図書館のねずみ

南アルプスの伏流水を使った香り高い珈琲を啜りながら、じっくりお気に入りの本が選べる本好きのためのささやかなサロン、ブックギャラリー&カフェ風信。現在は店舗移転の為、日々奮闘しております。書店では扱っていないような古書、絶版文庫を集めています。

自然

クマ・サル・イノシシ・ヒトと木落とし坂

秋田では人間とクマがネマガリタケの取り合いで何人もの死者を出しているが、それでも人は山に入る。
このタケノコを食べなくては夏が来ないのか?
それとも日給2万円の魅力か。
たぶん両方だが、後者が勝っている人が、ベルを鳴らし花火をつけて竹やぶに入っていく。
普通なら音で逃げ出すツキノワグマも、この時期、ネマガリタケに夢中で簡単には逃げない。
中には、人間など恐れないクマもいる。
人間を威嚇してくるサルもいるのだから。

このところ我が家でも、サルの来訪(?)が多い。
先週からもう4回もサルの群れが来た。
毎年くるこのサル群は、八ヶ岳方面から川沿いに降りてくる同じグループだろう。
この時期は桑の実が狙いだ。
サルが去った後は、道路に桑の実や枝葉が大量に落ちているから、すぐわかる。
しかし、それ以前にやたらと騒がしくなるので「また来たな」と、寝ぼけ頭でふらふらしながらカメラを探すことになる。
(サルの群れは、ほとんど早朝、もしくは夕方のこともある)
我が家は片流れの屋根で眺望がきき、一方は高さがあり長いから、若いサルにとってはいい遊び場になるのだろう。
いつも屋根の上で大暴れして、起こされてしまう。
カメラを持って、そっと外へ出るのだが、すぐサルに知れて一目散に木を伝い、あるいは電線を綱渡りのように上手に山側の林に逃げてしまう。

このサル群は野生動物らしく、一定の距離を置いて近づくことはない。
人慣れして悪さをすることはない。
写真も赤い尻くらいしか撮れないのは残念だが…。
サル


隣の敷地は黒竹のタケノコが出るが、この方はイノシシが狙っているようだ。
「ようだ」と言うのは、まだ目撃していないからだが、昼間見ると根を掘った後が次々と見つかる。
イノシシは表面に出たタケノコには見向きもしないで、地中の柔らかい根をかじっているようだ。
イノシシは夜行動物だから、人と対面することはない。
まさかクマではないだろう。
釜無川を越えた尾白川沿いの森やキャンプ場には、南アルプス山中から降りてきたクマの目撃がある。
名水公園には、「クマに注意」の看板があったという。
こちらはネマガリタケはないから、それほど心配はないだろう。


「御柱」祭のクライマックスと言われる木落とし坂をまだ見ていないので、上社と下社の二つの木落とし坂を見に行ってきた。
また、新しい4つの御柱が建った上社前宮、上社本宮、下社春宮、下社秋宮にも寄ってこよう。
上社の木落とし公園は茅野の駅から歩いて行けるところにあるから、ついでに寒天蔵のいくつかも見てみたい。
前宮一の柱上社本宮一の柱


上社本宮二の柱


下社春宮一の柱下社秋宮一の柱


下社春宮


寒天蔵寒天蔵 (2)







中央線茅野駅の手前、列車から望める場所に上社の木落とし坂を整備して「木落とし公園」が作られている。
この坂は思ったより緩やかな坂で、その坂下は大きく芝生が広がり、事故が起きないように配慮されている。
安全重視の穏やかな坂になっている。

上社木落とし坂 (1)上社木落とし坂 (2)


こことは対照的に見るからに危険で危ないのが、下社の木落とし坂だ。

下社木落とし坂 (2)下社木落とし坂

春宮のずっと先、下諏訪駅からは歩くには遠すぎる山側に、山を切り拓いた急坂が作られている。
その角度45度、それもかなり長い距離を落とすが、その下にはほとんど平らなところがない。
すぐ、道路と川だ。
道路に突っ込みかねない危険な場所だ。
ここが映像でもよく見る、死者も出る下社の木落とし坂だ。
クワバラ、クワバラ。

天空の郷・熊野の旅(2)

この2・3日の陽気と大雨で様子が変わってしまったかもしれないが、数日前までは中央線沿線の山々の残雪が山襞のボリュームを美しく見せて、1000メートル以下の普通は目立たない山でも見直したくなるほど立派な山容を見せていた。

庭の雪も陽当たりのよいところはほとんど消えてしまったが、意外としぶとく雪を残している場所もある。
別に北側や日陰になる場所でもなく、ちょっとした傾斜、陽の角度、風当り、土壌などによっても微妙に変わってくる。
別に猫がいなくても、どこが一番暖かい陽だまりになっているかは、雪の解け具合で明らかになる。
雪解けの速い南向きの軒下には、雪で餌を見つけられない小鳥たち、シロハラ・ツグミ・シジュウカラなどが、いち早く草の実や若葉を求めてやってくる。

日照や風雨に一番敏感なのは、深い谷筋に生活する人たちだ。
秘境と呼ばれ平地のほとんど見当たらない酷しい土地では、水さえ確保できれば、冬の日照時間ができるだけ長い場所で風雨が強く当たらないところに住むことになる。
日本の伝統的な家屋は夏の暑さには強いが、冬の寒さには滅法弱い。
農作物にとって日照時間が一番大事である。
南に急斜面の高い土地。
四国祖谷地区の落合集落、九州五家荘・五木地域、南信州大鹿村や遠山郷、奥秩父、山梨では南アルプスの早川町赤沢地区など、急斜面に石垣を作り、畑と集落がへばりつくように高い土地に孤絶して、「天空の郷」となっている。

遠山郷パンフレット


こんな風景が思い浮かぶ。
深い渓谷には長い吊り橋がかかり、豊かな湧水や井戸がある。
農村歌舞伎や神楽が今も残っている。
米や麦はできなくても、イモやソバができる。
串団子は昔からある小ぶりなしっかりしたジャガイモだ。
ジャガイモとは思えない、越前大野のサトイモのような食感、充実感がある。
どこもコンニャクやソバが名物で、タンパク源にはアマゴなどの川魚やトーフがあるが、ジビエ料理が自慢だ。

信州ジビエパンフレット

特にこの季節はイノシシやシカ、ウサギが獲れる。
シシ鍋にシカのステーキは美味で良質なタンパク源だ。
野生動物専用の加工場や山肉だけの肉屋もある。
シカやイノシシを獲ったハンターは下処理(血抜き)して、すぐに肉屋に持ち込む。
「シシ肉・入荷」の看板を出す暇もなく、次々と売れていく。
山肉情報は村中にすぐ伝わるらしい。

十津川村も昔から秘境と言われてきたが、渓谷沿いの細い道路が整備されてきている。
トンネルやバイパスの大工事によって秘境らしさは失われつつあるが、深い渓谷の風景と吊り橋、熊野古道、そして良質な温泉もあるのが魅力だ。
秘境の集落(天空の郷)を求めるならば、農家の庭先が世界遺産となり一躍有名になった熊野参詣道「小辺路(こへち)」の、果無(はてなし)集落に登ってみるといい。

世界遺産の碑

十津川温泉からダム湖沿いに国道を20分くらい歩き、石畳の古道を登る。

熊野古道

(ホテル昴の郷(すばるのさと)に泊まれば、長い吊り橋体験もできる)
30分くらいで尾根道の小さな集落に着く。
ここには豊富な湧水があり、水路には大きな鯉を飼っている。
果無の湧き水果無の湧き水(鯉)










小さな水田らしきものもある。
干し柿も吊るした日本の山村風景が、そのままコンパクトに残っている。

果無の民家(軒先を古道が通る)果無の集落
















ここから1100メートル果無峠越えの難所を抜ければ、中辺路の古道と合流して熊野本宮大社に行けるが、このルートで本宮大社へ行く人はあまり多くない。
それにしても果無集落のすぐ上まで舗装した自動車道ができてしまったのはいただけない。
少し下か目立たぬよう裏のほうまでに配慮がほしい。

もう一度来たいと思う旅の地では、一つか二つ行きたい場所を残しておくのが旅の常道だ。
十津川村では玉置神社と「野猿」を残した。
熊野三山の奥の院ともいわれた玉置神社は大峯奥駈道にある。
登山道しかない1000メートルの高所にこの立派な建物や壁画を残した奇蹟、ここへは寄る時間もタクシー(途中まで村で1台だけ)もなかった。
野猿は手でロープを引っ張って動かすカゴ状の移動車。吊り橋の代わりになる。

熊野詣 ゝ雋笋鬚歓逝里箸垢訖請區声辧峺翕まつり」はもうすぐだ。

寒の入りになってから、ようやく冬らしい天候が多くなり、本日は大雪。
今までの春のような温かさで、我が家の白梅(甲州野梅)も満開になってしまった。
ロウバイも咲き出している。
少しくらい寒い日があっても、膨らみかけた蕾は止めようもなく、陽をいっぱいに受ければ咲き出してしまう。
早咲きで有名な熱海の梅林(この庭は横浜の豪商・模擬惣兵衛が残したものだ)や、赤城山麓のロウバイの名所も一か月近く早く咲き始めていることだろう。
ひょっとして、秩父・西神のセツブンソウも咲き出したかもしれない。
ブログをさぼっているうちに季節はどんどん進む。
年末、大晦日にかけて熊野詣ででの旅をしたので、忘れぬうちに少し書き留めておきたい。

近鉄の大和八木駅を始点として奈良県の最南端、現在では「日本一面積の広い村」となった十津川村に入る「日本一長い路線バス」は、大水害を起こした熊野川沿いの狭い道を対向車に注意しながら(大型トラックとのすれ違いは、かなり困難となる)、旧道のバス停をもらさず停車して行かねばならない。

熊野川

大規模な新道工事や新トンネルによるバイパスなども一部できてはいるが、この路線バスでは使えない。
十津川村までは約4時間、途中谷瀬の吊り橋(観光用ではなく生活用の吊り橋としては「日本最大級」297メートルの長さ)では、20分の休憩時間も用意されていて観光バス対策も取っている。

吊り橋

乗客のほとんどが観光客なのだから、当然とも言えるが…。
バスは十津川温泉から熊野本宮、そして日本最古の湯(ツボ湯・世界遺産)や冬の風物詩・河原の仙人風呂も見ながら終点新宮駅に向かう。
温泉好きにもたまらないコースをたどる。
この辺りは完全に観光バスになっていて、「このツボ湯は彼の小栗半官がこの湯に入り蘇生したという伝説がある日本最古の温泉です」という調子。
この一日七回色を変えるという小さな名湯は、今でも営業している公衆浴場としては、唯一の世界遺産だという。

さて温泉のことはさておき、最終日、大晦日の早朝のお詣になった神倉神社のことを先に書いて今回は終えたい。

神倉神社パンフレット

新宮駅、山寄りの権現山中腹に赤い社殿と背後の巨石(磐座(いわくら))が望まれる。
この磐座こそ、熊野速玉大社の大元となったものだ。

神倉神社遠景


熊野三山が成立し、熊野詣が始まる以前の古代の自然崇拝が、この一帯に色濃く残っている。
那智大社は瀧を御神体としているが、巨岩や岩山を神とする古代の磐座信仰は、ここ新宮から熊野市一帯の伊勢路に特に多い。
熊野市の七里御浜にある「花の窟神社」。
ここは浜を見下ろす70メートルの一枚岩が御神体となり、社殿もない。
この山側の奥には「大丹倉」と呼ばれる巨大な岩壁があり、(高さ300メートル、幅500メートル)鉄分による朱色が露出した岩山自体が神のおわす磐座とされている。(未見)
ここの丹倉(あかくら)神社には、巨大な球状の磐座が祀られている。
ここにも社殿はない。

巨岩を御神体とする神倉神社の石段(源頼朝の寄進と伝わる)こそ圧巻で、生易しい気持ちで登ろうとする人たちを拒絶するかのように立ちはだかっている。

石段上り口石段上り


傾斜度30度を超え、急なところは45度をも超えるほどの幅広い石段が500段以上続く。
それも形も大きさも不規則な石の組み合わせや、神の技ともいうべき自然階段が覆いかぶさるように高く続いている。
急な場所では両手をついてハイハイ状態になりかねない。
どうにか登っても、降りられるだろうか不安になるほどだ。
(危ない人たちには女坂も一応用意されている)
これでは陽が落ちて、暗くなれば危険になるわけだ。
前日4時近くに着いた新宮駅で、その足で急いで神倉神社に行こうとするのを観光案内所の女性が慌てて止めた理由が分かった。
しかし、この危険極まりない500段の石段を闇夜に駆け下りるのが毎年2月6日の「御燈まつり」だ。
白装束の腰に縄をまき、草鞋履きの千数百人の若者たちが松明を手にして。
写真で見ると、入り口の鳥居を燃やさんばかりに炎が舞い上がり、火の河が流れ落ちていく。
「那智の火祭り」とは異なって、狂気を感じさせる原初の祭りがここにはある。
一人足を踏み外せば、大惨事になりかねないが、その恐怖をはねのけ八咫(やた)烏(がらす)となって駆け下りる。
精神が高揚する祭りだからこそできる技だ。
長野県諏訪の御柱祭りも近いものがある。

この石段を登りつめると、巨大な一枚岩が参道のように社殿に続いている。

神倉神社

そして赤い社殿の上に覆いかぶさる御神体のゴトビキ岩が目に飛び込んでくる。
ゴトビキはヒキガエルのことらしいが、立派な注連縄(しめなわ)で飾られているこの磐座は古代熊野信仰のシンボルと言える。
熊野の神々は最初にこの巨岩に降臨したことになっている。
この社殿の石垣には、よほど暖かいのか野生のツツジが花をつけているのも珍しい。
巨石ツツジ



そして急すぎる石段を登り終えたご褒美は、新宮の街並みと熊野灘の美しい眺望だ。

神倉神社からの遠望


新しい年にふさわしい熊野三山のお守りを載せ、ちょっと遅いが新年のご挨拶としたい。本宮大社の88羽の烏文字。

熊野牛王神符


それと、速玉大社の平清盛お手植えと伝わる梛の葉をつけた正月飾り。

梛速玉大社お飾り

秋の七草  屮ズの葉」考

9月初めに妻が言うには
「windows10をインストールしたら、次の日パソコンが起動しなくなった。なんで!!ヘルプに聞きながらいろいろやってみたが、解決しなかった。修理に出さなくてはならないけれど、最後の四国旅行の写真だけはバックアップを取っていなかった。残念!」

と、言うわけでパソコンは2週間出かけていた。
戻ってからが、また、大変…そうなのか。
家電のようにプラグを差し込んでスイッチを押せば働くというものではない…らしい。
仕事をもっている妻はシルバーウイークまで待って、あれこれ様々な実際の線をつなぎ、インターネットで色々つなぎ、やっとめでたく前のように利用できるようになった…そうだ。
パソコンというやつはなかなかに気難しい道具のようだ。
そして、油断できないもののようだ。
しかし、便利この上ないもののようだ。


夏の車窓はクズの葉ばかり見ることになる。
線路の崖や土手はクズで覆われ、ツルは垣根や電柱まで登り始める。

R0011587

バイパスの法面はすべてクズの海と化する。
ツルは車が走らなければ路面まで占領しかねない。
無人駅では、空き地や斜面から伸びたツルがプラットフォームまで覆いそうな勢いだ。
真夏のクズの成長は驚異的だ。
アメリカでは日本のクズを荒地の緑化、グランドカバーに有用だとして導入したが、今ではそのあまりの勢いに手を焼いている。
反対に日本では、外来の植物・荒地ウリが河川敷や休耕田を占領している光景をよく見かけるようになった。
両者が合わさったら最強となる。
電柱を支えるワイヤーを競うように上り始め、ツル植物止めを簡単に乗り越えてしまう。
そこにヤブカラシやカナムグラでも加われば大変なことになる。

林業家にとっては、クズは一番厄介な敵となる。
日当たりのよい山地の斜面に植えられたスギ・ヒノキの苗木はたちまちクズが全面を覆い、日光を遮ってしまう。
早くクズを取り除かないと手遅れとなる。
林業の盛んな吉野が昔から葛粉の生産地となっているのは、意味のあることだ。
ここにはクズの根を掘る山人がいる。
「吉野葛」が高価なのも、その手間を考えればもっともなことだ。

吉野葛

「若狭葛」高級食材となってしまった。
「伊勢葛」「吉野葛」には近くに京都という、日本料理や和菓子の本場と周辺の林業がある。
「筑前葛」も城下町と近くに林業家がいるからではないか。

クズはマメ科のツル性植物で、荒地に強く根には良質のデンプンを大量に蓄える。
晩秋から冬にかけて根を掘り出すが、予想以上に太い。
芋のように養分をため込んでいる。
厄介なことに、ツルは節ごとに地面に振れれば根を出す。
ツルを引っ張っても仲々最終の本根までは行きつかない。

葛粉は予想以上に古くから利用されていたのではないだろうか。
葛布のようにツルの繊細を布とすることや葛根湯のように薬用として使い始めれば、当然その根のデンプン質も利用されるはずだ。
葛粉の精製技術が中国から伝わる鎌倉末〜室町以前、古代から日本では独自に利用されていたのでは?
秋の七草に万葉の時代からクズの花が選ばれている説明がつかない。
万葉人、憶良の完成には、秋の花といえばハギの花だ。
そしてその周辺にはススキ、キキョウ、オミナエシ、フジバカマ、ナデシコなどが咲く秋草の図の風景。
絵の高いススキに絡むクズの花をあえて描くとすれば、高原に咲く弱弱しい小さな歯のクズ花だろう。
秋草の原を覆い尽くす」葛の花が七草に入る余地はない。
ワレモコウもヒガンバナもリンドウもホトトギスもない。
美しいノギクの種類も入れないで憶良がクズの花を選ぶとすれば、有用植物として慣れ親しんだクズの花、意外な赤紫の色彩しかないのではないか…。


9月も半ばが近づけば、マメ科特有の形をした赤紫のクズの花が大きな葉陰に見られるようになる。

クズの花


クズの葉

万葉の歌のように葉裏がなびく秋風の光景を美しいとも思えない。
葉裏が美しいのは、タケニグサの大きな葉の白さのほうがよほど美しくなびいている。
クズの花がそれほど美しく感じないのも、万葉人とは違って、現代ではクズの雑草化が一段と進んでいるからではないかと思われる。

山桜はちょっと離れて眺めるのがいい

目の前の植林ヒノキにメジロが停まっている。
少し動くたびに煙のようなものが舞う。
「あれ?」とよく見ると、ほんの少しメジロが位置を変えるたびにヒノキの花粉が飛び散っている。
まだ若木だからと気にしていなかったが、この植林も18年くらい経っている。
葉裏を返すとビッシリ小さな茶色のものが並んでいる。
もう、ヒノキ花粉の時期は終わりかけているらしいが、ここではまだこんなに飛び散っている。

雑木林の山桜が一番美しい季節に入っている。

山桜

春霞もあるが、少しけぶったように見える里山の雑木林は、新芽の形も色も異なった木々が交り合って一番美しい季節になった。
この中に山桜の白(葉は黄緑)、淡いピンク(葉は赤茶色い)の花が加わると一段と華やかになる。

雑木林 (2)雑木林







オニグルミやエノキ、キハダも芽を出した。
アケビの花も咲いた。

アケビ

ミズキやカシワは葉が広がり緑色に近づいている。

ミズキカシワ







新芽や花の赤が目立つカエデ類も葉が展開していくと、次第に緑色になって行く。
山桜の花が終わるころには、雑木林は新緑の黄緑に包まれることになるだろう。
寝坊すけのネムの木だけはまだ枯木のようだ。
庭木では、センダンやナンキンハゼがまだ芽を出さない。
名前のように、ナツメの木は6月近くになる。
このところ山梨の山間部は朝の霜注意報が出続けているように、昼間は夏日となっても夜・朝は寒い。
やはり「八十八夜の別れ霜」の通り、まだ油断はできない。
顔を出したばかりの柔らかいブドウの芽も霜が怖い。

この山桜の季節、古い民家には鯉のぼりが泳いでいるのをよく見るが、武者絵の旗も同時に立てるのが甲州流だ。

武者旗

甲斐武田家の影響が今もかなり大きいのに驚くことがある。
4月12日は信玄の命日だが、今年は4月5日に信玄公祭りの武者行列が行われた。
ここに、例年、白州からは「馬場美濃守信春隊」が出陣する。
「武田節」そのまま、「甲斐の山々、陽に映えて、我出陣に憂いなし…」の光景を見ることができる。
武田二十四将のうち、猛将として知られた馬場信春は当地の寺に墓があり、その屋敷の門がこの寺に残されている。
桜のきれいな白須若宮神社も信春が建てた。
信春は山本勘介と並んで「城取り」の名人だったが、このことについては別の機会に書きたい。
プロフィール
ウェブサイト
お店のウェブサイト
http://home.netyou.jp/33/fushin/
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