原口真智子のbookrack

西日本新聞に発表した書評をアップしています。

変わらない人間の深部  古処誠二『ビルマに見た夢』

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緊急事態宣言下、家にこもって増えていくのは情報と本ばかりという人も多いのではないだろうか。情報過多に疲れ果て、本に癒されながら、数か月前までは想像もしなかった状況を日々再認識する。世界は今、新型コロナとの戦争のまっただ中にあるのだと。

本書は、第二次大戦下、ビルマの山村に配備された兵站地区隊の軍曹、西隈が主人公である。80年近くも前の戦争だが、有事に問われる国家の在り方や、必要なものが手に入らないという資源の問題など、今と共通する現実は身につまされる。何より、ずっと戦争小説を書いてきた著者の追い求めるものは、いつの世も変わることのない人間の深部にある。人の心を考えるとき、80年の月日はまたたく間につながっていくのである。

日本軍には既に制空権はなく、ウ号作戦(インパール作戦)に向けて準備がなされている頃だ。野戦倉庫や迂回路の敷設などビルマ人の労働に頼らざるを得ない軍務の中で、覚えたビルマ語を駆使しながら、西隈はビルマというものを知っていく。

ビルマ人は、怠惰に見える。ビルマの男が着用するロンジーは筒状の腰巻きなので、駆け足もできないし、結び目がほどけるたびに巻き直す。およそ肉体労働に向かない不合理なロンジーだが、実は先人の知恵の結晶、つまりある意味で合理的なのだった。それはビルマ人にとってだけではなく、人間にとってかもしれないと考えさせられるだろう。

また西隈は、ペストを防ぐために奔走する。思わず今と重ねて読んでしまいそうな防疫問題だが、村の長老と予防接種を進める見習士官の対立は、この世の本質をえぐって胸に迫る。

さて、本書には10歳のビルマ人少年が登場する。「オイ西隈軍曹ドノ、貴様は寝てイロ」という具合に軍隊言葉の日本語を話す彼こそが、本当の主人公と言えるかもしれない。この知性と勇気を備えた少年が、ビルマの未来を彷彿とさせるからだ。

戦争を乗り越えて、いつか闇が明けていくことを信じさせてくれる一冊である。

       2020・5.16掲載

剥き出しで、不穏で、切なくて 山下澄人『小鳥、来る』

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 子供の頃に見ていた景色を思い出せるだろうか。懐かしく思い出しても、それが本当の景色ではないことをどこかで知っている。あの頃の心が見ていたものは、もっと剥き出しで不穏でとても切なかった。著者の描く少年に、なんとも形容しがたい共感を覚えるのは、体の底にその動物的とも言える体感を眠らせているからかもしれない。

小3の〈おれ〉は、狭いひと間のアパートに家族4人で住んでいる。いつもつるんでいるまーちゃんも、ひとつ年下のたけしも同じアパートだ。親が子供の頃には戦争があったという時代設定なので、〈おれ〉は昭和の子供である。まーちゃんは、百点を取れるのにわざと間違える子で、たけしは何度も車にはねられている子だ。他にも、毎日のように万引きをする上にけんかも強いしらとり兄弟や、空気を食べる癖のあるしんじなどもいる。

父親ときたら、仕事はしないし、機嫌が悪いと暴れて彼を叩くような男だ。一緒に釣りに行ったときなどは、またやられそうになったので、思わずその父親を突き飛ばして海に落とした。いずれにせよ、〈父とは一回やる〉、そう思っている。

大阪弁の子供の会話は、時折、詩的とさえ感じられるリズムで響き合う。子供の眼から見たままの、大人たちの反応。だがそれを読めば、そこに書かれてはいない、理不尽でやっかいな大人の世界がおのずと立ち上がってくるから面白い。

さて、著者の以前の作品、たとえば『壁抜けの谷』や『鳥の会議』に見られたような挑戦的な手法、時間軸や視点の移動についてはどうだろう。本書では抑えられているように見える。しかしエッセンスはあちこちに充溢し、会話の中に過去の会話がシンクロしたり、想像や思考がショートしたりする。それは子供の脳内の実相と言えるだろう。ということはつまり、子供のリアルそのものなのだ。

奇妙な大人のジョンが、こう言う。「小鳥が小鳥なんは小鳥のときだけやぞ」と。なぜか、納得せずにはいられないのである。

   
          2020・4・4 掲載 

 

どっちに転んでも私の人生    窪美澄       『たおやかに輪をえがいて』

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代、主婦、ホームセンターでパートをしている。反抗期には手こずった一人娘も今は大学2年生、サラリーマンの夫は定年まで6年だが、マンションのローンは繰り上げでほぼ完済しているから安心だ。主婦としてのこだわりは種々あるものの、大きなトラブルもなく、つましく穏やかに人生の日は暮れていく。

そんな普通の主婦、絵里子が主人公である。しかし、普通とは、穏やかとは、何と概念的な言葉だろう。厄介なこの世というものに、気づくか気づかないか、顕在化するかしないかだけで、実体はなんとも曖昧でおぼつかない。ある意味で本書は、穏やかな人生というものの本当の意味を考えさせる小説だとも言える。

さて、彼女に次々と押し寄せる荒波。夫は、こっそり風俗に通い詰めていたらしい。娘は、バイト先の店長とあやしい関係で、ドラッグが絡んで警察のやっかいにさえも。30年前に死んだ大好きな父には実は愛人がいたことが分かり、3度目の結婚をしている母は自分勝手だ。気づかなかった、あるいは気づきたくなかっただけかもしれない。家族という縁があっただけで愛だと言えるだろうかと、心もとなくなってくるのである。

時代の中でもがく女性を、正攻法で描き続けてきた著者ならではの構成。巧みな筆致と生身のディテールは、体温さえ感じられるくらいだ。

家を出た絵里子は、現在を懸命に生きる女たちとの出会いの中で変わっていく。受動的でネガティブだった彼女が、やがて、予期せぬほうに人生が進んでいくのが面白いとさえ思うようになるのである。〈どっちに転んでも私の人生なんだ〉と。さて、〈私の人生〉と言えるようになること、ある意味、それこそが本当に穏やかな人生なのではなかろうか。

絵里子がどういう選択をするか、これからどのように生きていくのか。さりげないラストの1行にこめられた光が、読後の胸に照り返してくる。

         2020.3.7掲載

 

ギャラリー
  • 変わらない人間の深部  古処誠二『ビルマに見た夢』
  • 剥き出しで、不穏で、切なくて 山下澄人『小鳥、来る』
  • どっちに転んでも私の人生    窪美澄       『たおやかに輪をえがいて』
  • 我々の「あるある」   絲山秋子『御社のチャラ男』
  • <言葉か音か>を超えて   髙尾長良『音に聞く』
  • 不思議と非日常の根っこ 小川洋子「約束された移動」
  • てんでに生きているようで  青山七恵『私の家』
  • 擬態する  川上弘美『某』
  • 消耗した日常の先に見える〈何か〉 乙川優三郎『地先』