心理学

2009年07月01日

交流分析「仲間割れ」のゲーム

最近ゲームについて書いていなかったので久しぶりに書いてみます。

ゲームといっても楽しい遊びではなく交流分析で言われている心理ゲームです。

今日のゲームは「仲間割れ」についてです。

このゲームはプレーヤーが自分以外の二人の間に争いを起こさせるというゲームです。

たとえば学生が、担任の先生と生徒指導の先生の間に争いを起こさせたりするのがこのゲームです。

具体的には

学生→担任A先生:「生徒指導のB先生が、担任のA先生はいったい今まで何をしていたのかって首をかしげてました」

学生→生徒指導B先生:「担任のA先生は、生徒指導のB先生のことを現場を分かっていない人だって言ってました」

というようにプレーヤーの学生が、A先生とB先生の間に争いを起こさせるようにするわけです。

最初学生は担任のA先生に対して従順な態度で依存的に接してきます。

担任のA先生は学生の為に一生懸命に献身的に対応します。

その途中、担任のA先生は、生徒指導のB先生に助けを仰いだりします。

この段階で一種の三角関係が成り立ちます。

学生は片方にだけ情報を与えたり、矛盾する情報を与えたり、A先生とB先生の間が気まずくなるような情報を与えたりします。

するとA先生とB先生の関係にみぞが出来たり、疑心暗鬼になったりして最終的には仲たがいすることになります。

プレーヤーである学生はなぜこんなことをするのでしょうか。

このゲームは女性によって行われることが多いゲームです。

この学生はA先生とB先生の間に争いを起こして「自己肯定・他者否定」という構えを確認しようとしています。

学生がAとBのそれぞれに対して行っていた交流の裏には

「私は憎い男に復習したいの」「汚らわしい男達を苦しめてやりたいの(いい気味だわ)」「男がくだらない愚かな生き物だって証明したいの」「本当は私、男性が怖いから遠ざけたいの」

という裏面交流があります。

この学生は自分が一人の先生の虜になることを深層心理で恐れています。

恐れる理由は、一般的に幼児期の性に関わる体験が影響しているといわれています。

一人の男性の虜になる恐怖から他の男性を巻き込んで二人を張り合わせます。

こうやって一人の男性の虜になる恐怖から逃れるわけです。

巧みな情報操作の結果、二人の男達が口論したなどという話を聞くと表面的には「私のせいで二人がこんなことになっちゃってごめんなさい」といいながらも、深層心理では「バカな男達」というように軽蔑して馬鹿にしているのです。

尚、対象は必ずしも男性ということではなく、女性であることもあります。

このゲームに巻き込まれると人間関係が壊れていきますから巻き込まれて振り回された方は大きなストレスとなります。

そしてなによりもプレーヤー自身がいつまでも幸せになれません。

全てのゲームに共通することですが、プレーヤーは自己防衛の為にゲームをしています。

ですからただ単にゲームをやめさせようとしたり、行為を批判しても解決にはなりません。

このゲームはプレーヤーが長年にわたって身につけた行動様式ですから、理屈が分かっただけではなかなか変えることが出来ません。

カウンセリングなどでは新しい交流のやり方を十分に練習するのが一般的です。



bouzunikki at 23:59|Permalink

2009年03月20日

交流分析「はい、でも」のゲーム 

人間は自分が考えたり感じたことが必ず正しく、あとはその証拠調べをするだけになります。

ですから、「この人はきっと私のことを裏切るに違いない」と考えたら、その相手が自分のことを裏切るまで納得しません。

「はい、でも」のゲームのプレーヤーは疑い深い人です。

ですから事実をありのままに見ることができず、必ず疑いの目で見ていて、疑ったとおりにならないと納得できないのです。

「はい、でも」のゲームのプレーヤーがゲームをやめたいと考えた場合、まずは自分がそういう特徴を持っていることを自覚することが必要です。

ゲームは駆け引きです。

駆け引きをするのは寂しいからです。

駆け引きに乗ってくる人がいると自分の存在を自分で確認することが出来るから安心感があります。

このゲームを自ら降りるためには自分が本当に好きなことややりたいことに向かって進んでいくことが必要です。

ゲームのプレーヤーは、ゲーム相手を見つけて捕まえようとしますが、自分が好きなことをやっているときにはゲームを仕掛ける必要がなくなります。

ですから、「自分はこれが好きだからこれをやる」というのを見つけて、見つけたら出来るだけ周囲に公言し、誰かに否定されたとしても「それでも私はこれが好き」って言ってにこやか笑っているとゲームから少しずつ解放されると思います。

そして「駆け引きで相手に負けても、自分は自分の人生を生きていける」ということを心に留めておくといいんじゃないかなって思います。



bouzunikki at 23:58|Permalink

2009年03月19日

交流分析「はい、でも」のゲーム 

交流分析によるゲームには色々なものがありますが、どのゲームもその人が自分を守るために用いている防衛です。

ですから、ただ単にその防衛を崩そうとしてそのゲームを指摘すると相手を混乱させたり、相手の敵意を挑発することになったりして危険な状態を招くことにもなりかねません。

交流分析においてゲームを分析するときには、P(親の自我状態)・A(大人の自我状態)・C(子供の自我状態)という自分の中にある3つの自我状態のうちのどの自我が反応しているのかということを分析・理解して、自分の性格傾向を知ること(構造分析)と、他者との交流パターンを知ること(交流パターン分析)が大切になります。

ゲームは幼少期から身につけてきた癖(行動様式)ですので、情報としてゲームについての知識を得たからといってすぐにそれを止められるものではありませんし、行動を改められるものでもありません。

カウンセリングなどにおいて、こうした分析の出来るカウンセラーであればその人に合った方法で適切な対処をしてもらえると思いますが、身近にいるかどうかも分かりませんし、「カウンセリングに行きたくない」「自分でなんとかしたい」という人も多いと思います。

ですので、ここで少しだけ僕なりの考えを書いてみます。

こうしたゲームにはプレーヤー自身からの打ち切り方とゲームを仕掛けられた相手からの打ち切り方があるのですが、今日はプレーヤーに向けて書きます。

今回は「はい、でも」のゲームのプレーヤーに向けてです。

分析に関する書籍には、「状態」「現象」に対して分析した内容については色々と書いてあるものの、「じゃあどうしたらいいの?」という部分(プレーヤー向けの部分)はあまり書いてありません。

ではどうしたらいいのか?

この「はい、でも」のゲームを行うプレーヤーの目的は自己肯定・他者否定の構えの確認です。

自己肯定・他者否定とはつまり「自分はOKだけど他人はOKでない」ということです。

これは疑い深い人がとる構えです。

発達的にみると、幼児期の親子関係に愛情の剥奪があり、それを一人で耐えてきた子供が身につける態度とされています。

長くなったので続きは明日。



bouzunikki at 23:58|Permalink

2009年03月18日

交流分析「はい、でも」のゲーム 

昨日、交流分析のゲームで「はい、でも」のゲームについて書きました。

今日は、そもそもこのゲームを行う人はどんな人なのか、なぜこのゲームを行うのかについて書きたいと思います。

このゲームを行う人は、子供時代に支配的でうるさく干渉したがる親に育てられた人が多いです。

親に対して表面では穏やかな態度をとりながらも、内心では反抗的な構えを捨てていないのでこのゲームを行うようになります。

つまり「親には何も言わせないぞ」という自分の立場を表現しているのです。

「あなたのいう通りになんかならない」「あなたになんか従わない」という自分の立場を示すために、自ら相手に対して指示や援助を求めて相手が指示や援助を行ってくるとそれに反論し相手を困惑させ無気力に陥らせるわけです。

子供のころに親との関係で身につけたこうした構えは、大人になってからも変わらず、同じゲームを親以外の人とも行うようになります。

このゲームの目的は自己肯定・他者否定の確認です。

必要以上にこうしたゲームを行うと人間関係が上手く築けなくなりますので、無意識にこのゲームをしていないか自分自身や周りの人を見渡してみてください。

長くなったので続きは明日。



bouzunikki at 23:58|Permalink

2009年03月17日

交流分析「はい、でも」のゲーム 

心理学の交流分析にゲームというのがあります。

ゲームといっても楽しい遊びではありません。

人と人との交流の中には表面的なやりとりの裏に本音のメッセージがあることもあり、その裏の本音のメッセージを果たそうとして無意識に行っている駆け引きのことです。

ゲームのプレーヤーは、相手を刺激して相手のネガティブな感情を挑発してゲームを仕掛けます。

そしてゆがんだ形での接触・コミュニケーションを得ようとします。

ゲームにはいくつか種類がありますが、ひとつ紹介いたします。

「はい、でも」のゲーム

このゲームを行う人(プレーヤー)は、はじめ相手に対して何らかの指示や援助を求めますが、それはみせかけの問題提起にすぎません。

問題提起に対して相手が親身になって「それじゃあ・・・してみたら?」と応じるとプレーヤーは「はい、でも」といって全ての意見に対して反論します。

なんどもこれを繰り返しているうちに相手は当惑し、疲れ果てて沈黙してしまいます。

そして時には怒りを爆発したりもします。

これこそがプレーヤーが望んでいる結末なのです。

プレーヤーは表面的には相手に対して援助を求めていますが、実は本音の部分では「お前のいう通りになんかならないぞ」ということを示すのが本当の目的なのです。

プレーヤーも無意識に行っていて自覚がなかったりしますが、こうしたゲームをしているのだということが自覚できると新しいコミュニケーションのきっかけになったりしますので自己分析のためにも必要なことですし、相手側もゲームなんだということが分かると新しい対応の仕方へのヒントになるのでこうしたゲームを理解しておくことは大切だと思います。

長くなったので続きは明日。



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