図書館のねずみ

南アルプスの伏流水を使った香り高い珈琲を啜りながら、じっくりお気に入りの本が選べる本好きのためのささやかなサロン、ブックギャラリー&カフェ風信。現在は店舗移転の為、日々奮闘しております。書店では扱っていないような古書、絶版文庫を集めています。

2015年05月

逸ノ城も稀勢の里もぶっ飛ばした照ノ富士――日向薬師の秘仏御開帳

珍しく白鵬が自滅して(稽古不足か?)、新関脇・照の富士が逆転優勝となった大相撲だが、人気と実力が備わっているのが照の富士ただ一人だけなのがさみしい。
特に、大関陣が情けない。
大関からの転落をやっと逃れる程度の成績がずっと続いて、10勝以上を挙げる実力はないのが現状。
関脇・小結との差はない。
横綱審議委員は日本人力士に大甘で、三場所の成績さえ基準を越えればすぐ推挙するが、あとは知らんふり。
やっと大関になっても、もう最盛期は過ぎてしまっていたり…。
大関は実力最高位のはずだが、前頭上位にも簡単には勝てない程度の差しかない。
今場所、10勝以上を挙げた稀勢の里も例外ではない。
これでも大相撲人気が沸騰、三場所連日満員御礼が続き、懸賞金も史上最高という。
少し前の客席パラパラの状況がうそのようだ。
照の富士―逸ノ城の水入り勝負といった熱戦が連日のように見られれば、人気に内容も追いつくが…。
日本人力士に照の富士とまともに戦える人が出るだろうか。
ベイスターズの優勝のほうがよほど確率が高い。
95連敗をのがれた東大の連勝並みの難易度とは言わないが、明日のダービー10番人気位のスピリッツミノルが大逃げして、3着馬券内に残るほうがより現実味がありそうだ。
(先の、ビクトリーマイルでは最低人気ミナレットが3着に入り3連単2000万馬券となった)

さて話変わって、このところ、正統的な仏教彫刻史では、あまり重要視されていなかった地方仏や、円空・木喰仏などの展覧会が相次いで開かれていて興味深い。
東博の「東国の仏像たち」には、岩手県・天台寺の秘仏・鉈彫「聖観音像」が出た。
山梨健博の「円空・木喰展」にも、新発見の円空仏が公開された。
そして今回、神奈川県の信仰の山・大山の麓にある日向薬師・宝城坊の秘仏「薬師三尊像」が金沢文庫(神奈川県立博物館)で公開されている。(6月14日まで)

日向薬師展覧会パンフレット

今回の展示は、この古い薬師堂の解体大修理という事情があって、初めて実現できた貴重な公開だ。
北条雅子も頼朝も厚い信仰を寄せたこの古刹の薬師堂は、関東地方、いや東日本でも有数の仏像群を誇っている。

特に鉈彫の薬師三尊は魅力がある。

日向薬師展覧会パンフレット裏面

数年前にも鉈彫の横浜・弘明寺・十一面観音像を、ここ金沢文庫で背後や側面まで見ることができたから、東国に生まれた鉈彫仏の名品はすべて公開されたことになる。
日向薬師の脇侍、日光・月光菩薩のお顔の、ノミ目の美しい横顔と目の表現に魅かれる。
120儖未両像だが、専門仏師による京・大和の古仏にない魅力を秘めている。

シルクタウン岡谷に行く

明治日本の産業革命施設が世界遺産に登録されるよう、イコモスが勧告した。
その構成施設のリストを見ると、8県23施設に及んでいて、どうもすっきりしない。
サブタイトルに「九州・山口と関連地域」とあるように、九州の石炭産業や製鉄・造船の産業遺産だけならばもっとすっきりするが…、幕末・明治の薩長の遺産を加えることによって、わかりにくいことになった。
特に、萩市の城下町や松下村塾まで加えたのがわかりにくくしている。
萩の城下町や幕末遺構も歴史が古く、別扱いで独立すべきだろう。
入れるとすれば「反射炉」だけだが、伊豆韮山の反射炉は韮山代官江川坦庵邸と共にこれだけで世界遺産級なのだから、こちらの関連施設に入ったほうが良いのでは?
「明治日本の産業革命遺産」だけでは範囲が広すぎるし…。

これと反対に「富岡製糸場とその周辺のシルク関連遺産」では、群馬県のシルク関連遺産に絞り込んだため、周辺他県の関連遺産、特に「富岡製糸場」を最後まで守った片倉兼太郎(初代〜三代)の残したシルク関連の重要な遺産が入らなかったのは残念だ。
県や市単位で世界遺産運動が行われる弊害は多い。
長野県と群馬県の「共同運動はどうなったのか?どうにもならなかったのか?
埼玉にも諏訪にも岡谷にも、大事な遺産が多い。
長野県のシルク産業遺産は、シルク輸出港・横浜やシルクの道がある八王子なども加えて、別の形の世界遺産を目指してほしい。


大型連休中、数万〜数十万の入場者でにぎわった富岡製糸場のニュースを横目に、かつて日本最大のシルクタウンであった岡谷に行ってこよう。

富岡製糸場

かえりには、岡谷名物ウナギを食し、諏訪にある片倉間の残した世界遺産級の温泉施設「片倉館」の湯に入ってきたい。
前回には岡谷蚕糸博物館で日本最大の製糸工場を経営していた(いや、世界最大級だっただろう)片倉家の残したシルク資料や機具を見たり、隣接する宮坂製糸所の現役のシルク製糸を見学したりしてきた。
岡谷蚕糸博物館パンフレット

シルク博物館


製糸作業製糸作業 (2)






岡谷では桑の栽培も復活していくように、現在でも国産シルクの製造にこだわっている。


今回は、前回見られなかった「旧林家住宅」に行くことにする。
林家は片倉家や尾沢家と共に明治元年、解明社を結成して民間のシルクタウン岡谷を牽引てきた人物だ。
林製糸所の屋号は「一山加(イチヤマカ)」、その豪邸にも見ることができる。

母屋玄関

明治30年代に建てられた自宅兼迎賓館・応接館であり、繭蔵もある。
洋人のために洋館もついているのが特徴だ。

洋館側玄関繭蔵






この離れの二階、隠し戸から上る和室には、当時の西洋式洋館の装飾に使われた「金唐革紙」が全面に、天井まで貼られている秘密の応接室となっている。

金唐革の部屋

この屋敷の欄間彫刻や木材を見れば、どれほどの金額が注ぎ込まれたかがわかろう。
欄間

ここの見学者は、連休中でも数人から数十人。
世界遺産効果のすごさもわかる。


岡谷に来れば、「イルフ童画館」に寄らねばなるまい。
前回は「武井武雄」展を観た。
今回は「ボンジュール!フランスの絵本たち」、前期はカストール文庫の原画展だ。
絵本展パンフレット

後期は、「ゾウのババールから現代のフランス絵本まで」が、6月15日まで開催中。
原画はどれも美しいが、ナタリー・パランの絵本が素晴らしいのでポストカードを見てもらおう。
絵葉書


帰りはこの地で開催されていた「岡谷まち歩き古本位置」を急ぎ足で覗いて帰ってきた。
岡谷街歩きパンフレット

ウナギを食べる暇はない。

来年4月29日は岡谷行きが決まっている。
日本のシルク・エンペラー片倉兼太郎の生家も公開される。
「岡谷シルクの日」だ。
無料の巡回バスも出るし

岩村城と古い街並み

連休が明けると代掻き(シロカキ)を済ませてきれいになった田んぼに次々と水が張られていく。
ツバメやカエルはこれを待っていた。
朴の葉は見事に開いた。
朴葉寿司が食べたくなる。

朴に葉朴葉寿司







遅いネムノキの新芽もやっと出てきた。
羽虫や幼虫たちが一斉に生まれて、南からやってきた夏鳥たちには子育ての準備が整っている。
今週はバードウィークになっている。
先週はオオルリの鮮やかなブルーが、目の前を横切っていくのをこの狭い庭で初めて見た。
滞在時間わずか2・3秒、でも、このブルーはオオルリだけのブルーだろう…。

岩村という町をご存じだろうか?
岩村城は高取城(奈良)や松山城(岡山)と共に、日本三大山城として城郭ファンには有名な遺構。
特に、山頂の本丸跡には六段から成る壮大な石垣がそのまま残っていて、往時を偲ばせるのに十分だ。

城跡石垣







そればかりではない、城に続く登り道には江戸から明治・大正・昭和初期の街並みが想像以上の規模で残っていて、魅力ある町だ。

街並み薬屋







武家屋敷こそ残っていないが、職人町には鉄砲鍛冶の家が残っていて貴重だ。
岩村は、中央線の恵那駅からローカル鉄道・明知鉄道に乗り換えていく。
この終点は、大正村として売り出している明智だから、このローカル線自体が魅力的だ。
桜の銘木も恵那地方には多い。
桜博士の植物学者・三好学が岩村藩に生まれたのもわかる気がするが、岩村の人たちにとって、町あげて顕彰している人物がいる。
三好学


岩村藩、家老の三男として江戸屋敷に生まれた、幕末の儒家・佐藤一斎だ。
一斎


町屋の軒先にはこの人の「言志四録」の言葉が必ず掲げられているし、町の辻々には碑文や彫板が見つかる。

一斎の言葉

優秀賞を受けた3枚組の観光ポスターが岩村駅に貼られているが、霧中の城址(別名霧ケ城)、夕暮れの歴史的街並み、そして佐藤一斎の肖像画の3点が選ばれている。

駅のポスター

「この男なしに、幕末は語れない。」とポスターにあるように、この学者・思想家の門人や影響を受けた人脈は数多い。
松代藩・佐久間象山、備中松山藩・山田方谷、長岡藩・河井継之介、田原藩・渡辺崋山、勘定奉行・川路聖謨はじめ、勝海舟、吉田松陰、橋本左内、木戸孝允、高杉晋作、坂本龍馬、久坂玄瑞、伊藤博文など数えきれない。

このポスターの肖像画は渡辺崋山が描いたものではない。
東博の重文になった「佐藤一斎像」(文政4年・1821年)は、眼光鋭い壮年期の肖像で、実に11枚の細密な画稿の末にこの本画を描いた。
師の依頼に全身全霊をあげて応えたように思われる。

ドナルド・キーンの「渡辺崋山」(新潮社 2007年刊)には、一斎に関する重要な問題が提示されている。

渡辺崋山

別にキーンが初めて言ったことではないが、キーンには見逃すことができなかったのだろう。
崋山は、在所蟄居中に絵の売買をした問題が藩主にまで及ぶのを恐れて自裁した。
蟄居の原因となった悪意ある告発により投獄された時、崋山の師友や弟子たちは奔走、放免のために全力を尽くした。
その中心は一番弟子で、最も信頼していた椿椿山だった。
儒学の師・佐藤一斎は何もしなかったばかりか、救済を依頼した人に「崋山に懇意であると示すのは賢明ではない」と忠告までしている。
幕府の儒者として林家の塾頭まで勤めていたとはいえ、あまりに冷淡に思われる。
そして、キーンは椿山が描いた「佐藤一斎七十歳像」を取り上げ、「椿山のリアリズムは、峻厳この上ない。肖像画に描かれた魅力に乏しい一斎の顔はほとんど嫌悪感さえ覚えさせる。…椿山は老齢になっても心の平穏を見出さなかった一斎という人物に愛情のかけらも抱いていない。」と言い切っている。

一斎の言葉で、溢れた岩村の城下町は、キーンさんには居心地が悪いだろう。

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