図書館のねずみ

南アルプスの伏流水を使った香り高い珈琲を啜りながら、じっくりお気に入りの本が選べる本好きのためのささやかなサロン、ブックギャラリー&カフェ風信。現在は店舗移転の為、日々奮闘しております。書店では扱っていないような古書、絶版文庫を集めています。

2014年03月

横浜駅〜平沼周辺の震災復興橋を見に行く

3週間ぶりの白州行きから戻ってきた横浜は、すっかり春たけなわ。
桜の開花も目前、大岡川沿いの桜は蕾が膨らみ、桜色がもう見えていた。
季節の移り変わりが恐ろしく速い。
速過ぎる。
一か月前、大雪だったこの街が、もうセーターでは暑いほどの気候になっている。

さすがに先週の白州では、まだ梅が咲き始めたばかりの早春、雪の消えた崖にもまだフキノトウは見かけなかった。
まだ甲斐駒が曇れば、チラチラ雪が舞う。
樹々は新芽を固く包んで、緩めてはいない。

街の運河、川端にはやはりヤナギの木が良く似合う。
特に春の新芽時のヤナギの並木の美しさは格別だ。
川霧が立ち込める中に、ヤナギの柔らかなキミドリの新芽が吊るし雛のように垂れて風情がある。

保土ヶ谷宿を通って流れる帷子(かたびら)川は、横浜駅周辺で三つに分かれて海にそそいでいる。
支流の新田間(あらたま)川も石崎川も、埋め立てにより運河となり街に入り込む。
この川端にもっとヤナギを植えて欲しい。
京急線から眺められる石崎川にはサクラやヤナギが植えられ、遊歩道として整備されている。
もうすぐ、桜の季節にはおすすめの散歩コースだ。
この川にはもう一つの楽しみがある。
関東大震災の復興橋が並んでいて、その親柱を見て歩くのも面白い。
下流から、高島橋・敷島橋・石崎橋・梅香崎(うめがさき)橋・平戸橋・西平沼橋・扇田橋と続いている。

石崎橋梅香崎橋
平戸橋西平沼橋
扇田橋






いずれも昭和3年から6年頃の竣工になる。
途中には鉄道沿いに水天宮・平沼神社があり、立ち寄りたい。
ここは、大震災にも戦火にも焼けずに残った霊験あらたかな古社だ。

平沼水天宮


西横浜へ線路を越えると、帷子川沿いに横浜駅西口へ向かう。
名門女子高だった平沼高校近くの平沼橋は新しい橋に変わったが、その上流には復興橋の新田間橋が残されていて貴重だ。

平沼高校

新田間橋



この道は横浜開港時に造られた横浜道にあたる。
五雲亭貞秀の「神奈川・横浜二十八景」には、開港時の横浜道の様子が良く描かれている。
新田間橋、平沼橋(本沼橋)、石崎橋と続いて、野毛の切通し・野毛橋を通り、吉田橋で開港地に入っていく。
江戸の木橋で結ばれた新しい開港地のイメージが、この絵で確認できる。

横浜駅の東口(ここがスタートになるが)には、2つの復興橋・万里(まんり)橋と浅山橋が残されている。

万里橋浅山橋











この万里橋に新しく作られた歩道橋に立てば、運河と京急の鉄橋、そして復興橋の眺めも楽しめる。

運河

ここからは石崎川プロムナードの入口・高島橋はすぐそこだ。
二代目横浜駅は東海道線と直接つなげるために、この地に出来た壮大なステーションだが、関東大震災は一瞬にしてそのすべてを奪ってしまった。

2代目横浜駅プレート

この辺りの復興橋は、それを思い起させる記念碑のようだ。

松本竣介の「Y市の橋」を見に行く

「竣介の橋」とまで言われた、松本俊介の「Y市の橋」周辺の風景はどう変わったのか?
ちょっと気になって、横浜駅で途中下車してみた。
ついでに周辺の震災復興橋のいくつかを見てみよう。
いつも京急の車窓越しに見ている「万里橋」も気にかかる。

竣介の描く都会の風景は、そのほとんどが街の目立たない場末の風景だ。
多くの人が気づかない見捨てられたような埃っぽい風景が、竣介が描くことによって不思議な魅力を持って迫ってくる。
有名な建築物・ニコライ堂や国会議事堂を描いても、前方に組み合わされた新宿南口の陸橋や、聖橋の石積み、工場の煙突や街のうらぶれた風景の方がメインと思える。
墓碑かトタン屋根の工場に、橋のたもとの公衆トイレが教会のように思えてくる。

竣介の風景画の現場を追った記録が、洲之内徹「気まぐれ美術館」(新潮社・昭和50年刊)に載っている。
画家・丹治日良氏が探し出した現場(東京・大崎〜五反田、新宿、お茶の水と横浜)を、3冊の画集・図録とカメラを抱え、二人で歩いている。
こうして竣介の現場を見て歩けば、竣介の眼にかなった都会風景は明らかだ。
運河と橋、陸橋や鉄橋、電柱や煙突の目立つ風景…どこも公衆トイレが似合うような場末の風景と言える。


新宿南口の甲州街道陸橋脇の公衆トイレを正面に描いたスケッチが同書に載っているが、「新宿風月堂」に近い、小生も馴染みの風景だ。

新宿の公衆便所


街の風景から離れていくのは昭和15・16年。
この時期竣介は気に入った洋風建築を探して、横浜駅から桜木町、山下町まで足を延ばしている。
横浜行でタブローとして残っているのは、当時、日本へ帰国した藤田嗣治を思わせる「街角(横浜)」、「横浜風景」(Y市の橋の右側部分を描いている)、そして、代表作が「Y市の橋」。
ほとんど同じ位置から、昭和17年、18年、19年と毎年3点もタブローを残しているのはよほどのことだ。
そして、昭和20年、5月29日の横浜空襲で焼かれ破壊された「Y市の橋」まで、戦後の昭和22年に描いた。

Y市の橋(昭和22年)

横浜市美術館が、のどから手が出るほどに欲しいのはこの絵だろう。
特に、昭和19年の「Y市の橋」。

Y氏の橋(昭和19年)


岩手花巻の「花城小学校」から[盛岡中学校]へと、宮沢賢治と同じ道を20年くらい後に進んだ竣介の地元は、「チャグチャグ馬っこ」の祭りと中津川で遊んだ盛岡(モーリオ)。
ここの博物館には、夢のような美しい「盛岡風景」などが収まっている。

「Y市の橋」は、横浜駅の東口、東京寄りの地下通路を上がった所にいきなり現れる「月見橋」だが、ベイクォーターへの入口の歩道橋やエレベーターが出来て、場末感は消えてしまった。

月見橋

洲之内さんのころにはもうできていた高速道路が橋上にかぶって地下通路もできたので、絵に出てくる跨線橋も消えた。
絵にはない橋の親柱の装飾灯が復元されている。
昭和3年震災復興橋時代のものか?
竣介の「横浜風景」1941年にはそれらしき装飾灯があるが、「Y市の橋」には消えている。

横浜風景

その後、戦争で供出されたのだろうか?
竣介の眼鏡にかなわず描かなかったのか?
よくわからぬ。
橋の上からはすぐ目の前を、京浜急行、JR京浜東北線、東海道線、横須賀線と次々と出入りして、鉄道好きの子供はここで動かなくなる。
竣介は海寄りの金港橋から月見橋を描いている。
一応、現状写真を撮ったが、護岸に石段はないが竣介の脚色かわからぬ。

Y氏の橋(現状)

震災の復興橋を見るには、東口の反対側(保土ヶ谷より)が面白い。
新しい歩道橋からは運河と鉄道の新しい風景も見られて楽しいが、もう紙数が尽きた。
「万里橋」にはとどかなかった。
立派な親柱だけでもの載せたい。

万里橋


次回へ。

城下町・大多喜の復活(ローカル線の応援プラン)

ブックオフで105円で買った「子規句集」(岩波文庫)のなかに500円の図書券が入っていた。
ブックオフも粋なことをするなと一瞬思ったが、そんなはずはない。
こんな古い券などとっくに無効になっているに違いない。
栞代わりに使うのなら、岩倉具視(500円札)や板垣退助(100円札)にして欲しかった。
ドイツの戦時中の超インフレ紙幣などは例外としても、戦後の日本銀行券ならいくら古くなっても有効だし、骨董的価値も出る。
戦前の金本体制時代の兌換紙幣であれば金との交換も可能だったところが、民間の商品券ではこうはいかない。
使わない商品券は限りなく紙くずに近づいている…、本の栞には厳禁だろう。
フランス人のコンピューターオタクと日本人がかかわって世界中に広まったらしいビットコインも、発行元も保障機関のないのだから、商品券より危うい。
退職金や年金までつぎ込んで、100倍の値上がりを喜んだ人たちはどうしただろうか。
ビット危機は回避されたのだろうか。
その後のニュースが届かない。


先週の続き・・・
千葉県の城下町・大多喜は徳川四天王の猛将として知られる大多喜忠勝、十万石の城下町だが、世間的にはあまり知られていない。
家康は安房で勢力を持つ里見氏の抑えとして、徳川一の猛将を送り込んだが、その後の徳川治世では城下町は一万石〜二万石となり、大きく発展することはなかった。
その城下町の一部、商家のいくつかが今でも残されている。

商家商家
商家商家












果たして県の博物館として復元された城と残された商家、忠勝の墓だけで人を呼べるか…かなり厳しい。


幸いに大多喜の城下は川と鉄道線路で囲まれた、歩き回るにはちょうど良い広さだ。

大多喜絵図

そして、町は高いビルなどはほとんど見当たらない。
駅向こうの丘にある白と城下町をつなぐ小さな乗り物(オモチャのようなケーブルカーや汽車でも良い)さえあれば、町中を公園化して、江戸の街づくりをすることも夢ではない。
観光施設や小学校も町役場もしろや城下町のデザインを意識して建てられているのだから、町の中心にあっても問題ない。

小学校

近郊からいくつかの古い家を移築し、武家屋敷の一つでも復元したい。
空地には、江戸の庭を作り、街中を梅・桜・藤・松・竹・楓で埋めたい。
商家の中庭や飾り棚には江戸の伝統植物や盆栽を置いて、外国人の園芸ファンを呼びたい。
後は、安くて質の高い公共の宿泊施設があればよい。
桜が大きくなる10年も20年もかけてゆっくり進めて、いつしか江戸の園芸植物で囲まれた城下町を復元してもらいたい。
同じ千葉県の佐倉には国立の伝統的植物を研究・展示する施設もある。
提携を図ると良い。
空家の商家を見るだけでは、江戸建物博物館になってしまう。
喫茶・レストラン・園芸店・土産品店・レストルーム…。
そして雇用の場としたい。

長野県の小布施は「北斎と栗」で売り出し、近年はオープンガーデンや田園散歩などで、年間120万人の観光客を集めている。
大多喜は江戸の城下町と日本の伝統植物で売ればよい。
北斎は強力だが、いすみ市や鴨川には北斎の神奈川沖の波に影響を与えたといわれる「波の伊八」がいる。

波の伊八

何とか伊八記念館でもできないものか。
本物は少しでも良い。
レプリカと拡大写真も活用して…。
「栗」もかなり強力な素材だが、こちらには竹の子がある、いすみ豚もイノシシもいる。
始発の大原では、イセエビやサザエ、タコも入手できる。
デザートや和菓子の素材としては、ナシもウメの実もある。
十分すぎる材料はあるが、それを生かせる強力なリーダーや名店・老舗がないのが悩みだろうか。
小布施には町長と建築家の強力なリーダーシップがあった。
しかし、牛の歩みでも良い。
民家の庭でも、駐車場・路傍でも良い、梅や桜の色々な品種の苗木を町中に植えることから始めないか。
これなら大したお金もかからない。
先ずは小さなところでよい、気持ちの良い場所を広げていこう。

次に、広告・看板や自動販売機をなくす。
新建材は、土・漆喰に変えて。
当然、町の人たちの協力・理解が欠かせない。
電柱の地中化などは最後の仕上げでよい。
完成すれば、成田からの直行便(バス・鉄道も)動くことになるかも知れない。

記録的な「山梨豪雪」とムーミン列車?

2週間ぶりの山梨白州行き。
大雪から10日以上たっているが、中央高速は未だ除雪作業が続いている。
大月や笹子トンネルでは渋滞も起こるほど。
一車線分は雪で埋もれている。
雪は山梨県と中央高速を直撃した。
気象庁では、甲府は積雪0センチになったと言っているが、陽当たりの良い町内だけの話である。

家の前の道路

近郊の畑や道は雪で覆われている。
白州の山道はとても車が入れない。
旧道のメインストリートも、車一台が通るのがやっとだ。
道端は雪が積み上げられ、当分消えることがないだろう。
金曜日の暖かい陽気(15℃くらい)で、少しはザラメ状態に雪は緩んだが、「道の駅」も大量の雪が残されている。

道の駅



庭の小さな植木たちの被害は甚大だ。
常緑のツバキ、サザンカ、モミの木、カヤの木…雪から掘り出した木は枝のほとんどが雪の重みで折れてしまった。

折れたヒイラギ


軒下

中には主幹も中ほどから折れ、小さな棒状態になってしまったものもあり。
茶の木や紅梅などは掘り出せないほど雪の下で凍り付いている。
二度目の積雪は軽く1メートルを超えたようだから、今度の雪は記録的なものだ。
国道20号も中央高速も数日間は止まり、山梨県全体が孤絶の島状態になった。
白州に入った車は3日間動けなかった。
プロパンガスの検針に来た人のモノらしい足跡が、7、8歩残っていたが、諦めて帰ったようだ。
そういえば少し前、「雪のだいぶ後になってから来たのですが、検針できないので、3月分と一緒にしてください」と横浜の自宅に電話があった。
膝上までの雪をラッセルして来たとしても、メーターのある家の裏は屋根から大量に落ちた雪で、とても動きが取れないだろう。
…このところのあたたかい陽射しで雪が緩み、やっと車の半分くらい駐車場に入れられたが、また、明日は雪との予報がある。
どうなることやら。

さて、房総の内陸にある城下町・大多喜のことを書くつもりだったが、前振り仮長すぎたようだ。
大多喜駅のある「いすみ鉄道」のことを簡単に触れて、次回に回そう。
毎年赤字の路線「いすみ鉄道」は社長を公募し、刷新を図った。
そこで登場したのが、ムーミン・キャラクターと昭和のディーゼルカー2台の購入。

ムーミン列車

ムーミンミー






黄色の可愛いディーゼルカーが菜の花畑の中を走る光景は好もしいが、昼間はほとんど人が乗っていないのは変わらない。
冬のオフシーズン(平日)だからか?
大多喜駅で降りた観光客らしき人は、小生を含めて2人だけ。
これから観光列車として生きようとしているのに、大丈夫だろうか?
不安になる。
新社長も無論、鉄道好きだから、鉄チャンの気持ちはよくわかる。
700万円持参の運転手募集や、イセエビと地酒のレストラン列車(いすみ市大原や御宿はイセエビの有数の産地)などのイベント貸し切り列車の企画など、都会の鉄道ファンの注目を集めたが、昼間の乗客をどうしたら増やせるかが以前として解決されないのが苦しい。
タマ駅長はいないのだから、とりあえずはムーミンだろうが、ムーミンの住む北欧フィンランドの風景と房総の竹林のある山野とはイメージが違いすぎるのも苦しい。
やはり、【キハ52】のようなレトロ列車を全国から集めて、都会の鉄道ファンを呼び込むのが早道かも知れない。
また、大多喜と城下町で、もう少し観光客を呼びたいが、果たしてできるだろうか。
次回へ。

[追記]
帰りの中央高速は除雪がかなり進み、車線は通常に戻っていた。
しかし、笹子から相模湖にかけての風景は、キリが低くたなびき、まだ、雪国の景色が広がっていた。(3月2日・日曜)
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http://home.netyou.jp/33/fushin/
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