図書館のねずみ

南アルプスの伏流水を使った香り高い珈琲を啜りながら、じっくりお気に入りの本が選べる本好きのためのささやかなサロン、ブックギャラリー&カフェ風信。現在は店舗移転の為、日々奮闘しております。書店では扱っていないような古書、絶版文庫を集めています。

2013年07月

富士山・早すぎた世界文化遺産登録

1か月ぶりの山梨。
甲府は38℃越えを連発し、お隣の勝沼は39℃の3連続ですっかり山梨の酷暑は有名になったが、盆地の底・甲府近辺は別として、緑の多い山麓の村々は陽が落ちればすぐに涼風が吹き熱気を払う。
熱を貯めるアスファルトで覆われ、冷房の室外機が放出する熱気が朝まで続く都会とは違う。
土と緑の効果は大きい。
水田の緑も、この1か月で驚くほど濃くなった。
株は充実してもう、水は見えない。
または、30僂魃曚┣嵎罎出てもおかしくないほど成長している。
梅雨明けが早かった分、季節の進行も早い。
陽が隠れればヒグラシの声が一斉に鳴き出す。
オニヤンマが偵察飛行を繰り返す。
この辺の名物?オオムラサキがねむの木周りをスースーと、羽ばたくことなく省エネ飛行している。

我が家では初めてのお客様となる、キビタキ君を見た。
オレンジがかった黄色が良く目立つ。
他にもねむの木のお客様は多い。
大きなアオゲラ、リスと間違うほど幹を動き回るコゲラ、団体様でやって来るカラ類、シジュウカラ・ヤマガラ/コゲラなど。

野生の花はヤマユリもソバナも咲き終わり、今は少ない。
ヤブカラシのオレンジのみ。

裏山から見る富士もすっかり夏の姿となり、スッキリ・スマートに見える。
自然遺産をあきらめ、世界文化遺産とやらに登録された富士山だが、問題山積みの見切り発車で心配だ。
地元は商売っ気満々で、観光客増を見込んで土産物を数多く作って待ち構えているが、富士周辺はともかく富士山そのものはもう満杯状態だ。
特に7月下旬からお盆までの3週間は入山規制が必要になる。
マイカー規制はされているが、バスの規制も必要だ。
山小屋のトイレ問題も解決していない。
バイオトイレも人が多すぎてはどうにもならない。
世界中の観光客を迎える準備はまるでできていない。

本年度は試験的に登山道の入口に箱を置いて、1000円の入山料を任意に入れてもらうらしいが、これでは何の規制にもならないし実験にもならない。
入山料は6〜7000円くらいにしないと数は減らないという試算もあるが、少なくとも3000円くらいは積極的に徴収して行かないと、山小屋も満杯だし弾丸登山者の高山病も心配だ。
五合目までのバスの観光客にしても1000円くらいの入山料を徴収しないと、人は増えるばかりでゴミ問題も再燃しかねない。
山梨県も観光キャンペーンを展開している場合ではない。
タイ・マレーシア・台湾などアジアの人たちの富士山熱はかなりのもの、頂上を目指さない富士周辺の観光ルートを整備して、小さなバスによる神社(富士浅間神社から三島神社まで)〜忍野八海〜湧水(白糸の滝から柿田川まで)〜風穴・氷穴紀行を充実してもらいたい。
四合目あたりの天然カラマツやシャクナゲの散歩(少々の山登り)も加えて…。

静岡県も山梨県も、外国人観光客の増加と世界文化遺産登録をどう考えているのだろうか。
先日、ユネスコの諮問機関イコモスから、富士五湖のモーターボート・水上バイク等の数を減らすことへの注文がついた。
この指摘がなければ、いくらでも増え続けただろう。
恥かしい話だ。
イコモスの指摘がなければ、真夏の富士登山者も制限できないようでは情けない。
県は、盛夏や土日の富士登山はできないことを外国人観光客に発信することが先決だ。
その覚悟はあるのだろうか。


富士山についての本は多いが、写真集などあまり推薦できるものはない。
むしろ、北斎の富嶽三十六景や広重の版画を見た方が良い。
本物は山梨県立美術館で見られる。
自然や登山のガイドブックとしては、「富士山自然ハンドブック}(自由国民社刊)が良くできている。

富士自然ハンドブック

もう1冊、明治時代の出版以来忘れられていた野中至の「富士案内」が、野中夫人の貴重な記録「芙蓉記」を併せて復刊された。(平凡社ライブラリー2006年刊)

富士案内

新田次郎の「芙蓉の人」のモデルにもなった野中夫妻の富士山気象観測への情熱。
壮絶な富士山頂での観測生活を識ることになる。
ついでにもう1冊、白州のとなり富士見町に山荘があった井伏鱒二の「岳麓点描」(弥生書房 昭和61年刊)。

岳麓点描

甲州谷村藩と霊峰富士を舞台にした歴史モノ。
おもしろい。

もうひとつ常一のこと

この大暑の中、帯状疱疹とやらに悩まされ続けていた。
3週間も過ぎて、やっと水泡は枯れ始めて痛みも弱まってきたが、寝る前にはまだ痛み止めが欲しい。
このヘルペスの痛みはどう表現したらよいのだろうか?
まだ、お腹の周りに水疱ができていないとき、どんな痛みですか?と訊かれてもちょっと難しい。
お腹から胸にかけて表面近くはヒリヒリ、キリキリする。
胸の奥の方はドキンドキン、またドーンドーンと思い痛みが走る。
胸はいつも強く圧迫されたようになっている。
それが同時に起きておきているのだから、ただ唸って寝ているだけだ。
今までなかった治療薬は高価だったが、あまり聞いたとは思えない。
この痛みが完全に消える日がくるのだろうか?
ちょっと不安だ。
妻は深刻な病にかかったのかと恐れていたが、帯状疱疹とわかり安心?した。
やれやれ・・・


さてもう少し宮本常一のことを書きたい。
自伝的エッセイ「民俗学の旅」に記された、父が郷里を離れる子(17歳の常一)に書き留めさせた次の言葉は印象的だ。

1.「汽車の窓から外をよく見、駅へ着いたら乗降客の服装などに注目し、駅の荷物置き場にどういう荷が置かれているかを観察すると、その土地の経済状況や、勤労意欲がわかるということ。」
2.「初めての土地では、高いところへ上って全体を俯瞰すること」
3.「財布が許せば、その土地の名物や料理を食べておくと、その土地の暮しの高さがわかること。」
4.「できるだけその土地の中を徒歩で見てまわること。」
5.「人の見残したものを見るようにして、その中にどんな大切なものがあるかを見きわめること。」

これはまさに旅の名人・常一の言葉のようだ。
昭和18年刊の「家郷の訓」に出てくるもう一つの父のはなむけの言葉と共に忘れがたい。

家郷の訓

「自分には金が十分にないから思うように勉強させることができぬ。そこで三十まではお前の思い通りにさせる。私も勘当した気でいる。しかし三十になったら親もあることを思え、また困ったときや病気の時はいつでも親のところへ戻って来い。いつも待っている。・・・」

戦前の地方の村々の共同体を支え続けたのは、このような特に学問を学んだわけではないが、体験に基づいた叡智を身に着けていた人たちであった。
日本のどんな田舎の集落でもこのような人がいて、貧しくはあるがその土地の伝統や行事を守りつつ、農業技術を伝え、規律ある暮らしを支えていた。
このことが貴重だ。

忘れられた日本人

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