さわやかな日本の秋らしい天候が続くようになった。
ネムの木もまだ緑色の葉だが、日暮れになってもそう葉を閉じることはなくなった。
落葉を待つばかりだ。
特徴ある柿の葉も落ち始め、実も熟しているが、今年はまだ猿の姿を見ていない。

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山の果実も豊作ということか?
もう少し寒くならないと、山を下りてくる意味もないのだろう。
湿度が40パーセントを着るようになれば、段ボールの本を軒下で開けて整理する最高の季節(とき)だ。
稲架(はさ)がけで自然乾燥している稲穂にとっても、古文書や文化財の虫干しにしても、この気持ちの良い秋の日を待って行われる。
寒冷の「正倉院展」も来週から始まる。
台風の位置さえ気をつければ、乾燥した秋晴れが続くだろう。

段ボール箱から出てきた花柳章太郎「きもの」(二見書房・昭和16年刊)をパラパラ見ていると、この本なかなか面白い。

きもの

当代きっての女形による着物へのウンチクだけではない。
口絵・装丁・序文・写真など資料的にも興味深いものがある。
例えば、装丁について律儀で凝り性の章太郎らしく細かく銘記している。
箱張  鏑木清方先生筆
表紙  苅谷鷺行先生筆「白鷺」衣裳デザイン
見返し 鏑木清方先生筆「瀧の白糸」衣裳デザイン
扉   伊東深水先生筆「日本橋」衣裳デザイン
題字  川口松太郎先生
装幀・構成 花柳章太郎
そして、鏑木清方と木村壮八の序文と章太郎の自序まで入っている。

この盛りだくさんの装いでは、すっきりとしたスマートな装丁とはとても言えないが、手持ちの材料すべてを盛り込んだ几帳面さがうかがえ、資料的な価値が出た。
鏡花の「通夜物語」の舞台稽古写真を見たことがある。
章太郎が着物と帯姿を鏡花と雪岱に見せている、衣裳合わせのシーンだ。(昭和11年・明治座上演)
鏡花の書き下ろし小説「日本橋」(大正3年刊)に初めて、装丁の仕事をした雪岱は、それ以後鏡花作品のかなりの重要作品の装丁を任せられている。
それ以前、明治の鏡花本は洋装本は少なく、伝統の和本の流れをくむ、糸で綴じた菊版大和綴じの本が多いが、木版口絵も装丁絵も清方が抜きんでている。
日本橋育ちで「日本橋檜物町」とタイトルをつけたエッセイ集(再刊・中公文庫1990年刊)を持つ雪岱の装丁には、日本橋好みの鏡花を十分に満足させたばかりか、鏡花と早くから組んで口絵や挿絵の秀作を次々とモノにしていた清方をも驚かせた。

雪岱文庫本

これ以後、雪岱の装丁家デザイナーとしての才能を一番買っていたのは清方だったのかもしれない。
そして、鏡花作品の挿絵・口絵画家として清方の実力を一番知っていたのも雪岱だったのではないか。

雪岱は、挿絵画家・日本画家としての尊敬すべき先輩画家・清方の描いた「註文帳画譜」を拝借して長く手放したくないほどの気持ちになったと、新小説社から木版画として再現された「註文帳画譜」刊行の際に書き残している。
雪岱の鏡花本は装丁というより、木版画による雪岱作品の小画集といった趣だ。
あるいは、その後に力を入れていくことになる舞台美術科としての力量を示すものだ。
(舞台の書き割りを凝縮したのが、前と後ろの見返し絵・二場面だろう)

芍薬の歌鴛鴦帳







装丁家(ブックデザイナー)としての雪岱作品は、新小説社刊の師に献げた作品だから、思い切り力が入っている。

邦枝完二「おせん」や三田村鳶魚「大衆文藝評判記」(汎文社刊)にとどめをさす。

雪岱「大衆文藝評判記」

長谷川時雨「旧聞日本橋」や鏡花作品を愛していた芥川龍之介の装丁家としての小穴隆一にもふれたかったが、もう長すぎた。

芥川龍之介の本(小穴隆一装)

別の機会にしたい。

鏡花が亡くなったのは、昭和14年9月7日。
雑司ヶ谷墓地の鏡花の墓は、雪岱がデザインした。雪岱が急逝したのは、翌年である。
死後、高見沢木版から出た4000部限定「小村雪岱画集」には、当然ながら、清方の序文が入っている。
美しい追悼文だ。


*この原稿を入力していると、デスクわきに1枚の原稿が目に入った。
読んでみると9月22日にクズについて書いた時の文章だ。
つまり、私がするりと逃げたものを見落とし、一部欠落したものをアップしてしまったようです。
300回以上もアップしていてこのようなことは初めて・・・
夫は何も知りませんが、できましたら、もう一度読んでいただけませんか?