図書館のねずみ

南アルプスの伏流水を使った香り高い珈琲を啜りながら、じっくりお気に入りの本が選べる本好きのためのささやかなサロン、ブックギャラリー&カフェ風信。現在は店舗移転の為、日々奮闘しております。書店では扱っていないような古書、絶版文庫を集めています。

花見の鉄道旅

まだ、朝晩はかなり冷え込む八ヶ岳〜甲斐駒の山麓も昼間は書架のような強い日差しが多くなってきた。
芽吹きの遅いネム、カシワ、カキ、オーク、ナツメなどは別にして、新芽は確実に動き出した。
カツラもハナノキもカエデもきれいな赤い新芽を開き、ホウノキも堅いつぼみを解いている。
一本だけ残ったカラマツもやわらかい緑色の芽吹きが始まった。

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かなり遅れ気味の今年の桜はどうか。
ソメイヨシノは暖かい雨が二・三度降ると一気に満開になってしまった。
シダレ桜は一般に開花が早めだから、もう葉桜になったかもと思ったが、ちょうど一週間前、10日(月)くらいに身延山に出かけてみた。
土・日は避けたが、まだ駐車場に向かう細い道の渋滞を考え、久しぶりに鉄道を使った。
身延線は単線だから、やたらと待ち合わせの停車が多いが、駅の桜もじっくりと楽しめたて、のんびり旅もいいもんだ。


甲府駅の身延線プラットホームからはお城の石垣や桜が目の前に見えることを、初めて知った。

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天守台も見えたし、駅前の信玄像のバックにはわずかに南アルプスの白根山さえはっきり確認できる。

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この風景を大事にしてもらいたい。
富士をお望みの外国観光客には駅ビル上に登ってもらいたい。
または、少し歩いて店主代に行けば、秩父山塊や南アルプスに囲まれた甲府盆地や真っ白な富士山の上半身が一望できる。
ここに立てば、天守の再建はいらないことがわかるだろう。

今、甲府盆地周辺、特に一ノ宮の裾はモモの花の色でも華やかに彩られている。
甲府の手前、春日居あたりの車窓からは、モモ畑と富士の姿が美しい

鉄道の花三度もいいもんだが、もう一つ、この旅には思わぬご褒美があった。
勝沼ブドウ郷駅の正面、夕日が沈む山々の中央に一段と高く神々しく見えるきれいなピラミダルな山は我が白州町の甲斐駒ケ岳だった。

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いつも南アルプスの端っこで、甲府付近では遠く目立たないはずのこの山が、この駅前では主役を張っているのにちょっと驚いた。

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白州から見える山容とは異なって、見事なピラミッド型を再確認できたのも収穫だった。


さて、身延の桜はどうだったか。
いつもなら4月の初めには終わっている本堂前の日本の名木枝垂れ桜は最後の輝きを保っていた。

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明日は天気が荒れるとのことだから、今年、最後の花見になるだろう。
本堂から少し離れた樹齢400年以上と言われる古桜の方はかなり樹勢が衰えてきているから、桜好きはここ数年のうちに観ておいたほうが良いと思われる。
車窓で見える小淵沢の神田桜も(まだ、開花していなかった?)、大枝が折れて近年衰えが目立ってきているように見えた。
近くの日本最古と言われる山高の神代桜(国の天然記念物)も、主幹はほとんど朽ち、そこから伸びた二世のような枝がやっと生き延びている状態だった。
100年くらいしか生きられないソメイヨシノと異なって、エドヒガンや山桜などはかなり寿命が長いほうだが、300年、400年を越えると、よほど環境をよく保ってやらないと生き延びることは難しい。
根を張っている部分より大きく囲んで、立ち入ってはならないのは最低限度のマナーだろう。
山桜や標高の高い富士見の枝垂れ桜、木曽谷の桜はまだこれからが本番だ。
まだ、不知の伊那谷の古桜も見逃せない。
山梨・長野には昔から村人に大事に守られてきた古桜がかなりある。
まだ知られていない古桜をめぐる楽しみはこれから続く

屋根付き橋が気にかかる

甲斐駒の上に暗い雨雲がかかり、山頂が煙っている。
「山は吹雪だろうな」と思っていると、にわかに冷気が下りてきた。
冷たい風にチラチラと雪が混ざりだした。
チラチラとしか言いようがないほどの降り方が4〜5分続くと、風が強くなり始めた。
今度は粉雪が舞うように次第に激しくなってくる。
春の嵐か、目の前のヒノキ林が大きく揺れ始めた。
向こうの森全体も、唸る音を立て始めた。
風に乗って横から吹き付ける雪が、隙間さえあればどこまでも入ってくる。
時々、陽が差し込んで太陽の位置を知らせていたのが、雲が厚くなり、もう日差しは期待できないか。
もう雪はなり奥に吹き溜まりとなって、うっすらと積もっている。

こんな降り方が続くと木造の橋にはダメージが高くなる。
雨に強い屋根付き橋も、こんな雪には弱い。
水に強い油分の多い良質な材を贅沢に使った橋でも、管理をおろそかにしたらすぐ劣化が始まる。
日本の木橋は架け替えられることが前提とされるほどだから、古い木橋は残っていない。
良質な材を使って数十年は持つだろうが、流れの速い河川や台風・大雨などによって流失する被害のほうが多いだろうと考えると、わざわざ屋根を付けて寿命を延ばす必要もあまり考えられなかったのだろう。
屋根付き橋のほとんどは、寺や神社の入り口に架けられていた太鼓橋や檜皮(ひわだ)で葺かれた立派な屋根付き橋だ。
この橋は神や仏の世界と人間の生きる世界とをつなぐ特別なルートだから、神やそれに準じた貴人だけしか通れまい。

長野県諏訪大社の春宮の門前には、道の中央に寺社建築の重要施設として屋根付き太鼓橋が、装飾彫刻を施されて大切に残されている。

春宮太鼓橋2春宮太鼓橋








これは春宮で一番古い建築物だ。
この橋を通れるのは祭礼時、神職に担がれた神輿だけとなっている。
下に川や池がないとしても、まさに神の通る道(橋)ということだ。
四国金毘羅神社の鞘橋や九州・宇佐八幡宮の呉橋も同じだ。
今や観光スポットとなっている鹿教温泉の五台橋も、ともとは此岸と彼岸をつなぐ神聖な屋根付きの橋とされたのだろう。

ヨーロッパでは昔は普通にあった屋根付き橋、ポンテ・ベッキオやリアルト橋など土産物店が並ぶ橋や、ドイツ・エアフルトの家付き橋など石造りの建築が橋上に並び、屋根付き橋とは言いにくい、街みをそのまま載せた橋は中世の古い街にはごく普通に作られていた。

ポンデ・ベッキオ3ポンデ・ベッキオ2







川が見えないから、旅行者は橋を渡っていると気がつかない。
街を城壁で囲んだ旧市街は、川からの侵攻を防ぐためにも、橋には城壁のように隙間なく高い建築物を並べた。
石造りの街並み、石橋でしかできないことだ。

木の古い屋根付き橋も修理を重ねながら、いくつか残されている。
まだ見たことはないが、ヨーロッパ最古の木造橋、スイスのカペル橋は1300年ころの架橋とされている。(一部喪失再建)
イタリアのパラディオの木橋も腐らないように屋根付きで、しかも防火の構えがある。(入り口はトンネルを使っている)
もう一つ、ドイツとスイスの国境の橋・ゼキンゲンの橋はライン川に架かる木橋としてはヨーロッパ最大の屋根付き橋で、全長200メートル、ほとんど全体を木で包まれた暗い回廊だ。(1700年の架橋・何度も再建・1928年修理)
この3つの古い木橋、いずれも未見だが、水の流れの穏やかな、台風のない湿度の低い土地柄だから残された貴重な屋根付き橋だ。


ところで、寺社とは関係のない屋根付き橋は日本には見つからないのだろうか。
四国の伊予地方、内子の郊外にはいくつか屋根付き橋がある。
いずれもあまり古いものではない。
戦中・戦後も間もなくから近年のものらしい。
弓削神社の屋根付き太鼓橋を別にすれば、寺社とは関係ない集落の近くにある。
そのうち一番古く状態の良い河内(かわのうち)の屋根付き橋(田丸橋)を見に行ってきた。


内子駅から車で15分くらい、麓川の小さな流れに簡単ながらしっかりしたつくりの屋根付き橋が見えた。
司馬遼太郎「坂の上の雲」(NHKドラマ)に登場したこともある、雰囲気のある姿がなかなか良い。
1944年(昭和19年)に作られたというこの橋は、わりと深い谷川の風通しの良い場所にあり、台風や大雨の影響を受けにくい環境と村人たちの手入れによって、良い状態で残されている。
この橋を渡って町へ行くといった重要な道ではない。
橋を渡っても2・3軒の家と里山があるばかりだ。
石垣に芝の土手がごく自然に橋とつながり、橋大工の手慣れた技がさえていて気持ちが良い橋だ。
梅雨時や日差しのきつい夏など、この橋上の風通しの良い屋根の下で、村人たちは共同作業や祭りの準備などをしたのではないか。
木炭作りの盛んだった時期、木炭倉庫としても使われていたらしい。

田丸橋2田丸橋


この村の屋根付き橋は、アメリカの農村に残された木造屋根付き橋とはずいぶん印象が異なる。
映画「マディソン郡の橋」に出てくる橋は、雨や大雪が入り込まないためだろう、すべての周りを箱のように囲んでしまった屋根付き橋だ。
中が暗くて、スマートさに欠けるが、田舎の風景としてちょっと面白い。
クリント・イーストウッドはこうした端に夢中になっているカメラマン役だ。
このアメリカの屋根付き橋を集めた写真集もあるくらいだから、アメリカにもアニマックな人がいるものだ。

最後に、現代の屋根付き橋を紹介したい。
スペイン人がデザインした屋根付き橋(東橋)が富山・新湊の内川に作られている。

東橋東橋内部

これも映画「人生の約束」に登場している屋根付き橋だ。
舟の行き来する川面をボーっと眺めるには、恰好の場所となっている。
そこには、日本庭園の東屋(四阿)のように、一休みできるベンチも作られている。
祭りの時は華やかな山車を眺められるベストポジションとなる。

橋の色々

昔、ルノーのポンコツ車を運転して、深夜のブダペストの街を突っ切ったことがある。
誰もいない町に、ライトアップされた巨大な門が現れると、ウイーン方面から来た幹線道路は、ドナウ川に架かった壮麗に飾られた二つの石塔を持つ吊り橋に吸い込まれていく。
いきなり200年前の世界に迷い込んでしまった気分になったが、よく目を凝らしてみると街並みも巨大な橋も古色蒼然として、湖底の都市のようでもある。
後で調べたら、これがブダペスト観光の目玉ともいえるチェーン・ブリッジ(鎖橋)だった。
このブダ地区とペスト地区を結ぶ重要な橋(鉄を使った近代吊り橋)はイギリス人技師によって10年の工期をかけて、1849年に完成した。
しかし、この吊り橋は何度もの苦難を乗り越えてきている。
チェーンの錬鉄もすべて鋼鉄に替えられた。
第二次大戦時、ドイツ軍に仕掛けられた爆薬がチェーンを切り、崩れ落ちた時も、どうにか復元された。
ハンガリー動乱の危機も乗り越えた。
この橋を、一体、何台の戦車が行き来したであろうか。
それにしても、ハンガリーやポーランドの人たちの復元力は並外れて高い。
全壊した街並みも、石一つから復元していく市民の力がある。


復元という視点から見れば、木造の高い技術を持つ日本も復元力は高い。
「甲斐の猿橋」「今日の宇治橋」「瀬田の唐橋」など、台風・大雨・木の老朽化・戦乱などにより、幾度再建されたかわからないほどだ。
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世界的に最も美しい「岩国の錦帯橋」も台風による被害で壊滅的危機にあったが、西日本中の大工が結集して、復元された。
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この度重なる台風による風雨・洪水の被害は四国・四万十や吉野川に沈下橋(潜水橋や潜り橋とも言われる)を生んだ。
もっと小さな川では、「こんにゃく橋」と言って、始めから流されることを意図して、予め
ワイヤーでつないだ木桁を流し回収する、「流れ橋」も出現させた。
四国という土地は、面白い文化や技術をよく伝えている。

ツル植物を使った「かずら橋」も、今や徳島の祖谷だけに残された。
この吊り橋の原型を長く伝えるため、3年ごとに新しく架け替えられている。
大変な労力をかけ守っている古式の技術は、細部をビデオに録り、失われることのないように伝えられる。

もう一つの伊予に残された「屋根付き橋」については、次回で。
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干柿の王国・カキの実のなる風景は日本農村の原風景だ

堂上蜂屋柿をご存知でしょうか。
岐阜県美濃太田市の蜂屋地区で生まれた最高品質の干柿だ。

箱


堂上蜂屋柿2

最高級の8個木箱入りは1万円を超える。
堂上とは天皇や将軍への献上品という意味だ。
平安時代から千年も続く歴史をもつ大ブランドが、今でも守られ、認定制度として生きている。
この地で育った渋柿の品種「蜂屋柿」は、一枝に一個の摘果をされ、大玉の道場となっていく。
収穫された蜂屋柿は四角っぽくて機械ではきれいに剥けない。
手間をかけ手作業で皮を剝き、、昔通りに天日干し、手もみなど伝統作業を守って仕上げられる。
まさに飴色の宝石、そのねっとりとした甘さは何と表現したらよいだろうか。
ドライフルーツとして、これを越えるものは見つけることができない。
茶席の菓子としても、同じく岐阜県中津川の栗きんとんと並んで第一級であることは、お茶人たちにはつとに周知のことだ。

(美濃太田―中津川・この中間に位置する多治見の和菓子屋で、二つを合体したお茶菓子を見つけた。干柿の中に分からぬように栗きんとんが入っているのだ。1+1は2ならず!といったところか)
お正月の初釜では、茶席の主役となる。

栗入り干柿


毎年、蜂屋町の瑞林寺(地元では柿寺で通る)では、正月に蜂屋が気を使ったお茶会が行われる。
この蜂屋柿はヘタをとったら、バナナのように縦に裂くように向いていただくのが作法だ。

柿は世界中どこでもKAKIで通る日本原産のフルーツ。
特に甘柿の富有柿は今では世界中で栽培されているが、その発祥の地も岐阜県だ。
その瑞穂市と本巣市の境あたりに、富有柿の原木がある。

原木

同じく甘柿の代表的品種「治(次とも書く)郎柿」の母木も、少し南の静岡県、お茶の栽培の盛んな森町にあるのを知った。
民家に囲まれた小さな敷地に数本の意外と小さな原木数本が残されているが、二代目との表記があった。

山梨の干柿は甲州百目(匁)柿、富山では(南栃)では三社柿が使われる。
いずれも大玉の渋柿で、その製法は蜂屋柿の美濃から伝わったものだだろう。
南信市田町の市田柿も含めて、この中部日本の地域は干柿のふるさとといえよう。
干柿が出回る12月から正月にかけては、歳暮や年賀の贈答品が活躍する時期だけに、地元産の干柿が注目を集める。
その王様・堂上蜂屋柿も1月を越してしまえば、もう入手困難だろう。

中津川の栗きんとんについても、いずれ書きたい。

栗きんとん

美濃・ひんここ祭り

すっかりサボてしまったブログを再開したい。
前回は夏休み前の7月上旬だったと思うが、確か山梨県立文学館の劇場型ホールで行われた黒テント公演「山崎方代」を観てから、夏休みモードに入り込んでしまった。
毎年恒例の娘家族の帰国と、妻の病と…言い訳もたくさんあるが、なんと雪の季節となってしまった。
それにしても、11月の積雪は早すぎる。
北海道では10月29日の積雪が根雪となっているようだが、山梨では11月24日、小淵沢の駐車場で掘り出すようにして動かした車上の20僂寮磴睛癲稿には消えた。
ネムやクワ、カキ、カラマツもすべて葉を落としたが、クヌギやナラなど雑木林の樹々はオレンジ色に近い晩秋の景色を取り戻している。

方代のことも書きたいが、ここでは、11月23日に観た美濃市大矢田(おおやだ)神社の「ひんここ祭り」のことを書こう。

この素朴すぎる人形劇が500年も続いていることは驚くべきことだ。
ここ美濃地方やその周辺、南信濃から奥三河にかけては、日本文化の吹き溜まりのように特異な民族的行事・祭りがかなり残され守られている興味深い地域だ。
特に長良川沿いを走る長良川鉄道には面白い街がいくつもある。

まず、長良川は1300年の歴史を持つ鵜飼いとアユの文化を持っている。
同じく1300年と言われる美濃和紙があり、春にはこの紙を桜色に染めた花神輿が、うだつの上がった家々の並ぶ美濃の街を練り歩く。
この祭りでも「流し仁輪加」という珍しい即興劇が残されている。
秋には、美濃和紙あかりアート展という新しい試みで街を盛り上げている。

あかりアート2


この美濃市の古い街並みは日本有数の規模で一見の価値がある。
もちろん郡上八幡の夏は郡上踊り一色だ。
その上流、美濃白鳥でも夏は白鳥踊りで賑わう。
そして、最上流には白山信仰の本山・長滝白山神社がある。
ここまで来れば、白川郷にも近い。
忘れてならないのは、この流域は円空上人の本場だということ。
美濃生まれの円空が晩年を過ごした関の池尻には円空館があり、30体の円空物を観ることができるし、他にも円空物と出会う機会は多い。
この関市は鎌倉時代から続く刃物の街だ。
今でも刀匠が伝統を受け継いでいるし、フェザーなど現在でも刃物メーカーが集積しているのも興味深い。

ところで、「ひんここ祭り」だ。
11月23日の祝日、紅葉の名所でもある美濃市近郊の大矢田神社は、車が半日渋滞するほど賑わう。
ほとんどが紅葉狩りと神社参拝が目的だが、もともと春祭りで行われる「ひんここ」もこの日に演じられるようになった。
神楽殿で舞われる踊りではない。
楼門下の広場が見物席となり、2〜30m離れた山腹に幕が張られ、ここでいたって単純な人形劇が演じられる。
観客は地元の人たち100人くらい。
ほぼ等身大の異形な相貌をもった人形が現れると、人々はホー、ヒーという不思議な声をあげる。

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ストーリーは単純だ。
麦蒔きをしている農民たちを一人一人大蛇が飲み込んでしまうが、手に大麻を持った祢宜殿が返信して、須佐之男命になって大蛇を退治するというもの。
農民の顔も異形だが、その動きも頭が上下に動くだけの単純さ。
その持ち物が、鍬、火種、軍配、種、肥料、弁当などで、服装も同じ、祢宜殿が変身しても同じ服装で代り映えがしないも、何ともおかしい。
バックのお囃子の音も単純な繰り返しで素朴の極み。

五穀豊穣を祈るこの祭りが500年も続いているのは、いかにも美濃らしい奇跡的な光景だ。
この祭りは平成11年、国の無形民俗文化財に指定された。
また、この大矢田神社の本殿も拝殿も重要文化財に指定されているが、有名なのはこの神社を中心としたヤマモミジの樹林だ。
楫斐川の華厳寺、横蔵寺と並んで美濃もみじ三山として有名だ。
(国の天然記念物 楓谷ヤマモミジ樹林))

当日は、ほんの少し、紅葉の盛りを過ぎていた。
この紅葉の純林をバックに「ひんここ祭り」を観たいものだ。
(当日あわてて出発してカメラを忘れた。小生はケータイもスマホも持たないので写真はない。パンフレットから「ひんここ祭り」を引用したい。観光列車ながらのポスターも美しい。)

ポスタ2ー
プロフィール
ウェブサイト
お店のウェブサイト
http://home.netyou.jp/33/fushin/
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