図書館のねずみ

南アルプスの伏流水を使った香り高い珈琲を啜りながら、じっくりお気に入りの本が選べる本好きのためのささやかなサロン、ブックギャラリー&カフェ風信。現在は店舗移転の為、日々奮闘しております。書店では扱っていないような古書、絶版文庫を集めています。

2013年03月

ヘボンの指路教会がある喜び

横浜の中心市街地に参詣人の多い寺や神社が一つもないのは、日本の街としてはちょっと異常なことではないか?
歴史の浅い海外の華僑の人たちの街(チャイナタウン)でさえ、関羽を祀る立派な関帝廟を街の中心に作り、参詣人が絶えない。
横浜中華街の関帝廟は大震災や戦火に焼かれても立派に再建され、四代目の関帝廟が信仰を集めている。
ところが横浜の商家たちの信仰をかなり集めていた加藤清正を祀る清正公でさえ、戦火に焼かれると、伊勢佐木町を離れ、久保山に移されてしまった。
今では清正公通りの名が残るだけだ。
横浜商人の結束力はほぼなくなったようだ。
たまらず、かどうかは知らないが、吉田家当主が小さなお堂を建てているのみだ。


しかしキリスト教信者たちの信仰は強い。
横浜の中心地に、歴史ある二つのプロテスタント教会が同じ地で今も活動しているのがうれしい。
一つは、大桟橋入口、シルクセンター前にある横浜海岸教会。
日本初のプロテスタント教会として知られる。
現在の礼拝堂は震災後の昭和8年、雪野元吉の設計による美しい建築だ。

海岸教会



もう一つが、尾上町の指路教会。
ヘボン記念協会といわれるように、アメリカ長老派の宣教師であったヘボン博士(J・C・Hepburn。ヘップバーンあるいはヘバーンが正確か)がアメリカで基金を募り、明治25年に建てた教会だ。
ヘボンは外国人居留地ではなく、日本人の街に日本人のための美しい教会を建てたいという願いを、全力で実現させた。
当初の堂々たる赤レンガ造りの尖塔を持つ御堂は大震災で倒壊したが、日本人牧師や信徒の力で大正15年には現在の建物が再建された。

指路教会2指路教会1

初代教会のバラ窓や尖塔基部のデザインを残してはいるが、ゴシック風の様式の外観になっている。
戦火で焼かれた内部は12花弁のバラ窓のステンドグラスも失い、装飾の少ない、いかにもプロテスタント教会らしい簡素な造りで気持ちが良い。

指路教会内部s

赤ちゃんや子供連れの信徒たちの特別室も備えているのが、この教会らしい。

ヘボンの指路教会(アメリカの母教会Shilon Churchの名からヘボンが名づけた。「和英語林集成」の編訳者・平文先生らしいネーミングだ)は33年に及ぶ日本での布教生活の総仕上げであった。
ヘボンのこの教会での送別会の演説が、高谷道男(編・訳)「ヘボンの手紙」(仲の良かったヘボンの弟への手紙をまとめたもの。有隣新書・昭和51年刊)に載っている。
演説が下手だったので医学を学んだと言うヘボンが、横浜住まいの最長老の西洋人として、別れの挨拶をした。
この最後の言葉も神の僕(しもべ)として、無私の精神を貫いた日本での生活を訥々として語ったものだった。

春は来ているが、すぐ通り抜けるかもしれない。

十日ぶりの山梨県北杜市はいきなり春となっていた。
日陰にかなり残っていた雪はすっかり消えていた。
春の使者・クロッカスが紫色の花弁をいっぱいに開いている。
紅梅も白梅も一緒に咲きだした。
いつもなら、マンサクやロウバイが終わってから咲きだすサンシュユの黄色い花も咲いている。

サンシュユ

桜の開花が各地から次々と報告されているのだから当然なのだが、当地では十月桜は咲いているが、さすがに桜はまだ固い蕾が出てきたばかりだ。
春の花が一斉に咲く東北や北海道の北国の春に近づきつつあるのか。
25度を越える夏日が3月に2回も記録されるのは異常だ。
秋と同じに春も1か月ももたなくなりそうで、不安な気分になる。
横浜では、野毛や吉田町のコブシが満開になっていたから、大岡川の桜も咲きだしただろうか。
当地近辺では桜の古木名木がいくつか残っている。
白州町にも、2〜3本の名木が、隣の武川町には日本最古の樹齢を誇る実相寺の「山高の神代桜」がある。
幹は朽ち果てようとしているが、新しい枝がいくつも伸び、花をつける。
同じく隣の小淵沢の田んぼには「神田桜」がある。
この桜は中央線の車窓からも眺められるから、ご存知の方も多いだろう。
梅の古木も皮一枚が生き残り花を咲かせる名木をよく見かけるが、桜も山桜や江戸彼岸、大島桜など主幹を朽ち果てそうにしながら、発根し、新枝を伸ばす力があるのは素晴らしい。
昨日見た塩竈神社の天然記念物の里桜「塩竈桜」も同じように新しい立派な枝をいくつも伸ばして生をつないでいた。

塩竈桜

雪の重みで幹から折れていた山桜が、春になり枝いっぱいに花を咲かせているのは感動的だ。


この原稿、土・日・月に行った東北被災地BRTの旅と差し替えるつもりだったが、書けなかったので、写真だけでも少し載せたい。

瓦礫
看板

骨組みのみ
なにもない

鉄道橋脚
大谷海岸

男山
桟橋2

歌碑
仮設店舗

BRT(バス・ラビット・トランジット)は未だ復旧不可能の気仙沼線仮復旧として、南三陸町を中心に気仙沼まで、そして当日からは陸前高田を通り大船渡・盛まで開通した。


昭和の大津波後に立派な町史と大冊の被災地記録を残した南三陸町や志津川が再び街ごと何もかも流されてしまった風景を見て、復興公営住宅についてはもう少し後で書きたいと思った。

弘明寺を歩く(横浜郊外散歩)

前に、市電(路面電車)が海沿いを南下した終点・杉田のことを書いたから、今度は大岡川を南下した鎌倉街道沿いの終点・弘明寺(ぐみょうじ)のことを書きたい。

横浜の市電が最大に拡大したのが昭和31年、保土ヶ谷から井土ヶ谷を抜け、通町・弘明寺区間が完成した。
これで六角橋から保土ヶ谷駅を経由して弘明寺、さらに尾上町・横浜駅から六角橋に戻る最長の循環コースが出来た。
しかし、わずか10年後には横浜市電廃止が決定され、弘明寺線は昭和43年に廃止された。
今は隣の上大岡に郊外拠点のターミナルの地をすっかり奪われてしまったが、昭和30年代までは横浜市街の最南は弘明寺であった。


この先、上大岡にかけては水田が広がっていた。
上大岡の小学生たちは、たまの映画鑑賞の日には田んぼの畦のような小道を歩いて、観音橋脇の大劇場(と思えた)有楽座に行った。
映画は「路傍の石」だったか、「にあんちゃん」だったか?
両方観たのかもしれない。
弘明寺の門前町として発展した「かんのん通り商店街」は、東洋一と称する(昭和30年代に流行った東洋一はすぐ死語になったようだ)アーケードが、昭和31年に完成していた。
京急の朱塗りの瓦屋根の寺院造りの駅舎も、プラットホームから見える弘明寺本堂の藁屋根も風情があった。


弘明寺は真言宗・密教の寺、源頼朝は源家の祈願時として厚く保護していたことは、「東鑑(あずまかがみ)」に明記されていると言う。
それ以降、関東武士たちの信仰を集めていた古刹だ。

瑞応山

初詣で、節分の豆まき、花祭り、四万六千日ともなると、今でも参詣人は多い。
本堂に入ると、護摩炊きや線香の煙が目に染みるほど漂って、昔と変わらぬ古刹の雰囲気を感じることができる。

境内

この寺以外は、江戸時代以前のものは多いと思っていたが、門前脇の小道を入った所にタブの古木が残っていた。
この辺りではこの樹が唯一の名木だと思われる。

タブノキ

それにしても、この同じ南区に平安期の貴重な古文書と背後の原生林を残した宝生寺の二つの真言宗寺院があることは、横浜の歴史にとって大きな深みと厚みを与えてくれている。
横浜は開港場150年だけの歴史ではなかった。


地下鉄弘明寺駅前の横浜国大(今は付属中学校となっている)脇から、キツイ坂道を登りつめれば三殿台の古代遺跡に達する。

遺跡

古代人は、この辺りまで入り江が来ていた浜へ貝を取りに下りてきたに違いない。



反対側の京急向こう側の公園に行ってみよう。
図書館・プールを持つ自然の雑木林を活かした公園だ。
南区制50周年を記念して建てた展望台がある。
白い富士山が見える。
市で一番の人口密集地南区の全貌を見ることができる。

横浜スクラッチタイル見物

関東大震災の復興建築でよく使われたスクラッチタイルを探して、その集中ゾーン、日本大通りを歩いてみよう。
関内駅から横浜公園入口へ。
もうここで、スクラッチタイルを見ることができる。

横浜公園門柱
この低い門柱も低い石垣もスクラッチタイルが使われている。
新しいタイルの補修もあるが、古いタイルも多く残っている。


関東大震災で壊滅的被害を受けた横浜市は、都市公園の重要性を思い知らされた。
東京で隅田川公園などが整備されたように、横浜では野毛山公園や山下公園が新しく作られ、横浜公園が整備された。
公園を通り抜け日本大通りに入ると、右側がZaim cafeがあった関東財務局横浜事務所のビル。
(元々は大阪の「日本綿花」横浜支店だった。隣の同様ビルもその倉庫)

財務
外壁のほとんどがスクラッチタイルで覆われたスマートな建物)


スクラッチタイルとは、表面をひっかきキズのような線の凹凸を付けた褐色のタイルで、濃い茶色から黄色に近い明るい色まで、その色の組み合わせで重厚感のある建物にもスマートで明るい印象の建物にもなる、優れた素材だ。
少し前まで、横浜の茶色で古いビルと言えば、ほとんど昭和初期に流行したこのスクラッチタイル張りのビルであった。
野毛にもあった横浜税務署の恐ろしく地味な建物、もとは震災記念館として作られたツタで覆われた老松会館、電車からよく眺めた高島町の神奈川都市交通ビル、鎌倉街道沿いの寿警察署・・・すでに消えてしまった建物たちが思い浮かぶ。
野毛周辺のスクラッチタイルを使った昭和初期の建物は市長公舎だけになってしまった。

市長公舎市長公舎のタイル







この公舎は明るい黄褐色のスクラッチタイルを使ったモダン建築。
大谷石を効果的に使ったライト風のデザインが印象的。
この緑色の屋根を持つ建物も、日ノ出町から見られるのはあと数か月。
これを隠すように新しいマンション工事が始まっている。

日本大通りに戻す。
新築した横浜地方裁判所もさすがに正面だけは当初のデザインを残した。

裁判所
隣の県庁を意識した茶色のスクラッチタイル外壁の重厚な建築。



スクラッチタイルを使った最大級の建築は神奈川県庁の本庁舎だ。

県庁正面
キングにふさわしい風格がある。
屋上からの港の風景も一押しだ。


日本大通りの終点、というよりこちらが入口か。
海岸通りには3つのスクラッチタイルの建物が調和よく、高さも色もそろえて残っていてうれしい。
三階建ての低層なのが、空が大きく開けて港町らしい風景を作っている。
向かって、左から、昭和ビル、像の鼻への入口を開けて海洋会館とレストラン「スカンディア」の入った横浜貿易協会ビル。

昭和ビル海洋会館


スカンディア


入口を開けたところに多分、昭和ビルとペアになったキッコーマンビルがあったようだ。
この大桟橋につづく海岸通りの一角は、海岸教会もエキスプレスビル(昭和のモダニズムビル)も含めて、みな、昭和初期の建物が並んでいて気持ちが良い。
どれ一つの建物も、なくしたくない港町・横浜の原風景の一つだ。
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http://home.netyou.jp/33/fushin/
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