2009年02月01日

足湯

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昨日、仕事のすきま時間にテレビを何気なくつけたらテレビ朝日の「人生の楽園」という番組の次回の予告で「次回は群馬県前橋市で・・・」とナレーションが入りました。

「おっ」っと反応してテレビを観たらなんと僕が住んでいる別荘地の知り合いの方でした。

その方は昨年別荘のご自宅のすぐ目の前の土地も購入されて「さくら茶屋」という御茶屋さんをオープンしたんです。

天然温泉を利用した無料の足湯や、やきそば・フランクフルト・アイスクリームなどの軽食、囲炉裏など、ちょっと寄ってみたいなって思わせるお店です。

よかったら2月7日(土)午後6時からのテレビ朝日「人生の楽園」をご覧になってくださいね。

もしかしたら僕の住んでいる別荘地の雰囲気もテレビで分かるかもしれないです。

こんな別荘地で宿泊カウンセリングやってるんだぁ〜ってイメージしていただけたら嬉しいです(^^)



bouzunikki at 19:08|PermalinkComments(0) プライベート 

2009年01月28日

格言

Dance as if no one's watching, sing as if no one's listening, and live everyday as if it were your last.
(だれも見ていないと思って踊れ。だれも聞いていないと思って歌え。最後だと思って毎日を生きろ。)

アイルランドの格言です。

訳し方は色々あると思いますが、個人的になんとなく好きです。

周囲のことが気になってしまい自分を解放できないとき、人生の選択を迫られていて選べず悩んでいるとき、この言葉がこころに響くのではないかと思います。

しかし、そうはいってもそんなふうに自分を解放できないという人も多いと思います。

なぜでしょうか?

それは日本ではおくゆかしさや控えめさを美徳とし、「あれはダメ、これをしてはいけません」「ああしなさい、こうしなさい」と言わて育った人が多いからです。

これは日本的美徳ではありますが、小さい頃からこんなふうに言われて育つと自分の中にもう一人の自分を育ててしまいます。

そしてそのもう一人の自分が自由になろうとするあなたのジャマをするのです。

例えば服を選ぼうとするとき「この服ステキ。こんな服を着てみたい」とあなたが思っても、もう一人のあなたが「あなたにこの服は似合わないわ」「あなたには不釣合いよ」「みんなに笑われるわよ」などと囁きます。

そしてあなたはもう一人のあなたに言われたことを「そうよねぇ」といって素直に聞き入れてしまうのです。

あなたに本当に似合うものの見分け方はとっても簡単です。

それはあなたの心がワクワクしたりウキウキしたりするものを探せばいいからです。

想像しただけで楽しくなるような事があなたに一番似合っているものなのに、あなたはもう一人のあなたに簡単に騙されてしまっているのです。

だから自分を解放するためにはあなたを騙そうとするもう一人のあなたに対して「もう騙されないぞ」と言えばいいんです。

騙された後には悲しくなったり、自分の事が嫌いになったり、機嫌が悪くなったり、不安になったりするから、自分が騙されたかどうかの判断は簡単にできます。

あなたがもしこんなふうに感じたら「あっ騙された!」って思ってください。

そして「もう騙されないぞ!」と言ってください。

そうすれば、あなたはもう一人のあなたから解放されて自由になれると思います。



bouzunikki at 08:44|PermalinkComments(3) 好きな言葉 | 心理学・カウンセリング関連

2009年01月25日

きれいな言葉

きれいな言葉って人を幸せにしますよね。

きれいな言葉っていっても単に言葉遣いが丁寧というだけではなくて、思いやりがある言葉っていうんでしょうか。

僕は以前、自分の口って何のためにあるのかなって考えたことがあるんです。

それから、自分の両腕は何のためにあるのかなって考えました。

それまでは考えたことがなかったんですよ。

で、結論は「人を幸せにするため」でした。

「口は人をけなすために使い、腕は人を殴るために使い、足は人に砂をかけるために使う」そんな自分の使い方はしたくないって思ったんです。

そしてたどり着いたのが「人を幸せにするために使いたい」でした。

それまでは自分の身体を何に使うのかなんて事を考えたこともなかったんです。

だから、自分が喋りたいことを喋っていました。

人は他人に対して批判的な言葉や攻撃的な言葉を使うことがあります。

それはきっと自分の存在を示す方法のひとつなんだと思います。

自分のことを認めてもらいたいからだったり、相手に分からせたいからだったり、相手よりも上等な人間であることを示したいからだったり。

そんな気持ちから出る言葉なんだと思います。

人は誰だって他人に認めてもらいたいと思っています。

だから、自分が批判した相手だって、攻撃した相手だって自分と同じように認めてもらいたいと思っているわけです。

でも自分の中で満たされないものがあったり、自分の存在が認められていなければどうしたって他人に対して怒りの感情が生じるし、相手を攻撃してしまいます。

それは当然のことだと思います。

僕にだって他人に認めてもらいたいという気持ちがあります。

だから昔は他人に存在を否定されたり他人から攻撃されたりすると怒りの感情が生じましたし、攻撃し返してました。

でも今は怒りの感情が生じたり攻撃し返すことはなくなりました。

カウンセラーとして「自分の問題と相手の問題を一緒にしない」という経験が最初の一歩だったかもしれません。

もし相談者の方から攻撃されてカウンセラーである自分がムカッとしたら、カウンセリングになりませんし、なによりも相手に攻撃されてカウンセラーがムカッとしたらそれはカウンセラーが相手の問題を自分の問題にしてしまったということなので。

カウンセラーは、相手がカウンセラーである自分を攻撃してきたときには、この人は何で自分を攻撃しているのだろうって考えるんですよ。

どこまでも相手の気持ちで考えるんです。

だから攻撃されても攻撃し返すこともなければ、過剰に反応することもないんです。

僕にとってはこうした相手の問題と自分の問題を一緒にしないというのが最初の一歩でした。

でも今はさらにもっと違う感覚でとらえています。

上手くいえないのですがひと言でいえば「大丈夫」っていう感覚です。

表現を変えれば「何があっても自分の人生は大丈夫」っていう感覚です。

これがあるから、他人から攻撃されても怖くないんです。

この怖くないというのが何よりも大切だと思います。

恐怖がなければ他人から攻撃されても、他人を攻撃する必要がないんです。

そう考えると他人から攻撃されたときに反応してしまうっていうのは、自分に恐怖が生じているからなんでしょうね。

だから過剰反応してしまったり、攻撃的になってしまうんだと思います。

話がもとに戻りますが、きれいな言葉を使える人は心に余裕がある人なんだと思います。

必要以上に自分を守る必要がないから、心の底から思いやりのあるきれいな言葉を使えるんでしょうね。

そして、そういう人から発せられた言葉を受けるほうも恐怖を感じないから、あえて攻撃的に返す必要もなくなる。

結局、攻撃に対して恐怖を感じて攻撃し返すからおかしくなる。

そういうことなんだと思います。

それに、いつも相手の立場に立って思いやりのある言葉を使っていればその人を攻撃する人もきっといなくなります。

自分にとってどんなに憎い相手でも、一度冷静に相手の立場で考えてみるという事が人間関係で衝突しない為にはとても大切な事だと思います。


bouzunikki at 19:50|PermalinkComments(0) 思っていること・考えていること