図書館のねずみ

南アルプスの伏流水を使った香り高い珈琲を啜りながら、じっくりお気に入りの本が選べる本好きのためのささやかなサロン、ブックギャラリー&カフェ風信。現在は店舗移転の為、日々奮闘しております。書店では扱っていないような古書、絶版文庫を集めています。

野毛

野毛っ子・平岡正明のこと

最近古書展にはあまり行かないが、今年の有隣堂の古書まつり(10月18日〜21日)には、顔を出すことにした。
目録にあった「三渓画集」(昭和5年〜刊・6冊揃・73500円)をちょっと見ておきたかったから。
この本は、晩年の原三渓がかなりの力を注いで編集した贅沢な出版で、その秩入りの大きな(新聞紙半裁位)造本は、下島大完堂が手掛けている。
大完堂の戦前の仕事を見ておきたい。

この古書店で見かけたのがユニークな野毛のタウン誌「ハマ野毛」(季刊)の6冊揃6300円。
この雑誌の編集長だったのが平岡正明だ。
1992年創刊だから、もう20年前になる。
当時平岡は葉山から横浜・保土ヶ谷のマンションに移り、50ccのバイクで野毛に日参していた。
革命・文学・ジャズ・演歌・浪曲・新内・祭り・大道芸狂いの平岡がその仲間と、別に売れなくてもよい雑誌を作れば、こんな雑誌になる…という見本だ。
タウン誌としては破天荒な分厚い文字ばかり目立つ紙面だ。
何しろ、東急桜木町駅廃止に伴う街の活性化資金があるから、同人誌よりも自由な編集ができる。
この小さな6冊の雑誌は、平岡の著書「横浜的」「野毛的」と並んで、平岡の横浜作品の一つだ。
6冊6300円は高くない。

古書展の帰りは吉田町を通って野毛へ向かう。
その入り口は大岡川を渡る都橋だ。
都橋


補正2

平岡も本牧や山下町〜港をうろついて、都橋を渡ると自分の家に戻ってきたかのようにホッとすると何かに書いていた気がするが、その感覚は良くわかる。
美空ひばり、長谷川伸にゾッコンだった平岡は東京生まれだが、ハマっ子以上にハマ好き、ノゲっ子だった。
その平岡が逝ってもう3年。
平岡が盛り上げた大道芸や新内流し、八尾のおわら風の盆などの流し芸は続いているが、何か元気がない。

平岡の愛した中華料理店「萬里」のランチでも食べて、平岡の義兄弟のように親しかった萬里主人の話を聞きたいと店を覗いたが、主人がいない。
支店「放題亭」に行っているのか?
またしても、メニュー19番・特別中華ランチを食べ損ねた。

「昭和ジャズ喫茶伝説」の著書を持つほど、ジャズ喫茶通いをし、レコード世代の平岡は、中華街の端っこにあるジャズ喫茶「ミントンハウス」にもよく現れたが、闇市の臭いのする野毛のジャズ喫茶「ちぐさ」や「ダウンビート」でコーヒーをすすっているときが一番くつろげたのだろうと思う。
下戸の彼のことだから。

野毛は蓮杖写真館の誕生の地だ。

「関東写真の元祖」と言われる下岡蓮杖については、長崎の写真家・上野彦馬に遠慮したためと言うが、今や東京にも蓮杖より早いプロ写真家・鵜飼玉川の営業が確認されて、横浜で初の日本人による営業写真家に落ち着いたようだ。
蓮杖の談話や伝記にもわからないことが多すぎるが、その名前のみ有名になってしまった観もある。
馬車道にある立派な記念碑「写真も開祖・下岡蓮杖碑」は、太田町の角店として新築した蓮杖の写真館近くに建てられたと思われるが、その前の弁天通りの本店の開店年代も今一つ確認が取れない。

写真館碑


ましてや、最初に開店した野毛の店の場所・年代はどうか?
最新の斉藤多喜夫「幕末明治・横浜写真物語」(吉川弘文館2004年刊)によると、文久3年3月には弁天通の店は営業していたとし、野毛の開業は文久2年松か3年の初めのころと推定。
また、文久2年初めにいったん開業したかも・・・言うが、どうか?
蓮杖が野毛で借りた、間口2件の床店、富士山型の看板に「PHOTOGRAPHER RENJIO」と掲げ、スタジオは裏庭と言う横浜初の写真店をすぐたたんで、これまた下田移住民の多い弁天通に写ったことになる。

当時の野毛は下田からの移住者も多く、にぎわい始めていた。
豆州下田から移した稲荷神社もあり、蓮杖の二女ひさの回想によると、明治35年ころ父と野毛を訪ね、そこに大きな楠がそびえていたという。
前出の開港資料館の斉藤さんの本によると、慶応年間の野毛の地図に通りの真ん中に楠があり・・・このあたりが野毛店とされているが。
確かに慶応元年〜2年刊の玉蘭斎貞秀」「御開港横浜全図」や「大湊横浜之図」のも、文久3年ころの芳員「御開港横浜之図」にも大六天楠なるものが、都橋を渡り、「子(ね)の権現」を過ぎたあたりに描かれているが、果たしてこれがその楠か?
正確・詳細な野毛の版元・尾崎富五郎の「横浜真景一覧図絵」(明治24年)には描かれていないのは、どういう理由か?
ひさの回想もあてにならないのか・・・よくわからない。
とにかく、絵地図では正確な場所は特定できないのは、確かだ。



今度の「フォトスタジオの聖地・横浜」展は下岡蓮杖開業150年記念としている。

ポスター

開業は1862年(文久2年)としている。
とにかく大正期の横浜では50もの写真スタジオが生まれ、活躍していた。
特に、写真館の立ち並ぶ明治後期から大正期の弁天通りは、魅力的だ。
また、この展覧会では、ユニークな楽しみの部屋があった。
英国領事館の一室を使った、当時のスタジオの再現。
スタジオ2スタジオ1
横浜観光のスーヴェニールにピッタリの気の利いたサービスだった。





















蓮杖再評価を迫る新発見の手彩色写真41枚を含む「下岡蓮杖写真集」(石黒敬章編・新潮社刊)が、平成11年に限定刊行されている。

蓮杖写真集

近藤勇の有名な肖像写真も内田九一の撮影ではなく、蓮杖の撮影が濃厚になってきた。
その死の年、慶応4年2月7〜10日までの横浜・蓮杖写真館にて撮影、敷物の柄が決め手と言う。



*今週末は野毛大道芸の日。ご来店をお待ちしています。

冬の星座観察

先週から今週にかけて、2つの天体ショーが連続した。
10日深夜の皆既月食と、14日深夜から翌日夜明けを中心とした、毎年の双子座流星群。
冬の田舎暮らしの最大の楽しみは、夜空の満天の星を見られること。
特に、双子座流星群の出現する12月の南の夜空は、オリオン座の王者が猟犬(オオイヌ座・シリウス)を従え、上方にはふたご座(昔から日本ではキンボシ・ギンボシと色分けして呼ばれている)が煌めいている。
寝袋から顔だけ出して地面に寝ていると、スースーと星が流れる。
驚くほど太い光線を引いて、長く落ちる流星もある。
今年のふたご座流星群は、街中の明るい夜空の中、しかも、すぐ近くに月が輝いて、条件は最悪の観察。
それでも、5分くらいの観察で、2〜3の流れ星を確認して済ませた。
夜空の星座観察は田舎に限る。

10日、深夜の月食は仲々面白かった。
終電を急ぐ駅への街路、ビルをよけながら月を探すが、なかなか見つからない。
街中ではビルの屋上か橋の上でないと、広い夜空が見えない。
もう、皆既月食に突入しているようで、月明かりがない。
いくら探しても、月はどこへやら。
皆既月食でも月は完全に消えず、形は残ると聞いていたが・・・。
(皆既状態は50分程度続いたようだ)
月が少し復活し始め、ダイヤモンドリング状になってから、首が痛くなるほど真上の天上に、橙色にかすんだ月を発見。
オリオン座の上に、異常に地球に接近した金星を見るような不思議な気分で眺め続けた。

金星と言えば、今年は金星観察に良い条件の年らしいが、野毛で140年ほど前のほとんど同じ12月9日、世界で初めてと言われる金星の学術調査観察が行われたことは、あまり知られていない。
その金星日面観察の記念碑は、紅葉坂の音楽堂の入口にある。
明治7年、金星日面観測地は日本が最適地とされ、長崎ではアメリカ隊、神戸ではフランス隊、そして、その中でも最適とされた横浜ではメキシコ隊が観測を行った。
宮先町39番地がその場所。
今でも、礎石が残されているという。

星の本はいろいろあるが、昔から愛読されているのは、横浜生まれの野尻抱影さんの本だ。
今でも文庫本で、そのいくつかを読むことができる。

星の神話

(野尻抱影は大佛次郎のお兄さん。英文学者で星の研究者・エッセイスト)
「星と民族」「星の神話」(講談社学術文庫)
「星三百六十五夜」「日本の星」(中公文庫)

また、星座観察に便利なのは杉浦康平(構成)、北村正利著の「立体で見る星の本」(福音館書店・立体メガネ付き)

星の本


ついでに、新宿の損保ジャパン東郷青児美術館で開かれている「アルプスの画家・セガンティーニ展」は、スイスに行く予定のない人にとって必見の展覧会。
(12月27日まで)

バーから立ち飲み屋に

野毛の冬は、都橋からのユリカモメの眺めと赤く熟したクロガネモチの並木から始まる。
12月に入るとその両方がそろった。
クロガネモチは樹の天辺近くに、遠くから眺めると赤い花が咲いているように実っている。
ヒヨドリが喜びそうなこの並木は吉田町まで伸びている。


この吉田町は野毛から伊勢佐木町をつなぐ画廊のある通り道といった印象だったが、近年、新しい店が増えてきた。
落ち着いたカウンター・バーの集まる街に変わりつつある。
先月、ポーランドで開かれた「世界創作カクテル・コンペティション」で総合優勝したバーテンダーY氏の「ノーブル」も、ここにある。
まだ、店を持たない若いバーテンダーにとって、吉田町にカクテル・バーを開くことは、ちょっとしたステータスになってきたという。
いい傾向だ。
画廊の方も、若いアーティストの意欲的な展示をするギャラリーが増えれば、「バーとギャラリーの街・吉田町」になるのだが・・・。
日本大通りに会ったザイムカフェのような、若い芸術家たちの拠点が近くにできればと思ったりするのだが・・・ちょっと無理か。
同じ大岡川沿いの黄金町地区と水上バスで結べぬものか。


ところで、高級カウンター・バーには程遠いオジサンたちのたまり場にも、若い女の子たちが進出してきたようだ。
イタリアのバールで立ち飲みするような感覚で、若い女性たちが東京近郊の立ち飲み屋を巡るガイドブックまで出現した。
平尾香「たちのみ散歩」(情報センター出版局 2006年刊)が、この本。

たちのみ散歩

横浜上大岡まで足を延ばして、オジサンたちと立ち飲みしていて、いかにも楽しそう。


家飲み派には、「晩酌女子のきれいレシピ」(大沼奈保子著 飛鳥新社 2009年刊)もある。

晩酌女子

この2冊(イラスト・写真・構成)ともよくできていて、おすすめ。


★今週よりクリスマスプレゼント用の絵本・児童書など特別展示販売しています。お立ち寄りください。
寒い日には、ホットワインをどうぞ。

オープン市長公舎

先週の文化の日(3日)、野毛山の横浜市長公舎が一般公開されたので、開店前に行ってきた。
これは「オープン ヨコハマ」のイベントの一環で、先月16日には市役所市長室や県庁知事室、大会議場などの公開、また、横浜正銀行本店(現県立歴史博物館)の見学会も同時に行われたようだが、こちらは未見。

市長公舎は昭和2年築のモダン建築。
近くの旧市立図書館や震災記念館(老松記念館)と共に関東大震災後の野毛山の記念的建築であったが、今は市長公舎のみになってしまった。
日ノ出町駅前のスクランブル交差点に立つと、マンションビルに隠れるように見える市長公舎の緑色の屋根や樹々、春には横浜緋桜だろうか、グリーンの中に眺めることができる。
黒沢明の「天国と地獄」のシーンを思い出してしまう。
映画では大岡川沿いの黄金町貧民窟(売春街)と丘の上の豪邸(三ツ沢の丘に作ったオープンセットらしい)だが、緑の少しもない駅前の街からは、ささやかな市長公舎でも天国と思える。

実際の市長公舎はスクラッチタイルの壁面、ポイント細部に大谷石を使って、フランクロイド・ライト設計の帝国ホテルに影響を受けた上品な建築。

旧館


元々は日本家屋と洋館を組み合わせた建築だったが、日本家屋のほうは老朽化して、小さなレセプションホールに建て替えられている。
その中央にヒマラヤ杉門と玄関の車寄せまでの中央帯に、シイの木の変わった並木があるのが奇妙な印象。
なぜ、シイの木?(不明 元々あったシイの木を活かしたのか)
洋館入口の小川三知のステンドグラス、百合の花のような(花が多いので、シデコブシの花か?)デザインのシャンデリア、、応接間には下村観山の富士の絵、(観山も原三渓に呼ばれて一時期、本牧に住んだことがある日本画家)など見どころも多いが、招待者たちをもっとも喜ばせたはずの庭からの眺望は、ビルの乱立によって失われてしまった。

ステンドグラス


シャンデリア


海や港のかけらも見えないのが寂しい。
サンルーム前のリュウノウギクの群生がその寂しさを癒してくれているようだ。

リュウノウギク

港の風景は、いつも解放されている県庁屋上から眺めることにしよう。
プロフィール
ウェブサイト
お店のウェブサイト
http://home.netyou.jp/33/fushin/
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