし、緑色の簪(かんざし)状の花も見えている。
もう少しすると、白い大きな花と大きな葉でよく目立つホウノキも、まだ柔らかい新葉を広げ始めたばかりだ。
植林したスギやヒノキの林が、パッチワークのように拡がっている山もある。
夏には盛り上がるように元気なスギの林も、今は目立つことはない。

明治の日本を旅したレディ・トラベラーの第一人者、英国人イザベラ・バードの「日本奥地紀行」を読むと、バードはこの杉の巨木や森に魅了されている。
日光杉並木はもとより、金山杉で名高い山形県の金山では、天辺まで杉で覆われたピラミッド型の金山三山に驚いて、「ロマンチックな雰囲気の場所」とし、秋田に抜ける矢立峠では、日本三大美林の天然秋田杉の森に感動して、「実に絵のように美しい眺め、堂々として船のマストのように真っ直ぐで・・・」と記している。

バードは生涯で5度来日、日光は3度来ているが、春の山桜の咲いている日本の森は見ているだろうか。
イギリスにはない樹種の豊かな日本の何気ない森林の美しさに打たれたに違いない。
夏の蒸し暑い気候とノミや蚊、ドンチャン騒ぎ、障子の穴の好奇な目に悩まされた日本の旅籠の旅も、日光では外人用に自宅の日本家屋を改造した金谷善一郎の「金谷カッテージ・イン」(日光金谷ホテルの前身)という、理想の宿が疲れた心身を癒した。
米国人シドモアの旅にも同行した横浜生まれの通訳ガイド・イトウの力も大きかった。
米沢盆地の実り豊かな風景に東洋のアルカディアを見たイザベラ・バードの旅は、北海道を経て、無事終わることができた。

キジの声がしきりに聞こえる。
ここ白州ではキリの花がもフジの花もまだ先。
ナツメやネムノキの芽吹きはもっと先だ。
樹々の春の芽吹きは「樹木の芽吹き事典」を作りたいと思うほど、多様多彩に美しい。
冬芽の写真集があるのだから、春の芽吹きもあってよい。

ところで、カキドウシに占領された庭の日陰に、キノコが何本も生えている。
秋ばかりが、キノコの季節ではない。
春も結構多い。

アミガラタケ

このアミガサタケはどこからやってきたものだろうか?
フランスでは、モレル・モリーユと言って、超高級グルメキノコだ。

山菜も採りたかったが、雨がやまない。
酒の共にワラビの一人前?だけ採って退散。
草本植物の芽生えも面白い。
ヤエムグラやヒメオドリコソウの可愛い芽生えを許しておくと、後でとんでもない痛い目にあうことがある。
これも写真図鑑があっても良い。
ニリンソウとトリカブトの芽生えは似ているが、はっきり違うことがわかるだろう。

カメラを持って行かなかったので、素晴らしい樹の表情や森の美しさを追った、丹地保尭さんの写真集「50本の木」(ちくま文庫)をご紹介したい。

50本の木

小さな宝石のような本だ。
絵葉書は小社からいろいろ出ていて、店に展示しています。
プロフィール
ウェブサイト
お店のウェブサイト
http://home.netyou.jp/33/fushin/
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