ウェブディレクターな日々

本、デザイン、映画、音楽、雑感、飛行機、もしくは社長業

すみやかに

今年に入ってから東海道新幹線は途中駅に着くたびに「次の○○駅ではすみやかに発車します。」とアナウンスされるようになったのだが、「次の○○駅では」とわざわざ言うので最初は何か特別な事情でもあるのかなと思って気をもんでいたら結局終着駅以外のすべての駅で同じことを言うので、いつもイラっとさせられる。

あれはたぶん「東海道新幹線はダイヤが過密なんだ。だからチンタラせずみんな早めに準備してテキパキ降車しろよ。特に最近は観光客が多くて要領を得ていない人も増えてきたからな」ということを短く言っているのだと思うのだが、毎度毎度「すみやかに発車します」と言うのでずっと気になっていた。

で、考えたのだが、「次の○○駅ではすみやかに発車します」というような本音湾曲的なあいまいな表現より、「次の○○駅の停車時間は2分です。」というふうに具体的かつ簡潔に、停車時間を提示したほうがスッキリとしていいのではないだろうか。「気持ち」ではなく「事実」なわけだし、駅によっては1分だったり3分だったりしてもいいわけだし、どの駅も「すみやかに」と言われるよりよほど気持ちがいいと思うのだがどうだろう。

『乳と卵』川上未映子

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読書会の課題図書。
先日は『応仁の乱』を読んだがこちらは卵のらん。

この2回、東京の読書会で女性性のある作家を読んでみようということで、前回は瀬戸内寂聴の『夏の終り』を取り上げたのだが、今回はそれとはまた全然違う種類の女性性であった。

他には林真理子なども女性性の強い作家というイメージがあるが、いったい女性性って何なのだろうか。『夏の終り』の場合は不倫という関係の中での女性の話だったので当然男も出てくるわけで、女性性が強く出たとしてもそれは男性との関係の中で相対的に立ち上がる性なのであるのに対し、『乳と卵』には男が出てこない分、純度の高い女性性ということはできると思う。

逆に男性作家で男性性というものを打ち出している作家というのはいるのだろうか?と考えると、例えば『火宅の人』のように、家や家族というものを放り出して放浪しちゃうような物語は男性性が強いのかもしれないがどうなのだろう。もしそういう男を女性が理解できない、共感できないとするならば、それは男性性が強いということになるのかもしれない。ということは男がその心情を理解できないというような話が女性性の強い小説ということになるのだろうか。

この話には、緑子という女子中学生が出てきて、彼女の日記のようなものが出てくるがそれは結構共感できる感じだった。

最後のシーンは、シーンとしては分かるが、だからどうなの?という印象が残った。

乳も、卵も、女性性を象徴するものとして表題にもなっていると思うのだが、それが物語の中でどういう位置付けで描かれているのか、そして最後にどう終わるのか、ということの「意味」を考えてみたのだが結局わからなかった。それは僕が結局のところ男だからなのかもしれないし、あるいはそこに始めから意味などないのかもしれない。

『応仁の乱』呉座勇一

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書店でよく平積みしているのを見かけていたのでようやく読んでみたら、確かになかなか面白かった。

著者も語っているが、応仁の乱という名前は聞いていても詳しく知っている人はあまりいない。どう始まって、どう終わったのか。僕もそうだ。(ただ今も京都人が「先の戦さ」と言うと太平洋戦争のことではなく、応仁の乱のことを意味するというのはよく聞く話)

読んでみて思ったのは、この時期、応仁の乱だけではなく、畿内は戦さばかりやっているということだ。まるで平穏な時期など一時もない。
そういう中でも荘園からの収入がなければ支配者層はやっていけないのでみないろいろと苦心している。当然といえば当然なのだが、戦乱中であっても経済活動が滞るわけにはいかない。そういう活動は通りいっぺんの歴史教科書には出てこない。歴史をクローズアップする面白さだ。

当時の京や奈良の様子、暮らしぶり、室町幕府の支配域がほぼ畿内だけっぽいこと、東幕府と西幕府、乱後の将軍並立のことなど、知らなかったことも多く興味深かった。

それにしても思うのは、人間の営みというものの変わらなさというか、普遍性というか。何時代であってもたぶん人はそんなに変わらない。いい歴史書は人間が見えてくる。そこが面白い。

禅と庭のミュージアム

先日仕事で広島県府中市に行った際、前泊して福山ある『禅と庭のミュージアム』に行ってみた。たまたま元日にNHKでやっていた「日曜美術館」の特番で見た名和晃平氏の巨大インスタレーションをぜひ体験したいと思ったのだ。

福山駅からバスで30分、そこから歩くこと15分。
山中にある新勝寺という禅寺の中が『禅と庭のミュージアム』になっている。

入るとまずあるのが大きな池のある庭園。
なんだか妙に落ち着く。
和む。
庭に詳しいわけでもなんでもないので、どこがどういう作用になって心地よくなるのかは説明できないが、とても居心地がいい。
ところどころにベンチがあり、いつまででも座っていられる。
ゆっくり物事を考えたり、思索にふけるにはもってこいの場所ではないだろうか。
(後で聞いたのだが、この庭は足立美術館の庭園を設計した中根金作さんの息子さんが作られたのだそうだ。)

五観堂という建物で「新勝寺うどん」をいただく。修行僧たちがいただいている作法を説明いただき、同じように食べる。お椀の使い方や太い箸などが面白い。(詳細はこちら http://shinshoji.com/trial/udon.html)
湯だめのうどんはこしがあり、歯ごたえがあり、美味しい。

山の上には白隠のコレクションがある。
作品点数は少ないが、ゆっくり堪能できてとてもよい。

山を下りて今度は温泉に入る。そう、ここには温泉があるのだ。
開放的な檜の風呂。写真を撮ってもいいよと案内のおばさんが言ってくれるので撮る。
客は僕だけの貸し切り状態だった。歩いてきた足が休まる。なんていいところなんだ!

最後にいよいよ名和晃平氏の作品と対峙。
この「洸庭」と呼ばれるパビリオンの内部は撮影禁止。
中は真っ暗。約30分の体験。
闇は希望を内包し、希望は闇を内包する。
どこへ連れていかれるのだろうという感覚。
神秘的哲学的な体験。

とにかくすごかった。
NHKの特番でレポートしていた片桐仁はこの「洸庭」から出てきて、「人生のステージが一つ上がった感じがする」と言っていたが、まさにそんな感覚であった。

なかなか気軽に行ける場所ではないが、機会があればぜひ行ってみてほしいと思う。
庭を歩いたり、立ち止まったり、うどんを食べたり温泉に入ったりと、オトナが一日ゆっくり過ごせる大人のためのワンダーランドという感じであった。

新勝寺「禅と庭のミュージアム」
http://szmg.jp/

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久保圭一写真展

「ぜんぜん流行りの感じじゃないんで(笑)」
と久保君は言った。
「昭和な写真やなぁ」との僕の感想を受けての発言だ。でも僕はその流行りじゃない感じがすごくいいと思った。

彼と会うのは20年ぶりぐらいか。三協クリエイティブという会社でDTPをやっていた頃の後輩だ。今は実家の和歌山で家業を継ぎながら時間を見つけては写真を撮っているという。今回、久しぶりに案内をもらったので銀座のニコンプラザに足を運んでみた。

久しぶりの彼はすっかり丸くなり、いいおじさんになっていた。よくこれだけ自然な写真が撮れたなというと、打ち解けて撮らせてもらえるまで何度も通ったのだそうだ。
「口べたなので」と彼は言う。
知っている。だからこそこういう写真が撮れたのかもしれない。そういう愚直なところがカタチを変えて写真に表れているのだと思う。

つくづく思うが、写真の良し悪しというのは本当にわからないものだ。写真は機材さえあれば誰にでも撮れる。特に今は機材がいいのでなおさらだ。しかしただきれいに写っているだけのものと、そうでないものは何かが違う。その何かは僕にはわからない。

彼の写真はなかなかいい写真たちだった。もし機会があればぜひ見てみてください。流行りじゃない口べたな写真たちです。

久保圭一写真展
1/17(火)まで
10:30〜18:30(最終日は15:00まで)
銀座ニコンサロン

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キムラヒロシ
プラスデザインカンパニー株式会社
代表取締役/ウェブディレクター
東京・大阪を行ったり来たりしながら、いろいろ考えたり作ったりしています。
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