言葉

2009年01月25日

きれいな言葉

きれいな言葉って人を幸せにしますよね。

きれいな言葉っていっても単に言葉遣いが丁寧というだけではなくて、思いやりがある言葉っていうんでしょうか。

僕は以前、自分の口って何のためにあるのかなって考えたことがあるんです。

それから、自分の両腕は何のためにあるのかなって考えました。

それまでは考えたことがなかったんですよ。

で、結論は「人を幸せにするため」でした。

「口は人をけなすために使い、腕は人を殴るために使い、足は人に砂をかけるために使う」そんな自分の使い方はしたくないって思ったんです。

そしてたどり着いたのが「人を幸せにするために使いたい」でした。

それまでは自分の身体を何に使うのかなんて事を考えたこともなかったんです。

だから、自分が喋りたいことを喋っていました。

人は他人に対して批判的な言葉や攻撃的な言葉を使うことがあります。

それはきっと自分の存在を示す方法のひとつなんだと思います。

自分のことを認めてもらいたいからだったり、相手に分からせたいからだったり、相手よりも上等な人間であることを示したいからだったり。

そんな気持ちから出る言葉なんだと思います。

人は誰だって他人に認めてもらいたいと思っています。

だから、自分が批判した相手だって、攻撃した相手だって自分と同じように認めてもらいたいと思っているわけです。

でも自分の中で満たされないものがあったり、自分の存在が認められていなければどうしたって他人に対して怒りの感情が生じるし、相手を攻撃してしまいます。

それは当然のことだと思います。

僕にだって他人に認めてもらいたいという気持ちがあります。

だから昔は他人に存在を否定されたり他人から攻撃されたりすると怒りの感情が生じましたし、攻撃し返してました。

でも今は怒りの感情が生じたり攻撃し返すことはなくなりました。

カウンセラーとして「自分の問題と相手の問題を一緒にしない」という経験が最初の一歩だったかもしれません。

もし相談者の方から攻撃されてカウンセラーである自分がムカッとしたら、カウンセリングになりませんし、なによりも相手に攻撃されてカウンセラーがムカッとしたらそれはカウンセラーが相手の問題を自分の問題にしてしまったということなので。

カウンセラーは、相手がカウンセラーである自分を攻撃してきたときには、この人は何で自分を攻撃しているのだろうって考えるんですよ。

どこまでも相手の気持ちで考えるんです。

だから攻撃されても攻撃し返すこともなければ、過剰に反応することもないんです。

僕にとってはこうした相手の問題と自分の問題を一緒にしないというのが最初の一歩でした。

でも今はさらにもっと違う感覚でとらえています。

上手くいえないのですがひと言でいえば「大丈夫」っていう感覚です。

表現を変えれば「何があっても自分の人生は大丈夫」っていう感覚です。

これがあるから、他人から攻撃されても怖くないんです。

この怖くないというのが何よりも大切だと思います。

恐怖がなければ他人から攻撃されても、他人を攻撃する必要がないんです。

そう考えると他人から攻撃されたときに反応してしまうっていうのは、自分に恐怖が生じているからなんでしょうね。

だから過剰反応してしまったり、攻撃的になってしまうんだと思います。

話がもとに戻りますが、きれいな言葉を使える人は心に余裕がある人なんだと思います。

必要以上に自分を守る必要がないから、心の底から思いやりのあるきれいな言葉を使えるんでしょうね。

そして、そういう人から発せられた言葉を受けるほうも恐怖を感じないから、あえて攻撃的に返す必要もなくなる。

結局、攻撃に対して恐怖を感じて攻撃し返すからおかしくなる。

そういうことなんだと思います。

それに、いつも相手の立場に立って思いやりのある言葉を使っていればその人を攻撃する人もきっといなくなります。

自分にとってどんなに憎い相手でも、一度冷静に相手の立場で考えてみるという事が人間関係で衝突しない為にはとても大切な事だと思います。


bouzunikki at 19:50|PermalinkComments(0)