2011年にコロラドからペイトリオッツに指名された時は、試合に勝利することが私の存在理由の全てだと思っていました。
 それまでの人生のほとんどを良い試合をすること、勝つことに捧げてきました。そしてニューイングランドにやってきました・・・勝利こそが全てというところに。そう、私にとって完璧な居場所だと思えました。

 もちろん、1巡での指名、そして史上最高のクォーターバックのブラインドサイドを守ることになるというプレッシャーもありました。でも、勝利がそのプレッシャーを軽減してくれるだろうと考えました。勝利が全ての問題を解決してくれると思っていたんです。

 勝利は全てを解決してくれる。そうですよね?

 そしてルーキーイヤーを迎え・・・チームは勝ち続けました。13勝3敗でレギュラーシーズンを終え、スーパーボウルに行くことが出来ました。もしそこでジャイアンツに負けたとしても、全てが終わった後に何かしら得るものがあると思っていました。最終的にチームは負けてしまったので幸せという訳ではなかったけど・・・でも、少なくてもチームは何かしらを成し遂げたのだから。

 でも私はそうでは無かった。

 私が感じたのは空虚だけでした。

 私はそのオフの期間中を旅をして過ごしました。いつも旅をしたいと思っていたし、人生で初めてお金と時間が十分にあったから。だから毎週違う所に行くために飛行機に乗っていました。時々、朝起きて今どこの街に来てるのか思い出せないなんてこともあったくらいです。とにかく動き続けていました。

 振り返ってみれば、何かを探し続けていたんだろうと思います。その時は自分が何を探しているのか分からなかったし見つけることも出来なかったけど。そして空虚な気持ちのままオフシーズンが終わりました。まだ満たされないままでした。

 その時は分からなかったけど、それが人生の目的を探す旅の始まりだったんだと思います。

 ジャイアンツと契約して以来、これまでの人生とニューイングランドで過ごした素晴らしい7年間について考え続けてきました。7つのAFCチャンピオンシップや4回のスーパーボウルや二つのリングの事では無く、家族と僕がそこで築いた絆・・・永遠に続く絆について。

 同時に人生の皮肉と神の不思議な導きについても。なぜなら私は試合に勝つことが人生の目的だと思っていた子供で、そのためにニューイングランドにやってきたから。勝利が全てという場所に。

 そうではないことを知るために。


 2015年の10月、息子のハドソンが3ヶ月の時、私と妻のレクシィが息子をお風呂に入れてる時、お腹に何か塊があるように感じました。その時は深刻に考えなかったけど注意はしていました。そしてその塊が無くならないと分かると私たちは息子を診てもらうために医者に連れて行きました。複数の医師による長い検査の後、ハドソンの両方の腎臓に腫瘍があることが判明しました。

 癌。

 医師たちはすぐにボストン・チルドレンズ・ホスピタルに私たちを紹介してくれました。救急車で送ると言ってくれたけど断りました。何故そうしたのかは分からないけど・・・多分、救急車を使うことで深刻な状況にあると感じることを恐れたのかもしれません。より現実的に。とにかく私たちは自分の車で行くことにしました。

 レクシィと私は病院までの道中ずっと泣いていました。ハドソンは私たちの最初の子供で、私たちは親になったばかりだったんです。私たちの悲嘆は理解してもらえると思います。でも、私はなによりも罪悪感に打ちのめされていました。私はハドソンの父親だ。彼の全てを守るのが私の義務だ。でも私にはそれが出来なかったという思いを振り払えなかった。

 ハドソンを守ってやる事が出来なかったと感じていたんです。

 ハドソンが治療を受ける間、私たちはチルドレンズ・ホスピタルで5日間を過ごしました。幸運にも(と言うのもおかしいけど)その時は上腕二頭筋の断裂でインジャリーリザーブリストに入っていました。不幸中の幸いというか、私はフットボールの事を気にすることなく、息子と家族のために時間を使うことができました。

 レクシィと私は病院で過ごす5日間の間、ハドソンの癌の種類や治療法、薬の種類について勉強しました。それは圧倒されるほどの情報量でした。やっとハドソンを病院から自宅に連れて帰れるようになったとき、医者から病気の情報やハドソンに与え続けなければならない15種類程の薬などについて説明された分厚いバインダー(まるでプレイブックみたいな)を渡されました。

 ようやくハドソンを自宅に連れて帰ることが出来ましたが、それからが本当に大変でした。彼は泣き止まず、私たちは食事を取る暇もありませんでした。私たちは疲れ果てていました。キッチンのカウンターには薬局みたいに小さなオレンジのボトルが並び、ラベルには投薬量と説明書が書いてあります。「これは6時間ごとに与える」「こっちは8時間ごと」「これは夜間に」「これは1日2回、食事と一緒に」等々。

 もう一杯一杯だったと思います。最初の夜、ハドソンが泣いてても、私たちはどうする事も出来ず途方に暮れていました。

 その時、レクシィの両親が来て私たちを救ってくれました。

 お義父さんはハドソンの薬の名前、量、投薬時間を全てチャートにして、お義母さんは料理を作ってくれました。

 私たちはようやくハドソンを寝かしつける事が出来、少しずつ家の中の空気が落ち着いていくように感じました。そしてようやく恐怖と不安を乗り越えて行くことが出来ると思ったんです。ハドソンが癌と診断されてから初めて、そう、私たちはこれを克服出来ると。

 私たちは大丈夫、きっと良くなると。

 人は何らかの悲劇やトラウマを経験するたびに感情を抑えられない瞬間があると思います。自宅に戻った最初の夜は正にそんな時でした。しかし同様に心に強さを感じる時・・・全てを上手くコントロールできると思う瞬間もあります。

 ハドソンが自宅に戻ってから数日後、レクシィと私はチームに会いに行こうと決断しました。その準備が出来ていると思ったからです。

 それは試合が行われる日でした。その頃私はIRリストに入っていてプレイ出来なかったけど試合前の礼拝には参加していました。その日、そこにジョシュ・マクダニエルズが彼の妻と4人の子供達を連れて参加していて、レクシィと私は室内に入り彼らの隣に立ちました。

 その時私は困難を乗り越えようと努力していて、レクシィも同様だと思っていました。でも表面上は大丈夫に見えても、内面は壊れたままだった。私の中には大きな罪悪感が埋もれたままで、それを振り払う事が出来ずにいたんです。

 そして礼拝が進み讃美歌を歌う時が来ました。

 "Good,Good father”と呼ばれる歌でした。

 私は歌い始めた瞬間、感情を堰き止めることが出来ずに、あたりかまわず叫び出してしまいました。レクシィも同じでした。私たち二人はその場に崩れ落ち、歌の間中、体を震わせて泣いていました。皆、訝しげな目で私たちを見ていたと思います。

 でもジョシュは分かっていました。

 ハドソンが最初に癌と診断された時、彼とコーチ・ベリチックに話しました。ジョシュはレクシィと私が抱える問題を知っていただけではなく、4人の子供達と一緒に私たちに寄り添ってくれました。彼は私たちが感じている心の痛みを真に理解し共感してくれたと思います。


 次に何が起こったのかを話す前に、ペイトリオッツでプレイするという事がどういう事かを少し知っておいて欲しいと思います。

 それはとても厳しい環境かもしれません。とてもビジネスライクで、時に冷酷と感じるかもしれません。ニューイングランドでは全てがパフォーマンスを前提としています。時には、その日の練習でどうだったのか、あるいはミーティングでどんな回答をしたのかによって扱いが変わります。ある日はプロボウラーになったような気分で施設内を歩いたかと思えば、次の日はクビを宣告されたかのような気分になることもあります。

 決して辛辣な意味やネガティブな意味で言っているわけではありません。そこは素晴らしい場所でもあり、そこで過ごした時間に感謝しています。確かにシビアな場所です。ペイトリオッツには定められた基準があり、プレッシャーはとてもリアルです。それは彼らが築き上げたカルチャー、勝利のカルチャーであり、彼らが成功を収めている理由です。そしてジョシュはそのカルチャーにおいて大きな役割を果たしています。

 チャペルでの出来事の後、私はジョシュの変化に気づきました。彼はレクシィを見かけるたびに彼女にハグして、いつもより長い時間を割いて話しを聞いてくれました。私たちの会話も変わりました。以前は本当にフットボールの事しか話さなかったのに、今は始まりこそフットボールだけど最後には神や家族、人生についての話をしていました。

 フットボールはいつも誰かかがクビになり、勝利が全てとされる熾烈なビジネスです。でも、彼が「ネイト、君がハドソンの為に何かをすること、それはフットボールより遥かに重要だ」と言ってくれたことに本当に感謝しています。彼は私が抱える問題の為にミーティングを途中で抜ける事を誰も問題にしないと言ってくれました。コーチ・ベリチックも同じ事を言ってくれました。私が練習やミーティングを欠席しても全く問題無いと。

 「ハドソンが必要とするものはどんなことでも」とさえ言ってくれたんです。

 ビルが言ってくれたこと、ジョシュがしてくれた事に対する私の感謝の気持ちは言葉に現す事が出来ません。彼らは私を単なる選手、駒としてではなく、一人の人間として接してくれました。

 その優しさはコーチ達だけに止まらず、組織のトップであるオーナーのクラフト氏も同じです。

 ふだんの火曜日はチームの休養日。でも私の家族にとっては化学療法を受ける日で、いつも朝6時30分に家を出て1時間30分かけてボストン・チルドレンズ・ホスピタルまで行きます。ドライブ、化学療法、血液検査、MRI、それが火曜日のルーティン。マンデーナイトやサーズデーナイトの為に通常のスケジュールが変更になった場合は練習やミーティングを欠席したこともあります。化学療法を受ける火曜日は家族にとって何にも代えられない大事な日なんです。

 ある火曜日にスノーストームがニューイングランドを襲った時の事をいまでも覚えています。月曜日に天気予報を見ながら、レクシィと僕は明日の早朝にハドソンを病院に連れて行くことが出来るかどうか心配していました。道路が閉鎖されないか、安全に運転していけるのかどうか分からなかったからです。

 その夜、クラフト氏にその話をすると、彼は私たち家族をチルドレンズ・ホスピタルの隣のホテルに連れて行ってくれました。そのおかげで私たちは雪の心配をする必要が無くなったのです。病院のすぐ隣にあるフェンウェイパークを見下ろす美しいホテルでした。

 これらはクラフト氏とペイトリオッツという組織の思いやりについて少しばかり述べたものです。彼らが僕と家族にとって最も困難な時期に示してくれた優しさと思いやりの一例です。私たちは私たちだけで困難に立ち向かっていると感じたことは一度もありませんでした。


 ハドソンは胸のすぐ下に埋め込まれた小さなポートを持っているので、医師は簡単に血液を採取して化学療法を行うことができます。彼は約1年間の治療に耐え、腫瘍の成長が停止しました。 2016年10月、ハドソンの胸のポートを外して化学療法はいったん休止になりました。

 しかし、まだ安心できる段階では無く、 医師が「監視モード」と呼ぶ状況にありました。ハドソンは定期的に検査を行い、腫瘍をモニターし、腫瘍が再び成長を開始していないことを確認しなければなりません。腫瘍が再び増殖を始めたら化学療法に戻らなければなりませんでした。

 そしてスーパーボウルでファルコンズと戦ったシーズン。その勝利の直後に、私の心の中にあった罪悪感や不安、恐怖といったものが希望に変わったと初めて思う事が出来ました。以前は勝利こそ全てと思っていたのに、その勝利の瞬間、チームメイトと私の家族がフィールドで歓喜に沸いていることや、3シーズンで2度目のチャンピオンになったという事実は私にとって大事な事ではありませんでした。

 一番大事だったのはハドソンだったんです。

 彼がフィールドで紙吹雪を蹴って遊びまわる姿を忘れることが出来ません。彼が元気でいることに感謝していました。彼の健康が全てだったんです。

 私にとってスーパーボウルの勝利は付け足しの飾りでしかありませんでした。


 約1年後の昨シーズンの10月、スキャンによって腎臓の腫瘍が再び成長し始めたことが明らかになりました。医師はハドソンは胸にポートを取り付けて化学療法を再開しました。その年の初めに生まれた娘のシャーリーを入れた家族四人で「火曜日のルーティン」が再び始まったのです。

 ハドソンはまだ戦っています。 私たちはまだ戦っているんです。

 そして今、病魔との戦いはニューヨークに場所を移しています。


 来シーズンをどこでプレイするか考えていた時、ハドソンの医療環境は大きな要因でした。ハドソンが最高の医療ケアを受けられる場所でなければならず、多くのチームを対象から外さなければなりませんでした。

 ニューヨークではハドソンが必要とする治療を受けることが出来、家族と私は新しい生活を始めることに興奮しています。

 最も困難だったことはニューイングランドで、チームとコミュニティの両方において家族と私が築いてきた友人達と離れなければならないという事でした。ボストン・チルドレンズ・ホスピタル、ジミー・ファンド・クリニックやペイトリオッツというチーム、そしてボストンのコミュニティにおいて沢山の特別な関係を築いてきました。

 でも、私たちがニューヨークに行くという理由だけで、この特別な結び付きが終わる事はないと全ての友人達に知っておいて欲しいのです。何物にも代えるつもりは無いことを。この絆は続いていくのだと。

 同じようにチームメイトと離れることはとてもつらいことです。

 イーグルスとのスーパーボウル前夜、私たちはいつものように試合前に行う祈祷会を行いました。10人ほどがホテルの会議室に集まり、キャラクターコーチのジャック・イースタービィが説法を行いました。

 プレイオフ中の祈祷会はとてもタフなものです。なぜなら参加者グループにとってシーズン最後の祈祷会になるかもしれないからです。殊にスーパーボウルの前は、このメンバーで行う最後の祈祷だと皆知っています。彼らの内の何人かは来シーズン居ないのだとも。

 ジャックが説法を終える頃には、ほとんどのメンバーが涙を流していました。私たちが互いに抱いている愛と感謝の気持ちが溢れ出たのだと思います。このグループで礼拝や祈祷会、月曜日の聖書研究を年間を通して一緒に行ってきました。その間に結婚した友人もいれば、洗礼を受けた友人もいます。私たちはそれぞれの心に潜む恐怖や困難を共有し、互いの家族のために祈ってきました。私たちが築いた絆を言葉にすることはとても難しいことです。

 でもその夜、一人のメンバーが言葉にしてくれました。「このグループの絆こそ祈りなんだ」と。

 私もこれ以上の言葉は無いと思います。

 私は彼らと出会えたことを神に感謝します。

 今年、私は戻って来ることのないメンバーの一人であり、彼らと会えない事を寂しく思うでしょう。そして本当に、ロッカールームの仲間達、チームの全ての人々を寂しく思うでしょう。

 しかし、神が私をどこに導こうことも、私がニューイングランドで見つけた大切なものを無くすことはありません。


 クラフト氏、コーチ・ベリチックに感謝を。ジョシュ・マクダニエルズ・・・素晴らしいコーチというよりも素晴らしい友人として、そのすべてのサポートに感謝を。私の素晴らしいOラインコーチ、ダンテ・スカーネッキアに感謝を。いつも単なる選手としてでなく一人の人間として接してくれ、私がフィールド外で問題を抱えていても決して見放さないでいてくれて有難う。私が必要としていた時に常にそばにいれくれたチームメイト達に感謝を。レクシィと私が出会ったコミュニティすべての人に感謝を。この数年にわたるハドソンの治療中にその小さな手を支えてくれた皆さんに感謝を。皆さんが私たちの人生に与えてくれた暖かい優しさは私たちの中に永遠に残るでしょう。そして、辛い時にも私と家族を支えてくれた素晴らしいファンの皆さんに感謝します。

 ありがとう、ニューイングランド。私はペイトリオットでなくなることを寂しく思うでしょう。私はここで過ごした7年間で人生にとって大切な多くの事を学びました。とりわけ、勝利が全てではないということを。

 それよりも大切なものがたくさんあるという事を。

 神のご加護を。

                                             Nate Solder #77


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