
第32則 太原父母未生

工事中の投子寺(2016年10月23日参拝)
第10則 青原答西来意(せいげんとうせいらいい)
[本則]
青原和尚、因僧問、如何是祖師西来意。師曰、又恁麼去也。僧又問、近日有何言句、乞師一両則。師曰、近前来。僧近前。師曰、分明記取。
[和訳]
青原和尚。因みに僧問う、「如何なるかこれ祖師西来の意」。師曰く、「また恁麼に去(ユ)けり」。僧また問う、「近日、何の言句かある。師に一両則を乞う」。師曰く、「近前し来たれ」。僧、近前す。師曰く、「分明に記取せよ」。
[たより]
第一則の「青原拈払子話」に登場した青原行思禅師のお話です。
その青原和尚にある修行僧が質問した。
因みに僧問う、「如何なるかこれ祖師西来の意」
「達磨大師がインドからはるばる中国へやって来て、お伝えになった真実の教えとはなんでしょうか」という意味です。この「如何なるか仏法の大意」とか「如何なるかこれ祖師西来の意」などは禅門における質問の常套句です。
そこで青原禅師は、
師曰く、「また恁麼に去(ユ)けり」
「そのように行きなさい」と言われるのでした。
つまり目の前に居るお前さん自身がそうではないか。あなたが「祖師西来」として生きているではないかという意味になります。
どうも我々は自分の外に「仏法の真実」があるような気がして、いつも外見ばかりして、物事を追い求めています。
宋時代の「戴益」によって作られた有名な『探春』という詩があります。
尽日尋春不見春(尽日(ジンジツ)春を尋ねて春を見ず)
杖藜踏破幾重雲(杖藜(ジョウレイ)踏破す幾重の雲)
帰来試把梅梢看(帰り来って試みに梅梢(バイショウ)を把って看れば)
春在枝頭已十分(春は枝頭(シトウ)に在って已に十分)
[拙訳]
春を探し求めて、藜(アカザ)の杖をつきながら、山河を越え、そして幾重にも重なる雲を眺めながら歩き回ったが、結局、春にめぐり会う事が出来なかった。ところが我が家に帰って庭先の梅の梢を手に把って見たら、蕾がすっかり膨らんでいて、春の気配を已に十分示していた。
作者である「戴益」については、あまり詳しい事が伝えられていません。ただ北宋時代の学者でこの『探春』の一首で世に名を残しています。
この『探春』で言いたいのは、我々の眼は外向きに付いていて、いつも外ばかり探し回っているというのです。
そこで青原禅師はこの修行僧に、
「また恁麼に去(ユ)けり」
「お前さん自身が『西来意』なのだから、そのまま行きなさい」と言われるのでした。
しかしそれでも真実に目覚める事が出来なかったこの修行僧は、また質問をします。
僧また問う、「近日、何の言句かある。師に一両則を乞う」
そこで青原禅師は、
師曰く、「近前し来たれ」
「近くに来なさい」と、つまり「苦しゅうない!近こう寄れ」と、この修行僧に言ったのです。
すると、
僧、近前す
この修行僧は躊躇なく、そして何の疑いもなく、言われた通りに青原禅師の近くまで進んで行ったのでした。
つまりお前自身がその人ではないか、お前自身が「今」「此処」に生きている「西来意」そのものではないか。「仏法の大意」ではないかというのです。何をキョロキョロしているのかというのです。
これ盤珪禅師の晩年の六十八歳の冬の話です。盤珪禅師の名声が益々高まり、岡山の三友寺で結制を行うと、盤珪禅師の御説法を聞こうと近在から多くの人達が集って来たといいます。この三友寺の近くには他宗の大寺があり、その寺の僧侶が盤珪禅師の徳望を妬んで、何人かの檀家信者を引き連れ、その三友寺にやって来ます。その僧侶はとても博学であったのに対し、盤珪禅師はあまり学問に秀でた人でないと聞いていたので、その僧侶は「私が難問を言えば決して答えられるまい」と、高をくくってやって来たのです。
最初は盤珪禅師の御説法を聴衆の後方で聞いていたのでしたが、中途に至って大きな声を出して質問をはじめたのです。
「多くの人々が貴僧の説法を聴聞しに信仰しているが、某甲は貴僧の説法に承服が出来ない。私のように承服が出来ない者を、貴僧はどうお救いになさるのかな」というのです。
そこで盤珪禅師は、その僧に向って持っていた中啓で手招きしながら「もう少し前へ出られよ」というと、
その僧は盤珪禅師に言われた通り、素直に前に出て来たのでした。そしてさらに、
「もうちょつと前へ」と盤珪禅師に言われると、その僧は前へ進み出たのでした。
そこで盤珪禅師は、すかさず「チャンとあなたは良く承服しているではないか」と言われたのでした。その僧は一言も言えずに、スゴスゴと退出して行ったというのです。
青原禅師は「他人事のように、いつも余所見ばかりをして、人生を歩むのではなく、自分自身を
チャンと引き受けて生きなさいよ。その事をハッキリと記憶しておきなさい」と言われるのでした。
この修行僧がはたして真実に気が付いたかどうか、分かりませんが、これはとても親切な古則です。