参禅参話185
《参禅参話185》2023年10月18日
例年より2週間近く遅れて咲いた金木犀。その香りが馥郁として本堂内まで満ちる好時節となりました。皆さんのご参加をお待ち致しております。
これは蘇軾(蘇東坡居士)と共に、宋の時代の二大詩人と称された高級官僚の黄庭堅(黄山谷居士)と、その師匠の晦堂祖心禅師のお話しです。
この黄山谷は、我々が朝・昼の食前に唱えている「五観の偈」を、敷衍した人でもあります。
また晦堂祖心禅師は、黄龍派の祖である慧南禅師の高弟で、師匠の遷化後に、その黄龍寺の席を継いだ人です。ですから本則は、江西省にある黄龍寺での逸話と思われます。
黄山谷が晦堂禅師に、
「どうか私に、仏法の真実へ至る近道を、手取り早く、指し示して下さい」という、まことに「虫のいい」お願いをします。
『五灯会元』の本文には「捷径」という字が使われているので、「近道」とか「はやみち」という事になります。もしそのような近道があるならば、誰でもが知りたいところですね。
当時はそのように、高級官僚たちが教養を磨く為なのか、スキルアップの為なのか、挙(コゾ)って参禅をするような時代でした。
「私は士大夫としての政務が多忙なので、手取り早く要所だけでも教えて下さい!」というのです。
もし仏法がそのような一夜漬けで、済むのであれば、今日まで決して存続しなかったのではないかと思います。
そこで晦堂禅師は、孔子の『論語』の言葉を喩えに持ち出され、黄山谷の「真実へ至る近道」の質問に答えます。
【祇だ仲尼(孔子)が、『ニ三子、我れを以て隠せりと為すか。吾れは隠す無し』というが如き】
それは「孔子が弟子たちに向かって、
『お前たちは、私が学問について、何か隠し事をしているとでも思っているのかね。しかし私は何ひとつ、お前たちに隠し事などしていないぞ』と、
言っているようなものだ」と、
戦後生まれの私には『論語』を読む機会が殆どありませんでしたが、超難関である官吏登用試験の科挙に合格し、「士大夫」となった黄山谷にとっては、飽きるほど学び、諳(ソラ)んじられる『論語』の一節だったと思います。
そして更に、晦堂禅師は、
【太史、居常(ヨノツネ)如何んが理論す】と。
「太史殿、普段あなたはこの言葉を、どのように理解しているのかね」と言って、黄山谷に言葉の意味を解釈させます。
【山谷、対(コタ)えんと擬す。堂曰く、「不是不是」】
ところが黄山谷は何度も解説するのですが、晦堂禅師は「駄目だ、駄目だ」と言って、どれも肯(ウケガ)いません。
黄山谷は、
【迷悶(メイモン)してやまず】と、
いままで挫折した事もなく、高級官僚にまで昇り詰めた黄山谷は、いったいどうしたら良いのかと迷い悩んで、行き詰まって仕舞います。
それからしばらく経った秋のある日、お師匠さまの晦堂禅師に付き従って、山路を歩いていると、険しい崖の上に生えている一本の木犀の花が満開に咲き、あたり一面に馥郁とした香を放っていたのです。
私は曾て中国の広西省チワン族自治区の桂林を訪れた事があります。丁度10月下旬の今頃、木犀の花が満開の時節でした。
市内の街路樹など至る所に、この桂の花(木犀)が咲いていました。そもそも「桂林(ケイリン)」とは、木犀の林の意味だという事を、その時に初めて知り、町中がこの木犀の花香に包まれていた事を思い出します。
そこで晦堂禅師が言われます。
【木犀の花の香りを聞(キ)くや】
お前さん、この木犀の花の香が匂うかねと。
黄山谷は、
「ハイ!チャンと匂います」と答えます。
そこで晦堂禅師は透かさず、
【吾れ、隠すこと無き】と、
ここにおいて、黄山谷も真実に目覚める事が出来たのでした。
木犀の花はチャンと時節が来れば綻び、一生懸命に咲いているだけで、決して我々に褒められようとか、他に誇ろうと思って咲いている訳ではありません。
そこには人間的な取引もなく、只管(ただ)咲いているだけです。それは木犀の花に限らず、目の前に展開しているあらゆるものが「本来の姿」をチャンと行じています。
ところが我々は、いつも自我のフィルターを通して、探し物をしたり、選り好みをしているので、中々その事実に、気付く事が出来ません。
ところがこの黄山谷は、何度解説しても晦堂禅師に、すべて駄目出しされた事によって、自我のフィルターがすっかり破られ、さらに「吾れ、隠すこと無き」と言われた事により「本来の姿」に、「生きている事実」に立ち帰る事が出来たのでした。
この只管打坐の坐禅も、同じように自我のフィルターを通して探し物をしたり、選り好みをしたりという、自分の仕事を一切しないので、
何事も隠す事なく、木犀の花香が匂えば、チャンと嗅ぐ事が出来、またスズメが鳴けば、チュンチュンと聞こえ、カラスはカーカーと聞こえて来ます。
そして寒くなれば、身体の方はブルブルと震え、暑くなればチャンと汗が流れて来ます。このようにあらゆるものが隠し事も無く、ありのままに展開されている事に気が付く筈です。
参禅参話178
明朝の5月28日(土)の参禅会より、永平広録は第6巻に入りますので、この機会に皆さんも是非ご参加下さい。お待ち致しております。
【参禅参話178】(只管打坐への誘い水)
本則は雪峰義存禅師と玄沙師備禅師の話頭です。
この二人は師資(師と弟子)であり、又た得度の師匠を同じくする、昆仲(兄弟)というとても親しい関係です。
その様子は伝灯録に残されている二人の古則公案にも現れています。それは雪峰禅師の言葉を、玄沙が補足する事によって、内容がより深く展開されて行くというものです。
本則は弟子の玄沙が、既に師匠の雪峰山を離れ、福州の玄沙院に住していた頃の話と思われます。
【師、一日、僧をして書を送って雪峰に上(タテマッ)らしむ】
玄沙がある日、手紙を弟子に託し、お師匠さんの雪峰禅師の元へ届けさせます。
【峰、緘(カン)を開くに、白紙三幅を見る】
雪峰禅師が手紙の封を開いて見ると、何も書いて無い、ただの白い紙が三枚入っていたというのです。
普通の手紙は頭語から始まり、時候の挨拶、相手の様子を気遣う文面があり、次に当方の様子を書いて、本筋の事柄を書くのが、一般的な手紙の書き方になります。
ところが玄沙の手紙には、それらの事柄が一切書かれておらず、ただ三枚の白紙が送られて来たのでした。
そこで雪峰禅師は、
【上堂し、大衆に呈示して曰く、会麽(エスヤ)】
その日の上堂で、玄沙からの手紙を修行僧たちに見せて、
「皆は、この手紙の意味が解るかね」と尋ねます。
すると修行僧たちは、この三枚に事寄せて、これは仏法僧の三宝を象徴しているのではないか。或いは我々の真実の歩みを妨げる、貪欲・瞋恚・愚痴の三毒の事ではないか。また輪廻の縁ともなる、身・口・意の三業ではないかなどと、それぞれ勝手に推測しているだけで、誰もハッキリと答える事が出来ません。
そこで雪峰禅師は、暫くして次のように言われます。
【良久して曰く、道うを見(キ)かずや、『君子は千里同風』と】
「お前たちは『君子はたとえ千里と隔たって居ても同じ風の中に居る』という話を聞いた事がないかね。」と、
さる23日、訪日されたアメリカのバイデン米大統領を、東京港区にある八芳園で、岸田首相の裕子夫人がお二人に茶道のお点前でもてなしをした事が報じられましたが、その席に飾られていたお軸に、この「千里同風」という言葉が書かれていました。
「内憂外患で、問題山積のアメリカと日本、たとえ千里万里と遠く離れていても、お互いに心はチャンと通じて合って居る」という意味で、飾られたものだと思われます。
ところで雪峰禅師は玄沙の事が「千里同風」だというが、いったい何に通じているというか、そもそもこの白紙の手紙には、どんな意味があるというのでしょうか。
昔から「便りがないのは無事な証拠」と言われています。つまり玄沙も無事息災、雪峰も無事息災で、お互い改めて報告する事もありません。しかしそれでは修行僧を導く事が出来ないので、玄沙は三枚の白紙の手紙を送った訳です。
転んで骨折した事(足の甲の骨を剥離骨折)も平常底、老いて歯が抜けるのも平常底、庭の草が茫々になる事も平常底、洗濯物が雨に濡れて、洗い直すのも平常底、そのように我々は因果の法には逆らえず、すべてお任せするしかありません。
そしてこの世に生まれた以上、我々の生・老・病・死する事は仕方がなく、特に驚く事もなく平常底です。
すべて平常底であれば、敢えて雪峰禅師に知らせる事も無いので、手紙を白紙で送ったのでした。
この手紙を受け取った雪峰禅師は、玄沙の言おうとした思いがハッキリと解ったので、『君子は千里同風』どんなに離れていても同じ風が吹いているように、思いはチャンと通じて合って居ると言われたのです。
そこで手紙を雪峰禅師に託された修行僧は、その足で玄沙禅師の処へ戻って、雪峰山での様子を報告します。
すると玄沙禅師は、
【山頭の老漢、蹉過するもまた知らず】と言われます。
「雪峰山の老漢も、すれ違った事さえも、ご存知ないようだな」と、
つまり玄沙の方は「お互いがそれぞれに違っている事をチャンと知っている事が『千里同風』というだ」というのです。
つまり自分を引き受けて生きるのは、この自分しかいないように、それぞれを生きるのはそれぞれの個々である事をチャンと知っている事が千里同風であると玄沙は言うのでした。(未来永劫 未得了得在)
【毎週土曜参禅会のお知らせ】
コロナ感染防止に万全を期し、休まず行なっております。初めて参加される方は15分ぐらい前までにお出で下さい。
【内容】
5月28日(土)午前6時~坐禅一炷(約45〜50分)・和尚の話(門鶴本永平広録第6巻414段上堂)・般若心経読誦、茶話会無し、7時頃までに雲散。
独参問答はLINEにて行います。
写真は内閣広報室提供の東京新聞より転載
バイデン大統領と岸田総理の間に「千里同風」と書かれた軸が飾られている







