図書館のねずみ

南アルプスの伏流水を使った香り高い珈琲を啜りながら、じっくりお気に入りの本が選べる本好きのためのささやかなサロン、ブックギャラリー&カフェ風信。現在は店舗移転の為、日々奮闘しております。書店では扱っていないような古書、絶版文庫を集めています。

2014年05月

アカシアとセンダン・シルク博物館と帝蚕倉庫

白いものが休みなく落ち続けている。
風が吹くとボタン雪が舞うように真っ白になる。
もう、樹の周りも道路の吹き溜まりにも大量の花びらが積もっている。
純白に近く咲いた花は、落ちる頃にはクリーム色になっている。
ここ、釜無川の河原はニセアカシアの林になっている。ニセアカシアニセアカシア (2)









この樹、鋭いとげをもっているのでハリエンジュとも呼ばれるが、普通、一般にアカシアの蜂蜜というのは、この樹の蜜だ。
我が家にも2階の屋根をはるかに越えた3本のこの樹があるが、みな、実生の幼木が育ったものだ。
驚くべき成長の速さ。
蜜の入った蕾は天ぷらにすると美味いので、放っておいたらこの有様…もう、切ることもできない。
この樹、根が浅く横に伸びるから、あまり家の近くには植えない方が良いと思われる。

いつまでも芽が出ないと思っていたセンダンの木は、突然枯れてしまったのか?
あんなに元気いっぱいに高く伸び、カラマツやシラカバを越えて、日光を独り占めにしていたセンダンが、どういう訳か、まだ、冬木のままだ。
甲府の街中で見たセンダンの木は、もう葉を繁らせて、薄紫の花も咲き始めていた。
完全におかしい。
今年の冬の、芽が成長し始める頃の大雪がダメージを与えたのか?
原因らしきものはそのくらいしか考えられない。
寒さに強いツバキも、焼けたように大枝を枯らした数本が出たくらいだ。

今までにどれほどの木を枯らしてきただろうか。
そんな亡くなった木たちの追悼文での書かねば救われないだろう。
3本植えたカラマツは1本だけになってしまった。
同じく3本植えたシラカバは、最後の1本が大風で倒され、死にかけている。
亡くなりし樹たちへのオマージュは別の機会に書きたい。


シルクの話がもう少し残っている。
大桟橋入り口のシルクセンタービルは、開港百年事業の目玉として造られたものだ。
当時、横浜観光は山下公園と大桟橋がほとんどだったが、その中間にシルクセンターが出来たことは、横浜観光の最重要施設として期待されていたということだ。
シルク振興のため、大桟橋に着いた外国人観光客向けに着物ファッションショーが行われ、「シルク博物館」も作った。
そして、日本シルクの相場を決める「生糸取引所」もここに入った。
もともと「横浜生糸取引所」は「生糸検査所(キーケンと呼んだ)」(神戸にもできたが数年で撤退した)と、同時代・明治27・28年にはすでにできていた長い歴史を持っている。

生糸検査場

この、キーケンは大震災後、コンクリート建築の雄・遠藤於寃設計による大建築であった。
生糸の品質を保つために最盛期には千数百人の職員が働いていた。
ここの蚕と蛾や桑の付いたワッペンがついたファサードだけは残されているが、問題はその背後の「帝蚕倉庫」だ。

天蚕倉庫

天蚕倉庫 (2)

ここは森ビルの再開発で揺れているが、当初の計画通り、そのまま移動保存を守ってもらいたい。
富岡製糸場とその周辺の生糸関連施設の世界遺産認定を前にして、群馬県のシルク遺産を中心に、長野・山梨・埼玉・東京・神奈川などの養蚕・製糸・倉庫そして生糸貿易の歴史遺産が注目され始めている。
横浜に残された数少ない建築遺産「帝蚕倉庫」はそのまま残して、内部の一部をシルク博物館の別館として、横浜港とシルク貿易の歴史、そしてシルク取引商人たちを紹介する観光施設として利用してほしい。
ここは横浜の生糸貿易の拠点であったのだから。

横浜生糸取引所は昭和18年に閉じられた。
すでに生糸の輸出は「昭和49年」に終わっていて、現在の日本は世界有数の輸入国になっている。

ところで、シアトル行きの氷川丸には生糸専用の倉庫があるという…ちょっと見に行きたい。

新緑の季節と富岡製糸場

連休を挟んで、久しぶりの白州行き。
横浜近郊では初夏の樹の花「ミズキ」がもう白い花を付けているが、ここ白州では6月に入ってからだろう。
この辺りは標高は5〜600mの山里だから、季節は2〜3週間遅れてやって来る。
今は、ニセアカシアの白い花が咲き始めた。
森は全山緑に向けて動き出している。
緑が目に染みるとはこの新緑の季節の里山と思わせる。
たまにうす紫に見えるのは、林業家には厄介な藤の花だ。
広葉樹の柔らかな葉がいっぱいに広がって、森はむくむくと大きさを増していくようだ。
その黄や黄緑と植林した深緑がくっきりと分けられて、よく目立つ。
新緑が広がる時期は、それを食べる幼虫も昆虫も多く出る。
また、その虫を食べる野鳥たちの子育ての季節。
連休明けはバードウィークということになる。
庭のケンポナシもオークもナンキンハゼも芽を出した。
かなり用心深いネムの木にもやっと新芽が出ている。
残りはセンダンの木だけ。
これはまだ枯木同然の姿。
この新緑の季節を待っていたのは虫だけではない。
人間もそうだ。
カシワの葉が大きく開けば柏餅を思い出し、ホウの大きな葉を見れば木曾名物朴葉巻や、朴葉寿司を想う。

朴葉巻

カキの葉はもちろん、吉野の柿の葉寿司。
サンショウの葉はその香りでタケノコ料理などに欠かせない。
クワの新葉もカイコばかりでなく、最近はお茶や栄養価の高いジュースとしても利用されている。

この週で、前回書ききれなかったシルクのことに触れなくてはならない。
連休中、ほぼ世界遺産に決まった富岡製糸場を見学に訪れた人は5万人と聞いた。

富岡製糸場パンフレット


世界遺産効果はかなりなもの。
この世界有数の製糸工場を明治34年から昭和13年、片倉製糸に経営を委託するまで経営していたのは、ヨコハマのシルク取次商人・原三渓(富太郎)だ。

原三渓(富太郎)


この国が総力を挙げて作った国策工場「富岡製糸場」が創業したのが明治5年、民間に払い下げられ三井が落札したのが明治26年、三井が貿易商としての道を進めるため原富太郎に譲渡したのが明治34年。

この頃富太郎は、善三郎の死(明治32年)によって原商店を会社組織に近代化し、事業を一気に世界へと拡大し始めた時期だ。
この時富太郎は、三井の持っていた製糸場富岡・大サキ(サキは山ヘンに壽・栃木)・名古屋・四日市を持つことになる。
リヨン(フランス)、モスクワ、ニューヨークに代理店を置いたのもこの時代だ。
富岡製糸場は、正しく原三渓が(富太郎)が軌道に乗せて発展させた製糸工場だ。
その後、当時最大の繊維会社となった片倉工業に引き継がれ、1987年まで繊維不況によりほかの工場を次々と売却していた同社が、この工場だけは死守して残された貴重な遺産ということになる。
新聞記事に原富太郎の名が見えないのは不思議だ。
(続く)

「シルクとヨコハマ」

山梨の少し標高が高い土地でも、クワやブドウの芽が出る季節となった。
新芽が開き始めると、もう小さな花芽が用意されている。
クワは桑の実状のミドリ色のもの、ブドウも房状そのままの形になっている。

横浜港大桟橋の入口、昔の英一番館跡に建つシルクセンタービルにはシルク博物館が入っているが、その階段前に桑の老樹と小さな桑の森が作られている。

桑老樹

去年の今頃だったと思うが、この葉がもぎ取られてニュースになったことがある。
新聞記事によると山菜として採られ、天ぷらにでもされたのでは?ケシカラン・・・というニュースであった。
大げさな。
元々栽培用の桑は蚕用に葉を採られ続けても、次々と芽を出す萌芽力の強い木だ。
葉を採られて丸坊主にされても、大枝を切られても、倍返しと言いたいほど一段と元気な枝を茂らせて、白州の家でも困っているほどだ。
カミキリ虫が主幹に入り込み、もうぼろぼろになった桑の老樹からも元気な枝が延びて電線に絡んでくる。
もう何度も東京電力を読んでいるが…。
この辺りの斜面は、桑畑が広がっているのが元々の風景だった。


山梨は、長野・群馬・埼玉・福島などと共に養蚕の盛んだった土地だ。
ここで作られたマユはすぐ近くの諏訪や岡谷の製糸場に運ばれ生糸となり、横浜に運ばれていく。
日本のシルクロードは中部・甲信地方や、福島を中心とする東北そして関東山地の養蚕農家で作られたマユ玉が各地の製糸場に集められ、そこで作られた生糸が開港地ヨコハマに集まってくる道だ。
利根川を使う水運もあるが、陸路では八王子に集ったシルクが横浜へ運ばれる「絹の道」が鑓水地区にわずかに昔のまま残されている。


開港地ヨコハマの輸出額は当初から戦前まで、シルクがダントツ一位。
全輸出の80%を超えた年もある。
イギリスからフランス、そしてアメリカへと比重は移ったが、明治末には中国を抜いて世界一のシルク(生糸)産地となっている。
大震災復興後の昭和4年は最大の輸出額を記録したほどだ。


この明治のシルク貿易で活躍したのが、外国人商社と日本人の生糸売込商だ。
日本大通りから脇道が中華街の入口に延びているが、これがシルク通りで、居留地のシルクを扱う外国人商社が集まっていた。
この辺りはマンション開発で当時の建物のレンガ基礎や鉄の大砲(佐久間象山が警護用に運んできた)なども出てきたが、地上ではわずかにシルク商デローロ商会の外壁のごく一部が残っているだけだ。

デローロ商会外壁
大砲















もう、紙数が尽きた。
原三渓(富太郎)と富岡製糸場にもたどり着けなかった。
ところで、シルクセンター前の桑の老樹は津久井の養蚕農家から昭和40年代に寄贈されたもの。
明治期にあった老木らしいから100年を越えている。
さすがにこれほどの古木となると萌芽力も弱まっている。
葉は採らぬように願いたい。

今横浜では「横浜絹回廊」と称して、開港資料館・シルク博物館・県立歴史博物館の三館で、同時に横浜とシルクに関する展覧会を開いている。
是非、お出かけください。
シルクセンター開港資料館














県立歴史博物館(繭と鋼)繭と鋼(裏面)






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