良寛さん

2009年03月16日

良寛さんの話

良寛さんは難しい言葉を使わない寛容で慈悲深い禅僧であり、子ども達と手まりをして遊び、多くの人々に愛されたお坊さんです。

その良寛さんがこんな詩歌を残しています。


うま酒に肴持って来よいつもいつも
       草のいほりに宿は貸さまし


禅僧たる者が自分の修行道場に酒を持って集まっていらっしゃいなんてけしからんという人もいるでしょう。

でもこの時代、良寛さんは困っている人、悩んだいる人の強い共感を得て「生きぼとけ」と称されていました。

名門の家に生まれ、物質的には何不自由ない生活が出来たにもかかわらず全てを捨ててボロを身にまとい、お寺を嫌って托鉢行だけの生活をしていた良寛さん。

これほど風変わりで、これほど人々に敬愛された僧侶は少ないと思います。

僕は良寛さんの生き方を目指しているというわけではないのですが、それでも良寛さんの生き方に触れるとなんだか心が温かくなって肩の力が抜けるのでなんとなく好きです。



bouzunikki at 23:25|Permalink

2009年02月16日

生きる力

良寛さんはいつも子どもたちと手まりをして遊んでいました。

当時は子だくさんの家が多く、また親も忙しく働いていたので子どもと一緒に遊んでくれる大人はいなかったようです。

だから子どもたちは良寛さんと遊ぶことがなによりも楽しかったのだと思います。

良寛さんは学校の先生のように仕事として子ども達に接していたわけではなく、教育のために接していたわけでもなく、ただただ子どもたちと一緒に楽しく遊んだだけです。

良寛さんのように寺を持たず、ボロを着て托鉢をしながら生活していた僧侶が、子ども達と無邪気にただ遊んでいる姿を見て快く思わない大人たちもいたことと思います。

そして寺で難しい話をしてくれる僧侶の方が何かありがたいと感謝される場合のほうが多かったと思います。

しかし、良寛さんは、自分が山を降りてくるのを待ちわびている子ども達の顔をみると一緒に遊ばずにはいられなかったのです。

そして良寛さんはそれを自らの楽しみとして子どもたちの先頭に立って夢中になって遊びました。

現代は教育熱心な時代だと思います。

しかし生きる力が弱くなったり、人生に楽しみを持てない人が多い時代でもあります。

生きることの楽しさや生きる力というのは良寛さんのように一緒になって夢中になって遊んでくれる大人がいれば自然と学べるのではないかと思います。

そしてそれは大人でも同じだと思います。

一緒に夢中に遊んでくれる人がいれば人生は楽しいものになると思います。

遊びといっても単なる娯楽ばかりではありません。

仕事だって夢中になって一緒に楽しんでくれる人がいれば遊びと同じくらい楽しいものになります。

僕はカウンセリングにしても占いにしても坊主バーにしても、出会った人と共に人生を楽しみたいと思っています。

それがたとえ人生のうちのたった1時間の出会いであってもです。



bouzunikki at 22:25|Permalink