明朝の5月28日(土)の参禅会より、永平広録は第6巻に入りますので、この機会に皆さんも是非ご参加下さい。お待ち致しております。
【参禅参話178】(只管打坐への誘い水)
本則は雪峰義存禅師と玄沙師備禅師の話頭です。
この二人は師資(師と弟子)であり、又た得度の師匠を同じくする、昆仲(兄弟)というとても親しい関係です。
その様子は伝灯録に残されている二人の古則公案にも現れています。それは雪峰禅師の言葉を、玄沙が補足する事によって、内容がより深く展開されて行くというものです。
本則は弟子の玄沙が、既に師匠の雪峰山を離れ、福州の玄沙院に住していた頃の話と思われます。
【師、一日、僧をして書を送って雪峰に上(タテマッ)らしむ】
玄沙がある日、手紙を弟子に託し、お師匠さんの雪峰禅師の元へ届けさせます。
【峰、緘(カン)を開くに、白紙三幅を見る】
雪峰禅師が手紙の封を開いて見ると、何も書いて無い、ただの白い紙が三枚入っていたというのです。
普通の手紙は頭語から始まり、時候の挨拶、相手の様子を気遣う文面があり、次に当方の様子を書いて、本筋の事柄を書くのが、一般的な手紙の書き方になります。
ところが玄沙の手紙には、それらの事柄が一切書かれておらず、ただ三枚の白紙が送られて来たのでした。
そこで雪峰禅師は、
【上堂し、大衆に呈示して曰く、会麽(エスヤ)】
その日の上堂で、玄沙からの手紙を修行僧たちに見せて、
「皆は、この手紙の意味が解るかね」と尋ねます。
すると修行僧たちは、この三枚に事寄せて、これは仏法僧の三宝を象徴しているのではないか。或いは我々の真実の歩みを妨げる、貪欲・瞋恚・愚痴の三毒の事ではないか。また輪廻の縁ともなる、身・口・意の三業ではないかなどと、それぞれ勝手に推測しているだけで、誰もハッキリと答える事が出来ません。
そこで雪峰禅師は、暫くして次のように言われます。
【良久して曰く、道うを見(キ)かずや、『君子は千里同風』と】
「お前たちは『君子はたとえ千里と隔たって居ても同じ風の中に居る』という話を聞いた事がないかね。」と、
さる23日、訪日されたアメリカのバイデン米大統領を、東京港区にある八芳園で、岸田首相の裕子夫人がお二人に茶道のお点前でもてなしをした事が報じられましたが、その席に飾られていたお軸に、この「千里同風」という言葉が書かれていました。
「内憂外患で、問題山積のアメリカと日本、たとえ千里万里と遠く離れていても、お互いに心はチャンと通じて合って居る」という意味で、飾られたものだと思われます。
ところで雪峰禅師は玄沙の事が「千里同風」だというが、いったい何に通じているというか、そもそもこの白紙の手紙には、どんな意味があるというのでしょうか。
昔から「便りがないのは無事な証拠」と言われています。つまり玄沙も無事息災、雪峰も無事息災で、お互い改めて報告する事もありません。しかしそれでは修行僧を導く事が出来ないので、玄沙は三枚の白紙の手紙を送った訳です。
転んで骨折した事(足の甲の骨を剥離骨折)も平常底、老いて歯が抜けるのも平常底、庭の草が茫々になる事も平常底、洗濯物が雨に濡れて、洗い直すのも平常底、そのように我々は因果の法には逆らえず、すべてお任せするしかありません。
そしてこの世に生まれた以上、我々の生・老・病・死する事は仕方がなく、特に驚く事もなく平常底です。
すべて平常底であれば、敢えて雪峰禅師に知らせる事も無いので、手紙を白紙で送ったのでした。
この手紙を受け取った雪峰禅師は、玄沙の言おうとした思いがハッキリと解ったので、『君子は千里同風』どんなに離れていても同じ風が吹いているように、思いはチャンと通じて合って居ると言われたのです。
そこで手紙を雪峰禅師に託された修行僧は、その足で玄沙禅師の処へ戻って、雪峰山での様子を報告します。
すると玄沙禅師は、
【山頭の老漢、蹉過するもまた知らず】と言われます。
「雪峰山の老漢も、すれ違った事さえも、ご存知ないようだな」と、
つまり玄沙の方は「お互いがそれぞれに違っている事をチャンと知っている事が『千里同風』というだ」というのです。
つまり自分を引き受けて生きるのは、この自分しかいないように、それぞれを生きるのはそれぞれの個々である事をチャンと知っている事が千里同風であると玄沙は言うのでした。(未来永劫 未得了得在)
【毎週土曜参禅会のお知らせ】
コロナ感染防止に万全を期し、休まず行なっております。初めて参加される方は15分ぐらい前までにお出で下さい。
【内容】
5月28日(土)午前6時~坐禅一炷(約45〜50分)・和尚の話(門鶴本永平広録第6巻414段上堂)・般若心経読誦、茶話会無し、7時頃までに雲散。
独参問答はLINEにて行います。
写真は内閣広報室提供の東京新聞より転載
バイデン大統領と岸田総理の間に「千里同風」と書かれた軸が飾られている