2011年05月
2011年05月28日 08:57

これは国貞
「月の陰忍び逢う夜」
女がまとっている着物の裾の柄は、つばめ
上方は雁でしょうか。
藍の色がとてもきれいです。
「ギャラリーぼたにか」で開催中の
「江戸の浮世絵と明治大正の木版画展」
6月5日(日)まで。
とうとう、あと一週間となりました。

これは宮川春汀(1873〜1914)の作品。
愛知県渥美郡畠村の生まれで
やはり『風俗画報』に挿絵を描いていた画家。
山本昇雲の先輩になります。
挿絵、風俗画、錦絵で活躍しました。
春汀は島崎藤村や柳田國男、田山花袋など明治の文人と交友が広く
柳田がこの縁で渥美半島伊良湖岬を訪れ
恋路ケ浜で見つけた椰子の実をもとに
藤村の「椰子の実」の詩歌が生まれたということです。
そんなことにも、思いをはせながら
春汀の明治の浮世絵をご覧になってください。
梅雨に入り、雨が多くなりました。
せっかくの土曜日なのに、台風が近づいています・・・。
2011年05月25日 10:33
2011年05月20日 21:34

吉田博の木版画を
たくさんご覧いただいています。
80〜100度摺りともいわれる色調は
深く、深く、静かです。
ショップのある本拠の蔵に展示していますので
毎日、眺めています。
落ち着いた風景版画が、いかに人の心を癒すか
ということを感じます。
吉田博、明治9年生まれ 昭和25年没。
最初洋画家として出発、渡米してデトロイトやボストン美術館などの展覧会で
成功をおさめました。
大正9年(1920)、44歳の時、版元渡邊庄三郎と出会い、
渡邊木版画店から木版画の刊行を始めます。
関東大震災で版木や作品を失って後は、自ら工房を持ち専属の彫り師、摺り師を抱えて
摺り度数にこだわった風景木版画を世に送り出しました。
何度も色彩を摺り重ねることで、油彩のような趣を現出させるー
「木版画による洋画」、これが吉田の目指した新しい木版画だといわれます。
私たちが感じる深い、深い色調は、こんなところから
来ているのでしょう。
吉田の各作品のマージンに刷り込まれた「自摺」の文字、
なにか不思議な気がしていましたが、これは必ずしも自分で摺ったのではなく
彫り、摺りの工程をそれだけ厳しく管理したという証左とみられます。

「帆船 夕」(瀬戸内海集より)
あかね色の夕景、水面のたゆたい
お客様も、この作品の前でしばらく佇んでいかれます。
どこか、郷愁をさそわれるような、なにか思いが深まるような・・・
渡邊版が失われたため、大正15年にサイズを大きくして改刻したもの。
以下は知る人ぞ知る話。
吉田の木版画はダイアナ妃の執務室にも飾られていたそうです。
ダイアナさんも愛していたのか。
彼女の背後に吉田の版画2点が掛かっている写真を見ると、
改めて海外での人気の高さを実感します。
さらに、もう一つ。
漱石の『三四郎』に、吉田とその夫人の展覧会(明治41年)のことが
出てきます。三四郎と美禰子が二人で展覧会を見に行って、
いろいろ作品について会話する、という場面がそれ。
アメリカ、欧州から帰国したばかりの二人の作品が、当時の人々に
かなり好奇心を持って迎えられたことがしのばれます。

左の2点は、川瀬巴水の木版。
吉田とともに日本を代表する風景画家です。
季節や天候、日差しの変化までも見て取れます。
「ぼたにか」では、今
川瀬巴水、吉田博、吉田遠志、土屋光逸など
浮世絵の伝統を受け継ぐ新版画作品を、ご紹介しています。
会期はあと二週間
ぜひ、ご覧になってください。
「江戸の浮世絵と明治大正の木版画展」〜6.5(日)まで
10:00〜17:00 水曜休み
主催・会場 ギャラリーぼたにか
参考『吉田博全木版画集』(阿部出版) 『山と水の画家吉田博』(安永幸一著)
2011年05月14日 22:35

先日から読み始めたこの文庫本
表紙に使われたドングリの写真は武内理能さんが撮影したものです。
武内さんは高知在住の写真家
いつも「ぼたにか」のDMの写真を撮ってもらっています。
吉本隆明氏は、若い時から尊敬する人であったし
宮沢賢治も特別に、ほんとうに特別に惹かれる詩人。
そんなことから手にして、何気なく読み進むうちに、
賢治が浮世絵を収集していたと書いてある箇所に遭遇しました。
え? 宮沢賢治と浮世絵・・・。
意外です。初めて知りました。
そして、彼に立派な浮世絵版画論があることも。
・・・若し版画が名画の安価な模写のみを機能とするならば
畢竟、版画は芸術とは称しえない。ところが版画には版画の特殊な機能がある。
水墨、水彩、フレスコ油絵、等の材料にみなそれぞれの能力があり
その作品にそれぞれの味があるように、版画は版画でほかのものが
どうしても企て得ない効果を出す。
ここを完全に把握して最初から版画としての製作を行う。
木版ならば版下を書く際からこれを木に彫んだ際に最木のいい味を出すような線を選び
あらん限りの効果をその刷の度数に対して期するように色彩をとる・・・。
大正8年、23歳の頃、実家の質屋を手伝って店番に立っていた時期に始まったと思われる
賢治の浮世絵への傾倒は、単に好事家の域にとどまってはいませんでした。
「浮世絵版画の話」は、以下のように続きます。
浮世絵木版画の特徴として
・・・その第一は純潔である。
これは製作の技法から形態色彩共に極度に単純化され、この際単なる省略ではなしに
題材の心理的昇華が行われるためであろうと思う。従って作品の価値は
版画家の題材昇華の能力に依て大半を決せられるとも云えよう。
第二は諧律である。版画には詩や音楽に於ける韻律の感じが高度に含有される。
これは一つはその木彫という約束から線に非常に特異な一定の個性があって、
その個性の中でのいろいろな変化である為にそこに一つのリズムに近いものができる。
たとえば歌麿の版画の曲線の海外でsinging line と称せられるの如くである。
且つは色彩に於ける数の過多でないという制約がその間の調和を
非常に高度顕著なものにすることが原因らしい。
同一作家の肉筆とその版画を比較すればこれの証明は容易である。
春信の時代に、天保頃の豊富な木版画用の顔料が得られたならば、あの高雅清純な
詩の国は生まれなかったろうと思われる。
第三は神秘性である。版画一般にそうであるが、殊に浮世絵木版のいいものに於て
神秘性が顕著である。それは一見間がぬけているようでもある。
或は無表情のようでもある。然しながらそこに見れば見るほど味があり
深さがあるというのは、これもやはり版という特殊な制約からと、
できるだけ表現が約されて居り、或る部分は全く鑑賞者のその時々の心境による
想像によって補うように残されているのに基づくらしい・・・。
浮世絵人物の表情に関しては海外の多数の評論これを不可解とし神秘とする。
日本では野口米二郎氏の如きこの表情は浮世絵の秘戯画を検した後初めて
理解されるといったりしている。然しながら事実は版画がそういう微妙な表情を
示すべく適当なものでないことにある。
その結果仮面劇、殊に神楽や能楽に於けるようなあらゆるしぐさに対して
非常に表情の変わらない、同一の仮面ということが、何かそのものを超人的なものに
想像させるという仮面劇の原理によるものである。
第四はその工芸的美性であって、これはその材料と性質及び製作の過程から
当然起こってくる。即ちゼラチン質を以て連結された三叉繊維の薄層、
これにまず墨版の中の厳しい線が食い込む。それが若し歌麿の女の腕であり
うなじであれば、そこに微かな半肉彫りのような膨らみが出来上がる。
純白な紙の色は直ちに肌膚の色であり、気温湿気による微妙な紙面の増減は
直ちに肌膚の呼吸である。
敢て人物に限らない。北斎の赤富士に於ける雪と巻雲、広重の雨、春信の衣服、
北寿の積雲等に於ける無色刷みなこの性質を利用して非常な効果をあげている。
既に木版は書かれたものでなく彫られたものを刷ったものであるから、その線は
全部木の精神、則ち或る硬さと同時に或る弾性をもった木というものを刻む際の
特殊な感触を示しているものである。・・・
之を陶器に見るに、そのへらやろくろの痕、面の光沢と朧度、感触模様の染付の
出来上がり具合を見ないで、構図と筆勢色彩をのみ見るならば、
その味は大半出現しない・・・。
賢治がこれほどの浮世絵論を残しているとは驚きでした。
版画という芸術に対する本質的な深い理解と分析
表現論としても納得されます。
芸術はマチエールである、とは誰の言葉だったか。
いろいろな思いが去来しました。
とりあえずは、ご紹介まで。
興味のある方は賢治全集で原文をお読み下さい。

広重『東海道五十三次』の画像を数点UPします。
最初に発行されたいわゆる保永堂版。
広重は保永堂版のほか、他の版元からも多数の東海道を発行しています。
たとえば、次のような通称で呼ばれる「行書東海道」、「隷書東海道」、「竪絵東海道」
「人物東海道」・・・などなど。

役もの「蒲原」
ぼってりとした雪の質感、落ち着いた情趣・・・
この名作をご覧いただくだけでも、いの町までお越しいただく価値はあります。

「神奈川」
今回の展示は、保永堂版から「蒲原」「神奈川」「大磯」「藤枝」「掛川」・・・
そのほか多数。
賢治の愛した浮世絵。
肉眼で間近く見てこそ、その繊細な線や色彩が味わえます。
江戸期最高の風景画、広重の東海道を、オリジナルの浮世絵で
お楽しみいただければと思っています。
2011年05月10日 20:31

山本昇雲『今すがた』より 「高砂や」
「江戸の浮世絵と明治大正の木版画展」
〜2011.6.5(日)まで (水曜休み)
10:00〜17:00

主催・会場 ギャラリーぼたにか(土佐和紙工芸村)
「最後の浮世絵師」とも呼ばれる山本昇雲は、高知県出身の画家です。
明治3年(1870)南国市御免町生まれ。
河田小龍らに師事した後、大阪を経て上京
25歳の時、当時人気のあった東陽堂発行の雑誌『風俗画報』に
「土佐国早乙女図」(今も続く「どろんこ祭り」を描く)を投稿して認められ
東陽堂の絵画部員となります。
編集長山下重民に気に入られた昇雲は、以後30年にわたり、
同誌の表紙や挿絵、口絵などを石版画で多数制作しました。
内容は、日清日露の戦争、事件、風景、風俗など。
事実を克明に表現する報道画家として歩む一方、日本画家としても文展、帝展などに
風景や花鳥、美人画を出品し続けています。
そして大黒屋松木平吉との出会い。
浮世絵版元の老舗大黒屋の4代目松木平吉は
小林清親の「光線画」を売り出して知られる人です。
昇雲は大黒屋に請われ、多色摺り木版画『今すがた』(明治39〜42)シリーズを刊行しました。
江戸の浮世絵に連なる美しい大首絵美人画の誕生です。
昇雲の美人画は、“江戸浮世絵の余香を放って”、あえかに繊細で上品
同郷の洋画家石川寅治いわく
「あの人は神様のような人だったから、汚れた水には棲めなかった」
そんな清廉な人柄は画風からもしのばれるような気がします。
昭和に入って昇雲は画壇の表舞台を去り、昭和40年96歳で静かに没しました。
『今すがた』は昇雲の代表作として評価が高いシリーズ。
肉眼でしか伝わらないものを、会場でぜひ味わっていただきたいと思います。
参考:図録「浮世美人と懐かしき日本の情景ー山本昇雲展」
(2005 高知県立美術館発行)