2007年03月

2007年03月27日

松本清張『ゼロの焦点』 −時代はまわってしまった模様

松本清張の超有名作。
実は松本清張を読むのは初めて。

禎子が、結婚直後に失踪した夫の憲一を探すうちに、夫の過去が次々に明らかになる。
そこに殺人が数件。
以下ネタバレあり。




この作品はミステリーとして有名なわけですが、ミステリーとしてのできは……
途中までは面白い。
事件が次々と起こって、怪しいと思われた人は殺されていく。
うまい。
しかし後半ぐたぐた。
ミステリーとしていかがなものか。

あまりにつっこみどころが多すぎてきりがないわけですが、いくつか。

禎子の推理、「〜の証拠があるから、〜という事実があった」ではなく、「こうだったと考えると、矛盾ない気がするから、これで決定」で進む。
Aが、アメリカ兵相手の売春婦が使うような英語を使っていた→売春婦で決定
Bが、Aにやさしくしていた気がする→Bも売春婦で決定
みたいな。

あと、禎子といっしょに捜査する本多、「田沼久子が、ウイスキーに毒入れて、宗太郎(憲一の兄)を殺したんじゃないか」と思って田沼をたずねていく→ウイスキー勧められて飲む→死ぬ

ってどうよ。

人間の描き方も弱い。
「なんでそういう行動をする?」というのが多い。
そもそも殺害の動機も弱いし。
まぁ動機ってのは、そのときの社会状況でぶれることがあるので、この時代はそうだったと言われれば納得するしかないのですが。

というか、この小説の評価はミステリーとしてのものではないのかもしれない。
そもそも新潮文庫のあらすじからしてひどい。
ストーリーは、憲一が行方不明になり、怪しい行動がいろいろ判明し、自殺者が出てそれとどう絡むかなどで引っ張る。
新潮文庫カバーの一文。
「ようやく手がかりを掴んだ時、”自殺”として処理されていた夫の姓は曾根であった!」
まじっすか。
自分はカバーを取って読んでいたので気づかなかったのですが、先に読まんでよかった。
新潮もこの本をミステリーとは考えてないんでしょう。

というわけで、ミステリーから離れてみる。
社会の描き方はさすが。
当時の雰囲気がよく出ている。
戦後期の混乱と事件を結びつけて、そこに事件の舞台となる北陸の暗さを結びつけて、当時の世相というか世の中の雰囲気をうまいこと伝えている。
読んでいて、今との違いでびっくりすることもたくさんある。
たとえば捜査過程。
警察でもなんでもない禎子や本多が、役所に「田沼久子の戸籍見たい」といえば戸籍が出てくるし、会社に「履歴書見たい」って言えば出てくるし、「あいつに退職金払ったか知りたい」といえばちゃんと会計報告が出てくる。
室田妻が犯行時刻にラジオに出ててアリバイがあるってなって、しばらくしてから禎子は「実はあれは録音だった!」ってトリックに気づく。
昔のドラマで携帯電話のあまりの大きさにびっくり、みたいな。
なにしろ米兵相手の売春婦が「パンパン」と呼ばれていた時代なわけで。
戸籍なんかもかなりてきとう。
自殺者も「身元わからないけど、曾根さんらしい」ってなったら、戸籍が存在するかは確かめずにとりあえず曾根さん死亡ってことで処理する。
きっとこんな時代だったのでしょう。

それらを考え合わせた上で、読むかどうか。

清張ファンからすると、駄作らしいっすね。

bookmanias at 22:17|PermalinkComments(2)TrackBack(0) 小説 

2007年03月21日

藤原正彦『国家の品格』 −政治家と官僚のプライドを守ろう

天下のベストセラー。
2006年年間部数1位で、今300万部ぐらい?
売れすぎ。

日本は品格のある国のはずだったのに、いつの間にか失われてしまった。
アメリカ的な論理だけが優先される社会になってしまった。
だから品格を取り戻そう。
そのためにも、国語をしっかり教え、武士道精神を学び、情緒を大事にする。
それがわれらの生きる道。

よくも悪くも新書です。
読みやすい。

彼はもともと政治論や文化論の専門家ではありません。
それだけに、読者は専門的な議論を期待しない。
かといって全くの一般人ではなく、ある程度の地位があります。
「地位がある人が、別の分野について語る」。
これはよく売れる本の戦略です。

たとえば僕と石田衣良がサッカーを語るとして、僕の方がサッカーについて詳しかったとしても(そんな詳しくないけど)、衣良が語るほうがなんか説得力があるわけです。
内容がいい加減だとサッカーファンからは文句言われるでしょうが、あまり知らない人は「この人いいこと言ってる」とか思うわけです。
太田光の憲法論とかもそんな感じ。
逆に、いくら本業からはなれているといっても、村上龍みたいにいろんなことに手を出してる人は、いまさらなにやろうが新しさはない。
藤原正彦は新しい。
そんな、中途半端な立ち位置を、うまいこと使っている。

最初の方にこう書いてあります。

私は、自分が正しいと確信していることについてのみ語るつもりですが、不幸にして私が確信していることは、日本や世界の人々が確信していることとしばしば異なっております。もちろん私ひとりだけが正しくて、他のすべての人々が間違っている。かように思っております。

これでもって、「お前の勝手な考えだろ」とか「勉強不足だ」といった意見はシャットアウトできます。
著者を責められなくなります。
「最初に言ったじゃん、論文じゃなくてエッセイみたいなもんだよって。それを承知で読んだんでしょ?」と。
うまいなぁ。
専門書でこんなの書いたら論文になりません。
新書だからできること。
そして、新書であるからこそ、簡単に書くことが求められる。
「ちょっと乱暴な議論かもしれないが、わざと簡単に書いている」というスタンスがとれる。

あとこの本が一歩進んでえらいのは、論理の世界の頂点である(と一般に思われている)数学界の藤原正彦が、論理を否定していることです。
僕が「小説で世界は変えられない」と言ったところで(言わないけど)説得力ありませんが、石田衣良が言うとなんだか説得力がある。
もちろん、みんなが興味ある分野の必要もあります。
「ラグビー日本代表のプレースタイルの品格」なんて誰も読まない。

以上まとめると、「ある分野で有名な人が、自分の専門分野ではない、多くの人が関心を持つ分野について、自分の武器を否定しつつ、ざっくばらんに語る」が、この本が売れた要因です。
著者がえらいってより、この企画を作った人がえらいのでしょう。

で、内容はどうかというと、やっぱり新しいことはない。
ベネディクトの『菊と刀』、リースマンの『孤独な群衆』、三島先生の『葉隠入門』を足して3で割って7がけして、他いろんな本を足してって1にした感じ?
これらをまとめて読めるってことでは便利だけれども、それぞれを読んだことがある人には、「そんなん昔から言ってんじゃん」で終わります。

要は、日本と日本人大好きで、昔の威厳を取り戻したいんだけど、民衆はほっといたらどうにもならんので、小さいころに葉隠でも読ませてエリート作って、政治家とか官僚にしようぜってことです。
まぁ、こう考える人が少しぐらいていもよろしいとは思います

真のエリートってのは、

1 文学とか哲学とか科学とか、なんの役にも立たないような教養をたっぷり身につけている
2 いざとなれば国家、国民のために喜んで命を捨てる気概がある

のが重要だと。

1については、今の国家公務員採用システムじゃあ難しいでしょう。
筆記試験で学力が要求され、官庁訪問では学歴が見られるわけで、学歴をつけるには受験勉強をしなくてはならず、教養に時間を割くのは難しい。
公務員試験では一応「教養」という試験があり、幅広い問題が出るのですが、あんなんちょっと勉強すれば合格できるので、「教養試験の点が高い」=「教養がある」ではありませんし。

2についてですが、今の政治家と官僚に足りないのは「敬意とプライド」だと思います。
民衆(官僚でも政治家でもない人)が政治家と官僚に敬意を持ち、政治家と官僚は金にならなくてもプライドで頑張る。
これが望ましい姿でしょう。
でも現実的には、汚職やらなんやらで敬意を持てず、いくら頑張っても尊敬されない政治家と官僚は金に走り、それでまた敬意がなくなり、という循環です。
この悪循環がどこから始まったのかは知りませんが、1970年代とか?

だいたいキャリア官僚がなんであんな薄給であんな激務なのかと。
働くモチベーションがどこにあるのかと。
・将来、天下れば金がもらえるから、生涯収入としてはいい
・国のために働くというプライド
すぐ思いつくのはこんなもんです。
プライドが得られなけりゃ天下りでモチベーションを保つ。
その天下りがなくなったら、どうやってモチベーションを保つんだろう。
官僚志望者は減るでしょう。
そうすりゃ確実に官僚の質は下がる。
それを防ぐには、プライドを復活させるしかないと思います。
どうすりゃいいのかはわかりません。

やっぱり国民全員で「葉隠」を読むしかないのか。


bookmanias at 22:29|PermalinkComments(0)TrackBack(0) その他の本 

2007年03月17日

『アンフェア the movie』 −アンフェアなのはあの人でした

今日公開のアンフェア映画版。
ここでネタバレしたら、読者どころかリアルな友人を失いそうなので、さすがに書きません。
ただ、あとの方で、内容には直接触れずに感想を書くので、それすら見たくない人は気をつけてください。

映画の公開初日に見に行ったのは初めてでした。
「どうしても早く見たかった」というのではなく、「ネタバレされる前に見たかった」。
某掲示板のニュース速報板なんかを開いた瞬間「アンフェアの犯人は○○でした」なんてスレッドのタイトルのネタバレされた日にゃがっかりだ。
あと電車の中の会話とか。
家に帰ってから見ようと思ってたスポーツの結果を、帰り道の電車で知ってしまうなんてのはよくある話。
世の中危険がいっぱいです。

しかし最大の目的は舞台挨拶。
せっかくなので、舞台挨拶つきの上映を見ようかと、2週間前に電話リダイヤルし続けて取ったわけです。

お台場の映画館で見たのですが、ビル1階に劇場があって、入り口の前の広場が数階分の吹き抜け。
劇場に入るのを待っているお客がそこにわらわらしているのですが、床に死体の模様がチョークで書かれてました(実際はチョークじゃなかろうが)。
アンフェアといえば死体のチョーク。
上から見た人しか気づかなかったと思いますが。
上映後は消されてたぽい。

挨拶に出てきたのは、監督の小林義則、篠原涼子、椎名桔平、濱田マリ、加藤雅也、寺島進、江口洋介、主題歌の伊藤由奈。
加藤ローサは?
成宮寛貴は?
阿部サダヲは?
瑛太は?
それでも豪華なメンツ。
一言ずつ挨拶したり、質問に答えたり。
役者のイメージは、椎名江口加藤はけっこう役柄がそのまま。
江口かっこいいなぁ。
他の人は違う感じでした。
寺島濱田は、本物はだいぶ軽い感じ。
濱田マリはよくあの役をやれました。
素との違いがすごい。
名演です。

篠原涼子は普通でした。
椎名江口なんかは立っているだけで迫力というか「キレ」があるんだけど、篠原普通。
過去に生で見た役者の中でも、一番普通だったかもしれない。
その辺にいてもたぶんわからないと思う。
逆に考えれば、それだけ演技がすごいってことです。
雪平役がこけたらひどいドラマになりかねないわけで、よく頑張った。
かっこよかった。
ほんといい役者になりました。
「いとしさと(略)」のころに、誰がこんなになると想像したでしょう。
あとは、演技をするとすごいのか、映像だからすごいのかってことです。
舞台を一度見たいものだ。

以下、ネタバレにならない程度に感想。
去年の4月7日の日記でアンフェア本編について書きましたが、僕がこのドラマに求めるのは「圧倒的な力」。
少しぐらい突っ込みどころがあろうが、少しぐらい「あいつもっと出せよ」とか思おうが、2時間圧倒的に楽しめたから、満足でした。
事件が次々起こって、怪しい人が怪しい行動をして、でも殺されたりして、犯人らしい人が実は犯人じゃないと思わせつつ犯人な気がしたりして、ストーリーは裏切られ、わけわからないけど、圧倒的に物語を引っ張る。
エンターテインメントの原点「先が気になる」の大切さを学びました。
完成度は正直あまり高くない。
客観的に、どれだけの名作かと言われれば、まぁ、普通?
でも僕は大好きです。
連ドラ、スペシャル、映画全部の「アンフェア」という世界がとても好きでした。
それでいいや。

映画見終わったあと、「これだけの脚本書いてみてーなー」と、かなり熱く思ったのですが、濱田マリがパンフで「観終わった後、私は全力疾走したくなりました」と書いていて、ちょっと嬉しかった。

最後はどうなんでしょう。
続編やるのかなぁ。
あれで終わるのも、アンフェアらしくてよいと思うのですが。

bookmanias at 22:51|PermalinkComments(0)TrackBack(0) その他 

2007年03月13日

宇多田ヒカル『UTADA UNITED 2006』 −圧巻

ウタダのライブDVD。
ほとんどがシングル曲という、ベスト盤的な構成。

もうただ一言。
すげぇ。
ウタダすげぇよ。

シングル曲が多いので、アルバムを聴くほどではない人でも十分に楽しめるはず。
Passion→This Is Love→Traveling
とつなぐ導入はまさに圧巻のエネルギー。
特にTraveling。
のびのびと遊ぶ。
「この曲が大好きだ」というのが伝わる。
1曲だけでも見る価値がある。
Colorsの艶。
Automaticの自在さ。
見所満載の1枚。

声が後半厳しくなったり、体力なくなってよろけてたり、MCぐたぐただったり、バンドはいるもののCDと同じバックコーラスが元から入っていてカラオケ的だったりはする。
でもそんなのを越える存在感。
表現力。
声を出すとか、振りをつけるとか、リズムに乗るとか、そんなのは手段であって、いかに観客を惹きつけるかは、結局のところ「いかに伝えるか」にかかっている。
それができてこそのアーチストだ。
数多の歌手どもは、彼女の「歌で表現する」ことを見習うべきである。
といっても学んで身につくものでもないだろうけど。
見てて思い出したのは吉田美和。
ただ、吉田美和に比べて影がある分、表現の幅は広い(はじけるパワーは吉田美和がが上)。
日本の女性ポップス界ではぶっちぎりにすごい。

あとはもう、声が出なくなったりしないような安定感か。
その辺は声が練れてくれば大丈夫と思う。
これからどう成長するのか楽しみだ。

演出は紀里谷がやっているらしく、やっぱり映像の使い方がいい。
彼らは離婚してしまったのだけれど、今後どうなるのだろう。
もうウタダのビデオは撮らないのだろうか。
紀里谷ウタダコンビはすごく好きだったので心配。

彼女にはこれからも「ジャパニーズ・ポップス」の道を歩んでほしい。
アメリカでUTADAとして出した曲も3曲あって、ライブとしてはメリハリがあっていいのだけれど、たとえばあの曲をエイミー・リーが歌ったとしたらと考えると、それはウタダの仕事でなくてよいだろうと。
今だって、面白い曲多くて、幅も広いわけで、「ジャパニーズ・ポップス」でだって十分楽しめる。

それとは別に、芝居やらないかなぁ。
大竹しのぶ級に育つと思うのだけれども。

bookmanias at 22:44|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 音楽 

2007年03月06日

秦建日子『アンフェアな月』 −もうすぐ映画始まりますよ

連ドラになり、スペシャルドラマになり、こんど映画になった「アンフェア」。
連ドラの最初の3話ぐらいの原作が、秦建日子(はたたけひこ)の「推理小説」。
「推理小説」の続編で、連ドラの残り部分以降とは全く違うストーリーなのが、この「アンフェアな月」。
ストーリー以前に設定が違う(アンフェアドラマで死んだ彼は生きている)ので、「登場人物だけ同じの、全く違うシリーズ」と考えたほうがいいでしょう。

無駄に美人な刑事の雪平夏見が、幼女誘拐事件を捜査する。

秦さん、もともと脚本の人です。
「天体観測」だとか「ドラゴン桜」だとかにからんでいる。
小説は「推理小説」が最初らしい。
ちなみに「推理小説」は読んでません。

で、「アンフェアな月」ですが、ストーリーは面白い。
無理やりな部分もあるけれど、先が気になるし、読み終えてもおおよそ納得できる。
しかし、小説としてどうなのか。

なにしろキャラが弱い。
「そいつはそんな話し方しないだろ」って場面が多い。
作者の中でキャラを作りきれていないのだ。

映像とか漫画とかの、視覚的な表現だと、読者の想像の余地は狭いわけで、少しぐらいイメージと違う発言をしたところで、そのキャラの発言として認識できるわけです。
たとえば、次のようなケースを考えてみましょう。

のびたがエラーをすると、ピッチャーのしずかは「やってらんないわ」とグローブをたたきつけた。

とか文章で見ると、「しずかちゃんはそんなキャラじゃねー」と思うわけです。
小説読んでてこう思ってしまったら、のめりこむのは厳しい。
しかし、頑張ってアニメ版しずかちゃんたたきつけシーンを想像すると、たぶんだんだん違和感なくなってきます(違和感があるうちは、想像する気合いが足りない)。

小説だと、読者は自由にキャラを設定するので、そこから外れると、受け入れ難い。
映像だと、読者はキャラを与えられるので、今までと少しぐらい外れていようが、「こんな面もあるのか」と受け入れてしまう。
ということで、映像畑の人が文章を書くと、「このキャラこんなセリフ言わねー」「行動がありえねー」となってしまう危険がある。
小説の「アンフェア」については、映像を見ている人は雪平=篠原涼子を設定して読んでいるため、文章でも具体的な想像がしやすい。
それでもなお、「ありえねー」部分がある。
小説にしないで映像にしときゃよかったのに。

この本、文章のフォントが変わったり、不思議な段組したり、真っ黒なページに白ぬきででかい文字を入れたり、視覚でも凝っている。
雪平の意識がなくなった場面でページの右半分真っ黒にするのは斬新だと思う。
しかし、この辺も、発想が映像的なんだなぁ。
小説としてはいまいち効果が弱い。

ドラマや映画の「アンフェア」が好きな人は、あまり期待しないことです。
連ドラみたいに、この本とそれに続く物語を映像化してくれないものだろうか。


bookmanias at 22:29|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 小説 

2007年03月03日

『I−lulu ミニライブ』 −これは売れる。 

池袋のHMVをうろうろしてたら、I−lulu(イルル)のミニライブが始まりました。
この人らです。
http://www.barks.jp/feature/?id=1000030060
新曲発売イベント。
I−luluはボーカル水島歌菜とギター片山義美の2人組。
バンド名はラテン語で「遠くまで」って意味があるそうな。
サイトの下の方でPVが見られるので、見てください。

ボーカルはかなり喉を開いた歌い方をします。
声の印象はmisono(day after tomorrowのボーカル、倖田來未の妹)に近いかな?
もっと繊細な歌い方をするし、音程もいいけど。
高音がけっこうきれいに出ます。
裏にかえすところもうまい。
まわしかたもけっこう好き。
低音がちょい弱いか。
もうちょっと下をきたえれば、かなりの歌唱力になるでしょう。
しかしちょっと動きすぎではないか。
全盛期の鬼束ちひろ並に動く。
おとなしい曲はもっとおとなしく歌う方がいいと思うなぁ。。

曲は、長尾大(Do As Infinityとかの人)がかんでいるらしく、それっぽい。
でももっと似ている人がいた気がするんだけどなぁ。
誰だ?
わかった人がいたら教えてください。
今日はアコギでした。
CDだと、ピアノやらストリングスやらが入っててかなり壮大な仕上げになってますが、アコギでもかっこよかった。

ライブの最初はあんま人もいなくて、手拍子あおってもあんま乗る人もいなかったのですが、終わる頃にはけっこうな人。
CD買った人へのサイン会も数十人の列。
せっかくだからサインもらいました。
土曜日のHMVはけっこうイベントをやっていて、たまに遭遇するのですが、CDを買ったのは初めて。

今回のシングルは映画「口裂け女」の主題歌になっているのですが、そんなの向き。
連ドラとかで使われそう。
そしたら売れるでしょう。

がんばってくれ。

bookmanias at 22:27|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 音楽 

2007年03月01日

ACIDMAN『green chord』 −なんだかんだいいつつ、やっぱりアシが好き

ACIDMAN5枚目のアルバム。
通称グリコ。
最近のシングルのカップリングに「second line」という、古い曲のジャズっぽいアレンジを入れているように、4枚目ぐらいから「おしゃれさ」を前面に出している感じ。
今回のも、激しい曲は少なく、全体におとなしい。

ACIDMANのアルバムは、よく言えば『聴いているうちによくなる』、悪く言えば『インパクトが弱い』のだけれども、今回は特にインパクトが弱い。
でも、2、3回繰り返して聴くと、だんだんなじんでくる。
(こういうのを「スルメアルバム」と言ったりしますが、この比喩は安直で嫌いなので、使わない)
というわけで、最初に聴くアルバムとしてはお勧めできません。
アシの激しい音好きの人にも、いまいちかもしれない。
赤橙とかイコールとかのミドルテンポ好きな人は好きだと思う

ちょっとケチつけるとすると、ボーカルがいまいちかと。
今までよりも、変に目立っている。
叫んだりは前の方が多かったのに、今回のはなんだか気になる。
もうちょっと楽器とのバランスを考えた方がよかったのではないか。
あと、発音。
とりあえず「music」をどうにかしろ。

しかしアルバムとしての完成度は高いと思う。
1曲ごとももちろんいいのだけれど、全部を通して1作品として聴ける。
彼らは今までもこだわってきたけれど、今回もよく調和がとれている。
シングル曲が浮いているという人もおりますが、いいと思うなぁ。

個々の曲だと、「Ride the wave」。
特に間奏。
あとシングル「スロウレイン」。
「calm」はもっと壮大にしてアルバム最後曲ぐらいのスケールにしてほしかった。

これだけアルバムが出ると、
「どのアルバムがいいのか」
「どれから聴けばいいのか」
という質問がされます。
5枚を簡単に言うと、

創→衝動 
Loop→地表 
equal→宇宙 
and world→世界  
green chord→内面 

な感じです。
曲のイメージもそうだし、歌詞もそんな傾向。

ギターロックの「創」、とっつきやすさの「Loop」、完成度の「equal」、リズム感の「and world」、味わいの「green chord」か。
やっぱり出た順番どおりに聴くのがいいかもしれません。もしくは3→1→2

アルバムごとに特色があるので、どれがいいかは変わる人がけっこう多いと思います。
こないだまでは「equal」が一番よかったのだけれども、だんだん「and world」がいい気がしてきた。

5月にはいよいよ武道館です。
売り切れるのだろうか。
できれば、ライブハウスがぎりぎり埋まるぐらいの人気でいてほしい。

bookmanias at 22:22|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 音楽