図書館のねずみ

南アルプスの伏流水を使った香り高い珈琲を啜りながら、じっくりお気に入りの本が選べる本好きのためのささやかなサロン、ブックギャラリー&カフェ風信。現在は店舗移転の為、日々奮闘しております。書店では扱っていないような古書、絶版文庫を集めています。

街角

横浜海岸教会と開港広場の風景

元旦から6日間旅に出て、帰ってきたまたすぐ小さな旅をし、冷たい雨が嫌だと閉じこもり、そのうちサッカー・アジアカップや相撲が始まり見ざるを得ない…そんなこんなでもう半月経ってしまった。
今年もそうやって、あっという間に過ぎていくのだろうか…。

いつか少しふれたことがあるが、昔の港町ヨコハマの風景をもっとも残しているところはどこか?というと、間違いなく開港広場のある一角だ。
ここには50年前と変わらぬ建物があり、大きく開放的な空が美しい。
英一番館の跡地にできたシルクセンターのビルを除けば、戦前、大震災後に復興した昭和初期の風景がほとんどそのまま感じられる貴重な街並みともいえる。
この地は、ヨコハマ開港前の日米和親条約の締結地という歴史的な場所でもあった。
ハイネが描いた水彩画をもとにした石版画には、水神社の大木が描かれているが、これが英領事館(現・開港資料館)内のタマクス(玉楠=タブノキ)の先代という。

ヨコハマ上陸


玉楠

(当時の木は関東大震災で焼けてしまった)
この絵によれば、日本大通りの海側入口付近に応接所が作られ、その先からペリーが上陸したことになる。
安政元年、1854年のことだ。


今、開港広場に立ってみると、隣は旧・英国領事館(昭和60年築)とクマクスの木が見える。
通りの向こうには、低層・スクラッチタイル張りの震災復興ビルに入ったレストラン「スカンディア」が見える。
開港広場 (2)


右手はシルクセンターの大きな建物、これは戦後ヨコハマの復興シンボルとして、昭和34年に完成したものだ。
当時としては、横浜で一番高い建築(一部9階建て)で、設計者は鎌倉近代美術館を設計した坂倉準三。


そして背後には、横浜海岸教会が未だ背後の高層ビルに埋もれるように、しかし、印象的な姿で建っている。
しばらく外壁修理のためか、覆いが掛かって見えなかったが、やはりこの広場にはこの教会が欠かせない。
改めてこの教会の重要性を思ってしまう。

海岸教会 (2)海岸教会


この地は、国際航路の出入りする大桟橋の入口にあたる。
ヨコハマ港から上陸する乗客たちは、真正面の一番奥にこの教会の美しい側面を見ることになる。
開港広場 (3)


日曜礼拝の鐘が鳴れば、教会に吸い込まれる外国人クリスチャンもいるに違いない。
このチャーチベルは、1875年、教会堂建設時にメアリー・プラインが寄贈した貴重なもので、戦時中の金属供出にも守り続けられた鐘だ。
そして、メアリー・プライアンこそ、横浜協立学園の創立者の一人であり、日本人最初のプロテスタント教会(後の横浜海岸教会)である日本基督公会設立の源となった祈祷会(パーラー・プレイヤー・ミーティング)を山手で開いた人だ。
海岸教会の創始者J・H・バラは、米国改革派教会の宣教師として来浜、この地に石造りの小さな教会堂(自ら「聖なる犬小屋」と呼んだレンガ造りの小堂)を作った。
レンガ造りの犬小屋

そして、ここで洗礼を受けた篠崎桂之助など9名と、すでに洗礼を受けた2名を加え、日本人11名で先の基督公会が作られた。
この1872年3月10日が横浜海岸教会創立の日となっている。
1872年(明治5年)といえば、まだ日本人にはキリスト教の禁止令が生きていた時だ。
(キリシタン禁制が廃止されたのは翌、6年)
篠崎ら11人の、日本人の強い信仰心が窺える。


最初の石造りの大会堂は、大震災で倒壊したが、1933年(昭和8年)、横浜の建築家・クリスチャンであり宮内庁技師であった雪野元吉の設計で再建されたのが、現在の建物だ。
震災後のプロテスタント教会らしいきりりとした佇まいは、小さいとはいえ港ヨコハマのランドマークにふさわしい風景を作っている。
日本写真の創始者と言われる下岡蓮杖も、日下部金兵衛も信者だったというこの海岸教会が、明治の初めからこの地にずっと建ち続けている重さは計り知れない。

甲府の一箱古本市と諏訪の蔵元古本市(1)

やっと秋らしい快晴の日が続いた。
朝から、「八日目の蝉」が最後の力を振り絞って鳴いている。
子孫を残せるかどうかは、この日にかかっている。

彼岸花の花芽も伸びて、細い朱の花が開きかけている。
キツネノカミソリより鋭い花に見えるのは、花色の強いためだろうか。

青空はかなり澄んできたが、いまだ甲斐駒岳には雲がかかって取れない。
八月にたっぷり吸い込んだ土の湿気は、簡単に取れない。
部屋の湿度は60%をなかなか切れない。
稲架(はさ)掛けの稲穂も、今少しの乾燥を待っている。
こんな秋はキノコの豊作が期待できるが…、来週はカラマツ林に行ってこようか。
白州の家の入り口脇に、シイタケの香りがするキノコが生えてきたが何のキノコか?
軒下の薪からは昨年シイタケが生えたが、土からシイタケは生えるのかどうか?


このところ、大阪の岸和田(城下町と紀州街道)・酒井(南蛮交易と鉄砲鍛冶)、茨城の土浦(城と霞ヶ浦の水運)・石岡(常陸国総社まつり、国分寺跡や昭和初期の看板建築など)・水戸(城下町と講道館、そして水戸芸術館)と、気になっていた街を駆け足で巡って、ブログをさぼり気味なのはいけないことと反省!


さて、甲府の街は、間違いなく山に囲まれた山都の代表的な都市だが、あまりに近すぎて十数年も中心地には行っていない。
甲府城もかなり整備されたようなので、一箱古本市に参加する機会に、街と城址を見に行こう。

フライヤー


9月13日、古本市の開かれた甲府銀座通りのアーケード街は、その先に以前は花街もあり、甲府市の賑わいを見せていた繁華街だったが、今は人出も少なめで元気がなくなったと言う。

古本市 (2)古本市準備中

どこの地方都市にもある中心街の衰退が、ここにもある。
地元の書店はただ一つだけが頑張っている。
有力書店はバイパスに出てしまったと言う。
このバイパス道路の完成が曲者だ。
交通量の多いバイパスにブドウの販売店が移り、チェーン店のドライブインのレストランができるのは当然として、地元の老舗までが出てはならない。
これは南長野の城下町・飯田でも感じたことだが、中心街の老舗和菓子屋や書店がバイパスに支店を出していく。
支店に力を入れるほど、本店は力を失う。
やがて、中心街そのものも活力を失う。

南アルプス、御坂山塊、秩父の山々に囲まれた甲府盆地は、少し広すぎた。
バイパスによっても街は広がりすぎた。
県が美術館や文学館を郊外に作り、県立博物館や考古学館までバイパス近くに作ることによって、街の分散化が一層進んでしまった。
少なくとも博物館などは城址近くに作るべきだったが、今になってはどうしようもない。
以前「木喰上人」展、今度は「甲斐の黒駒」展などユニークな企画を行う県博だから、その分館として城址の空地に、小さいがキラリと光る「武田三代ミュージアム」や「甲府城ミュージアム」を作ることは、お手の物だろう。
期待したい。
地元では、本丸の天守復元運動が始まっているが、天守はなくとも小さな質の高いミュージアムと、広くて安い駐車場は必要だ。
中心街と城址を結ぶ散歩道の整備、武田家の本拠地・躑躅ヶ崎(つつじがさき)の武田館(武田神社・武田家の居城)とを回遊する観光用の小さなバスも欲しい。
新しく県立図書館や整備された山手御門、そして明治の建築・藤村記念館のある北口と南口の城址とを結ぶ木造の歩道橋も欲しい。
甲府にはスカイツリーも高層ビルもいらない。
甲府城の天守のあった本丸跡に立ってみよう。

天守跡天守跡展望台から

山々に囲まれた甲府盆地の街や寺がすべて見渡せる、素晴らしい観光資源だ。
松の古木などもない芝生と石垣だけのスッキリした風景は宝物だ、大切にした。

古本市にたどり着かないうちに紙数が尽きた。
次回に続けたい。

緑陰の多いまちづくり?

昨年より一段と勢力を増した豆台風は、パリに去った。

ふたり川遊び

こちらは、数日リハビリをし、やっと大人の生活を取り戻している。
ブログも随分とサボってしまった。

お盆の明けるのを待っていたかのようにツクツク法師が鳴きだした。
このまま今年の夏も終盤に入っていくのかどうかは、予断を許さない。
日本列島は関東だけが晴れて酷暑が続いているが、四国や西日本を中心に、北陸・中部から東北・北海道まで雨続きの異常な気候になっている。
関東地方の酷暑はもう毎度のことだが、10月まで夏日が続いて秋が消滅しかけた年もあった。
真夏の東京や横浜が、もう人間が普通に暮らせる限度を超えつつあることは明らかだが、それを少しでも軽減する取り組みが見られないのはどうしたことか。
こんな8月の東京で、オリンピックが開催できるのだろうか。
日光杉並木のようなマラソンコースが東京にもあるとは思えないが、夜間にでもやるつもりなのか。
夏の暑さはすべて冷房に任せた都市づくりはもう破綻寸前だが、新しい方向になかなか進まないのはどうしたことか。
街の並木は夏前に強い剪定をされ、ほとんど夏の緑陰は期待できない。
駅前はきれいに整備され、木陰を作っていた桜の古木もベンチも消えてしまった。枝を広げた樹木が多いと思われた山下公園でさえ、緑陰のベンチは見つけられなかった。
これでは高齢者はもとより、ベビーカーや子供連れの女性たちが休む場所がない。
老人・女性・子供たちにやさしい街づくりはどこに行ったのだろうか。
観光客の多い表向きの場所は除いて、街中が小石を固めたアスファルトの簡易舗装で覆われて、夜中まで熱を放出して冷めない。
歩道や空き地・駐車場までこの簡易舗装で済ませて平然としている人たちに、街の景観や人にやさしい街づくりを言う資格はない。


横浜市はみなとみらいのデザインに力を入れているが、その表玄関の桜木町駅とその周辺はどう考えているのだろうか。
日本最初の駅とはとても思えない仮設駅。
ベンチも待合所もない。
駅舎がないJRの駅?
そして駅前の、優しさのかけらもないカンカン照りの広場。
鉄道発祥の地を示す碑さえ、埃をかぶって人通りのない隅に追いやられている情けなさ。
初代駅舎を復元した新橋駅とは、えらい違い様に愕然とする。
横浜市は「みどりアップ計画」と称して緑地を残したり市街地の緑化を図ったりする取り組みを始めていて、「みどり税」も実施している。
街中のミドリ、屋上や壁面などの緑化も支援しているのだから、逆方向に走っている。
せめて、かつて駅前にあった噴水でも復元して、緑に包まれた空間に待ち合わせの場所でも作ったらどうなの?と言いたくなる。
この老齢化時代に木陰のベンチさえ許さない駅前整備は、むしろ時代遅れのデザインになっていると…。

長くなりすぎた。
もう城について触れる紙数も無くなった。
次回は、明日再開できるはずの福山城の石垣から始めたい。
現存している松江城の天守や石垣のことも。

横浜駅〜平沼周辺の震災復興橋を見に行く

3週間ぶりの白州行きから戻ってきた横浜は、すっかり春たけなわ。
桜の開花も目前、大岡川沿いの桜は蕾が膨らみ、桜色がもう見えていた。
季節の移り変わりが恐ろしく速い。
速過ぎる。
一か月前、大雪だったこの街が、もうセーターでは暑いほどの気候になっている。

さすがに先週の白州では、まだ梅が咲き始めたばかりの早春、雪の消えた崖にもまだフキノトウは見かけなかった。
まだ甲斐駒が曇れば、チラチラ雪が舞う。
樹々は新芽を固く包んで、緩めてはいない。

街の運河、川端にはやはりヤナギの木が良く似合う。
特に春の新芽時のヤナギの並木の美しさは格別だ。
川霧が立ち込める中に、ヤナギの柔らかなキミドリの新芽が吊るし雛のように垂れて風情がある。

保土ヶ谷宿を通って流れる帷子(かたびら)川は、横浜駅周辺で三つに分かれて海にそそいでいる。
支流の新田間(あらたま)川も石崎川も、埋め立てにより運河となり街に入り込む。
この川端にもっとヤナギを植えて欲しい。
京急線から眺められる石崎川にはサクラやヤナギが植えられ、遊歩道として整備されている。
もうすぐ、桜の季節にはおすすめの散歩コースだ。
この川にはもう一つの楽しみがある。
関東大震災の復興橋が並んでいて、その親柱を見て歩くのも面白い。
下流から、高島橋・敷島橋・石崎橋・梅香崎(うめがさき)橋・平戸橋・西平沼橋・扇田橋と続いている。

石崎橋梅香崎橋
平戸橋西平沼橋
扇田橋






いずれも昭和3年から6年頃の竣工になる。
途中には鉄道沿いに水天宮・平沼神社があり、立ち寄りたい。
ここは、大震災にも戦火にも焼けずに残った霊験あらたかな古社だ。

平沼水天宮


西横浜へ線路を越えると、帷子川沿いに横浜駅西口へ向かう。
名門女子高だった平沼高校近くの平沼橋は新しい橋に変わったが、その上流には復興橋の新田間橋が残されていて貴重だ。

平沼高校

新田間橋



この道は横浜開港時に造られた横浜道にあたる。
五雲亭貞秀の「神奈川・横浜二十八景」には、開港時の横浜道の様子が良く描かれている。
新田間橋、平沼橋(本沼橋)、石崎橋と続いて、野毛の切通し・野毛橋を通り、吉田橋で開港地に入っていく。
江戸の木橋で結ばれた新しい開港地のイメージが、この絵で確認できる。

横浜駅の東口(ここがスタートになるが)には、2つの復興橋・万里(まんり)橋と浅山橋が残されている。

万里橋浅山橋











この万里橋に新しく作られた歩道橋に立てば、運河と京急の鉄橋、そして復興橋の眺めも楽しめる。

運河

ここからは石崎川プロムナードの入口・高島橋はすぐそこだ。
二代目横浜駅は東海道線と直接つなげるために、この地に出来た壮大なステーションだが、関東大震災は一瞬にしてそのすべてを奪ってしまった。

2代目横浜駅プレート

この辺りの復興橋は、それを思い起させる記念碑のようだ。

会津日帰り弾丸ツアー・十日市の起き上り小法師を求めて

1月10日、青春18切符の最終日。
日帰りにはチョットきついが、会津若松に行くことにする。
以前から気になっていた会津の十日市を見に行こう。
十日市と言えば、小さな「起き上り小法師」人形の顔が思い浮かぶ。
この目を細くしてニコニコしている人形が可愛くて気にかかる。
ぜひ欲しい。

十日市ポスター



始発に乗れば(5回乗り換え)昼前には会津若松駅に着く。
帰りは夕方5時14分発の「会津ライナー(快速)」が限度、滞在時間は5時間ちょっとだ。

市だけなら問題ないが、街歩きには忙しい。
少し離れた飯盛り山までは無理だろうか。
ここにある奇想の建築「サザエ堂」(サザエ型。二十らせん状構造の木造仏堂で、同じ坂を通らないで上り下りできる江戸時代の建築。重文)も、気にかかる。
鶴ヶ城までも到達できないのは構わないが、街の全景を見たい気もする。

郡山から「あいずライナー」に乗り換える。
座席はゆったりした急行・特急任用、テーブル付きでリクライニングできる。
得した気分がより高まるのが雪景色。
磐越西線、磐梯熱海駅に入るころ、雪は次第に深くなる。
右手に大きく磐梯山が見え始めると白一色の世界。
どこが猪苗代湖だかわからないほどの、まぶしい雪景色が続く。
台湾のワンさんを連れてきたならば、この60分だけでも大喜びしたことだろう。東京・横浜からの台湾・香港・東南アジアの観光客用の弾丸ツアーには、会津はぴったりだろう。
雪も城も日本の漆器や民芸品などもたっぷり楽しめる。
Samurai Spiritを知るには、会津藩校「日新館」も「会津武家屋敷」も復元された。
お泊りには東山温泉がある。

十日市の会津若松はどんよりした雪国の天気。
一日中雪が降ったりやんだりだから、見通しはきかない。
これでは、赤瓦になった天守に登っても意味はない。
街の全貌はあきらめて、街歩きに専念しよう。

「起き上り小法師の買い方をご存知ですか?」と、店の人が言う。
「?」
「ご家族の人数プラス1だけ選んで、転がしてちゃんと立つか確かめてください。そのうちの余分の一つが家族の訳をかぶってくれるんです。」
そうか、会津の起き上り小法師は厄除けの縁起物だったのか。

うちの起き上り小法師

土地の人はこれや風車を選んで買う。
ダルマや馬、天神様などの縁起物や郷土玩具の店、ソバ道具など木工の店、漆器の店、縁日に多く出るお菓子、アメ…など、食べ物屋台、その数300店。

十日市露天

起き上り小法師は米粒大の小さなものから、2〜30兮腓梁腓なものなどもある。

起き上り小法師

この日ばかりは赤ベコよりも小法師が、どこでも見られる。
雪だるまも小法師だ。

起き上り小法師雪だるま巨大起き上り小法師






以前車で立ち寄った会津若松は、絵ロウソクの店くらいしか印象はなかったが、
街は予想以上に広い。
そして立派な会津漆器の店が多いのに、少し驚いた。
代表的な漆器店「白木屋」に寄り、漆器の色々を堪能した。

白木屋漆器店

さすがは蒲生氏郷の作った城下町だ。
氏郷が奨励した漆産業が、400年以上たった現在も盛んなのはうれしいことだ。
街の中心にある氏郷の墓には寄らねばならない。
神明通り、十日市の雑踏から横にそれ、興徳寺の境内へ。
少し大きめの姿の良い五輪塔が氏郷の墓だ。
辞世の歌碑と共に大切に守られているのがわかる。

氏郷の墓蒲生氏郷の碑











会津若松も山都らしく、水も良い。
磐梯山の湧水を使った珈琲店もある。
会津のソバも地酒も、良い水があってこそだ。

七日町酒蔵

もう一度、5月上旬の桜のころ、会津を訪れよう。
名桜、石部桜を始め、この辺には名桜も多い。
杉の糸桜、虎の尾桜、大鹿桜…。

古い漆喰の蔵店が多く並ぶ七日町(なぬかまち)通りをぶらついて、駅に向かおう。
もう、3時を過ぎている。
赤べえバスに乗れば15分と言うが「さざえ堂」は次回にしよう。
2月7・8日は鶴ヶ城では絵ロウソク祭りが開かれるらしい…。
プロフィール
ウェブサイト
お店のウェブサイト
http://home.netyou.jp/33/fushin/
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