図書館のねずみ

南アルプスの伏流水を使った香り高い珈琲を啜りながら、じっくりお気に入りの本が選べる本好きのためのささやかなサロン、ブックギャラリー&カフェ風信。現在は店舗移転の為、日々奮闘しております。書店では扱っていないような古書、絶版文庫を集めています。

震災復興

再び三陸バスの旅

前回行けなかった三陸海岸の岩手県側を、鉄道とバスで廻ってきた。
三陸鉄道やJR山田線の不通区間のバス運転状況が、今一つはっきりした情報がないまま、宮古から津波被害の大きかった山田町―大槌町―釜石へ。
途中「道の駅やまだ」でバスの乗り換えをした。
こうした情報が盛岡でもつかみにくい。
山田町のカキ小屋や大槌町の復興食堂にも寄りたかったが、昼間のバス便、特に土・日はほとんどないので、途中下車はできない。
震災後の6月、我が家が古い車を提供した未だ仮説の平屋プレハブをつなぎ合わせて診療をしている県立山田病院の前を通ったとき、妻は感激していた。
そして、まだあの状態なの?とつぶやいていた。

釜石「橋上市場」がなくなり、その店を集めた「サン・フィッシュ釜石」くらいしかない釜石では1時間半の乗り継ぎ時間。

サン・フィッシュ

今日中に宿泊予定地の陸前高田に着けるだろうか。
土曜日だが、釜石に観光客はほとんどいないし、バスを乗り継ぐ物好きはいない。
釜石から普通の三鉄南リアス線をバスで、JR大船渡線終点の盛(さかり)駅近くのサンリアSC(ショッピングセンター)で降りると陽は落ちてしまった。
しかし、盛からは開通したばかりの心強い味方がある。
一部線路を使って走るBRT(バス)だ。

BRT

駅の構内に赤いBRTが入ってくると、鉄道復活のような安心感がある。
三陸鉄道の再開は来年4月というが、被災地の復興プランはもう確定したのであろうか。
大船渡を通り、越前高田に入ったのは夜8時半になっていた。

翌朝は高田松原の1本松を見てから、BRTで気仙沼に出て帰路へ。
BRTの臨時駅「奇跡の1本松」駅は、8月いっぱいで終了という。
日曜日なので、自家用車での見学者は結構多い。
壊れたユースホステルをバックに、1本松が復元されている。
細い枝や葉は何年持つだろうか。

奇蹟の一本松1


周辺ではクレーン車やトラックが往き来して、海岸線かさ上げ工事が始まっているようだ。

奇蹟の1本松2

山を切り崩し、高台への住宅地作りと山土取りの工事も始まった。
海が見えなくなる高さ12メートルの防潮堤(土手?)を自然を守る姿で実現できるだろうか。
各地区ごとに住宅の高台移転が進む中、湿地や入り海を取り入れた魅力ある公園はできないだろうか。
山寄りの奥地は盛り土して、公共施設や銀行をまとめ、店舗はそこを囲むようにして・・・。
街づくりのプランはまだ完全に決まったわけではなさそうだ。
復興名物「おつまみ板昆布」を買ってBRTに乗った。
気仙沼の乗り上げた船は撤去が決まったようだが、まだそのまま残っていた。

船


もうひとつ、
被災地大船渡印刷・発刊の「気仙語訳聖書」が見たかったが、どこにも見当たらなかったのは残念だった。

復興はどうなっているのだろうか?

マダニの件はやっと続報を見た。
死者は確定できぬのか書いていないが、7〜8人か?
マダニのもつウイルス感染病SETS(重症熱性血小板減少症候群)には、まだ特効薬はないようだ。
噛まれないよう、野生動物が出入りするけもの道の周辺には近づかない。
家のペットには、駆除剤対策をしておくこと。
外出した犬・猫に取りついたダニは、たっぷり血を吸って何十倍にも膨らんで通り道に落ちていrる。
・・・中国の新型鳥インフルエンザも食用ハトばかりでなく、野生のハトからも検出された。
渡り鳥を介在して、日本に入る日も近いか?

ところで、先の石巻〜気仙沼〜陸前高田の旅で知りたかったのは、復興の兆しを少しでも見つけたかったことと、木材生産地として知られる南三陸の志津川地区の植林とその被害。
三陸海岸近くの植林の様子はちょっと想像できなかったが、やっと見ることができた。
入り組んだ海岸近くの丘はほとんどすべて、杉の植林が成されていた。
山側の平地、小川の脇などにも大きな杉の森が出来ていた。
津波は小高い丘のスギ林の下方まで来ていて、根元だけを残して引きちぎるように海に持って行ったようだ。
引き波の威力が相当に大きいのを感じる光景が、いたるところで見られた。

津波跡

神社や寺の参道の巨杉も海水をかぶり、枯れた巨木も多い。
これらの材は有効に使われて欲しい。
流木となって廃材置き場に会った杉材の丸太を使って建てたのが、陸前高田の仮設住宅の集会場となる「みんなの家」だ。
小生が最後にたどり着いた陸前高田は陽が落ちて真っ暗だった。
高台の仮設の看板だけが見えた。

役所役所入口










もうひとつ、防潮堤のことが気になる。
海岸線には8.5M、9Mといったポールが立っているが、これはコンクリートで造るのだろうか?
宮城県知事は、平均8メートル位の防潮堤ですべてを囲むつもりのようだが、それでよいのだろうか?
気になっていた公設の集合住宅は1、2を除いてまだほとんど実現できていなかった。


ここで、「蟻の兵隊」の池谷薫監督の新作ドキュメント「先祖になる」を紹介したい。
先祖になる
陸前高田の77歳の震災後を描いている秀作。
「家が流されたらまた建てればいい…大昔から人はそうやってこの土地を生きてきた。」


ついでに、連休中の安くて楽しい穴場スポットを紹介したい。
川崎大師隣の大師公園にある「瀋秀園(しんしゅうえん)」。

ボタン池
ボタンの花と名石鑑賞、本格的な中国式庭園が楽しめる。

春は来ているが、すぐ通り抜けるかもしれない。

十日ぶりの山梨県北杜市はいきなり春となっていた。
日陰にかなり残っていた雪はすっかり消えていた。
春の使者・クロッカスが紫色の花弁をいっぱいに開いている。
紅梅も白梅も一緒に咲きだした。
いつもなら、マンサクやロウバイが終わってから咲きだすサンシュユの黄色い花も咲いている。

サンシュユ

桜の開花が各地から次々と報告されているのだから当然なのだが、当地では十月桜は咲いているが、さすがに桜はまだ固い蕾が出てきたばかりだ。
春の花が一斉に咲く東北や北海道の北国の春に近づきつつあるのか。
25度を越える夏日が3月に2回も記録されるのは異常だ。
秋と同じに春も1か月ももたなくなりそうで、不安な気分になる。
横浜では、野毛や吉田町のコブシが満開になっていたから、大岡川の桜も咲きだしただろうか。
当地近辺では桜の古木名木がいくつか残っている。
白州町にも、2〜3本の名木が、隣の武川町には日本最古の樹齢を誇る実相寺の「山高の神代桜」がある。
幹は朽ち果てようとしているが、新しい枝がいくつも伸び、花をつける。
同じく隣の小淵沢の田んぼには「神田桜」がある。
この桜は中央線の車窓からも眺められるから、ご存知の方も多いだろう。
梅の古木も皮一枚が生き残り花を咲かせる名木をよく見かけるが、桜も山桜や江戸彼岸、大島桜など主幹を朽ち果てそうにしながら、発根し、新枝を伸ばす力があるのは素晴らしい。
昨日見た塩竈神社の天然記念物の里桜「塩竈桜」も同じように新しい立派な枝をいくつも伸ばして生をつないでいた。

塩竈桜

雪の重みで幹から折れていた山桜が、春になり枝いっぱいに花を咲かせているのは感動的だ。


この原稿、土・日・月に行った東北被災地BRTの旅と差し替えるつもりだったが、書けなかったので、写真だけでも少し載せたい。

瓦礫
看板

骨組みのみ
なにもない

鉄道橋脚
大谷海岸

男山
桟橋2

歌碑
仮設店舗

BRT(バス・ラビット・トランジット)は未だ復旧不可能の気仙沼線仮復旧として、南三陸町を中心に気仙沼まで、そして当日からは陸前高田を通り大船渡・盛まで開通した。


昭和の大津波後に立派な町史と大冊の被災地記録を残した南三陸町や志津川が再び街ごと何もかも流されてしまった風景を見て、復興公営住宅についてはもう少し後で書きたいと思った。

桜はまだかいな?(本日は桜の開花日と言うが…)

本日の定休日(2日)はコーヒーに使う水を採りに、山梨県北杜市白州町へ行って来る。
日帰りUターンはもったいないので、火曜日は臨時休業。
この季節、南アルプス山麓はフキノトウが顔を見せる頃、ツクシはもう少し後か。
山麓の春は2週間遅い。
カラマツの柔らかい新芽を見られるのも、もうすぐだ。
今月中旬ともなれば、小淵沢の枝垂れ「神田桜」も、日本最高齢(樹齢2000年は少しオーバーと思うが)と言われる武川町の江戸彼岸「神代櫻」も咲き始めて、山麓の春が訪れる。

津波の最奥到達ラインに沿って、寿命の長いエドヒガンやシダレザクラ、オオシマザクラ、寒さに強いオオヤマザクラなど(今はやりのソメイヨシノは100年ももたない、5〜60年で樹勢が衰える)を植えて、一目で津波がきた地点がわかるようにするプロジェクトが、陸前高田を中心に動いている。
日本さくらの会も支援しているようだ。
明治の三陸大津波時には津波の襲った到達点にりっぱな石碑が建てられた。
後世の人たちに残した貴重な伝言であったが、立派な堤防の整った宮古の人たちには、堤防の安全神話が逆に避難を遅らせた。
各村に残る碑のことば、「地震が起きたら、ここより少しでも高いところに逃げよ」という明治の被災者たちの思いは届かなかった。
その碑の存在さえ知らない若い住民も多かったようだ。

仙台でも、「津波は貞山堀を越えない」という安全神話がじゃまをして避難を遅らせた。
石巻の大川小学校の悲劇を見ても、結局は小・中学校での津波防災教育を徹底させることが重要か。
世界一と言う、高さ63メートル、幅2キロの防波堤を持っていた釜石の小学校での防災教育が注目されている。
小学生の犠牲者を出さなかったこと、逃げようとしない老人たちを促して共に逃げ、助かったという話をいくつも聞くことができる。
この30年かけて作った防波堤が津波の高さを4メートル減らした、到達を6分遅らせたという減災効果は本当か?
国はその再建を早くも決めているようだが、対費用効果は?
もう少し詳しく検証してからにして欲しい。

先日(28日)野毛で行われた大槌支援カフェ、映画「槌音」上映会を覗いてきた。
住民の1割近い1300人が犠牲になった大槌出身の若い監督も、「うちの親たちは逃げない家族です」と断言していたように、津波の恐ろしさを知っていそうな大人・老人たちには、体験と言えばチリ地震津波や昭和初期の三陸津波であって、明治の三陸大津波の体験は伝わっていないのが実情だ。
チリ地震の時は津波はここに届かなかったと、自分の体験で逃げなかった人も多い。
この大槌にもいくつもの明治の津波碑が残っていたのだが…。

この会で「ひょっこりひょうたん国プロジェクト」の話も聞きたかったが、時間がとれなかった。
大槌の吉里吉里地区は、井上ひさし「吉里吉里人」で描いた日本国から分離独立する新しい国の象徴的舞台だ。
戸塚の明治学院大の学生たちが当初から支援活動を行っているようだ。
未だ、瓦礫の1%しか処理されていない大槌の復興プランはどうなっているのだろうか?
みなの出会う場となっている「おらが大槌復興食堂」の運営をしている阿部さんが現地からいらしていたが、時間がなかった。
大槌の「舟渡御」も行う伝統的な祭りは復活できるのか?
その神社は無事か?
聞きたいことは多いのだが。

もう、山梨へ行く時間だ。
今回はこれまで。

復興のデザイン

関東大震災のとき、「焼土全部買い上げ案」は実現されなかったが、東日本大震災の津波で全壊した陸前高田、大槌町、山田町などの場合はどうか?
原発汚染の町は当然復興予算19兆円(5年間)に含まれているだろうが、三陸の津波被害の街に適用されるのか?
街全体を一から作り直す町や村の復興には、都市計画や建築の専門家が必要だが、復興庁や県・市には人材はどの程度いるのだろうか・・・心配だ。

関東大震災の横浜復興に力になったのは、木村龍雄など総勢100人を超える横浜市建築課の技師たちであった。
復興院とは別に、これだけの人員を揃えたところに、復興にかける原富太郎を会長とする横浜市復興会の強い意欲を感じる。
その最後の大仕事が、木村が設計した横浜市商工奨励館の建築だ。
野澤屋を見殺しにした横浜市も、さすがにこの建物は壊せなかった。
現在、日本大通りに面する前面をそのまま残し、後ろに新しいビルをつないで、「情報文化センター」として利用している。
(新聞博物館や民間放送ライブラリーが入っている)

この建物の昭和4年竣工時に撮影された記念写真が、「なか区歴史の散歩道」(神奈川新聞・2007年刊)に載っている。
中央前列に木村と施工者・岩崎金太郎が座り、市の技師と関係者が、重厚なデザインの玄関をバックに写っている晴れの写真だ。

玄関前写真

玄関


横浜商工会議所が入っていたこのビルの階段や太い柱、照明デザインを見ていただきたい。
柱

階段

復興視察で行幸した昭和天皇も立ち寄られた待合室もきれいに修復されている。
天井

貴賓室



東北復興のためには、もっと建築家の力を取り入れてほしい。
従来通りの仮設住宅建築には、地元の業者や産業はほとんど潤わなかったという。
釜石市には、前に触れた建築家伊藤豊雄さんのプランがある。
石巻では工学院大の五島治教授(日本建築史)が、仮設の代わりに民間建材会社の支援を受け復興住宅を進めていると聞いたが、その後どうなったか?
仮設は撤退まで含めると500万円もかかる。
これに、全壊世帯に支給される最大350万円を加えれば、土地代のみでローコス住宅はできるはずだ。
土地代は被災地を国に買ってもらうことで、または、公営・低家賃のローコスト集合住宅も可能だ。
(やはり、仮設は厚生労働省・復興住宅は国土交通省という縦割り行政を調整する復興庁が遅れたのが痛かった)


岩手・宮城・山形・青森など木材の生産地も多い。
例えば、宮城県・仙台近郊の志津川町は林業の町・スギの産地だ。
(志津川湾の荒島の天然林はタブの北限、一木一草も持ち出してはならぬとされた天然記念物の森)
また、近く、北上川河口の登米(とよま)周辺は天然スレートの産地。
釜石トンネルを抜けた雄勝町は民家の屋根はスレート葺きで、重厚な家並みが美しい。
壁まですべてスレートで覆われた蔵まである!
このスレートは、東京駅の修理でも使われた優れた屋根材だ。
これら東北の地元の材を使わない手はない。

50万100万の巨大都市にはできなかったことが、三陸の3万〜8万のコンパクト都市では実現できる。
昭和30年代後半から、異なったほうに突っ走ってしまった現代日本の年や近郊農村を、自然と調和した美しい景観・家並みに取り戻してほしい。
ヨーロッパの歴史ある街並み、ポーランドやワルシャワでは、戦災で崩れ落ちた街並みを煉瓦一つ一つを元通りに積み上げ図面通りに装飾も復元して、恐ろしい手間をかけて昔の街並みを復元させたが、日本の美しい木造の家並みは、シンプルで早い復興が可能だ。
それも最新の技術も伝統の技も組み入れた日本式のエコロジーハウス・スマートハウス群や長屋風集合商店街が…。
プロフィール
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