41nOo-LT06L._SX340_BO1,204,203,200_


 思わず惹きこまれた本格的な森村誠一論である。エンターテインメントで、こうした文芸評論はまずあり得ないと思っていた。しかし森村氏に於いてはあり得るということがわかった。なぜなら、氏が戦う作家だからである。半世紀余の作品群に投影されるものは、常に変わりゆく時代のなかで、人間はどのように存在して、どのような生き方を選ぶのかという問題意識。つまり、〈時代と人間〉という通底した視点こそが森村作品の核心だと本書は解き明かす。

近代文学の潮流、純文学との対比、松本清張以降の社会派推理とそれを踏まえた上での本格推理の復権など、森村誠一を複層的にとらえ、さらに作品誕生の経緯や企みが著者の編集者としての眼で加味されて興味は尽きない。

貧しい日本を立ち上がらせた高度成長時代、必死で頑張った昭和を懐かしむ思いはむろんあるが、同時進行で企業への隷属、政官業の利権などのひずみが非人間性を生み出してきたことを思い知らずにはいられない。森村作品が浮き彫りにするものの大きさを痛感するだろう。

一九七四年、訪ねてきた角川春樹との出会いによってさらなるステップに踏み出す。「母さん、僕のあの帽子、どうしたでせうね」という西条八十の詩が彩る『人間の証明』の誕生である。作風がより文学的に変化しており、〈人間が人間として最後に残しうる心の尊厳〉を問う作品になっている。子供の頃の悲惨な体験で人間不信と憎悪にとりつかれた刑事が犯人を追い詰めるとき、本当は一体何を追い詰めていたのか。犯人の人間の心に賭けようとするとき、同時に胸の奥で何に賭けていたのか。その極限の思いが、刑事自身の〈人間〉をも証明していると言えよう。

さてその後も、戦争犯罪や狂信宗教などを断じて多くの作品が生まれたが、そのほとんどの解説を書いてきた著者が、文章の〈気〉について語るページに心をつかまれてしまった。なるほど、読者はこの〈気〉を受け止めるものなのかと…。いろんな意味で収穫豊かな森村誠一論である。

 

                   2018・2・25掲載