ブログ版 週刊「ボチボチいこか」

不確かだけれど、生きる喜びと確実に結びついた、パーソナルな営みとしての、学びを求めて

ニュース面白リカバリー

日村まー近頃芸能人のスキャンダルが多いですなぁ。それだけ世間のネタが苦しくなってきているんでしょうか。お笑いコンビ「バナナマン」の日村氏は16年も前のネタで引っ掻き回されているし、その頃は今みたいに売れっ子でも無かったでしょうに。何かしらのマスコミの気分を害したことでも有ったんでしょうか?いつの時代も真面目に生きていなけりゃしっぺ返しが来るもんですなぁ。
ネタと言っても、男の場合は大体が酒か女。変わった行動やハラスメントなどの発言でも叩かれまくりです。
昭和の頃なら、芸人の豪快エピソードとしてネタにできましたが、今は時代が違いますからね。
それにしても多いな。最近でも、女子高生に対して強制わいせつを行った容疑で書類送検された山口達也は泥酔。このほか、女子高校生との飲酒及び不適切な関係を持ったことで芸能活動休止状態の小出恵介、未成年女性との飲酒により芸能活動を一時自粛したNEWSの小山慶一郎、酒気帯び運転で逮捕されたガリガリガリクソン。女だって酒が原因で劇場の出番をすっぽかし続けて活動休止の漫才師・アジアンの隅田美保。先日のひき逃げ悪あがきの吉澤ひとみなんかも有りますね。
こいつらみんな干されてしまうんでしょうが、業界も上手に使って金づるならOKですからねぇ。もう何でも有りだ。有名税って高いもんですなぁ。その点一般人の猥行なんて可愛いもんでしょ。どうせ夫婦げんかに毛が生えたようなもんですから、関心も持たれない。そんな中で小説になりそうなエピソードが有るかもしれないのに、地味に暮らしていく事が正義の国民なので噂さえ表面化しないこの頃です。
 は・・なるほど、だから変わって芸能人のニュースが受けるわけですか。

読んでひとこと 第965号

表紙: おもしろ哀しい青いバラ。これも好きだ。


リーダーはつらいよ: クラスの出し物決めるのに、それほどのリーダーシップが必要だろうか。全体のイメージ・コンセプト班、ビジュアル班、衣装班、ダンス班などを決めて全面的に委任し、その調整役となればいいのではないかな。人は、信頼して任せると、いい仕事をするよ。任せられないのは、自分がやりたいという欲に負けるからだと、経験から推測する。いずれにしても、社会に出たら誰しもぶつかる問題ばかりだ。


マスターができるまで 久々1001・1002: コウイチの大暴れ、見事です。


unknown asia, VIP PREVIEW 無事終わりましたー!:  コンセプトが一気に明確になってきて、実にスッキリしたブースじゃないの。ネコがいなくなった。
 

そういえば: 嗅覚・味覚・触覚は、脳みそとの関連性が薄く、言語化しにくい部分なので、古い記憶を一気に蘇らせてくれることがある。児島で言うと、染色の排水の放つ強烈な匂いや、住宅街のあちこちから聞こえてくる、母ちゃんのミシンの音は、私を一気に半世紀前の子供に返らせる。今はもうないけどね。カレーに限らず、隣家の晩御飯の匂いがしなくなったのは、やはりエアコンの普及で各家が閉鎖されているからだろう。小さな我が家の玄関を開け放して簾をかけ、その横に縁台を置いて、夕涼みの近所の人と話をしたり、隣のガソリンスタンドの夜間照明を利用してバトミントンをしたりしたのが、懐かしい。


ブラックアウトと非効率: 停電という事実と何千億円という被害額が報道されても、いまいちピンとこないが、たとえばパソコンのストップ一つとっても、かなり面倒くさい被害が出そうだな。ところで、太陽光パネルを屋根に載せてる家では、停電でも大丈夫だったんじゃないか。それにしては、札幌は真っ暗のようだが。





終末に向く福祉力

介護の仕事をやっていると、自分の老後も考えるようになる。いずれ手足も自由が利かなくなり、シモの世話も誰かに託すようになるのか。はたまたそれまでに、重篤な病気になって人生寸切りで死んでいくのか。前回に「縁切り死」について書いたが、自分の幕引きでそういう選択肢が出る事実を知らされました。70歳を超えるとなんらかの異変を体に感じるもんで、足腰が痛いは普通、脳に異変が起きてくるのも生態的劣化に違いありません。見た目元気な方もおられるけどお薬の世話になったりするもんです。日常生活に支障が出初めると黄色信号、その前の状態で介護施設のお世話にならなくちゃ。
 現状では認知症の問題が大きく、治療薬は無いし防御法もはっきりとしてない。自分では変わってないはずなのに、傍目で見ると明らかにおかしな行動とか発言が繰り返され、物忘れが激しいのも典型的な症状です。こみんイベント
 良くないのは一人で一日中過ごす事。テレビだけが相手でボ〜っとしているとおそらく脳の一部しか使わなくなるからだと思う。子供たちは独り立ちし家で一緒に過ごすのは猫や犬。先に動物の寿命が尽きるので、かわいそうだからと自分だけが施設に行けず、いっしょに家で過ごす時間が長くなる例が有る。動きも少なくなるから各関節の可動域は限定され、新しい刺激やプレッシャーからは遠のくので、どんどん脳も体も動きを止める。どちらにせよ、ご近所づきあいが希薄なこの頃、民生委員やケアマネに頼るしかない現状が有ります。仕事とはいえ実際には廻りきれていないし、能力は個別に差が有る。不思議とケアマネも身内の扱いは感情が出てくることだって有るんですなぁ。もうちょっと早く何とかしていれば・・という例も結構あるんです。専門家だし現場だし。
当社には他社の大きな施設では馴染めない人も来られます。高齢者も本来の「素」が出てくることが多く、わがままは強くなります。家族の考えも千差万別で、問題ある方は家庭環境も微妙な方が多いよう朝日こみん.bです。当社「デイサービスこみん」でもそれを徐々に修正しながらそれぞれに幸福な道筋を探っていきます。ひたすら忍耐で、粘り強く明るく接していくと、来られた人はすべて改善しているということ。ここにはそれぞれの癖や特徴、家族への伝え方、介護の仕方を一人一人細かく精査しながら時間単位で組み合わせを探っていきます。これね、小さな施設じゃないとちょっと難しい。やはり色んな人とかかわり合いながら遊びや簡単な体操、何と言っても会話すること。会話が成り立たなくてもバランスが良ければOKなんですねぇ(笑)。人間は孤独では生きていけないんだと言うのを痛感しますよ。
 だからといって勝手に身を案じて「縁切り死」を選ぶのはそれぞれの幸せなどと思うのは間違いですね。福祉はそのために予算を取って、整備されている途中ですから、自分たちが「こうなりたい!」と思うこと自体が、残される者や世界に先立って先進国の高齢化社会を体現するうえで、有益な事なんです。地方では特に働き盛りの年齢も高めになるし、社会のスピード感も自然に減退してくる。人口減が約束された社会で、どのように経済行為を行い秩序が維持されるのか。身の回りの小さな事の改善を繰り返していくほかありませんが、新しい社会への道程で、おそらく日本が一番整備しやすいところでもあるでしょうね。

「つらがまえ 顔を描く!」日本画ワークショップ

井原市田中美術館で現在開催されている<没後10年 情熱の日本画 片岡球子展>付帯の日本画ワークショップ、「つらがまえ 顔を描く!」を本日、井原市文化財センター「古代まほろば館」の研修室で行いました。
 
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一度見れば、誰が見ても片岡球子さんの作とわかるライフワーク「面構」シリーズ。誰も片岡球子さんの表現に近づくことは難しいでしょう。強い独自の何かを感じます。

エネルギー、強い意思の存在・・・。はたしてこれらを何が見る我々に感じさせるのか。

人物を形作る「線」の力に注目しました。

どのようにしたら片岡球子さんに倣う事ができるかを考え、単純な模写ではなく、描く自ら(参加者)の意思を導き出す工夫をしたのです。ワークショップに参加された方々、はたして何かしらに出会えていたら幸いです。

 
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参考にしたのは、以前にもこのサイトで紹介したことのある「土佐家の肖像粉本 像と影 榊原吉郎 松尾芳樹」京都書院アーツコレクション88です。

「粉本」についての考え方、絵の学び方、伝統の継承についてなど、示唆深い言葉の詰まった素晴らしい研究です。是非、本書を手に入れてご参照ください。


今回、せっかくの機会ということで、片岡球子さん作中に現れる人物から粉本の要素となるものを作りました。また肖像画貼としても使用しています。

描くことを試みるのは、「この場にいない人」「思い出の人」「偉い人」です。

 
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加えて、日本画の「線」について。
「線」を描くことの基本、運筆についても少しだけ・・・・。

具絵の具を使用して試みました。

 
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「思い出の人」に姿を与えること。ゆっくりと筆を動かすことで生まれるエネルギー、緊張感。

今回のワークショップで「日本画」のもつ美意識の一つに触れられたとしたら幸いです。

 
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今日の成果!。たくさんの顔が出来上がりました。

はたして皆さんにどのように見えることでしょう。少なくとも描かれた方々は、「顔」が持っている力、「線」の力についての何らかの実感を感じてくださったことと思います(感じてくださっていたら嬉しです^^;)。

さて、今日のワークショップ体験、本画における見どころを確認することになったことと思います。はたして素晴らしい鑑賞体験につながれば幸いです。
参加された皆さん、お疲れ様でした。

※片岡球子展は11月4日まで。
※それぞれの画像はクリックすると少し大きく表示することが出来ます。

クロ現の特集「縁切り死」

 結構衝撃的だった。9月18日放送の「クローズアップ現代プラス」が「縁切り死」という話題を取り上げ、視聴者からも反響を呼んでいるという。
20180918_01現在身元不明の遺体が増え続け、全国で約2万体に上っているらしい。なかでも、家族や世の中と縁を切るかのように姿を消し、身元がわかるものを持たずに自殺する人が相次いでいる。何の前触れも無く、ある日突然姿を消す。前日まで夫婦仲良く旅行してにこやかに写真を撮っていた人がいなくなり、自殺とおぼしきご遺体が後日その方だと判明する。理由は全く分からず、残された家族は途方に暮れる。
 その背景は何が有るのか・・。
“「自分は無価値な人間だとか、迷惑をかけているだとか、いなくなっても誰も困らないから、せめて消える時はひっそり消えたい」
「自分はそんなに大したことない、死んでみんなに惜しまれるような人間じゃないと思った場合は、じゃあ別に消えたところで、今日だってたくさんの人が消えたって世の中普通に動いているじゃないって(思って)、だとしたらそれで良いんじゃないかなと思ってしまうことがある」”

残される人たちに過度な負担をかけかねないという中で、知られずにそっと姿を消すということを考えた可能性はあるという。
 しかし今の日本では、人が一人姿を消して誰にも迷惑をかけずに済むわけなどあり得ない。警視庁の身元不明捜索チームは、損傷の激しい遺体の写真から細密な似顔絵を作成したり、長い時間をかけて行方不明者と照合し、似ている人の確認のため遠くまで出向いたりする。もちろん、残された関係者だって「生きている」ことを信じ、永遠にそれを追う。有識者の声では「きれいな思い出だけを残して消えたい」という願望ではないかとみる。
 人は姿や声から遠ざかると、その記憶も忘却される。何を残したいかはその人の考えだが、地位、名誉、お金、人脈、技術etc、特別なものが無くても生きて現代に繋がっているのも事実。反面、年老いて認知症とか病気を患って「自分だけで生きていけなくなる」のも事実。真剣に考え自分で判断できるうちになにをすればいいか。「縁切り死」の言葉は後でついたものだが、全国でそれを考える人が増えているのは日本人だからと言えるんだろうか。

「なんとまあ死ににくい時代になったことでしょう」

 

9月15日に、樹木希林が亡くなった。 ボチいこ今週号の表紙は当然、これになる。

・・・・・・・

  樹木さんは、宝島社が1615日に全国紙4紙に掲載した企業広告「死ぬときぐらい好きにさせてよ」にも起用されていた。同年の「読売広告大賞」グランプリを受賞した作品だ。

クリックすると新しいウィンドウで開きます   英国の画家ジョン・エヴァレット・ミレイの名作「オフィーリア」をモチーフに、安らかな微笑みを浮かべた樹木さんが森の中で1人、水面に身を横たえているデザイン。「死ぬときぐらい〜」というコピーの下に、

人は必ず死ぬというのに。
 長生きを叶える技術ばかりが進歩して
 なんとまあ死ににくい時代になったことでしょう。
 死を疎むことなく、死を焦ることもなく。
 ひとつひとつの欲を手放して、
 身じまいをしていきたいと思うのです。
 人は死ねば宇宙の塵芥。せめて美しく輝く塵になりたい。
 それが、私の最後の欲なのです

とのメッセージが添えられている。

   この広告について、樹木さんは宝島社に「死は特別なものとして捉えられているが、死というのは悪いことではない。そういったことを伝えていくのもひとつの役目なのかなと思いました」というコメントも寄せていた。

・・・・・・・

訃報を聞いた時、上の言葉のとおりに、まるで三途の川をピョコンとまたぐように、あちらに逝ったという感覚だった。その軽やかさが、並大抵でないと思う。全身を癌に侵されてからの十年以上の間、おそらくその激痛と、抗がん剤の副作用に悩まされながら、トークでは飄々とした毒舌を吐き、演技では、歴史に残る名演を何度も見せた。

 

40年以上前の「寺内貫太郎一家」で、実年齢の倍以上の老婆を演じて以来、破天荒なコメディエンヌとして活躍した。富士フィルムのCMの「そうでない人はそれなりに」は、彼女のアドリブだそうだが、その空気感はまさに面目躍如のところがあった。

 

女優として私が刮目したのは、十年近く前の李相日監督の『悪人』である。殺人犯妻夫木聡の母親として突然マスコミの取材攻勢を受け、呆然と立ちすくむ佐賀の老婆の役で、ほんのワンシーンだけの出演なのに、不幸な運命に翻弄される一人の人間のあり方を象徴的に演じて、見事だった。

 

次が、河鹹照監督の『あん』。元ハンセン病患者ということがバレて職場を追われる熟練のあんこ職人。ここでも、自らの運命を非主体的に受け止める演技が、カンヌで喝采を浴びた。

 

そして去年、是枝裕和監督の『万引き家族』で、カンヌのグランプリを獲った。ここでは、一人暮らしの家にリリィ・フランキーらの偽家族が上がり込んで、不思議な同居生活をするという、やはり受け入れる演技だ。

 

書いてみて気づいたが、三作品にも共通しているのが、運命を甘受する演技だ。技巧を尽くして表現するというより、全身でただ受け止めるという演技。これができる俳優は、きわめて少ないだろう。私見では、これこそが主役にまず第一に求められるものだ。

 

癌による死の宣告を、冒頭の言葉のように軽やかに受け止めた、実人生での姿勢と、明らかにつながっているものがある。下世話に言えば、「癌が樹木希林を世界レベルの女優にした」のかもしれない。

 

最初の夫の岸田森のインテリ反権力と、内田裕也のロックンロール魂を、夫たち以上に存分に発揮した一生なのだろう。生まれついての女優なのに、芸能界とはしっかりと距離をおいて、世の中を複眼で見ることができた人。この人のインタビューやエッセイの言葉を、もっともっと読みたい。

マスターができるまで 久々1004

ようようの思いで浜に帰ってきた俺達を待っていた仕事は,職員のおじさんの指示で、最前と同じような手順をふみ、カッターを陸に引き上げる事だった。
海水に濡れたせいか、カッターはかなり重くなっていた。
しかし、俺は、これで、海に出なくてすむと安心したせいか、重いカッターを押す事も、さほど苦にはならず、どちらかと言えば、手にも力がわいてくるようだった。
ミツヒロも思いは同じと見えて、シゲイチと仲良く、懸命に舷側を押していた。
コウイチは時折押すのに退屈するのか、俺達の群れから離れ、
『変身』
と言い、砂を蹴立て、盆踊りのような、摩訶不思議な所作をした。
恐怖の航海で疲労困憊していた俺達は誰もそんなコウイチの「変身」につき合おうとするものはいなかった。
コウイチは俺達の気を引こうとしてか
『変身』
『変身』
と何度も言い、その都度、盆踊りのような所作をした。
あまりにもくどかったので、俺はそばにいたカワタカに
『あれ、なんのマネ?』
と聞いた。
カワタカは
『俺もようわからんけど、おそらく「変身」言うとるところを見ると仮面ライダーのマネじゃろう』
と言った。
それは始めて聞く名前だった。
俺が
『なんでぃ、その何とかライダー言うのは』
というと、カワタカはその事に驚いたようで
『どしたんボロさん、知らんの?』
と大きな声を出した。
ヒーローものに全く興味がなかった俺は、始めて「仮面ライダー」なるものの名前を知った。
コウイチはカワタカと話しをしている俺に業を煮やしたのか、さらに、数えきれないほどの「変身」をし、
『フルさん、フルさん』
と俺を呼んだ。
それは自分の変身ぶりを見てくれと言う催促だった。
俺が
『バッカじゃなかろか。
アホらしい』
と無視していると、コウイチはさらに異様とも言えるしぶとさで何度でも
『変身』
『変身』
と変身し抜いた。
ついにはカワタカが見かねたのか
『なんか言うてやれよ』
と言った。
俺は
『見て欲しいんじゃったらせめてあだ名くらい、正式に言うて欲しいわぁ。
ワィはフルさんじゃのうてボロさんじゃけん』
と小声で言いながら
『変身出来たんか?
そうか、そうか。
凄いなぁ』
と適当な返事をした。
コウイチは、俺が等閑であろうと一応返事をした物だから機嫌を直し、カッターを押す作業に復帰した。
そして、再び、俺達は整列させられ、職員のおじさんから訓話を受けた。
おじさんは俺達を見渡すと
『海はどうだった?』
と聞いて来た。
他のクラスのコは
『楽しかった』
とか
『広かった』
などと明るく答えたが、俺達のクラスの、特に男子は、皆一様に
『怖かった』
『船酔いした』
と暗い声で答えた。
大熊先生が慌てたように
『どしたんなら。
おめぇ達』
と言ったが、事情を知っている職員のおじさんは、
『お疲れじゃったもんなぁ』
と同情的に言ってくれた。
コウイチだけが気の済むまで変身できたせいか、ご機嫌で
『楽しかった』
と言った。
大熊先生は、サハラ先生や、イカルガ先生や、下津井先生の手前、自分のクラスの生徒だけが揃って後ろ向きの発言をする事を気まずく思っているようで、しきりと
『どしたんなら。どしたんなら。』
『お?お?』
と、狼狽したように言い続けた。
しかし、その時の俺達には、そう答えるのが精一杯だった。

国画創作協会の全貌展 創立100周年記念

 笠岡市立竹喬美術館で ー 創立100周年記念 国画創作協会の全貌展 ー が開催されています。2018年9月14日(金)〜10月21日(日)開館時間 9:30〜17:00 入館は16時30分まで 休館日:毎週月曜日(但し9月17日、24日、10月8日は開館、9月18日、25日、10月9日は休館)

 国画創作協会の行ったこと、そしてその作品群、私が画学生を終えた頃、東京での当時の日本画の流れとはちょっと違うもう一つの選択肢との出会いでした。

 東京で暮らす中、徐々に日本画に対する疑問が大きくなっていたおり、ここ岡山の地に生まれた笠岡市立竹喬美術館の一連の国画創作協会を検証する企画展の数々は刺激的でした。対象から昭和初期、たしかに川端龍子、速水御舟、小茂田青樹など関東の試みにも興味深いところは多々ありましたが、個人的なものだけではなく、伝統といった抜き難い何かを作品から感じさせるという意味で、京都画壇、それも国画創作協会の西洋、近代の受け止め方、表現は、なぜか私にはしっくり来たのです。

 竹橋美術館で3回に渡って特集された「国画創作協会の歩み展」で、出会った数々の作家、作品の数々。その後、新樹社を扱った展覧会もありました。

 館長いわく、ほぼ25年ぶりに全貌を回顧出来るような企画展、作品群を集めたとのこと。確かに、あれもこれもと懐かしい絵が並びます。

 部分模写を行ったことがある、小野竹喬の屏風「波切村」、榊原紫峰の水墨にもチャレンジしました。個人的には初期の頃、どうしても固くなる自分の絵画について、入江波光さんの柔らかな彩色を参考することで絵の具、材料の使い方についてを考えさせてもらったように思います。特に緑青、緑の扱いの違いについては岡山に暮らすようになって意識したことです。

 凄い!ボリュームです。また竹喬美術館は作品が見やすい!。

 厚塗りではない日本画のあり方。そこには毛筆を使って描く絵画、また自然との関係の作り方といった思いが色濃く出ているように思います。「伝統」を見直す意味でも参考になる部分が多いと思います。おそらく京都でも、ましてや東京ではなかなか見ることの出来ない作品群です。2階入り口正面のガラスケースに入った林司馬さんの作品など、20代の作とのこと、焦らずゆっくりとした絵との向き合い方、制作の様子に自分自身、しっかりしなければと示唆を受けた気がします。

 おすすめの展覧会です。

実技講座「国展の細密描写に挑む」
10月14日(日) 13:30〜15:00 
笠岡市立図書館多目的室

ワークショップ講師を勤めます。
対象は岡山県・広島県の高校生と一般

詳細は美術館にお尋ねください。
国画創作協会の全貌展 創立100周年記念 チラシ表

国画創作協会の全貌展 創立100周年記念 チラシ表

永遠に深い男女の溝

ちょっと前に男脳女脳の差を書いた本が売れましたよね。
0012533387l男と女の感覚差があるのは十分知れましたが、実際に差の重みと言うかこだわりの順位を感じることはなかなか出来ないもんです。そりゃ当たり前のように思うことが、性別によって非常識扱いになるんですからたまりません。
良く言うでしょ、女3人寄ればかしましいとか・・。でも、それは良くないそうで、3人だと2:1でいじめっぽくなる事が有るんだとか。4人がいいそうで、ま〜とにかく話題は東西南北上下左右に飛びまくり、建設的な会話はほとんど無し。うちの「てみると」にお集まりの昔のお嬢様たちも時間が許す限り話題はエンドレス。女性にとって“話をする事”自体が重要であって、内容はどーでもいいわけです。答えなんか用が無い(笑)。いや〜これはなかなか男じゃ理解しにくい。
 男の場合はある種の結論に向かって話が流れていくンで、いうなれば“議論の場”なんですな。会話は頭を活性化し、認知症の予防や創造性の開発、ストレスの発散になると言います。言いたいことを言い合って、その中で思いっきり笑えるのが重要。そうなると笑いのポイントも男女差が有ると言う事ですよ。腹から笑う事は健康にいいとか若返り効果も有るといいます。エビデンスも有って、吉本の株価も上がったりしました。でもね、男の経験豊富な3〜4人の集まりでは経験値が邪魔をして笑えない話が多く、自虐的になって、逆にストレスが溜まるかもしれません。その点でな〜んにも考えない女性の会話が有効、すばらしい(笑)。
ggking_9784799315279とにかく、女は4人で集団自浄機能が働くんだそうで、そういう会話をすることで“ストレス値”が下がるそうです。男でもストレス発散は一緒でしょうが、お男の場合は酒でも飲んで日ごろ言えない事をぶつけあったりして発散するでしょうし、たまにはいがみ合ったりするのも承知の上です。所詮戦うDNAが有るんでしょうよ。下手な馴れ合いなんてかえって複雑になるッちゅうもんです。戦えると言うのはお互いに認め合う面が有ると言う事でもあるんですな。ところが近頃はそれが妙に歪んだ感じが有るのは何故でしょうか?自殺も出来ず、ストレス溜まったら無関係の人でもぶち殺す?でも強そうな人にはいかない。つかまっても原因追及など裁判など時間をかけて解決される。世界の流れは死刑禁止。タマの小さい確信犯じゃないっすか。以前は「女の腐ったようなー」とか言ってましたが、完全に「腐った男」が増えてるだけです。
 ・・これね、平和になった社会の裏返しで、必要悪だった小さないざこざが無くなったからじゃないんでしょうねぇ。少し豊かになって、わが子可愛やで過保護の積み重ね。気が付けば感情の擦れ違いとか問題解決能力とかが欠如して、ごね得解決法にたよるしかない。さらりと処理出来る格好良さに1文の価値も感じず、お得になる空気感が全てとかね。国際感覚の豊かな奴が言うには「日本人は確実に次の世代でおちぶれる」。ごね得狙いって強いですから危機感ですなぁ。
男と女は脳科学的にも違いが有るんですから、「男女平等に・・」と言うのはその違いを認識して、その差をうまく組み合わせると言うことでしょう。立場が数がと無理矢理押し並べようとしてもどこかにギャップが出来るはずですから、自然な発想で努力の矛先に壁を感じたら、それをなんとかするのに協力が出来ると言う関係でいいのではないでしょうか。

佐藤美術館蔵 花と緑の日本画展

 岡山県新見市にある新見美術館で「佐藤美術館蔵 花と緑の日本画展」が行われます。2018年9月14日(金)〜11月11日(日)まで開館時間9時30分〜17時・入館は16時30分まで 休館は月曜(5月1日開館 5月8日一部展示替え)


 1990年、大阪で行われた「国際 花と緑の博覧会」に出品され並んだ当時第一線で活躍していた日本画家、大家の作品が並びます。第一室の絵の並び、華やかなこと。今回会場を見て思いました。繁栄する日本、日本画を疑うこと無く、描かれた数々です。それぞれ、元気さ勢いが感じられるのです。

 様々な作風、描写の姿が並びます。第二室に並ぶ当時若手と呼ばれた方々でも私より一回り以上、上の方々です。

 当時の日本社会を表す表現といったことも思うことになりました。さて、今に時代に描かれる絵の姿は後世にどのように判断されるのでしょう。

 佐藤美術館収蔵ということで、私が1993年に描いた「雪」も出品、展示に加えてくださっています。当時憧れた方々と一緒に絵を並べていただける光栄を思います。感謝。ありがとうございます。
 厚塗りの日本画に疑問を感じ、また自分自身の絵の硬さをどうにかしたいと絹本での表現に取り組んでいた頃でした。モチーフは昔よく描いた竹林、この竹林も私の原風景、岡山での暮らしの一場面なのです。但し、それに積もる雪の姿、舞う雪は東京の暮らしの中で見、感じたものです。なにもかもモノトーンに変えていく雪の世界。雪が都市における雑多なもの、数々の色を染め上げるその時を私は好きでした。

10月7日11時から アーティスト・トーク を行います。

10月7日13時30分〜(3時間程度)ワークショップ
「地元の神代和紙に花鳥を描く」     講師を勤めます

申込み等詳細は美術館まで問い合わせください。
佐藤美術館蔵 花と緑の日本画展 ちらし表

佐藤美術館蔵 花と緑の日本画展 ちらし表
コメントどうも。
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