2018年06月07日
堀江貴文、落合 陽一『10年後の仕事図鑑』 −10年後なんてわからない
メディアアーティストの落合陽一とホリエモンが、AI大活躍の未来でどう生きるかについて語った本です。
10年後には今ある仕事はどうなってるかを予想するものと思いきや(そういう部分も少しはあるのですが)「あまりに変化がすごすぎるから、未来のことなんて考えてもしょうがないよね。だから今を頑張ろう」という話です。
「10年後の仕事」でよかったのでは。
図鑑がついた方がキャッチーか。
二人の対話というか、交互に文章が並ぶ(噛み合ってないとこも)形式で、
・未来のことなんてわからないから、守りに入ってもしょうがない
・いろいろなコストが下がるから、普通には生活しやすくなる
・AIに仕事を取られるのではなく、無駄な仕事をしなくてよくなると考えるべき
・AIに淘汰されずに活躍するのは、その人にしかできないことがある人
といったことが語られます。
二人は同じようなことを言っているようにみえて、オンリーワンの人材に至るまでが、ホリエモンは「自分の好きなことをやっていればオンリーワンになれる」、落合は「オンリーワンになるために自分の好きなことをする」ということで、出発点と目的地が逆なような気がしました。
「面白いことやってみよう」という経営目線のホリエモンと、「理論で考えたことを実践してみよう」という学者寄りの落合、という違いなんでしょうか。
ゴールを意識しているかしていないか。
二人とも、今まで本を読んだことないので、この本だけの印象ですが。
もともと自分で考えていたことと近い部分もあった。
今後AIが高度になることについて、「そんなすぐには世界は変わらないよ」派と「どんどんAIになってくよ」派があるのですが、僕は「どんどんなってくよ」派です。
技術が発達すれば、人は働かなくてよくなる。
産業革命から同じこと言ってる、と大学時代に友達に言われたのを思い出しましたが、こんどこそ労働から解放されるんじゃないかと。
一部の働きたい人だけがリッチになり、その他多数の人はあんまり働かずに贅沢もせずにのんびり生活を送る。
で、ホリエモンは、「時間は有限なんだから、やりたくない仕事なんてやってる暇はない。どうせ生活は楽になるんだから、やりたいことやって仕事にしろ」と言うわけです。
本が始まって七行目。
『1度きりの人生に、不安を持ち込むことに何の意味があるのだろうか』
こう思えるのがすでに才能。
「どうせ生活は楽になるんだから」とは思うけど、なかなかそこまで踏み切れない……
という、庶民的な感想でした。
いろいろ踏み出したいとは思うんですけどね。
なかなかね。
bookmanias at 10:49|Permalink│Comments(1)│
2018年04月25日
『加来万周×川又聡 二人展(II)』 −違う方向のうまさ
紫鴻画廊の、加来万周と川又聡の二人展(2)に行ってきました。
http://www.shikou-gallery.com/new2018kk2.html
ブログ全然書いてませんが、加来さんだけは書いておかないと。
加来万周は4枚でした。
みんな10号だそうですが、「20号ですか?」と訊いてしまった。
額が立派なのもあるのですが、やはり絵が雄大。
大きな風景でなくても大きく見えるところがすごい。
一枚は、金色の背景に金色の富士。
金に金という組み合わせは、金色の海・空に金色の月とか、過去にもありましたが、富士山は初めてですかね。
あと、サイトにも載っている炎、桃色の背景の花(うろ覚え)、雲にそびえる富士山。
この富士山、雲の描き方が、いつもの盛り上げ方と違う気がします。
もこもこっとしてる。
全体の印象が横山大観ぽいです。
川又聡は絹本に動物を描く作家です。
久しぶりに見ましたが、加来さんとは違う方向で「誰が見ても『これすごいね』ってびっくりするぐらいうまい」作家さんだと思う。
加来さんと川又さんはいろいろと違う。
紙本と絹本、鮮やかな色使いとモノトーン、盛って描くのと絹を染めるように描くのと。
でも、静かなんだけれどエネルギーを持っている様子が、共通している。
単純に動きがある絵ではなく、力のあるものが一瞬動きを止めている静けさ、みたいな。
二人がうまく対比された展覧会でした。
どれか一枚となると、加来さんの炎ですね。
どうやって描いているのか全くわかりませんが、背景の赤から黒へのグラデーション、立ち上がる炎、近くで見ても離れて見ても、圧倒される一枚です。
かっこいい。
画面上だとわからないのが残念。
グループ展等で一枚だけ出している場合は、墨牡丹が多く、あれはあれでかっこいいのですが、やっぱり細部までぴしっと描きこまれているのが好きだなぁ。
2011年以来の2回目ですが、前回はまだ我が家が日本画に出会っていませんでした。
前回からの変化がわかるとまた面白かったんでしょうけど。
bookmanias at 14:32|Permalink│Comments(0)│
2017年11月28日
『ACIDMAN presents SAITAMA ROCK FESTIVAL “SAI”』 ―おめでとう20年
ACIDMANの結成20周年記念主催フェスに行ってきました。
20年をともに歩んだ同世代を中心に声をかけたというメンツは、10-FEET、MAN WITH A MISSION、THE
BACK HORN、ASIAN KUNG-FU GENERATION、the HIATUS、BRAHMAN、RADWIMPS、Dragon Ash、ストレイテナー。
どのバンドもフェスの目玉となるような超豪華メンツ。
翌朝のワイドショーの前フリでは「豪華フェスにアジカンやRADWIMPSが登場!」となってたので、世間的にはここなんでしょうか。
中ではちゃんと「3人組バンドACIDMAN主催の……」と言ったのでよかった。
結成20年。
2002年の10月にCDTVのオープニングで赤橙を初めて聴き、一回で「このバンドしかない」と思ってから15年。
ただ好きなバンドというだけではなく、思い出の品があったり、結婚式のエンドロールで使ったりと、ずっと大切なバンドでした。
本当に大きくなりました。
3人とは僕も同世代。
メンバーが通っていた高校に、一つ下の学年で通いかねなかった(受かったけど別の高校に行った)。
今回出てるバンドも同世代が中心。
自分も頑張って生きないとなぁと思わされました。
10-FEET。
久しぶりで、激しさを忘れていました。
最初の登場ということで、アリーナもそんな混んでおらず、とりあえず一番前の方に。
モッシュゾーンというやつで、1曲目「RIVER」が始まって10秒でメガネが跳ぶ。
あわてて取り戻して若干撤退しました。
ACIDMANとの付き合いが一番長く、「最初に出会ったのはTRINITY TRIPで」と言っていましたが、その場にいたのが懐かしい。
MAN WITH A MISSION。
一番キャリアが浅いのがマンウィズというのが、メンツの豪華さを物語る。
見るのは初めてで、しょっちゅう見てるACIDMANより楽しみなぐらいでした。
すごい楽しかった。
テンフィもだけど、盛り上がるべき場所がわかりやすいので、会場が一体になる。
グッズ売り場でも一番混んでた。
こんどはワンマンを。
3歳の娘はマンウィズがお気に入りなので、もうちょっとしたら連れてくか。
BRAHMAN。
これも楽しみにしてた一つ。
むかーしけっこう好きでアルバムを聴いてた。
登場曲で、観客がみんな手を頭の上であわせて拝んでいるのに衝撃。
TOSHI-LOWが客席に飛び込み、そのまま運ばれながら歌うのに衝撃。
そこにダイブして殴りかかる観客、蹴って跳ね除けるTOSHI-LOWに衝撃。
かっこよかった。
TOSHI-LOWとりょうみたいな夫婦になりたいねと嫁と言い合う(無理)。
RADWIMPS。
これもむかーし少し聴いてたけど、最近は前前前世で久しぶりに、という程度の。
BRAHMANを、モッシュゾーンは恐ろしいのでその一歩後ろで聴いてたら、終わってごつい男ファンが一気にいなくなったので、RADWIMPSはほぼ最前。
偉そうだけど、魅せ方のうまさに感心した。
MAN WITH A MISSIONが曲が盛り上がりやすい曲で盛り上げ、BRAHMANがカリスマ性で盛り上げるのと違って、パフォーマンスで盛り上げる。
客をあおり、バンドをあおり、盛り上げる。
ありゃ人気でるわ。
Dragon Ash。
これも久しぶり。
KenKenを見るのは初めてかな?
貫禄のステージでした。
いろんなバンドが、「いろいろある中で20年続けるのはすごいこと」と言っていましたが、やっぱり一番大変だったのはDAではなかろうか。
悲しみを乗り越えて着実に活動を続けているのが嬉しかった。
ACIDMAN。
見慣れているということもあって、驚きはないんだけど、圧巻のステージでした。
想いが伝わってくるエネルギー。
よかったよかった。
これからもいろいろ困難があるかもしれませんが、ずっと続けてほしい。
もちろん新曲やライブは楽しみですが、まずは、そこに居続けてほしい。
20年をともに歩んだ同世代を中心に声をかけたというメンツは、10-FEET、MAN WITH A MISSION、THE
BACK HORN、ASIAN KUNG-FU GENERATION、the HIATUS、BRAHMAN、RADWIMPS、Dragon Ash、ストレイテナー。
どのバンドもフェスの目玉となるような超豪華メンツ。
翌朝のワイドショーの前フリでは「豪華フェスにアジカンやRADWIMPSが登場!」となってたので、世間的にはここなんでしょうか。
中ではちゃんと「3人組バンドACIDMAN主催の……」と言ったのでよかった。
結成20年。
2002年の10月にCDTVのオープニングで赤橙を初めて聴き、一回で「このバンドしかない」と思ってから15年。
ただ好きなバンドというだけではなく、思い出の品があったり、結婚式のエンドロールで使ったりと、ずっと大切なバンドでした。
本当に大きくなりました。
3人とは僕も同世代。
メンバーが通っていた高校に、一つ下の学年で通いかねなかった(受かったけど別の高校に行った)。
今回出てるバンドも同世代が中心。
自分も頑張って生きないとなぁと思わされました。
10-FEET。
久しぶりで、激しさを忘れていました。
最初の登場ということで、アリーナもそんな混んでおらず、とりあえず一番前の方に。
モッシュゾーンというやつで、1曲目「RIVER」が始まって10秒でメガネが跳ぶ。
あわてて取り戻して若干撤退しました。
ACIDMANとの付き合いが一番長く、「最初に出会ったのはTRINITY TRIPで」と言っていましたが、その場にいたのが懐かしい。
MAN WITH A MISSION。
一番キャリアが浅いのがマンウィズというのが、メンツの豪華さを物語る。
見るのは初めてで、しょっちゅう見てるACIDMANより楽しみなぐらいでした。
すごい楽しかった。
テンフィもだけど、盛り上がるべき場所がわかりやすいので、会場が一体になる。
グッズ売り場でも一番混んでた。
こんどはワンマンを。
3歳の娘はマンウィズがお気に入りなので、もうちょっとしたら連れてくか。
BRAHMAN。
これも楽しみにしてた一つ。
むかーしけっこう好きでアルバムを聴いてた。
登場曲で、観客がみんな手を頭の上であわせて拝んでいるのに衝撃。
TOSHI-LOWが客席に飛び込み、そのまま運ばれながら歌うのに衝撃。
そこにダイブして殴りかかる観客、蹴って跳ね除けるTOSHI-LOWに衝撃。
かっこよかった。
TOSHI-LOWとりょうみたいな夫婦になりたいねと嫁と言い合う(無理)。
RADWIMPS。
これもむかーし少し聴いてたけど、最近は前前前世で久しぶりに、という程度の。
BRAHMANを、モッシュゾーンは恐ろしいのでその一歩後ろで聴いてたら、終わってごつい男ファンが一気にいなくなったので、RADWIMPSはほぼ最前。
偉そうだけど、魅せ方のうまさに感心した。
MAN WITH A MISSIONが曲が盛り上がりやすい曲で盛り上げ、BRAHMANがカリスマ性で盛り上げるのと違って、パフォーマンスで盛り上げる。
客をあおり、バンドをあおり、盛り上げる。
ありゃ人気でるわ。
Dragon Ash。
これも久しぶり。
KenKenを見るのは初めてかな?
貫禄のステージでした。
いろんなバンドが、「いろいろある中で20年続けるのはすごいこと」と言っていましたが、やっぱり一番大変だったのはDAではなかろうか。
悲しみを乗り越えて着実に活動を続けているのが嬉しかった。
ACIDMAN。
見慣れているということもあって、驚きはないんだけど、圧巻のステージでした。
想いが伝わってくるエネルギー。
よかったよかった。
これからもいろいろ困難があるかもしれませんが、ずっと続けてほしい。
もちろん新曲やライブは楽しみですが、まずは、そこに居続けてほしい。
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2017年05月29日
『ザ・レッド−男−」 −気合いの日本画
銀座の靖山画廊で「ザ・レッド −男−」を見てきました。
中堅から若手まで、各世代を代表する日本画家が、赤をテーマに描いたグループ展です。
http://art-japan.jp/exhibitions/1585/
福井江太郎、塩崎顕、泉東臣、熊谷曜志、金澤隆が、6号から12号ぐらいで、一人3点ずつ出しています。
エネルギーに溢れた展示でした。
グループ展はしょっちゅうありますが、「寄せ集めた」か「仲間うち」が多い気がします。
「寄せ集め」は、画廊が、テーマを持たせて取扱い作家に何点かずつ描いてもらうパターンです。
いろんな作家さんを見比べるのは楽しいですが、「その展示のために気合を入れて描いた」感が感じられないことがけっこう多い(作品だけではなく展示の仕方にもよるのかも)。
あと、なにかテーマがあって統一感はあったとしても、一体感はない。
「仲間うち」は、大学や所属が同じグループだったり、仲がいいメンバーだったり。
展覧会として一体感のある楽しいものが多いけれど、「切磋琢磨して」という雰囲気はあまりない。
「ザ・レッド」は、いろいろと異質な気がしました。
まず、DMや雑誌の広告で、作家5人が全身真っ赤で「どこのホストだ」と思うほどの集合写真を載せました。
いくつかバージョンがありますが、この右下とか。
http://www.ginza.jp/topics/7337
元から作家さんを知ってると爆笑してしまうのですが、そもそも出品作家がスタジオで集合写真を撮っている展示はほとんど見たことがなく、しかも溢れ出す「気合入れて撮りました」感が、「一つの展示を作り上げる」という意気込みを語ります。
あと作品の配置が、普通のグループ展は同じ作家で固めますが、少し混ざっており、違う作家と見比べる形となります。
やたらと強調した「男」ということもあって、対抗心がいつもよりあったことでしょう。
プロの作家たるもの、「ほかの作家よりもいい作品を描いてやれ」って気持ちは絶対あるはずです。
それが、いつもの作品よりも、前に出ている。
5人の関係(仲良しかどうかとか)は知りませんが、撮影で対面して、同じ真っ赤な服でバチバチ意識し、展覧会を作り上げる。
「気合」です。
仕込んだ靖山画廊と、作品で応えた作家が立派。
グループ展の完成度としては、これまで画廊やギャラリーで見てきた中でも随一でした。
あとは図録が欲しかった。
一番好きな作品は泉東臣の花のやつ(っててきとうだな、画像がなくてうろ覚え)。
赤い空に赤い波、そこに赤い花で、「赤」だけで画面を構成し、超かっこよかった。
中堅から若手まで、各世代を代表する日本画家が、赤をテーマに描いたグループ展です。
http://art-japan.jp/exhibitions/1585/
福井江太郎、塩崎顕、泉東臣、熊谷曜志、金澤隆が、6号から12号ぐらいで、一人3点ずつ出しています。
エネルギーに溢れた展示でした。
グループ展はしょっちゅうありますが、「寄せ集めた」か「仲間うち」が多い気がします。
「寄せ集め」は、画廊が、テーマを持たせて取扱い作家に何点かずつ描いてもらうパターンです。
いろんな作家さんを見比べるのは楽しいですが、「その展示のために気合を入れて描いた」感が感じられないことがけっこう多い(作品だけではなく展示の仕方にもよるのかも)。
あと、なにかテーマがあって統一感はあったとしても、一体感はない。
「仲間うち」は、大学や所属が同じグループだったり、仲がいいメンバーだったり。
展覧会として一体感のある楽しいものが多いけれど、「切磋琢磨して」という雰囲気はあまりない。
「ザ・レッド」は、いろいろと異質な気がしました。
まず、DMや雑誌の広告で、作家5人が全身真っ赤で「どこのホストだ」と思うほどの集合写真を載せました。
いくつかバージョンがありますが、この右下とか。
http://www.ginza.jp/topics/7337
元から作家さんを知ってると爆笑してしまうのですが、そもそも出品作家がスタジオで集合写真を撮っている展示はほとんど見たことがなく、しかも溢れ出す「気合入れて撮りました」感が、「一つの展示を作り上げる」という意気込みを語ります。
あと作品の配置が、普通のグループ展は同じ作家で固めますが、少し混ざっており、違う作家と見比べる形となります。
やたらと強調した「男」ということもあって、対抗心がいつもよりあったことでしょう。
プロの作家たるもの、「ほかの作家よりもいい作品を描いてやれ」って気持ちは絶対あるはずです。
それが、いつもの作品よりも、前に出ている。
5人の関係(仲良しかどうかとか)は知りませんが、撮影で対面して、同じ真っ赤な服でバチバチ意識し、展覧会を作り上げる。
「気合」です。
仕込んだ靖山画廊と、作品で応えた作家が立派。
グループ展の完成度としては、これまで画廊やギャラリーで見てきた中でも随一でした。
あとは図録が欲しかった。
一番好きな作品は泉東臣の花のやつ(っててきとうだな、画像がなくてうろ覚え)。
赤い空に赤い波、そこに赤い花で、「赤」だけで画面を構成し、超かっこよかった。
2016年12月12日
手塚雄二展『月の譜』 −静かにそこにある
紫鴻画廊で手塚雄二展「月の譜」 を見てきました。
http://shikou-gallery.com/new2016tezuka.html
五点で個展。
なんというか、「格調高い」としか言えません。
画廊の空間がちょっと恐れ多い感じに。
手塚雄二は、ここでちょくちょく書いている加来万周さんの師匠で、現代日本画家では巨匠(の中では若手)の域です。
院展とか、グループ展の小品を見たことはありますが、落ち着いて見るのは初めてでした。
作風は加来さんと似ています(もちろん加来さんが手塚先生に似てるんですが)。
ネット上の画像やら印刷やらだと、テーマによっては区別つきにくいぐらいに。
本物を見るとタッチが全然違う。
加来さんは工芸とも思えるぐらいに盛っていきますが、手塚先生は「紙を染めている」というぐらいに、薄く描いていく。
画家のエネルギーを前面に出さずに、風景を染め上げる。
「芸術作品」とアピールせず、ただ静かに、気高くそこにある。
滝とか、森とか、動きがある絵でも、ずっと静かなまま、そこにあり続ける。
そういう絵です。
加来さんの絵は、画面から出てくる「芸術」に引き寄せられて、「おお、すごいな」となり、手塚先生のは絵に溶け込んで、ため息まじりに「あぁ、すごいなぁ」となる。
見ている側すらも、心が落ち着き、自分がなにか高尚な人間のように思えてくる。
わかってもらえるでしょうか……
日本画は本物を見ないと良さがわかりにくいということを、手塚先生の絵を見るとあらためて思います。
手塚先生の絵は電車の中吊りポスターになったりしますが、あれを見ても「あぁ、すごいなぁ」とはならないのです。
「本物のオーラ」といったもの以前に、うっすらと塗られた色の違いとか、金が塗られていて角度によって見え方が違うとか、どれだけ精細に印刷しても再現はなかなか難しいのでしょう。
花鳥風月なので、印刷をちらっと見て印象に留まる作風でもありません。
加来さんとの違いも、印刷だとなかなかわかりにくいけれど、実際の絵を見ると全然違います。
やっぱり本物を見てほしい。
できれば静かなところで。
僕はいずれ国際的に「現代の日本画」が注目されるタイミングが来ると思っているのですが、手塚先生なんて一番うけるんじゃないかと思います。
この「気高さ」は本当に日本画でしか出せない世界観。
そのためにも、外国人の目に触れる機会が増えてほしい。
ちなみに「手塚先生」と書いてますが、お会いしたことすらありません。
我が家では一部の大物作家さんを「先生」と勝手に呼んでいるだけです。
千住先生とか千波先生とか。
http://shikou-gallery.com/new2016tezuka.html
五点で個展。
なんというか、「格調高い」としか言えません。
画廊の空間がちょっと恐れ多い感じに。
手塚雄二は、ここでちょくちょく書いている加来万周さんの師匠で、現代日本画家では巨匠(の中では若手)の域です。
院展とか、グループ展の小品を見たことはありますが、落ち着いて見るのは初めてでした。
作風は加来さんと似ています(もちろん加来さんが手塚先生に似てるんですが)。
ネット上の画像やら印刷やらだと、テーマによっては区別つきにくいぐらいに。
本物を見るとタッチが全然違う。
加来さんは工芸とも思えるぐらいに盛っていきますが、手塚先生は「紙を染めている」というぐらいに、薄く描いていく。
画家のエネルギーを前面に出さずに、風景を染め上げる。
「芸術作品」とアピールせず、ただ静かに、気高くそこにある。
滝とか、森とか、動きがある絵でも、ずっと静かなまま、そこにあり続ける。
そういう絵です。
加来さんの絵は、画面から出てくる「芸術」に引き寄せられて、「おお、すごいな」となり、手塚先生のは絵に溶け込んで、ため息まじりに「あぁ、すごいなぁ」となる。
見ている側すらも、心が落ち着き、自分がなにか高尚な人間のように思えてくる。
わかってもらえるでしょうか……
日本画は本物を見ないと良さがわかりにくいということを、手塚先生の絵を見るとあらためて思います。
手塚先生の絵は電車の中吊りポスターになったりしますが、あれを見ても「あぁ、すごいなぁ」とはならないのです。
「本物のオーラ」といったもの以前に、うっすらと塗られた色の違いとか、金が塗られていて角度によって見え方が違うとか、どれだけ精細に印刷しても再現はなかなか難しいのでしょう。
花鳥風月なので、印刷をちらっと見て印象に留まる作風でもありません。
加来さんとの違いも、印刷だとなかなかわかりにくいけれど、実際の絵を見ると全然違います。
やっぱり本物を見てほしい。
できれば静かなところで。
僕はいずれ国際的に「現代の日本画」が注目されるタイミングが来ると思っているのですが、手塚先生なんて一番うけるんじゃないかと思います。
この「気高さ」は本当に日本画でしか出せない世界観。
そのためにも、外国人の目に触れる機会が増えてほしい。
ちなみに「手塚先生」と書いてますが、お会いしたことすらありません。
我が家では一部の大物作家さんを「先生」と勝手に呼んでいるだけです。
千住先生とか千波先生とか。
2016年10月27日
二宮敦人『最後の秘境 東京藝大 -天才たちのカオスな日常」 −まじめな人たち
小説家の著者が、芸大生の妻の行動が面白くって、芸大に興味を持って調べたというノンフィクション。
美術と音楽に分かれている芸大の各学科の生徒のインタビューが中心です。
芸大には、多数の学科があって、いろいろな人がいる。
昔からピアノやバイオリンだけをやっていた人たちやら、楽器を川に沈めようとする人やら、教室に泊まり込んで製作する人やら、ブラジャーを頭にかぶって上半身裸でうろつく女性やら。
そう書くと、「天才たちのカオスな日常」のようですが、カオスっぷりは、芸術系の大学をあまり知らない僕ですら想定の範囲内で、どちらかというと、「芸術家というより職人ぽい人が多い」というイメージを持ちました。
もちろん音楽の方は、小さいころからひたすら楽器をやっている人たちなので、「いい家」の子が多く、そんなに「カオス」にはなりません。問題は美術の方です。
インタビューに答える時点で、全然学校に来ないで行方不明になっているような人、コミュニケーションが取れないぐらいはまっちゃってる人は対象にならず、芸大の中でもまっとうな人が選ばれてるとは思うのですが、みんな自分の芸術と真摯に向き合っている。
「その技法・領域を壊して新しいものを作る」のではなく、「発展させて新しいものを作る」ことを考えている人が多いような気がしました。
この本では、作品についてはほとんど触れていません。
僕が見るのは平面、特に日本画が中心なのですが、芸大の人って、やっぱりよく言えば「安定」、それを「新しくない」と言う人もいる、という画家さんが多い気がします。
まず、芸大の美術に入るには何浪もするのがふつうで、何浪してまでも入って一流の美術教育を受けようという時点で、「誰もやったことないような爆発的な作品を作ってやる」というモチベーションとは違う気がします。
そういう人は習わずに勝手にやろうとするでしょう。
浪人だってお金がかかるわけで。
ちゃんと技術や歴史を学び、日本画なら日本画、洋画なら洋画、そのベースを大事にして広げていく結果、作品も軸から大きくずれないものが多くなるのではないでしょうか。
で、僕はそういう「安定」が好きなのです。
美術館でちょっと見る、とかだと、「攻めてる」作品も面白いですが、家に飾ってみようと考えると、やっぱり安定がほしい。
そういう目で見ると、学歴は気にしているつもりはないのに、芸大出の作家さんに行き当たることが多い。
芸大の日本画(の教授)と僕の趣味が合うんでしょうね。
というわけで、美術に関しては、私大の方が、もっととんでもない人たちがいるんじゃないでしょうか。
私大版を読んでみたいです。
あと、卒業生が、その道に進んでる進んでないで、どういう人生を送っているかも知りたい。
続編を待ちます。
2016年02月29日
加来万周小品展『-巡- 』 -完成された世界
加来万周の個展に行ってきました。
http://www.shikou-gallery.com/new2016kaku.html
小品展というとはがきサイズとかを思い浮かべそうですが、8号と10号でした。
10点。
青い富士山が2点、赤い富士山が1点、花が4点(それぞれ違うんですが花の名前がわからない……)、雪景が2点、緑の滝が1点。
なんというか、一点ごとが、芸術品。
風格というかたたずまいというか。
そこに一つの完成された世界があります。
作品ごとに「もうこれ以上はない」のかというと、「赤い富士山、金が散らしてあった方がゴージャスでいいんじゃないかなぁ」とか、個人的に思うことはあるわけで、そういう意味でその作品が「いやもう文句のつけようがない」というわけではないのですが、ゆるぎないものとしてそこに完成している。
今回タイトルになっている「巡」というのは、これまでは「花」とか「富士山」とか、固定されていたものに美を見出していたのが、最近は「季節が巡る中の、冬の富士山」のように、変化の中に美を見出すようになってきた、ということだそうです。
その一瞬を切り取り、世界をぎゅっと凝縮する。
これはもうちょっと、並ぶ作家さんがいません。
日本画家は超ベテランから学生まで何百人も見てるんだと思いますが、一人抜けている。
美術館は現存作家をあまり収蔵しないみたいですが、いずれ当代を代表する作家として、美術館クラスになっていくことでしょう。
富士山や雪景に使われていた青が抜群でした。
青い富士山、2点が同じような構図なんですが、片方は群青が強く、もう片方(サイトの方)はもう少し薄い青。
群青の方は、工芸的な部分ががっつりしすぎてて、薄い青の方が好みでした。
去年の心斎橋大丸の個展の富士山は雄大で、あの雄大さはやはり大きな絵でないと表現できないと思いますが、今回の8号も、富士山の厳粛さが出ていた。
赤い富士山は初めてかな?
朝日に染まる。
青より強烈な分、飾る場所を選びますね。
玄関にあったら素敵そうです。
※もちろん我が家なんかと違う大きな玄関です。
額が立派です。
書いていいんだかわからないので内緒ですが、立派なとこの額だそうで。
絵と額が合っている。
若い作家さんのだと、「この絵にこの額はどうなんだ」と思うこともあります。
ギャラリーなんかで(同じ人の作に限らず)絵がたくさん並ぶと、絵の違いに目がいってあまり額は気にならないのかもしれませんが、家に飾ってその絵だけを見るとなると、やっぱり額は重要です。
現実と非現実の間にある額。
今回の個展の額は、本当に立派でした。
ご本人は20号ぐらいの方がお好きだそうですが、やっぱり6号か8号がいいなぁ。
そんなに広くない画廊に、10点がぴしっとおさまる。
今回、これまで以上に「一点ごとの風格」を感じた理由の一つに、大きさがあるのかもしれません。
絵って、やっぱりある程度近くで見ないと、その力が伝わってこない。
モナリザでもなんでもいいんですけど、現代の精巧な複製技術なら、たぶん数メートルも離れると、よっぽどの人じゃないと見破れないと思う。
近くで見ると、タッチとかも含めて、その絵を楽しむことができる。
でも、人が一度に視界に入れる大きさは限界があるわけで、「タッチとかが楽しめる」「視界に全部入る」の最大ラインが、8号なんじゃないだろうか。
とも思いました。
作品そのものの力は圧倒的なので、あとはこのままどんどん広まってってもらいたいですね。
知る人ぞ知る、で収まる作家さんではありません。
世界に出てってほしい。
http://www.shikou-gallery.com/new2016kaku.html
小品展というとはがきサイズとかを思い浮かべそうですが、8号と10号でした。
10点。
青い富士山が2点、赤い富士山が1点、花が4点(それぞれ違うんですが花の名前がわからない……)、雪景が2点、緑の滝が1点。
なんというか、一点ごとが、芸術品。
風格というかたたずまいというか。
そこに一つの完成された世界があります。
作品ごとに「もうこれ以上はない」のかというと、「赤い富士山、金が散らしてあった方がゴージャスでいいんじゃないかなぁ」とか、個人的に思うことはあるわけで、そういう意味でその作品が「いやもう文句のつけようがない」というわけではないのですが、ゆるぎないものとしてそこに完成している。
今回タイトルになっている「巡」というのは、これまでは「花」とか「富士山」とか、固定されていたものに美を見出していたのが、最近は「季節が巡る中の、冬の富士山」のように、変化の中に美を見出すようになってきた、ということだそうです。
その一瞬を切り取り、世界をぎゅっと凝縮する。
これはもうちょっと、並ぶ作家さんがいません。
日本画家は超ベテランから学生まで何百人も見てるんだと思いますが、一人抜けている。
美術館は現存作家をあまり収蔵しないみたいですが、いずれ当代を代表する作家として、美術館クラスになっていくことでしょう。
富士山や雪景に使われていた青が抜群でした。
青い富士山、2点が同じような構図なんですが、片方は群青が強く、もう片方(サイトの方)はもう少し薄い青。
群青の方は、工芸的な部分ががっつりしすぎてて、薄い青の方が好みでした。
去年の心斎橋大丸の個展の富士山は雄大で、あの雄大さはやはり大きな絵でないと表現できないと思いますが、今回の8号も、富士山の厳粛さが出ていた。
赤い富士山は初めてかな?
朝日に染まる。
青より強烈な分、飾る場所を選びますね。
玄関にあったら素敵そうです。
※もちろん我が家なんかと違う大きな玄関です。
額が立派です。
書いていいんだかわからないので内緒ですが、立派なとこの額だそうで。
絵と額が合っている。
若い作家さんのだと、「この絵にこの額はどうなんだ」と思うこともあります。
ギャラリーなんかで(同じ人の作に限らず)絵がたくさん並ぶと、絵の違いに目がいってあまり額は気にならないのかもしれませんが、家に飾ってその絵だけを見るとなると、やっぱり額は重要です。
現実と非現実の間にある額。
今回の個展の額は、本当に立派でした。
ご本人は20号ぐらいの方がお好きだそうですが、やっぱり6号か8号がいいなぁ。
そんなに広くない画廊に、10点がぴしっとおさまる。
今回、これまで以上に「一点ごとの風格」を感じた理由の一つに、大きさがあるのかもしれません。
絵って、やっぱりある程度近くで見ないと、その力が伝わってこない。
モナリザでもなんでもいいんですけど、現代の精巧な複製技術なら、たぶん数メートルも離れると、よっぽどの人じゃないと見破れないと思う。
近くで見ると、タッチとかも含めて、その絵を楽しむことができる。
でも、人が一度に視界に入れる大きさは限界があるわけで、「タッチとかが楽しめる」「視界に全部入る」の最大ラインが、8号なんじゃないだろうか。
とも思いました。
作品そのものの力は圧倒的なので、あとはこのままどんどん広まってってもらいたいですね。
知る人ぞ知る、で収まる作家さんではありません。
世界に出てってほしい。
2015年11月24日
ラグビーの話
ちょっと経ってしまいましたが、やっぱりラグビーのことは書いておかねばなりません。
南アフリカ戦の前は、スポーツニュースですらたぶんほとんど取り上げておらず、開会したことを知らなかった人が多かったのでは。
それが一夜にして大盛り上がりになりました。
ラグビーはたまにテレビで見るぐらいの関心はあるのですが、肝心の南アフリカ戦が、開始15分ぐらいのところで、「おお、競ってるじゃん。これなら40-15(負け)ぐらいに抑えられるかな」と思って寝てしまい、起きて衝撃の事実を知るという。
他は全部見ました。
南アフリカ戦は、最後のトライがあまりにも大興奮だったため、よく考えると他のトライの映像があまり流されない。
最後は、NHKで解説者が「いけーっ!」て叫んでるのがよかったですね。
スコットランド戦は五郎丸のタックル。
今大会一番かっこよかった。
サモア戦の山田のトライ、アメリカ戦の松島のトライと、まぁ世間で言われているところがそのまま印象に残りました。
南アフリカ戦のあと、どんだけ奇跡なのかってので、「桐谷美玲が吉田沙保里に勝つくらいのすごさ」とか言われていましたが、ラグビーは実力差がある場合そのまま出るスポーツです。
逆に言えば、番狂わせが一回あるなら、何回も起こせるわけで、日本と南アフリカが今回のチームで10回やったら、そのときのチームの調子とかメンバーの揃い方とかで2回ぐらいは勝てるんじゃないかって気もします。
「桐谷美玲がものすごくトレーニングして、調子が悪い吉田沙保里にたまに勝つくらいになったぐらいのすごさ」なんじゃないかと思います。
あまりにも急に盛り上がりすぎたので、「なでしこのように、国内リーグに繋がらないのでは」とよく言われています。
でもなでしことは違う。
なでしこは、「女子サッカー面白い」ではなく、なでしこというチームが応援されていた。
「女子サッカー、初めて見たけど、男子サッカーとはまた違って面白い」という人がどれだけいたでしょう。
だから、いかになでしこのメンバーが個人でいようとも、リーグは注目されず。
今回は、「ラグビー面白い」と、競技そのものに目がいった。
ラグビーを見に行く人が増えたり、テレビで中継されたり、スポーツニュースで扱われるようになれば、見る人が増えるんじゃないですかね。
Eテレなんかでたまに昼間にやってますけど、これからは「あ、ラグビーだ」と思って見る人がいるでしょうし、見たら見たで面白いスポーツなので、そんなとこから定着していくんじゃないかと期待しています。
ラグビーはルールが難しいと言われます。
僕も昔はけっこう(テレビで)見てました。
早稲田が強いころ、五郎丸が入ってきたあたりです。
五郎丸のポーズを見て「ウィルキンソン(唯一ぐらいに知ってる外国人選手)だね」ぐらいには。
でもルールはよくわかってません。
よく言われるのが、反則がわかりにくい。
しかし今回思ったのは、反則ではなく、密集でなにが行われているかがわからないのがいけないのでは、と。
ボールを持って走る。
タックルされて倒れて密集になる。
そのとき、攻撃側はなにをしようとし、防御側はなにをしようとしているのか。
要は奪い合ってるわけですが、どうすれば奪ったことになるのか。
なにをしてよくて、なにをしてはいけないのか。
そこだけシンプルに説明できれば、あとは細かいルールなんじゃないかと思います。
アクシデンタルオフサイドとか、クイックスローはいつやっていいのかとか、どこからのタッチキックだとどの時点からどっちボールかとかは、小さな話で、あのごちゃごちゃだけ解消できないかと。
なんかの大きな試合のテレビ中継で、よくスポーツでやるリプレーにペンで書き込むやつで、「ここにボールがあるから守備はここを狙ってる」とか、そういうのをやってくれたらいいんじゃないのか。
あと、七人制も珍しくテレビでやってたので初めて見ましたが、面白いですね。
チームスポーツで前後半10分で終わるなんて最短じゃなかろうか。
それだけ密度が高い。
ちょっと抜けると数十秒で1トライ。
オリンピックが楽しみです。
なんにしろ、テレビでやることですよ。
南アフリカ戦の前は、スポーツニュースですらたぶんほとんど取り上げておらず、開会したことを知らなかった人が多かったのでは。
それが一夜にして大盛り上がりになりました。
ラグビーはたまにテレビで見るぐらいの関心はあるのですが、肝心の南アフリカ戦が、開始15分ぐらいのところで、「おお、競ってるじゃん。これなら40-15(負け)ぐらいに抑えられるかな」と思って寝てしまい、起きて衝撃の事実を知るという。
他は全部見ました。
南アフリカ戦は、最後のトライがあまりにも大興奮だったため、よく考えると他のトライの映像があまり流されない。
最後は、NHKで解説者が「いけーっ!」て叫んでるのがよかったですね。
スコットランド戦は五郎丸のタックル。
今大会一番かっこよかった。
サモア戦の山田のトライ、アメリカ戦の松島のトライと、まぁ世間で言われているところがそのまま印象に残りました。
南アフリカ戦のあと、どんだけ奇跡なのかってので、「桐谷美玲が吉田沙保里に勝つくらいのすごさ」とか言われていましたが、ラグビーは実力差がある場合そのまま出るスポーツです。
逆に言えば、番狂わせが一回あるなら、何回も起こせるわけで、日本と南アフリカが今回のチームで10回やったら、そのときのチームの調子とかメンバーの揃い方とかで2回ぐらいは勝てるんじゃないかって気もします。
「桐谷美玲がものすごくトレーニングして、調子が悪い吉田沙保里にたまに勝つくらいになったぐらいのすごさ」なんじゃないかと思います。
あまりにも急に盛り上がりすぎたので、「なでしこのように、国内リーグに繋がらないのでは」とよく言われています。
でもなでしことは違う。
なでしこは、「女子サッカー面白い」ではなく、なでしこというチームが応援されていた。
「女子サッカー、初めて見たけど、男子サッカーとはまた違って面白い」という人がどれだけいたでしょう。
だから、いかになでしこのメンバーが個人でいようとも、リーグは注目されず。
今回は、「ラグビー面白い」と、競技そのものに目がいった。
ラグビーを見に行く人が増えたり、テレビで中継されたり、スポーツニュースで扱われるようになれば、見る人が増えるんじゃないですかね。
Eテレなんかでたまに昼間にやってますけど、これからは「あ、ラグビーだ」と思って見る人がいるでしょうし、見たら見たで面白いスポーツなので、そんなとこから定着していくんじゃないかと期待しています。
ラグビーはルールが難しいと言われます。
僕も昔はけっこう(テレビで)見てました。
早稲田が強いころ、五郎丸が入ってきたあたりです。
五郎丸のポーズを見て「ウィルキンソン(唯一ぐらいに知ってる外国人選手)だね」ぐらいには。
でもルールはよくわかってません。
よく言われるのが、反則がわかりにくい。
しかし今回思ったのは、反則ではなく、密集でなにが行われているかがわからないのがいけないのでは、と。
ボールを持って走る。
タックルされて倒れて密集になる。
そのとき、攻撃側はなにをしようとし、防御側はなにをしようとしているのか。
要は奪い合ってるわけですが、どうすれば奪ったことになるのか。
なにをしてよくて、なにをしてはいけないのか。
そこだけシンプルに説明できれば、あとは細かいルールなんじゃないかと思います。
アクシデンタルオフサイドとか、クイックスローはいつやっていいのかとか、どこからのタッチキックだとどの時点からどっちボールかとかは、小さな話で、あのごちゃごちゃだけ解消できないかと。
なんかの大きな試合のテレビ中継で、よくスポーツでやるリプレーにペンで書き込むやつで、「ここにボールがあるから守備はここを狙ってる」とか、そういうのをやってくれたらいいんじゃないのか。
あと、七人制も珍しくテレビでやってたので初めて見ましたが、面白いですね。
チームスポーツで前後半10分で終わるなんて最短じゃなかろうか。
それだけ密度が高い。
ちょっと抜けると数十秒で1トライ。
オリンピックが楽しみです。
なんにしろ、テレビでやることですよ。
2015年07月04日
『光の糸で描く世界 小林範之日本画展』 −夜のふくろう
ちょっと前ですが、小林範之の個展を見てきました。
以下のマークウェルというギャラリーに詳しく出ていますが、場所は池袋東武でした。
http://markwell.jp/artist/%e5%b0%8f%e6%9e%97%e7%af%84%e4%b9%8b/
日本画家なのですが、細い線を無数に紡いで描く、という独特の画風です。
CGのような。
でも手描きです。
遠くから見ても、「なんだあの透明な絵」ってので目立つのですが、近くで見ると、線で描いているということに驚愕です。
写真じゃわかりにくいなぁ。
彼を最初に見たのは2年前で、そのときもよかったのですが、当時は黒い背景に銀色の線(だったかな?)がメインで、色は使っていませんでした。
上手いのはわかるが暗い。
展示を重ねるにつれ、だんだん線がカラフルになり、背景がカラフルになりで、今のようになりました。
遠くから見ると、透明な不思議な雰囲気が。
近くで見ると超細かい。
ほんと見飽きません。
30号ぐらいまで描くようですが、10号ぐらいまでが、密度が高くていいような気がします。
今回20点ぐらい出てた中でよかったのがフクロウ。
上のサイトにも出てるやつです。
フクロウは他の絵に比べて、線で描くことが活きている。
彼の作品は、花か動物がほとんどで、動物もいろいろな種類が。
どんな題材であってもそもそも線で描くという技法が面白く、その技法で動物を描くのは素敵なのですが、たとえばうさぎが筋肉隆々に見えるとか、キリンや虎が骨格が透けて見える気がするとか、「じっと見ていると若干怖い」というような絵もけっこう多いのです。
フクロウは、線で描くことで、羽のふわっとした感じがきれいに出た。
うさぎもふわっとした生き物ではありますが、もうちょっと表面が一体になっているんで、線で描くと、どうしても部分が分割されて見えるので、筋肉質な感じになるんですかね。
フクロウは、羽が幾重にも重ねられているのが、細い線で表現されています。
夜空も、箔を貼った枝も素晴らしい。
あと、画像じゃわかりませんが、目がすごくよかった。
前を見据えている。
月の光が集まって、ふくろうを形作って、目からまた光が未来へ向かっていく。
タイトルが「音のない夜」で、ふくろうというか絵そのものが夜の神々しい守り神ともいえるような、ほんといい絵です。
センスも技術もすごい。
この絵は彼にしか描けない。
ぜひどこかで見てみてください。
ほんとびっくりするから。
以下のマークウェルというギャラリーに詳しく出ていますが、場所は池袋東武でした。
http://markwell.jp/artist/%e5%b0%8f%e6%9e%97%e7%af%84%e4%b9%8b/
日本画家なのですが、細い線を無数に紡いで描く、という独特の画風です。
CGのような。
でも手描きです。
遠くから見ても、「なんだあの透明な絵」ってので目立つのですが、近くで見ると、線で描いているということに驚愕です。
写真じゃわかりにくいなぁ。
彼を最初に見たのは2年前で、そのときもよかったのですが、当時は黒い背景に銀色の線(だったかな?)がメインで、色は使っていませんでした。
上手いのはわかるが暗い。
展示を重ねるにつれ、だんだん線がカラフルになり、背景がカラフルになりで、今のようになりました。
遠くから見ると、透明な不思議な雰囲気が。
近くで見ると超細かい。
ほんと見飽きません。
30号ぐらいまで描くようですが、10号ぐらいまでが、密度が高くていいような気がします。
今回20点ぐらい出てた中でよかったのがフクロウ。
上のサイトにも出てるやつです。
フクロウは他の絵に比べて、線で描くことが活きている。
彼の作品は、花か動物がほとんどで、動物もいろいろな種類が。
どんな題材であってもそもそも線で描くという技法が面白く、その技法で動物を描くのは素敵なのですが、たとえばうさぎが筋肉隆々に見えるとか、キリンや虎が骨格が透けて見える気がするとか、「じっと見ていると若干怖い」というような絵もけっこう多いのです。
フクロウは、線で描くことで、羽のふわっとした感じがきれいに出た。
うさぎもふわっとした生き物ではありますが、もうちょっと表面が一体になっているんで、線で描くと、どうしても部分が分割されて見えるので、筋肉質な感じになるんですかね。
フクロウは、羽が幾重にも重ねられているのが、細い線で表現されています。
夜空も、箔を貼った枝も素晴らしい。
あと、画像じゃわかりませんが、目がすごくよかった。
前を見据えている。
月の光が集まって、ふくろうを形作って、目からまた光が未来へ向かっていく。
タイトルが「音のない夜」で、ふくろうというか絵そのものが夜の神々しい守り神ともいえるような、ほんといい絵です。
センスも技術もすごい。
この絵は彼にしか描けない。
ぜひどこかで見てみてください。
ほんとびっくりするから。
2015年06月01日
佐藤令奈『やわらかい、あたたかい』 −娘
昨年娘がうまれまして、写真は撮りまくるわけですが、他にもいろいろ記念にやっておこうと。
というわけで、画家の佐藤令奈さんに、娘の絵を描いてもらいました。
肖像画ではなく、イメージして、というものです。
描いてもらったのは5か月ぐらいのとき(写真を送った)で、この写真は8か月ぐらいのときです。

せっかく絵が好きなので、誰かに描いてもらいたいなと思ったとき、佐藤さんの個展を見て、やっぱりこの人だなと。
前から佐藤さんの絵は何度も見ており、かわいいとは思っていたのですが、家に飾りたいとまでは思っていませんでした。
子どもが生まれてから展覧会を見に行ったとき、この絵のタイトルでもある「あたたかさ」と「やわらかさ」が、絵から伝わってきて、全然違って見えました。
たとえば、田舎の風景の絵があったとして、普通の人にはただの風景画であっても、そこが故郷の人からすれば空気が思い出されて全然違う絵になる、という感じでしょうか。
ただの赤ちゃんの絵が、赤ちゃんのぬくもりを知っていると、ぬくもりを持った絵になる。
生れたあとで最初に彼女の絵を見たときに、赤ちゃんのぬくもりが湧き出てきました。
この人しかいないな、ということで描いていただいたわけです。
彼女に描いてもらいたいと思ったもう一つのポイントが、リアルすぎないこと。
人物画って、家に飾るには強すぎる気がします。
人物画に限らず、直筆の絵は、「念」というか「オーラ」というか、描いた人のエネルギーというものがあり、まして描かれているのが人だと、作家さんが絵の人物に持たせたエネルギーが加わり、さらに強くなる。
最近はすんごいリアルな人物画を描く作家さんがけっこういて、人気ですが、買ったまま飾らないって人も多いとか。
コレクターですね。
美術館とかで見る分には好きなのですが、家に飾りたくはないなぁ。
有名人のポスターとかの方がまだいいかもしれません。
人物をぼかすと、落ち着くかもしれないけれど、描いてもらう楽しみがない。
リアルすぎると落ち着かない。
佐藤さんはそのバランスがいい。
モデルとはいいつつ、「肖像画ではないですよ」というのは了承して描いていただいたのですが、娘です。
宝物です。
というわけで、画家の佐藤令奈さんに、娘の絵を描いてもらいました。
肖像画ではなく、イメージして、というものです。
描いてもらったのは5か月ぐらいのとき(写真を送った)で、この写真は8か月ぐらいのときです。

せっかく絵が好きなので、誰かに描いてもらいたいなと思ったとき、佐藤さんの個展を見て、やっぱりこの人だなと。
前から佐藤さんの絵は何度も見ており、かわいいとは思っていたのですが、家に飾りたいとまでは思っていませんでした。
子どもが生まれてから展覧会を見に行ったとき、この絵のタイトルでもある「あたたかさ」と「やわらかさ」が、絵から伝わってきて、全然違って見えました。
たとえば、田舎の風景の絵があったとして、普通の人にはただの風景画であっても、そこが故郷の人からすれば空気が思い出されて全然違う絵になる、という感じでしょうか。
ただの赤ちゃんの絵が、赤ちゃんのぬくもりを知っていると、ぬくもりを持った絵になる。
生れたあとで最初に彼女の絵を見たときに、赤ちゃんのぬくもりが湧き出てきました。
この人しかいないな、ということで描いていただいたわけです。
彼女に描いてもらいたいと思ったもう一つのポイントが、リアルすぎないこと。
人物画って、家に飾るには強すぎる気がします。
人物画に限らず、直筆の絵は、「念」というか「オーラ」というか、描いた人のエネルギーというものがあり、まして描かれているのが人だと、作家さんが絵の人物に持たせたエネルギーが加わり、さらに強くなる。
最近はすんごいリアルな人物画を描く作家さんがけっこういて、人気ですが、買ったまま飾らないって人も多いとか。
コレクターですね。
美術館とかで見る分には好きなのですが、家に飾りたくはないなぁ。
有名人のポスターとかの方がまだいいかもしれません。
人物をぼかすと、落ち着くかもしれないけれど、描いてもらう楽しみがない。
リアルすぎると落ち着かない。
佐藤さんはそのバランスがいい。
モデルとはいいつつ、「肖像画ではないですよ」というのは了承して描いていただいたのですが、娘です。
宝物です。
2015年05月03日
『加来万周日本画展』 −新しい青
加来万周の心斎橋大丸の個展に行ってきました。
今年の大きな展示はこれと秋に東京でやるものだけのようです。
大丸のブログ。
http://art-blog.dmdepart.jp/blog/2015/04/post-7e09.html
全部で10点ちょっとでしたか。
12号から30号がほとんど。
最近、個展を見るたびにモチーフが広がっているのですが、今回はモチーフよりも、「青」でした。
青い富士山。
大丸のブログの一番上のものです。
これまで青ってあまり使っていなかったと思うのですが、この富士山の青は、本当に素晴らしかった。
(以下、日本画の知識はないので、うそっぱちかもしれません)
彼の絵は、工芸品かのように絵具を立体的に使って描いていて、これまでは全面をこうした描き方にしていたと思うのですが、最近は背景部分を、下地のように薄くしているものが多くなったように思います。
彼の師匠の手塚雄二がよく描くやつです。
手塚雄二は布を染めているかのような「薄さ」で全面を描くのが美しいのですが、加来はそれを背景に使い出した。
そこに主題を盛り上げることによって、より立体感が出た気がします。
富士山の絵の空は、本当にきれいな青で薄く描かれていて、そこにぐわっと迫ってくる富士。
20号だったか30号だったか、そこまで大きな絵ではないのですが、どこまでも雄大な絵です。
入口で一点だけケースに入っているというのもいい。
2年前の同じ大丸の個展で初めて富士山を見て、「今後、どんな富士山になっていくのか楽しみです。」と書きました。
片岡球子やら絹谷幸二やらのような、ぱっと見て「加来万周の富士山だ」ってわかるような特徴はありません。
正統派の富士。
でも、あそこまで雄大に描ける人はいないんじゃないかと思います。
個人宅に置くとかより、国際会議の会場とか、「日本」というものが印象づけられる場所に置いてほしい。
今回の大丸とは別のところの展示で、森に金色の月が浮かんで鳥が飛んでいるのも見たのですが、その背景の青もよかった。
これまでは赤、黒、金、あとは森の深緑とか滝の白とかのイメージが強かったですが、青が加わったことで、今後どんなモチーフが描かれていくのか、ますます楽しみになりました。
もちろん他の絵も素晴らしかったのですが、今回は富士山で決まりです。
画廊やらギャラリーやらに行くようになると、「有名な絵を見るのに何時間も並んだり、高い入場料を払わなくたって、身近でいい作品を見る機会はいくらでもあるのに」と思うのですが、10枚ちょっとの絵を見んがために土曜の夜に東京を出てホテルに直行して次の日絵だけ見て帰ってくるという。
今年の大きな展示はこれと秋に東京でやるものだけのようです。
大丸のブログ。
http://art-blog.dmdepart.jp/blog/2015/04/post-7e09.html
全部で10点ちょっとでしたか。
12号から30号がほとんど。
最近、個展を見るたびにモチーフが広がっているのですが、今回はモチーフよりも、「青」でした。
青い富士山。
大丸のブログの一番上のものです。
これまで青ってあまり使っていなかったと思うのですが、この富士山の青は、本当に素晴らしかった。
(以下、日本画の知識はないので、うそっぱちかもしれません)
彼の絵は、工芸品かのように絵具を立体的に使って描いていて、これまでは全面をこうした描き方にしていたと思うのですが、最近は背景部分を、下地のように薄くしているものが多くなったように思います。
彼の師匠の手塚雄二がよく描くやつです。
手塚雄二は布を染めているかのような「薄さ」で全面を描くのが美しいのですが、加来はそれを背景に使い出した。
そこに主題を盛り上げることによって、より立体感が出た気がします。
富士山の絵の空は、本当にきれいな青で薄く描かれていて、そこにぐわっと迫ってくる富士。
20号だったか30号だったか、そこまで大きな絵ではないのですが、どこまでも雄大な絵です。
入口で一点だけケースに入っているというのもいい。
2年前の同じ大丸の個展で初めて富士山を見て、「今後、どんな富士山になっていくのか楽しみです。」と書きました。
片岡球子やら絹谷幸二やらのような、ぱっと見て「加来万周の富士山だ」ってわかるような特徴はありません。
正統派の富士。
でも、あそこまで雄大に描ける人はいないんじゃないかと思います。
個人宅に置くとかより、国際会議の会場とか、「日本」というものが印象づけられる場所に置いてほしい。
今回の大丸とは別のところの展示で、森に金色の月が浮かんで鳥が飛んでいるのも見たのですが、その背景の青もよかった。
これまでは赤、黒、金、あとは森の深緑とか滝の白とかのイメージが強かったですが、青が加わったことで、今後どんなモチーフが描かれていくのか、ますます楽しみになりました。
もちろん他の絵も素晴らしかったのですが、今回は富士山で決まりです。
画廊やらギャラリーやらに行くようになると、「有名な絵を見るのに何時間も並んだり、高い入場料を払わなくたって、身近でいい作品を見る機会はいくらでもあるのに」と思うのですが、10枚ちょっとの絵を見んがために土曜の夜に東京を出てホテルに直行して次の日絵だけ見て帰ってくるという。
2015年03月02日
相撲のチケットの買い方
相撲のチケットというのが、非常にわかりにくいです。
今回いろいろ調べた結果、以下のようになりましたが、違っていたら教えてください。
「席を手に入れる」という基本事項が、散々調べてもなお自信がない、という複雑さ。
ポイントは「席の種類」と「買うルート」です。
あと基本的に東京の話です。
●席の種類
大きく分けて「砂かぶり席」「桝席」「椅子席」で、これがAとかBとかに細かく分かれています。
●買うルート
これが難しいわけですが、混乱の一因は「チケット大相撲」にあるのではないか。
購入ルートは、
・チケット大相撲(窓口販売を含む)
・相撲案内所
・チケットショップ
にわかれるかと思います。
チケットぴあとかローソンとか、そういうチケットショップ系は、普通に席を買うだけなので問題ありません。
問題はチケット大相撲と相撲案内所の関係。
両方とも、相撲協会のオフィシャルぽいので混乱する。
結論から言うと、チケット大相撲は単純な「公式チケットショップ」のようです(いい席が多い、とかはあるかもしれません)。
ぴあとかローソンとかと同じように、ネットでチケットを買う。
チケットを持って国技館に行って見る。
桝席も椅子席もあります。
相撲案内所は別ものです。
相撲には、「お茶屋」というのがあります。
国技館の中に20件ある「相撲案内所」(通称お茶屋)は、食事やお土産を手配してくれるなど、観戦全般のサービスをしてくれるのですが、チケットの手配もしてくれます。
桝席のみのようですが。
相撲案内所もネットでチケットを売っています。
どうやら、チケットショップに比べて、相撲案内所の方がいい席を持っているようなので、桝席の中でもいい席に座りたければ、相撲案内所経由で買いましょう。
入口で指定された案内所に立ち寄ると、席まで案内してくれます。
で、「お茶屋は一見さんは使えない」と言われることもありますが、単純にチケットを買うだけなら、ネット経由でも買えるので大丈夫そうです。
ただ、いい席は馴染みの方にまわす、とかはあるかと思います。
相撲案内所といえば、「お土産問題」です。
相撲のお土産は、食べきれないほどの食事やつまみ、グッズが詰まったセットです。
相撲観戦初心者は一度は「桝席だとお土産は自動でつくのか?」という疑問にぶつかりますが、通常のルートで買った場合(相撲案内所でも)、お土産は自動ではつきません。
よく「相撲を見たらお土産がついてきた」というのは、チケットをもらった場合で、チケットを買った人がお土産もつけて買ったんじゃないかと思います。
特に、チケットショップ、チケット大相撲ルートの場合は、こちらからお茶屋に連絡したり、ネットから注文したりといったアクションをおこなさない限りつきません。
お茶屋を通して買った場合は、事前にお土産の注文を訊かれたりすることがあるらしく、「買う雰囲気」にはなるようですが、自動でつくわけではなく、「○○円のお土産をいくつ」といった明記された形になるようです。
なので、相撲案内所を通したからと言って、お土産を買わねばならないというわけではなさそうです。
でもまぁ、せっかくお茶屋を使うならお土産でも買ってみようか、ってのも楽しそうな気がします。
あと、相撲案内所を通すと、出方さんが席まで案内してくれたり、席で飲食を注文したりできるようですが、そこまでされるとなると、やっぱりお土産の一つでも買ってみたいものですね。
相撲案内所、一見さんも大丈夫と書きましたが、砂かぶりや桝席の前の方はネットでは買えないみたいです。
そういうお客さんは、お土産も飲食もばんばんはずむでしょうから、また別の世界ですね。
「枡席は酒飲み放題」説があるようですが、馴染み客は後日清算なので、お客さんとして招かれたりしたらお金を払っていることがわからない、ということみたいです。
ちなみに、特典がついたりする「お得なチケット」というのもあります。
今回僕が買った「親方と写真を撮る」とかの特典がある「ギフトチケット」とか。
他にも「力士に抱っこしてもらうチケット」みたいなのもあって、これがチケット大相撲からしか買えないとか、ぴあだけとか、複雑です。
買う前に調べてみましょう。
●まとめ
・いい席は相撲案内所からの方が取れるらしい
・チケット大相撲はチケットショップと同じ
・桝席だからといってお土産は自動でつかない
・相撲案内所を通したからといってお土産購入が必須ではない
・でもせっかく案内所通すならお土産を買うのも楽しそう
・本当にいい席で見ようと思ったら、お茶屋と仲良くなるしかない
・お得なチケットも要チェック
・でも一回ぐらい招待されてみたいですよね
今回いろいろ調べた結果、以下のようになりましたが、違っていたら教えてください。
「席を手に入れる」という基本事項が、散々調べてもなお自信がない、という複雑さ。
ポイントは「席の種類」と「買うルート」です。
あと基本的に東京の話です。
●席の種類
大きく分けて「砂かぶり席」「桝席」「椅子席」で、これがAとかBとかに細かく分かれています。
●買うルート
これが難しいわけですが、混乱の一因は「チケット大相撲」にあるのではないか。
購入ルートは、
・チケット大相撲(窓口販売を含む)
・相撲案内所
・チケットショップ
にわかれるかと思います。
チケットぴあとかローソンとか、そういうチケットショップ系は、普通に席を買うだけなので問題ありません。
問題はチケット大相撲と相撲案内所の関係。
両方とも、相撲協会のオフィシャルぽいので混乱する。
結論から言うと、チケット大相撲は単純な「公式チケットショップ」のようです(いい席が多い、とかはあるかもしれません)。
ぴあとかローソンとかと同じように、ネットでチケットを買う。
チケットを持って国技館に行って見る。
桝席も椅子席もあります。
相撲案内所は別ものです。
相撲には、「お茶屋」というのがあります。
国技館の中に20件ある「相撲案内所」(通称お茶屋)は、食事やお土産を手配してくれるなど、観戦全般のサービスをしてくれるのですが、チケットの手配もしてくれます。
桝席のみのようですが。
相撲案内所もネットでチケットを売っています。
どうやら、チケットショップに比べて、相撲案内所の方がいい席を持っているようなので、桝席の中でもいい席に座りたければ、相撲案内所経由で買いましょう。
入口で指定された案内所に立ち寄ると、席まで案内してくれます。
で、「お茶屋は一見さんは使えない」と言われることもありますが、単純にチケットを買うだけなら、ネット経由でも買えるので大丈夫そうです。
ただ、いい席は馴染みの方にまわす、とかはあるかと思います。
相撲案内所といえば、「お土産問題」です。
相撲のお土産は、食べきれないほどの食事やつまみ、グッズが詰まったセットです。
相撲観戦初心者は一度は「桝席だとお土産は自動でつくのか?」という疑問にぶつかりますが、通常のルートで買った場合(相撲案内所でも)、お土産は自動ではつきません。
よく「相撲を見たらお土産がついてきた」というのは、チケットをもらった場合で、チケットを買った人がお土産もつけて買ったんじゃないかと思います。
特に、チケットショップ、チケット大相撲ルートの場合は、こちらからお茶屋に連絡したり、ネットから注文したりといったアクションをおこなさない限りつきません。
お茶屋を通して買った場合は、事前にお土産の注文を訊かれたりすることがあるらしく、「買う雰囲気」にはなるようですが、自動でつくわけではなく、「○○円のお土産をいくつ」といった明記された形になるようです。
なので、相撲案内所を通したからと言って、お土産を買わねばならないというわけではなさそうです。
でもまぁ、せっかくお茶屋を使うならお土産でも買ってみようか、ってのも楽しそうな気がします。
あと、相撲案内所を通すと、出方さんが席まで案内してくれたり、席で飲食を注文したりできるようですが、そこまでされるとなると、やっぱりお土産の一つでも買ってみたいものですね。
相撲案内所、一見さんも大丈夫と書きましたが、砂かぶりや桝席の前の方はネットでは買えないみたいです。
そういうお客さんは、お土産も飲食もばんばんはずむでしょうから、また別の世界ですね。
「枡席は酒飲み放題」説があるようですが、馴染み客は後日清算なので、お客さんとして招かれたりしたらお金を払っていることがわからない、ということみたいです。
ちなみに、特典がついたりする「お得なチケット」というのもあります。
今回僕が買った「親方と写真を撮る」とかの特典がある「ギフトチケット」とか。
他にも「力士に抱っこしてもらうチケット」みたいなのもあって、これがチケット大相撲からしか買えないとか、ぴあだけとか、複雑です。
買う前に調べてみましょう。
●まとめ
・いい席は相撲案内所からの方が取れるらしい
・チケット大相撲はチケットショップと同じ
・桝席だからといってお土産は自動でつかない
・相撲案内所を通したからといってお土産購入が必須ではない
・でもせっかく案内所通すならお土産を買うのも楽しそう
・本当にいい席で見ようと思ったら、お茶屋と仲良くなるしかない
・お得なチケットも要チェック
・でも一回ぐらい招待されてみたいですよね
2015年02月16日
相撲を見てきた話
相撲を見てきました。
初めての両国国技館。
初場所の3日目でした。
席は桝席の後ろの方、「特別2人枡B」という、B枡の一番後ろの枡を2人で使える、というものです。
通常桝席は4人セットの価格で売っているので、枡単位で考えると半額ということになります。
もちろん迫力を楽しむって点では、前であればあるほどいいわけですが、前の方を取るには(あとで書きますが)いろいろな策というか条件が必要です。
また、よく言う「枡席に大人が4人入るとぎちぎち」というのは確かにそうで、周りには2人で座っている人も多く、そうすると半額で済む「特別2人枡B」は、雰囲気を楽しみたい人にはお勧めです。
だいたいスポーツ全般、テレビの方がよく見えるわけで、よっぽどいい席でなけりゃ「生の迫力」が味わえるでもないわけで、会場やら観客やらひっくるめて楽しむってことでいい、という目的なら、とりあえずこの席はお勧めです。
もっと近くで見たくなったら、次はAをとりましょう。
1時すぎに国技館に入って、一周し、ちゃんこを食べ、お土産を眺め、元琴欧洲と写真を取り(そういうチケットでした)、幕内力士の入り待ちをして逸ノ城を目の前で見て、焼き鳥をつまみながら取り組みを堪能し、帰っていく高安のすぐ隣を歩きながらぞろぞろと帰る。
臨場感、という意味では、音が一番違ったように思います。
力士が自分の身体をたたいて気合を入れる音、ぶつかる音、観客の歓声、なんかは、テレビで見るのよりもよくきこえる。
テレビだと、懸賞金がぐるぐるまわっているときの場内アナウンスは、解説の声で聞こえませんが、一つの取り組みでも懸賞金の数だけその会社のアナウンスがかかります。
「お茶漬け海苔の永谷園」「鮭茶漬けの永谷園」「梅茶漬けの永谷園」「イエス!イエス!高須クリニック」「イエス!イエス!高須クリニック」「イエス!イエス!高須クリニック」
応援力士に声援が飛ぶ。
時間いっぱいで湧く。
ぶつかる。
取組が終わると拍手。
チーム同士のスポーツだと、拍手とか歓声とかは、ホームチームやら攻守やらで場内全部が同時に湧くってのはそれほどない気がしますが、相撲は一体感があります。
ひいきの力士が負けても、いい取組なら自然に拍手が出る。
どっちが特に好きでもなくても、やっぱり歓声と拍手が出る。
見に行ったときは、場内ががっかりするような取り組みはなかったのですが、注目の一番が引いて一瞬で終わるとかだと、ブーイングしたくもなるなぁと思いました。
テレビだとそんなに感じませんけど。
よく「解説がないからわからない」って言いますけど、むしろリプレイですね。
いい取組とか、きわどい取組とか、テレビなら終わってからも何度もやります。
それがない。
だもんで、見に行った翌日「どの取り組みがよかった?」と言われても、覚えてません。
携帯とかでテレビを見られるようにしておくと楽しいのかもしれませんが、たまにはアナログ生活、「生」だけの楽しみ方もいいもんです。
食べ物の種類は意外に少なく、売り切れます。
横綱大関は、「白鵬弁当」みたいな感じで、その人が好きなものが入った弁当があるのですが、1時ぐらいに着いたときにはほとんど売り切れてました。
名物焼き鳥はおいしかったです。
あんみつも食べそこねました。
気合を入れる人は、お茶屋から注文しておいた方がいいのでしょう。
力士は、下の方の人は、場内を歩いてます。
詳しいファンはそこで親しくなったりもするらしい。
幕内となると、そんなことはありませんが、国技館に入るところを見ることができます。
入り待ちです。
力士はタクシーで国技館の前に着き、数メートル道路を進んで(ここはチケットがないお客さんも並んで見てる)敷地に入ります。
敷地に入ってから建物の入り口までしばらくあるので、そこでチケットを持ったお客さんが並んで通りがかるのを待っています。
幕内力士は3時ごろのようです。
目の前を通りますが、取組前ということもあり、触れません。
声をかけるだけです。
でも、力士が目の前を通るのは楽しい。
でかい。
大関横綱はいないので、その下でも顔を見たら誰だかわかる、ぐらいの方が楽しめそうです。
その間取り組みは見ないことになるので、どっちを取るかの選択もありますね。
スポーツでもあり文化でもある相撲。
一回見に行くと、テレビでの観戦もまた違って見える。
ハードルはなかなか高いですが、好きな人はやっぱり一回は見とくべきです。
というわけで、半額とはいえ一人一万以上しつつも、「年に1回ぐらいは来たいなぁ」という堪能っぷりでした。
次回はチケットについてです。
初めての両国国技館。
初場所の3日目でした。
席は桝席の後ろの方、「特別2人枡B」という、B枡の一番後ろの枡を2人で使える、というものです。
通常桝席は4人セットの価格で売っているので、枡単位で考えると半額ということになります。
もちろん迫力を楽しむって点では、前であればあるほどいいわけですが、前の方を取るには(あとで書きますが)いろいろな策というか条件が必要です。
また、よく言う「枡席に大人が4人入るとぎちぎち」というのは確かにそうで、周りには2人で座っている人も多く、そうすると半額で済む「特別2人枡B」は、雰囲気を楽しみたい人にはお勧めです。
だいたいスポーツ全般、テレビの方がよく見えるわけで、よっぽどいい席でなけりゃ「生の迫力」が味わえるでもないわけで、会場やら観客やらひっくるめて楽しむってことでいい、という目的なら、とりあえずこの席はお勧めです。
もっと近くで見たくなったら、次はAをとりましょう。
1時すぎに国技館に入って、一周し、ちゃんこを食べ、お土産を眺め、元琴欧洲と写真を取り(そういうチケットでした)、幕内力士の入り待ちをして逸ノ城を目の前で見て、焼き鳥をつまみながら取り組みを堪能し、帰っていく高安のすぐ隣を歩きながらぞろぞろと帰る。
臨場感、という意味では、音が一番違ったように思います。
力士が自分の身体をたたいて気合を入れる音、ぶつかる音、観客の歓声、なんかは、テレビで見るのよりもよくきこえる。
テレビだと、懸賞金がぐるぐるまわっているときの場内アナウンスは、解説の声で聞こえませんが、一つの取り組みでも懸賞金の数だけその会社のアナウンスがかかります。
「お茶漬け海苔の永谷園」「鮭茶漬けの永谷園」「梅茶漬けの永谷園」「イエス!イエス!高須クリニック」「イエス!イエス!高須クリニック」「イエス!イエス!高須クリニック」
応援力士に声援が飛ぶ。
時間いっぱいで湧く。
ぶつかる。
取組が終わると拍手。
チーム同士のスポーツだと、拍手とか歓声とかは、ホームチームやら攻守やらで場内全部が同時に湧くってのはそれほどない気がしますが、相撲は一体感があります。
ひいきの力士が負けても、いい取組なら自然に拍手が出る。
どっちが特に好きでもなくても、やっぱり歓声と拍手が出る。
見に行ったときは、場内ががっかりするような取り組みはなかったのですが、注目の一番が引いて一瞬で終わるとかだと、ブーイングしたくもなるなぁと思いました。
テレビだとそんなに感じませんけど。
よく「解説がないからわからない」って言いますけど、むしろリプレイですね。
いい取組とか、きわどい取組とか、テレビなら終わってからも何度もやります。
それがない。
だもんで、見に行った翌日「どの取り組みがよかった?」と言われても、覚えてません。
携帯とかでテレビを見られるようにしておくと楽しいのかもしれませんが、たまにはアナログ生活、「生」だけの楽しみ方もいいもんです。
食べ物の種類は意外に少なく、売り切れます。
横綱大関は、「白鵬弁当」みたいな感じで、その人が好きなものが入った弁当があるのですが、1時ぐらいに着いたときにはほとんど売り切れてました。
名物焼き鳥はおいしかったです。
あんみつも食べそこねました。
気合を入れる人は、お茶屋から注文しておいた方がいいのでしょう。
力士は、下の方の人は、場内を歩いてます。
詳しいファンはそこで親しくなったりもするらしい。
幕内となると、そんなことはありませんが、国技館に入るところを見ることができます。
入り待ちです。
力士はタクシーで国技館の前に着き、数メートル道路を進んで(ここはチケットがないお客さんも並んで見てる)敷地に入ります。
敷地に入ってから建物の入り口までしばらくあるので、そこでチケットを持ったお客さんが並んで通りがかるのを待っています。
幕内力士は3時ごろのようです。
目の前を通りますが、取組前ということもあり、触れません。
声をかけるだけです。
でも、力士が目の前を通るのは楽しい。
でかい。
大関横綱はいないので、その下でも顔を見たら誰だかわかる、ぐらいの方が楽しめそうです。
その間取り組みは見ないことになるので、どっちを取るかの選択もありますね。
スポーツでもあり文化でもある相撲。
一回見に行くと、テレビでの観戦もまた違って見える。
ハードルはなかなか高いですが、好きな人はやっぱり一回は見とくべきです。
というわけで、半額とはいえ一人一万以上しつつも、「年に1回ぐらいは来たいなぁ」という堪能っぷりでした。
次回はチケットについてです。
2014年11月30日
錦織のファイナルが面白かった話
ちょっと時間が経っちゃいましたが、面白かったですね。
テニスは昔ちょびっとだけやったことがあったので、テレビでやってるとつい見ちゃう、という程度には好きでした。
でも外国人同士だと、あまりどっちかを応援するでもなく、特定個人のファンになるほどは見ていなかったので、ただ見ている、という感じでした。
そういう人もけっこう多いんじゃないかと思います。
今回初めて真剣に見ました。
ニワカに近い自分が言うのもなんですが、テニスをあまり見たことない人がテニスの面白さを知るには、すごくいい試合ばかりだった気がします。
マレー戦は、両方ぐだぐだでしたが、競り合って面白かった。
フェデラーは素晴らしい。
フェレール戦はなにしろ「ゾーンの上のゾーン」ですよ。
あれはすごかった。
どう返しても入る気がする、という。
やってる錦織も楽しそうで、まさに天衣無縫の極み。
で、ジョコビッチ。
1セット目が終わった時点、というか最初の2ゲームぐらいでほぼ諦めてましたが、松岡さんが1セット目最後に「このセットは捨てて次のセットのことを考えている」と言ったとおり、人が変わったかのようなプレーの連続。
ジョコビッチも、最初のセットのオーラがなくなり、顔つきも不安げな感じになっていました。
で、第3セットの1ゲーム。
誰もが「あのブレーク2ポイントを逃したのが大きかった」と言いますが、見ているときには、たぶんほとんどの人が「惜しかったけどまたブレークできるだろ」と思っていたのが、2ゲーム目でブレークされたときに「これやばいじゃないの? ジョコビッチ復活しちゃったんじゃないの?」と思ったことでしょう。
まさにそのとおり。
「流れ」ってすごい。
チームスポーツに比べて、メンタルで一気にもっていかれる、というところが、個人スポーツの恐ろしいところですね。
そもそも個人が一対一で対戦するスポーツって、格闘技系以外ほとんど見ることがないので、スポーツでよく言う「流れが変わる」というのをあそこまではっきり見たのは初めてかもしれません。
でも、そんな遠くない気がしましたね。
相手は世界一位なのに。
来年以降も楽しみですねー。
ついに日本人がグランドスラムを勝つときが来るのか。
さっさと勝ってほしいですね。
初優勝がかかるとなると、見なくちゃならなくなって、疲れます。
なんだかんだ長いし。
あと、あらためてベイビーステップ(マガジンでやってるマンガ)の面白さがわかりました。
錦織とベイビーステップで、テニスやる子どもが激増するでしょう。
テニスは昔ちょびっとだけやったことがあったので、テレビでやってるとつい見ちゃう、という程度には好きでした。
でも外国人同士だと、あまりどっちかを応援するでもなく、特定個人のファンになるほどは見ていなかったので、ただ見ている、という感じでした。
そういう人もけっこう多いんじゃないかと思います。
今回初めて真剣に見ました。
ニワカに近い自分が言うのもなんですが、テニスをあまり見たことない人がテニスの面白さを知るには、すごくいい試合ばかりだった気がします。
マレー戦は、両方ぐだぐだでしたが、競り合って面白かった。
フェデラーは素晴らしい。
フェレール戦はなにしろ「ゾーンの上のゾーン」ですよ。
あれはすごかった。
どう返しても入る気がする、という。
やってる錦織も楽しそうで、まさに天衣無縫の極み。
で、ジョコビッチ。
1セット目が終わった時点、というか最初の2ゲームぐらいでほぼ諦めてましたが、松岡さんが1セット目最後に「このセットは捨てて次のセットのことを考えている」と言ったとおり、人が変わったかのようなプレーの連続。
ジョコビッチも、最初のセットのオーラがなくなり、顔つきも不安げな感じになっていました。
で、第3セットの1ゲーム。
誰もが「あのブレーク2ポイントを逃したのが大きかった」と言いますが、見ているときには、たぶんほとんどの人が「惜しかったけどまたブレークできるだろ」と思っていたのが、2ゲーム目でブレークされたときに「これやばいじゃないの? ジョコビッチ復活しちゃったんじゃないの?」と思ったことでしょう。
まさにそのとおり。
「流れ」ってすごい。
チームスポーツに比べて、メンタルで一気にもっていかれる、というところが、個人スポーツの恐ろしいところですね。
そもそも個人が一対一で対戦するスポーツって、格闘技系以外ほとんど見ることがないので、スポーツでよく言う「流れが変わる」というのをあそこまではっきり見たのは初めてかもしれません。
でも、そんな遠くない気がしましたね。
相手は世界一位なのに。
来年以降も楽しみですねー。
ついに日本人がグランドスラムを勝つときが来るのか。
さっさと勝ってほしいですね。
初優勝がかかるとなると、見なくちゃならなくなって、疲れます。
なんだかんだ長いし。
あと、あらためてベイビーステップ(マガジンでやってるマンガ)の面白さがわかりました。
錦織とベイビーステップで、テニスやる子どもが激増するでしょう。
2014年11月08日
『三越美術逸品会』 -4号黒牡丹
三越の「美術逸品会」に行ってきました。
ニューオータニの大きなホールを使って、何千点もの美術品を展示販売します。
「一日だけの美術館」というだけあって、若手作家から誰でも知っているような有名な作家まで売られております。
入場料取ってもいいぐらいのゴージャスさ。
一般的な宣伝はしていないようですが(HPにも載ってなかった)、うちにもご案内をいただいたので、外商イベントではなさそうです。
とはいえお金持ちそうな人が多かった。
全体はざっと歩いて見る程度でしたが、きっと何千万もするものがあったのでしょう。
で、あいかわらずの加来万周目当てで行ってきました。
10点ほどでしたか。
今年1月に行った展示でも、小さいサイズが多かったのですが、今回も6号ぐらいが多かったかな?
そして、彼の絵を最初に見た2011年のチャリティーオークション以来の4号。
B5ぐらいですかね。
小さいのを描くのはあまり好きじゃない的なことを前に言っていた気がするのですが、幅が広がってきたのでしょう。
彼の作品は、密度が非常に濃いので、小さい画面でも十分に楽しい。
「こじんまり」ではなく「凝縮」になる。
大きな展示会場だと、4号というのは非常に小さく見えますが、額も大きいし、家に飾ったら大きく見えると思います。
個人宅に飾るにはちょうどいい大きさです。
といっても値段はけっこうするのですが。
今回展示されていた4号は黒牡丹。
いつも12号とか20号とかで描いている画題です。
大きいサイズだと、周りの金の部分が多いので、きらびやかな構図になりますが、4号だと黒。
黒牡丹に使っている黒は、深くて、本当に素敵な黒なので、それが前面出てきて、重厚になります。
この展示の前に日本橋三越でも別の4号が展示されていたようなので、そちらも見たかった。
普通、美術品の展示では、「紙本彩色」とか「アクリル」ぐらいしか書いていないのですが、使っている顔料などが書いてあって、「ここはプラチナなのか」とかの見方ができて面白かったです。
ニューオータニの大きなホールを使って、何千点もの美術品を展示販売します。
「一日だけの美術館」というだけあって、若手作家から誰でも知っているような有名な作家まで売られております。
入場料取ってもいいぐらいのゴージャスさ。
一般的な宣伝はしていないようですが(HPにも載ってなかった)、うちにもご案内をいただいたので、外商イベントではなさそうです。
とはいえお金持ちそうな人が多かった。
全体はざっと歩いて見る程度でしたが、きっと何千万もするものがあったのでしょう。
で、あいかわらずの加来万周目当てで行ってきました。
10点ほどでしたか。
今年1月に行った展示でも、小さいサイズが多かったのですが、今回も6号ぐらいが多かったかな?
そして、彼の絵を最初に見た2011年のチャリティーオークション以来の4号。
B5ぐらいですかね。
小さいのを描くのはあまり好きじゃない的なことを前に言っていた気がするのですが、幅が広がってきたのでしょう。
彼の作品は、密度が非常に濃いので、小さい画面でも十分に楽しい。
「こじんまり」ではなく「凝縮」になる。
大きな展示会場だと、4号というのは非常に小さく見えますが、額も大きいし、家に飾ったら大きく見えると思います。
個人宅に飾るにはちょうどいい大きさです。
といっても値段はけっこうするのですが。
今回展示されていた4号は黒牡丹。
いつも12号とか20号とかで描いている画題です。
大きいサイズだと、周りの金の部分が多いので、きらびやかな構図になりますが、4号だと黒。
黒牡丹に使っている黒は、深くて、本当に素敵な黒なので、それが前面出てきて、重厚になります。
この展示の前に日本橋三越でも別の4号が展示されていたようなので、そちらも見たかった。
普通、美術品の展示では、「紙本彩色」とか「アクリル」ぐらいしか書いていないのですが、使っている顔料などが書いてあって、「ここはプラチナなのか」とかの見方ができて面白かったです。
2014年07月02日
ACIDMAN『ANTHOLOGY』 −光あれ!
ACIDMANも、結成15周年、デビュー10周年で、100曲を超える曲ができました。
アルバムツアーはアルバム曲+数曲ですし、イベントはやっぱり定番曲がほとんどなので、ずっとやらない曲というのもたくさん出てきます。
そんな曲をやるべく、ファンに「なにが聴きたいか」を投票してもらい、上位の曲ばっかやったライブでした。
THE BACK HORN さんが同じようなライブをやりましたが、そのパクリだそうです。
モバイル会員でなくては投票できず、モバイル会員じゃない、という残念な話ではあるのですが。
最近の曲はやはりほとんどなく、単独で武道館ライブをやったときのアルバム「green chord」の直前のアルバム「and world」の曲がやたらと多かったので、自分たちがファンになりたてのころの曲をリクエストした人が多かったのでしょう。
僕はファン歴は長いのでほとんどの曲はわかります。
「コーダ」(アルバムに入ってない)だけ久しぶりすぎておぼろげだった。
あと、曲名と歌詞を全然覚えないので、サビに曲名が入ってないと曲名がほとんどわからないっていう。
ライブ終了後に投票結果が発表されて、一位は「and world」でした。
意外という声がちらほらあるのですが、僕は「and world」が一位だろうし自分でも入れたいと思っていたので、意外という声が意外で。
アルバムラストの曲は、壮大な曲ばかりで、一回のライブで何曲もやれません。
アルバムツアーだと、そのアルバムのラスト曲と、定番の「廻る、巡る、その核へ」をやります。
ということで昔のアルバムのラスト曲はやらない。
久々の「and world」。
いつものライブだと、「ラストスパートの激しい曲の連続→MCで一呼吸→ラスト曲」でライブ本編が終わることが多かったのですが、激しい曲からリズムを刻んだまま、「and world」へ。
この入り方に感動した。
「光あれ」に泣けた。
たまにはやってもらえないだろうか。
全部の曲について、最後にやったのはいつかを誰か調べてほしいですね。
ファンならやればできるはずです。
僕にはできませんが。
「静かなる嘘と調和」はいつ以来なんですかね。
初めて聴いたかもしれない。
すごくよかった。
「and world」の次によかった。
今回の趣旨が「普段聴けない曲」なんで、新しい曲やよくやる曲は入らないわけですが、ライブが終わると「やっぱりあの曲がないと物足りない」と思ってしまう、という、わがままさ。
アルケミスト……
次は「抽選で選ばれたファンの好きなセットリストでやる」とかやったら面白そうですね。
アルバムツアーはアルバム曲+数曲ですし、イベントはやっぱり定番曲がほとんどなので、ずっとやらない曲というのもたくさん出てきます。
そんな曲をやるべく、ファンに「なにが聴きたいか」を投票してもらい、上位の曲ばっかやったライブでした。
THE BACK HORN さんが同じようなライブをやりましたが、そのパクリだそうです。
モバイル会員でなくては投票できず、モバイル会員じゃない、という残念な話ではあるのですが。
最近の曲はやはりほとんどなく、単独で武道館ライブをやったときのアルバム「green chord」の直前のアルバム「and world」の曲がやたらと多かったので、自分たちがファンになりたてのころの曲をリクエストした人が多かったのでしょう。
僕はファン歴は長いのでほとんどの曲はわかります。
「コーダ」(アルバムに入ってない)だけ久しぶりすぎておぼろげだった。
あと、曲名と歌詞を全然覚えないので、サビに曲名が入ってないと曲名がほとんどわからないっていう。
ライブ終了後に投票結果が発表されて、一位は「and world」でした。
意外という声がちらほらあるのですが、僕は「and world」が一位だろうし自分でも入れたいと思っていたので、意外という声が意外で。
アルバムラストの曲は、壮大な曲ばかりで、一回のライブで何曲もやれません。
アルバムツアーだと、そのアルバムのラスト曲と、定番の「廻る、巡る、その核へ」をやります。
ということで昔のアルバムのラスト曲はやらない。
久々の「and world」。
いつものライブだと、「ラストスパートの激しい曲の連続→MCで一呼吸→ラスト曲」でライブ本編が終わることが多かったのですが、激しい曲からリズムを刻んだまま、「and world」へ。
この入り方に感動した。
「光あれ」に泣けた。
たまにはやってもらえないだろうか。
全部の曲について、最後にやったのはいつかを誰か調べてほしいですね。
ファンならやればできるはずです。
僕にはできませんが。
「静かなる嘘と調和」はいつ以来なんですかね。
初めて聴いたかもしれない。
すごくよかった。
「and world」の次によかった。
今回の趣旨が「普段聴けない曲」なんで、新しい曲やよくやる曲は入らないわけですが、ライブが終わると「やっぱりあの曲がないと物足りない」と思ってしまう、という、わがままさ。
アルケミスト……
次は「抽選で選ばれたファンの好きなセットリストでやる」とかやったら面白そうですね。
2014年06月09日
『加来万周 日本画展』 −あの絵よさようなら
4月のことですが、渋谷の東急本店で開催された加来万周の展覧会を見てきました。
去年今年で4回目の展覧会。
寡作と言われている割には多かったので、もう今年はないんじゃなかろうか。
毎回ちょっとずつ内容は違っているわけですが、今回は過去の院展出品作やらスケッチやら、回顧展のような趣もある展覧会でした。
やっぱり院展作品はでかいですね。
3畳ぐらいあるのかな?
院展は大きなフロアでやるので、デパート画廊のように小さいスペースだと、天井まで埋めてしまいます。
スケッチは、「うまいなぁ」とは思うのですが、プロ作家なんてみんなうまいわけで、完成した作品の「遠くか
ら見ても加来万周の作品だとすぐわかる」というものとはまた違います。
こういうスケッチがあの絵になるんだな、という楽しみで見るものですかね。
去年の春の院展に出品した作品が、すごくよかったのですが、今回売れてしまいました。
買ったところは美術館とかではないようなので、大規模な回顧展とかでなければ出てこないでしょう。
通常、展覧会で見るような絵は、どこかの美術館が持っているものなので、たとえ「オルセーから初来日」となってもオルセーに行けばまた見られるわけです。
今回を最後に見ることはないだろう、という名残惜しい気持ちは、あまり起こらないかと思います。
でも、それが私有だと、見る機会はほとんどない。
「好きだった子にふられる」ではなく「好きだった子が結婚する」みたいなもんです。
作家さんが、自分の作品が買われていくのを「お嫁に行く」ともいいますしね。
一点物の魅力、とは違ってきちゃうものの、その作家の代表的なテーマとか、シリーズで作られているものだと、ほぼ同じようなのを見ることができるわけですが、彼は院展は実験的な場ととらえているようで、院展出品作と似たようなものはあまり描きません。
大きい絵には大きい絵なりの構図が、小さい絵には小さい絵なりの構図があり、院展は院展のサイズなので、同じ構図はもう出てこない。
ということで、あの絵に再び会うことはできるのだろうか。
美術館なんかで本格的な回顧展をやるようになったら、出てくるのかな?
まずは、そういう展示ができるぐらい、大きな作家になってほしいものです。
去年今年で4回目の展覧会。
寡作と言われている割には多かったので、もう今年はないんじゃなかろうか。
毎回ちょっとずつ内容は違っているわけですが、今回は過去の院展出品作やらスケッチやら、回顧展のような趣もある展覧会でした。
やっぱり院展作品はでかいですね。
3畳ぐらいあるのかな?
院展は大きなフロアでやるので、デパート画廊のように小さいスペースだと、天井まで埋めてしまいます。
スケッチは、「うまいなぁ」とは思うのですが、プロ作家なんてみんなうまいわけで、完成した作品の「遠くか
ら見ても加来万周の作品だとすぐわかる」というものとはまた違います。
こういうスケッチがあの絵になるんだな、という楽しみで見るものですかね。
去年の春の院展に出品した作品が、すごくよかったのですが、今回売れてしまいました。
買ったところは美術館とかではないようなので、大規模な回顧展とかでなければ出てこないでしょう。
通常、展覧会で見るような絵は、どこかの美術館が持っているものなので、たとえ「オルセーから初来日」となってもオルセーに行けばまた見られるわけです。
今回を最後に見ることはないだろう、という名残惜しい気持ちは、あまり起こらないかと思います。
でも、それが私有だと、見る機会はほとんどない。
「好きだった子にふられる」ではなく「好きだった子が結婚する」みたいなもんです。
作家さんが、自分の作品が買われていくのを「お嫁に行く」ともいいますしね。
一点物の魅力、とは違ってきちゃうものの、その作家の代表的なテーマとか、シリーズで作られているものだと、ほぼ同じようなのを見ることができるわけですが、彼は院展は実験的な場ととらえているようで、院展出品作と似たようなものはあまり描きません。
大きい絵には大きい絵なりの構図が、小さい絵には小さい絵なりの構図があり、院展は院展のサイズなので、同じ構図はもう出てこない。
ということで、あの絵に再び会うことはできるのだろうか。
美術館なんかで本格的な回顧展をやるようになったら、出てくるのかな?
まずは、そういう展示ができるぐらい、大きな作家になってほしいものです。
2014年03月24日
『加来万周展 耀』 −小さい絵の放つオーラ
紫鴻画廊で開催された加来万周の個展に行ってきました。
http://www17.ocn.ne.jp/~shikou-g/exk2014.html
一作に時間をかけるため数が少ない、というわりには、去年デパートで2回に今年の最初、ということで、ペースが上がっております。
といっても、一回ごとの作品数は少ないので、3回あわせてほかの作家さんの1.5回分ぐらい?
もうすぐ東急で個展もあります。
名古屋松坂屋は大きい作品が多く、大丸心斎橋は10号程度の作品が多かったのですが、今回は6号から大きくても20号?
絵のサイズの違いもありますし、展示会場の規模も違いますし、展示会場の場所が「超大きなデパートの一角」と「小さなビルの4階」という違いもありますし、全然違った印象を受けます。
描いているものは、3年前に出会ったときは、「火」が多かったと思いますが、だんだんと「滝」「黒牡丹」や「富士山」など、モチーフが広がっています。
今回は、10点ほどしかないながらも、代表的なモチーフがみんな出展されました。
もちろん彼の全作品を見ているわけじゃありませんが、「桜」や「梅」といった、これまでなかったものも出てきた。
ほかの人の6号よりも断然大きく見えます。
思わず「額が大きいですか?」と訊いてしまうくらい、大きい。
6号ぐらいの小さい作品の方が、彼のすごさがわかる。
やっぱり物理的に大きい作品は、誰が描いたのであっても「おぉ」と思ってしまうところがあります。
それだと「その人にしか出せないオーラ」があったとしても、サイズにごまかされるというか、「大きくて迫力あるね」という感想になってしまう。
小さいながらもそういうオーラを感じる作品、物理的な大きさ以上に大きく見える作品こそ、本当に力を持った作品だと思うのです。
オーラというのもかなり抽象的な表現ですが、加来万周の絵は、忠実に写生して描きだす火であるとか滝であるとか森であるとか、森羅万象が放つものが、画面を通じて伝わってくる。
それを文章で説明するのも難しいのですが。
たとえば、ちょっと離れたところに大きな滝があって、それを建物の中から開いた窓を通して見たとします。
その窓のサイズが6号なら、滝は6号分の視野しかないわけですが、滝の雄大さが視野を超えて体感されるのです。
そんな感じです。
よくわかりませんね。
やっぱり実物見てもらわないとなぁ。
梅の絵が一番よかった。
まっすぐ見るとシンプルな梅の絵だけれど、ちょっと角度が変わると、ちりばめられたプラチナ?で空気が一気に舞い上がる。
香りが立ち上がる。
一見地味な、でもきらびやかな、素敵な作品でした。
加来とか、師匠の手塚雄二の作品は、角度を変えて見ると全然違うので、近くでゆっくりと堪能するのに限ります。
http://www17.ocn.ne.jp/~shikou-g/exk2014.html
一作に時間をかけるため数が少ない、というわりには、去年デパートで2回に今年の最初、ということで、ペースが上がっております。
といっても、一回ごとの作品数は少ないので、3回あわせてほかの作家さんの1.5回分ぐらい?
もうすぐ東急で個展もあります。
名古屋松坂屋は大きい作品が多く、大丸心斎橋は10号程度の作品が多かったのですが、今回は6号から大きくても20号?
絵のサイズの違いもありますし、展示会場の規模も違いますし、展示会場の場所が「超大きなデパートの一角」と「小さなビルの4階」という違いもありますし、全然違った印象を受けます。
描いているものは、3年前に出会ったときは、「火」が多かったと思いますが、だんだんと「滝」「黒牡丹」や「富士山」など、モチーフが広がっています。
今回は、10点ほどしかないながらも、代表的なモチーフがみんな出展されました。
もちろん彼の全作品を見ているわけじゃありませんが、「桜」や「梅」といった、これまでなかったものも出てきた。
ほかの人の6号よりも断然大きく見えます。
思わず「額が大きいですか?」と訊いてしまうくらい、大きい。
6号ぐらいの小さい作品の方が、彼のすごさがわかる。
やっぱり物理的に大きい作品は、誰が描いたのであっても「おぉ」と思ってしまうところがあります。
それだと「その人にしか出せないオーラ」があったとしても、サイズにごまかされるというか、「大きくて迫力あるね」という感想になってしまう。
小さいながらもそういうオーラを感じる作品、物理的な大きさ以上に大きく見える作品こそ、本当に力を持った作品だと思うのです。
オーラというのもかなり抽象的な表現ですが、加来万周の絵は、忠実に写生して描きだす火であるとか滝であるとか森であるとか、森羅万象が放つものが、画面を通じて伝わってくる。
それを文章で説明するのも難しいのですが。
たとえば、ちょっと離れたところに大きな滝があって、それを建物の中から開いた窓を通して見たとします。
その窓のサイズが6号なら、滝は6号分の視野しかないわけですが、滝の雄大さが視野を超えて体感されるのです。
そんな感じです。
よくわかりませんね。
やっぱり実物見てもらわないとなぁ。
梅の絵が一番よかった。
まっすぐ見るとシンプルな梅の絵だけれど、ちょっと角度が変わると、ちりばめられたプラチナ?で空気が一気に舞い上がる。
香りが立ち上がる。
一見地味な、でもきらびやかな、素敵な作品でした。
加来とか、師匠の手塚雄二の作品は、角度を変えて見ると全然違うので、近くでゆっくりと堪能するのに限ります。
2013年12月23日
野田地図『MIWA』 −試される教養
ちょっと前ですが、野田地図のMIWAを見てきました。
http://www.nodamap.com/miwa/top.html
歌番組でいずみさんと「失格」でコラボし大評判だったmiwaではなく、野田さんいわく「出鱈目な美輪明宏物語」。
野田地図のストーリーを説明するのは大変なので、気になる方はどこかでご確認ください。
美輪明宏の一代記です。
野田さんのこれまでの描き方として、一本大きなストーリーがあり、そこに小さな物語を加えていき、その物語が大きくなっていく、なんてのがあったように思います。
美輪さんの場合は、そもそも大きな「美輪」という木から様々な枝が広がっている。
天草四郎の生まれ変わりであったり、長崎の爆心地のすぐそばにいて惨状を目の当たりにしたり、奇異な存在として差別されたり、三島と親しかったり。
もちろん脚色も多いのでしょうが、「舞台」という表現自体が、ステージに立ち続けた美輪さんにもつながるわけで、ある意味リアルな芝居でした。
過去の野田作品の戦争関係のエピソードとか、もっとノンフィクションなストーリーもあるのでしょうが、舞台上に実在の一人の人間が現れていたという意味でリアル。
ここ最近の野田の作品は、本来とは少し離れたところから始まり大きくなっていくストーリーが、同じようなテーマばかりで「説教くさい」感じがしていたのですが、今回の物語は、そういう要素もありつつ、あくまで美輪の物語、というのがよかったと思う。
役者は古田新太ですね。
しょうがない。
宮沢りえの代役は誰かにはできるかもしれませんが、古田新太は唯一のオーラでした。
瑛太がすごく好きなので、楽しみにしていたのですが、役柄のせいなのか、いまひとつ迫力が。
野田の芝居は、以前にも増して、前提事項を知っているのと知らないのとで受け取り方が違うように思います。
今回の芝居だと、美輪さんをwikiで見ておきゃ全部わかるってものでもない(でも調べときゃよかったとは思いましたが)。
同時代の前提知識=教養?
野田さんは客にどこまで要求しているのだろうか。
もちろん「なにも知らなくても楽しけりゃいい」ってのはありますが、舞台に限らず「知ってるとまた見方が違う」というのはもちろんあるわけで、今回の舞台は要求水準が高かった気がします。
「これはなんかネタがあるな」ってわかるのならまだしも、ストーリーは違和感なく繋がっているので、「なんかネタがありそう」ということにすら気付いていないものも多そうで、逆に「もっとあったんじゃないか」と思ってしまう。
そして、野田さんがそれをお遊び程度に入れているのか、物語の本質として入れているのかもわからず、どうどうめぐる。
まぁ、そのわからなさが面白かったりするんですけどね。
エヴァみたいに。
圧倒的なのは「キル」ですが、何番目かには面白かった気がする、かといって上位作品が挙げられるわけじゃないんですけど、という感じでしょうか。
「キル」からもう15年以上経ってて何作見たかもわからんし。
2013年08月29日
『加来万周日本画展』 −小さい作品の楽しみ
ちょっと前の話ですが、大丸心斎橋店で開催された加来万周の個展を見てきました。
東京から、5月は名古屋、6月は大阪。
名古屋でやった松坂屋と、今回の大丸は系列なわけで、同じ展示だったら行きませんでしたが、ブログを見るところ少なくとも数点は入れ変わるだろう、ということで行ってきました。
結果全部違う展示だったのでよかった。
大阪のは京都に巡回しましたが、これは同じもののようなのでさすがに行かず。
名古屋は20号以上の作品が多く、今回のは10号程度のものが多かった。
大きい作品は迫力がありますが、彼の技巧の細かさを見ようと近づくとどうしても全体像が見にくくなる。
小さい作品だと、丁寧な描きぶりなんかを楽しみながら、全体も楽しめる。
小さい作品が15点ほど並んだ空間は、非常に格調高いものでした。
1点ずつが完璧な完成度。
そんな中、どーんと大きい富士山。
初めて描いたそうです。
富士山というのは、具体的な山でありながら、記号化されていて、台形を描いて上の方を波線で区切るとたいてい富士山とわかる、という、不思議な存在です。
そんなモチーフは、富士山の他には丸が3つついていたらわかる某ねずみぐらいです。
富士山の絵は数々描かれていますが、横山大観の富士山と片岡球子の富士山は、同じものを描いてるのかってぐらいに全然違う。
自分のこれまでの絵を、どう富士山にぶつけていくか。
日本画家としてのプライドもかかってくることでしょう。
今後、どんな富士山になっていくのか楽しみです。
小さいのも見てみたい。
数が少ない作家の割に、連続して個展をしたということで、しばらくは個展はないみたいです。
院展やグループ展ではたまに見られるでしょうが、やっぱり世界に囲まれる個展が楽しい。
気長に待つことにします。
東京から、5月は名古屋、6月は大阪。
名古屋でやった松坂屋と、今回の大丸は系列なわけで、同じ展示だったら行きませんでしたが、ブログを見るところ少なくとも数点は入れ変わるだろう、ということで行ってきました。
結果全部違う展示だったのでよかった。
大阪のは京都に巡回しましたが、これは同じもののようなのでさすがに行かず。
名古屋は20号以上の作品が多く、今回のは10号程度のものが多かった。
大きい作品は迫力がありますが、彼の技巧の細かさを見ようと近づくとどうしても全体像が見にくくなる。
小さい作品だと、丁寧な描きぶりなんかを楽しみながら、全体も楽しめる。
小さい作品が15点ほど並んだ空間は、非常に格調高いものでした。
1点ずつが完璧な完成度。
そんな中、どーんと大きい富士山。
初めて描いたそうです。
富士山というのは、具体的な山でありながら、記号化されていて、台形を描いて上の方を波線で区切るとたいてい富士山とわかる、という、不思議な存在です。
そんなモチーフは、富士山の他には丸が3つついていたらわかる某ねずみぐらいです。
富士山の絵は数々描かれていますが、横山大観の富士山と片岡球子の富士山は、同じものを描いてるのかってぐらいに全然違う。
自分のこれまでの絵を、どう富士山にぶつけていくか。
日本画家としてのプライドもかかってくることでしょう。
今後、どんな富士山になっていくのか楽しみです。
小さいのも見てみたい。
数が少ない作家の割に、連続して個展をしたということで、しばらくは個展はないみたいです。
院展やグループ展ではたまに見られるでしょうが、やっぱり世界に囲まれる個展が楽しい。
気長に待つことにします。