ブログ版 週刊「ボチボチいこか」

不確かだけれど、生きる喜びと確実に結びついた、パーソナルな営みとしての、学びを求めて

日本人向けモンドセレクション

 
bg_contentモンドセレクションとよく聞くじゃないですか。
食品関連や美容品などでよくついている奴。あれってかなりいいかげんなもんだと薄々聞いていたんで、「あんなもん何の目安にもならんワ。」と言っていたわけです。
認識とすれば“お金を出せば誰でも取れる”と言う感じですかね。
実際に調べてみると予想以上に、日本人が欧米評価に弱いことを再認識します。
 2017年のモンドセレクションは マルタ島のバレッタで行われたらしいのですが、授賞式は例年6月ヨーロッパ各地を巡回して行われているんですと。もう56回も行われているらしいのですが、参加者の約半分は日本人。タキシードやドレスで着飾って表彰を待つそうです。出品の商品は日本の商品のオンパレード。今年の出品数2700点の内、約1500点が日本製品だったそうで、なにしろ受賞すればメダルや賞状など記念品がもらえ、それを売り場に置いているだけで売り上げは数倍になるんだと言いますからな。欧州の地元民は「何ですか?それ?」と知名度滅茶低く、格式なんて有ったもんじゃありません。でもタキシード姿のおっさんドレス姿のおば様達が何時間も待っていて、専門家は美味しいもんなどを食べて遊ぶ会合ですから、セレブっぽさは有りますかな。銅賞、銀賞、金賞、最高金賞の4つの賞がありまが、60点以上なら銅賞、70点以上なら銀賞…といった具合に、基準点をクリアしたすべての商品に各賞が授与されます。運営元はベルギーの民間団体。審査員はシェフ、大学教員、製造技術者、ソムリエなどの食の専門家たち約70名から構成されます。「味覚」「衛生」「パッケージに記載されている成分などが正しいか」「原材料」「消費者への情報提供」等の項目や「見た目」などが審査員の点数を取ればOKですから、日本の商品だったら「食品衛生法」をパスする方が難しいかもしれません。だから出品商品の90%は何らかの賞を貰うんだそうです。
mondoつまり金を払っても出たら賞がもらえ、売り上げがアップするということ。一回の出品は約27万だそうで、もっと安かったとしても2700点ですかい、う〜ん・・。それで金ぴかのメダル貰って飾れば売り上げが跳ね上がるっちゅう事ですから安いもんでしょうな。ましてや粗利の高い食い物や美容関係でしょ。行かなきゃバカですがな。ちょいといいカッコして旅行に行って、賞状を貰えば売り上げには貢献する、経費では落ちる、まだ何も知らない女子供はしっかりだませる、知っているかもしれないバイヤーなんかも売り上げが確実に伸びるんだったら「どうやって飾ろうか」「キャッチコピーはもっと派手にやるか」なんて、商売っ気を出すわけです。
これはどうやら“運営する方”が日本人相手に上手い商売をしている感じにも見えるからWIN WINのいいネタっぽいですぞ。それで、なんとなく格式有りそうな“賞”でメダルまで貰って、周りは外人だらけの写真だったら有難がるのが日本人。なんで外人に評価されてからしか認めないんでしょうね。
私らが関係していた九州の「合馬の水」は知る人ぞ知る「竹やぶ」から採れるブランド水。ところがあっさりと潰れちまった。その時に営業の手段として「モンド」を聞いてましたし、玄人はそんなんじゃ騙されないとも聞いてました。つまり一般人を直接相手にする小売部門に近くないと意味が無い。実態は、品質ランク認定や品質検査に近いものだったんですな。

読んでひとこと 第903号

「昆虫の家」: 私はこういう素朴な詩は、苦手だ。


人工知能の学習域: 囲碁で世界一の韓国人に3連勝したAIは、アクティブ・ラーニングという手法を用いて、目標を与えられたら、自分でどんどん学習していくんだってね。人間がやると8400年かかる対局数を、AI同士でこなす。これはもう、完全に人間を超えてしまった。将棋界でも、藤井聡太くんをはじめ、いまやどの棋士もAIを使って研究しているそうだ。詰将棋の天才だった藤井くんが突然28連勝したのも、AIで序盤が一気に強くなったらしい。こないだも、トイレでスマホでAIを見ていたと噂された棋士がいた。もう、どうなの?これ。クルマの自動運転も、ありえない。つまり、題にあるように、学習力では人間も歯が立たない。愛情も学習できるのか。



2016年11月末 愛媛周遊の旅 〜軽佻浮薄編〜  その6

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足摺岬が近づき、海岸段丘の上を走る道の脇に、観光ホテルがポツポツ見えてきた。そして、第4カーブを回った途端、絵に描いたような温泉街が目に飛び込んできた。そうそう、観光地というのは、こうでなくっちゃ。かなりのアップダウンがある。その天辺に駐車場。ここで車を降りて、灯台に向かう。あいにくの雨だが、合羽と帽子は二人分きちんと用意してある。強風で、雨粒が真横に飛んでくる。

 

近くに見えたが、意外と歩く距離がある。尾根の森の中の細い道。さすがに、きれいに掃除してある。他に観光客はほとんどいないが、灯台周辺を掃除している三十路の女性二人。後ろ髪を引かれるほどの美形は、おそらくホテルの若女将と見た。

 

海面から数十メーター。凄まじいばかりの絶壁だ。スケールがでかい。岡山のユルーい風景に馴染んだ目には、とても新鮮で、感動した。嵐に近い強風が吹き荒れているのも、よくマッチしていた。足摺、しっかり胸に刻んでおく。再見。

 

今度は東海岸を通って戻る。半島の根元で、結局土佐清水の、来る時の道に戻った。そこから東へ、四万十川を目指す。助手席の人は、スマホに首っ引きで、ナビに専念してくれている。正直言えば、こんな一本道でさほど必要でないし、間違えてもそれはそれでOKというのが、私の旅のスタンスなのだが、いつどんな場面でも必ず有益な人間でありたいという情熱には、ただもう感服するしかない。これが人間のあるべき姿なのだ。

 

太平洋からすこし奥に入ったところで、大きな川の河口近くに出た。おお、これが四万十に違いない。西岸の土手の上の道を遡る。旧中村市の郊外。対岸にニュータウン。傾斜を利用して、全戸がこちらを向いている。しばらく走って、中村の街に出る。おお、映画『祭りの準備』の舞台だ。

 

 

最近私が発見した定理だが、「その県で3番目の街はおもしろい」

 

岡山県で言えば、岡山・倉敷の次の津山だ。宮崎県なら、宮崎・延岡に次いで都城。鳥取県なら、鳥取・米子ときて、倉吉だ。香川なら高松・丸亀の次の観音寺。愛媛は、松山の次に今治も新居浜もあるが、これらは瀬戸内沿岸の一連なりと考えて、宇和島を推す。

 

これらの町の共通点は、その県の面積の半分以上を占める中山間部の一大中心都市だということだ。だから、市の人口に比べて商圏は遥かに大きく、昔から商業や政治の中心都市として、大いに栄えていた。立派な城下町でもある。つまり、歴史の重みを感じさせる街なのだ。

 

たとえば岡山でも、県南の人間の多くは、津山など山の中の田舎町くらいにしか考えていないが、つい20年ほど前まで、その商店街の大きさは、倉敷などの比ではなく、まとまりでは岡山市をも凌駕していた。住民もプライドを持っている。そこが肝心。で、中村も、そんな「3番目の街」の一つではないかと、私は思っている。

マスターができるまで  ナツコの恋 121

ハルキは気負い立ったような古中刑事をみつめ、その後
『ええかな』
と言うと、最前、指摘したように湯のみの内側に指を四本入れ、
『姉さんの言う通りなんだ。
古物商のオヤジにも聞いたところ、焼き物を取り扱う人の中にはこう言う持ちかたをする人がおおぜいいるみたいなんだ。』
と言い、俺達の方に差し出して見せた。
それは一見、雑そうな扱いかただったが、どこか安定のある持ちかたであった。
父が
『なるほどの、、』
と言った。
母は自分の記憶が肯定された事がうれしかったのか、はにかんだようになり
『ほれで、ハルキちゃん、、
もう一方の、中に一本しか指跡が無かった方は、、、』
と言いかけ、その瞬間、何かに気がついたような顔になり
『あ、そうか、、、』
と言った。
ハルキは
『そうなんじゃ
そうなんじゃ。』
と言い
『ええかな』
と言うや、
湯のみの内側に親指だけをを入れ、逆さにするように振り上げ、俺の方を目がけて殴りつける仕草をした。
俺は瞬間的に
『ひゃ!』
と言った。
古中刑事が
『大げさな声出さんでも』
と笑った。
父が再度、
『なるほど』
と言うと
『そうやって八木のオヤジさんを殴りつけたんじゃな。』
と嘆息し
『じゃからこの焼きもんの底のところに傷がはいっとんか、、』
と納得した。
ハルキが
『そうです
そうです』
と言い、今度は本物の焼き物の底の部分を見せるようにと古中刑事に指示した。
古中刑事は
『はい』
と言うと、俺達のほうに、証拠の焼き物をかざした。
それは、底の部分がよくわかるような見せかただった。
底には白い裂傷のようなものがあった。
そういった気持ちでみるからかどことなく生々しかった。
『借金のかたに自信作を持って行ったのがシノハラで、後から来た、ナカヤマがそれで持って八木のおっさんを殴り殺した。
それで、焼き物もろとも燃やしてやろうと家に火を放ったいうわけなんじゃな
しかし、元々高温で焼かれた焼き物だけは焼けずに残っとったていうわけか、、、』
と父が言うと、
ハルキが
『表面の指紋はさすがに炎に炙られててわや(ぐちゃぐちゃの意)になっとって詳しいものは出んかったけんど、内側からはばっちり検出されたからね。
四本のがシノハラさん、
一本しかないほうがナカヤマ。
これで確実ですわ、、』
と言った。
母が
『ふーん』
とうなり
『現代の科学捜査てもの凄いんじゃね。
燃え残りからでも指紋がわかるなんて、、
なんかきょうとい(怖い)わぁ』
と言い、
『まるで犯人を捕まえてくれぃ、言う、八木さんの執念みたいじゃね』
と言った。
父も
『ほんまじゃのう、、』
と同意した。
ハルキは薄手の手袋を脱ぎながら
『いいや。
兄さん姉さんそれはどうかな、
ボクはそうは思わんな、、、』
と言った。

ツバメ投影生存競争

 
P1060230当社テミルトの玄関で今年子育て中のツバメ。
写真では3羽のヒナが見えます。
昨年は6羽と言う大混雑。同じツバメじゃないので、そりゃ当たり前ですが、同じ巣の中で色んな事情も見えますねぇ。

昨年のツバメは大家族の親らしく、卵を温める時から一生懸命さが伝わってきました。常にどちらかがしゃがんで温め、卵がかえるのも早かった。今年のつがいはしょっちゅう外へ出て休憩していた感じですな。
それでもヒナがかえったら1日平均500〜600回も餌を運ぶと言う重労働を必死にこなしているようですが、変な傾向が見えます。親ツバメ以外にもう1羽周遊しているんです。近寄って来たら追い払う。巣の横へ来て留まっても餌をやらない、バタつくだけ。そのうち追い払われる。P1060202
この傾向は当初から気になっていたんですが、最初は「巣」の中古物件の取り合いかと思っていたわけですが、どうも平和な家庭にチャチャを入れる間男か性悪女のような、“相手のいない”つばめじゃないかと思うんですな。
それが羨ましがってか、時期的な本能か、巣や子育てに寄り添おうとしているんじゃないかと勘繰るわけです。
人間でも晩婚やシングル増加で出生率の低下が叫ばれていますが、何らかの事情でつがいになれなかったつばめもいるのではないか、事故で相手を失ったとか有るのではないかと想像してみるんです。つばめひな-2
してみれば生存競争も厳しいもんで、ご覧のように3羽のヒナ。当初4羽いたはずだし、奇数は変ですが、おそらくエサ取り事情で兄弟に負けたか、何かの都合で弱って死んだ可能性も有るんじゃないかと思いますねぇ。
 まぁどっちにしろ、この3羽もあと1週間もすれば巣立ちの時期になって、4畳半一間のような“巣”からいきなり一般社会に通じる“大自然に”飛び立つわけですから、餌をねだって大口開けるのもあとわずか。
そこからが本当の生存競争になるんでしょうな。
「ライオンはわが子を谷底へ・・」なんてフレーズも有りますが、人間様は貴重になった子育てにそこまでの“重石”を課す勇気も無く、どんどん甘やかしていってるようですから、生存競争力は弱まっているのかもしれませんぞ。
戦いのために宿す技も時代によって変わっていくのでしょうが、やはりその元になっているのは育つ環境。それも長年積み上げた先人の遺産も多分に影響が有るのも確か。どこかの国のように歴史を歪曲してまで、自己都合のごり押しをするのも処世術かも知れませんが、世間に出て勉強して立派な大人になるのはやはり「自分」です。色んな戦いにいどむ強さが必要ですが、日々の小さな(自分とも含め)戦いにまい進することは、いつの時代にも必要な事なんでしょうな。そうなると親が出来ることは、手出しせずしっかりと見守ることぐらいでしょうか。

「山田孝之のカンヌ映画祭」 その2

 

というテレビ東京の番組の話。今年の1―3月期に放送されたものを、今テレビせとうちでやっている。前回、8話まで観た段階で書いた。また書くとは思ってもなかったが、あまりにもムチャクチャなので、再びです、すみません。実際には、この番組を元にした映画「山田孝之の3D」が、ついに公開されたようだ。http://www.hochi.co.jp/entertainment/20170617-OHT1T50176.html  相変わらず賞を獲ると山田は豪語している。

一方、前回登場した河瀬直美は、「ひかり」で、パルムドールに次ぐ批評家賞をもらった。永瀬正敏が盲目の写真家を演じている。この人、キョンキョンと離婚後はパッとしないと思っていたが、実に重厚な演技。河瀬ともどもカンヌの顔にふさわしい。

さて、本題。内容は、山田が突然、カンヌ映画祭でグランプリを取りたいと言い出して、映画監督の山下敦弘と女優の芦田愛菜と3人で、ゼロから映画をプロデュースしていく、という話。スポンサーも悉く断られ、山田の大ファンというガールズバー経営の24才のニイちゃんの2000万円を頼りにスタートする。

山田の妄想をビジュアル化した漫画家のコンテを元に、これに忠実に撮れと、山田が山下監督に命じる。母親のイメージは、巨乳の土偶。長澤まさみが呼ばれる。長澤はやる気だったが、二人に全裸を要求されて困惑する。

「いま私が脱いだら、筋や内容と関係なく私の裸だけが話題にされる」と、全くの正論で拒否するが、二人は一切妥協しない。「こんな小さな作品では脱げないと言うのか」と、イヤラシイ言い方で迫る。あまりのヒドさに、観ていてハラハラさせられる。

結局断られ(当たり前だが)、デカいオブジェに代役させることに決定する。クランクインが迫る。超人気者で中学受験を控えた芦田愛菜のスケジュールも、厳しい。

当日、スタッフが二晩徹夜で完成させた母親像が、森の中のロケ現場に持ち込まれる。撮影が始まろうとすると、山田が、「こんな小さなのではダメだ、作り直せ」と言い出す。いままで耐えてききた山下監督も、今度は抵抗する。どうしても今日撮りたい。現場のスタッフの士気にも影響する。資金ももう底をついている、とこれも極めて真っ当な反論をする。

 

すると山田は、「はい、ごくろうさん」と言って、監督を回れ右させて、「帰れ」と冷たく言い放つ。呆然とする監督。しかし、何度も言われてついに去っていく。

最初はゆっくり、そして突然猛スピードで走り去る。森の灌木の間からその頭が見え隠れするのだが、その絵をカメラが完璧に拾っているのが、怪しい。そういうお約束の芝居にも見えてくる。そんな虚実皮膜の境が、この番組のキモなのだ。

そして監督が消えてひととき経ち、爆発音。みんなが駆けつけると、くだんのオブジェが燃えている。ここも演出の匂いがプンプンしていて、笑える。

ともかく、これでもうオシマイなんじゃないか。この第10話の題が、「芦田愛菜、ついに決断する」なのだが、それには一切触れずに、終わってしまった。来週はもう解散しかないんじゃないか。

このハチャメチャで横暴極まりない態度が、変な民主主義だか教条主義だかを思いっきりふっ飛ばしている。気になる。映画も観るかもしれない。

読んでひとこと 第903号

表紙: 本当に憎たらしく画いてありますな。共謀罪について、世論があまりにも静かなことが、気持ち悪い。そして、加計学園問題。菅官房長官は最初、「怪文書」と誹謗したし、前川前次官が証言すれば、汚いスキャンダルを流す。ネトウヨの「安倍さんは潔白」コールも気持ち悪い。隣の狂った国に気を取られて、日本はまともな市民意識の高い国、という幻想に取り憑かれているのかもしれない。


靴を履きやすくなるカスタマイズ♪: 私も、百均の中敷きで調節することが、よくある。ジェルパッドというのも、良さそうだな。うんうん、インソールの良いのは高いんだ。それと、革製品はきんと油を塗ると、見違えるようになる。私でさえ、「物を大切に使っている」人という気持ちになれる。


見栄: 「全く見栄を張らない人」は、「案外、どんよりした覇気のない存在かもしれない」とは、たしかに言えるかもね。「SNSの幸せ自慢競争」は、確かに「見栄」の極地のような気がする。家や車や宝石の自慢よりも、幸せの自慢のほうが厭らしい時もある。 ちなみに、見栄(虚栄心)は、英語では、vanity、すなわち、空っぽで無駄なことです。賭け事で大敗した時に感じるような虚しさに近いかも。だからこそ、人間の根源的な情動の一つなんでしょうね。


マスターができるまで 久々880: 奥さんを「これ」と呼ぶのが、懐かしかった。男尊女卑の良き時代。


ボチいこ登山部、下津井を制覇: 午前8時41分に解散して、20分後には普通に土曜日のお仕事。この落差がまた、近場の山のおもしろいとこ。






マスターができるまで 久々881

商店街を抜けてもうすぐ駅というあたりに小便小僧があった。
小便小僧はその時もチロチロとはかなげな水音を立てていた。
それまで果物屋からゆっくりとではあったが、物もいわず、自転車をこいでいたマナブであったが、小便小僧が見えてきた所で、にわかに自転車を止めた。
マナブの速度のあわせて早足を続けていた俺は、相当、息があがっており、汗だくになっていた。
マナブは小便小僧の周囲を取り囲んでいる白い手すりのような物に自転車を凭れさせて、自分もそれに凭れていた。
気息奄々の俺がやって来るのを見るとマナブは
『善洋ちゃん、少し痩せたほうがええかなぁ』
と言った。
それは百も承知だったので、俺は
『ほん』
と答えた。
いささか不本意な声になった。
まさか、マナブから体重の事を言われるとは思ってもいなかったからだ。
しかしマナブは俺の不本意な声音になどおかまい無しのような声で
『さっきの話しじゃけんど、個性的な自分がイヤで普通の男子になりたいんじゃったら、善洋ちゃん、いっそ、子供会のソフトボールチームに入んねぇ。
あれは、ボクも入っとったけど、練習は厳しいし、団体行動じゃし、それこそ、見学は見て学ぶことです、やこう言う屁理屈は通用せん。
善洋ちゃんの、個性を潰すには持ってこいの場所じゃわぁ』
と言った。
見学とは見て学ぶ事です、というのは、俺が、運動会の練習を強いてくる守谷先生にかつて吐いた暴言であった。
そんな事まで持ち出すマナブに、俺は軽い悪意のようなものを感じ
『見学とは見て学ぶじゃなんて、よう、そがな古い事、覚えとるなぁ』
と言った。
マナブは
『忘れるもんか』
と言い、
『小学一年で、そがな事言える子、そうそうおらんで、
じゃけん、善洋ちゃん、アンタは子供会に入ってそこで揉んでもらいねぇ、
そうしたら、理屈も何ものうなるわぁ。
それが一番じゃ
その代わり今の面白い善廣洋ちゃんではのうなるけんどな』
と言った。
そしてポケットからマナブは何と皺になったタバコの袋を取り出した。
片方のポケットには折畳んだ紙の小さなマッチまで用意していた。
俺が
『マナブ君、タバコ吸うん?』
と聞くと、
『タバコくらい』
と、マナブは嘯き、
『言うてもええよ、
お父ちゃんや、お母ちゃんに』
と付け足した。
俺は
『言わんよ』
と言った。
マナブは、最初の一吸いに若干、むせて
『コンコン』
とせきをしたが、やがて、美味しそうに目を細めて煙を吐き出した。
細い顎を若干上向けにして煙をはくマナブののど仏が上下に動いた。
俺は、そののど仏の上下動が口にしていないマナブの心の声のような気がした。
マナブの吐き出した煙は白い条となって小便小僧の向こうに立ち上って行った。
『わかったわぁ。
多分ついていけんじゃろうけんど、子供会、入ってみるわぁ』
俺が煙の行く先を追うようにしつつそういった時、にわかに怒気を孕んだ声でマナブが
『それでええんか。
お、
ホンマにそれでええんか』
と詰め寄って来

5月28日 琴浦アルプス登頂  その4

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瑜伽山頂、桜園地の東屋でひと休憩。O隊長が持参のガスコンロで湯を沸かし、コーヒーを振る舞ってくれた。熊山でもカップ麺を食べてる人を見たが、熱いものが嬉しいね。とりあえず、北小学校まで戻る。ここから、上の町〜八浜の幹線道路を下りるのでは芸がないなと思ったら、その脇に道があった。

 

こじんまりした住宅街だ。O隊長の同級生の家族が営む新興宗教のお社があった。パッと見た目は、地味な神社という感じだったが、駐車場もなかなか広い。お参りしていこうかと思ったが、鎖で通行止めしてあった。

 

ほどなく右折。「ふれあいの森」に入る。ここも甘く見ていたが、素晴らしいハイキングコースだった。これはもっと地元民に知られていいと思う。入り口ではこの時期、夜にヒメボタルの乱舞も見られるらしい。一人で来るのはちと寂しいが、グリーンシャワーを存分に浴びることができる。高低差も比較的小さいので、我々初心者には助かる。

 

少しだけコースを外れて、頂上展望台に寄った。手前に上の町から中山の森、その向こうに瀬戸大橋と、見慣れぬ角度から眺める児島の町が、新鮮だった。標高261mは、かなり高い。登山道もよく整備されてある。

 

駐車場まで下りた後は、広い舗装道路を最近造成された巨大な墓地の脇を通って下り、砂池に出る。ここは2回目だが、車で行けるわりには、広くて神秘的なムードがある。そして三叉路。右は郷内、左は高辻部落。そう、ここは既に郷内に接している(かなりキョリはあるが)ことに感動する。

 

交差点に「山ノ内集会所」。左折してしばらくすると、「倉敷文化村」だ。ここは名前ほどの規模はないが、ちょっとユニークで、一部では知られたところ。ああ、後は知った道を下りるだけと思いきや、すぐに右折。やった、初めての道。個人的にディープと想像していた高辻部落だ。

 

資産家の首斬り殺人事件がいまだに犯人不明。確かに、田舎風ではない豪邸が多い。その中で目を引いたのが、吹屋の西江邸にも匹敵するような、高い石垣の上の、高級料亭のような巨大な和風建築。意匠も凝っているが、残念ながら放置されて数十年というところ。

 

ふと気づいた。これは高校の同級生の家だ。一度だけ訪ねたことがある。石垣の前で撮った写真が記憶にあるが、琴浦のどこにあるのかわからず、たまに夢の中に出てきた。ここがそれだ!

 

想像より遥かにデカい。確かに、思い出してもお城のような石垣が普通じゃない。彼はどうしたんだろう? 家と同様、彼も、金田一探偵のドラマに出てきそうな、神経質そうな面長白皙の美少年だった。当時の仲間に聞けば消息はわかるだろうが、訊きたくない気もする。ただ、彼と二人でホコリを払いながら家の中を探索し、石垣の端に足を投げ出して、昼酒を酌み交わしたい。

色彩と共に

写真
 「つまり非芸術的な象徴解釈をすすめているのではありません。ですから、この色はこういう意味であり、あの色はこういう意味である、というのではないのです。色彩が色彩そのものとは別な何かを意味しているというのではなく、色彩と共に生きられるかどうかが問題なのです。(シュタイナー『色彩の本質』)
 色に紋切り型の「意味」を見ることに終始してはならない。色を前にしたとき、解釈の方法を探るのではなく、どうしたらそれと共に生きることができるかを考えなくてはならない。(若松英輔『生きる哲学』より)」
コメントどうも。
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