図書館のねずみ

南アルプスの伏流水を使った香り高い珈琲を啜りながら、じっくりお気に入りの本が選べる本好きのためのささやかなサロン、ブックギャラリー&カフェ風信。現在は店舗移転の為、日々奮闘しております。書店では扱っていないような古書、絶版文庫を集めています。

文化

屋根付き橋が気にかかる

甲斐駒の上に暗い雨雲がかかり、山頂が煙っている。
「山は吹雪だろうな」と思っていると、にわかに冷気が下りてきた。
冷たい風にチラチラと雪が混ざりだした。
チラチラとしか言いようがないほどの降り方が4〜5分続くと、風が強くなり始めた。
今度は粉雪が舞うように次第に激しくなってくる。
春の嵐か、目の前のヒノキ林が大きく揺れ始めた。
向こうの森全体も、唸る音を立て始めた。
風に乗って横から吹き付ける雪が、隙間さえあればどこまでも入ってくる。
時々、陽が差し込んで太陽の位置を知らせていたのが、雲が厚くなり、もう日差しは期待できないか。
もう雪はなり奥に吹き溜まりとなって、うっすらと積もっている。

こんな降り方が続くと木造の橋にはダメージが高くなる。
雨に強い屋根付き橋も、こんな雪には弱い。
水に強い油分の多い良質な材を贅沢に使った橋でも、管理をおろそかにしたらすぐ劣化が始まる。
日本の木橋は架け替えられることが前提とされるほどだから、古い木橋は残っていない。
良質な材を使って数十年は持つだろうが、流れの速い河川や台風・大雨などによって流失する被害のほうが多いだろうと考えると、わざわざ屋根を付けて寿命を延ばす必要もあまり考えられなかったのだろう。
屋根付き橋のほとんどは、寺や神社の入り口に架けられていた太鼓橋や檜皮(ひわだ)で葺かれた立派な屋根付き橋だ。
この橋は神や仏の世界と人間の生きる世界とをつなぐ特別なルートだから、神やそれに準じた貴人だけしか通れまい。

長野県諏訪大社の春宮の門前には、道の中央に寺社建築の重要施設として屋根付き太鼓橋が、装飾彫刻を施されて大切に残されている。

春宮太鼓橋2春宮太鼓橋








これは春宮で一番古い建築物だ。
この橋を通れるのは祭礼時、神職に担がれた神輿だけとなっている。
下に川や池がないとしても、まさに神の通る道(橋)ということだ。
四国金毘羅神社の鞘橋や九州・宇佐八幡宮の呉橋も同じだ。
今や観光スポットとなっている鹿教温泉の五台橋も、ともとは此岸と彼岸をつなぐ神聖な屋根付きの橋とされたのだろう。

ヨーロッパでは昔は普通にあった屋根付き橋、ポンテ・ベッキオやリアルト橋など土産物店が並ぶ橋や、ドイツ・エアフルトの家付き橋など石造りの建築が橋上に並び、屋根付き橋とは言いにくい、街みをそのまま載せた橋は中世の古い街にはごく普通に作られていた。

ポンデ・ベッキオ3ポンデ・ベッキオ2







川が見えないから、旅行者は橋を渡っていると気がつかない。
街を城壁で囲んだ旧市街は、川からの侵攻を防ぐためにも、橋には城壁のように隙間なく高い建築物を並べた。
石造りの街並み、石橋でしかできないことだ。

木の古い屋根付き橋も修理を重ねながら、いくつか残されている。
まだ見たことはないが、ヨーロッパ最古の木造橋、スイスのカペル橋は1300年ころの架橋とされている。(一部喪失再建)
イタリアのパラディオの木橋も腐らないように屋根付きで、しかも防火の構えがある。(入り口はトンネルを使っている)
もう一つ、ドイツとスイスの国境の橋・ゼキンゲンの橋はライン川に架かる木橋としてはヨーロッパ最大の屋根付き橋で、全長200メートル、ほとんど全体を木で包まれた暗い回廊だ。(1700年の架橋・何度も再建・1928年修理)
この3つの古い木橋、いずれも未見だが、水の流れの穏やかな、台風のない湿度の低い土地柄だから残された貴重な屋根付き橋だ。


ところで、寺社とは関係のない屋根付き橋は日本には見つからないのだろうか。
四国の伊予地方、内子の郊外にはいくつか屋根付き橋がある。
いずれもあまり古いものではない。
戦中・戦後も間もなくから近年のものらしい。
弓削神社の屋根付き太鼓橋を別にすれば、寺社とは関係ない集落の近くにある。
そのうち一番古く状態の良い河内(かわのうち)の屋根付き橋(田丸橋)を見に行ってきた。


内子駅から車で15分くらい、麓川の小さな流れに簡単ながらしっかりしたつくりの屋根付き橋が見えた。
司馬遼太郎「坂の上の雲」(NHKドラマ)に登場したこともある、雰囲気のある姿がなかなか良い。
1944年(昭和19年)に作られたというこの橋は、わりと深い谷川の風通しの良い場所にあり、台風や大雨の影響を受けにくい環境と村人たちの手入れによって、良い状態で残されている。
この橋を渡って町へ行くといった重要な道ではない。
橋を渡っても2・3軒の家と里山があるばかりだ。
石垣に芝の土手がごく自然に橋とつながり、橋大工の手慣れた技がさえていて気持ちが良い橋だ。
梅雨時や日差しのきつい夏など、この橋上の風通しの良い屋根の下で、村人たちは共同作業や祭りの準備などをしたのではないか。
木炭作りの盛んだった時期、木炭倉庫としても使われていたらしい。

田丸橋2田丸橋


この村の屋根付き橋は、アメリカの農村に残された木造屋根付き橋とはずいぶん印象が異なる。
映画「マディソン郡の橋」に出てくる橋は、雨や大雪が入り込まないためだろう、すべての周りを箱のように囲んでしまった屋根付き橋だ。
中が暗くて、スマートさに欠けるが、田舎の風景としてちょっと面白い。
クリント・イーストウッドはこうした端に夢中になっているカメラマン役だ。
このアメリカの屋根付き橋を集めた写真集もあるくらいだから、アメリカにもアニマックな人がいるものだ。

最後に、現代の屋根付き橋を紹介したい。
スペイン人がデザインした屋根付き橋(東橋)が富山・新湊の内川に作られている。

東橋東橋内部

これも映画「人生の約束」に登場している屋根付き橋だ。
舟の行き来する川面をボーっと眺めるには、恰好の場所となっている。
そこには、日本庭園の東屋(四阿)のように、一休みできるベンチも作られている。
祭りの時は華やかな山車を眺められるベストポジションとなる。

美濃・ひんここ祭り

すっかりサボてしまったブログを再開したい。
前回は夏休み前の7月上旬だったと思うが、確か山梨県立文学館の劇場型ホールで行われた黒テント公演「山崎方代」を観てから、夏休みモードに入り込んでしまった。
毎年恒例の娘家族の帰国と、妻の病と…言い訳もたくさんあるが、なんと雪の季節となってしまった。
それにしても、11月の積雪は早すぎる。
北海道では10月29日の積雪が根雪となっているようだが、山梨では11月24日、小淵沢の駐車場で掘り出すようにして動かした車上の20僂寮磴睛癲稿には消えた。
ネムやクワ、カキ、カラマツもすべて葉を落としたが、クヌギやナラなど雑木林の樹々はオレンジ色に近い晩秋の景色を取り戻している。

方代のことも書きたいが、ここでは、11月23日に観た美濃市大矢田(おおやだ)神社の「ひんここ祭り」のことを書こう。

この素朴すぎる人形劇が500年も続いていることは驚くべきことだ。
ここ美濃地方やその周辺、南信濃から奥三河にかけては、日本文化の吹き溜まりのように特異な民族的行事・祭りがかなり残され守られている興味深い地域だ。
特に長良川沿いを走る長良川鉄道には面白い街がいくつもある。

まず、長良川は1300年の歴史を持つ鵜飼いとアユの文化を持っている。
同じく1300年と言われる美濃和紙があり、春にはこの紙を桜色に染めた花神輿が、うだつの上がった家々の並ぶ美濃の街を練り歩く。
この祭りでも「流し仁輪加」という珍しい即興劇が残されている。
秋には、美濃和紙あかりアート展という新しい試みで街を盛り上げている。

あかりアート2


この美濃市の古い街並みは日本有数の規模で一見の価値がある。
もちろん郡上八幡の夏は郡上踊り一色だ。
その上流、美濃白鳥でも夏は白鳥踊りで賑わう。
そして、最上流には白山信仰の本山・長滝白山神社がある。
ここまで来れば、白川郷にも近い。
忘れてならないのは、この流域は円空上人の本場だということ。
美濃生まれの円空が晩年を過ごした関の池尻には円空館があり、30体の円空物を観ることができるし、他にも円空物と出会う機会は多い。
この関市は鎌倉時代から続く刃物の街だ。
今でも刀匠が伝統を受け継いでいるし、フェザーなど現在でも刃物メーカーが集積しているのも興味深い。

ところで、「ひんここ祭り」だ。
11月23日の祝日、紅葉の名所でもある美濃市近郊の大矢田神社は、車が半日渋滞するほど賑わう。
ほとんどが紅葉狩りと神社参拝が目的だが、もともと春祭りで行われる「ひんここ」もこの日に演じられるようになった。
神楽殿で舞われる踊りではない。
楼門下の広場が見物席となり、2〜30m離れた山腹に幕が張られ、ここでいたって単純な人形劇が演じられる。
観客は地元の人たち100人くらい。
ほぼ等身大の異形な相貌をもった人形が現れると、人々はホー、ヒーという不思議な声をあげる。

ひんここ2

ストーリーは単純だ。
麦蒔きをしている農民たちを一人一人大蛇が飲み込んでしまうが、手に大麻を持った祢宜殿が返信して、須佐之男命になって大蛇を退治するというもの。
農民の顔も異形だが、その動きも頭が上下に動くだけの単純さ。
その持ち物が、鍬、火種、軍配、種、肥料、弁当などで、服装も同じ、祢宜殿が変身しても同じ服装で代り映えがしないも、何ともおかしい。
バックのお囃子の音も単純な繰り返しで素朴の極み。

五穀豊穣を祈るこの祭りが500年も続いているのは、いかにも美濃らしい奇跡的な光景だ。
この祭りは平成11年、国の無形民俗文化財に指定された。
また、この大矢田神社の本殿も拝殿も重要文化財に指定されているが、有名なのはこの神社を中心としたヤマモミジの樹林だ。
楫斐川の華厳寺、横蔵寺と並んで美濃もみじ三山として有名だ。
(国の天然記念物 楓谷ヤマモミジ樹林))

当日は、ほんの少し、紅葉の盛りを過ぎていた。
この紅葉の純林をバックに「ひんここ祭り」を観たいものだ。
(当日あわてて出発してカメラを忘れた。小生はケータイもスマホも持たないので写真はない。パンフレットから「ひんここ祭り」を引用したい。観光列車ながらのポスターも美しい。)

ポスタ2ー

御柱が終わらねば田植えも始まらない

風もないのに、ハリエンジュ(ニセアカシア)のクリーム色の花が落ち続けている。

ニセアカシア

庭も道路もこの花びらで埋まってしまった。
車の窓が開いていればどんどん中へも入ってしまう。
5月中旬から釜無川沿いの荒れ地は、この花の甘い香りに満たされる。
ミツバチの重要な蜜源となっているこの花の花期に、養蜂家の姿が見られないのは残念だ。
特に日本ミツバチの蜜が希少になってしまうのは残念だ。
アカシア蜜の蜜源がこんなにたくさん咲いているのに…もったいない。
自分でミツバチを飼うしかないか…ヨーロッパの田舎では普通にやっていることだから。

連休の3・4・5日は諏訪大社上社の御柱(里曳き)だったが、下社では14・15・16に里曳きが行われ、7年に一度の御柱祭は、上社の宝殿遷座祭だけを残して、ほとんど終わった。
上社で入れなかった「建御柱」の様子が気になって、下社春宮に行ってみた。

御柱パンフレットR0012934



14日(土)、里曳きの行列も建御柱の様子も、下社と上社では少しずつ異なる。
(御柱を曳く縄も地区ごとに手作りされ、異なっている)
特に御柱を立てる神社の地形や道の状況によって、巨木を運び入れる方法も異なってくる。
春宮は丘陵が終わりかかった坂の窪地にあるから、道は狭く、曲がりくねり、(ことさらに難関を作ったように見られる)とても巨木を通せる道はない。
神域の坂上に方向転換させてたどり着くと、ここから境内に落とすことになる。

落とし坂


いかに上手に狭い坂を確実に滑り落とすかが、担当各町内の技術だ。
千年以上続くと言われる御柱祭とは、伊勢の式年遷宮(20年)のように巨木を伐り運ぶ、そして立てるという技術を伝える方法を祭りに組み込んだ、稀有な祭りではないだろうか。
氏子の男たちは、祭りが終われば倒れ込むほどの全力を結集している。
(諏訪地方の田植えは、この祭りが終わらないと始まらない)
失敗すれば、氏子の群れに落ち込みかねない坂を、思ったよりゆっくり、地響きと砂煙を立てて落ちてくるのを見ると、やはり感動してしまう。
時間はもう何時間も、予定より遅れている。
今日中に8本の御柱を落とせるのだろうか。
春宮の四隅に4本の巨木を建てることになるのだが、もう4本の秋宮の御柱も境内に落とすことになっている。
そのうちの1本だけは今日中に建ててしまうのだ。
もう日暮れになってしまった。

暗くなり始めた中で、ようやく滑車と縄を使って柱が建ち始めた。
御柱を建てる穴


社殿横から規制線ぎりぎりに入ったここからは、社殿の屋根に隠れて見えにくい。
氏子にも規制がかけられているから、これが限度だ。
ここが落とし坂と建御柱の両方が見える唯一の場所だ。
もう照明が点き、すっかり暗くなった社殿の屋根上から、御幣(おんべ)を持った男たちが見え始めた。
暗くなり、どの写真もうまく撮れていないが…

R0012975


坂では5本目の御柱が落ち始めた。
もう臨時列車の時間が迫っている。
祭りの最終は深夜になってしまうだろう。
参道の下馬橋(春宮で一番古い建造物)が点された。

下馬橋


昼間の行列で面白かった長持ち行列や、春宮裏に建てる御柱の難しい曳行。

長持ち行列お面







恐ろしく狭い森の中を人力で通す。
すぐ下が川の流れがあるから、縄の処理が難しい。
R0012969R0012954

R0012959


そして、すぐ奥には有名になった万治の石仏もあるので、写真を入れたい。

万治の石仏


言い忘れたがこの祭りで印象的なのは「木遣り」の声だ。
これだけは女性の高い声で歌われ、曳行の合図となっている。
また、難関を越えようとするときには、氏子の力を結集する重要な役割を持っている。
この写真も加えたい。
木遣り

富士のカラマツ、山梨「県民の日」の3館巡り

北海道は突然真冬に入り、本州・九州でも産地では雪景色が見られるようになったが、先週までは穏やかな秋日和が続いていた。
その20日、富士山五合目手前の御庭のカラマツが気になり、見に行ってきた。
この辺りは冬の環境が厳しく、富士山の森林限界になっている。
普通の高山ではハイマツの低い樹林が続くところだが、富士山では特有の背の低いカラマツ樹林となっている。
強風で主幹を折られたり、曲げられたりした2〜3メートルくらいの盆栽化したような古木が多くみられる。
樹間にはハクサンシャクナゲやシラビソ、林床にはコケモモのミドリ色というのが定番になっている。
すぐ、数十メートルも下ればカラマツは普通の樹形で素直に並んでいるから、いかにここの寒風が厳しいかわかる。

森林限界付近2

当日、ふもとの富士吉田ではジャケットいらずの穏やかな日だったが、雲に覆われていた。
五合目ではジャケットどころか、手袋がない指がすぐ凍り付く寒風が吹きまくっている。
カラマツの黄金色の落ち葉吹雪でも見られるかもしれないと思っていた甘い夢は、すぐ砕ける。
溶岩や軽石の道を行くと、すっかり冬木となった庭の古木状のカラマツが球果をたくさんつけて眠っている。
その根元にはコケモモのミドリ色と凍ったような実が見える。
まわりはフワフワのクッションとなったカラマツの落ち葉が積もっていて気持ちがよい。
これだけ確認してすぐ下山だ。


今日は、「山梨県民の日」県立ミュージアム4館はすべて無料だから、そのうち3館を回る強行軍となった。
中国人でいっぱいの五合目売店の郵便局で記念の風景印を押してもらい、帰途に就く。

風景印封筒

それにしても、スバルラインの道路沿いはよくミドリが回復したものだ。
以前は痛々しいほど破壊されていた森林は、幼木の植林や芝なども使い、自生のカラマツも生育しているようだ。
カラマツの花やハクサンシャクナゲの白い花が咲くころに、今度は登山道で上って来よう。
富士吉田の浅間神社から中ノ茶屋・馬返しを越え、五合目までは4時間半で行ける。


さて、河口湖を抜け、御坂峠のトンネルを山梨県立博物館へ急ぐ。
ここでは折よく開館10周年記念「富士山〜信仰と芸術」展を開催中だ。

富士山展2富士山展1

ここの目玉は、富士山本宮浅間大社の「富士参詣曼荼羅図」や役行者像だ。
富士の初登頂は、甲斐の黒駒に乗った聖徳太子だという伝説がある。
聖徳太子伝には必ず描かれるし、江戸時代には像としても奉納されている。
その黒駒が雲に乗って到着したのが七合目三勺の駒ケ岳という。
しかし、確実な登頂となると平安後期に数百回も登ったという末代(まつだい)という僧ということになる。
この末代が富士山頂に埋めたという経文をこの展覧会で見ることができて、感動的だ。
昭和五年に山頂三島岳から出土された、末代という名がある陶片と写経断片がこれだ。
長い年月埋められたことにより、固まり開くことができなくなった経文と一緒に展示されている。
貞観年間に大噴火した富士山は、ずっと噴煙を上げている。
浅間神社は山霊を鎮めるために建てられたという。
現存最古と言われる「役行者半迦像」(12世紀末)の迫力も相当なもの、思わず手を合わせて拝む人もいるほど。
絵画では、秋草図屏風の名月がわりに富士が描かれたもの、黒い富士が意外で面白いと思ったら、銀で描いたものが変色したものであった。
富士曼荼羅中の名品、狩野元信の印のある富士山本宮浅間大社蔵「富士参詣曼荼羅」(室町末)と、狩野探幽の「富士山図」(静岡県立美術肝臓)に後ろ髪をひかれつつ、県立考古博物館へ。
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表紙の図が「富士参詣曼荼羅」

考古博物館では「縄文の美」展が開かれている。

縄文の美展

縄文土器の造形美は世界的に有名になってきたが、ここ、山梨県にも優品が多く出土している。
特に八ヶ岳南麓からは水煙文土器やかなり複雑な文様や生き物を付けた鉢、そして女神像などの土偶が多く出土していて、一大中心地となっている。
この展示では十日町の火炎土器や渋川市の巨大な焼町式土器も加えて、縄文文化の造形美に圧倒されてしまう。
特に地元北杜市天神遺跡出土の深鉢の美しい文様とスマートな造形に脱帽。
表前面に精緻な文様が施されていて圧巻、
図録を買ったが、写真を載せられないのが残念。

もう、紙幅を越えてしまったので、3館目の県立美術館はタイトルだけ。
「花の画家・ルドゥーテのバラ展」

ルドゥーテ・バラ展

ナニワイアバラやモロッコバラも描いているが、特に「野生の素朴なバラ」にも力を入れて描いているのが嬉しい。


今回のおすすめ本「レンズが撮らえた幕末明治の富士山」(山川出版社 2013年刊)貴重な写真満載。

レンズが撮らえた明治の富士山」

ミンミンゼミが鳴いている彼岸かな〜清方本について

昨夜は中秋の名月、夕方ころには雲が消え、きれいな満月となった。
2時間後くらいには突然の雨に隠れたが、各地の名園・休暇では観月の宴が行われたことだろう。
横浜では三渓園、山梨では根津邸庭園ということになる。
松本では松本城の月見櫓だろうか。
旧暦の日本では、月見の重要性は現代では想像がつかないほど大きかったに違いない。

今年の秋の訪れはかなり早かった。
天候不順はお盆を過ぎるとすぐ始まり、台風も秋を呼び込んでしまった。
名月には欠かせないススキの原は、9月初めから穂が出そろってしまった。

ススキ原

しかし、秋らしい気持ちの良い秋晴れは5連休まで待たねばならなかった。
農家では乾燥した秋晴れを待っていたから、一斉に稲刈りが始まった。
まだ、ミンミンゼミが鳴き出したのには少々驚いた。
彼岸花も咲きそろい、クルミも落ち始め、アケビの実も色づき始め…セミが鳴いている。

あけび

夏後半の低温や雨続きに一番悩まされていたのはセミたちだったのか。
お相手は見つかるだろうか…心配だ。
夏の後半に生まれてきたセミたちにとって、今年は受難の年だっただろう。



しばらく本のことについて書いていなかったが、本の装丁のことに触れたい。
活版印刷全盛のころの日本独特の貼り函入りの美しい本たちのことだ。
明治・大正では夏目漱石と橋口五葉の装本。大正から昭和初期では、泉鏡花と小林雪岱。

日本橋

昭和初期には、永井荷風と木村壮八が組んだ「濹東綺譚」があり、同じく壮八の大佛次郎と組んだ「霧笛」などの横浜開花ものがある。
組んだというのは、新聞や雑誌連載で毎回挿絵を描き、装本まで手掛けたということだ。
谷崎潤一郎と小出楢重の名作「蓼食う虫」も思い浮かぶ。
戦後から最後の活版印刷文化が花開いた昭和30年代から40年にかけては、谷崎と棟方志功の作品がある。
岩波文庫版「濹東綺譚」や「蓼食う虫」には挿絵が入っていて楽しいが、発刊当初のカタチを見ておいたほうが良いだろう。
手に取って読むに越したことはないだろうが…。
復刻本もあり、図書館や県立文学館では手に取ることもできるだろう。

山梨県も立派な県立文学館があるのは、幸せなことだ。
神奈川県には鎌倉文学館もある。
先月末に終わった山梨県立文学館では「本のおしゃれ展」と称して、文学書の装丁を見る展覧会もあり、第一書房・堀口大学訳の「月下の一群」を見ることができた。
天金・金箔押しの豪華な装本。
深沢七郎「笛吹川」や「楢山節考」の装丁原画、博文館から出していた文芸雑誌「文章世界」の小出楢重の表紙画など、興味深い展示があった。
ここには、芥川龍之介の最大級のコレクションが寄贈されているのも見どころだ。
むろん、山梨ゆかりの作家、樋口一葉・山本周五郎・井伏鱒二・田中冬二・中山介山・太宰治・山崎方代・飯田蛇笏…などの資料・初版本も。
田中冬二の前川千帆装丁本(詩集「故園の歌」アオイ書房版)を見たのもここだ。


文芸書の発刊当初のカタチを見ることは大事だ。
初版本の意味もここにある。
例えば、鏑木清方の文章は白鳳社の著作集ではほとんどが読むことができる。
その、主要著書「こしかたの記」は中公文庫、随筆は岩波文庫「明治の東京」などで、手軽に読むことができる。
しかし、雪岱の装丁になる岡倉書房版「銀砂子」や書物展望社版「築地川」を、また、装いを少し変えた双雅房版「築地川」(鏡花の序文が入っている・この本は大佛次郎の旧蔵本だったようだ。所蔵印があった)を見てもらいたい。
どちらも、岩本和三郎が版元・発行者、装本は清方自身。

銀砂子


双雅房版「築地川」

築地川表紙

築地川目次1築地川目次2






双雅房版が清方好みだろう。
文人画家・清方の美学がこの本の中に見事に表現されている。

次回へ続く。
プロフィール
ウェブサイト
お店のウェブサイト
http://home.netyou.jp/33/fushin/
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