交流分析

2009年12月21日

自分を責めてしまう時の心理状態

レストランなどで子供が誤ってコップの水をこぼしてしまったとき、一緒にいた親が「あなたなにやってんのよ!まったくダメな子ね!ほんと嫌になるわ!」って言っているシーンなどに遭遇することってありませんか?

親はとっさに子供の失敗に対して不快な感情を表していますが、もしその直後に今度は親の方が誤ってコップの水をこぼしてしまったら親はどんな反応をするでしょうか・・・。

もしここで「お母さん(お父さん)も失敗するね。自分だって失敗するのに、さっきはいきなり怒ってごめんね」って言えたらいいですね。

ところで、今のは実際の親子の例でしたが、普段私たちが生活している中で、これと全く同じようなことが自分自身のこころの中で起っていないでしょうか?

つまり、自分がなにか失敗した時に、必要以上に自分自身を責めてしまうということがあるんじゃないかと思います。

精神分析の口語版といわれている交流分析では、すべての人のこころの中には3つの自我状態が存在していると考えます。

一つは「親の自我状態」

一つは「冷静な大人の自我状態」

一つは「子供の自我状態」

です。

幼少期に親や周囲からの強い圧力のもとにおかれた子供は、この圧力に対して内心で激しい怒りの感情を持つものの、その怒りの感情を直接表現するすべを持ちません。

なぜなら、親に見捨てられたり嫌われたりしたらこの世で生きていくことが困難になると子供なりに感じているからです。

そして、そうした環境での時間を長く過ごすと、これと同じような交流のパターンを自分自身の中に作り上げてしまいます。

つまり、自分の中にある「親の自我状態」が人格を支配してしまい、「子供の自我状態」に懲罰を与えるようになるわけです。

自分の中にある「親の自我状態」が過度に「子供の自我状態」を責め続ける日々を過ごすことになるわけですから、たまったものではありません。

先のレストランの話のようなことが毎日毎日自分自身のこころの中で繰り返し行われているのですから「もう嫌だ!」「いいかげんにして!」「この苦しい日々から解放されて楽になりたい!」と思うのは当然と言えば当然です。

憂鬱になる傾向がある人の多くは、このように「自分の中にある完全主義の厳格な親の自我」に責め続けられる子供の自我を抱えているわけですから、この子供の自我を救ってあげなければ人生はどこまで行っても辛いものになります。

では、どうやって自分の中にある「子供の自我」を救ってあげたら良いのでしょうか?

例えば、自分の中の親の自我が自分に対して「まあ、自分だって失敗することあるから、あまりお前のことばかりを責められないよな」って言ってくれるようになるとか、子供の自我が「そんな何でもかんでも完璧にやれるわけないだろ!」って表現したり反発できるようになるとか、冷静な大人の自我が「そんな完全な人間なんているわけないんだし、自分の中の親の自我が無茶なこと言ってるだけじゃん」って客観的な判断をしてくれるようになるとか。

まぁ、色々ありますが、実際にはカウンセリングなどでカウンセラーと一緒に考えていくのが一般的です。

いずれにしても自分自身を憂鬱にしてしまうほど自分を責めている不合理な自分をなんとかすると、とても楽しい人生が始まります。

でも、「自分を責めるのやめなよ」とか「自分のことを責めないように生きていけば楽に生きられるんじゃないの」などと言われてできるくらいだったら、とっくの昔に自分自身でやってますよね。

それができないから苦しいんですから。

だからこそ、理論だけでなく実践が必要なんです。

つまり、「自分がそう感じられるようになるための、外からの何らかの働きかけ」が必要なんです。

自分で自分を許すことができないのだから、誰かに許してもらわなければならないんだと思います。

どんな自分でも本音を安心してさらけ出せる場や、どんな自分でも許して受け入れてもらえる体験。

人の心が救われるために必要なこのことは、世界共通にはるか昔から言われていることだと思います。

カウンセリングの場だけではなくて、もっともっと身近にこうした場が沢山ある世の中になったらいいなって思います。



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2009年10月13日

交流分析「決裂」のゲーム

今日は久しぶりに交流分析のゲームについて書いてみたいと思います。
 
今日のゲームは「決裂」というゲームです。
 
以前から何度かゲームについて書いていますが、自分自身や自分の周りで行われている交流の分析に役立ちますので参考にしていただければと思います。
 
さて、この「決裂」というゲームですが例えば
 
夫「なんだよ、頼んでおいたのにまだ出来てないのかよ。いったいいつになったら出来るんだよ」
 
妻「そんなこと言ったって、昨日渡されたばかりなんだから、出来てないのは当たり前じゃないのよ!」
 
というように激論を交わした後に物別れに終わって「別れる」「別れない」という話になったのに、なぜかその後に仲直りして結局は同じ屋根の下で老後を迎えるという夫婦。
 
こんな交流パターンが「決裂」のゲームの特徴です。
 
このゲームはお互いに相手の事を「OKでない」と扱っていることで生じます。
 
ですからこのゲームの最初は必ず相手の事を過小評価するような内容から始まります。
 
そしてこれを受けた相手は自己防衛のために反論し、激論となります。
 
最初の攻撃に対して相手が反撃し、どちらも譲らないので物別れに終わるのですが、何かのきっかけで再び歩み寄り仲直りする。
 
こんなことが年中くり返されるのです。
 
なぜこのような交流がおこなわれるかというと、
 
(1)ケンカした後に相手(親など)と仲良くなれた経験。
 
(2)いつもは自分に無関心な相手(親など)が、ケンカした時だけ自分と真剣に向き合ってくれた経験。
 
(3)なんでも自分の主張を受け入れてもらう事で相手(親など)からの愛情を確認した経験。
 
(4)逆に相手(親など)に無条件に受け入れてもらえた経験が少ないために、別の相手にどんな自分でも何があっても受け入れてもらいたいという心。そしてそれを確認したい気持ち。
 
というような幼児期からの成長過程において経験したものが深層心理にあって、無意識にケンカを仕掛けていることが多いと言われています。
 
もう少し平たく言えば、成長期に身につけた交流のクセが大人になっても抜けずに、子供のころと同じ交流パターンで人と接しているという事です。
 
この交流はあえて精神分析するまでもありませんが、
 
自分の中にある親的な自我状態から相手の子供の自我状態に対して発信していますが、相手も同じように発信してきているので交流が交差していてケンカになります。(お互いが上から目線で相手を見ているので交流がかみ合わず交差しているわけです)
 
これが表面的に現れている形です。
 
しかし、裏面的には自分の子供の自我状態から相手の子供の自我状態に2人がお互いに発信しています。
 
つまり、お互いが大人ぶりながら子供のケンカをしているということです。
 
どちらかが本当の大人になって相手に負けてあげるか、相手に対しての過小評価を改めることが出来れば良いコミュニケーションが成立します。
 
とは言ってもなかなか・・・ということもあるでしょう。
 
人は、満たされているものよりも、満たされていない欠けている部分に目が行きやすい生き物です。
 
例えば次の図では、どちらのほうが気になるでしょうか?
 
 
 maru

左の図の方が気になる、という人が多いのではないかと思います。
 
なぜならば「欠けている」からです。
 
でもよく見てみると、左の図は欠けている空白の部分の面積よりも、実線の部分の面積のほうがはるかに多いのです。
 
「してもらえなかったこと」「今もっていないもの」「欠けているもの」を見るばかりでなく、「してもらえたこと」「今もっているもの」を見る目が自分自身を幸せにしてくれて他人とのコミュニケーションを良くしてくれるのではないでしょうか。
 
自分の「足りていないところ」「欠けているところ」ばかりを指摘されて、辛い思いをしながら成長してきた方も多いと思います。
 
自分自身も他人を見る目が同じようになっていないか、自らの心の内を見直してみるのもいいかもしれませんね。



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2009年07月01日

交流分析「仲間割れ」のゲーム

最近ゲームについて書いていなかったので久しぶりに書いてみます。

ゲームといっても楽しい遊びではなく交流分析で言われている心理ゲームです。

今日のゲームは「仲間割れ」についてです。

このゲームはプレーヤーが自分以外の二人の間に争いを起こさせるというゲームです。

たとえば学生が、担任の先生と生徒指導の先生の間に争いを起こさせたりするのがこのゲームです。

具体的には

学生→担任A先生:「生徒指導のB先生が、担任のA先生はいったい今まで何をしていたのかって首をかしげてました」

学生→生徒指導B先生:「担任のA先生は、生徒指導のB先生のことを現場を分かっていない人だって言ってました」

というようにプレーヤーの学生が、A先生とB先生の間に争いを起こさせるようにするわけです。

最初学生は担任のA先生に対して従順な態度で依存的に接してきます。

担任のA先生は学生の為に一生懸命に献身的に対応します。

その途中、担任のA先生は、生徒指導のB先生に助けを仰いだりします。

この段階で一種の三角関係が成り立ちます。

学生は片方にだけ情報を与えたり、矛盾する情報を与えたり、A先生とB先生の間が気まずくなるような情報を与えたりします。

するとA先生とB先生の関係にみぞが出来たり、疑心暗鬼になったりして最終的には仲たがいすることになります。

プレーヤーである学生はなぜこんなことをするのでしょうか。

このゲームは女性によって行われることが多いゲームです。

この学生はA先生とB先生の間に争いを起こして「自己肯定・他者否定」という構えを確認しようとしています。

学生がAとBのそれぞれに対して行っていた交流の裏には

「私は憎い男に復習したいの」「汚らわしい男達を苦しめてやりたいの(いい気味だわ)」「男がくだらない愚かな生き物だって証明したいの」「本当は私、男性が怖いから遠ざけたいの」

という裏面交流があります。

この学生は自分が一人の先生の虜になることを深層心理で恐れています。

恐れる理由は、一般的に幼児期の性に関わる体験が影響しているといわれています。

一人の男性の虜になる恐怖から他の男性を巻き込んで二人を張り合わせます。

こうやって一人の男性の虜になる恐怖から逃れるわけです。

巧みな情報操作の結果、二人の男達が口論したなどという話を聞くと表面的には「私のせいで二人がこんなことになっちゃってごめんなさい」といいながらも、深層心理では「バカな男達」というように軽蔑して馬鹿にしているのです。

尚、対象は必ずしも男性ということではなく、女性であることもあります。

このゲームに巻き込まれると人間関係が壊れていきますから巻き込まれて振り回された方は大きなストレスとなります。

そしてなによりもプレーヤー自身がいつまでも幸せになれません。

全てのゲームに共通することですが、プレーヤーは自己防衛の為にゲームをしています。

ですからただ単にゲームをやめさせようとしたり、行為を批判しても解決にはなりません。

このゲームはプレーヤーが長年にわたって身につけた行動様式ですから、理屈が分かっただけではなかなか変えることが出来ません。

カウンセリングなどでは新しい交流のやり方を十分に練習するのが一般的です。



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2009年05月06日

交流分析「キック・ミー(私を嫌って)」のゲーム 

「キック・ミー」のゲームは、表面上冷静な大人同士の会話に聞こえますが実際には子供の自我状態にあるプレーヤーと親の自我状態にある仕掛けられた側(自分)との裏面交流になっています。(尚、この自我状態は実際の年齢には関係がないので、プレーヤーの方が年上ということもあります)

ですから仕掛けられた側(自分)が「何でおまえはそうなんだ」「お前は本当にダメなやつだ」というように批判的な親がとるような態度や感情を持つとゲームはどんどん成長してしまいます。

そこで、あくまでも冷静な大人の自我状態からのコミュニケーションが大切です。

たとえば「どうしたらいいか一緒に考えましょう」「あなたとしてはどうしたらいいと思いますか」というような態度で冷静に対処するとかです。

それからたまに「こんなときわたしはどうしたらいいでしょうか?」というように仕掛けられた側(自分)が子供の自我状態になってプレーヤーに甘えてみるなどのように交流パターンを次々と変えていくことも有効だと思います。

ゲームに関しては書き始めると本当に盛りだくさんになってしまうのでこのあたりにしておきますが、いずれにしてもゲームが始まったことに気がつき、ゲームの流れを変えようと意識するだけでもコミュニケーションは大きく変わってくると思いますので、覚えておいていただけたら幸いです。



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2009年05月05日

交流分析「キック・ミー(私を嫌って)」のゲーム 

さて、こうしたゲームを改善するにはどうしたらいいでしょうか。

前回の「はい、でも」のゲーム(平成21年3月17日〜20日)ではプレーヤー自身の視点から書いたので、今回は仕掛けられた方の立場から書いてみたいと思います。

このゲームを仕掛けられたとき、仕掛けられた方はゲームが始まったことを意識することが大切です。

「あっ、ゲームが始まってる。このゲームから降りなくちゃ」と思うことで流れを変えるきっかけがつかめると思います。

そして、ゲームを大きく成長させないようにします。

「わたしはこんなにあなたのことを考えているのに」「なんとかしてあげたい」という仕掛けられた側の過剰な熱意がゲームの餌となってしまい、ゲームを大きく成長させてしまいます。

ですからゲームが始まったと感じたら大きくなる前に、意識して流れを変えてみてください。

前提として相手の問題と自分の問題を切り離すことが大切です。

「遅刻してしまった」「禁酒を守らなかった」などはあくまでも相手(ゲームのプレーヤー)の問題であり、そのことを快く思わないのは自分(仕掛けられた側)の問題です。

もっと言えば、プレーヤーが「遅刻してしまった」ことに対して仕掛けられた側(自分)は「他の部下からの批判や不満が出るかもしれない」「管理能力がないと思われるかもしれない」などの不安や恐怖によって過剰に反応しているのかもしれません。

・・・続く



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