図書館のねずみ

南アルプスの伏流水を使った香り高い珈琲を啜りながら、じっくりお気に入りの本が選べる本好きのためのささやかなサロン、ブックギャラリー&カフェ風信。現在は店舗移転の為、日々奮闘しております。書店では扱っていないような古書、絶版文庫を集めています。

2015年11月

富士のカラマツ、山梨「県民の日」の3館巡り

北海道は突然真冬に入り、本州・九州でも産地では雪景色が見られるようになったが、先週までは穏やかな秋日和が続いていた。
その20日、富士山五合目手前の御庭のカラマツが気になり、見に行ってきた。
この辺りは冬の環境が厳しく、富士山の森林限界になっている。
普通の高山ではハイマツの低い樹林が続くところだが、富士山では特有の背の低いカラマツ樹林となっている。
強風で主幹を折られたり、曲げられたりした2〜3メートルくらいの盆栽化したような古木が多くみられる。
樹間にはハクサンシャクナゲやシラビソ、林床にはコケモモのミドリ色というのが定番になっている。
すぐ、数十メートルも下ればカラマツは普通の樹形で素直に並んでいるから、いかにここの寒風が厳しいかわかる。

森林限界付近2

当日、ふもとの富士吉田ではジャケットいらずの穏やかな日だったが、雲に覆われていた。
五合目ではジャケットどころか、手袋がない指がすぐ凍り付く寒風が吹きまくっている。
カラマツの黄金色の落ち葉吹雪でも見られるかもしれないと思っていた甘い夢は、すぐ砕ける。
溶岩や軽石の道を行くと、すっかり冬木となった庭の古木状のカラマツが球果をたくさんつけて眠っている。
その根元にはコケモモのミドリ色と凍ったような実が見える。
まわりはフワフワのクッションとなったカラマツの落ち葉が積もっていて気持ちがよい。
これだけ確認してすぐ下山だ。


今日は、「山梨県民の日」県立ミュージアム4館はすべて無料だから、そのうち3館を回る強行軍となった。
中国人でいっぱいの五合目売店の郵便局で記念の風景印を押してもらい、帰途に就く。

風景印封筒

それにしても、スバルラインの道路沿いはよくミドリが回復したものだ。
以前は痛々しいほど破壊されていた森林は、幼木の植林や芝なども使い、自生のカラマツも生育しているようだ。
カラマツの花やハクサンシャクナゲの白い花が咲くころに、今度は登山道で上って来よう。
富士吉田の浅間神社から中ノ茶屋・馬返しを越え、五合目までは4時間半で行ける。


さて、河口湖を抜け、御坂峠のトンネルを山梨県立博物館へ急ぐ。
ここでは折よく開館10周年記念「富士山〜信仰と芸術」展を開催中だ。

富士山展2富士山展1

ここの目玉は、富士山本宮浅間大社の「富士参詣曼荼羅図」や役行者像だ。
富士の初登頂は、甲斐の黒駒に乗った聖徳太子だという伝説がある。
聖徳太子伝には必ず描かれるし、江戸時代には像としても奉納されている。
その黒駒が雲に乗って到着したのが七合目三勺の駒ケ岳という。
しかし、確実な登頂となると平安後期に数百回も登ったという末代(まつだい)という僧ということになる。
この末代が富士山頂に埋めたという経文をこの展覧会で見ることができて、感動的だ。
昭和五年に山頂三島岳から出土された、末代という名がある陶片と写経断片がこれだ。
長い年月埋められたことにより、固まり開くことができなくなった経文と一緒に展示されている。
貞観年間に大噴火した富士山は、ずっと噴煙を上げている。
浅間神社は山霊を鎮めるために建てられたという。
現存最古と言われる「役行者半迦像」(12世紀末)の迫力も相当なもの、思わず手を合わせて拝む人もいるほど。
絵画では、秋草図屏風の名月がわりに富士が描かれたもの、黒い富士が意外で面白いと思ったら、銀で描いたものが変色したものであった。
富士曼荼羅中の名品、狩野元信の印のある富士山本宮浅間大社蔵「富士参詣曼荼羅」(室町末)と、狩野探幽の「富士山図」(静岡県立美術肝臓)に後ろ髪をひかれつつ、県立考古博物館へ。
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表紙の図が「富士参詣曼荼羅」

考古博物館では「縄文の美」展が開かれている。

縄文の美展

縄文土器の造形美は世界的に有名になってきたが、ここ、山梨県にも優品が多く出土している。
特に八ヶ岳南麓からは水煙文土器やかなり複雑な文様や生き物を付けた鉢、そして女神像などの土偶が多く出土していて、一大中心地となっている。
この展示では十日町の火炎土器や渋川市の巨大な焼町式土器も加えて、縄文文化の造形美に圧倒されてしまう。
特に地元北杜市天神遺跡出土の深鉢の美しい文様とスマートな造形に脱帽。
表前面に精緻な文様が施されていて圧巻、
図録を買ったが、写真を載せられないのが残念。

もう、紙幅を越えてしまったので、3館目の県立美術館はタイトルだけ。
「花の画家・ルドゥーテのバラ展」

ルドゥーテ・バラ展

ナニワイアバラやモロッコバラも描いているが、特に「野生の素朴なバラ」にも力を入れて描いているのが嬉しい。


今回のおすすめ本「レンズが撮らえた幕末明治の富士山」(山川出版社 2013年刊)貴重な写真満載。

レンズが撮らえた明治の富士山」

恩地孝四郎の装本と「月映」

山麓の季節はまだ晩秋らしい風景だが、山は冬の気配になっている。
先週は甲斐駒の山頂が白く冠雪した。
周辺の山々は、高いところは紅葉が終わり、葉を落とした冬樹が目立つようになった。
最後まで残ったカエデ類の紅葉が美しい。

楓の紅葉

ブナやカラマツも黄から橙色に移り、葉を落とし始めた。
遠くに見える富士山も、山頂の雪はまだ少ないから夏山のように淡い色で目立たないけれど、稜線はくっきりした姿を見せている。

富士山 (2)

5合目近くの御庭の天然カラマツは、もう葉を落としてしまっただろうか、気にかかる。
今月中で閉鎖されるスバルラインは平日無料になったらしいから、見に行きたいが…。



前回、前々回と装本家、雪岱・壮八について書いたが、今回は版画家・装本家としての恩地孝四郎のことを書きたい。

先月まで、東京駅のステーションギャラリーで開催されていた「月映」つくはえ展は、若き日の恩地孝四郎・中森静雄・田中恭吉の3人が始めた版画と詩文の同人誌「月映」や同時代の手紙を中心とする充実した展覧会だった。

月映リーフレット


主要版画作品は公刊になった機械刷りの「月映」(夢二の画集を出していた洛陽者から200部ほど、第7集まで刊行されたがほとんど売れなかったようだ)と、私家版として3部だけ作った木版詩画集(1〜6)ということになる。
これは恩地が保存していた、ただ一つだけの(田中・藤森の分は失われてしまった)貴重な作品群だ。
(現在は田中の故郷・和歌山県立美術館に寄贈されている)


夭折の版画家・田中恭吉の評価は、この作品群が失われていれば幻の画家になっていただろう。
田中恭吉が「月映」の名を恩地に提案したハガキが残っているが、これが大正3年3月21日、そして恭吉が亡くなったのが大正4年10月23日、享年23。
その間、1年半。
それも半分くらいはもう版画が作れず、詩文だけを載せたのだから、この画家は月映以前も含めて実質1年だけで、これほど完成度の高い作品を残しているのだ。


恩地と藤森は遺作展を日比谷美術館で開いたが、遺作集の刊行はできなかった。
死後、刊行された萩原朔太郎の第一詩集「月に吠える」は恩地が装本など協力して、著者も望んだように田中恭吉遺作小画集の想いも込めて、カバー、口絵、挿絵などに恭吉の作品を多く収蔵している。
恩地宛の朔太郎の手紙には、「今度の出版は私一人の詩集ではなく、故田中氏と大兄と小生との3人の芸術的共同事業でありたい、少なくとも私はそう思っている」とある。

月に吠えろカバー月に吠える


恩地の装丁はそれ以前、竹久夢二の「どんたく」(大正2年刊)から始まっている。

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この小さなかわいい夢二本は、以前NHK日曜美術館で恩地孝四郎展を取り上げた時、長女三保子さんの手に載せていた本に違いない。
三保子さんは、父・恩地孝四郎が果たせなかった念願の恭吉画集を1983年に実現することになる。
これが龍星閣から出た「太陽と花」田中恭吉詩画集だ。

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恩地孝四郎の代表的な装本をお見せしたいと、吉田弦二郎のいつも手元近くに置いていた本を探したが見つからない。
筑摩書房の百巻を超える「現代日本文学全集」もここにはない。
氏の装本の仕事は三省堂刊の「恩地孝四郎・装本の業」を見ていただきたい。

ここでは、ちょっと珍しい恩地孝四郎の本を2冊ご紹介したい。
恩地孝四郎も美術家としては文筆もよくしていた人だ。
その著書もいくつかある。
創元選書の「日本の現代版画」も「詩集」もあるが、エッセイ集「工房雑記」(興風館1942年刊)と珍本「人間の作る美」(六三書院1949年刊)の書影を載せることにする。

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前回載せられなかった、木村壮八の代表的な装本を追加したい。
石川淳「白頭吟」(中央公論社1957年刊)の外箱(貼り函)の挿画。

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日本独自に発達させた、貼り函入りの文芸書。
今となってはかなり贅沢な装丁。
もうこの貼り函を作る製函屋差は1件あるかどうか…

大佛次郎の壮八本、他

風もほとんどないのに桂の黄葉がバラバラ落ちる。
玄関先は1日で落ち葉で埋まり、落ち葉の香りに包まれる。

桂の落ち葉

緑が所々に見えるのはヤブコウジで、まだ赤い実はつけていない。
ムラサキシメジもそろそろ出現する季節になったが、まだ姿を見せない。
今年も最後の花、サザンカと茶の花が咲き始めている。
どちらも寒さには滅法強いツバキの仲間だし、花も美しいから寒さの厳しい山麓の庭木や垣根には欠かせない植物だ。

茶の花




10月末、まだ秋のバラが咲いている「港の見える丘公園」の大佛次郎記念館や県立神奈川近代文学館をのぞいてきた。
文学館では生誕140年「柳田國男展」が始まっている。

パンフレット

文学の側面から抒情詩人として出発した柳田が、官僚として全国の山村を視察するうちやがて民俗学へと向かう道筋がよくわかる展示で興味深い。
特に文学者で旅の作家・田山花袋との絵葉書や手紙を見て、この二人が特に深い交流が続いていたのを確認できた。


大佛記念館は久しぶりだ。
いまは、「大佛次郎の愛した舞台―バレエも歌舞伎も―」の小さな展示があるが、ここでは猫の置物や、絵に囲まれた書斎や横浜を舞台にした開化物の書影、木村壮八の挿絵だけ見ればそれで良い。
生きた(?)猫たちに囲まれた木村壮八の書斎写真を見たことがあるが、大佛次郎の鎌倉の家も常に十数匹の猫が出入りしていた。

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猫のことは別にしても、開化モノの代表作「霧笛」は昭和8年、朝日新聞に連載したものだが、木村壮八の挿絵とともに記憶されるべき作品だ。
「薔薇の騎士」も「花火の街」も、戦後の「幻灯」や「その人」など大佛の横浜開化モノには必ず壮八の挿絵や装丁絵に飾られて出刊された。

薔薇の騎士

鏑木清方も画家としては、かなりの文筆の仕事を残したが、壮八の文筆の仕事は圧倒的に多い。
画家として一番著作物を多く残したのは壮八ではないか。

新編・東京繁盛記


講談社から出た全10巻の全集があるくらいだから、推して知るべし。
(現在の画家・横尾忠則もかなりのもの)
壮八は前回書いた花柳章太郎の本に序文を載せたくらいだから、舞台美術や時代考証の仕事もあり、歴史小説の挿絵画家としても、明治の「風俗画報」や古写真の浮世絵版画などの資料から多くを学んで、得意の細いペンで挿図や挿絵を描いた。
特に大佛の幕末・明治ヨコハマ小説や、荷風の風俗小説、安藤鶴夫の寄席小説なども木村壮八の挿絵なくては考えられない印象を残している。
壮八の「装本の業」はとても数えきれないほど多い。
プロの装本家として初めて立ったのは、この壮八か恩地孝四郎ではないだろうか。

ところで、大佛記念館で入手した「おさらぎ選書」19・23には兄・野尻抱影(星の文人・英文学者)への書簡と、抱影からの書簡の一部が公開されていて貴重だ。
また、12日からは「星の抱影と弟・大佛次郎」の展示が始まる。
28日の大佛研究会(近代文学館ホール)には、「星の文人・野尻抱影」も上映される。
プロフィール
ウェブサイト
お店のウェブサイト
http://home.netyou.jp/33/fushin/
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