2006年01月

2006年01月26日

ぎゅうひ

b7bdbfe9.jpgパソコン相手にカリカリやっていると無性に甘いものを食べたくなることがある。ソフトクリームとか胡麻最中とかぼちゃプリンとかローカルだが、「たまちー」とか・・・・。
昨日は差し入れの上野「みはし」のあんみつを食べた。

原材料の表示には、寒天、小豆、赤えんどう、砂糖、白玉粉、みかん、酸味料と書いてある。杏やさくらんぼやぎゅうひ が入っていないのがいい。これらは黄色と赤と白のきれいな飾りみたいなものでただの色使い、どうせ食わないわけだが、値段の中と思うとシャクだし、なんて思いつつ中身を見たらぎゅうひ みたいなものが入っている。
舌先で触れちょっと噛んでみたが白玉ではない。確かにぎゅうひ のようだがかつての飴駄菓子のイメージと異なり、ねっとりした感じもないし甘さもない。

というわけで全部食べたのだが材料にぎゅうひと書いていない。ぎゅうひって一体なにどういう漢字を当てるのだ、早速調べてみた。
ぎゅうひは「牛皮」改め「求肥」で、米を粉にしてゆっくり火を入れ、火が通ったところで上砂糖をいれて練る。練り加減が難しいらしいが、米かい?といった感じである。

覚えていた味とは違っていたがいづれにしてもうまいという代物でないわけで、あんみつの甘さの口直しだろうということは容易に想像できるが、それにしてはずいぶん手間をかけている。いくらでも他の簡単なもので代用できるだろうに。

オクサンにこんなものを好んで食うひとがいるのだろうかと聞いたら好物だという。そういえば味もしない粟ぜんざいの粟が好きだと言っていたのを思い出し、粟なんぞ食ってうまいんかい!と言ったらアンタの味覚のほうがおかしいと言われ、アワを食った。


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2006年01月25日

鷽替神事

20b47c2e.jpg毎年1月24日は鷽替神事の日である。
義母の命日に当るのでお花茶屋のお墓にお参りし、お寺の前からバスで新小岩へ、新小岩から総武線に乗り亀戸で降りる。亀戸天神の鷽替神事に行くことがここ数年の習慣となっている。

鷽替神事は去年のいやなことは全部ウソよ、都合の悪いことは鷽に預け、新しい鷽に今年のマズイことの責任を押し付けてしまおうという大変便利な行事で私は大好きである。
ダルマやお酉さんの熊手と同様、毎年少しずつ大きくしていくのが正しい作法なのだがワタクシ宅ではいつも同じ大きさである。
クソ寒い中2時間も並ぶわけだから神様も大小で差をつけることはないだろうというのがオクサンの考えであるが、などと言いつつホントはもったいないからに違いない、と思ったり、1月24日が平日の年は私は行かないからご利益はオクサンだけかもしれない、と思ったりしている今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?(きっこの日記のマネ)
写真はオクサン撮影。

・・・・そんなわけで、ミヤゲの「みはし」のあんみつを事務所でいつ食おうかなとぼんやり考えているワタクシであります。


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2006年01月23日

新パソコン顛末

161821d7.jpgニューフェースが入ったきた。フォーワン製PC「GENESIS Ultra5(MicroATX仕様)」。
フォーワンはビデオ編集用パソコンやプロ用ビデオ機器・放送機材を扱う業界で特機屋と呼ばれる(らしい)店で、以前無理を言って事務用のPCを作ってもらった経緯があって今回もここに頼んだのだ。
CPU:Pentium4.3 2GHz FSB800(LGA775)
マザーボード:GIGABITE GA-81945GMF
メモリ:DDR2 533 RAM 1GB
HDD:7200rpm 160GB
OS:WindowsXP Professional

よくわからんが性能は高そうだ。事務用としてはオーバースペックのようだがソーテックで懲りているので、まずは安心が第一なのだ。
動作は極めて軽快である。今使っている事務用PCより軽快かもしれない。がっ、翌日電源を入れたら異音がする。回転音ではない、警告音かブザーのようである。耳を当てたりあちこち見たがどこから発生しているのかわからない。

担当の森田があわててやってきた。社長のボケがとか(社長が組み立てたらしい)、バイオスがどうだとかぶつぶつ言いながらキーボードをかちゃかちゃやること1時間、解決した。
何でも、低い気温の中で電源を投入した場合、PC自体が冷えているのでファンを回す必要がない。ファンが回らないと警告音を鳴らす設定になっていたそうで、設定を変えたからもう大丈夫でしょう、だと。
あのな!と思ったが、まあ直ったからよしとした。

土曜日の午後だったし、昼飯もとらずに来たらしいので、じゃあと小僧寿しのテイクアウトでビールを出したのがまずかった。
毎度だが森田は呑みだすと止まらない。私も嫌いじゃないからふたりでズルズル。4時に顧客が来てホームページ制作の打ち合わせがあることをすっかり忘れてしまっていた。

4時に顧客がやってきた。見るなり「表に出ろ」と言う。外は雪だなあとぼんやり考えていたら近くの寿司屋を予約してあるから今すぐ事務所を閉めて一緒に来い、ついでに森田も一緒に来いということになって、3人で繰り出すことになった。
寿司屋の座敷には3人分の席が用意してあって真ん中にタラバガニが一匹デンとある。この顧客と呑むのは初めてだったがたいへんなオヤジで(細かいところは伏すが)、あとは3人でズルズルのべろべろ。気がついたらスナックで歌っていた。
打ち合わせってなんなのだ。

という次第でオクサンと約束していた飲み屋をすっぽかしてしまった、連絡せず・・・・・・・
翌日日曜日は全く口を聞いてもらえませんでした。
おまけに今朝パソコンに電源を入れたらまた音がなっているではないか。ほとぼりが冷めるまでしばらくは森田を呼ぶわけにいかないから、どうしよう。梱包して送るしかないか。
オクサマだけは大事にせないかんと思っている今日この頃でございます。


2006年01月19日

三行半!

d02f16f0.jpgきょうでお別れでございます。ワタクシのところに来て以来、ずっと迷惑をかけられ続けてまいりましたが本日付けをもって出て行ってもらうことにいたしました。
お互い1年ほど前からほとんど会話したこともなかったのですが、二度と姿を見ずにすむかと思うともう我慢の限界でしたから嬉しくてたまりません。ヤッホーてな気分でございます。

本当にひどい4年間でございました。ひとつひとつ挙げていけばきりがなく、また腹が立ちますのでやめておきますが、ぢつはワタクシのところに来た最初の日から来てもらったことを後悔していたのです。

朝押してもなぜか起きない。ふたつ以上のことを頼めばうなり声をあげたままなぜか固まってしまって動かない。きょうはもういいよと言っても言うことを聞かずなぜかまた固まってしまう。気分屋で、とにかくしょっちゅうフリーズする。蹴飛ばしたろかと思うこと数知れず。
あれもできるこれもできるという能書きを信じたのがワタクシの不徳でございました。あとから聞いたら素性の悪さは折り紙つきだったではないですか。ソーテックSOTEC-G387AV。パソコンですけど。

というわけで明日は事務所に新しいパソコンが来る。オクサンの専用機。ちゃんと操作を覚えてくれないと三行半だぞ。

2006年01月17日

友人Aの悲劇

f86a78c2.jpg「経営していた会社が倒産。」
債権者から追いまわされ
とうとう妻から離婚され
子供らからも見放され
家財一切持ってかれ
家の中はがらんどう
さいふの中もがらんどう
オマケに暴飲たたり肝硬変
2ヶ月入院見舞いゼロ。
職安通いも年齢で
未だ就職ままならず
嗚呼殺伐を絵に描いたような図であるな。

そんな友人がふらりと事務所にやって来た。同情したかって、いいえ全然
「だれうらむことはない 身から出たサビだなあ(相田みつお)」

オクサマだけは大事にせないかんと思っている今日この頃でございます。
写真はワタクシ宅の仏壇の大日如来像。だいぶ前にブログ用に撮ってあったのだが、うまくはまった。


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2006年01月13日

川崎市東渡田の記憶

2bc39121.jpg神奈川県川崎市東渡田(ひがしわたりだ)3丁目35番地は私の出生地である。
川崎を小学3年の夏に離れ、私は今葛飾区の堀切を現住所としているが、当地を含め転勤など短い期間も入れれば都合8度住まいを変えている。
そのためか川崎の記憶は希薄だ。というより綺麗さっぱり覚えていない。子供のころの記憶はその土地で生活し続けることによって時系列的に残るのもので、強烈な印象を除けば町並みやひととの関係といった環境が途切れるとともにいずれ消えてしまうものだと思う。
一度も住まいを変えず生まれた場所を地元としている友人達の話しを聞くたびその記憶力には驚くばかりだが、友人達に言わせれば私のほうがよほど驚きの対象なのだという。

小学1年のとき同級生の一番の友人、小林正男君が死んだ。精神病院から一時帰宅していた兄が寝ている家族5人全員をナタで撲殺、その後自宅を全焼させるという事件があったのだが小林君はその被害者のひとりだった。
事件の当日私の家に遊びに来ていた小林君と私は喧嘩し小林君は帰っていったが、その日の夕方小林君は改めて家に来て、喧嘩のお詫びと、遠いところに行くのでもう一緒に遊べないことを告げて戻っていった。
母は、引越しや転校のことなど聞いていないし、おかしなことを言うと思ったそうだ。
その後私はずいぶん長く、夜小林君の姿を見てうなされることが続いたのだが、事件の場所近くに鎮魂のための親子地蔵が建てられて以来それは消えた。

子供のころの記憶には、自分の記憶なのか、後に記憶として刷り込まれたものか判然としないところがある。唯一川崎の記憶としてある先の顛末にしてもそうだ。
「“忘れる”という神が人間に与えてくれた恩恵」とは何かの本で読んだが、この年になってみると良い思い出も、忘れたい悪い思い出もまた刷り込まれた思い出であっても、多くの記憶を持続している友人達を羨ましいと思う。

昨年暮れ、たまたま川崎の取引先を訪問することになったので、空いた時間を利用して親子地蔵のあった場所を見に行った。
東渡田は田島町と町名が変わり、町並みも大きく変貌していたのでとうとう見つけることはできなかったが、これは子供のころの記憶というより地理感覚においての私の記憶力の欠如の証明だろう。改めて行って来ようと思う。
写真は通っていた渡田小学校。無論当時の面影はない。

(追記)
記憶がなくてよかったと思うことがひとつある。酔ってクダ巻いたことを覚えていないこと。どんな恥ずかしい発言であったとしても記憶にないから反省しなくてすむ。私がそんな発言をするわけがないって言えば済むのである。
テーマから離れるがその意味では「忘れる、という神の恩恵」に感謝している。

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2006年01月12日

渋谷区本町6丁目

069ed1b4.jpg毎年松が取れるころ行なっている小学校の仲間の集まり。
今年は当時住んでいた家の近く、渋谷区本町不動通り商店街にある焼肉屋が会場だったので、少し早めに行き家があった跡を見に行くことにした。

渋谷を離れたのが中学3年の夏だったから40年以上経っているのに界隈の家並みはほとんど変わっていない。目を上に向ければ近くの初台のオペラシティーや新宿の高層群が睥睨するように建っているのが見え風景は一変しているが、ここだけは時代から取り残されたように沈んでいるようだ。もっとも夕方で薄暗かったから特にそう感じたのかもしれない。

不動通りから路地に入る。天理教の分教場の隣だったから家があった場所はすぐにわかった。
家の跡地は「ステラハイム本町」というマンションに変わっていたが、鈴木医院も東洋微生物研究所も粕谷茂事務所もそのままの場所に建っていて、懐かしく、路地を何度も行きつ戻りつしていたら天理教から人が出てきて声をかけられた。不審者と思われたらしい。
事情を説明すると私の母を知っているひとが中にいると思うから寄っていけという。お礼を言って早々に退散したがありがたかった。

天理教とは縁はないけれど母の記憶を持っているひとがここにいたかもしれないと思っただけで、どうということもないのだが妙に嬉しく、とても良い気分で会場に向かうことができた。
その後呑み過ぎたせいか、ぢつはブログを書き始めるまでこの一件をすっかり忘れていた。思い出せてよかった。


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2006年01月11日

湯呑み茶碗

c7c25ff3.jpg「めおと茶碗」は同じデザインのペア茶碗でオット用の茶碗のほうが少し大きい。大きいほうがオット用とは書いていないがそういうことになっているらしい。普通の夫婦はオットの方が背丈もあるし、体重もあるから多く水分摂取が必要だからか、それとも「妻は夫にしたいつつ・・・」の流れでオットを立てているのか特に考えたことはないけれど、いづれにしてもウチの場合はオクサンの湯呑み茶碗のほうが私のものよりはるかにでかい。

誤解のないように言っておくと私よりオクサンのほうがエライというわけではない(絶対に)。私がほとんどお茶を飲まないから入れるだけ勿体無いという理由から自然にそうなっただけのことである。結婚当初は私の湯呑み茶碗のほうが大きかったように思う(たぶん)。

ワタクシ宅では湯呑み茶碗の大きさは家庭内での力関係の強弱を象徴しているわけではなく、単にお茶を多く呑むか呑まないかのつまり私は何が言いたいのかというと・・・、なんでしょうかね。


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2006年01月08日

刺身三種盛り

8c2fafae.jpg写真は堀切のモツ焼き「後生楽」の刺身。
今回のチョイスは生レバ、生タン、ガツ。モツ焼き屋だから無論すべて豚である。ニンニクとカラシで食う。1種類200円。3種盛りにしてこれで600円。早い安い旨い。

焼きものはシロ、アスパラ肉巻き。一品でホルモン(キャベツとホルモンの炒め物)、キムチポッカ(キムチと豚肉の炒め物)。
ビール大瓶3本、焼酎白波のお湯割り(梅干入り)4杯。ふたりで5000円でおつりが少し。
今年も月/2で通いたい。

2006年01月07日

七草粥

0af0c8de.jpg五節句の最初は元旦ではなく、1月7日の七草粥が年の初めの節句とはじめて知った。ずっと9月までの奇数月のぞろ目が五節句と思い込んでいたのだ。
五節句は1/7人日の節句、3/3上巳の節句、5/5端午の節句、7/7七夕の節句、9/9重陽の節句の5日なのだがなぜ1月7日だけぞろ目じゃないのかね。ちなみに重陽の節句はオクサンの誕生日。

七草粥は地方によって多少違うようだが一般的には芹、なずな(ぺんぺん草)、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ、すずな(かぶ)、すずしろ(大根)。
スーパーでセット売りしているから簡単に手に入るが、オクサンはお粥に葉っぱさえ入っていればいいという考えでかなり適当。冷蔵庫にあるもので済ましてしまう。
ただお粥は土鍋で炊く。塩加減は梅干1個。
おかずはみそ漬けのみじん切り、スクランブルエッグ風玉子焼き、生たらこ、それに正月の残りもの。
冷たいビールを添えて朝食の出来上がり。さらりとした白粥でうまい。


2006年01月06日

輪越(ワゴシ)の神事

91732c56.jpg地元の氏神、氷川神社に行って来た。
氷川神社にお参りするときは茅の輪の鳥居をくぐります。
鳥居の横に立て札があって「6月並12月晦日つみけがれを祓う為茅の輪をつくり参詣者が左より八の字に廻る」と書いてあります。
都合3回鳥居をくぐり境内に入ることになるのですが、やってみたら鳥居の外側から境内に入ってしまう。そんなわけないのでよく見たら立て札に廻り方が図示してあった。最初のくぐり方を間違えていたようだ。
毎年のことなのにボケてきたか。

さて「おさい銭 百円玉一ツ ぽんと投げて手を合わす おねがいごとの多いこと」は相田みつおの詩。
わたしはいつも10円か5円玉ふたつぐらいであります。

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2006年01月01日

元旦に思ったこと

e23999bc.jpgあけましておめでとうございます。
2006年の最初は新年を寿ぎ「しめ飾り」の話題でございます。
元旦、近所を散歩しておりましたら病院の玄関のしめ飾りに目が止まり考え込んでしまいました。

最近は家庭では町内会から配られる印刷された紙を張っておしまいの風潮の中やはりこういった場所ではちゃんとしているものだな、っと感心したわけではありません。
よく見ると「商売繁盛」とか「大入り」とか書いてある。

病院ですよ。気持ちはわからんでもないがいかがなものか。
おもしろかったのでカメラを取りに家まで戻りました。
いかが思います?

boss10old at 13:49|PermalinkComments(1)TrackBack(2)