牧野富太郎先生のこと

2009年05月19日


センダン




センダンの花が咲いています。
この季節になると、思い出す歌があります。


もしもわれ五月の風となるならば
おうちの花をこぼしつつ吹く

山脇哲臣さんの短歌です。
「おうち」は栴檀のこと。
昨年の初夏、「ぼたにか」で
元牧野植物園長山脇哲臣さんの
詩画展を開催しました。
たくさんの方が来て下さり、90歳の哲臣さんと
高知の自然誌について思い出話をされました。


シロバナセンダン


これは「シロバナセンダン」
いの町神谷小学校の校庭に咲く
いの町指定天然記念物。


シロバナセンダンは牧野富太郎先生の命名です。
センダンの学名も同じく牧野先生。

まもなく栴檀の花の季節が過ぎ
本格的な夏が始まります。




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2008年06月03日


花恋人








元禄初年創業の西川屋老舗さん(高知市)から
牧野富太郎先生にちなんだお菓子が
発売されています。

先日お客様にいただきました。

さくらの花びらをかたどったサブレ「花恋人」です。
生地には土佐ジローの卵を使い
ちらほら見える暗緑色の点々は
桜の葉だそうです。

造り酒屋に生まれた牧野先生でしたが
お酒が一滴も飲めず
甘いものが大好きでした。

箱には、満面の笑みの先生の写真が
添えられています。





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2008年04月23日

顕微鏡







植物学者牧野富太郎先生の
お誕生日が近づきました。

先生は幕末の文久2年(1862)
土佐国佐川村(現高知県高岡郡佐川町)に
生まれました。

生誕の日については諸説あります。
まず、戸籍上は4月22日。
先生自筆の履歴書に4月22日生まれと書いたものが存在します。

しかし、「自叙伝」では何故か
「文久2年4月24日呱々の声を挙げた」と
なっています。
これをもって牧野先生のお誕生日は
4月24日が長く公的とされてきました。
顕彰機関である牧野植物園でも
この日の前後の休日に毎年記念イベントを開催しています。
(今年は4月26日に女優司葉子さんが講演
 「花とたわむれて」13:30〜)

そして、極めつけは
先生の「臍の緒」を入れた包み紙に記された4月26日。

「文久二年壬戌(みずのえいぬ)四月廿六日
 牧野左平世倅(せがれ)
  成太郎
  初髪 ほそのふ
 朝六ツ時 土のへ 寅の日出生」

成太郎は牧野先生の幼名です。
先生が生まれて間もなく、お父さんの左平さんによって
書かれたものと思われます。
これは動かぬ証拠ではないでしょうか。

ちなみに私の誕生日も4月26日。
この日になれば、牧野富太郎先生を
思い出します。

なお、先生の臍の緒は、昭和35年に東大泉のお宅の蔵書の間から
ほこりにまみれて偶然見つかったそうです。



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2008年04月14日


昭和9年8月1日、72才の牧野富太郎先生は
ふるさと高知の植物採集講習会に招かれ
20年ぶりに帰省しました。

城東中学校(現追手前高校)講堂で
開会式に引き続き、牧野先生のお話がありました。

その中からちょっと・・・

私は天然を師と仰ぎ、天然という教場で学習しました。
現在も学習中で、未だ卒業もせずにいます。
今と昔はその難易度を異にし
私の10年は今の人の1年にも当たらないでしょう。
皆様の大いに勉強せられんことを望みます。
しかし、本は参考とし、天然の教場で勉強せられんことを
重ねて望みます。

植物を愛する者は一生涯幸福です。
間断なく慰安を受けるので、寂しさを感じるということがない。
たとえ深山幽谷の中に一人いるとしても、
師あり、友人あり、話相手があって退屈する事はありません。
植物学者にならなくても、その人は一生涯極めて幸福であり
気性も快活になり、優雅な人物になるのです。
元来日本人が優雅であるのも、植物より受けた感化が
頗る多いのです。

皆様が採集中不明な植物に接したら、そのまま捨てておかずに
土地の先輩に聞くなり、通信機関を利用して中央の学者の教えを
受けるなりしてその名称を覚えるようにしなければなりません。
趣味は名称を知ることに始まります。
電車に乗った時でも、知らない人ばかりであると
何とも思いませんが、その中に知っている人がいると
何となく愉快であるようなものです。

土佐は天産に富んでいます。
特に植物の種類の豊富なことは他府県に冠絶しています。
こういう点からも土佐は植物研究者の出るべき地です。
土佐へ来れば植物を知っている人が多いというように
ならなければならないのです。
幸い、この会を契機としてこの方面に大いに
研究せられんことを望みます。

この後、参加者130名が記念撮影
梅ヶ辻からバスで長浜方面へ。浜に出て松林の中を採集、
桂浜で坂本龍馬の銅像を仰ぎ、浦戸から巡航船で高知に帰りました。
第2日は横倉山方面、第3日は安芸・室戸方面。3日間で採集会は終了。
その後牧野先生は魚梁瀬、白髪山、佐川、五台山などを訪ね
8月28日、高知を離れました。
(「博物会報」第3号 高知博物学会 昭和10年刊)



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2008年04月08日


花絵巻













昭和33年に開園した県立牧野植物園が
4月1日に50周年を迎えました。

記念イベント「五台山花絵巻」が
6月30日まで開催されています。

リニューアルされた南園に
伝統園芸植物の庭園が出現し
ニホンサクラソウやハナショウブなどが
植えられているそうです。

県民の思い出がいっぱい詰まった園地。
装いを変えて、これからまた
新しい歴史を刻んでゆくのでしょう。

牧野植物園は、野生の植物の分類を研究された
牧野富太郎先生を顕彰するため
おもに高知県、四国に自生する野生植物を植裁し
自然の美しさを目指してきました。

50年かけて築いてきた他の追随を許さない独自性。
願わくばどうぞ、多くの人々に愛された
いままでの牧野植物園のよさを失うことなく、
次の時代に伝えてほしく思われます。



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2008年04月04日


サクラ1





山桜ほかの桜は臣下かな

これは牧野先生が色紙に書かれた
俳句とも川柳ともつかない歌です。
山桜を最上とした牧野先生ですが
郷里の高知に初めてソメイヨシノを導入したのは
牧野富太郎その人でした。

明治35年、先生は東京でソメイヨシノの苗を100本購入し
五台山竹林寺の船岡芳信師の元に送りました。
五台山の西の山面に植えて、高知の人々が市街から桜を眺めて
楽しめるようにと考えたからです。
大正3年、久しぶりに土佐に帰省した牧野先生は
我が子に会いに行くような気持ちで早速五台山に登りました。
竹林寺の庫裏付近に植えてあった木はかなりの大木に
なっていましたが、西側に植えたものは雑木の藪中にまじって
一向に成長していなかったので失望落胆したそうです。

だれか、私の志を受け継いで桜を植えてくれる人は
ないだろうか。高知を愛する人士の一考を煩わしたいものだ・・・
と記しています。(「植物研究雑誌」4巻3号昭和2年刊)

なおこの時、ソメイヨシノは郷里佐川にも送られています。
青源寺と切塞関に植えられ、こちらは大きく育って
美しい花を咲かせ牧野先生を喜ばせました。
現在は、五台山・佐川とも樹齢が尽きて、
牧野先生が植えたソメイヨシノは残っていません。



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