ブログ版 週刊「ボチボチいこか」

不確かだけれど、生きる喜びと確実に結びついた、パーソナルな営みとしての、学びを求めて

10日の土曜日、岡山県最高峰の後山に登った。後山? と多くの人が訝しく思うだろう。あまりにも無名だ。でも、いい山だったよ。岡山・兵庫・鳥取の県境。頂上に美作市と兵庫の市の、2つの道標が立っていた。よくあるけど、尾根が県境。

その、前半の登りの道が、私の短い登山人生で最高だった。沢沿いの急傾斜の谷。大小の岩がゴロゴロしていて、道があるようでないようなところを、適当に選んで登っていく。枝にも地面にも、きれいな黄葉が。南斜面なので、木漏れ日が柔らかく降り注いでくる。

3座を巡る周回コース。下りの後半は、林道つまり、舗装道路となる。これがまた良かった。まるで唐琴の裏山の中腹を巡る道路のように、ぐるりとゆっくり下っていく。車の通行は皆無(台風被害で通行止めのまま放置)、山道と違って景色がグッと開けている。標高は700m前後。すぐ後ろは、さらに600m以上高い頂上。あんな所についさっきまでいたのかと感動。ススキ野原の向こうに、山の雄大な紅葉。ただし、四国と違って中国の山は、植林の杉の緑との混合になる。

駐車場に着いたのは3時頃だったか。秋の陽は釣瓶落とし、明るいうちに田舎町を通りたい。すったもんだで結局、国道179号線を通る。行きは上郡・佐用などの兵庫県内を北上して、見知らぬ町の風情を楽しんだ。帰りはまた別の田舎を見たい。

何もない田舎を見る。そんな変態趣味をシェアできる人がそばにいるなんて、奇跡のようだ。夕暮れ迫る寂しい村々。「こんなところに住んで、何が楽しいんだろう。仕事先はあるのか」と、地元の人が聞いたら鼻持ちならない疑問を、いつも話す。それは、正直、田舎を馬鹿にしているのではなくて、人生の滋味を、そこから引き出そうとしているんだ。

田舎のくせに気ぜわしい児島で、すぐに忘れてしまいそうなものを、取り戻そうとしている。

田舎道といえば、先月末の石鎚山の帰り道。絶景の石鎚スカイラインを下り終えて夜の帳が降りようとしているなか、私たちは、地図で見るとミミズがのたくるように折れ曲がった道を通って、高知側から愛媛側に抜けた。峠の頂上は標高800mは越したのではないか。それが四国だ。クネクネは覚悟の上だが、驚いたのは、途中ずうっと人家がなかった。

これが中国山地なら、集落はなくても渋めの廃屋やチープなドライブイン跡が、1キロ以内に散見するのだが、まったくない。やっと峠を超えて愛媛側に入っても、同様。出会ったのは、狸の家族だ。車のライトに照らされて驚いたのか、最初ポカンとしていた。その顔が、まるで童話の中の愛らしいタヌキの顔そっくりだった。もっとも、タヌキは、この一週間に2度も、児島で見た。マクドのそばの小川トンネルの下と田の口の奥ん庄だ。

そして、石鎚登山口の手前の、雲の上の道UFOライン。これは人生最高の眺めの道だった。つまり、私にとっての旅は、道に極まる。

マスターができるまで 久々1019

どういった話しの展開からか、サトシの号令のもと、男子全員が、仮面ライダーと戦うショッカー軍団の役を演じる事になった。
大熊先生との話し合いが、下津井先生の乱入で思わぬ長丁場となったため、自室に戻るのが遅くなってしまい、俺が、帰って来た時には、そんな話しになっていたのだ。
サトシから、
『どの悪役がええ?』
と聞かれた俺は即座に、
『わぃはええわぁ』
と言った。
そもそも、俺がそんな事をするキャラクターでない事はクラス中、誰一人知らないものはいなかったので、それに関しては、すんなり受け入れられた。
『変身!』
『来い!』
『もう一回、変身!』
『何遍変身すんなぁ』
『来い!』
『おう!』
『ほんまに来るとは思わんかった!』
と部屋は、耳を聾さんばかりの騒がしさとなった。
ひとり俺は、そんな男子達のおおさわぎにも参加せず、ベッドに腰をおろすと、
『何を歌おう』
と思案した。
そのウチ、俺は
『あ、
まず!』
と思った。
男子が全員「仮面ライダーショウ』に参加する事になったという事はいよいよ持って俺達のクラスばかりが目立つ事になってしまう。
すると、さらなる下津井先生の怒りを買う事は必定だった。
しかも、キャンプファイアーのさい、炎を女神を演じる女子は、学年イチ、勉強ができるコに白羽のヤが立つ事になっており、それも、文句なくジュンコが獲得する事は明白だった。
これでは、下津井先生でなくとも、かたよった人選の非を鳴らしたくなる事は明らかであった。
俺は、それを理由に、せめて、歌唱だけでも他のクラスのコに変わってもらおうと、改めて辞退を申し出る気になった。
そこで、俺は、騒がしい部屋をそっと後にして、廊下を小走りにはしり、職員室にむかった。
シゲイチが
『何処行くん。
もうすぐ始まるよ』
と言った。
俺は
『わかっとる』
と言った。
階段をおりると、女子の部屋が奥へと連なっており、そこからも、賑やかな女子の声が聞こえて来た。
職員室の扉をノックした。
返事がなかったので、俺は勝手に扉をあけた。
おじさんが、誰かと電話で話しをしていた。
おじさんの他は人の姿は見当たらなかった。
壁際についたてがたっており、その向こうから笑い声が聞こえていた。
どうやら、先生達はあちらにいる様子だった。
おじさんは、扉から顔をのぞかせた俺を見ると、話しを中断するため、受話器を掌で覆うと
『どしたんなぁ』
と言った。
俺が
『大熊先生は?』
と聞くと、おじさんが、相変わらず受話器を押さえたまま、奥にむかって
『大熊せんせい』
と叫んだ。
そして。改めて受話器を耳に当てると
『ですから奥さん、それはご心配無用です。
ちゃんとやっとってですよ』
と言った。
大熊先生がついたての向こうから
『どしたんなぁ。
また、誰かケンカでもしとんか?』
と言って出て来た。
俺は歌唱を辞退したい旨を説明した。
大熊先生は黙って聞いていた。
最初は
『そがん気を使わんでもええがな』
と言った大熊先生だったが、「仮面ライダーショウ」に男子全員出る事になった話しをすると
『ほんかか?
そがん事んなっとんか?』
と驚きを新たにし、
『そうかぁ』
と言った。
そして、申し訳なさそうな声で
『それなら、アレかのう、、、
バランスを取るためにも、せめて歌だけでも他のクラスのコにした方がええかのう、、、』
と言った。
その時、受話器を握っていたおじさんがひと際大きな声で
『奥さん、アンタもわからん人ですなぁ。
皆がせっかく協力して外泊させてあげたい言うとる気持ちがなんでわからんのんですか?
そがん心配ならこれから様子を見に来なせぃ』
と言った。

季節の変わり目


昨日から一気に寒くなった。

古いビルの3階にある事務所は、

冬になると隙間風が入ってきてかなり冷える…。

 

私以外のスタッフ2人は、もう背中にカイロを貼っていた。

年末にかけて忙しいので、風邪をひいているわけにはいかないのだ。

今年は夏が暑くて、その感覚が体に残っているのか、

寒さに対して鈍感になっているみたい。切り替えなくちゃ…

 

我が家のベランダには、まだ緑のカーテンが健在。

葉っぱは黄色がかってきたけど、

沖縄スズメウリがころころとした実をつけているし、

 

昨年のこぼれ種から伸びた風船カズラがどんどん勢いを増している。

 

さすがに朝の水やりがつらくなってきた…

でも、まだ緑色のうちは頑張ろうかな。

 

亀も寒くなったので、エサをあまり食べなくなった。

季節は移っているのだな、、、、

 

犬も食わない日本のドラマ

いやあ、いくらなんでも・・・これはナイッス!!
今期のドラマの中ではマシかと思って観ていたが、いくらなんでも、と呆れてものが言えないシーンに、ついに出会った。『下町ロケット ゴースト』https://www.tbs.co.jp/shitamachi_rocket/

立川談春部長の実家の稲刈り手伝いシーン。コンバインで広大な田を刈り取っているのに、なんで人力で稲刈りしているんだ。なんの宗教儀式なんだ? どうして佃製作所の面々は会社の制服なんだ? これは会社の仕事か? さらに、帝都重工の吉川晃司部長は、なぜ背広で稲刈りを? 手伝う気があるのなら、それなりの作業着で来るだろう、普通。

そうして、少しやっただけで腰が痛くなり、「やっぱり生産の現場は大変なんだ」と体得し、ロケット部門の打ち切りでエンジニアとしての未来を模索していた彼の目に、再び新たな希望が芽生える。そして、会社のデスクで未来を見つめる部長。

おいおい、田舎の田んぼは都会のエンジニアのエルサレムか? 額に汗して働く原点に立ち返ったら、都会のひ弱なサラリーマンは、生き返るのか? こんな安い設定、漫画でもやらんぞ。悲しいのは、これが今の日本のドラマの実力を示していることだ。


この番組、芸人をこれでもかと起用して、それなりに面白い味を出しているのだが、前シリーズから私は、談春の芝居が鼻について仕方ない。それは不条理な考えだと否定してきたが、もう限界だ。だって、今や日本で一番人気のある落語家の一人だ。ヘボで大根のはずがないじゃないか。

しかし、どうもあの顔がアップになるたびに、違和感が増してくるのだ。それはなぜかと考えると、落語は一人芝居だ、ということが原因かもしれない。つまり、他の役者とからんでいない。セットの中のワンノブゼムではなくて、いつも自分が主役の、自己完結の芝居をしているんだ。そこが、いつも、焼餃子のハネのように、はみ出している。ハネがパリパリして美味しいように、それをも味だと考えれば、それもアリかもしれないが、アンサンブルを無視した芸は、まあ、率直に言って、ダセエよ。

親にできること


私、

おかあさんにギュっとしてもらったとき嬉しかったんです。

子どもが親にしてほしいと思うことは、

それぐらいじゃないですか。


NHKドラマ「透明なゆりかご」で印象に残った台詞。

 

子どもが小さい頃はしてあげられることがいろいろある気がしていたけど、

我が子はもう大きくなってしまったので、

(息子が来年成人式だなんて信じられない…)

ギュっとすることは今ではほとんどないし、

娘は最近、私よりしっかりしてきたような気がするし、

(気のせいだけじゃないかも…)

 

遠方にいる息子にも、さて何をしてあげられるのか

たまに仕送り、それくらい、、、。

 

こういうとき、亡くなった母に聞いてみたくなる。

弟たちが進学で家を出たとき、どんな風に感じてた?

どんなことしてあげてた? 

 

自分が何歳になっても、未知なる部分は不安で、

誰かに聞いてみたくなる。

 

そのとき、

問いかけて、うなづいてくれる存在。

そこにいてくれること。

 

あぁやっぱり野球は楽しい

スポーツ秋たけなわと言いたいが、その勢力図は大きく現代版に代わってきている。我々も今の時代に合わせて、注目する競技まで変えていかなければいけないのか。サッカーだけじゃなく、ラグビーの他テニス、卓球ばかりでなく、e-スポーツ?
馬鹿な、自分が関心を持って見れる(出来る)ものを見ればいい。
今行われている日米野球も思えばずいぶん昔と姿が変わってしまった。最初に見た日米野球はフランク・ロビンソン、ブルックス・ロビンソンがいたオリオールズが来日した時だ。ジム・パーマがピッチャーで投げていて、巨人など赤子のようにひねられていた。ONだってホームランどころかヒットさえなかなか打てないほど実力差が有った。その後、リプケンやエディ・マレーなどすごすぎるパワー差で唖然として、せいぜい1勝or2勝も出来れば大喜びしていた。そんな中でも山田久志や村田兆治がバッタバッタとメジャーを打ち取る姿に感動していたものだ。1979年だったかなぁ、後楽園球場に出かけて生で見た日米野球は、阪急の島谷金治が最後に打って勝った記念の試合。長年チケットを保存していたが、かみさんに他の書類と一緒に「紙くず」と捨てられてしまった。
 今年来ているMLBオールスターチームははっきり言って当時と比べて超一流選手はいない、しょぼいメンバーではある。がしかし、新人候補にもなっている未来の超一流の選手がやって来ている。皆うちの息子らより若いバリバリのスター候補たちだ。
vsMLB その久々の日米野球、柳田や秋山など日本の一流選手はさすがに違うところを見せているが、上林他日本の若手も個々で何かの成長が出来たらとっても意義深い。それにしても野球はピッチャーが良くないと試合にならない事が分かるねぇ。岸や上沢はやはり打ちにくいいいピッチャーなんだな。
 かみさんが気を使って一緒に見てくれていたが、上沢は顔が今風でもてるだろうなと、それとなぜ日本は同じユニフォームかと、女性らしい疑問をぶつけてくれそれはそれで参考になる。「侍ジャパン」とMLB選抜の構図だが、確かにMLBは自身のチームのユニフォームだ。日本も同じでなぜいけないかと言われても返す言葉は無い。しいて言うなら、「侍ジャパン」のブランド作りがNPBとしても必要だったと言う事かな。
 本来なら日米野球はその歴史を終えたものかもしれない。メジャーリーガーの年俸がうなぎのぼりで、故障のリスクも語られるようになったからだ。2006年あたりはそれが強くgi-tavsMLB.3なり、NPBプレーヤーからも「出たくない」と辞退が相次いだ。日米野球は契約事項では年棒に直接関係ない“その他”のことで、故障の原因は少しでも減らそうというプロ的な発想だ。事実2006年の日米野球は日本の有力選手が辞退しまくりで全敗している。ところが、NPBの野球人気も衰退し始め、通常のペナントレースだけでは関心を引っ張れないのと、グローバル化するスポーツ業界での立場で刺激が必要だったと言う事じゃないかな。プレミアとかアジア大会と言っても勝って当たり前雰囲気の漂う中で、大いに真剣勝負しても韓国や台湾にメリットが有るほどNPBの得るものが無いし、そのうち飽きられてしまう危機感も有ったと思われる。プロスポーツはファン有って成り立つ業種を再確認したわけでしょう。プロ気質は自分の事だけじゃ自分の首も絞めてしまう。MLBの若手が多いのも今のトップ選手でなく、若手も含めた未来志向でやってるということなんだろうね。モリーナとか柳田など名前の有る選手は盛り上げに必要不可欠だし、MLBだってかませ犬では意味が無い。選別の選手事情はそういったところかな?それなら勝った負けたもいいけれど、一つ一つのプレーに注目すれば確かに面白いところが多い。日本人のフォークは通用するし、絶滅種のサブマリンも貴重だ。パワーだって一部じゃ問題無くはれる。甲斐キャノンもワールドクラスが証明され、秋山のバッティングも日本の宝だ。
 昨夜で2試合が終わったが、まだ4試合残っている。マツダで登板するだろう前田も後のコメントが興味深い。今後またWBCなど野球でのワールドカップも視野に入れ、スポーツの中でこの競技が再び若者の興味を抱かせるものであってほしいと思う。なぜなら、身体もだけどデータが重要な頭も使う、日本人向きの面白いスポーツだからだ。
そして、1試合で4万4千人も集めることができる野球場もガサガサ有って、そのサービスも世界に発信できる重要なソフトじゃないか。

マスターができるまで 久々1018

咄嗟に俺は
『そんなん、無理じゃわぁ。』
と言っていた。
アツシのかわりにキャンプファイアで歌を歌う事になるなどと、予想さえしていなかった俺だったからだ。
しかし、下津井先生は、口紅の濃い唇を不満そうにゆがめると
『また、また、ご謙遜を
アンタ、常日頃から細川さんに猛特訓を受け取るがね。
桃太郎合唱団のコンクールの前しょう戦じゃ思うて歌うてごらんよ』
と言った。
俺は
『それとこれとは違うがな、、』
と言った。
しかし、下津井先生は聞く耳を持たなかった。
そればかりか、下津井先生は、グッと身を乗り出すと、
『大熊さん。』
と大熊先生を呼んだ。
大熊先生は、ほろ苦い顔をして
『はぁ』
と答えた。
下津井先生が、これから、何を言おうとしているのか、あらかじめ、予想が立っているような口ぶりだった。
その瞬間、同席していた職員のおじさんが、気の毒そうな視線で大熊先生を見た。
下津井先生はそんな事など意にも介さず、
『これで、今夜のキャンプファイアはお宅のクラスの独占になったねぇ。
ほんまじゃたら猪木君がウチのクラスの代表で歌を歌うはずじゃったのにから、、、』
と言い、さらに
『中川君と稲角君までが飛び入りで余興をやるなんてなぁ、、
そんな事、聞いとらんよ』
と言った。
驚いた俺は
『えっ』
と言い
『コウイチとサトシが何かやるんですか?』
と、大熊先生に訪ねた。
大熊先生が
『それがの、、』
と言いかけたと同時に、下津井先生が
『アンタのクラスの独壇場じゃ』
と言った。
大熊先生が
『独壇場、はひどいでしょう』
と言った。
職員のおじさんが
『まぁ、まぁ』
と二人を制するように、割って入って来た。
おじさんは下津井先生に向かって、
『中川君に何かやってもらいたいいうんは我々の提案ですから。
そう大熊先生ばぁを攻められても、』
と言った。
さすがに、下津井先生も、職員のおじさんには歯向っていけず
『別に攻めとるわけじゃぁねえですよ』
と言った。
俺は、職員のおじさんに
『コウイチとサトシは、何をやるんですか?』
と、聞き、矢継ぎ早に
『しかも、なんでいきなりそんな事になったんですか』
と聞いた。
それは、自分でも呆れるほどの早口だった。
おじさんは
『そう畳み掛けるように聞くなや』
と笑うと
『さっきあのサトシ君が、コウイチ君を自分のベッドで寝かせてもええか、言うて、わざわ職員室に迎えにやって来てなぁ。
大熊先生はあんまり賛成なさらなんだんじゃけど、おじさん達は、それに勝る話しはないと思うてOKしたんじゃ。
障害のあるコを交えて皆が力を出し合う。
それこそが海の家の目的じゃけんな。
それで、おじさんから、ついでに、キミらぁ、仲良しになった記念になんかやって見てくれんか、て、打診したんじゃ。』
と言った。
俺は、
『ははん』
と思った。
俺が
『ほんなら、アイツらぁも、何か、歌でも歌うんですか?』
と聞いた。
もしそうなら、俺も交じって三人の合唱で行こうと思ったからだ。
しかし、おじさんは
『歌じゃぁねえぞ』
と言った。
大熊先生が、下津井先生にまたもや、小言をくらう事は承知の上のような顔つきで
『何とまぁ、仮面ライダーショウがやりてぇんじゃと。』
と言った。
職員のおじさんは
『ええじゃぁねえですか』
と笑った。
よく飲み込めなかった俺が
『は?』
と聞き返すと、大熊先生は、小さく手を動かして
『へんしーん!
言うアレじゃ』
と言った。

霊峰石鎚  2

最初の鎖を登り切った時、「生きててよかった」という安堵とともに見上げた頂上に、何か白いものがしきりに風にたなびいていた。ちょうど旗指物のようなので、神社の回りの幟じゃないかと思った。祭りの日なんかに立つやつだね。

石鎚神社頂上山荘これは、私たちの登頂翌日の朝の、頂上の写真だ。雪景色じゃないか! さすが西日本最高峰。気象条件も、半端ではない。頂上小屋も、我々の1週間後の11月4日に、冬季閉鎖に入った。立冬もまだなのに。

 

それが、到着した正午ごろになるとかなり溶けて、枝と葉の黒褐色の中に氷の白が残っていた。白く揺れていたのは、「霧氷」だったんだ。布施明の唄った、あの摩周湖の霧氷ですがな。

昔、スキー場で見かけた記憶がかすかにあるが、まさか、このポカポカした秋日和に出逢うとは。それも、頂上にいた2時間の間に、消えてしまった。

 

考えてみると、本当に奇跡的に天候に恵まれたのだ。あの場所で雨や風に見舞われたら、「何が悲しくてわざわざこんな地獄にやってきたんだ」と後悔したに違いない。

 

頂上は、バスケットコート1面ほどの広さの、360度文字通り断崖の上にある平地だ。私たちはここに2時間も滞在した。ポカポカした陽気の中で、絶景をこころゆくまで楽しんだ。風がないので、こけたら下まで一直線という岩場に立っていても、不思議と怖くなかった。本当にラッキーだった。

 

石鎚山と言うと普通出てくるのは、上の写真の先の天狗岳である。私たちのいるのは手前の白い木のある弥山(みせん)の頂上だ。ここまで来た人のたぶん半数以上が、尖った稜線を歩いてあちらの頂きを極めてくる。対向も難しい尾根道は、シーズンのピークで大混雑だった。

 

しかし私は計画段階から、ここには行かないと堅く決めていた。実際に見て「ありえない」と確信した。私の一番キライな、ただただ怖い道じゃないか。私の登山の黒歴史の、大山の崩壊した尾根道とまったく同じ。安全が確保されているぶん、バンジージャンプのほうが、まだましだ。


今思い出しても、行かなかった後悔は、まったく無い。けれど、相棒の二人は挑戦した。鎖を頂上まで登りきったO氏は、稜線に降りた途端の腿の筋肉のピキッに、自重して帰ってきて、今でも悔し涙を流している。最後まで行ったK氏は、あまりの渋滞で1時間もかかって帰ってきたが、スリル満点の尾根歩きに、超満足の様子だった。


そうだよ、石鎚と言えば、鎖登りと天狗岳登頂でしょうが。・・・でも私はとっても満足した。チープなスリルよりも、神との遭遇に。

読んでひとこと 第972号  その1

表紙: 鮮やかな紅葉だね。海抜が低いと、こうはならない。石鎚山の登山道に入ってすぐ、道に散り敷いていたのが、この美しい落ち葉だった。今回は本当に、ジャストタイミングだった。頂上付近はさすがに紅葉は終わっていたが、UFOラインも、そこから見える高度差1000mの周囲の山々も、見事に染まっていて、さらに、帰りの長い下り道の石鎚スカイラインがまた、驚くほど深い紅葉の森の連続だった。夕方前とは言え、この絶景の中を、車がほとんど通らないのはどうしてだろう? と不思議だった。
その上に、夕日を浴びて観音像のようにニョキッと石鎚がましましている。こんな風景には、残り少ない人生で、ちょっと出会えないだろう。この週末には、岡山県の最高峰・後山にチャレンジする。紅葉への期待も高まっている。




マスターができるまで 久々1017

やがて、夕食のアナウンスが入り、俺達は各自、食堂に向かった。
その間も、コウイチは、サトシを相手に
『変身』
『変身』
を繰り返していた。
俺は、どういう経緯をへて、この二人がこういった塩梅になったのか、知りたかった。
それは、カワタカや、シゲイチも同じと見えて
『どしたんなぁ』
と訝しんだ。
食堂では、カッターに乗船してくれた職員のおじさんが手際よく
『一組はあっち、
二組はあっち』
と指示を与えており、昼同様、俺達はクラス別に座らせられた。
昼はコウイチの面倒を見さされて、カワタカ達と離れた席になっていた俺は、今度こそという気持ちでカワタカの隣に座ろうとした。
その時、大熊先生が
『古谷』
と言い、手招きをした。
俺は、
『何だろう?』
と思い、テーブルに食事を置いたまま、大熊先生の方に移動した。
すると、大熊先生は
『こっちに来いや。
飯を喰いながら話そう』
と言った。
俺は
『えー!』
と不平声をあげ、
『何ですか?
今ここで、手短かに話してください』
と言ったが、大熊先生は
『まぁそう言わんと、
すぐ終わるような話しでもねえんじゃ』
と言った。
そんなわけで、俺は、またもや、カワタカ達と一緒に食事をする事ができなくなってしまった。
全員勢揃いしたのを見計らって、おじさんが、
『いただきます』
と言った。
俺達も唱和した。
俺は、食事を口に運ぶより早く
『いったいなんですか』
と大熊先生に迫って行った。
隣の席のサハラ先生が
『ああ、あの話しですね』
と言い、下津井先生が真っ赤に塗られた口元をゆがめ
『古谷君
あんた、運がえかったね
それに比べて、ウチのクラスの猪木君は運がねかった』
と言った。
猪木と言えばアツシの事だった。
大熊先生が
『下津井先生、その話しはおいおい』
と言った。
下津井先生は、
『ありゃ、
そりゃあまた、余計な事を』
と言い、サハラ先生に
『叱られてしもうた』
と言った。
サハラ先生はそれには返事しなかったが、イカルガ先生が
『下津井さん、そりゃあアンタの言い方がおえん。
大熊君が話す言うとんじゃけん、言わしてあげんと』
と言った。
下津井先生は
『へぇ、へえ』
と言い箸で食材をつついた。
口紅の色にそまって下品な箸先だった。
アツシがどうかしたのかと思った俺は気を揉んで、
『いったい何ですか?』
と言った。
大熊先生は
『じつはの、
猪木がの、体調を崩しての、
さっき家に帰ったんじゃ。』
と言った。
俺は
『え!』
と言った。
アツシと言えば、夕方、階段の所で、ひとしきり声の出が悪くなったと言って嘆いていた事を、俺は思いだした。
あのおり、
『こんな声じゃったら歌えんから、家に帰りたい』
と言っていたアツシだったが、まさか、本当に帰ってしまうとは思わなかった。
それは予想外の展開だった。
しかし、アツシの帰宅と、俺と、どう関係があるのか、先が見えない俺は
『それがどうかしたんですか?』
と聞いた。
すると、大熊先生が何か言いかけたが、それより早く、横から下津井先生が
『じゃから、アンタに、猪木君のかわりに今夜のキャンプファイアで歌を歌ってもらいたいんよ』
とくちばしを突っ込んで来た。
それは思ってもいない、予想外の事だった。
俺は持っていた箸をテーブルの上に置くと、最前以上の大きな声で
『え!』
と言っていた。
コメントどうも。
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