ガレージスタジオ

オリジナルデザインTシャツの web shop【ブーツ&スティックス】のダイアリー

2008年07月

切り戻し

 
 最近、このブログで身内のことを書きすぎているのでは?とか、
もっと自分のことを書いた方がよいのでは?という声が、うちの家族のなかの
一部から上がっています。

たしかに、僕がこれを担当するようになって10か月あまり経ちますが、
多少ポイントがブレてきたかも知れません。

このブログの目的というか役割は、どのような人間が
BOOTS&STICKS のTシャツを作っているのかを知っていただくことなので、
ここはひとつ原点に帰って、自分のことを書くことにします。

DSC03740のコピー
2008年7月28日現在の私です。
夏はたいがいこんな格好です。

着ているのは、ロゴT両面プリント、
アンビルのLサイズです。

3、4年前までは Live Longer T や
HOE DOWN T
を着ていました。

参考までに、身長は171僂任后

なにもいきなり自分の写真を、出すこともなかったのかも知れませんが、
百聞は一見にしかず、ですから。


ところで、話はがらりと変わってオリンピックの話なのですが、
もうじき北京オリンピックですけど、最近のオリンピックって
魅力がなくなってきている、と感じているのは僕だけでしょうか。

けっこう生きてきたので、何回もいろんなオリンピックを観ています。
だから、ちょっと飽きてきたのかも知れませんが、
サッカーのワールドカップは、同じ4年に一度でも全然盛り上がるし、
毎年行われるツール・ド・フランスも、毎年気になってしょうがありません。

僕が思うに、先日の突然の野球のルール改正に代表されるように、
商業主義が先行しすぎて、がちんこ勝負感が薄くなってきている
せいではないでしょうか。

水着の問題も、シラケてしまった要因のひとつです。
体型を水着で変えて好タイムを出されても、僕的には何か
違っているような気がしてなりません。
というか、あれ、はっきり言って反則だと思います。

聖火にしても、今回は世界中を回る必要はなかったと思います。
シンプルにアテネから北京の陸路を、聖火ランナーで
つなぐだけのほうがよかったと思います。

交通手段にしても、通信手段にしても、素材にしても、
加速度的に発達して、どんどん便利になり、高性能になっています。
過去に不可能だったものが、今では可能になっています。
しかし、ああいうこともできる、こういうこともできる、
とふくらましていくと、原点が霞んでいくような気がします。

オリンピックも「切り戻し」が必要なのでは・・・、と思います。


話は戻りますが、考えてみるとうちのTシャツは、僕がひとりで
作っているわけではないので、そういう意味では、こっちのほうは
「切り戻す」必要はないような気がしてきました・・・。

 

出番待ち

 
 以前、「店長の工作」ということで書いたと思いますが、
ちっこいプラスチックの置物を作っています。作るときは一日かけて
何個も作ります。最終仕上げは研磨布で磨くのですが、その作業は
Tシャツのご注文をいただくまでは残しておきます。

で、ご注文をいただくと、どれかひとつを選んで仕上げの磨きをかけて
発送の準備が整うまで、うちの本棚に並べておきます。

ある日のうちの本棚です。
ある日の本棚

出番待ちの「工作」がこんなに並んだのは、
初めてだったので写真を撮ってみました。

今週末

 
 今日は濃い一日でした。

今日明日と川口市で国際文化交流フェスティバルというお祭りがあり、
駅周りでいろいろと催し物やライブステージがあったりします。

午前中からブラスバンドやダンスチームのパレードがあり、
市のホールでは、色々な国の料理や、歌や踊りを観ることができます。
夕方からは、駅前広場でゴスペルやバンドのステージがあり、
午前中はブラスバンドだったコースを、今度は神輿が練り歩きます。
とにかく盛りだくさんなわけです。

プラス昨日今日とうちの町会の盆踊りがあり、ほかの町会でも
昨日今日もしくは今日明日と盆踊りがありと、市内のいたるところで
イベントが開かれています。

こういう日常空間が非日常空間に変わるときは、日常のなかに
非日常的瞬間を撮ろうとしている僕にとっては被写体の宝の山なわけで、
とても忙しくなるのです。

とはいうものの、フェスティバルやお祭りがそもそも非日常なのだから、
それを撮っても日常のなかの非日常的瞬間を撮ることにはならないといえば、
ならないのかも知れません。

では、ぼくのいう日常のなかの非日常的瞬間とはなにかというと、
写っているひとの表情がとてもよかったり、ひとの配置や構図が
ぴったり決まった瞬間で、それを非日常的瞬間といっています。

だけど、それって結局日常でしょ?と言われれば、日常なわけで、
また、祭りやフェスティバルはもともと非日常なのだから、ただ撮れば
いいのか?といえば、そうではなく、祭りやフェスティバルも日常の延長で
やはり、その中で決まった表情や瞬間を撮るのが、結局日常の、日常の延長の、
そしていってみれば非日常の、非日常的場面を撮るということです。

なんだかよくわからなくなってきました。

結局なんなのよ的なことをだらだらと述べましたが、
つまるところ、面白くて、いい写真が撮れればいいんです。

で、イベントが重なった今日は(誰に頼まれたわけでもないのに)
一日中、写真を撮っていて疲れました、という話です。すみません。

 

あとあとわかったこと2

 
 変なアメリカ人、アンドリューの話の続きです。

ある時、アンドリューはマンハッタンの中で象を見たことがあるという話を
しました。その象は、その時公演中だったサーカスの象だったらしいのですが、
問題はその状態でした。

英語の先生になる前に、タクシーの運転手をやっていて、夜勤明けの早朝に
サーカスの象を散歩させていたところを目撃したということなのですが、
この「タクシーの運転手」というのが疑問でした。

野球を知らない、投票に行かない、ふつうアメリカ人はやらない
ニューヨークのタクシーの運転手。

なんかアメリカ人じゃないみたいだな、と思い始めたころ、
授業の中でヨーロッパの話になった時だと思います。
彼が、「1956年、ヨーロッパでヒュージでトレメンダスな出来事が起こった、
なにがあったか知っているか?」
と意味ありげな表情で言いました。

まさか?・・・と思いながら、次の言葉を待っていると、

" In 1956, I was born.  ・・・ in Poland. "(やっぱり。)

と言うではありませんか。

ポーランド人でした。(全員アメリカ人じゃないじゃん。)

野球を知らない、のも納得。
投票しないのではなく、投票権がない。
10年前にアメリカに来て、タクシーの運転手からリムジンの運転手、
そして英会話の先生になったということでした。(けっこう、苦労してるんだ。)

そんなポーランド人英会話教師アンドリューが、ある日の授業中、二階にある
教室の窓から向かいのビルの一階にあるカフェを見下ろしながら、
独り言のようにつぶやきました。

「彼を見ろ。あそこでコーヒーを飲んでいる彼を。
 彼は自分のボス、ここの校長だ。」

そして、振り向きながら、意味ありげな表情で、ポツリと言いました。

"He is French."
 
(・・・・・・) 

はい。

というわけで、校長からしてフランス人でした。

もちろんステファンのようにニューヨーク出身の先生とか、
後に友達になったボストン出身、アイリッシュ系で早口のケリーなど
アメリカ人の先生もいることはいましたが、あとあとわかったのですが、
他にもブラジル人やコロンビア人の先生もいて、先生が全員アメリカ人というのは、
我々の勘違いだったのでは、と思えるほどでした。
(っていうか、もうどうでもよかったんですけどね。)
 
 

変わったアメリカ人

 
 英会話学校 ALCC を選んだのは、授業料が比較的安かったことや、
場所がぼくたちに都合のいいところにあったこともありますが、
決め手となったのは、パンフレットに書いてあった先生が全員アメリカ人
というポイントでした。

ネイティブなイングリッシュを学べると思いました。

マネージャーんとこの先生、ハレムキング・ステファンは、
生粋のニューヨーカーでスポーツや音楽にもくわしく、
授業も面白くて楽しかったようです。

一方うちのアンドリューの授業は文法が主体で、話の内容も政治や
世界情勢の話が多くてかたいものでした。
それがいっそう大人な感じを出していました、それなりに面白かったですが・・・。

でも、そのうち馴染んできて、2か月ほどたった頃でしょうか、
野球の話が教科書に出てきました。
すると、アンドリュー先生は野球のルールを知らないというのです。

アンビリーバボー(ちょっと古いですね)でした。
アメリカの男が、野球のルールを知らない!?

野球は見たことがない、というんです。
世の中、広いですね。こんなアメリカ人がいるんです。

また、ある時、ちょうど大統領選の前でしたが、
自分は共和党を支持すると言っていました。
民主党の候補はクリントン氏だったのですが、
クリントン大統領はありえない、なるわけがない、
プレジデント・クリントン、この響きはなじめない、
などと熱く語っていました。

しかし、そんな彼をみて、生徒のひとりが、
共和党に投票するんですね的なことを聞いたときには
「いや、自分は投票はしない。」と言いました。

あれだけ熱く語っておいて、投票しないだなんて変な人だと
思いましたが、こういうアメリカ人もいるんです。
 
 

あとあとわかったこと

 
 すこし前にニューヨークへ行ってきた人から写真をもらったことを
書きましたが、先週末には、いっしょに行った人からもアパートの写真を
メールで送っていただきました。ありがとうございます。

この方たちは、女性二人でご旅行されたらしいのですが、
なんのヘンテツもないアパートの入り口にむかって、日本人女性が
二人並んでカメラを構えるなんて、想像するとちょっと面白いですよね。
ドアマンたちは、さぞ不思議だっただろうと思います。


それはさておき、この間からニューヨークでのことをいろいろと
思い出していたのですが、僕たちは、この14丁目のアパートから
7番街を20ブロックほど上がったところのラマダホテルの
2階にあった ALCC という英会話学校に通っていました。

はいるときにクラス分けの面接があり、あとあと名前がわかったのですが、
ステファンという先生が面接官でした。
結果、僕はアンドリューという先生のクラスで、うちのマネージャーは
面接をしたステファン先生のクラスになりました。

僕たちは午後からのクラスにいっていたのですが、あとあとわかったのは
この午後のクラスは、アンドリューのクラスとステファンのクラスの二つ
しかありませんでした。

で、さらにあとあと気がついたのは、アンドリュークラスは比較的年齢層が高く、
ユーゴスラビアの医者とか、韓国の新聞記者とか、ロシアのアーティストとか、
カメルーンの大使館職員とか渋い大人な感じなのに対して、ステファンの
クラスは若い女性が多くて楽しそうな雰囲気、ということでした。

アンドリュークラスにも女性はいましたが、ステファンクラスのほうが
不思議なほど女性の割合が多くて、しかも若い娘がたくさんいました。

そして、これもあとあとわかったのですが、このステファン先生、
自分が面接をすると、若い女性は自分のクラスにいれ、それ以外は
アンドリューのクラスに送り込んでいたのでした。
 
 

小学生の勉強とは

 
 いよいよ夏休みです。と言っても小学校の話ですが。
夏休みというと、付いてくるのは宿題です。夏休みの宿題をこなす上で、
アリ派とキリギリス派に分けるとすると、僕はキリギリス派です。
毎日こつこつやるのではなく、ずーっと遊んでいて、最後にあせるタイプです。
(8月31日の夜10時から始めていました、毎年。)

それは置いておいて、勉強って国語、算数、理科、社会、その他授業中に
勉強するだけが勉強ではなく、休み時間に友達と遊んだり、みんなで同じものを
給食で食べたりするのも勉強だと思います。(キリギリス派のいいわけか・・・。)

とくに小学校は、子どもにとって最初に集団生活を勉強する場ですよね。
そして、学校は社会の縮図だとも思います。
そういう意味で、学校にいる時間すべてが勉強だと思います。

話は変わりますが、うちの子は金管にはいっていて、小太鼓を担当しています。
一週間後には駅前でパレードをします。それに向かって今までも練習してきたし、
あと一週間、夏休みにはいっても毎日練習に行く予定です。
ぼくはこれってすごく大事なこと、言ってみれば勉強だと思います。

毎日顔を合わせて練習をすると、連帯感が生まれるし、心の中に
口ではうまく言えませんが、大切なものが育つのではないかと思います。
これは子どもにとっても一生に一度のことです。
すごく大事だと思います。(キリギリス派、図に乗ってきた。)

また、別角度ですが、金管にはいって演奏できるというのは、権利だと思います。
権利を得たということは、同時に義務もしょったということです。
金管でパレードできるかわりに、うまく演奏しなければならない義務です。
うまく演奏するためには、毎回、練習に出なくてはいけません。
権利と義務は比例するということを知るのも、また勉強だと思います。

先ほども言いましたように、それまで積み重ねてきた練習、最初は合わなくても、
うまく合った時の喜び、そこから生まれてくる連帯感、それを共有する楽しさ、
それらを持っての、それらがあっての金管であり、パレードだと思います。
こういう経験をさせてもらうということは、いわゆる教室の勉強からは得ることのできない
貴重な「勉強」をさせてもらっていることだと思います。


それにしても、小太鼓とは、とっても BOOTS & STICKS 的楽器を選んでくれました。
ラッパなどと違って、叩けば音は出る単純な楽器ですが、
シンプルなものほど、ミスやアラが目立ちます。
(これは楽器に限らず、何にでも言えることですよね。)

6年生で金管で駅前をパレードなんて、ほんと一生に一度のことです。
キリギリス派としては、がんばってほしいです。

長々と私的考えを述べてしまいました。

内容的には、全然関係ないのだけれど、
一生に一度、でこの曲を思い出してしまいました。





天然ものにはかなわない

 
 今朝、うちのマネージャーが、洗濯したはずの靴下が片方ないと
騒いでいたので、やれやれまたかといっしょに探すことになりました。

こういうことは、よくあります。
たいてい床のすみにころがっていたりとか、洗濯機と壁の間に落ちていたりで
すぐ見つかるのですが、今日はそういうところにはありませんでした。

次に考えられるのは、他の洗濯物の中にはいっていることです。
しかし、すでに干してある洗濯物を2回も確かめたと彼女は言います。
だけどないんだよねー、すごい不思議?、と首をかしげます。
なかば怒っています。

でも、一応もう一回見ておこうかと、今度はぼくがベランダにいき、
なにげに娘(小6)のジーンズをふってみると、まるまったもう片方が
出てきました。

「えー、フシギ?、手品みたい。」と彼女は言います。
(不思議なのはあんたのほうじゃ、と僕は心の中でつぶやきます。)


手品みたいといえば、以前もこんなことがありました。

鍋を台所の上の棚にしまう時に、いつも必ず爪楊枝が降ってくると言うのです。
なんだか手品みたい、とその時も言っていました。

僕が思うに、彼女のすごいところは、ここで留まるところです。
手品をしているわけではないので、当然タネも仕掛けもないのに
なぜ爪楊枝が空中から降ってくるのかを、追及しない、しようとしない。
僕にとっては、このほうが不思議です。

しばらくはそのままにしておいたのですが、自分には未知なる力(空中から
爪楊枝を出す不思議な力)が備わっているのでは!、と思いこまれても
困るので、原因を探ってみると、なんのことはない、鍋を布巾でふいたあと
その布巾を持った手で鍋を棚にもどすので、布巾に鍋の隣に置いてあった
爪楊枝入れにはいった爪楊枝が数本ひっかかり、パラパラ落ちるということが
わかりました。

原因がわかっても、そんなところに爪楊枝なんかあったの?と言います。
(そこに爪楊枝があるのがいけない、みたいなニュアンスです。)
まあ、目の前にあるものが見えていないことは、とてもよくあることなので、
これに関しては驚きませんが・・・。
爪楊枝を棚の奥に置くことで、この不思議な力もなくなってしまいました。
 
 

お笑い好き

 
 このあいだ、娘(小6)がお笑い好きだと言いましたが、
これは僕の方のDNA かも知れません。
僕は高校生の時まで(正確には予備校生の時までですが)三重県にいて、
そこは言葉からして関西の文化圏で、テレビも吉本新喜劇とかを
やっていて、それを見て育ちました。

コアな関西人(つまり大阪出身の人なんですが)の方によると、
大阪では日常の会話の中でも話にオチを求められるそうです。
四六時中、すべらない話をしているわけですね。

三重でも、そこまでじゃないにしても、そういう傾向はありました。
どういうふうに話せばウケるかとか、ここでひとボケしようとか、
人を笑かそうとする気持ちは、いつも頭のどこかにはありました。

予備校は名古屋のほうに友人と3〜4人で通っていたのですが、
四日市から電車で30分あまり、その間まわりの他のお客さんは
退屈しなかったんじゃないかと自負しています。
(とくに内田君は面白かったです。)

うちの家族にしても、スキあらばボケ、スキあらばツッコミで
なにはなくとも笑いだけはありました。父は十数年前に亡くなりましたが、
母は健在で、笑いでボケるせいか、おかげさまで認知症にもならず
笑わせてくれています。

そういえば、僕が大学生のころでしたが、夏休みに帰省した時のことです。
玄関で靴を脱ぐか脱がないかのうちに妹がとんできて、数日前に母親が
指を切断する怪我をしたと言いました。
切断といっても左手の中指の指先、つめの部分だけだったのですが、
それまで家族の中でからだの一部をなくしたなんてことはなかったので、
僕なりにショックでした。

だけど、それを聞いたあと、僕の口からでた言葉は、「(人差し指と
中指と薬指と)長さがそろって、ちょうどええやん。」でした。

すると、それを聞いていた家族(そのときはまだいた祖母と父親、と母親)が、
「お前ならそう言うて、(こっちでも)言うとったとこやでえ。」と
口をそろえて大笑いでした。

ニューヨークのこと

 
 昨日ジムに行ったら、少し前に旅行でニューヨークに行ってきた人から
この写真をもらいました。
セコイアの玄関

一か月くらい前に、その人がニューヨークへ行くというので、
もし時間があればここに行ってみてください、と言っておいたところなのですが、
まさか本当に行ってくれるとは思っていませんでした。

ここは14丁目の7番街と8番街のあいだにあるアパート・セコイアの入口です。
ここの10階に、1992年から93年にかけて、僕たちは住んでいました。

なつかしいですね、ぜんぜん変わってないです。
こっちを見ている二人のうち、黒のジャケットに赤いネクタイの男性が
ドアマンで、青いシャツの人は管理人です。
人は、さすがに代わっているけれど、この格好は変わってないです。

ほんとによく行ってくれました。
うれしいです。ありがとうございます。

これで当時のことをいろいろ思い出しました。
まず、ロッキー・ホラー・ショーです。
このアパートの並びの3件ほど先、写真だと向かって右の方に
Nell's というナイト・クラブがあって、ロッキー・ホラー・ショーの
コロンビア役で出ていたリトル・ネルのお店でした。
ロッキー・ホラー・ショー



←右下のこの人です。


ロッキー・ホラー・ショーの映画を観たのは、87年に旅行で初めて
ニューヨークへ行ったときです。
レイト・ショーだったので、始まったのが夜中の12時で、ひとしきり
ロッキー・ホラーのフリークたちのコスプレショーで盛り上がったあと、
やっと映画がはじまり、終わったのが3時過ぎていたと思います。

今思えば、なんてことはないのだけれど、あの時はメチャ怖かったです。
なかなか映画は始まらないし、すごい格好をした奴らのバカ騒ぎ、
かなりビビりましたね。
早足で大通りに出て、タクシーを拾ったのだけれど、あの時のタクシーは
天国へ行く乗り物に見えました。
 
Profile
Recent Comments
Archives