2020年11月21日
はけの森
久しぶりの更新です。
このところコロナの影響で、びん博士は外出を控えております。
そして私(飯田びんこ)は、博士の本の制作をお手伝いをしておりましたが、博士が突然「先日テレビ番組で見た『はけの森』が子供のころを思い出させる場所のように思われるので、ぜひ行ってみたい」と言い出したので、私もお供させて頂くことになりました。
2020年11月19日(木)、びん博士と私は東京都小金井市にある「はけの森」を訪れました。
東京の最高気温は25℃(!!!)、暖かいを通り越して暑いくらいの陽気です。
コロナ禍の中、なぜこの日「はけの森」を訪れたかというと、これが年内最後のチャンスだと思ったからです。
前日までの東京都のコロナ新規感染者数は493人と急増し、恐らく19日にも500人を超えるかもしれず(悪い予感ほどよく当たる)、当分出かけることができないかもしれません。
「はけの森」は人が密集するような場所ではないし、そしてこの暖かさ。博士が風邪をひく心配もないでしょう。

↑ 「はけの森カフェ」の入口。柵の向こうに小川が流れています。

↑ 旧中村研一邸主屋を改装したもの、国登録有形文化財です。
手前には湧き水。

キッシュのランチ。美味しいスープ付き。コーヒーも頼みました。

ご満悦のびん博士。終始ご機嫌でした!

はけの小路の入口。細長い道がずっと奥まで続きます。


このところコロナの影響で、びん博士は外出を控えております。
そして私(飯田びんこ)は、博士の本の制作をお手伝いをしておりましたが、博士が突然「先日テレビ番組で見た『はけの森』が子供のころを思い出させる場所のように思われるので、ぜひ行ってみたい」と言い出したので、私もお供させて頂くことになりました。
2020年11月19日(木)、びん博士と私は東京都小金井市にある「はけの森」を訪れました。
東京の最高気温は25℃(!!!)、暖かいを通り越して暑いくらいの陽気です。
コロナ禍の中、なぜこの日「はけの森」を訪れたかというと、これが年内最後のチャンスだと思ったからです。
前日までの東京都のコロナ新規感染者数は493人と急増し、恐らく19日にも500人を超えるかもしれず(悪い予感ほどよく当たる)、当分出かけることができないかもしれません。
「はけの森」は人が密集するような場所ではないし、そしてこの暖かさ。博士が風邪をひく心配もないでしょう。

↑ 「はけの森カフェ」の入口。柵の向こうに小川が流れています。

↑ 旧中村研一邸主屋を改装したもの、国登録有形文化財です。
手前には湧き水。

キッシュのランチ。美味しいスープ付き。コーヒーも頼みました。

ご満悦のびん博士。終始ご機嫌でした!

はけの小路の入口。細長い道がずっと奥まで続きます。


博士の子供のころ、昭和20年代~30年代の東京にも、こんな風景が沢山あったといいます。
博士のボトルシアターの周辺は、今は住宅密集地となっていますが、当時は妙正寺川も自然そのままで、その周辺には田圃が広がっていました。雑木林や空き地も沢山あり、道路もほとんど舗装されていませんでした。
近所には廃墟となった洋館があり、子供たちの絶好の遊び場だったそうです。
博士は小路を散策しながら、とても懐かしそうにいろんなお話をして下さいます。
びん博士:私の子供時代にはまだ武蔵野の面影が沢山残っていて、その頃は何も考えなかったけれども、今にしてみれば人の生活にとって必要な豊かな環境であったとつくづく思われる。いつの間にかそうした風景は失われ、雑木林も野原も姿を消してしまって、ひたすら寂しい。あの頃は実にいい時代だったなぁ。。。
飯田びんこ 記
びん博士:私の子供時代にはまだ武蔵野の面影が沢山残っていて、その頃は何も考えなかったけれども、今にしてみれば人の生活にとって必要な豊かな環境であったとつくづく思われる。いつの間にかそうした風景は失われ、雑木林も野原も姿を消してしまって、ひたすら寂しい。あの頃は実にいい時代だったなぁ。。。
飯田びんこ 記