図書館のねずみ

南アルプスの伏流水を使った香り高い珈琲を啜りながら、じっくりお気に入りの本が選べる本好きのためのささやかなサロン、ブックギャラリー&カフェ風信。現在は店舗移転の為、日々奮闘しております。書店では扱っていないような古書、絶版文庫を集めています。

2016年02月

二月の「十日市」に行ってきた

2月11日に、甲府盆地に春を告げるといわれる南アルプス市十日市場の「十日市」(2月11日に開催される)を見てきたので、忘れぬうちにちょっと書いておきたい。

十日市

昔は、「ないものは猫のタマゴと馬のツノ」といわれて賑わった十日市も、ホームセンターやスーパーがどこにでもある現在では、市で売れるモノも限られる。
縁起物のダルマやクマデ飾り、餅つきの臼や杵、柳材のマナ板、メンパや蒸し器などの木製品、これでモノはほとんどすべて。

臼と杵の店正月飾りの店

チト、サミシイ。
他には植木、海産物の露店が少し、あとはほとんどが子供相手の縁日露店(広島焼き、ヤキソバ、ベッコウあめ…)が並ぶばかり。
珍しい郷土玩具や、手作りの郷土食品でもないかなと期待していたが、大ハズレ。
ただ一つ、カヤの実を砕いて入れてある「かやあめ」が珍しかったので、買ってきた。

かやあめの店かやあめ


やはり、十日市といえば旧暦正月十日の市なのだから新暦正月をとった現在では1月の10日のほうが良いのではないか。
正月にふさわしい縁起物や新しい年にふさわしい玩具や道具、食品なども売りやすいのでは?と思いますが、縁日の露店を出すテキヤさんにとっては2月にも売りたいのでしょうか。

1月10日に開かれる会津の十日市は、正月飾りや縁起物の「起き上がり小法師」の店がたくさん出て、いかにも正月らしい華やかな賑わいがあって楽しい。
正月気分の抜けてしまった2月では、着物姿も見られない。
旧正月を祝うところでないと2月開催の意味がないと思いながら、「猿まわし」だけは楽しんだ。
猿のジャンプ力はたいしたもので、助走はほとんどなしで、身長の2倍以上を軽々と跳んだ。

猿まわし


それと、ここ南アルプス市加賀美地区(旧若草町)は、江戸時代から瓦の生産地として有名だったらしい。
甲府城の瓦もここが受け持ったようだ。
幕末明治〜昭和まで「特に最盛期の昭和25年頃には、三十軒以上の製造工場がここに集中していた」と、ここにできた「若草瓦会館」のパンフレットにあった。

若草瓦会館

近年その技術を使って、「鬼面瓦」というものを開発している。
棟を飾る鬼瓦ではない
家内安全・無病息災・商売繁盛のお守りとして飾るものだ。

鬼瓦

どこでもあるダルマよりも、ここの十日市で売る縁起物としてふさわしいのではないだろうか。
手のひらサイズから巨大なものまで売り出してほしい。

かや(榧)あめと、旧若草町が瓦の生産地(特に鬼面瓦)と知ったことで十日市に行った意味があった。

天空の郷・熊野の旅(2)

この2・3日の陽気と大雨で様子が変わってしまったかもしれないが、数日前までは中央線沿線の山々の残雪が山襞のボリュームを美しく見せて、1000メートル以下の普通は目立たない山でも見直したくなるほど立派な山容を見せていた。

庭の雪も陽当たりのよいところはほとんど消えてしまったが、意外としぶとく雪を残している場所もある。
別に北側や日陰になる場所でもなく、ちょっとした傾斜、陽の角度、風当り、土壌などによっても微妙に変わってくる。
別に猫がいなくても、どこが一番暖かい陽だまりになっているかは、雪の解け具合で明らかになる。
雪解けの速い南向きの軒下には、雪で餌を見つけられない小鳥たち、シロハラ・ツグミ・シジュウカラなどが、いち早く草の実や若葉を求めてやってくる。

日照や風雨に一番敏感なのは、深い谷筋に生活する人たちだ。
秘境と呼ばれ平地のほとんど見当たらない酷しい土地では、水さえ確保できれば、冬の日照時間ができるだけ長い場所で風雨が強く当たらないところに住むことになる。
日本の伝統的な家屋は夏の暑さには強いが、冬の寒さには滅法弱い。
農作物にとって日照時間が一番大事である。
南に急斜面の高い土地。
四国祖谷地区の落合集落、九州五家荘・五木地域、南信州大鹿村や遠山郷、奥秩父、山梨では南アルプスの早川町赤沢地区など、急斜面に石垣を作り、畑と集落がへばりつくように高い土地に孤絶して、「天空の郷」となっている。

遠山郷パンフレット


こんな風景が思い浮かぶ。
深い渓谷には長い吊り橋がかかり、豊かな湧水や井戸がある。
農村歌舞伎や神楽が今も残っている。
米や麦はできなくても、イモやソバができる。
串団子は昔からある小ぶりなしっかりしたジャガイモだ。
ジャガイモとは思えない、越前大野のサトイモのような食感、充実感がある。
どこもコンニャクやソバが名物で、タンパク源にはアマゴなどの川魚やトーフがあるが、ジビエ料理が自慢だ。

信州ジビエパンフレット

特にこの季節はイノシシやシカ、ウサギが獲れる。
シシ鍋にシカのステーキは美味で良質なタンパク源だ。
野生動物専用の加工場や山肉だけの肉屋もある。
シカやイノシシを獲ったハンターは下処理(血抜き)して、すぐに肉屋に持ち込む。
「シシ肉・入荷」の看板を出す暇もなく、次々と売れていく。
山肉情報は村中にすぐ伝わるらしい。

十津川村も昔から秘境と言われてきたが、渓谷沿いの細い道路が整備されてきている。
トンネルやバイパスの大工事によって秘境らしさは失われつつあるが、深い渓谷の風景と吊り橋、熊野古道、そして良質な温泉もあるのが魅力だ。
秘境の集落(天空の郷)を求めるならば、農家の庭先が世界遺産となり一躍有名になった熊野参詣道「小辺路(こへち)」の、果無(はてなし)集落に登ってみるといい。

世界遺産の碑

十津川温泉からダム湖沿いに国道を20分くらい歩き、石畳の古道を登る。

熊野古道

(ホテル昴の郷(すばるのさと)に泊まれば、長い吊り橋体験もできる)
30分くらいで尾根道の小さな集落に着く。
ここには豊富な湧水があり、水路には大きな鯉を飼っている。
果無の湧き水果無の湧き水(鯉)










小さな水田らしきものもある。
干し柿も吊るした日本の山村風景が、そのままコンパクトに残っている。

果無の民家(軒先を古道が通る)果無の集落
















ここから1100メートル果無峠越えの難所を抜ければ、中辺路の古道と合流して熊野本宮大社に行けるが、このルートで本宮大社へ行く人はあまり多くない。
それにしても果無集落のすぐ上まで舗装した自動車道ができてしまったのはいただけない。
少し下か目立たぬよう裏のほうまでに配慮がほしい。

もう一度来たいと思う旅の地では、一つか二つ行きたい場所を残しておくのが旅の常道だ。
十津川村では玉置神社と「野猿」を残した。
熊野三山の奥の院ともいわれた玉置神社は大峯奥駈道にある。
登山道しかない1000メートルの高所にこの立派な建物や壁画を残した奇蹟、ここへは寄る時間もタクシー(途中まで村で1台だけ)もなかった。
野猿は手でロープを引っ張って動かすカゴ状の移動車。吊り橋の代わりになる。

伊那谷の老子亡くなる

大寒の日、−6℃を越えている。
文字通り、この冬の底になる真冬の週に入ったようだ。
18日(月曜)の雪は2年前の大雪を思い起こさせたが、2〜30僂寮兩磴悩僂鵑澄
恐れていた2度目の雪はほとんど降らなかったが、土の上や日陰の雪は当分消えそうもない。
轍ぶどう棚











釜無川釜無川2



水分の多い重たい雪が竹をしならせて電線を切った。
ガルバリウム鋼板の屋根を一気に滑り落ちる雪の音を聞いて窓の外を見ると、数秒間はホワイトアウトして何も見えない。
屋根の下を歩いていたら雪崩と同じ状況となっただろう。
クワバラ、クワバラ…。
残った雪が少し溶け出しては凍り付き、透明な槍刃のように長いツララ(氷柱)ができ、成長しつつある。
これも下から見るとちょっと怖い。
つららつらら (2)







しばらく読めなかった正月の新聞をまとめて見ると、信州「伊那谷の老子」が亡くなっていた。
12月25日、92歳の死とある。


七草粥の日だったと思う。
飯田線に乗って、気になっていた甲斐駒ケ岳の反対側の風景を見に行った。
鉄路だけだからじっくりとは言えなかったが、やはり鋭く、ピラミダルな特徴的な山頂を確認した。
すぐ仙丈岳の大きな山容ばかりとなってしまうが、右窓の中央アルプスの高嶺がまぶしく迫ってくる。
伊那谷に入ってきたのだ。
駒ヶ根駅に近づくことには南アルプスは少し遠ざかり、中央アルプスの真っ白な山並にくぎ付けになってしまう。
伊那谷では、駒ケ岳と言えばこの中央アルプスの駒ケ岳連邦のことだ。
西の駒ケ岳、または基礎駒ケ岳と登山家には区別されるが、地元の人たちにとっては甲斐駒はあまり関係がない。
白州と反対側の登山口、信州長谷村では、東駒ケ岳・西駒ケ岳と区別するのだろうか、気になる。

伊那谷の老子(老師と呼びたい気もするが)の山家、加島祥造さんの晩晴館と呼んだ家は、この駒ケ根の天竜川を越えた南アルプス側の里山の中腹にある。
中沢という山村の片隅の丘、庭からは仙丈岳の白い山頂の一部分が見え、正面には中央アルプスの駒ケ岳連邦が長く連なっている風景が目に浮かぶ。
列車は駒ヶ根駅に数分停まり、飯田に向かう。
この時、晩晴館主人は亡くなっていたのだ。
我が家の紅梅は蕾の紅を見せていたが、凍り付いて開くことができない。
たぶんこのまま開花しないだろうが、晩晴館の紅白梅は咲き始めただろうか。
ロウバイはどうか。
大きくなったコブシの木やサンシュユの蕾は膨らんでいるのだろうか…気にかかると書いたが、氏の家に行ったことはない。
用もないのに山の向こう側を訪ねる気持ちにはならなかったが、亡くなってから行きたい気持ちが強くなっているのを感じる。
いくつかの縁を感じたのだ。


神田生まれの都会っ子の氏が伊那谷を見て、故郷を感じ、完全移転したのは65歳の時。
それまでは、長年住み慣れた横浜と伊那谷を行き来していたのだ。
氏の最初の晩晴館は、山手の丘のはずれ、打越の切通し脇にあった。
横浜暮らしは長く、かなり深い。
第二の故郷は横浜だろう。
(奥様の実家は本牧にあったようだ)
第三の故郷・伊那谷に移る少し前から、それまでの英米文学から東洋の詩に足を移していくことになる。
この南信濃の伊那谷に出会って初めて自然の奥深さを知り、田舎暮らしの中で「タオ」にのめり込んでいった。
同時に長くできなかった詩作や書・墨絵にも挑戦していくことになる。
晩年、書かねばならないのは残念だが、ベストセラー詩集「求めない」(小学館2007年刊)まで出て、「時の人」となってしまった。

氏のエッセイを読んでいたら、「かつて人に教わった姫烏頭(ヒメウズ)という淡紅色を帯びた白色の小花が…」というところに「オヤ?」と思ったことがある。
また、「伊那谷の老子」の中の別のエッセイを読んでいたら、東京下町のせっかちでせわしない歩き方が伊那谷に来ていつの間にか「カラマツ林のつづく谷沿いの道を散歩している自分がゆっくり、とまりそうな歩き方をしているのにきづいた。…かつて鎌倉で友人から教わった姫烏頭という小花が実に立派な頭を上げているのを目にして、のろい足どりさえ停まった。」とある。



これはもう間違いがない。
鎌倉のヒメウズという地味な野草の名前を教えた友人とは、詩人の伊藤海彦さんに違いない。
小生も、ヒメウズの名は海彦さんから教わった。
氏のエッセイ集「小径の消息」(かまくら自然手帳)にはヒメウズの項もあるが、序詩を少し載せたい。

小径の消息

この気持ちは「伊那谷の老子」と同じだろう。

  小径の生涯を 私は生きてみたい
  名もない山の ありふれた小径がいい
  それも 気づかれぬしぐさで
  接骨木(にわとこ)の根からそっと岐れているようなのがいい
  草いきれの夏には埋もれ
  凍み雪の下では忘れられる小径
  枯葉の告げる死の暗さをしきつめながら
  しかし春ともなれば つつましい日向(ひなた)と
  すみれ ひめうず ふでりんどう・・・
  ちいさな花にほちほち ふちどられるのがいい
  ・・・

まだ続くが、続きは「小径の消息」(かまくら春秋社・昭和52年刊)で読んでもらいたい。

海彦さんは「鎌倉花信抄」(アトリエ風信・1997年刊)を遺して逝ってしまった。

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そしてその後出た、加島祥造氏の「老子と暮らす」(光文社・知恵の森文庫)を今回初めて読んでみると、「なによりも驚くのは微小な草花の見えてきたことだ…姫烏頭らしい淡い小粒の花(もし姫烏頭なら友の海彦の教えた草だ)…」とあった。

老氏と暮らす



白州か飯田のキンツバでももって、お茶友として晩晴館を訪ねるべきだった。
いつも「ひとり茶」を楽しむ氏にしても、「誰か来てくれて一緒に茶をのめるときはもっと嬉しいのです!」と書いていたのだから。

ひとり

海彦さんのこと、田舎暮らしのこと、横浜のこと、10年かかったユウスゲ(夕菅)の美しさについて…共通の話題は多い。
ユウスゲは、氏が生涯で最初に心を打たれた草花だった。
「このころ、夕菅を見るたびに、何かしめつけられるようなものを感じることがある」と書いた氏に、ユウスゲの美味しさを話したらどんな顔をされただろうか。
プロフィール
ウェブサイト
お店のウェブサイト
http://home.netyou.jp/33/fushin/
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